2022年5月17日火曜日

 マクドナルドがロシアから撤退ということで、これで「マクドナルドのある国同士は戦争をしない」という状態に戻ったということか。
 マクドナルドのある国同士が戦争をすれば、マクドナルドの方が出て行く。それはグローバル経済から除外されるということだ。ロシアはフロンティアへ転落し、北朝鮮のような道を歩むつもりなのか。
 飢餓と隣り合わせの世界は、喉元にナイフを突きつけられた上、家族を人質に取られた状態だ。国民の逆らう気力が失せれば、独裁国家は逆に安定する。あとは国民に被害者意識を植え付けて、自分たちの貧しさは全部アメリカが悪いということで納得させてゆく。そのヘイトが独裁国家を存続させる理由になって行く。
 ロシアがそれで安定を得れば、次は中国、そして韓国か。そして日本もそういう国にしようとしている人たちがいる。どこかでこの連鎖を止めなくてはならない。
 ロシアは叩かなくてはならない。でもロシアを救わなければ次は我々だ。
 ロシアがウクライナに負けたにしても、戦後処理を誤ればもっと恐ろしいことになる。ロシアが巨大な北朝鮮にならないように、知恵を絞らなくてはならない。

 それでは「郭公(来)」の巻の続き。

 初裏、九句目。

   酒酔をくるあとのしら波
 蜑人の喉やかはきてぬれ衣    卜尺

 濡れ衣で透け透けというのは狙った感じがする。そうでなくても体の線が出る。
 酒飲んで海に飛び込んだのだろう。酒を飲むと喉が渇く。
 十句目。

   蜑人の喉やかはきてぬれ衣
 かの海底の玉のあせかく     執筆

 海底の玉というのは謡曲『海人(あま)』に出てくる、高宗皇帝から興福寺へ贈られた三つの玉の一つの「明珠」というもので、途中瀬戸内海で竜神に取られて、それを里の海女が取り返したという話だ。
 海底深く潜って玉を取り返すのは大変だっただろう。まさに玉の汗をかく。
 十一句目。

   かの海底の玉のあせかく
 さらさらともみにもふでぞ一いのり 松意

 「もみにもふで」は「揉みに揉んで」のウ音便化したもので、『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注にある通り、謡曲『船弁慶』に、

 「その時義経少しも騒がず打物抜き持ち現の人に、向ふが如く、言葉を交はし戦ひ給へば、弁慶おし隔て打物業にて叶ふまじと、数珠さらさらと押しもんで、東方降三世南方軍荼利夜叉、西方大威徳、北方金剛夜叉明王、中央大聖不動明王の索にかけて、祈り祈られ悪霊次第に遠ざかれば、弁慶舟子に力を合はせ、」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.7489-74909). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を踏まえている。この祈りで平知盛の亡霊は海底へと消えて行く。
 十二句目。

   さらさらともみにもふでぞ一いのり
 くだけて思ふ散銭なげさい    在色

 「なげさい」はここでは賽銭のことか。
 「くだけて思ふ」は、

 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ
     砕けてものを思ふころかな
              源重之(詞花集)
 見せばやなくだけて思ふ涙とも
     よもしら玉のかかるたもとを
              伏見院(新後撰集)

などの歌がある。波の砕けると心を砕く(心を痛める)とを掛けて用いることが多い。
 十三句目。

   くだけて思ふ散銭なげさい
 まつ宵の更行かるた大明神    松臼

 前句の「なげさい」をサイコロを投げるとして博徒の神頼みとし、夜通し博奕を続ける中で、当時流行していたうんすんカルタのウン(福の神)に祈る。
 この時代は天正カルタからうんすんカルタへの過渡期でもあり、これより後の延宝六年秋の「のまれけり」の巻二十九句目に、

   古川のべにぶたを見ましや
 先爰にパウの二けんの杉高し   似春

の句は天正カルタのパウ(棍棒)が斜めに交差させた形で描かれ、数字が多くなると杉の木のような形ことを詠んでいるが、天正カルタの絵札は西洋のトランプのように女王・騎馬・国王だったのに対し、うんすんカルタはそれにウン(福の神)スン(唐人)、ロバイ(龍)のカードが加わる。
 棍棒(今日のトランプのクラブ)の書き方は似ているので、「のまれけり」の巻の方もうんすんカルタだった可能性はある。
 十四句目。

   まつ宵の更行かるた大明神
 泪畳の塵にまじはる       正友

 「塵にまじはる」は「和光同塵」のことで、神様は本地である仏さまの光りを和らげ、塵に同じうする姿でもある。
 とはいえ、神も仏もいなかったのか、博奕に負けて涙が畳の塵に交わる。
 十五句目。

   泪畳の塵にまじはる
 腹切はあしたの露と消にけり   雪柴

 「あしたの露」は朝露のこと。露の命とも言うが、切腹は畳の上に血を流し、畳の露と消える。
 十六句目。

   腹切はあしたの露と消にけり
 軍散じて野辺のうら枯      志計

 「軍(いくさ)散じて」はいくさに散ってということで、負けた大将は切腹し、戦場の野辺のうら枯れの露と消える。
 うら枯れは葉先の方から枯れることで、

 露さむみうら枯れもてく秋の野に
     さびしくもある風のおとかな
              藤原時昌(千載集)
 人目見し野べのけしきはうら枯れて
     露のよすがに宿る月かな
              寂蓮法師(新古今集)

などの歌に露とともに詠まれている。
 十七句目。

   軍散じて野辺のうら枯
 虫の髭人もかくこそ有べけれ   一朝

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注にある通り、謡曲『実盛』の、

 「気霽れては風新柳の髪を梳り、氷消えては、波旧苔の、髭を洗ひて見れば、墨は流れ落ちてもとの、白髪となりにけり。げに名を惜しむ弓取は、誰もかくこそあるべけれや。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.18174-18179). Yamatouta e books. Kindle 版. )

の場面で、老人であるはずの実盛だが、打ち取った首の髪は黒く、池で首を洗えばその染めた色が落ちて白髪の姿になるという場面だ。
 軍に破れ、野辺のうら枯れのなかで、老いた武者の髭の色も落ちるように、鳴く虫の髭もやがて力尽きる。
 野に朽ちて行った実盛を虫に喩えるというのは、後の、

 無残やな兜の下のきりぎりす   芭蕉

の句を先取りしている。
 十八句目。

   虫の髭人もかくこそ有べけれ
 目がねにうつる夕月の影     一鉄

 まずこのメガネだが、ウィキペディアによればザビエルが日本に伝えたもので、周防国の守護大名・大内義隆に献上したという。また、徳川家康が使用したという眼鏡も久能山東照宮にあるという。
 このの時代に眼鏡がなかったわけではないが、眼鏡の値段は曲亭馬琴の時代でも一両一分だったという。
 遠眼鏡も西洋から入ってきたもので、元禄九年の桃隣が金華山を旅した時の句に、

 水晶や凉しき海を遠目鑑     桃隣

の句がある。金華山の大きな水晶は今ではほとんど輝きもないが、かつては透き通った姿でこれでレンズを作って遠眼鏡にという発想が湧いたのかもしれない。
 延宝六年冬の「青葉より」の巻七句目、

   天下一竹田稲色になる
 淀鳥羽も鏡のかげに見えたりや  似春

の句の「鏡」は天下一の銘をもつ柄鏡の意味だが、その句が八句目で、

   淀鳥羽も鏡のかげに見えたりや
 やよ時鳥天帝(ダイウス)のさた 春澄

隣る時には南蛮の遠眼鏡の意味に取り成されている。
 この場合は虫を見るのだったら虫眼鏡ということになる。虫眼鏡も江戸時代初めに三浦按針が徳川家康に献上したという。
 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「虫眼鏡」の解説」にも、

 「① 小さな物体を拡大して見るための焦点距離の短い凸レンズ。像は正立の虚像。拡大鏡。
  ※俳諧・境海草(1660)夏「みて蚤や人にかたらん虫目金〈長成〉」

とあり、この時代に知られていたのは間違いない。
 前句を虫眼鏡で虫の髭を観察して、人もかくこそ有べけれ、とし、この句は「眼鏡にうつる」で切って、「夕月の影」を添えたという所で良いのではないかと思う。
 十九句目。

   目がねにうつる夕月の影
 唐船は遠の嶋山乗すてて     在色

 ここで遠眼鏡に取り成される。
 唐船は遠くの島で乗り捨てたのか見えなくなり、夕月の影だけが見える。
 二十句目。

   唐船は遠の嶋山乗すてて
 何万斤のいとによる波      卜尺

 斤(きん)は主さの単位だが、中国と日本では異なる。江戸時代に一般に用いられていた斤は百六十匁(もんめ)で約六百グラムだという。十斤が約六キロだから一万斤は約六トンになる。
 近代でこそ日本は生糸の輸出国になったが、江戸時代は中国から輸入していた。当時の中国船は何十トンもの絹糸を積んでいたのか。
 難破して島に打ち捨てられていたのだろう。貴重な絹糸も波を被って使い物にならなくなる。
 この場合糸の撚ると波の寄るを掛けているが、和歌では撚ると夜を掛けて用いられることが多い。

 白河の滝のいとなみ乱れつつ
     よるをぞ人は待つといふなる
              藤原忠平(後撰集)
 あふまでの人の心のかた糸に
     なみだをかけてよるぞ悲しき
              平重時(続後撰集)

などの歌がある。
 二十一句目。

   何万斤のいとによる波
 見あぐればああ千片たり花の滝  志計

 前句を滝の糸波として、千片の花びらの落ちる花の滝の糸波とする。
 落花を滝に喩える例として、

 吉野山雲の岩根に散る花は
     風より落つる滝の白糸
              慈円(夫木抄)

の歌がある。
 二十二句目。

   見あぐればああ千片たり花の滝
 孤雲の外に鳥はさえづる     松意

 孤雲はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「孤雲」の解説」に、

 「[1] 〘名〙 一つだけはなれて、ぽっかりと浮かぶ雲。ひとひらの雲。はなれ雲。片雲(へんうん)。
  ※文華秀麗集(818)上・敬和左神策大将軍春日閑院餞美州藤大守甲州藤判官之作〈巨勢識人〉「郷心遠樹孤雲跡。客路辺山片月寒」 〔陶潜‐詠貧士詩・其一〕」

とある。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、謡曲『羽衣』の、

 「簫笛琴箜篌孤雲の外に充ち満ちて、落日の紅は蘇命路の山をうつして、緑は波に浮島が、払ふ嵐に花降りて、げに雪を廻らす白雲の袖ぞ妙なる。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.30855-30863). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 ここでは天人の楽の音ではなく、鳥の囀りを添える。

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