ZOMBIEの「抹殺せよ!! 」はこのご時世にぴったりだね。なかなか勇気のいることだ。
戦後レジームからの脱却ということは今まで何度も言われてきたけど、今度の戦争もその戦後レジームの終わり、連合国支配の終わりを象徴するものではないかと思う。終わらないなら終わらせなくてはならない。それを守ろうとしている者、それを利用して侵略戦争を開始した者、どっちも糞だ。
西洋占星術でもみずがめ座の時代の始まりだとか、風の時代の始まりだとか言われている。昨日ラジオでそんな話をしていた。今朝は金星と木星を見た。
それでは『阿羅野』の初夏の発句の続き。
はげ山や下行水の沢卯木 夢々
山に咲く卯の花は緑の黒髪の中の白髪に喩えられるが、はげ山の下の方の沢に咲く卯の花は鬢の白髪か何かに喩えればいいのか。
卯の花は和歌では、
郭公我とはなしに卯花の
うき世中になきわたるらむ
凡河内躬恒(古今集)
うらめしき君か垣根の卯花は
うしと見つつも猶たのむかな
よみ人しらず(後撰集)
のように「うつぎ」の鬱に掛けて用いられることが多い。また、その白さは雪にも喩えられる。
雪の色を奪いて咲ける卯の花に
小野の里人冬籠りすな
藤原公実(金葉集)
の歌もある。
また、卯月の神事に掛けて神祇に詠むことも多く、江戸時代の俳諧が釈迦生誕に結び付けるのと発想が異なる。
また、白河の関にも詠む。
上ゲ土にいつの種とて麦一穂 玄寮
「上ゲ土」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「揚土・上土」の解説」に、
「① 塀、門など高い所に積んだ土。
※太平記(14C後)九「山の如くなる揚土(アゲツチ)、壁と共に崩れて」
② 川や堀などをさらったり、土地を切り開いたりしたときに出る土。
※俳諧・曠野(1689)三「上げ土にいつの種とて麦一穂〈玄察〉」
とある。
②の例として挙げられているが、土塁などから麦が一本ひょろっと生えてきていても面白いのではないかと思う。
枯色は麦ばかり見る夏の哉 生林
夏に実る麦は「麦秋」という言葉もある。畠全体が麦の穂の黄金色に染まり、さながら稲刈りの頃のようだ。
一面の麦畑に空が晴れていればウクライナ国旗のようになるが、日本ではそんな大規模な麦畑も少なく、周りの若葉や他の作物の間に、麦畑だけが枯れ色に見える。
麦かりて桑の木ばかり残りけり 作者不知
田んぼの作れないような所では麦を作ることもあれば養蚕のための桑の木が植わっていることも多い。麦刈が終わると、桑畑が残る。
むぎからにしかるる里の葵かな 鈍可
「むぎから」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「麦幹・麦稈」の解説」に、
「〘名〙 (「むぎがら」とも) =むぎわら(麦藁)①〔十巻本和名抄(934頃)〕」
とある。
藁に埋もれるのはタチアオイやヒマワリではなく二葉葵であろう。上賀茂神社・下鴨神社の神紋でもあり、葉を一つ加えて三つ葉にすると徳川家の紋になる。和歌では、
賀茂祭の物見侍りける女の
くるまにいひいれて侍りける
ゆきかへる八十氏人の玉かづら
かけてそたのむ葵てふ名を
よみ人しらず(後撰集)
返し
ゆふだすきかけてもいふなあだ人の
葵てふ名はみそぎにぞせし
よみ人しらず(後撰集)
など、賀茂祭に「逢う日」と掛けて用いられる。
しら芥子にはかなや蝶の鼠色 嵐蘭
芥子の花は一日花で儚い物として詠まれるが、白芥子に止まる鼠色の蝶も儚い。シジミチョウのことか。
芥子の花の儚さは、後に『猿蓑』の、
別僧
ちるときの心やすさよ米嚢花 越人
の句に凝縮されることになる。
鳥飛であぶなきけしの一重哉 落梧
芥子の花は散りやすいので、鳥の羽の風でもひやひやする。
けし散て直に実を見る夕哉 李桃
芥子の花びらが落ちると、そのまま芥子坊主が残り、これが実になる。
大粒な雨にこたえし芥子の花 東巡
芥子は一日花ですぐ散ってしまう儚いものだが、咲いている時は大粒の雨が降っても散らない。ただ散るべき時が来たら散る。
無駄に命を捨てるのではなく、ただ運命に従うのみ。人もそうありたいものだ。
散たびに兒ぞ拾ひぬ芥子の花 吉次
芥子の大きな花びらは子供が拾ってくる。芥子あるあるであろう。
深川の庵にて
庵の夜もみじかくなりぬすこしづつ 嵐雪
深川の庵は芭蕉庵であろう。芭蕉さんとは夜を徹して飲み明かしたいものだが、夏になるとその時間も短くなる。
芭蕉さんは酒をあまり飲まないし、朝の早い昼型の生活をしている。
さびしさの色はおぼえずかつこ鳥 野水
カッコウは閑古鳥というが、そんな淋しい感じはしない。
後に芭蕉は、淋しく聞こえないけど淋しがらせてくれよという気持ちを込めて、
うき我を淋しがらせよ閑古鳥 芭蕉
の句を詠む。幻住庵には毎日のように誰かがやって来て、そんな静かでもなかったのだろう。
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