2022年5月22日日曜日

 どういう人が独裁支持者になりやすいかというと、思うに「交渉力」というステータスがあるのではないかと思う。これはコミュニケーション力ともまた違う。単に他者と共感しあう能力ではなく、自分の欲しいものと相手の欲しいものを理解したうえで取引を行う能力で、この能力が低い人は日常的な問題に対して理論や規則を振り回した杓子定規な解決をしようとする。
 取引ではなく自動的な命令で解決したがることが、最終的に独裁体制に導くことになる。
 別に自分が独裁者になろうと思わなくても、誰か他の力で自動的に問題が解決されることを望んでいれば、必然的に一人の人間の一つの理論に支配されてゆくことになる。
 独裁政治を防ぐには、こうしたコミュ障ならぬ、交渉障をこじらせないようにする社会をつくらなくてはならない。基本的には論理や法律の限界を叩き込み、生きていくために自分の欲望と他人の欲望を秤にかけて、駆け引きをすることの大切さを教えていかなくてはならない。これは今の日本の教育に欠けている。
 まず、人の言葉を額面どうりに受け止めるのではなく、その裏の意味を探らせる。これは文学の役割だ。日本では昔から「行間から汲み取れ」と教えてきた。
 次に欲望の多様性を教える。求めるものは人によって違うということを理解すれば、自分の欲望と他人の欲望が競合しない所で、妥協の余地があることを知ることができる。欲望は万人共通ではない。これは大事なことだ。
 コミュニケーション力はこれとは逆に、自分の欲望を以てして他人の欲望を推測する所に成り立つので、交渉力とコミュニケーション力は同じでない。コミュ障でも交渉の得意な人はいくらでもいる。セールスで天才的な業績を上げるのは、むしろこのタイプだろう。
 交渉力は黄金律に反する。自分のしてもらいたいことを他人に施すのではなく、自分はしてもらいたくなくても他人はしてもらいたい、それを見つけ出す能力だ。思うにナンパ師はこの能力が高い。男と女は違うんで、自分がしてもらいたいことではなく女がしてもらいたいことを正確に見抜けるものがせいこうする。
 次に、同じ理論、同じ法律でも多様な解釈があるということを教える。人それぞれ脳の回路が異なり、処理の仕方も違う。同じ理論でも同じ法律でも、脳の処理の仕方が異なればまったく違うものになる。基本的に「言葉」も同じだ。同じ言葉を使っていても、人によって意味は違う。
 このことが理解できているなら、無用な批判や口論を避けることができる。人の批判ばかりしている人は、おそらく他人も自分と同じ言葉を語っていると錯覚して、自分が間違っていると思うことは万人が間違っていると思うと錯覚している。
 最後に行きつくのは、要するに人の言葉に絶対はない、ということだ。神の言葉なら絶対はあるかもしれないが、神の言葉も人を介したものは絶対ではない。人は皆それぞれ違うから、全部違った言葉になる。
 つまり、誰の言葉も平等に価値がある。これが本来の基本的人権の基礎とならなくてはならない。民主主義の基礎もまたそこにある。これを誰か一人の言葉に合わせろと言うと、必ず独裁になる。

 それでは「郭公(来)」の巻の続き。

 名残表、七十九句目。

   罪業ふかき野辺のうぐひす
 雪汁のながれの女と成にけり    一鉄

 雪汁は雪解け水のことで、「ながれの女」はあちこち転々とする遊女であろう。前世の罪業でこういう境遇になったということか。
 雪解けの鶯は、

 今日やさは雪うちとけて鶯の
     都へいづる初音なるらん
               藤原顕輔(金葉集)
 春たてば雪のした水うちとけて
     谷のうぐひすいまそ鳴くなる
               藤原顕綱(千載集)

などの歌がある。
 八十句目。

   雪汁のながれの女と成にけり
 袖に筏のさはぐそらなき      松臼

 「袖に湊の騒ぐ」であれば、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「袖に湊の騒ぐ」の解説」に、

 「港が打ち寄せる波で騒ぐように、激情のあまりに泣く声とともに袖に涙がふりかかる。
  ※伊勢物語(10C前)二六「思ほえず袖にみなとのさはぐ哉もろこし舟の寄りしばかりに」

とある。
 物が「流れの女」だけに、港ではなく筏が騒ぐ。「そらなき」は嘘泣きの意味もあるが、ここでは泣いてる余裕すらないという意味か。

 ゆく末のたのめし人の言の葉に
     消えむそらなき露の夕暮れ
               藻壁門院但馬(洞院摂政家百首)
 夕暮れの雲の景色も愛発山
     越えむそらなき峰の白雪
               肖柏(春夢草)

の用例もある。
 八十一句目。

   袖に筏のさはぐそらなき
 毒かひやむなしき跡の事とはん   卜尺

 「毒飼(どくがひ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「毒飼」の解説」に、

 「〘名〙 毒を飲ませること。転じて、身を破滅させること。〔運歩色葉(1548)〕
  ※信長公記(1598)首「次郎殿を聟に取り、宥め申し、毒飼(ドクカイ)を仕り殺し奉り」

とある。
 毒殺となれば犯人は誰だということになる。嘘泣きしてるやつが怪しい。
 八十二句目。

   毒かひやむなしき跡の事とはん
 うはのが原にあはれ里人      一朝

 前句の「毒かひ」の「かひ」に掛けて甲州街道の上野原宿で事件が起きたとして、そこの里人が弔う。
 八十三句目。

   うはのが原にあはれ里人
 これやこの鷹場の役に幾十度    松意

 上野原に鷹場があったかどうかはわからないが、ここは「うわのが原」で、架空の地名として、そこの里人はたびたび鷹狩に駆り出されている。
 「これやこの」は歌枕に対して、これがあの有名な、というような意味で用いられることが多い。

 これやこのゆくも帰るも別れつつ
     しるもしらぬもあふさかの関
               蝉丸(後撰集)
 これやこの月見るたびに思ひやる
     姨捨山のふもとなりけり
               橘為伸(後拾遺集)

などの歌がある。
 八十四句目。

   これやこの鷹場の役に幾十度
 黒羽織きてたななし小舟      在色

 「たななし小舟」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「棚無小船」の解説」に、

 「〘名〙 棚板すなわち舷側板を設けない小船。上代から中世では丸木舟を主体に棚板をつけた船と、それのない純粋の丸木舟とがあり、小船には後者が多いために呼ばれたもの。ただし近世では、一枚棚(いちまいだな)すなわち三枚板造りの典型的な和船の小船をいう。棚無船。
  ※万葉(8C後)一・五八「いづくにか舟泊(ふなはて)すらむ安礼(あれ)の崎こぎたみ行きし棚無小舟(たななしをぶね)」

とある。
 将軍や大名の鷹狩りにお供する人は、黒羽織を着て小さな船に乗っているのが何とも不釣り合いだ。
 たななし小舟は歌語で、

 ほり江こぐたななしを舟こぎかへり
     おなし人にやこひわたりなむ
               よみ人しらず(古今集)
 あまの漕ぐたななしを舟あともなく
     思ひし人をうらみつるかな
               凡河内躬恒(続後撰集)

などの歌がある。
 八十五句目。

   黒羽織きてたななし小舟
 津国の難波堀江のはやり医者    雪柴

 前述の『古今集』よみ人しらずの歌の縁で、津の国の難波堀江が付く。古代は葦の中を海士が漕ぐ舟だったが、今は町中で医者が移動に用いる。

 津の国の難波堀江に漕ぐ舟の
     みぎはも見えずまさる我が恋
               伊勢(伊勢集)

の歌もある。
 八十六句目。

   津国の難波堀江のはやり医者
 玄関がまへみゆるあしぶき     志計

 難波堀江の医者だから、玄関を葦葺きにしている。
 八十七句目。

   玄関がまへみゆるあしぶき
 さび鎗や門田を守る気色なり    松臼

 葦葺きだと、

 夕されば門田の稲葉おとづれて
     蘆のまろやに秋風ぞ吹く
               源経信(金葉集)

の歌の「蘆のまろや」を連想し、鎗を持った門番も門田を守っているみたいだ。
 八十八句目。

   さび鎗や門田を守る気色なり
 一犬ほゆる佐野の夕月       正友

 門田の錆び鎗を案山子か何かに取り成したのだろうか。うらぶれた田舎に犬が吠える。
 佐野の月は、

 忘れずよ松の葉ごしに波かけて
     夜ふかく出でし佐野の月影
               後鳥羽院(夫木抄)
 月に行く佐野の渡りの秋の夜は
     宿ありとてもとまりやはせむ
               津守国助(新後撰集)

などの歌がある。
 八十九句目。

   一犬ほゆる佐野の夕月
 こもかぶり露打はらふかげもなし  一朝

 佐野の夕暮れといえば、

 駒とめて袖打ち払ふ陰もなし
     佐野のわたりの雪の夕暮れ
               藤原定家(新古今集)

ということで、月に露が付け合いということで、「露打ち払う陰もなし」とする。「こもかぶり」は乞食のこと。

 薦を着て誰人います花の春     芭蕉

は元禄三年の歳旦の句。
 九十句目。

   こもかぶり露打はらふかげもなし
 疵に色なる草まくらして      一鉄

 斬られたのか疵から出た血で草を染めて横たわっている。「打はらふかげもなし」は抵抗するすべもなく斬られたという意味に取り成す。
 「色なる」は和歌では風流で色のあるという意味で用いられる。

 池寒き蓮の浮葉に露はゐぬ
     野辺に色なる玉や敷くらむ
               式子内親王(正治初度百首)
 暮れはつる籬の花は見えわかで
     露の色なる草の上かな
               日野俊光(嘉元百首)

などの歌がある。
 九十一句目。

   疵に色なる草まくらして
 追剝や此辻堂のにし東       在色

 辻堂は街道ぞいなどの旅人が休むためのお堂で、元禄九年の桃隣の陸奥の旅を記した「舞都遲登理」に、「此道筋難所と云、萬不自由、馬不借、宿不借、立寄べき辻堂もなし。一夜は洞に寐て」とある。元禄二年九月の「一泊り」の巻三十二句目にも、

   谷越しに新酒のめと呼る也
 はや辻堂のかろき棟上げ      路通

の句がある。
 辻堂にある付近には旅人を狙った追剥もいたのだろう。あまり金を持ってなさそうだが。血の草枕になる。
 九十二句目。

   追剝や此辻堂のにし東
 弓手に高札め手に落書       卜尺

 この辻堂の辺りに追剥が出ると、右の高札にも左の落書きにも書いてある。高札は宿場などにある公の掲示で、落書きも旅人同士で注意を喚起する掲示板の役割があったのだろう。

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