2022年5月21日土曜日

 さんざんコロナで騒いだあとで、それが収束ムードになってくると、やれ変異株だのなんだの言いだしたものの、それがいま一つインパクトに欠けていたが、ここにきてサル痘はパンデミックを長引かせたい人にとっては救世主になるのかな。
 サル痘は日本では四類感染症で、コロナが二類、インフルが五類だから微妙な所だ。ただ、日本では長いこと患者が発生してなかったので、対症療法に有効な薬とかが流通していないという事情はあるようだ。
 接触感染なので、感染力はそれほど憂慮するほどのものではない。今まで通り消毒や手洗いをちゃんとやっておけば防げそうだ。少なくとも空気感染するような改造が施されてない限り。このタイミングだとあの国を疑いたくもなるけどね。
 リス属やげっ歯類が媒介するようで、今まではペットで輸入されたものからの感染が多かったようだが。
 とにかくアフリカに昔からあるウイルスなので、改造されてなければそれほど心配する必要はない。
 症状は天然痘に似ているから、昔で言う「いも」だね。


 「超訳『源氏物語』─とある女房のうわさ話─尼」の方もKindle ダイレクト・パブリッシングの方にアップしたのでよろしく。コストがゼロだから物量で勝負するという手もあるなと思った。源氏物語がまた絵合で止まってしまってたが、続きを急ぎたい。

 それでは「郭公(来)」の巻の続き。

 三裏、六十五句目。

   長き夜食のにはとりぞなく
 下冷や衣かたしく骨うづき    松意

 「衣かたしく」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「衣片敷く」の解説」に、

 「着物の片そでを下に敷く。ひとり寝をすることをいう。
  ※万葉(8C後)九・一六九二「吾が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に衣片敷(ころもかたしき)独りかも寝む」

とある。寒い時に衣を敷いただけの湯かで寝れば、体のあちこちが痛くなるのもわかる。
 「衣かたしき」というと、

 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに
     衣かたしき一人かもねむ
              藤原良経(新古今集)

の歌が百人一首でもよく知られているが、他にも、

 白妙の衣かたしき女郎花
     咲ける野辺にぞ今宵寝にける
              紀貫之(後撰集)
 さゆる夜に衣かたしき思ひやる
     冬こそまされ人のつらさは
              藤原清輔(久安百首)

などの歌がある。
 六十六句目。

   下冷や衣かたしく骨うづき
 打たをされし道芝の露      在色

 野宿の衣かたしきで、寝返りを打っているうちに、付近の道芝がなぎ倒され、その露に濡れる。
 六十七句目。

   打たをされし道芝の露
 追からし昨日はむかし馬捨場   松臼

 家畜は死ぬと穢多の人たちがやって来て即座に解体し、使える部位を持ち去った後、専門の馬捨場に処分される。それが死ぬまで働かされた馬の末路だった。
 六十八句目。

   追からし昨日はむかし馬捨場
 志賀のみやこにたかる青蠅    志計

 志賀の都というと、

 さざなみや志賀の都は荒れにしを
     昔ながらの山桜かな
              よみ人しらず(千載集)

の歌が有名で、『平家物語』では平忠度の歌とされている。ここでは「荒れにしを」を導き出すだけの言葉で、使い捨てられた馬は荒れ果てて、蠅がたかる。
 青蠅はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「青蠅」の解説」に、

 「① クロバエ科のハエのうちで、からだが青黒く、腹に光沢のある大形のものの総称。あおばい。くろばえ。くろるりばえ。《季・夏》
  ※宇津保(970‐999頃)国譲下「恋ひ悲しび、待ち居て、あをばへのあらんやうに立ち去りもせでおはすれば」

とある。
 六十九句目。

   志賀のみやこにたかる青蠅
 から橋の松がね枕昼ね坊     雪柴

 志賀と言えば瀬田の唐橋で、東海道と中山道が分かれる前の交通量の多い所。そんなところで松の根を枕に昼寝している坊さんって‥‥。まあ、乞食坊主であまり衛生的とは言えない。蠅が寄ってくる。

 松が根の枕もなにかあだならむ
     玉のゆかとて常のとこかは
             崇徳院(千載集)

の歌は蝉丸の、

 世の中はとてもかくても同じこと
     宮も藁屋もはてしなければ
             蝉丸(新古今集)

の心にも通じる。
 七十句目。

   から橋の松がね枕昼ね坊
 朽たる木をもえる丸太船    正友

 丸太船はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「丸太舟」の解説」に、

 「① 中世末期以降、主として琵琶湖で用いられた丸子船。丸船。
  ※俳諧・紅梅千句(1655)六「湖の浪を枕に聞あきて〈貞徳〉 丸太舟にし明し暮しつ〈季吟〉」
  ② =まるた(丸太)②
  ※浄瑠璃・五十年忌歌念仏(1707)下「いや御僧とは空目かや、我もこがるる丸太舟浮世渡る一節を」

とある。丸木舟ではなく立派な和船で、丸太を二つわりにしたおも木が船腹に憑りつけてあるのが大きな特徴だった。
 接岸するときのショック止めだったとすれば、朽ちた松の木を用いることもあったのだろう。
 七十一句目。

   朽たる木をもえる丸太船
 石台や水緑にしてあきらか也  一朝

 石台(せきだい)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「石台」の解説」に、

 「① 長方形の浅い木箱の四すみに把手(とって)をつけた植木鉢。箱庭を作ったり、盆栽を植えたりするのに用いた。
   ※俳諧・談林十百韻(1675)上「朽たる木をもえる丸太舟〈正友〉 石台や水縁にしてあきらか也〈一朝〉」
   ② 石の台座。銅像などの台石。
   ※俳諧・芭蕉庵小文庫(1696)伊賀新大仏之記「涙もおちて談(ことば)もなく、むなしき石台にぬかづきて」
   ③ 石のうてな。石の台。〔王建‐逍遙翁渓亭詩〕」

とある。箱庭に水は緑で表され、朽ちた木で船を作る。
 七十二句目。

   石台や水緑にしてあきらか也
 二十五間の物ほしの月     一鉄

 一間は畳の盾の長さで、約1.8メートル。二十五間は約四十五メートル。途方もなく長い物干しざおがあったものだ。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

   帰雁     銭起
 瀟湘何事等閑回 水碧沙明両岸苔
 二十五絃弾夜月 不勝清怨却飛来

 何でこの瀟湘の地を見捨てて帰る。
 水は碧く砂は白く両岸は苔が生える。
 二十五絃の箏を月夜に弾けば、
 却って飛んで来るさ、侘しさにあらがえず。

の詩が引用されている。二十五絃は宗因独吟の「花で候」の巻九十一句目にも、

   おとどいながらちぎられにけり
 二十五絃半分わけの形見にて   宗因

の句があり、中国には古くから二十五弦の瑟(しつ)があり、四書五経にもその記述がある。『史記』は「太帝使素女鼓五十絃瑟、悲、帝禁不止、故破其瑟爲二十五絃。」という伝説を記し、その起源を伏羲にまで遡らせている。
 ちなみに五十絃の瑟は、

   謝公定和二範鞦懷五首邀予同作 黄庭堅
 四會有黄令 學古著勳多
 白頭對紅葉 奈此摇落何
 雖懷斲鼻巧 有斧且無柯
 安得五十絃 奏此寒士歌

 四会県には黄という令がいて、古典を学んですぐれた著作も多い。
 白髪頭で紅葉に向かっても、これを揺り落すことはできない。
 鼻を削ぐような技術があっても、ここにある斧は取っ手がない。
 どうして五十絃の瑟を得ることができよう、貧しい寒士の歌を奏でるのに。

の詩に登場する。
 二十五絃から二十五間の物干しざおとするが、それにしても長い。
 七十三句目。

   二十五間の物ほしの月
 秋の空西にむかへば角屋敷    在色

 角屋敷はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「角屋敷」の解説」に、

 「〘名〙 江戸古町の四つ角にあった屋敷、また、その所有者。所有者は、名主と同じく年の初めと大礼節に将軍に賜謁(しえつ)することができたため、御目見屋敷ともいう。天保(一八三〇‐四四)頃には四一軒あったといわれる。角屋。角屋の者。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「二十五間の物ほしの月〈一鉄〉 秋の空面にむかへば角屋敷〈在色〉」

とある。この場合は角屋敷までの道筋に二十五間くらい物干しざおを出している家が並んでいる、という意味になる。
 七十四句目。

   秋の空西にむかへば角屋敷
 両替見世のすゑの雲霧      卜尺

 角屋敷の方に来たのは両替のためだった。最後の金銀を銭にくずして、それを使い切った後のことは末の雲霧となる。
 末の雲霧は

 雲霧に分け入る谷は末くれて
     夕日残れる峰のかけはし
              嵯峨院(風雅集)

の歌がある。
 七十五句目。

   両替見世のすゑの雲霧
 袋もと峰立ならす鹿の皮     志計

 両替する前の金銀は、鹿の皮の袋に大切にしまっていた。
 峰立ならす鹿は、

 行く人を留め兼てぞ瓜生山
     峰たちならし鹿も鳴くらむ
              藤原伊尹(新勅撰集)

の歌がある。出て行く金銀も留められなかった。
 七十六句目。

   袋もと峰立ならす鹿の皮
 山の奥より風の三郎       松意

 「風の三郎」は風神のことで、宮沢賢治の『風の又三郎』もそこから来ているという。山の奥から風が吹いてきて鹿の皮の袋を鳴らす。何の袋かよくわからないが。
 延宝五年の「あら何共なや」の巻八十八句目にも、

   米袋口をむすんで肩にかけ
 木賃の夕部風の三郎        桃青

の句がある。
 七十七句目。

   山の奥より風の三郎
 神鳴の太鼓の音に花散て      正友

 風神と来れば雷神で、あたかも風神雷神図だ。風が吹いて雷が鳴れば花も散る。
 七十八句目。

   神鳴の太鼓の音に花散て
 罪業ふかき野辺のうぐひす     雪柴

 鶯は花を散らすという。

 鶯の鳴き散らすらむ春の花
     いつしか君と手折りかざさむ
               大伴家持(新続古今集)
 袖たれていざ我が園に鶯の
     木伝ひ散らす梅の花見む
               よみ人しらず(拾遺集)

などの歌がある。その上雷まで呼ぶとは、罪業深い鶯がいたか。

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