ネット上で蘇東坡の詩句とされている「柳緑花紅真面目」で、筆者も安易に用いてしまっていたが、詩句というわりには、詩の全体が判明しない。そうなると、これが本当に蘇東坡の詩だったのかという疑念がわいてくる。
この詩句が蘇東坡のものであることを証明するには、出典をつきとめればいいわけだが、この詩句が蘇東坡のものでないことを証明するのはもっと難しい。誰か他の人の詩にこの句があればいいが、それがないとなると悪魔の証明になる。
とりあえず今わかったのは「真面目」をネットで検索すると、蘇東坡の詩の中に「真面目」の用例は一応あるということだ。
題西林壁 蘇軾
橫看成嶺側成峰 遠近高低總不同
不識廬山真面目 只緣身在此山中
横から見れば嶺とも峰ともなり、
遠いか近いかで高さは違って見える。
廬山の真の姿を知らないのは、
ただ自分がこの山の中にいるからだ。
廬山の真の姿を知らないのは、廬山に住んでいるからだ。まあ、エッフェル塔にいればエッフェル塔は見なくてすむというモーパッサンの例もあるが、この場合はちょっとでも角度が変わればまったく別のものに見えて、どれが本物というわけでもない、という意味だろう。
「柳緑花紅」の方は古くから言い古された出典のある言葉の一つのバリエーションだろう。筆者が知っているのは、
大道曲 謝尚
青陽二三月 柳青桃復紅
車馬不相識 音落黃埃中
春の二月三月、
柳は青く桃もまた赤い。
車も馬もお互いを知ることもなく、
ただ音だけが黃埃の中に。
の詩だ。似ているというと、
見渡せば柳桜をこきまぜて
都ぞ春の錦なりける
素性法師(古今集)
の歌がある。影響を受けていたとしてもおかしくない。
ただ、日本の山桜は紅ではないという問題はあるが、「いにしへの奈良の都の八重桜」なら桃色の品種もあったかもしれない。奈良時代に既に八重桜や枝垂れ桜などの園芸品種が作られていて、それが都特有の錦として認識されていた可能性はある。
山桜も一様に白いのではなく、遺伝的に一定の変異を含んでいて、桃色がかかったものもある。ただ今の染井吉野のように、見渡す限り一面同じ色ということはなく、全体的には白い桜が主流だった。
近代には沖縄の寒緋桜なども、品種改良で交配させたりしていて、今の桜は染井吉野よりも濃い色のものが多い。
まあ、話はそれたが、「柳緑花紅」という場合の花は桃の花と考えた方が良いのだろう。漢詩に通じた人であれば、桜ではなく桃を連想したと思う。
だいぶ前だが、『万葉集と漢文学』和漢比較文学叢書九、一九九三、汲古書院、所収の濱政博司さんの「大津皇子『臨終』詩群の解釈」を読んだ時に、似たような詩が中国・韓国・日本で有名な人の詩として語り伝えられていることを示している。
五八九年の中国の『浄名玄論略述』の詩が古く、それは、叔宝が囚人として長安に引き立てられるときに詠んだ詩で、
鼓声推命役 日光向西斜
黄泉無客主 今夜向誰家
太鼓の声は賦役へとせきたて、
日の光は西へと傾いて行く。
黄泉の国には主人もいなければお客さんもいない。
今夜は誰の家に向かうのというのだ。
というものだった。
日本では六八六年に二上山で処刑された大津皇子が詠んだとされ、『懐風藻』にも載っている詩に、
金烏臨西舎 鼓声催短命
泉路無賓主 此夕誰家向
黄金烏が棲むという太陽も西にある住まいへ沈もうとし、
日没を告げる太鼓の声が短い命をせきたてる。
黄泉の国への旅路は主人もいなければお客さんもいない。
この夕暮れは一体誰が家に向かっているのだろう。
というのがある。
さらに韓国では成三問(ソンサムォン)(一四五六年没)の刑死した時の詩として、
撃鼓催人命 回看日欲斜
黄泉無一店 今夜宿誰家
太鼓を打つ音は人の命運をせきたて、
振り返って見れば日は傾こうとしている。
黄泉の国には宿屋があるわけでもない。
今夜は一体誰の家に泊ろう。
という詩が知られている。
「柳緑花紅真面目」もひょっとしたら何らかの伝承詩があって、それが蘇東坡に仮託されたのかもしれない。元の形が多少違っていても、「真面目」と付けると実際に用例があるだけにそれっぽく聞こえる。
蘇東坡の詩句かどうか定かでないなら、単に「禅語」として扱った方が良いのかもしれない。
この詩句は基本的には五感に感じられるものをあるがまま、何ら解釈をすることなくそのまま受け入れるということで、現象学的に言う「エポケー」の状態を言う。
これによって先入観を配して物事を見ろという教えであり、自由に物事を見ることで、新たな解釈を可能にする。
ただし、その新解釈が真理であることを証明するものではない。ハイデッガーの言ったように、真理の本質は自由であり、自由の中にしかない。新たな世界の解釈も、それがひとたびドグマとなった時には、この世界を覆い隠すものとなる。
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