今日は生田緑地ばら苑に行った。薔薇も良く咲いていて、人も多かった。去年一昨年とコロナに重なっていたが、今年はコロナ明けで人も一気に増えた感じだった。
Kindle Direct Publishingから出した本のタイトルは「超訳『源氏物語』─とある女房のうわさ話─」なのでよろしく。『源氏物語』の大きな特徴でもある女房語りの一人称というところを強調してみた。三人称の小説として訳してない所が味噌。
こやん源氏の桐壺・帚木・空蝉・夕顔と若干手直ししたものなのでよろしく。表紙は急ごしらえで御簾をイメージしてみた。物語は御簾の向こうにある。
では「ほととぎす(待)」の巻の続き。挙句まで。
二十九句目。
太皷たたきに階子のぼるか
ころころと寐たる木賃の草枕 荷兮
木賃はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「木賃」の解説」に、
「〘名〙 (薪(たきぎ)の代金の意から)
① 木賃宿で、泊まり客が自分で持ってきた米などの食糧を煮炊きするために支払う薪の代金。すなわち、木賃宿の宿泊代金。木銭(きせん)。
※俳諧・望一千句(1649)三「かやもつらざるかりふしの宿 木ちんさへもたねば月をあかしにて」
② 「きちんどまり(木賃泊)」「きちんやど(木賃宿)」の略。
※俳諧・曠野(1689)員外「太鼓たたきに階子のぼるか〈野水〉 ころころと寐たる木賃の草枕〈荷兮〉」
とある。木賃宿で太皷を叩くことに何か意味があったのか、よくわからない。
いつまでも寝てると、太皷を叩いて誰かが起こしに来るのか。
三十句目。
ころころと寐たる木賃の草枕
気だてのよきと聟にほしがる 野水
木賃宿に長居しているうちに、宿の仕事のことなんかもいつの間にか覚えてしまったか、なかなかできると宿の主人が娘の婿養子にしたがる。
三十一句目。
気だてのよきと聟にほしがる
忍ぶともしらぬ顔にて一二年 野水
娘の所に忍んで通ってくる男がいたが、気付かないふりをしていてその男を値踏みしていた。二年ずっと通い続けている辺り、なかなか真面目で悪くない。
三十二句目。
忍ぶともしらぬ顔にて一二年
庇をつけて住居かはりぬ 荷兮
庇は古代の寝殿造りだと、母屋の外側の部屋を意味する。前句の「しらぬ顔」を断り続けてという意味にして、あまりしつこく通って来るので寝る所を庇に移した、とする。
三十三句目。
庇をつけて住居かはりぬ
三方の数むつかしと火にくぶる 荷兮
これもよくわからない。
三方はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「三方」の解説」に、
「① (現在は「さんぽう」とも) 三つの方向。三つの方面。
※平家(13C前)一一「能遠(よしとを)が城におしよせて見れば、三方は沼、一方は堀なり」
② 角形の折敷(おしき)に、前と左右との三方に「刳形(くりかた)」もしくは「眼象」と呼ばれる透かし穴のあいた台のついたもの。多く檜の白木で作られ、古くは食事をする台に用いたが、後には神仏や貴人へ物を供したり、儀式の時に物をのせるのに用いる。衝重(ついがさね)の一種。三宝。
※三内口決(1579頃)「盤。〈四方三方事〉。大臣以上は四方。大納言以下は三方也」
※俳諧・犬子集(1633)一「三方につみしをいかに西ざかな」
③ 和算で、正三角形のこと。
※竪亥録(1639)六「置二歩数一、用二三方之方鈎相因之歩法一、五帰而得二歩数一、於レ是用二〈鈎方〉之尺数一帰除、則得二尺数一、是〈方鈎〉也」
④ 近世、大坂の蔵屋敷米を出米する際の仲立人で新地四組・古三組・上組の総称。〔稲の穂(1842‐幕末頃)〕」
とある。
昔は四方に透かし穴のあいた四方も用いられていたが、ここは三方でなくては駄目だということで、用意し直すのも面倒(むつかし)だからって、透かし穴の一面を剥がして火にくべて、そこに庇をつけて三方にするということか。ただ、これだと「住居かはりぬ」の意味が分からない。
三十四句目。
三方の数むつかしと火にくぶる
供奉の草鞋を谷へはきこみ 野水
供奉(ぐふ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「供奉」の解説」に、
「① (「くぶ」とも) (━する) 物を供給すること。供えること。供え奉ること。
※続日本紀‐和銅元年(708)一一月己卯「大甞。遠江但馬二国供二奉其事一」
② (━する) 従事する、仕えるの意を、その動作の相手を敬っていう語。お仕え申し上げること。
※令義解(718)職員「侍医四人。〈掌レ供二奉診候。医薬一〉」
③ (━する) 天皇の行幸などの行列に供として加わること。また、供の人々。
※太平記(14C後)一一「此寺に一日逗留有て、供奉(グフ)の行列還幸の儀式を被レ調ける処に」
④ (「くぶ」とも) 仏語。宮中の内道場に奉仕する僧。内供奉(ないぐぶ)のこと。日本では十禅師が兼ねた。内供(ないぐ)。供奉僧。
※性霊集‐二(835頃)大唐青龍寺故三朝国師碑「若復、印可紹構者、義明供奉其人也」
⑤ =ぐぶそう(供奉僧)①」
とある。
三方の数を数えるのを面倒くさがるような人だから、供奉の草鞋も谷底へと履いて捨てる。草鞋は消耗品ではあるが。
三十五句目。
供奉の草鞋を谷へはきこみ
段々や小塩大原嵯峨の花 野水
小塩大原は小塩山大原院勝持寺のことか。嵯峨野の南西にあり、花の寺とも呼ばれている。前句をそこへ出入りする供奉僧が草鞋を履き古しているとする。
挙句。
段々や小塩大原嵯峨の花
人おひに行はるの川岸 執筆
花を追いかけて人々は小塩大原から嵐山の大堰川(桂川)の川岸へと移動する。
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