2022年5月19日木曜日

 マウリポリで実際に何が起きているのか、どこを見てもロシア側の情報が多すぎてわかりにくい。日本のメディアだけでなく、世界の多くのメディアも、ロシア側からの情報提供を遮断されるのが恐くて、ロシア側の情報を流し続けているのかもしれない。マス護美は世界の言葉か。
 確かに戦地での独自取材は困難で、ウクライナ側は抵抗で必死で出てくる情報も少ない。これだけだとニュース番組が成り立たなくなるからというので、ロシア側の情報で穴埋めしているのだろう。
 トルコがロシア側に付くなら、NATOから排除するというのも選択肢の一つではないか。スウェーデン・フィンランドの加盟に全会一致が無理なら、トルコの排除を全会一致で可決すればいい。
 全会一致主義にも問題がある。一つの国が裏切れば機能不全に陥るような軍事同盟では困る。それじゃ国連と一緒だ。
 ロシアも相変わらずネオナチガーを連呼しているが、日本でもやれヒットラーだのレイシストだの、安易なレッテル張りが横行している。本人たちは軽い気持ちで言っていることでも、それで日本政府がネオナチだということになると、侵略の格好の口実になってしまう。この種のレッテル張りは侮辱罪で厳罰に処すべきだ。
 とにかく今回の戦争はプーちん一人が悪いのではない。世界中におびただしい数の陰でプーちんを援護する連中がいる。そいつらとも戦わなくてはならない。表向き反ロシアを掲げていても、戦争反対を口実にウクライナの軍事行動を積極的に支持しない人たちは疑った方が良い。
 少な目に見積もっても、世界には一億人のプーチンがいると思った方が良い。
 筆者は平和に賛成します。早くロシア軍を追っ払って、ウクライナに、そして世界が平和になることを望んでます。

 それでは「郭公(来)」の巻の続き。
 證歌を探りながら読んでゆくと、季語などのいわゆる「放り込み」というのはほとんどなく、きちんと古歌の意味や情を踏まえているのが分かる。これからは安易に「放り込み」という言葉は使わないようにしよう。

 二裏、三十七句目。

   売渡し申軒の下風
 一此ざうりわらんぢ雨過て    在色

 「一此」は「ひとつこの」とルビがある。雨宿りのついでに草履や草鞋を買ってゆく。
 今で言うとコンビニでトイレを借りた時に缶コーヒーを買ってくような感覚か。
 草履草鞋は消耗品で、「二束三文」と言われるくらい安いので、雨宿りして何も買ってゆかないのも、という時に買っていったのだろう。
 三十八句目。

   一此ざうりわらんぢ雨過て
 死骸をおくる山ほととぎす    卜尺

 前句の草履草鞋を死出の旅のものとして、遺骸に添える。
 ホトトギスの口の中が赤いのは、悲しみのあまりにに血を吐くまで鳴いたからだと言われている。
 正岡子規の「子規」という号は結核で血を吐いたからだと言われているし、アララギ派の和歌の、

 のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて
     足乳根の母は死にたまふなり
              斎藤茂吉

歌も、玄鳥(つばくらめ)をホトトギスの代用として用いている。
 井上陽水の父のみまかりし時に作ったという「帰郷」という唄にも、「喉に血反吐見せて狂い鳴く/あわれあわれ山のほととぎす」の歌詞がある。
 雨の山郭公には、

 昔思ふ草の庵の夜の雨に
     泪な添えそ山時鳥
              藤原俊成(新古今集)

の歌がある。
 三十九句目。

   死骸をおくる山ほととぎす
 奥の院花たちばなや匂ふらん

 大きな寺院の奥の院は山の中にあることが多い。お寺で葬儀を行うと、奥の院の方からホトトギスの声が聞こえてくる。あの辺りでは花橘が香り、故人の袖の香を偲ばせるのだろうか。
 橘と言えば、

 五月待つ花橘の香をかげば
     昔の人の袖の香ぞする
              よみ人しらず(古今集)

の歌がよく知られていて、「昔の人」は故人の意味にも転用できる。
 郭公に橘は、

 宿りせし花橘もかれなくに
     などほととぎす声絶えぬらむ
              大江千里(古今集)
 色かへぬ花橘に郭公
     ちよをならせる声きこゆなり
              よみ人しらず(後撰集)

など、多くの歌に詠まれている。
 四十句目。

   奥の院花たちばなや匂ふらん
 むかしは誰がたてし常灯     松意

 常灯はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「常灯」の解説」に、

 「① 神仏の前にいつも点灯しておく火。みあかし。常灯明。長明灯。定灯。
  ※宇津保(970‐999頃)藤原の君「比叡の中堂に、しゃうとうを奉り給」
  ※太平記(14C後)五「山門の根本中堂の内陣へ山鳩一番飛び来て、新常燈(じゃうトウ)の油錠(あぶらつき)の中に飛入て」
  ② 江戸時代、千貫目以上の長者が金蔵(かねぐら)に点灯した常夜灯。
  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第二六「高野遠し其外爰にも難波寺 末世の奇特常灯の影」
  ③ 街路、つじなどに夜の間点灯しておくあかり。街灯。
  ※花柳春話(1878‐79)〈織田純一郎訳〉一「子是れより左に路を取らば必ず常燈あり」

とある。こんな山奥の奥の院に、昔の人はどうやってこんな重い常灯を運んで建てたんだろうか、と不思議になることがある。
 橘に昔は前述の「五月待つ」の歌の縁。
 四十一句目。

   むかしは誰がたてし常灯
 舟人も広きめぐみの守護代リ   正友

 守護代(しゅごだい)は都に入る守護に変わって領地を治める人で、ここでは語数の関係から「しゅごかわり」とする。
 前句の常灯を海の灯台のこととして、昔の守護代が建てたとする。
 四十二句目。

   舟人も広きめぐみの守護代リ
 四面にさうかの歌うたつてくる  松臼

 四面楚歌という言葉はあるが、ここではそれをもじって四面の早歌とする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「早歌」の解説」に、

 「① 催馬楽(さいばら)や神楽歌で、ふつうより拍子の速いうた。はやうた。
  ※神楽歌(9C後)「早歌」
  ② (「そうが」とも。やや速いテンポで歌われたことに基づく名称という) 中世、武家を中心に貴族・僧侶などの間に流行した宴席のうたいもの。初めは扇拍子で歌われ、沙彌明空(しゃみみょうぐう)によって集大成された。現爾也娑婆(げにやさば)。理里有楽(りりうら)。宴曲。
  ※梁塵秘抄口伝集(12C後)一〇「我独り雑芸集をひろげて、四季の今様・法文・早歌に至るまで、書きたる次第を謡ひ尽くす折もありき」
  ※徒然草(1331頃)一八八「仏事の後、酒など勧むる事あらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌と云ふことを習ひけり」
  [補注]①については一説に「雑歌(ぞうか)」と同じとも、また、本と末をすばやく応答していく歌ともいわれる。」

とある。
 守護代の仕事はと言うと、宴会を開いて地元の名士・業者をもてなすことだ。地元との関係が良好なら至る所で宴会が開かれ、早歌の声が聞こえてくる。
 四十三句目。

   四面にさうかの歌うたつてくる
 銭さしに泪つらぬく夜の空    一鉄

 宴会は金のかかる物で、宴会が続くと懐が淋しくなる。これが本当の四面早歌。
 四十四句目。

   銭さしに泪つらぬく夜の空
 念仏講も欠てゆく月       雪柴

 念仏講はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「念仏講」の解説」に、

 「① 念仏を行なう講。念仏を信ずる人達が当番の家に集まって念仏を行なうこと。後に、その講員が毎月掛金をして、それを講員中の死亡者に贈る弔慰料や、会食の費用に当てるなどする頼母子講(たのもしこう)に変わった。
  ※俳諧・新続犬筑波集(1660)一「はなのさかりに申いればや 千本の念仏かうに風呂たきて〈重明〉」
  ② (①で、鉦(かね)を打つ人を中心に円形にすわる、または大数珠を回すところから) 大勢の男が一人の女を入れかわり立ちかわり犯すこと。輪姦。
  ※浮世草子・御前義経記(1700)三「是へよびて歌うたはせ、小遣銭少しくれて、念仏講(ネンブツカウ)にせよと」

とある。
 さすがに②ではないだろう。①の意味で念仏講のメンバーから死者が出ると、集めたお金で葬式代を出す。不幸が続くと人も欠けて行くし銭もなくなってゆく。それを満月以降の欠けてゆく月に喩える。
 四十五句目。

   念仏講も欠てゆく月
 相店の人の世中すゑの露     雪柴

 相店(あひだな)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「相店」の解説」に、

 「〘名〙 同じ棟の中にともに借家すること。また、その借家人。相借家(あいじゃくや)。相長屋(あいながや)。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「念仏講も欠てゆく月〈雪柴〉 相店の人の世中すゑの露〈卜尺〉」
  ※咄本・鹿の子餠(1772)俄道心「相店(アイタナ)の八兵衛、欠落(かけおち)して行衛しれず」

とある。
 今回亡くなった念仏講のメンバーは相店の借家人だった。人の死も悲しいが、店が存続できるかどうかも不安だ。今で言えばテナントビルのオーナーが亡くなって、余所に売却されたようなものか。
 四十六句目。

   相店の人の世中すゑの露
 分散何々なく虫の声       一朝

 分散はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「分散」の解説」に、

 「② 江戸時代、競合した多数債権を償うことができない債務者が債権者の同意を得て、自己の全財産を彼らに委付して、その価額を各債権に配当すること。現在の破産にあたる。分散仕舞。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「相店の人の世中すゑの露〈卜尺〉 分散何々なく虫の声〈一朝〉」

とある。
 相店のオーナーが破産し、分散仕舞いになる。行き場を失った小さな店は行き場がなく、秋の鳴く虫の声が絶えて行くように消えて行く。
 虫の音の露は、

 命とて露を頼むにかたければ
     ものわびしらに鳴く野辺の虫
              よみ人しらず(古今集)
 おぼつかないづこなるらん虫のねを
     たつねは草の露やみだれん
              藤原為頼(拾遺集)

などの歌に詠まれている。
 四十七句目。

   分散何々なく虫の声
 舟板のわれからくぐるあかの道  松意

 ワレカラはウィキペディアに、

 「ワレカラ(割殻、破殻、吾柄、和礼加良)は海洋に生息する小型の甲殻類である。海藻の表面に多数見いだされるほか、深海底にも生息している。ヨコエビと近縁で端脚目に分類されるが、腹節および尾節が著しい退化傾向にあり、身体の大部分が頭部および胸部により構成される。多くの種において、身体を屈伸させるほかに単独で水中を移動する術はなく、専ら生息基質である大型藻類等の表面に定位し、デトリタスや藻類を食べる。」

とある。海藻に付着することが多く、「ワレカラ喰わぬ上人なし」と言われるくらい、いくら殺生をしないと言ってる偉い坊さんでも、知らずに食っていることが多かった。
 「あかの道」の「あか」は垢で、水垢のことであろう。
 舟板に付着していたワレカラが、水垢と一緒に洗い落とされると、固まっていたワレカラが分散してゆく。ワレカラが鳴くわけではないが、心の中で鳴いているようだ。
 四十八句目。

   舟板のわれからくぐるあかの道
 あらがねの土うがつ穴蔵     在色

 「あらがね」は鉱物の原石のこと。
 前句を「舟板の割れから」と取り成して、水垢の付着した廃船の割れ目をくぐって、鉱物の原石を含んだ土を穴蔵へと運ぶ。
 四十九句目。

   あらがねの土うがつ穴蔵
 久堅の天目花生瀬戸物屋     松臼

 天目茶碗でよく知られている曜変天目は、鬼板という鉄分を多く含む鉱物が用いられているという。
 曜変天目の花瓶を作る瀬戸物屋には粗金が穴蔵に仕舞われている。
 天目に枕詞の「久かた」を付ける。
 五十句目。

   久堅の天目花生瀬戸物屋
 目利はいかが見る庭の梅     志計

 曜変天目の真贋を見分ける目利きは、庭の梅をどう思ってみるのか。

 雪ふれば木ごとに花ぞさきにける
     いづれを梅とわきてをらまし
              紀友則(古今集)

の歌のように、雪と梅を見分けることができるか。簡単だとは思うが。

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