そういえば昨日から旧暦では五月だった。五月雨の季節。
かつてはある程度経済成長を遂げた国は民主化の方向に向かうとされていたが、今は至る所で民主化を達成した国がその後の経済の伸び悩みから、独裁帰りする事例が増えている。ロシアもその典型だし、トルコもその後に続こうとしている。大統領権限の強化という形で、徐々に議会を停止してゆくパターンもあれば、ミャンマーのようなクーデターで逆行するケースもある。
経済が緩やかだが順調に成長していても、先進国のイノベーションの速度について行けなくて、相対的に経済が後退しているかのような錯覚を起こすのだろう。ただその「相対的貧困」に騙されてしまうと、そのうち絶対的貧困にまで後退してゆく危険がある。
独裁帰りを防ぐには、先進技術を囲い込まずに解放する必要がある。これは企業の側の問題になる。
一方では知的所有権の壁が技術転移を妨げ、もう一方では国家ぐるみで技術を盗み出そうとしている独裁国家がある。
あと、フェアトレードを国家ではなく市場の方でルール化する必要があるのではないかと思う。新しい資本主義は国家の目標ではなく、市場主導で世界共通ルールにしてゆく必要がある。
国ごとにルールが異なると、その国家の政策によって有利不利ができてしまい、政策を誤った国が独裁帰りする危険もある。
知的所有権の問題は難しいが、根本的なルールの再編が必要なように思える。コロナワクチンでも知的所有権が壁になって、先進国でワクチンが余り、フロンティア諸国で不足する事態になった。
経済成長は長距離走と一緒で、距離が長くなればなるほどトップとビリとの差が開いて行く。そこで前を走ってる奴を力づくで転ばしてやろうと、その発想が独裁を生み出す。そうなるまえに後ろを走っている選手にローラースケートを履かせることも考えなくてはならない。
国家ではなく市場がそれを援助してゆく必要がある。将来のお得意さんや良きビジネスパートナーを育てることは、必ず利益になる。
それでは「月に柄を」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
また献立のみなちがひけり
灯台の油こぼして押かくし 傘下
灯台は背の高い足のついた油を入れて火を灯す皿で、そこに燈芯を置いて火をつける。「灯台下暗し」というのは、この灯台の真下が皿の陰になって暗いという意味で、海の灯台のことではないというのは、トリビアとしてよく話題になる。
まあ、うっかりこの灯台にぶつかったりすれば、当然油がこぼれる。それを掃除してたりしたら時間を取ってしまって、献立を変更することになった、ということか。
二十六句目。
灯台の油こぼして押かくし
臼をおこせばきりぎりす飛 越人
こぼした灯台の油の後始末に臼を動かせば、コオロギが飛び出してくる。
二十七句目。
臼をおこせばきりぎりす飛
ふく風にゑのころぐさのふらふらと 越人
エノコログサは猫じゃらしとも言う。猫ではなく、飛び出してきたのはコオロギだった。
あるいは猫がじゃれついたのでコオロギがびっくりして飛び出したという、「猫」の「抜け」か。
二十八句目。
ふく風にゑのころぐさのふらふらと
半はこはす築やまの秋 傘下
庭の改修で築山を半分突き崩すと、そこに生えていたエノコログサが転がってふらふら揺れる。
二十九句目。
半はこはす築やまの秋
むつむつと月みる顔の親に似て 傘下
「むつむつ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「むつむつ」の解説」に、
「① =むっつり(一)①
※俳諧・更科紀行(1688‐89)「六十許の道心の僧、おもしろげもおかしげもあらず、ただむつむつとしたるが」
② =むっちり(一)①
※俳諧・類船集(1676)恵「少人のむつむつとこえたるにゑくほのあるはあいらし」
とある。①の方の意味になる。
俳諧の祖の宗鑑の句に、
切りたくもあり切りたくもなし
さやかなる月をかくせる花の枝
というのがあったが、これもそのパターンで、築山が邪魔で月がよく見えないからというので半分壊してみたが、今度は庭が面白くない。
まあ、それだけのネタに終わらせずに、二代揃ってこういう人だったという落ちを付ける。
三十句目。
むつむつと月みる顔の親に似て
人の請にはたつこともなし 傘下
請は「うけ」とルビがあり、かなり多義な言葉で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「受・請・承」の解説」に、
「① 相手の動作や働きかけに反応を示すこと。
(イ) 相手の要求、命令、申し出などを承諾すること。引き受けること。
※承応版狭衣物語(1069‐77頃か)一「え否むまじうて、忽ちのうけはせねど〈略〉など契りけるに」
※今昔(1120頃か)一六「云はむ事、請(うけ)有て聞け」
(ロ) 競技、ゲーム、闘技などで、相手の攻撃を防御すること。また、する人。「攻めと受け」「受けにまわる」
(ハ) 歌舞伎十八番の「暫(しばらく)」で、花道からのせりふを舞台の二重(にじゅう)にいて受けとる公家悪(くげあく)の敵役の通称。
※雑俳・柳多留‐二五(1794)「美しいうけで国からしばらくウ」
(ニ) 能楽、または長唄の囃子(はやし)で、大鼓(おおつづみ)、小鼓、太鼓の打ち方の名称。受頭(うけがしら)、受三地(うけみつじ)、受走(うけばしり)など。
(ホ) 旅芝居などで、町触れの太鼓が帰ってきたとき、小屋で待ち受けてたたく大太鼓の称。
(ヘ) 注文をうけること。〔模範新語通語大辞典(1919)〕
② 世間の評判。おもわく。受け取られ方。
(イ) 世間の評判。人望。特に演劇で観客の反響をいうことがある。
※浮世草子・当世芝居気質(1777)一「太夫は声にはよらぬ。見物のうけばっかりをあぢいれ」
(ロ) 相手に与える感じと相手の反応。もてなし。待遇。あしらい。態度。
※浄瑠璃・躾方武士鑑(1772)八「浪人じゃと云と、強(きつ)い茶屋の受けが違ふて」
(ハ) 相手の意向などの理解のしかた。さとりかた。
※人情本・春色梅児誉美(1832‐33)初「土瓶をとって『これか』『アレサどふも請(ウケ)のわりい』『ヲットしゃうちだ』ト、そばにある燗徳利をとり」
③ 物を受け取ること。他人から、なにかを手に入れること。受け取り。
※碓井小三郎氏所蔵文書‐永仁三年(1295)五月三〇日・松王法師供米請取状「請 一切経御供米事。合玖斗者。右、去年八月分、法印信顕所レ請之状如レ件」
④ 物を受けたり支えたりするもの。
(イ) 物を受け入れる設備。「新聞受け」「郵便受け」
(ロ) 支えるもの。つっぱり。「棚の受け」
(ハ) 立花(りっか)で、心(しん)、副などの枝に対して、低く横に出て全体の釣り合いをとる枝。うけえだ。
※立花秘伝抄(1688)四「往昔花を指初るに法式有、いはゆる心、正心、副、請、見越、流枝、前置、〈略〉是を七ツ枝と名付」
⑤ 相対すること。ある方向に面すること。また、面している部分。多く造語要素のように用いられる。
(イ) 能の演技の型で、正面、または、ある方向に体を向けている者が、他の方向に向きを変えること。左受(ひだりうけ)、隅受(すみうけ)、脇正受(わきしょううけ)、脇座受(わきざうけ)など。
(ロ) 建造物などで、ある方向に向いている部分。
※浄瑠璃・冥途の飛脚(1711頃)下「にしうけのたけれんじ、ほうぐしゃうじをほそめにあけて」
⑥ 代価を償って、一定の拘束をうけていた人や品物を引き取ること。
※歌舞伎・時桔梗出世請状(1808)二幕「殊の外質屋は忙がしうござりまする。〈略〉二朱一本の兜を持って来ましたが、これは受けになりますかえ」
⑦ 保証すること。特に、貸借関係や身もとの保証をすること。また、保証する人。保証人。うけにん。〔日葡辞書(1603‐04)〕
⑧ 請け負うこと。
(イ) 中世、地頭、名主などが領主への年貢納入を請け負うこと。地頭請、守護請、地下請、百姓請などがある。
(ロ) 江戸時代、新田の開墾をするときに、請け負ってその土地を借り受けること。村が借り受けるときは「何々村受」と称し、個人の場合は「何々受」とした。
(ハ) =うけあい(請合)(一)②
※試みの岸(1969‐72)〈小川国夫〉「日当は元通りでいい、〈略〉一円五十銭でもいいな。請(ウ)けで行くんなら、四十三円と」
とある。
多義の言葉は次の句での取り成しもあるので、一応全部掲げておく。ここでは『芭蕉七部集』の中村注にある通り、⑦の意味であろう。
まあ、安易に人の保証人なんかになってはいけない。
請人はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「鎌倉,室町時代の荘園において,地頭,荘官らが一定額の年貢納入を荘園領主に対して請負う場合 (→請所 ) ,請負う側のものを請人といった。また,中世,近世における保証人を請人と称した。中世における請人は,債務者の逃亡,死亡の場合に弁償の義務を負い,債務者の債務不履行の場合にも,請人に弁償させるためには保証文書にその旨を記載する必要があった。近世における請人は,人請,地請,店請,金請などの場合が主であったが,金請の場合中世とは異なり,債務者の債務不履行の場合当然に弁償の義務を負い,債務者の死失 (死亡) の際に請人に弁償させるためには債務証書にその旨を記載する必要があった。しかし,宝永1 (1704) 年以降,死失文言の有無にかかわらず,債務者死失のときも請人が弁償すべきものとされた。」
とある。この時代の請人は死失 (死亡) の際のことについての記載がなければ補償義務はなかった。ってことは、いざとなったら殺せばいいということか。
また、延宝五年の「あら何共なや」の巻九十二句目に、
走り込追手㒵なる波の月
すは請人か芦の穂の声 信章
の句があるように、近代みたいな自力救済の禁止がなかったので、債務者を追っかけて締め上げるくらいのことはできた。
二裏、三十一句目。
人の請にはたつこともなし
にぎはしく瓜や苴やを荷ひ込 傘下
苴は「あさ」とルビがある。この場合は②の意味で「荷受け」であろう。自分の所の荷物だけをさっさと受け取って運び込む。
三十二句目。
にぎはしく瓜や苴やを荷ひ込
干せる畳のころぶ町中 越人
荷物を背負った人足が沢山通ると、一人くらいは干した畳にぶつかって倒して行くやつもいる。
三十三句目。
干せる畳のころぶ町中
おろおろと小諸の宿の昼時分 傘下
小諸宿は中山道の軽井沢の先の追分宿から北国街道に入った先にある。長野へと向かう途中になる。
小諸と畳の縁はよくわからない。
三十四句目。
おろおろと小諸の宿の昼時分
皆同音に申念仏 越人
北国街道と言えば善光寺参りの人が多かったのだろう。善光寺には宗派がないので、どの宗派の人も集まってくる。念仏は共通の言葉か。
三十五句目。
皆同音に申念仏
百万もくるひ所よ花の春 傘下
謡曲『百万』は狂乱物で嵯峨の大念仏が舞台になる。
「さん候この嵯峨の大念仏は、人の集まりにて候間、面白き事の数多御座候。中にもここに百万と申す女物狂の候が、われ等念仏を申せばもどかしいとあつて出でられ、おもしろう音頭を取り申され候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.42084-42093). Yamatouta e books. Kindle 版. )
とある。
旧暦三月に行われるもので、謡曲でも、
「雲に流るる大堰河、まことに浮世の嵯峨なれや。盛り過ぎ行く山桜・嵐の風松の尾・小倉の里の夕霞、立ちこそ続け小忌の袖、かざしぞ多き花衣、貴賤群集する・この寺の法ぞ尊き。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.42276-42282). Yamatouta e books. Kindle 版. )
と季節の描写が入っている。「盛り過ぎ行く山桜」で花の春となる。
挙句。
百万もくるひ所よ花の春
田楽きれてさくら淋しき 越人
嵯峨大念仏のような大きな法会には、田楽の店なども並ぶものなのだろう。それも人があまりに多くてどこも売り切れだと、花見もやや寂しい。
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