2021年7月31日土曜日

 今日の午前中はボートとあと馬術を見た。会場の馬事公苑はオリンピックのための観客席などの新設を含めた大規模な改修が行われ。筆者も資材搬入で行ったことがあった。
 午後は野球のメキシコ・ドミニカ戦を見た。この大会の投手のレベルでは、点を取るのがいかに大変かがよくわかる試合だった。一点を争う勝負でドミニカが勝った。それと並行してトランポリンを見た。
 撫子は残念だった。スウェーデンは強かった。

 昨日は大坂なおみさんに関して、「アメリカへ帰れ」と言おうが「早くアメリカ国籍の方を選択することを望む」と言おうが、言い回しが違うだけで言っていることは同じだと書いたが、これをもう少し詳しく説明しておこう。
 大坂さんが2019年の全豪オープンで優勝し、一躍国民的ヒーローになった時、ほとんどの国民は日本人初の快挙に惜しみない称賛の声を送っていた。
 ところが、一部にそれを面白く思わない人たちがいた。当時大坂さんは日本とアメリカの二重国籍で、制度上は二十二歳の誕生日までにどちらかの国籍を選択しなくてはならなかった。もっともこの法律は厳密に機能しているわけではなく、二重国籍のまま放置しても特に罰されることはない。せいぜい政治家になる時にスキャンダルになる程度のものだ。
 ただ、この時にネット上で、まあ筆者が見ているのは主に2ちゃんねる上ではあるが、大坂なおみはアメリカ人であり、今回の快挙はアメリカ人の快挙であって日本人のものではない、何を喜んでいるんだ、という書き込みが多数あり、こうした人たちが一様に早くアメリカ国籍を選択することを求めていた。
 前に左翼のアイデンティティの所で書いたが、彼らは自分が日本に生まれ、日本人として育ったことを恥じ、ひそかに自分が西洋の白人に生まれていたらと願う人たちで、そうした人たちが二重国籍の大坂なおみを放っておくはずもなかった。
 彼らはあの快挙はアメリカ人のもので日本人はその栄誉を受けるべきではない、と考えていた。同じことはカズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞した時にも起きていた。世界的には二重国籍は珍しいことではないので、ノーベル賞は出生国の受賞ということになっている。その意味ではカズオ・イシグロさんは間違いなく日本人の受賞者だった。
 ただ、この時も日本人の栄誉を面白く思わない人たちが、カズオ・イシグロさんはイギリス人で日本人ではない、ということを言い広め、それだけではなくカズオ・イシグロさんは日本を憎んでイギリス国籍を選んだという噂まで広めた。このまえ某クイズ番組で「日本人のノーベル文学賞受賞者は何人」という問題で、カズオ・イシグロさんは排除されていた。むしろ「ひっかけ」として利用されてたと言ってもいい。
 そうした人たちが今回大坂さんが日本人としてオリンピックに出場することを歓迎するはずもなかった。
 今年の初めの第三波の時、Go Toキャンペーンが中止になると、左翼がその次の標的として選んだのはオリンピックそのものだった。こうした野党の一転突破的なやり方は昔から常にあったもので、モリカケの延長線上にあるものだった。
 その前年から内村航平さんが血祭りにあげられていたが、ここへ来て白血病から立ち直った池江璃花子が激しいバッシングにさらされた。大坂さんがメンタルを理由に全仏オープンを欠場したのもちょうどこの頃だった。左翼からすれば、政治的な影響力のある大坂なおみさんがオリンピックを辞退してくれれば、オリンピック潰しに弾みがつくという算段があった、その頃だった。大坂さんはオリンピック出場への希望を繋ごうとしていた。
 今回のオリンピックで敗退した時に日本のマス護美は例によって右翼のヘイトを拾い出して報道したが、左翼の側のものを伝えることはなかった。
 大坂さんは去年のBLMへの対応で左翼の側からは当然称賛を浴びていたが、彼らにとって日本人としてのオリンピック出場は裏切り行為であった。負けた彼女に浴びせられたのは表向き「鬱の療養に専念してください」という優しい言葉で、これは暗に「さっさと引退しろ」「二度と日本に来るな」ということだ。他にも、日本人じゃないんだから最初から期待してない、あやまるならアメリカのファンに謝れといったものもあった。
 そして怪しげな週刊誌の記事に、当初聖火の着火は「日本人」が行うことになっていたが、IOCの圧力で急遽変更になった、なんて言われたりもしている。結果的には大坂さんに競技日程とのバランスを取らずに、聖火最終ランナーとしての重圧までかけて、敗北の原因の一つにしてしまった。
 アメリカは言うまでもなく人種差別のない理想郷なんかではない。アメリカにも日本にも安住できない気持ちを奴らは推し量ることはない。
 ほとんどの日本国民は大坂さんを日本人として応援してきた。でもそうでなく、大坂さんがアメリカ人になることを願い、そのことに何の罪の意識を感じない人たちがいることも残念ながら事実だ。
 とにかく今回のオリンピックでは、アスリートたちは目の前の敵だけではなく、日本国内にいる背後からの攻撃にさらされ、その中でメンタルを維持しなくてはならない。ネット上の数限りないアスリートへの罵詈雑言、オリンピックだけでなくスポーツそのものを冒涜する数々の言葉の中で戦っていることを忘れてはならない。

2021年7月30日金曜日

 今日のオリンピックのネット観戦は午前中のゴルフからスタート。途中からバドミントンを見た。
 午後はヨットとバスケットボールを見た。八村はさすがに凄い。ただやはり八村だけでは勝てなかった。34得点は立派だ。それからテニスを見た。途中から見た女子の準決勝は最後までわからない熾烈な試合だった。そのあとが錦織・ジョコビッチ戦で、錦織はよくやった。ジョコビッチは強すぎた。来てくれてありがとう。

 ひろゆきさんのネットでの発言が断片的に伝わって来るけど、もし今の日本にソクラテスが現れたなら、こんな感じなのかもしれない。
 詭弁というのは論理の弱点の指摘であり、古代ギリシャでいうゼノンのパラドックスなどもそれだし、中国には「白馬非馬」というのがる。日本人にもそういう感覚が育ってきているのかもしれない。
 圧倒的な強さのラスボスがいるから、勇者はせっせとレベルアップに励むようなもので、詭弁があるから論理が磨かれるというのもある。ひろゆきさんに簡単に論破されるというのは、要するに修行が足りないということだ。きっと論破された人はソクラテスに毒杯を飲ませた人の気持ちが分かると思うよ。
 最近のひろゆきさんの発言に「野球で時速130キロっていうのは、あれ嘘です。ボールは1時間も飛ばないから」というのがあるが、これを「馬鹿なの?」というのは簡単だが、これは一つのパラドックスで、反論できるかどうかみんなを試しているのだと思う。
 まず一つ言えば、「時速130キロ」というのは実際ボールを一時間飛ばして観測した結果ではない。あくまでスピードガンで観測した瞬間的な速度であり、この瞬間の速度で一時間飛んだと仮定した場合、ボールは130キロ飛ぶという仮説にすぎない。
 実際にはボールが手元を離れた瞬間から空気抵抗によって減速し始め、重力に従い落下してゆき、やがてキャッチャーミットに収まるかバットではじき返されるか、そのいずれかでもなければ早かれ遅かれ地面に落ちることになる。
 だから「時速130キロ」は半分嘘だが半分本当で、科学というのは基本的に仮説にすぎないということに気付かせてくれる。
 まあ、スピードガンも機器の性能や測定の仕方による誤差というのもあるが、科学は限りなく真理に近い近似値ではあるから、おおむね本当のこととみなしていい。
 デンベレとグリーズマンの差別発言をめぐってフランス在住の言語学者の小島剛一さんと論争をしていたが、差別かどうかはどういう文脈でその言葉が使われたかが一番重要なのにもかかわらず、putainという単語の意味だけを議論することで、見事に論点をすり替えていた。
 差別というのはどういう単語を使うかの問題ではない。大坂さんに「アメリカへ帰れ」と言おうが「早くアメリカ国籍の方を選択することを望む」と言おうが、言い回しが違うだけで言っていることは同じだ。
 「アメリカへ帰れ」という言葉は、たとえば親しい友人が折角日本に逢いに来てくれたのに、その友人の実家の方で不幸があった時に、俺のことは気にせずに早く「アメリカへ帰れ」というふうに用いられることもある。ひろゆきさんのやったのは、こういう用法があるから差別ではないと言うようなものだ。
 まあ、詭弁術があるから正しい論理を学ぶことができるので、こういう人も貴重なのだろう。これは私の個人的な意見(感想)だが。

2021年7月29日木曜日

 昨日釣ヶ崎海岸に波をもたらした台風は今日は東北の金華山の北の方に上陸し、平泉からその後は盛岡の方へ行き、奥の細道よりはかなり北のルートを通った。
 オリンピックの方は波の収まった中央防波堤でボートが行われた。
 あと午後から野球が始まった。ドミニカに逆転サヨナラ勝ちで、これが日本の野球の底力という感じだ。
 夜のサッカーはフランスに圧勝だが、フランスは何かいろいろあったのかな。

 まあ、こうしてオリンピックに熱狂しているうちにも、アラブの春の優等生だったチュニジアに民主主義の終わりが訪れようとしている。
 オリンピックが厳しい非難にさらされるとき、それは現実の戦争へと駆り立てる強力な力が働いている時だ。
 コロナは確かに民主主義の弱点を暴露した。感染防止のために大規模な行動制限が必要とされている時に、感染を広め、社会を混乱させ、革命を起こすんだというウィルスに暴露されている。
 強力な独裁政権が生まれれば、あたかもたちどころにコロナが消え去るかのような幻想を与えている。

2021年7月28日水曜日

 今日のオリンピックはサーフィンに専念する形になった。都築さんが銅、五十嵐さんが銀でよく頑張った。五十嵐さんとメディナさんの準決勝は大技の応酬で圧巻だった。あれで力尽きちゃったかな。メディナさんも三位決定戦で負けちゃったし。
 朝から台風の接近で二メートルを越える波だったけど、これで伝説のビッグウェーブになるのかな。台風が去った後のさざ波じゃ、こうは盛り上がらなかっただろう。
 夜はソフトボールの決勝戦で、まあ新しく加わる種目もあれば消えて行く種目もあるということで、十三年前を引きずって、十三年前を再現して、今まさに完結したという感じだ。勝って嬉しいというよりも最終回の淋しさだね。
 コロナの第五波もビッグウェーブになってしまったが、万策尽きた感じだ。強制力のないコロナ対策はもうこの辺が限界だ。基本的には一人一人が自衛する。それだけだ。
 まあ一応言っておくけどワクチン接種回数は今日の発表で79,383,659回、重症患者数は四百人台で微増。死者はまだ減少中で一日一桁。

 それでは昨日の続き。
 まあそういうわけで、スポーツの徳の第一はルールの下での平等な実力評価で、現実の不平等に対するアンチテーゼになるということでいいと思う。
 第二の徳は勝利のための戦いの創造性に係わることだ。
 言うまでもなくどのスポーツも勝利のために最善を尽くさなくてはならない。
 もちろんこれは常に全力でやれということではなく、優勝のための戦略的なわざと負けも含まれている。また、最善というところには不正をするなということも含まれているが、これもルールすれすれのマリーシアを排除するものではない。
 マラドーナの有名な「神の手」は審判に観測されなければ反則は存在しないということに気付かせてくれた。量子力学的発想だ。ただ、今はVARがあるので無理だ。観測技術の方も進歩している。
 戦略の創造性は芸術と同様、今は役に立たなくて、何かの時に役に立つかもしれない思考のモデルを提供する。それゆえにスポーツは同時に芸術であり、芸術的なアスリートはファンタジスタと呼ばれる。
 もう一つ、無理やりスポーツの三徳にするとすれば、それは個人的な鍛錬になるということだろう。世間ではこれを第一に考えている向きもあるが、あくまでこれは付随的なものだ。
 さて、こう考えれば、オリンピック反対派、ひいてはスポーツを貶める人たちの主張も見えてくる。こうした連中は今に限らず古代ギリシャにもいた。プラトンなどその筆頭に挙げられる。
 特に一番大きいのは、「スポーツは現実逃避の軟弱なものだ」というものだろう。つまり、「スポーツなんかに熱狂している暇はないよ、現実を見てごらん」というものだ。このパターンは本当に古典と言える。こうした連中が連れて行こうとしているのは間違いなく戦場だ。つまりスポーツで戦うエネルギーがあるなら、戦争に行けというものだ。この戦争には革命のための闘争も含まれる。
 第二の徳についてはあまり突っ込みにくいが、第三の徳に関しては一と逆の批判が常にある。つまり鍛錬は軍国主義に通じるという批判だ。一方で軟弱だと言って一方で軍国主義だと、同じ人が全く矛盾した主張していたとしても何の不思議もない。つまりそのエネルギーを自分たちの都合のいい方に引き寄せたいだけだ。
 どちらにしてもスポーツを政治利用する立場によるもので、それこそがスポーツの一番の敵だと言えよう。政治的でないところにスポーツの三徳がある。

2021年7月27日火曜日

 今日のネット視聴はトライアスロンから始まった。そのあとは昨日と同様にサーフィンを見たが、台風の接近で波が荒れていた。
 女子のスケボは体操と一緒で子供が有利になるのかな。年少でオリンピックということになると幼いころからの英才教育ということになって、ストリートではなくなるな。次回は英才教育のロシア・中国に独占されてたりして。
 ソフトボールの日本・アメリカ戦は最後の方だけちょっと見た。消化試合になってしまったが。
 結局午後もサーフィンを見ていた。あんな波の中ですごいなと思った。あと、ヨットも少し見た。何か今回は水系ばかり見ているように気もする。でも会場になっている江の島ヨットハーバーは工事の資材を運んだことがあるから、無関係でもない。
 昨日の自転車ロードレースは、普段見ないから選手の名前も何も知れなかったのでわからなかったが、あれって物凄い番狂わせだったんだ。自転車ってずっと集団を組んで走って駆け引きしながら、最後のスパートが勝負というのが定石だとは聞いていたが、マラソンは結構途中で飛び出して逃げ切るパターンもあった。

 それでは昨日の続き。
 原始的なスポーツはそれぞれの地域で独自のルールがあって統一されてなかったから、村で一番になってもそれ以上の価値はなかったといってもいい。連歌は摂政関白の名に於いてルールが定められたが、それはかなり例外的なものだった。
 囲碁将棋に関してはそれほどローカルルールが生じなかったのか、囲碁では近代になってコミという後手のハンディを付けるようになり、それが時代によって変化するくらいだった。
 三十三間堂の通し矢も一種のスポーツだったが、御三家だけでの争いで一般化されなかった。
 近代スポーツが画期的だったのは、まず第一にルールの統一だった。競技ごとに競技団体があって、そこで統一ルールが定められ、すべての国の人たちが同じルールの下で競われるようになったということで、それまでの個々の国や地域の祭りで行われた競技と明らかに一線を引くものとなった。
 このことは近代社会の「法の下での平等」の理念を拡大し、より厳密かつ公正なものにした。そして、統一ルールにおいて国際大会が開かれ、世界中の人が同じルールの下で競争できるようにしていった。オリンピックはその理想の頂点に君臨し、主導してきた。
 もちろん最初から完全ではなかった。民主主義がそうであるように、最初は下層階級、女性、有色人種を排除していた。これらは民主主義国家が改善されてゆくのと並行して、徐々に出場資格が認められるようになっていった。
 戦後になってローマ大会でパラリンピックが誕生することで、こうした世界共通ルールによる近代スポーツは障害者にまで拡大された。
 こうして今日二百を越える国や地域の人々が人種の隔てもなく競技に参加できるようになったし、障害者も健常者と別組ではあるが国際大会が開かれている。オリンピック反対派はこれのどこに異議を唱えているのだろうか。そもそも順位をつけること自体がいけないということで、スポーツそのものを否定し、ただ個々の人々の鍛錬あるのみの世界を作ろうというのだろうか。
 オリンピックがなくなり、各競技団体が独自にルールを定め、独自に興行するような世界になると、今日のプロレスのような世界になる。今のオリンピックの問題点が改善されないまま世界的に反オリンピック運動が起きてくると、多分未来のスポーツはプロレス化する。世界の人が一堂に会することはなくなり、ネット上にそれぞれマニアックな世界が構成されてゆくことになる。

 あと一応断っておくが、「スポーツ」のような日常的な概念は厳密に定義することはできない。だから必ずスポーツなのかどうなのか曖昧な境界線領域があって、反論をするときはそこを突くのが定石でもある。あるいはスポーツの定義を要求するというのも、いわゆるソクラテス流のやりこめ術ではおなじみのパターンだ。
 勝負を競わなくてもジョギングは多くの人がスポーツだと思っているだろう。筋トレもスポーツに含まれるだろうか。試合に出ることを目的とせずにバッティングセンターやゴルフの打ちっぱなしに通う人も、スポーツといえるかもしれない。本来は競技のためのトレーニングだったものが、実際には競技と無関係に行われているのも普通のことだ。こうしたものも一般的にはスポーツに含まれている。
 スポーツの本来持っている競技性が一番わかりやすいのはeスポーツの概念で、ウイイレが競技種目になってたにしても、無数にいるウイイレプレーヤーをスポーツマンと呼ぶ人はいない。
 あと、スポーツチャンバラなる競技もあるが、これもルールを決めて競技をするということで「スポーツ」の名を冠している。

2021年7月26日月曜日

 今日のオリンピックのネット観戦は、一番朝早く始まるサーフィンに始まった。やっぱサーファーってかっこいいね。
 並行してまたボートも見た。都鳥(ユリカモメ)がしばらく画面に映っていた。ここは日本の都だもんね。テレビではスケボをやっていて、テレビとPCとタブレットで同時に三つの競技を見ることができる。
 午後は自転車とソフトボールを見た。後藤は完璧だ。ソフトボールのドクターkだ。
 サッカーの方も何とか逃げ切った。
 まあ、何のかんの言って、オリンピックが始まると気分が盛り上がって来るもんだ。

 昨日の続きで、スポーツの徳は何かということだが、一つは既に答えているが、人間の世界の生存競争は現実には醜く、大勢で弱い者をいじめたり、武器を用いたり、いろんな陰謀術策が渦巻き、一人の人間の能力が正しく評価されることない。こうした間違った序列に対し、正々堂々と勝負して得た順位を併置することで相対化することだ。
 この世にスポーツがなかったなら、現実世界の序列は絶対的なものになり、救いようのない世界になる。
 社会には階層があり、狭い学校の中ですらカーストがある。これは何ら実力によって定められたものではない。スポーツの徳の一つは人間の能力を正当に評価するということだ。
 今は体力だけに偏っているが、知力もまた正当に評価するには昔から囲碁将棋などがあったし、eスポーツもまた体力だけではない能力評価を可能にする。
 君主制では実力は隠されなくてはならない。なぜなら君主がすべてにおいて一番でなくてはならないからだ。
 社会主義者がなぜスポーツに順位をつけたがらないかも、そこから推して知るべしであろう。勝敗もなく順位もないなら、それはスポーツではなくただの鍛錬だ。独裁者は鍛錬には意味を見出すが、スポーツはただの国威発揚の手段にすぎず、だからドーピングなどの不正な勝利を暗黙の裡に奨励する。
 ドーピングの次は男子アスリートを強制的に性転換させたりしないかが心配だ。女子に男性ホルモンを注入するよりも簡単かもしれない。まあ今のところ中国とロシアは同性愛を認めていないからやらないだろうけど。
 要するに、順位を付けるのは本来悪いことがだ、革命の役に立つなら認めてやるという、サブカルの論理だ。サブカルも本来文化から排除すべき低俗な芸術を、革命の役に立つならカルチュアーより一段劣るサブカルチャーの位を与えてやろう、というものだ。
 勝負をつけ順位をつける最大の意味は、現実世界の階層や序列を相対化することだ。現実の階層や序列が動かしがたいものだとしても、ゲームというシミュレーションの世界では全く別の順位が存在する。そしてそれは一つではなく、競技の数だけ一番がいて、競技の数だけ順位がある。現実の順位だけがすべてではないというところに現実の順位を越える可能性を見出せるからだ。
 それは謡曲『蝉丸』の逆髪のように、現実とはさかさまの世界を生み出す。

 「いかにあれなる童どもは何を笑ふぞ。なにわが髪の逆さまなるがをかしいとや。げにげに逆さまなる事はをかしいよな。さてはわが髪よりも、汝等が身にてわれを笑ふこそさかさまなれ。
 面白し面白し。これらは皆人間目前の境界なり。それ花の種は地に埋もつて千林の梢にのぼり、月の影は天にかかつて万水の底にむ。これらをば皆いづれが順と見逆なりといはん。
 われは皇子なれども、庶人に下り、髪は身上より生ひのぼつて星霜を戴く。これ皆順逆の二つなり面白やな。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置41374-No.41390). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 勝負を競い、順位をつけることを禁じれば、現実世界の序列が絶対的なものになる。それこそ独裁者の夢だ。
 そしてこの逆転した順位の世界は現実とは違って公平なものでなくてはならない。近代スポーツは社会における「法の下の平等」の精神と並行したもので、「ルールの下の平等」という理想の下の形成されていった。オリンピックが何なのかもそこから理解しなくてはならないが、その辺はまた明日。

2021年7月25日日曜日

 まず今日のオリンピックはというと、まずはビーチバレーを見ようとしたらネットがつながらず、男子ホッケーを見たら、これがオーストラリアに逆転勝ちと思ったらそのあと逆転された。
 ついでボートの方を見たら冨田・大石ペアは残念。明日敗者復活戦がある。
 午後は自転車のロードレースを見た。小倉橋や道志川など、知っている道が出てきて、勝負の方はよくわからないが、何となく旅気分。やっぱり知っている道が出ると嬉しい。
 ロードレースはつけっぱなしにしておいて、水球は途中まで見たが一方的に負けてた。ソフトボールはカナダが足を使った攻めを見せて圧勝で、アメリカもやはり強い。日本もイタリアにホームラン攻勢で圧勝。

 そもそも論としてスポーツって何なのだということだが、かなり前に一つの仮説を思いついて、つまり頭脳の発達した人間は集団で一人をぼこぼこにしたり、武器を用いたり騙し討ちをしたりするようになったことで、個としての強さというのが無意味になったしまったが、かつて動物だった頃の順位制の中で進化してきた「一番になりたい」という本能が消えてないからではないか、というものだった。
 スポーツは順位の付けられない現実の中にあって、順位をつけたいという欲求を満たすもので、勝ち負けをはっきりさせ、順位を付けることに意味があるのではないか、というのが筆者の一つの持論でもある。
 スポーツでいくら一番になったからといって、戦場に行って役に立つかというとそんなことはない。このことは古代ギリシャの人が既に知っていたことだ。戦争は個としての強さはそれほど意味を持たない。剣豪宮本武蔵は一対一の決闘では強かったが、島原の乱で出陣した時はたいした活躍もないまま投石に当たって負傷したという。
 現実世界での勝利に欠かせないのは政治力で、いかに勇猛な武将といえども政治的に追い詰められてしまえば最後は惨めな敗北となる。それを惜しむ所から、世には「判官びいき」というのがある。本当に強かった者が一番になれない。それは世の中の常だ。
 スポーツは基本的に人間社会のそういう不条理を補うものなのではないかと思う。
 近代スポーツが誕生する以前から、どこの国でもどこの民族でも力比べというのはあったと思う。ただ、それは現実の社会での順位とは無関係で、たいていは祭の余興で終わる。
 日本で古くからあるのは相撲で、相撲という言葉は競うこと一般に意味が拡大され、腕相撲、指相撲、泣き相撲というふうに用いられる。蹴鞠も宮中で商品を賭けて行われていた。その他にもポロにちかい毬杖(ぎっちょう)が庶民の間に広がり、その様子は中世の絵巻物などに描かれている。木製の槌で木製の毬を打つゲームだが、詳しいルールはわからない。首引きというのも絵巻に描かれたりしている。
 単純な力比べなら、今日でも神社に行くと昔用いられていた力石というのがある。やはり祭の時などの力比べに用いられていた。
 勝ち負けを競うという点では歌合せも一種の知的スポーツで、連歌も商品を賭けて優劣を競った。歌だけでなく闘茶や薫物合せなど、様々なもので勝負が行われていた。
 今日のeスポーツがスポーツなのも、スポーツの本質が体力を養うものではなく、あくまで勝ち負けを決める、順位を付けるということを本質としているからではないかと思う。
 ならそれが何の役に立つのか。それは明日のココロだ。

2021年7月24日土曜日

 風流の方はオリンピック休みということで、しばらくは今までのような何か本を読んでいくというではなく、軽い話題だけで行こうと思う。風流の基本は談笑だし。
 オリンピックの方だが、昨日の午前中はボートの予選をやっていた。千葉へ行く時にいつも通っていたゲートブリッジが写り込むと、本当に東京でやってるんだという実感がわいてきて感無量だ。
 男子では荒川さんが予選通過、女子ではイランのナザニーン・マラエイさんが予選通過。楽しみだ。
 あとは昨日の韓国・ニュージーランド戦の動画を見た。VAR判定で一転してゴールが認められてしまった。撫子はVARに救われたが、VARに泣く国もある。まあ、結果のわかっている試合でも眠くならなかったから、よく戦ったと思う。
 開会式の方はというと、ごめんなさい。私が間違ってました。入場行進は削ってはいけなかった。危うくあの沢山の素晴らしい衣装が台無しになるところだった。とにかくあの民族性に溢れる沢山の衣装、多様性、オリンピックはあたかも二百もの種族の共存する異世界だ。あれを見れただけで十分だった。あとは何だかコマーシャル映像を延々と見せられたみたいでスキップしたかった。長嶋さんが痛々しかった。
 まあ、日本にとってこれが最後のオリンピックになると思うから、せいぜい目に焼き付けておくことにしよう。
 噺は変わるが、ラノベの徳は一つは今の言葉が学べるということで、もう一つはありえない状況をシミュレーションできるということだ。
 戦後の文部省の作った昭和の標準語は、さすがに古いし、もはや文語といった方が良い。昭和に育った世代としては、言葉の勉強にもなる。
 もう一つ、物語というのは基本的にはシミュレーションなんだと思う。人間は言語を獲得することで、記憶にインデックスを付け、いつでも引き出せるようになったことで、目の前にない状況の物をシミュレーションし、眼前にない問題に何らかの答えを用意できるようになった。
 例えば目の前に熊がいなくても、山の中で熊と遭遇したらどうすればいいかということを、あらかじめ考えておくことができる。
 物語というのは思考実験なんではないかと思う。ありえないと思っていたこともひょっとしたら起きるかもしれないし、こうなったらこうなるのではという思考のモデルを幾つも記憶しておけば、それと類似することが起きた時に対処がしやすくなる。
 文学というのはそういった思考のモデルを言語という形で保存する手段なんだと思う。それは今は何の役に立たなくも、想定をはるかに超えるような出来事が起きた時にひょっとしたら役に立つかもしれない。
 SFはあくまで歌学に限定されるが、ラノベは仮に魔法が存在してたらという想定も可能だ。今は荒唐無稽でも、歌学が大きく進歩した時に、かつては魔法でなければできないと思われていたことができるようになるかもしれない。
 たとえば目の前にある物を鑑定スキルで即座に目の前にその名前、特徴、効用などを調べるなんてことも、近い将来スマホでできるようになると思うし、それを目の前の仮想スクリーンに投影することできるようになるかもしれない。
 様々な可能性を事前にシミュレーションしておけば、それが実際に起きた時に対処がしやすい。それを多くの人が好奇心を刺激するようなものを用いて、楽しみなが学ぶことができれば、それが最高の文学なんではないかと思う。
 おそらく神話というのも、基本的にそういう所から生まれてきたのではなかったかと思う。
 あともう一つラノベの徳を言うなら、ラノベは人々の願望が表れているということだ。人々が心の底で何を望んでいるのか、それを知らずして理想の社会を語ることなんてできるはずもない。
 以上、ラノベの三徳、心に留め置くべし。

2021年7月23日金曜日

 ラーメンズって確か九十年代のあまりぱっとしない芸人で、ネタもどんなのやっていたかほとんど覚えていない。一部でシュールギャグを評価する人たちもいたみたいだが、まあ、印象に残ってないところ見ると、あまり笑えなかったんだろうな。もじゃもじゃ頭の方は何となく覚えているけど、小林の方は印象にない。
 ああいうネタが日本人に受けると思われると困るので一応。
 小山田といい、オリンピックの開会式を何でこんなマイナーな連中がやっているのかよくわからない。オリンピックに限らず、九十年代のいわゆる「サブカル」と呼ばれた文化を一度総ざらいする必要があるかもしれない。何かいろんなものが出てきそうだ。
 ソフトボールのアメリカはアボットに尽きるかな。あの長身でボールの出てくる位置が高い上に、投げる時に尻に隠すようにして球の出る位置を見えにくくしている。まずはアボットを打ち崩せるかどうかだな。カナダも出塁できず、ほとんど足を使う機会がなかった。
 日本は危なかったけどかろうじて勝った。リリーフの後藤がよく耐えてくれた。
 男子サッカーの方はメキシコが凄いいい動きしてた。強敵だ。
 日本・南アフリカ戦は南アフリカがびしっと引いて守った所に、特に攻め手もないままだらだら眠くなる仕合で、ようやく一点取って勝った。何で眠くなるか考えたんだが、支配率が高くてボールがサイドからサイドへ行ったり来たりする場面が少なく、試合がワンサイドになるからだろう。そのあと、ドイツ・ブラジル戦の動画を見てそう思った。
 今オリンピックを中止したら、家でテレビ観戦をしようとしていた連中が一気に街に出てくるから、コロナ対策に一番良いのは目いっぱいオリンピックを盛り上げて、みんなをテレビの前に釘づけにして、街を空っぽにすることだ。選手の頑張りに期待する。
 あとラノベネタで、今日取り上げるのは白波ハクアさんの『ある日、惰眠を貪っていたら一族から追放されて森に捨てられました〜そのまま寝てたら周りが勝手に魔物の街を作ってたけど、私は気にせず今日も眠ります〜』。
 最近は長いタイトルのものが多いけど、タイトルだけでどういう物語が分かるから便利だ。タイトルが紹介文を兼ねている。
 ちょうど先日から後追いでアニメの『転生したらスライムだった件』を見始めた所だったので、なるほど、いくつかのアイデアはここから貰っているなというのはわかる。ただ、主人公を大人の転生者ではなくコマリンよりも怠惰な引きこまり吸血鬼にしたというところに、定家の卿なら手柄があるというだろう。(転すらは「不滅のあなたへ」にも影響を与えてると思う。)
 この設定の面白いのは、日本の天皇が何なのか考えさせられるからだ。日本人にとって「王」とはどのようなものであるべきなのかという、ファンタジーならではの一つの典型であろう。西田幾多郎が「無」だと言い、和辻哲郎が「空」と呼んだものが何なのか。
 開会式で天皇に中止宣言をさせればいいと言ってた馬鹿。日本の天皇が何なのか全くわかっていない。

 それでは「ひらひらと」の巻の続き。挙句まで。

 二十五句目

   なじみの町のちかづきもへる
 名月の餅に当たる関東早稲    葉文

 早稲田大学のあるあたりもかつては早稲田村と呼ばれてたくらいだから、関東でも早稲の産地というのはあったのだろう。早稲田と名月の餅に間に合う。
 前句を町外れの早稲田の広がる地帯としたか。
 二十六句目

   名月の餅に当たる関東早稲
 ことしはいかう渡る安持鳥    仝

 安持鳥(あぢどり)はアジガモでトモエガモの異名。ウィキペディアに、

 「シベリア東部で繁殖し、冬季になると中華人民共和国東部、日本、朝鮮半島、台湾へ南下し越冬する。」

とある。
 「いかう」はコトバンクの「デジタル大辞泉「厳う」の解説」に、

 「[副]《形容詞「いか(厳)し」の連用形「いかく」のウ音便から》はなはだしく。ひどく。非常に。
  「ああ、―酒臭い」〈浄・冥途の飛脚〉」

とある。
 早稲を作って早く稲刈りが終わると、そのあとにトモエガモがたくさん飛来する。
 二十七句目

   ことしはいかう渡る安持鳥
 萱葺にしつぽりとふる秋の雨

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(世)とあり、安世の句ということになっている。
 茅葺屋根のならぶ農村に秋の雨が降り、トモエガモがたくさん飛来する。
 二十八句目

   萱葺にしつぽりとふる秋の雨
 いつ作つても詩は上手也

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(考)とあり、支考の句ということになっている。
 陶淵明などの中国の隠士とする。
 二十九句目

   いつ作つても詩は上手也
 女房に只わらわれぬ覚悟して

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(野)とあり、丹野の句ということになっている。
 詩を作っては女房に笑われてばかりで、女房に笑われないような詩をつくろうと努力したら詩の名人になっていた。
 文学というのは内輪でしかわからないようなものでは駄目で、身近な女房も面白いと思うような作品を作れれば一流になれる。
 三十句目

   女房に只わらわれぬ覚悟して
 尻かれ武士の二番ばへ共

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(龍)とあり、吐龍の句ということになっている。
 「二番ばへ」は二番生えで次男のこと。「尻かれ武士」はよくわからないが、女房に尻を叩かれてる武士のことか。
 二裏、三十一句目

   尻かれ武士の二番ばへ共
 土手筋の紫竹は杖にきりたくり  丹野

 「紫竹(しちく)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「紫竹」の解説」に、

 「〘名〙 ハチクの栽培品種クロチクの色素がやや薄いもの。紫竹竹。
  ※壒嚢鈔(1445‐46)一「昔無き人を恋ふ涙に染りし故に此竹を忌也。今紫竹斑竹と二に云共、同類なるべし」
  ※仮名草子・竹斎(1621‐23)上「御墓の竹に取付き給ひて、紅の御涙を零し給へば、その涙竹に灑きて染まりける。その時よりも此竹を紫竹と申始まりける」

とある。
 土手に植えた竹は水害対策のもので勝手に切ってはいけない。
 竹が根が張るとそこの地盤が強くなり、地震や水害に強くなるだけでなく、風除けにもなる。
 三十二句目

   土手筋の紫竹は杖にきりたくり
 田のくさどきにはやる富士垢離

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(文)とあり、葉文の句ということになっている。
 「富士垢離(ふじごり)」は旧暦六月一日の山開きに富士山に入るために身を清めることで、ウィキペディアの「村山修験」のところに、

 「村山修験は対外的には富士垢離という信仰形態を確立させている。『諸国図絵年中行事大成』によると、富士行者が水辺にて水垢離を行うことにより、富士参詣と同様の意味を持つ行であるという。この富士垢離を取り仕切る集団に「富士垢離行家」というものがあり、大鏡坊が聖護院に取り付け、村山修験先導の下で行われていた。」

とある。
 田の草取りに人が必要な時に富士垢離が重なり、みんな富士山に行ってしまう。
 三十三句目

   田のくさどきにはやる富士垢離
 蚊のゐずばあるものでない夏の月

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(翁)とあり、芭蕉の句ということになっている。
 蚊がいるから夏の月なんだ、ということ。其角に「春宵一刻値千金」をもじった、

 夏の月蚊を疵にして五百両

の句がある。
 三十四句目

   蚊のゐずばあるものでない夏の月
 酒塩と名をつけてのまるる

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(世)とあり、安世の句ということになっている。
 塩だけを肴に酒を飲むということか。テキーラにそういう飲み方があったような。
 三十五句目

   酒塩と名をつけてのまるる
 病ぬいて結句まめなる花盛

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(通)とあり、路通の句ということになっている。
 「結句」は漢詩の結びの句だが、「結局」という意味でも用いられる。
 病気で今年はのんびりとした花盛りを迎えられると思ったら、思いのほか早く治ってしまい、結局いつも通りに忙しい。
 挙句

   病ぬいて結句まめなる花盛
 どちらへむくも空はのんどり

 「のんどり」はのんびりということ。空はのんどりしているのに、どうしてこんなに忙しいのか。

2021年7月22日木曜日

 ドイツの次は中国かという感じだが、あの国は夏殷周の三代から水害と戦ってた国だから何とかするだろう。
 それはそうと、とにかく無事にオリンピックが始まった。今までは仕事でほとんど見られなかったけど、今年は毎日オリンピック三昧できそうだ。
 ソフトボールはオーストラリアにコールド勝ちで幸先が良い。体格で劣っていてもホームラン攻勢で勝つというのは、昔「ドカベン」の里中のホームランの所で言ってたリストの強さなのだろうか。カナダ・メキシコ戦もいい試合だった。カナダの足を使った攻撃は脅威だ。福本・蓑田のいた頃の阪急のようだ。
 撫子は引き分けスタート。最後まで真剣に見なくてはいけないいい試合だった。強豪相手に負けなかったからまずまず。今年の撫子は常夏だ。
 あと、元禄四年冬の「もらぬほど」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それでは「ひらひらと」の巻の続き。

 十三句目。

   真向の風に顔をふかるる
 よう肥たむすこのすはる膝の上  芭蕉

 縁側で太った子供を膝に乗せて汗が出てきたか、風が汗をぬぐってゆく。
 十四句目。

   よう肥たむすこのすはる膝の上
 そろそろ江戸の草臥が来る    通

 作者の所に「通」とだけあるが路通か。
 江戸から帰省して久しぶりに息子を膝に乗せたのだろう。旅の疲れが出る頃だ。
 十五句目。

   そろそろ江戸の草臥が来る
 手ひとつでびたひらなかの恩もきず 仝

 これも路通か。
 「びたひらなか」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鐚ひらなか」の解説」に、

 「〘名〙 (「ひらなか」は半銭の意) ごくわずかの金銭。鐚一文(びたいちもん)を強めていった語。
  ※俳諧・桃舐集(1696)「そろそろ江戸の草臥が来る〈路通〉 手ひとつでびたひらなかの恩もきず〈同〉」

とある。
 手ぶらでやってきて、びた一文の恩も返してくれない。江戸の人間はドライだということか。
 十六句目。

   手ひとつでびたひらなかの恩もきず
 ちつとの事に枝節がつく(原本作者名欠、以下進之)

 元禄九年刊路通編の『桃舐集』には(原本作者名欠、以下進之)とある。『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注には『袖草紙』『一葉集』に(龍)とあり、吐龍となっている。
 これは噂話にありがちな「話に尾鰭がつく」という意味で、実際江戸っ子はそんなことはない、というのを言いたいのだと思う。路通がわざわざ意図的に「作者名欠」としたとしたら、これは路通自身の前句への後フォローではないかと思う。
 十七句目。

   ちつとの事に枝節がつく
 月花を糺の宮にかしこまる

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(考)とあり、支考ということになっている。
 糺の宮は糺の森とも言われ、ウィキペディアに、

 「糺の森(ただすのもり、糺ノ森とも表記)は、京都市左京区の賀茂御祖神社(下鴨神社)の境内にある社叢林である。」

とある。

 君をいのる心の色を人問はば
     糺の宮の朱の玉垣
              前大僧正慈圓(新古今集)
 いつはりをただすの森の木綿だすき
     かけつつ誓へわれを思はば
              平定文(新古今集)

のように、和歌では「正す」に掛けて用いられる。
 ここでも前句の小さなことでも枝節がついて大ごとになる、という内容を受けて、月花の風雅の道はそれを正さねばならない、とする。
 十八句目。

   月花を糺の宮にかしこまる
 ああらけうとや猫さかり行    丹野

 「けうと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「気疎」の解説」に、

 「〘形口〙 けうと・し 〘形ク〙 (古く「けうとし」と発音された語の近世初期以降変化した形。→けうとい)
  ① 人気(ひとけ)がなくてさびしい。気味が悪い。恐ろしい。
  ※浮世草子・宗祇諸国物語(1685)四「なれぬほどは鹿狼(しかおほかみ)の声もけうとく」
  ※読本・雨月物語(1776)吉備津の釜「あな哀れ、わかき御許のかく気疎(ケウト)きあら野にさまよひ給ふよ」
  ② 興ざめである。いやである。
  ※浮世草子・男色大鑑(1687)二「角落して、きゃうとき鹿の通ひ路」
  ③ 驚いている様子である。あきれている。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Qiôtoi(キョウトイ) ウマ〈訳〉驚きやすい馬。Qiôtoi(キョウトイ) ヒト〈訳〉不意の出来事に驚き走り回る人」
  ④ 不思議である。変だ。腑(ふ)に落ちない。
  ※浄瑠璃・葵上(1681‐90頃か)三「こはけうとき御有さま何とうきよを見かぎりて」
  ⑤ (顔つきが)当惑している様子である。
  ※浄瑠璃・大原御幸(1681‐84頃)二「弁慶けうときかほつきにて」
  ⑥ (多く連用形を用い、下の形容詞または形容動詞につづく) 程度が普通以上である。はなはだしい。
  ※浮世草子・好色産毛(1695頃)一「気疎(ケウト)く見事なる品もおほかりける」
  ⑦ 結構である。すばらしい。立派だ。
  ※浄瑠璃・伽羅先代萩(1785)六「是は又けふとい事じゃは。そふお行儀な所を見ては」

とある。
 糺の宮の厳粛な雰囲気に猫のさかりは似合わない。
 恋猫は大きな声を上げるが、これはメスを誘うのではなくオス同士がかち合って喧嘩をしている時の声で、オワー、ウウウウウーと威嚇し合いながら、やがてグルルル、ウォルルルル、と喧嘩になる。

 二表、十九句目。

   ああらけうとや猫さかり行
 石‐塔を見にとて今朝はとう出る 丹野

 「とう」は「疾(と)く」のウ音便化か。石塔はお墓であろう。朝早く起きてお参に行こうとすると、猫が大声で騒いでいる。
 二十句目。

   石‐塔を見にとて今朝はとう出る
 勢丈のびたるせがれ気づかふ

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(世)とあり、安世の句ということになっている。
 お墓参りに行くが、いっしょに行く息子も背丈が伸びて、親としてもあまり子ども扱いも出来なくなる。
 二十一句目。

   勢丈のびたるせがれ気づかふ
 黒‐面な仲間がよつて不了簡

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(考)とあり、支考の句ということになっている。
 「不了簡(ふれうけん)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「不料簡」の解説」に、

 「〘名〙 (形動) 考え方や心構えがよくないこと。心得違いをすること。また、そのさま。
  ※浮世草子・けいせい伝受紙子(1710)二「それは女郎の本〆(もとじめ)をして世をわたらるる親方のふ了簡(リャウケン)なり」

とある。黒面は真面目ということ。周りがみんな真面目だと、そんな間違ったことをしてなくても不良扱いされてしまう。
 二十二句目。

   黒‐面な仲間がよつて不了簡
 豆ふみ出して高い駕籠借ル

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(野)とあり、丹野の句ということになっている。
 真面目にいつも外で働いていて日焼けした連中に混ざってい歩いていると、日頃歩いてない人はすぐに豆が潰れて高い駕籠に乗ることになる。
 二十三句目

   豆ふみ出して高い駕籠借ル
 きぬ帯に銭をはさむで穴があく

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(龍)とあり、吐龍の句ということになっている。
 銭は巾着に入れて持ち歩くこともあったが、「早道」という帯に挟むタイプの小銭入れもあった。
 高い絹の帯でこれを用いると帯に穴が開くこともあったのか。
 二十四句目

   きぬ帯に銭をはさむで穴があく
 なじみの町のちかづきもへる

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(翁)とあり、芭蕉の句ということになっている。
 「ちかづき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「近付」の解説」に、

 「ちか‐づき【近付】
  〘名〙 (距離的に近くなるところから) 知りあうこと。親しくなること。また、その人。しりあい。知人。また、「おちかづきのしるしに」「おちかづきのために」などの形で、今後親しくおねがいしますという意の挨拶(あいさつ)としても用いる。〔文明本節用集(室町中)〕
  ※咄本・鹿の巻筆(1686)三「まへかたよりちかづきか」
  ※西洋道中膝栗毛(1870‐76)〈仮名垣魯文〉初「お知己(チカヅキ)のウしるしに一献さし上てへげにござる」

とある。前句の「穴があく」を人がいなくなるの意味に取り成す。

2021年7月21日水曜日

 今日はいよいよオリンピックが始まる。開会式はまだだが、それに先行してソフトボールと庶子サッカーの試合が始まる。
 この一年余り、コロナだ沢山の人が亡くなっていった。その人たちの無念の分も含めても、我々は楽しまなくてはならない。
 不幸な人がいるからみんな不幸にならなければ平等ではない?それは悪しき平等主義だ。
 今はアスリートたちに勇気をもらい、これからもコロナと戦う力の糧としていこう。心の中でいいからみんなwe are the championsを唄おう。
 世界ではいろいろな不穏な動きがあるし、どこもかしこもズタズタに分断されちまっているが、音楽やスポーツは世界を一つにできる。政治で世界を一つにしようとすると世界征服になっちゃうけど、ゲームの世界ならできる。
 あと、「夏の夜や」の巻と元禄四年秋の「うるはしき」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 さて、まだ水無月なので夏の俳諧をもう一つ行ってみよう。
 同じ元禄七年水無月、大津の能太夫、本間丹野亭での歌仙「ひらひらと」の巻を読んでいこうと思う。
 発句は、

   本間丹野が家の舞台にて
 ひらひらとあがる扇や雲のみね  芭蕉

 能舞台という前書きがあるように、能の舞に欠かせない扇を高くかざすかのように、空には雲の峰がある。夏の季語である「雲の峰」は積乱雲のことで、入道雲とも言う。その積乱雲の上にできる「かなとこ雲」は扇のような形をしている。
 脇。

   ひらひらとあがる扇や雲のみね
 青葉ぼちつく夕立の朝      安世

 積乱雲が大きく発達すると雷雨になる。ただ、ここでは朝の雷だったのだろう。雷雨を夕立とはいうが朝だから朝立とはあまり言わない。全く言わないわけではないが、スラングで別の意味がある。
 第三。

   青葉ぼちつく夕立の朝
 瀬を落す舟を名残に見送りて   支考

 今は使わないが、昔は朝早く旅立つことも「朝立」と言った。ここではその朝立ちの場面とする。
 四句目。

   瀬を落す舟を名残に見送りて
 はなれて家を造る原中      空芽

 隠棲を思い立ち、その予定地に船で連れてきてもらい、送ってきた人は帰って行く。村のはずれに建つ新しい家を見て、これから新しい生活が始まる。
 五句目。

   はなれて家を造る原中
 月の前きぬたの拍子のつて来る  吐龍

 日が暮れて月が登ると、遠くから砧打つ音が聞こえてくる。
 今日でも音楽用語としてリズムにうまく気持ちを合わせることを「リズムに乗る」と言い、「乗り」が良いだとか悪いだとかいうが、この「乗り」という言葉は意外に古く、謡曲でも「平ノリ(ひらのり)」「中ノリ(ちゅうのり)」「大ノリ(おおのり)」などという言葉を用いる。ただ、謡曲の場合はむしろヒップホップなどの「フロウ」に近いかもしれない。
 六句目。

   月の前きぬたの拍子のつて来る
 大かたむしの手をそろへ鳴    丹野

 謡曲の地謡の人たちは膝に手をそろえて謡うように、秋の夜を鳴く虫もおおかた手をそろえて鳴く。
 初裏、七句目。

   大かたむしの手をそろへ鳴
 傘をすぼめて戻る秋の道     空芽

 唐傘をすぼめるのは村雨の後であろう。道の脇では虫が鳴いている。
 八句目。

   傘をすぼめて戻る秋の道
 窓からよぼる人の言伝      芭蕉

 「よぼる」は呼ぶことで、今でも方言で「よぼる」という地方もあるようだ。
 秋の道を行くと、窓から言伝を頼まれる。
 九句目。

   窓からよぼる人の言伝
 さつぱりと物を着替て連を待ツ  安世

 出かけようときちんとした格好に着替えて、連れが来るのを外で待っていると、窓から言伝を頼まれる。
 十句目。

   さつぱりと物を着替て連を待ツ
 夜の明るやしらむ海際      支考

 船でどこかへ行くのだろう。岸壁か砂浜かはわからないが、夜明けに連れを待つ。あるいは駆け落ちか。
 十一句目。

   夜の明るやしらむ海際
 いふ事にこころをつくるわかれして 丹野

 心を偽り、嘘を言って家を出て、明け方に船を待つ。
 十二句目。

   いふ事にこころをつくるわかれして
 真向の風に顔をふかるる     空芽

 悲しい別れに涙すると、風が涙をぬぐう。

2021年7月20日火曜日

 ワクチン接種回数が19日の発表で七千万回を越えた。日本のワクチン接種はペースダウンすることもなく順調に進んでいる。
 日本人は「おもてなし」が敵意に変わったのではない。オリンピックを誘致して「おもてなし」と言っていた人たちと、オリンピックに敵意をむき出しにしている人たちは最初から全く別で、誘致の段階から既に対立していた。
 オリンピックに反対している人たちは外国人を排斥したいのではなく、安倍政権から今の菅政権に続く自民党支配、ひいては資本主義そのものを排斥したい人たちだ。そこを間違えてはいけない。
 誘致の段階ではまだ「オリンピックそのものには反対していない」と言っていたが、オリンピック開催のためのインフラ整備にことごとく反対し、最初から世界的に見てもみすぼらしいオリンピックをやるように導こうとしていたし、インフラ整備の持つ経済効果を全く無視していた。
 ただ、安倍政権時代の好景気と国民のオリンピックを望む声に押されて、しばらくオリンピック以外の所で政府を糾弾してきたが、コロナ下で感染拡大の不安心理に付け込んで、あたかもオリンピック中止もやむを得ないという声がすべてオリンピック反対であるかのように印象操作をし、存在しない「国民の声」を捏造し、海外にそれを吹き込んで回っていた。
 安倍前首相が反日的な人が五輪に反対しているというようなことを言ったか言わなかったかは知らないが、それほど間違ったことではない。むしろ図星だから左翼はウキキーとなっている。おおむね右翼はオリンピックに賛成している。
 開会式は去年延期になった時点で主要なアーチストがほとんど抜けてしまったから、やったとしても内容は期待しない方が良い。やらなくてもいい。

 それでは「夏の夜や」の巻の続き。挙句まで。

 二十五句目。

   蕨こはばる卯月野の末
 相宿と跡先にたつ矢木の町    支考

 『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に橿原の北とあり伊勢街道の八木札の辻と思われる。近くに近鉄大和八木駅がありここでも大阪線と橿原線が交差している。
 相宿になっても、翌日はそれぞれ違う方向に行く。
 二十六句目。

   相宿と跡先にたつ矢木の町
 際の日和に雪の氣遣       維然

 別れ際に空を見て、雪にならないといいねと言葉を交わす。
 二十七句目。

   際の日和に雪の氣遣
 呑ごころ手をせぬ酒の引はなし  曲翠

 「手をせぬ酒」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に「交ぜ物で調合しない生(き)のままのもの」とある。水を加えてない原酒のことか。あるいは名酒に安い酒を混ぜたものがあって、それに対してものか。
 雪が降ってきそうな寒い日には一杯やりたいというのは、昔も今も同じだ。
 二十八句目。
 
   呑ごころ手をせぬ酒の引はなし
 着かえの分を舟へあづくる    臥高

 うまい酒があるというので、船に乗る前に飲みに行く。着替えの衣服を船に置いといて、席は確保しておく。
 二十九句目。

   着かえの分を舟へあづくる
 封付し文箱來たる月の暮     芭蕉

 『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注には『芭蕉翁付合集評註』(佐野石兮著、文化十二年)の引用として、「さだめてしろがね入たる文箱ならむ」とある。江戸時代は飛脚を用いて現金を送金することもあったので、封付けした文箱はそういう意味だったのだろう。
 船に乗ろうとしたら急に現金が届いたので、いったん店に戻る。
 三十句目。

   封付し文箱來たる月の暮
 そろそろありく盆の上臈衆    支考

 「そろそろ」は静かに、ゆっくりとということ。上臈はばたばた歩いたりはしない。
 盆は大晦日と並んで決算の日だったから、上臈のところには次々と現金が届いていたのだろう。
 前句をお盆の旧歴七月十五日の月とする。
 二裏、三十一句目。

   そろそろありく盆の上臈衆
 虫籠つる四条の角の河原町    維然

 虫売りはコトバンクの「世界大百科事典 第2版「虫売」の解説」に、

 「江戸時代には6月ころから,市松模様の屋台にさまざまな虫籠をつけた虫売が街にあらわれ,江戸の風物詩の一つであった。《守貞漫稿》には,〈蛍を第一とし,蟋蟀(こおろぎ),松虫,鈴虫,轡虫(くつわむし),玉虫,蜩(ひぐらし)等声を賞する者を売る。虫籠の製京坂麁也。江戸精製,扇形,船形等種々の籠を用ふ。蓋(けだし)虫うりは専ら此屋体を路傍に居て売る也。巡り売ることを稀とす〉とある。虫売は6月上旬から7月の盆までの商売で,江戸では盆には飼っていた虫を放す習慣だったので盆以後は売れなくなったという。」

とある。江戸だけでなく、京の四条河原もお盆まで虫売りが出て賑わっていたのだろう。
 三十二句目。

   虫籠つる四条の角の河原町
 高瀬をあぐる表一固       曲翠

 「一固」は「ひと小折」で一箱の荷物をいう。

 柳小折片荷は涼し初真瓜     芭蕉

の句もある。今日では二三箱をバンドで束ねた出荷する単位を「ひとこり」ということもある。
 高瀬は四条河原だと高瀬川だが高瀬舟とも取れる。
 三十三句目。

   高瀬をあぐる表一固
 今の間に鑓を見かくす橋の上   臥高

 高瀬舟から荷物を降ろしていると、その間に橋の上を通る鑓が見えなくなる。大名行列か何かだろうか。
 三十四句目。

   今の間に鑓を見かくす橋の上
 大キな鐘のどんに聞ゆる     維然

 「どん」は鈍で、くぐもった鈍い音が聞こえてくる。空気が湿っているのか。花の定座の前で、春の霞みの暗示か。
 三十五句目。

   大キな鐘のどんに聞ゆる
 盛なる花にも扉おしよせて    支考

 花見を待ちきれずに、夜明けの鐘とともに群衆が寺に押し寄せる。
 挙句。

   盛なる花にも扉おしよせて
 腰かけつみし藤棚の下      臥高

 押し寄せたのは藤棚の花だった。藤波というくらいだから怒涛のように。家の間近に迫った花を縁側に腰かけたまま摘む。春もたけなわで一巻は目出度く終わる。

2021年7月19日月曜日

 ドイツの水害のニュース映像を見ていると、まるで日本のようだ。迷彩服の一団がゴムボートで移動する映像や、ねこで泥を運び出している様子も日本ではお馴染みのものだ。
 小山田圭吾ははっきりいて興味なかったし、フリッパーズ・ギターもCorneliusもちゃんと聞いたことがないので音楽的には何とも言えない。固定ファンはいるんだと思うけど、そんなメジャーな人ではなかったと思う。オリンピックの音楽を担当していることも今になって知った。どういう理由で選ばれたんだろうか。もっと世界的に有名なアーチストはたくさんいるのに。
 まあ多分若気の至りで、ロック雑誌のインタビューで悪ぶって言ったことなんだろう。ただオリンピックに反対していた左翼連中が必死になってかばっているのが笑える。
 ロッキング・オンという雑誌はツェッペリンファンの渋谷陽一の作った雑誌で、昔は売れない頃の大友克洋が「栄養満点」という二ページの漫画を載せていた。
 一般的に言ってロックは左翼系の若者に支持される傾向が強く、これに対しメタルが右翼系に支持されるというのは日本だけではないと思う。ロッキング・オンはその左の方を行く雑誌だった。毎年行われるROCK IN JAPAN FESTIVALも最近はアイドルを出演させたりしてるが、筆者の好きなビジュアル系やメタル系は排除されている。
 そのROCK IN JAPAN FESTIVALが茨城医師会の圧力で中止になったあたりで、ロックファンの左翼は微妙な立場に立たされている。本来オリンピック反対を言うなら、医師会に同調してフェスを中止して、それでオリンピックも中止しろと迫るべき所だろう。でもフェスはやりたい、オリンピックは潰したい、そこでジレンマに陥っている。
 そこに追い打ちをかけたのが小山田圭吾だった。今もオリンピックは潰したいが小山田圭吾は守りたいと悩んでいるんだろう。
 まあ、前にも言ったが、オリパラは開会式を捨ててもいいから、競技だけはきっちりやってほしい。
 あと、これは勘だが小山田クンもいじめにあってたんじゃないかな。「弱い者達が夕暮れ、さらに弱い者を叩く」ってやつだ。

 まあ、それはそうと、元禄四年の「御明の」の巻鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
 それでは「夏の夜や」の巻の続き。

 十三句目。

   持佛のかほに夕日さし込
 平畦に菜を蒔立したばこ跡    支考

 平畦(ひらうね)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「平畝」の解説」に、

 「〘名〙 種をまいたり苗を植える折、小高くしないで平らなままにした畝。
  ※俳諧・続猿蓑(1698)上「平畦に菜を蒔立したばこ跡〈支考〉 秋風わたる門の居風呂〈惟然〉」

とある。
 タバコは夏に収穫が終わるので、連作で秋に菜の種を蒔く。
 『炭俵』の「早苗舟」の巻三十句目に、

   切蜣の喰倒したる植たばこ
 くばり納豆を仕込広庭      孤屋

の句があるように、タバコはお寺で栽培されることが多かったのだろう。ここではお寺ではないが、田舎に庵を構える僧の畑で、持仏にタバコを付けている。
 十四句目。

   平畦に菜を蒔立したばこ跡
 秋風わたる門の居風呂      維然

 お寺には風呂がある場合が多い。「居風呂(すゑふろ)」はサウナではなく、浴槽に湯を入れる風呂で「水風呂」とも言う。
 十五句目。

   秋風わたる門の居風呂
 馬引て賑ひ初る月の影      臥高

 宿屋の風呂であろう。日が暮れる頃は宿場に乗り掛け馬が次々に到着して賑やかになる。
 十六句目。

   馬引て賑ひ初る月の影
 尾張でつきしもとの名になる   芭蕉

 昔は戸籍がなかったのでいわゆる本名の概念がない。名前は分不相応でなければ勝手に名乗ってよかった。
 わけあって余所に行かねばならず、そこでは別の名前を名乗っていたが、尾張に帰ってきてその賑わう街を眺めながら、これで元の名前に戻れる。
 あるいは伊勢で「の人」を名乗っていた杜国の俤があったのかもしれない。杜国はついに尾張に帰ることはなかったが。
 十七句目。

   尾張でつきしもとの名になる
 餅好のことしの花にあらはれて  曲翠

 前句の「つきし」を餅つきに掛ける「かけてには」になる。尾張の花見の席に現れて、昔ながらに餅を搗く。
 十八句目。

   餅好のことしの花にあらはれて
 正月ものの襟もよごさず     臥高

 正月に着てきた服をそのまま花見にも着てきたか。
 二表、十九句目。

   正月ものの襟もよごさず
 春風に普請のつもりいたす也   維然

 「つもり」は見積もりのことか。普請の相談には足元を見られてはいけないから、パリッとした服装で、如何にも金を持っているように見せる。
 二十句目。

   春風に普請のつもりいたす也
 藪から村へぬけるうら道     支考

 庭が藪から村へ抜ける抜け道になってしまっているから、そこを塞ぐように何かを建てたい。
 二十一句目。

   藪から村へぬけるうら道
 喰かねぬ聟も舅も口きいて    芭蕉

 聟や舅が「喰かねぬ」というのは食いかねてない、食うに困ってはいない、という意味か。本人は食うに困っているのだろう。裏道で相談して村に何か口きいてもらって職を得ようということか。
 薮は荒れ果てた家、賤を連想させる。
 二十二句目。

   喰かねぬ聟も舅も口きいて
 何ぞの時は山伏になる      曲翠

 食いつめて、山伏になれば飯を食えるのではないかと相談する。
 二十三句目。

   何ぞの時は山伏になる      
 笹づとを棒に付たるはさみ箱   臥高

 「はさみ箱」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「挟み箱」の解説」に、

 「江戸時代の携行用の担い箱。主として武家が大名行列、登城など道中や外出をするとき、着替え用の衣類や具足を中に入れて、従者に担がせた黒塗り定紋付きの木箱。上部に鐶(かん)がついていて、これに担い棒を通して肩に担ぐ。古くは挟み竹といって、二つに割った竹の間に衣類を畳んで挟み、肩に担いで持ち歩いたが、安土(あづち)桃山時代になると、箱に担い棒を通した形に改良された。江戸時代には、武家調度の必需品とされ、一方、民間でも商家の主人が年始回りなどに、年玉の扇を挟み箱に入れ、鳶(とび)人足に持たせたり、町飛脚などが飛脚箱として用いた。また明治初年には、郵便集配や新聞配達もこれを用いた。[宮本瑞夫]」

とある。
 この場合は棒に笹包を付けた似せ物で、物真似芸か何かか。山伏の真似もレパートリーに入っている。
 二十四句目。

   笹づとを棒に付たるはさみ箱
 蕨こはばる卯月野の末      芭蕉

 「こはばる」は柔らかい蕨の芽ではなく、育ちすぎて固くなるということだろう。前句を子供の遊びとして、蕨取りのできなくなった四月の野原を付ける。

2021年7月18日日曜日

 ヨーロッパの方は水害で大変なことになっている。ドイツやベルギーの映像はテレビでも流れているし、ロンドンでもブライアン・メイさんの家が浸水したとか。水害対策の先進国でもこういうことが起きるのか。恐るべし気候変動。
 ひさびさにラノベの話をすると、夜ノみつきさんの『〜首狩り姫の突撃! あなたを晩ご飯!〜』はタイトルほど怖くなくて、たけのこさんの『ジェノサイド・オンライン』を読んだ後だとほのぼのとしている。アニメで見た『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。』を戦闘系ではなく狩猟系にした感じ。
 あと、「夕㒵や」の巻と元禄四年秋の「蠅ならぶ」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
 それでは「夏の夜や」の巻の続き。

 脇。

   夏の夜や崩て明し冷し物
 露ははらりと蓮の椽先      曲翠

 「椽」は垂木の意味だが、この頃は「縁」の字を使うべき所を「椽」の字を当てることが多い。
 縁側のすぐ前にある蓮から朝露がはらりと落ちる。前句を受けて朝のすがすがしい景色で応じる。
 第三。

   露ははらりと蓮の椽先
 鶯はいつぞの程に音を入て    臥高

 「音を入れる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「音を入れる」の解説」に、

 「鳥、特に鶯(うぐいす)が鳴くべき季節が終わって鳴かなくなる。鳴きやむ。〔俳諧・増山の井(1663)〕
  ※浄瑠璃・丹波与作待夜の小室節(1707頃)夢路のこま「いなおほせ鳥もねをいれて野辺のかるかや軒端のおぎ馬のまぐさに飼ひ残す」

とある。いつの間にか鶯も鳴かなくなって、今は蓮の華が咲いている。
 四句目。

   鶯はいつぞの程に音を入て
 古き革籠に反故おし込      維然

 革籠(かはご)はコトバンクの「デジタル大辞泉「皮籠」の解説」に、

 「竹や籐(とう)などで編んだ上に皮を張った、ふたつきのかご。のちには、紙張りの箱、行季などもいう。」

とある。
 今まで書き散らしたものを捨てられずにとっておこうというのだろう。春の終わった淋しい気分に匂いで応じる。
 五句目。

   古き革籠に反故おし込
 月影の雪もちかよる雲の色    支考

 前句を冬籠りの準備とする。冬籠りと言わずにその季節を付ける。
 六句目。

   月影の雪もちかよる雲の色
 しまふて銭を分る駕かき     芭蕉

 夕暮れで明日は雪になりそうだというので、今日は早めに仕事じまいにして相方に銭を配分する。
 初裏、七句目。

   しまふて銭を分る駕かき
 猪を狩場の外へ追にがし     曲翠

 駕籠が狩りの邪魔になるというので店じまいさせられたか。駕籠かきからすれば猪に襲われたくないから、大声を出したりして猪を追い出す。
 八句目。

   猪を狩場の外へ追にが
 山から石に名を書て出す     臥高

 お城の石垣などに見られる石垣刻印だろうか。どの大名が切り出したものかわかるように単純な記号などを記す。
 九句目。

   山から石に名を書て出す
 飯櫃なる面桶にはさむ火打鎌   維然

 飯櫃はここでは「いびつ」と読むがいひびつ、めしびつのことだろう。面桶は「めんつ」でコトバンクの、

 「① 一人前ずつ飯を盛って配る曲げ物。後には乞食の持つもの。べんとう。めんつ。
  ※正法眼蔵(1231‐53)洗面「面桶をとりて、かまのほとりにいたりて、一桶の湯をとりて、かへりて洗面架のうへにおく」
  ※仮名草子・古活字版竹斎(1621‐23頃)下「くゎんとうのじゅんれいと打ち見えて、めんつう荷たわら、そばに置き」
  ② 茶道で曲げ物の建水(けんすい)のこと。①の形を模してある。曲水翻ともいう。めんつ。
  ※宗及茶湯日記(他会記)‐永祿一三年(1570)一二月四日「備前水下 面桶」

とある。
 火打鎌はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「火打鎌」の解説」に、

 「〘名〙 (古くは、鎌の破片などを用いたところから) 火打金のこと。主に、関東地方で用いた語。
  ※俳諧・続猿蓑(1698)上「山から石に名を書て出す〈臥高〉 飯櫃(いびつ)なる面桶(めんつ)にはさむ火打鎌〈惟然〉」

とある。
 面桶の弁当に火打ち鎌を添えて、山で適当な石を見つけて火を起こすように書いておく。
 十句目。

   飯櫃なる面桶にはさむ火打鎌
 鳶で工夫をしたる照降      支考

 「照降(てりふり)」は晴れたり雨が降ったりする天気をいう。
 鳶は上昇気流に乗って滑空するところから、高く飛ぶと晴れて、低く飛ぶと雨が降ると言われている。
 前句を用意周到な人としての付けであろう。
 十一句目。

   鳶で工夫をしたる照降
 おれが事哥に讀るる橋の番    芭蕉

 我を「おれ」ということは、この頃の口語でもあったのだろう。橋の番を詠んだ歌というと、近江という場所柄を踏まえれば、

 にほてるや矢橋の渡りする船を
     いくたび見つつ瀬田の橋守
              源兼昌(夫木抄)

の歌だろうか。琵琶湖の上の鳶を見ては天気を判断する。雨だと矢橋の船が止まって橋の方に人が押し寄せる。
 十二句目。

   おれが事哥に讀るる橋の番
 持佛のかほに夕日さし込     曲翠

 宇治の橋守通円の持仏であろう。通円はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「通円」の解説」に、

 「狂言の曲名。舞狂言。平等院参詣(さんけい)を思い立った旅僧が宇治橋までくると、茶屋に茶湯(ちゃとう)が手向けられている。不思議に思い所の者に尋ねると、昔、宇治橋供養のおり、通円という茶屋坊主があまりに大茶を点(た)て、点て死にした命日だと語る。そこで旅僧が供養していると、通円の亡霊(シテ)が現れ、橋供養のため都から押し寄せた300人の道者(どうしゃ)に1人残らず茶を飲ませようと孤軍奮闘、ついに点て死にした最期のありさまを謡い舞い、回向(えこう)を願って消え去る。能『頼政(よりまさ)』のパロディーで、最期を述べる部分は詞章ももじりになっている。通円は宇治の橋守が世襲した実在の名で、この曲のモデルは豊臣(とよとみ)秀吉に愛顧されたという中興の通円であろうか。平等院には「太敬菴通円之墓」が残っている。[小林 責]」

とある。

2021年7月17日土曜日

 昨日梅雨明けが発表された。それとともにショワショワとクマゼミが鳴き始めた。
 コロナの方は感染者は増え続けているけど、65歳以上の高齢者の八割以上が一回接種を終えている状態だから、重症化しやすい高齢者と基礎疾患者さえワクチンで守られていれば、若者の間でいくら感染者が広がってもただの風邪という考え方もあるんじゃないかと、最近思えるようになってきた。
 50歳以上のワクチン接種が八割超えたなら、イギリスみたいに解除してもいいのかもしれない。もちろんアレルギー体質でワクチン接種が危険な人もいるし、そういう人はどうしても行動が制限されてしまうから、それは問題だ。思想的に拒否ってる奴は勝手にしろだけどね。
 緊急事態宣言や蔓延防止法(通称:マンボー)の条件も重症患者数だけにして、新規感染者数はそれほど問題にしなくても良いのではないかと思う。
 正直、ここまで早くワクチン接種が進むことは想定してなかった。考え方を変えるべき時が来たように思える。

 あと、元禄三年冬の「ひき起す」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
 それでは続けて夏の俳諧で、『続猿蓑』所収の「夏の夜や」の巻を読んでみようと思う。
 この巻には支考の「今宵賦」という長い前書きが付いている。

  「今宵賦
            野盤子 支考

 今宵は六月十六日のそら水にかよひ、月は東方の乱山にかかげて、衣裳に湖水の秋をふくむ。されば今宵のあそび、はじめより尊卑の席をくばらねど、しばしば酌てみだらず。人そこそこに凉みふして、野を思ひ山をおもふ。たまたまかたりなせる人さへ、さらに人を興ぜしむとにあらねば、あながちに弁のたくみをもとめず、唯萍の水にしたがひ、水の魚をすましむるたとへにぞ侍りける。阿叟は深川の草庵に四年の春秋をかさねて、ことしはみな月さつきのあはいを渡りて、伊賀の山中に父母の古墳をとぶらひ、洛の嵯峨山に旅ねして、賀茂・祇園の凉みにもただよはず。かくてや此山に秋をまたれけむと思ふに、さすが湖水の納凉もわすれがたくて、また三四里の暑を凌て、爰に草鞋の駕をとどむ。今宵は菅沼氏をあるじとして、僧あり、俗あり、俗にして僧に似たるものあり。その交のあはきものは、砂川の岸に小松をひたせるがごとし。深からねばすごからず。かつ味なうして人にあかるるなし。幾年なつかしかりし人々の、さしむきてわするるににたれど、おのづからよろこべる色、人の顔にうかびて、おぼへず鶏啼て月もかたぶきける也。まして魂祭る比は、阿叟も古さとの方へと心ざし申されしを、支考はい勢の方に住ところ求て、時雨の比はむかへむなどおもふなり。しからば湖の水鳥の、やがてばらばらに立わかれて、いつか此あそびにおなじからむ。去年の今宵は夢のごとく明年はいまだきたらず。今宵の興宴何ぞあからさまならん。そぞろに酔てねぶるものあらば、罰盃の数に水をのませんと、たはぶれあひぬ。」

 場所は膳所の曲翠亭で、『芭蕉年譜大成』(今栄蔵、1994、角川書店)によれば閏五月二十二日から六月十五日まで嵯峨の落柿舎に滞在し、この日に膳所へ移り、七月五日まで湖南に滞在した。

 「今宵は六月十六日のそら水にかよひ、月は東方の乱山にかかげて、衣裳に湖水の秋をふくむ。」(今宵賦)

これは、落柿舎を出て湖南に着いた翌日の宵ということで、十六夜の月が乱山にかかる。乱山はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「乱山」の解説」に、

 「〘名〙 高低入り乱れてそびえ連なる山々。また、重なり合う山々。乱峰。乱嶺。〔日葡辞書(1603‐04)〕 〔儲嗣宗‐小楼詩〕」

とある。具体的には手前に低く信楽高原の山々があり、その向こうに鈴鹿山脈が見え、その上に月が掛かる。手前には琵琶湖南部の湖水が広がる。

 「されば今宵のあそび、はじめより尊卑の席をくばらねど、しばしば酌てみだらず。」(今宵賦)

は芭蕉さんが来たというので膳所の連衆が集まってきて、とりあえず飲もうということになったのだろう。酒を飲んでも乱れることはない。

 「人そこそこに凉みふして、野を思ひ山をおもふ。たまたまかたりなせる人さへ、さらに人を興ぜしむとにあらねば、あながちに弁のたくみをもとめず、唯萍の水にしたがひ、水の魚をすましむるたとへにぞ侍りける。」(今宵賦)

 野を思い山を思い、それを巧みに描写するでもなく、ただその場の興の流れに身をまかす。浮草のように水に漂えば、そこの泥をかき回すこともなく、水を濁らすこともなく、魚も安心して棲める。「すましむる」はこの両方を掛けている。

 「阿叟は深川の草庵に四年の春秋をかさねて、ことしはみな月さつきのあはいを渡りて、伊賀の山中に父母の古墳をとぶらひ、洛の嵯峨山に旅ねして、賀茂・祇園の凉みにもただよはず。」(今宵賦)

 阿叟は我が翁で芭蕉のことをいう。叟の字もまた「おきな」を意味する。阿叟という言葉を支考は『葛の松原』でも用いている。
 芭蕉は元禄四年の十月に江戸に下り、元禄四年、五年、六年、七年と足掛け四年江戸に滞在する。そして七年の五月に江戸を出て伊賀、湖南、嵯峨を経て再び湖南に来る。

 「かくてや此山に秋をまたれけむと思ふに、さすが湖水の納凉もわすれがたくて、また三四里の暑を凌て、爰に草鞋の駕をとどむ。」(今宵賦)

 このようにして、再度湖南にやってきて、ここに駕籠を止める。芭蕉のこの時の旅は病状の悪化から、駕籠に乗る旅となっていた。

 「今宵は菅沼氏をあるじとして、僧あり、俗あり、俗にして僧に似たるものあり。」(今宵賦)

 菅沼氏は曲翠のこと。僧は惟然であろう。
 俗は臥高で『芭蕉と近江の人々』(梅原與惣次著、一九八八、サンブライト出版)には、

 「本多氏、勘解由光豊、膳所藩家老、致仕して五十人扶持。蕉門諸生全伝に、ゼゝ本多氏『隅居シテ画ヲ好、賢才多芸』とある人。本多画好又は画香と同一人と思われる」

とある。俗にして僧に似たるものは支考と芭蕉であろう。支考はお寺で育ち最近になって還俗した。芭蕉に関しては『幻住庵記』に、

 「ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛籬祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば、つひに無能無才にしてこの一筋につながる。」

とあり、支考の『葛の松原』には、

 「一回は皂狗となりて一回は白衣となつて共にとどまれる處をしらず。かならず中間の一理あるべしとて」

とある。
 当時はまだ未発表だったが、芭蕉の『野ざらし紀行』には、

 「僧に似て塵有(ちりあり)。俗ににて髪なし。」

とあり、『鹿島詣』には、

 「いまひとりは、僧にもあらず、俗にもあらず、鳥鼠の間に名をかうぶりの、とりなきしまにもわたりぬべく」

とあり、『笈の小文』には、

 「ある時は倦(うん)で放擲(ほうてき)せん事をおもひ、ある時はすすんで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたたかふて、是が為に身安からず。しばらく身を立てむ事をねがへども、これが為にさへられ、暫ク学んで愚を暁(さとら)ン事をおもへども、是が為に破られ、つゐに無能無芸にして只此の一筋に繋(つなが)る。」

とある。

 「その交のあはきものは、砂川の岸に小松をひたせるがごとし。深からねばすごからず。かつ味なうして人にあかるるなし。」(今宵賦)

 「君子の交わりは、淡きこと水の若く、小人の交わりは甘きこと醴の若し。」という諺があるが、俳諧師の交わりも淡いものではある。砂川の岸の小松の喩えは何か出典があるのか。あまり浅くてもいけないということだろう。

 「幾年なつかしかりし人々の、さしむきてわするるににたれど、おのづからよろこべる色、人の顔にうかびて、おぼへず鶏啼て月もかたぶきける也。」(今宵賦)

 淡い原因は芭蕉が旅をしていることで、同じところに住んで地域のコミュニティーの属してないため、たまに会うにすぎない所にある。ここにも久しぶりに会った喜びが感じられる。夕方から飲み始めて語明かすうちに夜明けになったことが記されている。

 「まして魂祭る比は、阿叟も古さとの方へと心ざし申されしを、支考はい勢の方に住ところ求て、時雨の比はむかへむなどおもふなり。しからば湖の水鳥の、やがてばらばらに立わかれて、いつか此あそびにおなじからむ。」(今宵賦)

 魂祭りはお盆で芭蕉翁も伊賀への帰郷を考えていて、支考もまた冬になる頃には伊勢移住を考えている。この興行の後、みんなばらばらでこのメンバーがもう一度揃うことがあるかどうかはわからない。まさに一期一会というところだ。

 「去年の今宵は夢のごとく明年はいまだきたらず。今宵の興宴何ぞあからさまならん。そぞろに酔てねぶるものあらば、罰盃の数に水をのませんと、たはぶれあひぬ。」(今宵賦)

 一年前は芭蕉は江戸にいて、ちょうど「閉門之説」を書いた頃だった。支考は元禄五年に奥州行脚を行い『葛の松原』を刊行した。そのあと美濃に戻っていたか。
 そして来年のことはわからない。芭蕉は周知の通りのこととなった。
 「あからさま」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「あからさま」の解説」に、

 「① 物事の急に起こるさま。卒爾(そつじ)。にわか。たちまち。あからしま。あかさま。あかしま。
  ※書紀(720)雄略五年二月(前田本訓)「俄にして、逐はれたる嗔猪(いかりゐ)草の中より暴(アカラサマ)(〈別訓〉ニハカニ)出でて人を逐ふ」
  ※栄花(1028‐92頃)衣の珠「『昔恋しければ、見奉らむ。渡し給へ』とあからさまにありければ」
  ② 一時的であるさま。ついちょっと。かりそめ。「あからさまにも」の下に打消の語を伴って、「かりそめにも…しない。全く…しない」の意となることもある。
  ※宇津保(970‐999頃)俊蔭「あからさまの御ともにもはづし給はず」
  ※方丈記(1212)「おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども」
  [二] (明様) ありのままで、あらわなさま。明白なさま。
  ※浮世草子・好色一代男(1682)一「亭(ちん)の遠眼鏡を取持て、かの女を偸間(アカラサマ)に見やりて」
  [語誌](1)「あから」は元来「物事の急におこるさま」「物事のはげしいさま」を表わすが、次第に「にわか・急」「ついちょっと・かりそめ」などの意に転じていった。しかし、「にわか・急」の意には「すみやか」「にはか」「たちまち」などの語が用いられるため、「あからさま」は「ついちょっと・かりそめ」の意に固定していったと考えられる。
(2)時代が下ってから(二)の用法が出て来るが、これは「明から様」と意識したことによると考えられる。」

とある。この場合は②の意味であろう。今はこの言葉は[二] の意味でしか用いられていない。
 明日はどうなるかわからない貴重な時間なので、精いっぱい遊び明かそうではないか、ということで、酔って寝た者には罰として飲まされた盃の数だけ水を飲ませようなどと冗談を言って過ごす。
 連衆の遊びふざけている様をこういうふうに描写するのは支考の文章の特徴でもあり、『梟日記』にも何か所か見られる。寺で禁欲的に育った支考にとって、俗世のこういうおふざけも貴重な時間だったのだろう。あるいはそれが支考の俳諧の本質なのかもしれない。
 それでは、この興行の発句を見てみよう。

 夏の夜や崩て明し冷し物     芭蕉

 「冷し物」はコトバンクの「デジタル大辞泉「冷し物」の解説」に、

 「水や氷で冷やして食べる物。「夏の夜や崩れて明けし―/芭蕉」

とある。夏の夜は短く、

 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを
     雲のいづこに月宿るらむ
              清原深養父(古今集)

の歌もあるが、それを「崩て明し」という端的でキャッチーな言葉をすぐに思いつくのが芭蕉だ。その夜明けには酔いの眠りを覚ます冷し物がふるまわれたのだろう。
 序文で既に夜明けのことまでが語られていて、発句も朝の句だから、俳諧興行はこの後、おそらく六月十七日に行われたのではないかと思う。

2021年7月16日金曜日

 昨日少し買い物に出たが、団地の芝生の上に大きな茸が生えていた。こういう時サバイバルスキルが発動して、名前や食べられるかどうかや、毒があるかどうかを教えてくれたら便利だろうななんて、すっかりラノベ脳になっているが、スマホとかで花の名前を教えてくれるアプリがあるから、その延長でそのうち誰か作らないかな。
 左翼はよく何かに反対するときに「長期的影響が分からない」と言う。これは悪魔の証明になる。基本的に長期的影響は長期間経たないとわからないから現時点では証明できないが、「ない」という証明もできない。長期的な影響を推測するのに十分な根拠があるならわかるが、根拠なく消極的証明の困難を理由とした反対は悪魔の証明になる。
 明確な根拠もなくワクチンで長期的に何らかの悪い影響が出るというのは、不安な心理に付け込んだデマになるので気をつけよう。
 逆に、感染したらその時は無症状でも長期的に何らかの悪い影響が出るかもしれないというのは、ウイルスの潜伏期間が根拠になるので、これはデマではない。

 さて、残るは「ゆづり物」所収のほうの「夕㒵や」の巻の続き。
 以下は元禄八年の自筆本、杜旭編『ゆずり物』によるという。ネット上の服部直子さんの「月空居士露川年譜稿」によれば、杜旭は露川門だという。
 そうなると露川はこのもう一つのバージョンを知っていて別バージョンを巻いたのだろうか。あるいは『ゆずり物』が公刊されてなくて自筆本として本人が持っていただけなら、後になってからその存在が知られた可能性もある。
 二十三句目。

   尻もむすばぬ恋ぞほぐるる
 うとうとと夜すがら君を負行ク  芭蕉

 前句の「言」が「恋」になり、恋に転じたことになる。
 「負行ク」は「おひてゆく」。『伊勢物語』第六段芥川の鬼一口であろう。
 『伊勢物語』の場面が思い浮かばなければ「夜すがら君を負行ク」がどういう状況が掴みにくいので、俤よりは本説に近い。
 二十四句目。

   うとうとと夜すがら君を負行ク
 豆腐仕かける窓間の月      惟然

 前句を豆腐屋とするが、やや状況が掴みにくい。
 二十五句目。

   豆腐仕かける窓間の月
 うつくしきお堀廻りの薄紅葉   去来

 紅葉豆腐というのがあるのでその縁であろう。お堀端に豆腐屋があるのか。
 二十六句目。

   うつくしきお堀廻りの薄紅葉
 紙羽ひろぐる芝原の露      之道

 紙羽(かっぱ)は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、

 「合羽籠(大名行列に、最後にかついで行く前後二個のかご)の略。」

とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「合羽籠」の解説」に、

 「〘名〙 大名行列のときなどに、供の人の雨具を入れて下部(しもべ)にになわせた籠。ふたのある二つの籠で、前後を棒でかついだ。また、寺などでは、年末年始に納豆などの贈答品を入れて持ち歩いた。合羽ざる。合羽箱。
  ※俳諧・通し馬(1680)「はやけさの別れは鳥毛挿箱〈西鶴〉 ふりくる泪合羽籠(カッパかご)よぶ〈梅朝〉」

とある。
 堀の近くの芝原で合羽駕籠の中身を広げる。
 二十七句目。

   紙羽ひろぐる芝原の露
 跪ふて湯づけかき込む釜の前   野明

 「跪ふて」は「つくばふて」。「湯づけ」はウィキペディアに、

 「湯漬け(ゆづけ)とは、コメの飯に熱い湯をかけて食べる食事法、またはその食べ物自体を指す日本の呼称。湯漬け飯(ゆづけめし)の略。湯漬とも表記する。」

とあり、

 「中世・近世において湯漬け・水飯は、公家・武家を問わずに公式の場で食されることが多かった。そのため、湯漬け・水飯を食べるための礼儀作法が存在した。平安時代に橘広相が撰したとされる『侍中群要』には、湯漬けの出し方について論じた箇所がある。」

とある。
 この場合は合羽駕籠を担いでた者が「つくばふて」はおそらく蹲踞の姿勢、俗にうんこ座りと呼ぶ姿勢で、あわただしく掻き込んでたということであろう。
 二十八句目。

   跪ふて湯づけかき込む釜の前
 師走の役に立る両がへ      去来

 湯漬けを掻き込んだところで、ついでに師走の決済のための両替を行う。
 二十九句目。

   師走の役に立る両がへ
 だぶだぶと水汲入ていさぎ能キ  惟然

 両替をして水を勢いよく汲む。支払いの潔くということか。
 三十句目。

   だぶだぶと水汲入ていさぎ能キ
 松のみどりのすいすいとして   野明

 松の脇に水が湧き出ていたか。「すいすい」は翠々で青々しているという意味か。
 二裏、三十一句目。

   松のみどりのすいすいとして
 節経のなぐさみに成二人庵    去来

 「節経」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、

 「諷経・看経に対してふしをつけてよむ経のこと。一つの庵に二人住むは比丘尼であろう。」

とある。
 三十二句目。

   節経のなぐさみに成二人庵
 心きいたる唇の赤さか      惟然

 「赤さか」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、

 「赤坂奴(やっこ)の略。江戸時代、槍・挟箱などをもって供をした若党中間で、異体な風俗をしていた。」

とある。ウィキペディアには、

 「赤坂奴(あかさかやっこ)は、江戸時代、江戸の大名、旗本につかえ、槍持ち、挟箱持ちなどをつとめた若党(わかとう)、中間(ちゅうげん)。「赤坂」の語源については諸説ある。
 寛政年間の赤坂奴について、「百物語」に「あづまの男を見はべりしが、音に聞くに十倍せり。六尺余の男、大鬚を捻ぢ上げ、先づ肌には牛首布の帷子を著、上に太布の渋染に七八百が糊をかひ、馬皮の太帯しつかと締め、熊の皮の長羽織、まつすぐなる大小、十文字に差しこなしたる気色、身の毛もよだつばかりなり」とある。このころ赤坂八幡の祭礼にはこの旗本奴がでて、祭礼を手助けし、江戸の呼び物、名物となった。」

とある。
 三十三句目。

   心きいたる唇の赤さか
 くたびれしきのふの軍物語    野明

 前句の赤坂奴に軍物語を延々と聞かされてくたびれたということか。
 三十四句目。

   くたびれしきのふの軍物語
 髪おしたばね羽織広袖      去来

 「広袖」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「広袖」の解説」に、

 「① 胴丸、腹巻など、鎧(よろい)の袖の一種。冠(かぶり)の板から菱板(ひしいた)まで、順次裾(すそ)開きに仕立てたもの。
  ※応仁記(15C後)二「黒革縅の腹巻にひろ袖つけ」
  ② 和裁で、袖口の下方を縫い合わせない袖。また、その衣服。どてら・丹前など。ひらそで。
  ※俳諧・鷹筑波(1638)五「むさし野はたた広袖(ヒロそで)の尾花哉〈重供〉」

とある。『炭俵』の「早苗舟」の巻四十五句目に、

   天満の状をまた忘れけり
 広袖をうへにひつぱる舩の者   孤屋

の句がある。
 前句の軍物語をした人の姿か。
 三十五句目。

   髪おしたばね羽織広袖
 難波なる花の新町まれに来て   惟然

 前句を遊郭に通う人の姿とする。ウィキペディアに、

 「大坂夏の陣の翌年、1616年(元和2年)に伏見町の浪人とされる木村又次郎が江戸幕府に遊廓の設置を願い出た。候補地となった西成郡下難波村の集落を道頓堀川以南へ移転させ、1627年(寛永4年)に新しく町割をして市中に散在していた遊女屋を集約し、遊廓が設置された。」

とある。
 挙句。

   難波なる花の新町まれに来て
 文に書るる柳山ぶき       野明

 遊郭で文を書く。柳や山吹のことを書き記して一巻は目出度く終わる。

2021年7月15日木曜日

  どうやら東京を中心とした感染拡大は簡単には止まらない。ただ、基本的にやるべきことは今までと一緒だ。外出、移動、人との接触を極力控えることだ。あとはマス護美やツイッターの怪しげな情報に惑わされずに、正確な情報を得ることだ。
 筆者にできることといえば、残念ながら今まで通り家に引き籠っている以外に何もできることはない。あと、情報源は一応感染者の基本的な情報は東洋経済ONLINE「新型コロナウイルス国内感染の状況」、ワクチン接種に関しては首相官邸の「新型コロナワクチンについて」を参考にしている。
 基本的には各自考えて判断するしかない。この国ではどのような感染症対策も法的拘束力がない。憲法で保障された基本的人権に非常時の例外が認められてないからだ。デマを広め自粛破りをする人間に制裁を下すことができない。騙され踊らされるのもみんな自由の刑に処せられている。
 ワクチンを減らされた自治体も、実際にはワクチンを打っていて、ただ入力が遅れてただけだというなら素直に謝ればいいのに、何でも政府を攻撃すればいいと思っている。ワクチンは天から降ってきたわけではない。
 もし入力の遅れが事実なら、日本は政府発表以上にワクチン接種が進んでいるということだから、それは喜ぶべきことだ。十四日公表で63,651,899回。二回接種完了19.1%。実際はこれより多いということだ。
 去年の給付金の時もそうだったが、緊急時の備えがなくて自治体がなかなか思うように対応できずにもたつくのはわかる。だがワクチン接種は元来コロナの拡大との時間の勝負で緊急を要する案件なので、急ぎすぎを非難するのはお門違いだ。
 のんびり時間をかけてようやく国民の5パーセントくらい打ち終わったような状態で今の第五波を迎えたら、もっと悲惨なことになっていた。高齢者の接種率の低いままだったら、また多くの死者を出す所だった。急いだからこそ今は65歳以上の高齢者の半分が二回接種を終えて、八割近くが一回は接種している。これなら重症患者数もそれほど増えないし、医療崩壊も防げる。

 あと、「白髪ぬく」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
 それでは「夕㒵や」の巻の続き、挙句まで。
 角川書店の『校本芭蕉全集』は真偽の疑いのある部分がある巻でも、最初の部分が本物ならそのまま掲載されている。だから、途中からあれっと思う巻がこれまでも何度もあった。今回もまたそれだった。とにかく直感的にわかるのは「面白くない」ということだが、理論的に詰めるには江戸後期の俳諧の作風まで研究する必要がある。
 そういうわけで、これまでは『校本芭蕉全集 第五巻』の「ゆづり物」所収のほうの「夕㒵や」の巻を読んできたが、予定を変更して『校本芭蕉全集 第五巻』の元禄十一年刊松星・夾始編の『記念題』を底本とするバージョンの方を先に読むことにする。

 まず二十二句目の「恋」が「言」になっていて、次の二十三句目が、

   尻もむすばぬ言ぞほぐるる
 膳取を最後に眠る宵の月     露川

になっている。
 露川はコトバンクの「朝日日本歴史人物事典「沢露川」の解説」に、

 「没年:寛保3.8.23(1743.10.10)
  生年:寛文1(1661)
  江戸中期の俳人。一時,渡辺氏。通称,藤原市郎右衛門。別号,月空居士,月空庵,霧山軒など。伊賀友生(三重県上野市)に生まれ,のち名古屋札の辻で数珠商を営む。俳諧は,北村季吟,蘭秀軒(吉田)横船に学んだとも,斎藤如泉門ともいう。のち,松尾芭蕉に入門し,『流川集』を刊行。家業を養子月頂に譲渡した宝永3(1706)年以降,活発な活動を展開する。諸国に31杖するとともに,門弟の拡充をめざして各務支考と論争におよんだこともあった。<参考文献>石田元季「蕉門七部初三集の主要作家」「尾州享保期の俳風」(『俳文学考説』)
  (楠元六男)」

とある。大垣の如行も参加しているところから、舞台が嵯峨から中京地区へと移っている。
 芭蕉は落柿舎を出た後膳所の木曽塚無名庵に滞在し、そのあと一度伊賀に戻り奈良を経由して大阪で最期を迎える。どのようないきさつで露川の所にこの途中までの巻が渡ったかはよくわからない。伊賀滞在中に熱田の鷗白が訪ねてきているが、可能性があるとすればその時か。
 その露川の句だが、前句が「言」なので、恋に展開する必要はなく、後先考えずに言い争いになって、客が帰っていってしまったのだろう。残された主人が一人膳に付くが、まだ宵だというのにお月見の気分も乗らずにふて寝する。ありそうな展開で、蕉門らしさが感じられる。
 二十四句目。

   膳取を最後に眠る宵の月
 きりぎりす飛さや糖の中     如行

 「さや糖」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に「さや糠」とある。籾殻のことで、籾摺の作業に疲れて早く寝たとする。キリギリスはコオロギのことで、籾殻の中にいてもおかしくない。
 二十五句目。

   きりぎりす飛さや糖の中
 秋もはや伊呂裡こひしく成にけり 松星

 秋も深まれば囲炉裏の火が恋しくなる。
 二十六句目。

   秋もはや伊呂裡こひしく成にけり
 合点のゆかぬ雲の出て来る    夾始

 秋とは思えないような冬を思わせる雪雲が出てきたということか。
 二十七句目。

   合点のゆかぬ雲の出て来る
 脇道をかるう請取うき蔵主    如行

 蔵主(ざうす)はコトバンクの「デジタル大辞泉「蔵主」の解説」に、

 「禅寺の経蔵を管理する僧職。また、その人。」

とある。
 脇道は比喩で本業とはちがう報酬くらいの意味だろう。そりゃあ合点が行かない。
 二十八句目。

   脇道をかるう請取うき蔵主
 木に抱き付て覗く谷底      露川

 脇道を文字通りの脇道として、行ったら谷底のとんでもない所に出てしまった。
 こういう展開も蕉門らしさが感じられ、こちらのバージョンは本物と思われる。
 二十九句目。

   木に抱き付て覗く谷底
 仰山になり音立て屋根普請    夾始

 谷間に立つ家の屋根普請とする。谷間を覗きながらの作業で昔は安全帯もなかったから命がけの作業だ。
 三十句目。

   仰山になり音立て屋根普請
 日やけ畠も上田の出来      松星

 畑は日照りで痛んでも田んぼの方は上々の出来になりそうなので、屋根の修理をする余裕もある。
 二裏、三十一句目。

   日やけ畠も上田の出来
 夏の夜も明がた冴る笹の露    露川

 昼の日差しはじりじりと畠を焼くが、明け方には涼しくなり、稲の発育には良い。
 三十二句目。

   夏の夜も明がた冴る笹の露
 笟かぶりて替どりに行      如行

 笟は「いかき」と読む。コトバンクの「世界大百科事典内のいかきの言及」に、

 「10世紀の《和名抄》は笊籬(そうり)の字をあてて〈むぎすくい〉と読み,麦索(むぎなわ)を煮る籠としているが,15世紀の《下学集》は笊籬を〈いかき〉と読み,味噌漉(みそこし)としている。いまでも京阪では〈いかき〉,東京では〈ざる〉と呼ぶが,語源については〈いかき〉は〈湯かけ〉から,〈ざる〉は〈そうり〉から転じたなどとされる。…」

とある。
 「替(かい)どり」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に「水をせきとめて干上らせ魚をとること」とある。
 夏の明け方に、笊を被って魚を獲りに行く。
 三十三句目。

   笟かぶりて替どりに行
 隠家は美濃の中でも高須なり   松星

 高須は今の岐阜県海津市高須の辺りであろう。長良川と揖斐川に挟まれている低地水田地帯だ。高須藩があったが元禄四年に廃藩になり、元禄十三年に松平義行が再び高須藩を起こす。
 この巻の作られたのが元禄七年から十一年の間だから、藩のなかった時代になる。あるいは藩の再興を願ってあえてこの地名を織り込んだか。
 前句の「笊かぶり」を笠に見立てて、笠と対になる蓑を美濃に掛けて展開する。
 三十四句目。

   隠家は美濃の中でも高須なり
 此月ずゑに終る楞厳       夾始

 「楞厳(りょうごん)」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に楞厳会(りゅうごんゑ)のこととあり、楞厳会はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「楞厳会」の解説」に、

 「禅宗寺院において安居 (あんご) の期間中の無事を祈るため,毎日仏殿に集って楞厳呪を称える法会。安居の開始に先立ち4月 13日に始り,安居終了の前7月 13日に終る。古くは夜の参禅終了後行われたが,現在は早朝,朝食後あるいは午後など寺院によって異なる。」

とある。楞厳呪は楞厳経の巻七から派生した物らしい。
 楞厳経はコトバンクの「世界大百科事典 第2版「楞厳経」の解説」に、

 「大乗仏典の一つ。10巻。詳しくは,《大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経》といい,唐の則天武后の時代(690‐704)に,インド僧般刺蜜帝が南海の制司寺で口訳し,ちょうど流謫中の房融が筆録したとされる。早くより偽経の疑いがあるように,新しく興りつつあった禅や菩薩戒,密教の教義を,仏説の権威を借りて総合的に主張しようとしたものらしい。楞厳とは,クマーラジーバ(鳩摩羅什)訳の《首楞厳三昧経》と同じく,堅固な三昧の意である。」

とある。
 楞厳会の期間は時代によっても場所によっても必ずしも一定していたわけではなかったのだろう。それは峰入りの時期の混乱でもわかる。元禄のこの頃の美濃では楞厳会は月末に終っていたのだろう。
 三十五句目。

   此月ずゑに終る楞厳
 むかしから花に日が照雨がふり  如行

 いわゆる「狐の嫁入り」というやつだ。黒沢監督の『夢』にも登場した。
 楞厳会は弥生に行われていて、桜の季節で天候が安定せず、天気雨が降ることもよくあったのだろう。
 挙句。

   むかしから花に日が照雨がふり
 たらはぬ聲もまじる鶯      主筆

 「たらはぬ」というのは最後まで鳴かないということだから、「ホー」だけで終わって最後の「ケキョ」がないということなのだろう。
 春の鶯の声もおかしく、一巻は目出度く終わる。

2021年7月14日水曜日

 すでにミンミンゼミやニイニイゼミは鳴きだしている。あとアブラゼミとクマゼミが鳴きだせば本格的に梅雨明けだ。
 ワクチン接種回数も一昨日の時点で六千万回を越えている。おそらくワクチン不足は、ワクチン接種の遅れている自治体やワクチン接種自体を疑問に思う自治体が、その責任を政府に擦り付けようとしてやっているのではないかと思う。政府はワクチン在庫を大量に抱えている自治体名を公表した方が良い。
 昨日野球のホームラン競争をやっていて、テレビで見たが、大谷さんは勝たなくても一番盛り上げてくれたね。
 制限解除でみんなマスクなしでハグしあってたけど、ちなみにコロラド州の人口は約575万人、一日の新規感染者数は400人前後だという。我が神奈川県の人口は約900万人で新規感染者数は308人。
 あと、元禄三年秋の「秋立て」の巻鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
 それでは「夕㒵や」の巻の続き。

 十三句目。

   今のあいだに何度時雨るる
 めきめきと川よりさむき鳥の声   野明

 川で水鳥が鳴きだすと時雨が降る。
 十四句目。

   めきめきと川よりさむき鳥の声
 米の味なき此里の稲        芭蕉

 「味なし」は「あぢきなし」という古い方の意味だろう。水害か冷害で稲がだめになってしまい、水鳥の声だけが空しい。
 十五句目。

   米の味なき此里の稲
 月影に馴染の多キ宿かりて     惟然

 宿はなじみ客ばかりで固まっていて、ぼっち飯を食う。
 十六句目。

   月影に馴染の多キ宿かりて
 霧の奥なる長谷の晩鐘       野明

 長谷寺というと『源氏物語』玉鬘巻で玉鬘の一行が椿市で宿を取ろうとすると、主の僧に、

 「人宿したてまつらむとする所に、何人のものしたまふぞ。あやしき女どもの、心にまかせて」

と言われる。その止めようとしていた人たちがやってくる。

 「よろしき女二人、下人どもぞ、男女、数多かむめる。馬四つ、五つ牽かせて、いみじく忍びやつしたれど、きよげなる男どもなどあり。」

 この御一行が実は、というわけだ。
 源氏物語を知らなくても、前句の馴染の多い宿に長谷寺の晩鐘が響くというだけで風情がある。それにこの物語を知っていたら、また別の味もあるということで、これは俤付けになる。
 十七句目。

   霧の奥なる長谷の晩鐘
 花の香に啼ぬ烏の幾群か      芭蕉

 花は奇麗だが、カラスの群れにどこか死を暗示させる。葬儀があったのかとも思わせるが、あくまで暗示に留める。
 花の浮かれた気分で鳴く、何となく物悲しく、それでいて厳粛な気分にさせるのは芭蕉の幻術だ。
 十八句目。

   花の香に啼ぬ烏の幾群か
 土ほりかへす芋種の穴       惟然

 前年に収穫した里芋は穴に埋めておけば保存でき、翌年の春に種芋として使うことができる。里芋は寒さに弱いため、一メートルくらい深く掘って埋めるという。
 烏も芋があると知っているのか、掘っていると寄ってくる。
 二表、十九句目。

   土ほりかへす芋種の穴
 陽炎に田夫役者の荷の通ル     野明

 畑の土の上には陽炎が揺れ、その中を田舎わたらいをする役者の一行とその荷物が通って行く。
 二十句目。

   陽炎に田夫役者の荷の通ル
 いせの噺に料理先だつ       芭蕉

 田舎役者の御一行が宿に着くと、まずは料理そっちのけでお伊勢参りの話で盛り上がる。お伊勢参りを兼ねて、これから伊勢で興行するのだろう。
 二十一句目。

   いせの噺に料理先だつ
 椙の木をすうすと風の吹渡     惟然

 伊勢の神杉(椙)であろう。伊勢の風と言えば神風。
 二十二句目。

   椙の木をすうすと風の吹渡
 尻もむすばぬ恋ぞほぐるる     野明

 「尻を結ぶ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「尻を結ぶ」の解説」に、

 「しめくくりをつける。後始末をきちんとする。
  ※浮世草子・世間化物気質(1770)五「四十の尻(シリ)をむすびし思案」

とある。「ほぐるる」は撚ってあった糸がほどけるように分かれてしまったということか。空しく風がすうすうと吹いてゆく。
 二十三句目。

   尻もむすばぬ恋ぞほぐるる
 うとうとと夜すがら君を負行ク   芭蕉

 「負行ク」は「おひてゆく」。『伊勢物語』第六段芥川の鬼一口であろう。
 『伊勢物語』の場面が思い浮かばなければ「夜すがら君を負行ク」がどういう状況が掴みにくいので、俤よりは本説に近い。
 二十四句目。

   うとうとと夜すがら君を負行ク
 豆腐仕かける窓間の月       惟然

 前句を豆腐屋とするが、やや状況が掴みにくい。前句の芭蕉句といい、何となく違和感を感じる。

2021年7月13日火曜日

 今日は旧暦の六月四日。梅雨は明けそうでなかなか明けず、今朝もどんより曇り、雨が降った後がある。白雨がもう三日続いている。
 戦後の左翼を考えるうえで避けて通れないのは日本国憲法、特に第九条の問題だ。
 昨日書いた、日本は早かれ少なかれ消滅するから、今の内に日本人を捨てて白人に成り切ることを選んだ左翼にしてみれば、この憲法はまさに日本が他国から侵略された時にいかなる暴力による抵抗もしてはならず、速やかに併合され、一つの世界の成立に貢献すべきだということを意味する。
 この背後に戦争の恐怖があるのは別に隠すようなことではない。あの大戦で日本は230万人の軍人と80万人の民間人が死んだとされている。主要都市はことごとく焼け野原になり、広島と長崎や沖縄戦の惨劇は忘れることはできない。戦争はそれ自体が悪であり二度とやってはいけない。
 この時、日本の敗北は日本そのものの敗北と同一視された。吉田松陰の侵略思想や日本の明治以来の侵略主義が否定されるならわかる。左翼は日本の敗北を日本の文化・伝統・習慣を含めたあらゆるの物に関して日本そのものが敗北し、これから世界を統一するであろう文化に書き換えることを選んだ。
 日本国憲法がどのようなプロセスで制定され公布されたかは、左翼の中では長いこと口にすることもタブーとされてきたから、筆者も左翼の家庭で育ち、この件に関しては大学に入るまで何も知らないままだった。
 筆者が日本国憲法が進駐軍によって起草されたことを知ったのは大学に入ってからだったし、まして八月革命説についてはほんのつい最近知ったことだった。
 日本国憲法は表向き国会を開き、明治憲法に規定された改正手続きを踏まえて誕生した。しかし、これが認められるなら、日本国憲法も日本国憲法で規定された手続を経れば当然改憲できるはずだ。しかし、左翼にとっては憲法の他の条項はともかく、憲法九条だけは死守しなけらばならなかった。それも文字通りの意味で、他国の侵略があった時にそれにいかなる抵抗もせず受け入れ、一つの世界に貢献するための条項だったからだ。(それが中国であってもイスラム国であっても抵抗するなということだ)。
 そのため憲法を守れと言いながら、憲法に規定された改正の手続きについては一切無視しようとしてきた。
 歴史観という点では作家の司馬遼太郎の唱えたいわゆる司馬史観と呼ばれるものが左翼の間で今も根強い。これは西洋化=善という極めて単純な視点によるもので、そのため信長秀吉の侵略思想が肯定されたばかりか、西洋文明の積極的な吸収という点で英雄視されるようになった。吉田松陰にしても侵略思想については一切沈黙して、西洋化の英雄とされている。それどころか日露戦争の勝利に至るまでの日本の近代史は西洋化の坂道を登る輝かしい歴史とされ、日本が間違えたのは昭和の軍国主義からだとする。
 この歴史観だと日本が一つの世界を作るために、天下統一の戦いに参加したのは善とされ、戦争がいけないのは敗北したからだという論理になる。日本がもっと早く徹底的に日本の文化を消し去って西洋に同化していれば勝てたかもしれないという論理だ。実は一方で憲法を守れと言いながら、過去の侵略戦争は否定しない。その根底にあるのは「世界史は一つの世界を作るためのものだ」という論理だ。
 左翼の一番の根にあるのはこの「一つの世界」という理想だ。すべての民族が一つの文化に同化され、民族も人種もすべて均質化される世界だ。ただ奴らは日本人として自分たちの理想を掲げることはない。日本をどこに吸収させるかで日和見を続けるだけだ。日和らなければ日本は再び悲惨な戦争を繰り返す、というわけだ。
 例えていえば、いじめにあいたくなければいじめる奴らの腰ぎんちゃくになれ、それもできるだけ強い奴につけ、ということだ。こういう根っからの下僕体質が実は一番日本的であることを和辻哲郎は見抜いていた。

 まあ、昔話はこれくらいにして、風流の方に戻ろう。
 あと、元禄三年春の「種芋や」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
 水無月に入り、夏の俳諧を読んでいこうかと思う。
 今回は元禄七年五月二十二日から六月十五日までの京都落柿舎滞在中の興行で、

 夕㒵や蔓に場をとる夏座敷    為有

を発句とする巻を読んで行こうと思う。
 為有というと支考の『梟日記』の旅で長崎で去来に会った時にも噂になっていた人物でだが、支考はここでは同席していない。為有はなぜかいつも「嵯峨田夫」という称号が付いている。
 ただ、為有は発句のみで、この後二十四句目までは芭蕉、惟然、野明の三吟になる。そしてそのあとは去来、之道、野明、惟然の四吟になる。
 夕顔は棚を組んで蔓を這わせてたのか、夕顔の下は日陰になり涼しい夏座敷が出来上がる。
 脇は芭蕉で、

   夕㒵や蔓に場をとる夏座敷
 西日をふせぐ薮の下刈      芭蕉

 夕顔が西日を防いでくれてますし、薮の下も綺麗に刈られていてすっきりしていますと庭を褒めて応じる。
 第三は、

   西日をふせぐ薮の下刈
 ひらひらと浅瀬に魦の連立て   惟然

 「魦」はここではハゼと読むが、琵琶湖のイサザのことか。ウィキペディアに、

 「イサザ(魦・鱊・尓魚・魚偏に尓(𩶗)、学名 Gymnogobius isaza )は、スズキ目ハゼ科に分類される魚の一種。ウキゴリに似た琵琶湖固有種のハゼで、昼夜で大きな日周運動を行う。食用に漁獲もされている。現地ではイサダとも呼ばれる。」

とある。
 薮に西日の遮られた辺りにハゼの魚影が見える。
 四句目。

   ひらひらと浅瀬に魦の連立て
 馬の廻りはみな手人なり     野明

 手人(てびと)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手人」の解説」に、

 「〘名〙 (古くは「てひと」)
  ① 履(くつ)を縫ったり機を織ったり、技芸にたずさわる者。朝鮮半島から渡来した技術者。才伎。
  ※古事記(712)中「又手人(てひと)韓鍛、名は卓素」
  ② てのもの。配下。てした。部下。」
  ※浄瑠璃・自然居士(1697頃)二「我意をふるまひ給ふによって、お手人共も我ままに」

とある。時代的には②の手下の方であろう。
 ハゼの群立ちに人の群立ちが呼応する。
 五句目。

   馬の廻りはみな手人なり
 一貫の銭で酒かふ暮の月     芭蕉

 銭一貫ならそれなりの量の酒が買えただろう。手人みんなで酒盛りができる。
 六句目。

   一貫の銭で酒かふ暮の月
 稗に穂蓼に庭の埒なき      惟然

 「埒なき」はごちゃごちゃだということ。稗は植えたのだろうし、穂蓼もおつまみになる。しばらくは酒を飲みながら暮らせそうだ。
 初裏、七句目。

   稗に穂蓼に庭の埒なき
 松茸も小僧もたねば守られず   野明

 山寺の庭とする。小僧がいなければ庭もとっちらかっているし、山も手入れが行き届かないから松茸も生えてこなくなった。
 八句目。

   松茸も小僧もたねば守られず
 ほたゆる牛を人に借らるる    芭蕉

 「ほたゆる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ほたえる」の解説」に、

 「〘自ヤ下一〙 ほた・ゆ 〘自ヤ下二〙
  ① あまえる。つけあがる。
  ※箚録(1706)「ほたへる者は日にほたへて、奢(おごり)の止ことも無れば」
  ② ふざける。たわむれる。じゃれる。
  ※俳諧・望一千句(1649)二「をどりはねつつめづる夜の月 ひき来るはさもほたへたる駒むかへ」

とある。
 今でも熊本天草方面では方言として残っているという。
 牛も使う人がいないから他所の人が勝手に使っている。
 九句目。

   ほたゆる牛を人に借らるる
 台所の続に部屋の口明て     惟然

 台所の奥にも部屋があって、そこに住んでいる人が牛を借りている。
 十句目。

   台所の続に部屋の口明て
 旅のちそうに尿瓶指出す     野明

 台所の奥の部屋に泊まっている旅人は年老いているのか病気なのか、尿瓶が必要になる。
 十一句目。

   旅のちそうに尿瓶指出す
 物一ついふては念仏唱へられ   芭蕉

 老いた旅人は乞食僧で、一言挨拶したかと思ったら、延々と念仏を唱える。
 十二句目。

   物一ついふては念仏唱へられ
 今のあいだに何度時雨るる    惟然

 「今のあいだ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「今の間」の解説」に、

 「① 今こうしているあいだ。現在のところ。また、この瞬間。
  ※続日本紀‐天平宝字八年(764)一〇月一四日・宣命「今乃間(いまノま)此の太子を定め賜はず在る故は」
  ※和泉式部集(11C中)上「いまのまに君やきませやこひしとて名もあるものをわれ行かめやは」
  ② (「に」を伴うことが多い) たちまち。またたく間に。見ているうちに。
  ※狂歌・新撰狂歌集(17C前)下「いまの間にほとけは二躰出来たりばうずはやくし我はくはんをん」

とある。②の意味であろう。
 前句を空也忌の空也念仏とする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「空也忌」の解説」に、

 「〘名〙 空也上人光勝の忌日。陰暦一一月一三日に、京都空也堂で修する法会(ほうえ)。高らかに念仏を唱え、鉦(しょう)をたたき、竹杖で瓢箪(ひょうたん)をたたきながら京都の内外を回る。上人の入寂(にゅうじゃく)は「元亨釈書」には天祿三年(九七二)九月一一日とあるが、上人が康保二年(九六五)一一月一三日京都を出て東国化導に赴く際、この日を忌日とせよといったのに起こるという。《季・冬》 〔俳諧・毛吹草(1638)〕」

とある。この空也念仏の僧がやってくると、瞬く間に時雨が降ってくる。

2021年7月12日月曜日

 左翼をよりよく理解するには、まず彼らのアイデンティーを理解するのが大事だ。和辻哲郎の戦後間もない頃にかかれた『倫理学』の下巻に、

 「われわれの同胞のうちの或人たちが、『自分はフランスに生るべきであった』とか、『自分はイギリス人として生れたかった』とか、といふ如き嘆聲を、心の底から洩らしてゐるとしても、さういふ嘆聲そのものがすでに顕著に日本である。生粋のフランス人やイギリス人は決してさういふ嘆聲を發しはしないのである。」

と書いている、この人たちの末裔が今の左翼だ。
 これは必ずしも戦前の共産主義者だとか無産主義者だとか言われた人たちとは連続していない。敗戦のショックと占領下でこのまま日本がなくなるという不安の中から、日本を捨てたいという気持ちから出てきたものだ。日本がなくなるなら早めに先手を打って、自分から西洋人になりたいという願望だ。日本が滅んでも西洋人に成り切れば生き残れるという発想だ。
 スタジオジブリのアニメ映画の『思い出のマーニー』は舞台を日本にして、自分の出生の秘密を一種の貴種流離譚の様に描き出している。あるいは「醜いアヒルの子」のパターンで。
 今日でも有名なパヨチン女性が、日本はもうすぐ中国になるから今から中国語を勉強している、と言っていたのも同じ感覚だ。
 別にフランスやイギリスや中国の文化を深く知って、愛しているわけではない。ただ、日本という国がなくなった時に日本人が辿るであろう運命に恐怖を覚え、はやく勝ち馬に乗りたいというだけのことだ。だから軽々しく自分は「〇〇人だ」だとか言える。
 そういうわけで戦後の左翼は自分を欧米人だと思い込もうとして、ほとんど欧米の白人に同化するようなアイデンティティーを持っている。だから日本を容赦なく罵倒する。自分がその日本人の一人だということを完全に忘れている。
 欧米でアジア人が差別されていると聞いても、奴らは何とも思わない。奴らは心の中では白人だからだ。BLMデモの時も奴らはデモをしているリベラルの白人に完全に同化している。そして一般の日本人を白人レイシストと同等に扱っている。
 そのパヨチンの反オリンピック闘争だが、奴らは基本的に数が少ないので、大規模な行動を同時多発的に行うことができないから、一番目立つ場所に絞り込んでくる可能性が高い。
 最近の傾向だと香港やミャンマーの影響から通行人を装って突然集まるフラッシュモブデモをやってくるかもしれない。
 あと、右翼を装うというのも最近の傾向だ。

 まあ、世間話はこれくらいにして、本題の風流の方に戻ろう。
 元禄三年春の「日を負て」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
 それでは『西華集』の最終回。

   黒崎
 松虫の啼夜は松のにほひ哉    沙明
   何やら稲の白き月影     琴吹
 此秋を良暹法師こまられて    支考
   机の上に状の書さし     雲鈴
 風さはぐ日和あがりの小鳥ども  帆柱
   夜着見せかけるはたご屋の春 水颯
 石部ほど兀た所も華盛り     一保
   どちらむきても青麦の中   柳生

 第一 不易の眞也風情のいさぎよきものをただ松のにほ
    ひといひなせり無為所着の所は風雅の本情といふ
    べきか
 第二 其場也稲の穂づらの白きも黒きもあるは何やら稲
    といふいねならんと月影になほめかしたる句也
 第三 其人の一轉也ただ田中の草庵の秋の夕部と見るべ
    し

   百人一首      良暹法師
 さびしさに宿をたち出てながむれば
      いづこもおなじ秋の夕ぐれ

 発句は、

 松虫の啼夜は松のにほひ哉    沙明

で、松虫の声に松の匂いを取り合わせる。不易の眞ということで、視覚的なものなしに表現する切り詰めた表現が支考の気に入ったところか。
 沙明は元禄十一年刊諷竹編『淡路嶋』に、

 山出しの庭へはねたる榾の尻   沙明
 寒し座は縁とらぬ萱畳      同

の句がある。
 また、元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、

 早物に残るあつさやてらてら穂  沙明
 雪雲のとり放したる月夜かな   同

などの句がある。

 脇。

   松虫の啼夜は松のにほひ哉
 何やら稲の白き月影       琴吹

 前句の切り詰められた表現に、ここでも月そのものを出さずに稲を照らす光のみに留める。其場也。
 琴吹は『西華集』坤巻には少年とあり、

 山寺やたばこ盆出す梅の花    琴吹
 垣越やそこかここかと瓜に花   同
 山川に疲たる聲や秋の鹿     同

の句がある。

 第三。

   何やら稲の白き月影
 此秋を良暹法師こまられて    支考

 「其人の一轉也」ということで良暹法師を登場させる。

   百人一首      良暹法師
 さびしさに宿をたち出てながむれば
      いづこもおなじ秋の夕ぐれ

と、この有名な歌を引用しているが、「いづこもおなじ」を田んぼの真っただ中でどっちを向いても同じ景色、ということにしたか。

 四句目。

   此秋を良暹法師こまられて
 机の上に状の書さし       雲鈴

 良暹法師が何かに困って手紙を書こうとした。多分「金よこせ」だろう。

 五句目。

   机の上に状の書さし
 風さはぐ日和あがりの小鳥ども  帆柱

 手紙を書きかけて寝てしまったか、朝起きると風は残るが天気は回復して小鳥たちが鳴いている。 こうやって朝起きて改めて書きかけの手紙を見ると、結構恥ずかしかったりする。
 帆柱は元禄十一年刊諷竹編『淡路嶋』に、

 あたまから雪一へんの山家哉   帆桂

の句がある。
 また、元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』には、

 朝鷹の挑燈で出るたんぼかな   帆柱

の句がある。

 六句目。

   風さはぐ日和あがりの小鳥ども
 夜着見せかけるはたご屋の春   水颯

 場面を旅籠屋の朝とし、旅体に転じる。
 水颯は元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、

 草あつし蚓のおよぐ馬の尿    水颯
 早起や花またくらき雉子の聲   同

の句がある。
 また元禄十一年刊浪化編『続有磯海』の、

 五六軒蔦のもみぢや松ののし   水札

は水颯のことと思われる。元禄十一年刊諷竹編『淡路嶋』にも、

 年の夜の豆腐も焼て鳴ちどり   水札
 鶯や朝は朧に放し飼       同

の句がある。当時の人は音があっていれば字にはそれほどこだわらなかった。

 七句目。

   夜着見せかけるはたご屋の春
 石部ほど兀た所も華盛り     一保

 旅籠屋のある所を東海道の石部宿とする。近江国で草津と水口の間。石灰岩の産地になるのはもう少しあとのことと思われるが、山が石灰岩質で禿げた所もあったのだろう。
 一保は元禄十一年刊諷竹編『淡路嶋』に、

 春風や寐てゐる鹿に磯の波    一保
 あのやうに泣るるものか涅槃像  同

の句がある。
 また、宝永元年刊去来・卯七編の『渡鳥集』に、

 一日の息つきながす青田哉    一保

の句がある。

 八句目。

   石部ほど兀た所も華盛り
 どちらむきても青麦の中     柳生

 石部宿を離れて石の多い禿げた土地として、稲作に適さず、麦の産地とする。
 柳生は『西華集』坤巻に、

 蔦紅葉先からさきの木末哉    柳生

の句がある。


豊前
   小倉
 松笠や背中にひとつ菊の花    有觜
   ススキに月のそよぐ雪隠   松深
 野屋敷に米つく秋の夜は更て   支考
   金で寐られぬ僧の下帯    雲鈴
 洗濯に淀の男のいにたがり    不繋
   蕗にかりきをうりありく朝  玉龍
 卯の花にほの字もきかす郭公   松深
   いつもさびしき猿丸のかほ  有觜

 第一 流行の草也園の菊など詠め居たらんに松笠のばた
    りと背中にあたりたるをそほと見むきたるさま也
    此策は手をはなちてあやふき所なればいかでかは
 第二 其場也家をはなれて遠き雪隠と見るべし萩薄の月
    にそよぎたるを薄に月のといひなせる錯綜の句法
    ならん
 第三 其場の一轉也雪隠の遠きはいづこならんとかさね
    て場をさしたる也隣もまれに淋しきありさま句中
    すべておもむきを得たり

 発句は、

 松笠や背中にひとつ菊の花    有觜

で、松笠が背中に落ちたので振り向くと菊の花があるという句。
 特に菊の本意によるものではなく、菊の頃は季節的に松笠が落ちやすいということだろう。
 この頃の新味に含まれるものだったのか、支考は「流行の草」としている。
 「此策は手をはなちてあやふき所なれば」は同巣の句がいくらでも作れそうということか。
 有觜は『西華集』坤巻に、

 ちらちらと桜散込入湯かな    有觜
 あらそひははてずや雨のきりぎりす 同

などの句がある。

 脇。

   松笠や背中にひとつ菊の花
 ススキに月のそよぐ雪隠     松深

 薄に月はその季節のもので「雪隠」が其場也になる。それにしてもここで雪隠ネタか。松笠は古俳諧では「松ふぐり」でネタにしていたので、その縁か。

 第三。

   ススキに月のそよぐ雪隠
 野屋敷に米つく秋の夜は更て   支考

 野屋敷は其場也になる。薄に月の季節で獲れたばかりの米を精米する米搗きを付ける。

 四句目。

   野屋敷に米つく秋の夜は更て
 金で寐られぬ僧の下帯      雲鈴

 野屋敷は米を搗き、僧坊では金に困っているという違え付けか。「金」の取り方によってはチンポジネタともとれなくはないが。

 五句目。

   金で寐られぬ僧の下帯
 洗濯に淀の男のいにたがり    不繋

 淀は伏見の南。今は競馬場がある。やはり洗濯だと言いながら伏見の歓楽街の方へ行くのか。

 六句目。

   洗濯に淀の男のいにたがり
 蕗にかりきをうりありく朝    玉龍

 かりきは刈り取った木のことか。燃料にはなるけど小銭程度にしかならないだろう。
 洗濯屋は卑賤視されていたから、河原者と見たか。

 七句目。

   蕗にかりきをうりありく朝
 卯の花にほの字もきかす郭公   松深

 「ほの字」というと今日では惚れるということだが、この時代からある言い回しで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ほの字」の解説」に、

 「〘名〙 (形動) (「ほ」は「ほれる(惚)」の語頭の一字) ほれること。また、そのさま。
  ※評判記・寝物語(1656)二〇「けいせいの、ほの字成知音に、すり切有。此品は是如何」
  ※浄瑠璃・平家女護島(1719)三「そもじにたんとほのじじゃと」

とある。
 ただ残念ながら卯の花に鳴くホトトギスには恋の情もなく、ただ生活のために蕗とかりきを売り歩く。

 八句目。

   卯の花にほの字もきかす郭公
 いつもさびしき猿丸のかほ    有觜

 猿丸大夫というのは謎の歌人だが、ここでは、

 時鳥なが鳴く里のあまたあれば
     なほ疎うとまれぬ思ふものから
             猿丸大夫(古今集)

の歌であろう。この歌から恋の情を抜いてしまうと、確かに猿丸大夫が疎まれているように読める。


   下関
 新敷笠は案山子の参宮哉     流枝
   松に日のさす磯の朝月    柳江
 此秋の名残を下の關に居て    支考
   抱て通れば余所の子を見る  蘆畦
 そよめかす菖蒲の風の一しきり  龍水
   畳かへにてさつと吸物    嘯雲
 うつすりと鷹場の雲に成にけり  琴口
   遠寺の鐘に帰る市人     捨砂

 第一 流行の草也案山子のたまたまあたらしき笠きたる
    は物まゐりの出立ならん物の情を動して比興した
    る句也
 第二 其場也海道の松の磯につづきて朝日のさしのぼる
    比は旅人もかく見まかひぬべき朝日のあしらひい
    とよし
 第三 行脚の観相也時宜也今宵此所にありて比秋の名残
    も長月ばかりの三千里の雲水も此下の關に行かへ
    りて第三の名残までもおしまば是おしむべし

 発句は、

 新敷笠は案山子の参宮哉     流枝

で、「新敷」は「あたらしき」。
 案山子がなぜか新しい笠を被っていたので、さてはお伊勢参りにでも行くのか、という句。
 案山子の本意ではないが、ますます盛んになるお伊勢参りに、時代の流れに乗ったようなネタで、神祇の目出度さも備えている。こういうのは「流行の草」になる。
 流枝は『西華集』坤巻に、

 身を捨る薮もなければ秋の暮   流枝
 大雪は松に音なき寐覚哉     同

の句がある。

 脇。

   新敷笠は案山子の参宮哉
 松に日のさす磯の朝月      柳江

 参宮という所で夜明けの磯の松に伊勢の景色を感じさせる。

 第三。

   松に日のさす磯の朝月
 此秋の名残を下の關に居て    支考

 これは支考自身の今の旅の感想であろう。この秋を名残にして、下関まで戻ってきて、前句をその下関の景色とする。

 四句目。

   此秋の名残を下の關に居て
 抱て通れば余所の子を見る    蘆畦

 「下の關に居て余所の子を抱て通れば此秋の名残を見る」の倒置であろう。余所の子は何らかの理由で親が育てられなくなったのだろう。捨子に秋の風いかに。
 蘆畦は『西華集』坤巻に、

 ちる花や今年の欲も是ばかり   蘆畦
 名月や物音もせずそこな船    同

の句がある。

 五句目。

   抱て通れば余所の子を見る
 そよめかす菖蒲の風の一しきり  龍水

 端午の節句で我が子の元気にと祈れば、余所の子も同様に思う。
 龍水は『西華集』坤巻に、

 玉祭り馳走に逢て禮うれし    龍水

の句がある。

 六句目。

   そよめかす菖蒲の風の一しきり
 畳かへにてさつと吸物      嘯雲

 菖蒲の風も爽やかだが、新しい畳の薫りにお吸物と、さわやかな香りに満ち溢れている。

 七句目。

   畳かへにてさつと吸物
 うつすりと鷹場の雲に成にけり  琴口

 「うっすり」はうっすら。将軍や大名などの鷹狩りをする場所は薄っすら雲がかかってきたので、鷹狩は一休みして吸物を召し上がるということか。
  琴口は『西華集』坤巻に、

 此凉み船に屏風のなきばかり   琴口
   借宅
 我宿は明日刈粟の雀哉      同

の句がある。

 八句目。

   うつすりと鷹場の雲に成にけり
 遠寺の鐘に帰る市人       捨砂

 前句を夕暮れの景色として遠くの寺で入相の鐘が鳴り、市人は帰って行く。瀟湘八景の「烟寺晩鐘」であろう。

2021年7月11日日曜日

 昨日はよく晴れて暑い日になった。夜には雷が鳴った。このまま梅雨が明けてくれればいいのにな。
 昨日のBBC.comの日本版にはこう書いてあった。

 「一方で、日本では2月にワクチン接種が始まったばかりで、他の先進国から後れを取っている。
 日本の人口は1億2600万人近いが、9日時点で接種が完了しているのはわずか15%強に留まる。」

 一方、BBC.comの英語版のgoogle翻訳はこうだ。

 「しかし、これまでに、国の人口の26%強が少なくとも1回の接種を受けており、約15%が完全に予防接種を受けています。
 米国とドイツのほとんどの人は1回の服用をしました。そして英国では、60%以上が持っています。
 日本は他のほとんどの先進国よりも遅い2月に人々に予防接種を始めただけです。
 ファイザージャブは、数ヶ月間、日本で唯一承認されたワクチンでした。
 日本は国際的に行われた試験と並行して独自の試験を行うことを主張したため、このプロセスには時間がかかりました。」

 情報そのものに間違いはないが、この差は一体何なんだろうか。
 左翼のオリンピック潰しはこれからもあの手この手で行われ、おそらく日本が永久にオリンピックを呼べなくなるまで続くのではないかと思われる。そういうわけで、今回のオリパラは開会式を犠牲にしてでも、試合が安全に開催されることに全力を注ぐべきだと思う。
 一応傾向と対策だが、奴らは反安倍闘争や沖縄の基地反対闘争をやっているのと同じ連中だから、行動パターンはそれを参考にすれば大体読める。注意すべきなのは、カメラの廻ってるところで大声を上げるのと、公道を封鎖するという二つの作戦だ。ただ、ネットで煽られて単独で行動する奴も現れる可能性が高いので、それを防ぐのは難しい。ツールドフランスを参考にするかもしれない。
 まあ、いろいろあるけど、風流の方は今まで通り続けよう。元禄三年春の「鶯の」の巻鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
 それでは『西華集』の続き。

   福岡
 一寐入して面白し秋の蚊帳    東背
   南に月のさし廻る窓     酉水
 竹伐によし野の嵐吹あれて    支考
   さびしき人の見えわたりけり 桂舟
 膳組はひしほの煎物柿鱠     稱求
   いつの用にか手鑓かけ置   雲鈴
 照あかる里ははたはた麥ほこり  野芋
   ちいさい宮の松二三本    元水

 第一 不易の眞也日暮の酒によひなして帯だにとかであ
    りしをそばなる人はねずやありけむと物うちいひ
    たるといろよし
 第二 其場也宵の間は藪にかくれたる月影のくまなく南
    にさしまはりたる蚊屋のそひ寐もひやひやとしみ
    わたりていかなる人にかと心にくし
 第三 時節也竹きる比の嵐ならば夜半の気色も洗ひたる
    やうにあらんによし野の里のかくれ家こそ殊更に
    いふまじけれ

 発句は、

 一寐入して面白し秋の蚊帳    東背

で、これも大橋での「かりの世の住ゐや蚊屋に顔ばかり 柳浦」の句と同様、何人か友と一緒の蚊帳で寝た時の句のようだ。
 一寝入りして起きたあと、同じ眠ってない友と語らったりする面白さということなのだろう。
 不易の眞とあるように、特に目新しさはない。
 東背は『西華集』坤巻に、

 盆三日冥途はちかし馬の鈴    東背

の句がある。

 脇。

   一寐入して面白し秋の蚊帳
 南に月のさし廻る窓       酉水

 其場也で、蚊帳を吊った秋の部屋には南に月の光の射す窓がある。
 酉水は『西華集』坤巻に、

 糸ゆふに見送る果や帰雁     酉水

の句がある。

 第三。

   南に月のさし廻る窓
 竹伐によし野の嵐吹あれて    支考

 竹伐る頃は時節になる。竹は旧暦八月に伐るのが良しとされている。名月の頃に重なる。
 時節だけでなく、場所も吉野とする。西行庵の俤であろう。

 四句目。

   竹伐によし野の嵐吹あれて
 さびしき人の見えわたりけり   桂舟

 「さびし」は「うし」と対で用いられるもので、隠棲生活にまだ慣れず、世俗の嫌なことがまだ思い起こされる間は「うし」で、隠棲生活が長くなり、浮世の嫌なことも忘れてくると「さびし」になる。「さびしき人」は長く吉野で暮らしている隠遁者ということになる。

 五句目。

   さびしき人の見えわたりけり
 膳組はひしほの煎物柿鱠     稱求

 膳の上にはひしほ味噌の煎ったものと柿の膾があるだけで、これは淋しい。

 六句目。

   膳組はひしほの煎物柿鱠
 いつの用にか手鑓かけ置     雲鈴

 手鑓は柄が九尺以下の短めの槍。コトバンクの「世界大百科事典内の手鑓の言及」に、

 「…江戸時代の柄は太刀打(たちうち)といって,茎のはいる部分を千段巻にしたり,青貝叩(あおがいたたき)に塗って,その下部を麻糸で鏑(かぶら)巻に巻いて血どめとしている。長さは6尺または9尺の〈手鑓(てやり)〉から一丈(約3m)ないし2間(1間は約1.8m),3間に及ぶ〈長柄(ながえ)〉があり,アカガシを材として,江戸時代以前には素地(きじ)の柄が多く,長柄には狂わぬように割竹をあわせて魚膠(にべ)で練りつけた打柄が用いられた。塗柄としては,黒漆塗や青貝叩があり,皆朱(かいしゆ)の柄は武辺者に限られた。…」

とある。
 謡曲『鉢木』の佐野源左衛門尉常世のような、「いざ鎌倉」に備えている貧乏武士の俤か。

 七句目。

   いつの用にか手鑓かけ置
 照あかる里ははたはた麥ほこり  野芋

 これは其場也時候也であろう。いつの日にか役立てんと手鑓を持っている者の住んでいるのは麦畑の里で、麦刈が行われ、麦埃が立つ。麦埃はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「麦埃」の解説」に、

 「〘名〙 麦刈りの頃、麦打ちなどのためにたつほこり。《季・夏》
  ※俳諧・七柏集(1781)俳関興行「秋来ぬと目にも妻にも麦埃〈沙羅〉 風をいたみし物思ひ顔〈蓼太〉」

とある。

 八句目。

   照あかる里ははたはた麥ほこり
 ちいさい宮の松二三本      元水

 麦の里に小さな神社と松の木を配し、神祇に転じる。
 元水は『西華集』坤巻に、

 茸狩や戻りは常の小芝原     元水

の句がある。


   仝
 三日月もとぼしたらずや道一里  素計
   風吹すかす早稲の畔刈    連山
 盆に出る村の乞食か綾をりて   支考
   果ては泣あふ子どもいさかひ 雲鈴
 鶏の追あけらるる屋根のうへ   江立
   道具に雪のかかる煤はき   梅川
 何時かしれぬ日和の終暮て    不及
   鹽した魚に猫の気づかひ   唐春

 第一 流行の眞也たのみ出たる三ヶ月の影も河越す時は
    くらかりしをとぼすといひなしたる一時の流行也
 第二 其場也わせのくろかりといへば里ちかきあたり也
    風吹すかすといひて闇のけしきをさだめたる也
 第三 其一の一轉也里は畔かりの米にとりつきてかかる
    物もらひも門にたたせたる盆の心のさしめきなら
    ん

 発句は、

 三日月もとぼしたらずや道一里  素計

 三日月は夕暮れの空に現れてすぐに沈んでしまうので、道を明るくする効果はほとんどない。名月が明るさを本意とするのに対し、三日月の暗さに目を付けたところでは一応これも流行になるのだろう。「眞」というのは、結局そんなに面白くはないということか。

 脇。

   三日月もとぼしたらずや道一里
 風吹すかす早稲の畔刈      連山

 その場の景色を付ける。其場也。早稲の畔(くろ)刈は里近き辺りだという。
 連山は『西華集』坤巻に、

 鶉より先明て見む一夜酒     連山

の句がある。

 第三。

   風吹すかす早稲の畔刈
 盆に出る村の乞食か綾をりて   支考

 第三は転じるもので、前句の早稲が収穫されて米があるということから、乞食坊主が
 「綾をりて」はよくわからない。綾を織るわけではないだろう。綾居るという言葉があったのか。

 四句目。

   盆に出る村の乞食か綾をりて
 果ては泣あふ子どもいさかひ   雲鈴

 お盆の賑わいで、乞食もいれば喧嘩する子供もいる。

 五句目。

   果ては泣あふ子どもいさかひ
 鶏の追あけらるる屋根のうへ   江立

 鶏が逃げたので誰が逃がしたの責任を擦り付け合ったか。
 江立は『西華集』坤巻に、

 菜の花に葺萱かかる嵐哉     江立
 夜食にははづれてねむき碪哉   同

の句がある。

 六句目。

   鶏の追あけらるる屋根のうへ
 道具に雪のかかる煤はき     梅川

 年末の煤払いで邪魔扱いされた鶏が屋根の上に逃げる。

 七句目。

   道具に雪のかかる煤はき
 何時かしれぬ日和の終暮て    不及

 何時になるのだろうか、煤掃きをしていたら雪が降り出し、日も暮れて行く。
 不及は『西華集』坤巻に、

 又来ては嵐のなぶる小萩哉    不及

の句がある。

 八句目。

   何時かしれぬ日和の終暮て
 鹽した魚に猫の気づかひ     唐春

 日暮どきで魚に塩を振って焼いて食べようとするが、猫に取られないように気を付けなくてはならない。

2021年7月10日土曜日

 昨日の首相官邸のホームページでは七月八日の時点でのワクチン接種者数が57,350,224回と一日二百万人を越えるペースで加速している。ワクチン不足はやはりデマだったか。
 二回目の接種を優先させているせいか、二回接種を終えた65歳以上が43パーセントになっている。
 オリンピックの開会式だが、全員の入場行進なんてだらだら時間食うだけで、せいぜい代表三十人くらいまで絞った方が良いのではないか。有名選手だけテレビに映してくれればいい。
 あと来賓の挨拶はせっかく新国立にハイビジョンがあるんだから、リモートの方が安全でいいんじゃないかな。
 とにかく競技を無事に終えることが第一だ。旧弊を廃して次の時代のオリンピックへの道筋をつけられたなら、それが我々の勝利だ。
 あと元禄二年冬の「暁や」の巻鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それでは久しぶりに『西華集』の方を。

筑前
   博多
 朝顔に留守をさせてや鉢ひらき  舎鷗
   夜雨に月の残る深草     昌尚
 鶉にも何にもならぬ恋をして   支考
   うきを身につむ奉公の金   雲鈴
 菖蒲湯に明日の節句をささめかし 正風
   約束したる物とりに来る   一知
 じだらくに人の傘指まはり    一風
   團子であそぶ庚申の宵    和水

 第一 流行の行也朝顔に寐過て見さらんは我宿のならひ
    もあるに鉢ひらきの朝霧わけ出てはむなしきかき
    ねにのみさかせたらんは花もさこそとおもひやら
    るれ
 第二 其場也身を深草のあたりときけばまづしくて住め
    るもあらん又富にあきてわびたるもあらんけだし
    貧富のさかひにはをらで佛のみちまねびたらん今
    の世はいさしるまじ
 第三 曲也ただにあだなる一夜のちぎりに名もしらぬ人
    の恋しくて夜雨の月のみながめ残したるしののめ
    さまいとしるべしただ深草のうつつとおもひよせ
    たるなり

   伊勢物語
    野とならば鶉となりて啼をらん
    かりにだにやは君はこざらむ

 発句は、

 朝顔に留守をさせてや鉢ひらき  舎鷗

で、「鉢ひらき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鉢開」の解説」に、

 「〘名〙 (「はちびらき」とも)
  ① 鉢の使いはじめ。
  ※咄本・醒睡笑(1628)七「今日の振舞は、ただ亭主の鉢びらきにて候」
  ② 鉢を持った僧形の乞食。女の乞食を鉢開婆・鉢婆という。鉢坊主。乞食坊主。
  ※菅浦文書‐(年月日未詳)菅浦惣村掟法「堂聖・鉢ひらき除レ之事」

とある。
 朝早く托鉢に出る鉢坊主は朝顔を見る暇もないが、それを「朝顔に留守をさせて」と逆説的に言う。
 鉢坊主の生活への共鳴を笑いを交えて表現する手合いは見事だし、「流行」という評価は「面白い」と言い換えても良いのではないかと思う。
 舎鷗は『西華集』坤巻に、

 其銭で米買にけり菖蒲売     舎鷗
 秋の蚊の聲遠さかる出船かな   同

の句がある。

 脇。

   朝顔に留守をさせてや鉢ひらき
 夜雨に月の残る深草       昌尚

 鉢坊主の家を出た辺りの情景であろう。其場也になる。「月」には真如の月の見守る風情があり、雨は降るけど負けるなというメッセージが感じられる。
 昌尚は『西華集』坤巻に、

 鶯や聲より先に尾のはつみ    昌尚
 我宿を腰につけたし富士の雪   同

の句がある。
 また、宝永元年刊去来・卯七編の『渡鳥集』に、

 乗懸の見廻し寒しつるの聲    昌尚

の句がある。

 第三。

   夜雨に月の残る深草
 鶉にも何にもならぬ恋をして   支考

 深草に鶉が付く。前句を後朝のこととして恋に転じる。「曲」には取り成しの意味もあるのか。
 鶉の野の恋は『伊勢物語』百二十三段の、

 野とならば鶉となりて鳴きをらむ
     かりにだにやは君は来ざらむ

の歌が證歌になる。

 四句目。

   鶉にも何にもならぬ恋をして
 うきを身につむ奉公の金     雲鈴

 奉公で得られる金ではとても所帯は持てないな、という嘆きであろう。

 五句目。

   うきを身につむ奉公の金
 菖蒲湯に明日の節句をささめかし 正風

 前句を菖蒲湯につかりながらの風呂屋での世間話とする。「ささめく」はひそひそ話をすることで、現代でも用いられる「さざめく」は大きな声でがやがやすることを言う。
 正風は『西華集』坤巻に、

 盃や蛍にかした宵のまま     正風
 苞柿に寺の名を聞飛脚かな    同

の句がある。

 六句目。

   菖蒲湯に明日の節句をささめかし
 約束したる物とりに来る     一知

 節句のついでに何か約束した物を取りに来る。
 「怠け者の節句働き」という諺もある。普段怠けている奴に限って、みんなが休んでいる時に忙しいアピールをする。
 一知は『西華集』坤巻に、

 河骨の花に夕日や水の泡     一知
 落栗に追付かたし下り坂     同

の句がある。

 七句目。

   約束したる物とりに来る
 じだらくに人の傘指まはり    一風

 人の唐傘を借りっぱなしの奴が、何か約束した物を取りに来たが、だったらどうでもいいから傘をまず返せよ、というところだろう。

 八句目。

   じだらくに人の傘指まはり
 團子であそぶ庚申の宵      和水

 傘を借りっぱなしにする横着な奴は庚申待ちでも団子ばかり食っている、ということか。酒は眠くなるから、庚申待ちは団子だったのだろう。


   仝
 秋風の渡る葉かけや瓜の皺     晡扇
   雀ちらはふ里の粟稗      舎六
 朝月に愛宕のお札くばらせて    支考
   降なともいふ照なともいふ   自笑
 板に挽く堤の松を伐たをし     東有
   旅せぬ人の村でとし寄     自來
 此夏を暮しかねたる身のふとり   萬袋
   夜のふくるほどはてぬさかもり 雲鈴

 第一 不易の行也秋風は物のかなしきといふなれば葉か
    けの瓜も老やしぬらんと風物に情をつけたる作意
    也
 第二 其場也此所人里遠きにもあらず又近きにもあらず
    初秋の風情を句の中にさだめたり
 第三 其人の一轉也げにその比の山里ならばあたごの札
    もおさめがちに粟稗の初穂も手ぢかなるべし

 発句は、

 秋風の渡る葉かけや瓜の皺     晡扇

で、「葉かけ」は「葉陰」か。瓜に皺が寄っているのを見て、自らの顔に皺が寄っているのを老いの兆候として、秋風の情に托す。
 人事風俗などではなく、景物を詠んだものはおおむね不易に分類される。
 晡扇は『西華集』坤巻に、

 目一ぱい正月したる野梅かな    晡扇
 菅笠の推も簸習ふ山路かな     同

の句がある。
 また、宝永元年刊去来・卯七編の『渡鳥集』に、

 墨染や衣の下の衣がえ       哺川

の句がある。

 脇。

   秋風の渡る葉かけや瓜の皺
 雀ちらはふ里の粟稗        舎六

 「ちらはふ」はちらちらと見える、散らばってあちこちにいるという意味だろう。前句の畠の瓜に粟稗の実る貧しい里を付ける。其場也になる。
 舎六は『西華集』坤巻に、

 鉢ひらき朝仕合やけしの花     舎六
 棚経や小僧おぼえてあそこ爰    同

の句がある。
 また、宝永元年刊去来・卯七編の『渡鳥集』に、

 いがみあふ中にうき名や猫の妻   舎六

の句がある。

 第三。

   雀ちらはふ里の粟稗
 朝月に愛宕のお札くばらせて    支考

 京の愛宕神社は山の中にある。住所は嵯峨になる。「天正十年愛宕百韻」は光秀の「時は今」の発句で有名だ。
 愛宕神社のお札といえば「火迺要慎(ひのようじん)」のお札で、京の人にはなじみのある物だ。千日詣りは新暦では七月三十一日の夜から八月一日の早朝だが、旧暦ではいつだったのかよくわからない。多分お札を配るのそのあとで秋だったのだろう。
 前句を嵯峨の辺りとしたのだろう。ただ、この場合は其場也ではなく、嵯峨の辺りにはこういうお札を配る人がいるという其人の一轉也としている。

 四句目。

   朝月に愛宕のお札くばらせて
 降なともいふ照なともいふ     自笑

 前句が火事除けのお札なので、晴れてほしいけど乾燥しすぎて火事が起こるのを心配する。
 自笑は『西華集』坤巻に、

 稲こきの寐ざめもやはり筵哉    自笑
 言伝を又おもひ出す火燵哉     同

の句がある。

 五句目。

   降なともいふ照なともいふ
 板に挽く堤の松を伐たをし     東有

 堤防の松の木を切り倒してしまうと保水力が低下して、水害が心配だ。だからといって日照りも困る。
 東有は『西華集』坤巻に、

 柿の葉にかくれて暑し蝉の聲    東有

の句がある。

 六句目。

   板に挽く堤の松を伐たをし
 旅せぬ人の村でとし寄       自來

 堤の松を伐り倒したのは堤の道を旅することのない人で、生まれた村で一生を終わる年寄りだった。

 七句目。

   旅せぬ人の村でとし寄
 此夏を暮しかねたる身のふとり   萬袋

 前句の年寄りを肥満で夏が辛いとした。
 萬袋は『西華集』坤巻に、

 膝抱て食焼キさびし秋の霜     萬袋
 お袋はそばに湯漬や鰒汁      同

 八句目。

   此夏を暮しかねたる身のふとり
 夜のふくるほどはてぬさかもり   雲鈴

 前句を裕福で毎晩酒盛りして太ったとする。

2021年7月9日金曜日

 緊急事態宣言が発令されるということで、そろそろピークアウトが近いのかななんて思いたくもなるが、一応最悪の事態も考えておこう。
 スプートニクの報道はどこまで本当かわからないが、可能性としてはワクチン接種が進むと、ワクチンのよく効いたウイルスが淘汰され、たまたま効かなかった変異株がより多くの子孫を残す可能性が高い。
 感染は広がっても重症化しなけらば問題はないが、最悪の場合そこで重症化率の高い変異株が広がった場合だ。そうなると今度は変異株に対応するワクチンを作らなくてはならない。インフルエンザのように毎年のように新しい変異株に対応したワクチンが必要になるかもしれない。
 そうなると、既にワクチンの供給網が確立できている国は良いが、そうでないところとの大きな格差が生じることになる。これが国際的に不穏な空気にならなけらばいいが。
 それと、去年もコロナ禍は五年は続くと言ってたが、最近はワクチンが思ったより早く出来たところで早期収束ムードになっているが、やはり五年を見なくてはいけなくなるかもしれない。そうなると、非接触型社会の確立は不可欠になる。テレワークの定着、飲食店や旅行業の転業、国内製造業の促進なども進めていかなくてはいけない。

 それでは古麻恋句合、最終回。

   失寵恋
 子をくふは恋のむくひか因果猫   全阿

 子殺しは多くの動物に見られる。猫も例外ではなく、子猫を食べることもある。
 昔に人は前世の因果だと思ったか。


   不馴恋
 馬下りになくねはづかし田舎猫   千琳

 馬の上に乗って眠っていたら馬が起き上がって降りれなくなったのだろうか。


   増恋
 君が裾定家かづらや二歳猫     酉花

 一歳の時は初恋だったが、二歳になるとセカンドラブ。ただ去年と同じ猫がしつこく通ってくる。さながら定家葛だ。
 テイカカズラはウィキペディアに、

 「テイカカズラ(定家葛、学名: Trachelospermum asiaticum)は、キョウチクトウ科テイカカズラ属のつる性常緑低木。有毒植物である。
 和名は、式子内親王を愛した藤原定家が、死後も彼女を忘れられず、ついに定家葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説(能『定家』)に基づく。」

とある。


   寄舞妓恋
 恋種の猫の狂言明けにけり     堤亭

 歌舞伎は古くは狂言歌舞伎と呼ばれていた。そのため題に「舞妓」とあって狂言を詠む。ともに歌舞伎のことであろう。
 猫の声が静かになると、ああ、恋をテーマにした歌舞伎も終わったんだな、と思う。猫が見栄を切ったりしていたのだろうか。


   旅行猫
 乗かけにそぞろうけとや猫の娶   琴風

 琴風はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus「柳川琴風」の解説」に、

 「1667-1726 江戸時代前期-中期の俳人。
寛文7年生まれ。摂津東成郡(大阪府)の人。江戸で岡村不卜(ふぼく),松尾芭蕉(ばしょう),榎本其角(えのもと-きかく)にまなぶ。元禄(げんろく)4年江戸俳人の秀作集「俳諧瓜作(はいかいうりつくり)」をあんだ。享保(きょうほう)11年2月7日死去。60歳。姓は別に生玉(いくたま),河東。別号に絮蘿架(じょらか),白鵠(はっこく)堂。編著はほかに「豊牛鼻(とようしはな)」。」

とある。


   舟路恋
 いつの間に通ひ来ぬらん唐の種   景帘

 生まれてきた子供に長毛種が混じってなのだろう。いつのまに唐猫が通ってきたのか。よもや船に乗ってきたわけでもあるまいに。
 古代には猫そのものが渡来の物なので唐猫と呼ばれていたが、江戸時代後期になるが、狩野派の唐猫図は長毛で描かれている。長毛種は「むくげ猫」とも呼ばれていた。


   寄蜑恋
 海士ならで君がふすへや竈ねこ   辨外

 海士といえば藻塩焼く海士が古代の歌には詠まれていた。江戸時代では藻塩はすっかり廃れてしまっていた。
 藻塩を焼くというとそのための竈があって、塩釜の御釜神社には「四口(よんく)の神竈(しんかま)」が残されている。
 それとは関係なく、猫は竈で暖を取り、俳だらけになることが多かったので、竈に伏す猫を見て、海士でもないのに、と詠む。


   求媒恋
 吉日をえらめるねこや桜さめ    暁白

 「桜さめ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「桜褪」の解説」に、

 「〘名〙 (「三月の桜ざめ」の略) 変わりやすいことのたとえ。
  ※俳諧・焦尾琴(1701)頌「求媒恋 吉日をゑらめるねこや桜さめ〈暁白〉」

とある。その「三月の桜ざめ」は桜の花がすぐに散ってしまうように恋心がすぐ醒めてしまうことをいう言葉のようだ。
 猫の恋も桜の季節は華やかでいいが、気を付けないとすぐに桜ざめしてしまう。


   まれにあふ
 かい巻に君をねさせて三苻に猫   周東

 「かい巻」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「かい巻」の解説」に、

 「寝具で、掛けぶとんの下に用いる綿入れの夜着(よぎ)の一種。小夜着より小型で綿も夜着より少なく入れ、袖下(そでした)から身頃(みごろ)の脇(わき)にかけての燧布(ひうちぬの)をつけないで仕立てたもの。かい巻はふとんと異なって襟元が完全に包まれるので、肩から風が入らず、また体温の放散を防ぐから、暖かく就寝することができる。表布は無地、縞(しま)が多く、綿織物、紬(つむぎ)など、裏布は無地の新モス、絹紬(けんちゅう)などを用いる。中に木綿綿(わた)(ふとん綿)を入れてふとんと同様にとじ、肩当て、掛け衿をかける。すでに室町時代の『御湯殿上日記(おゆどののうえにっき)』に「御かいまきの御ふく一つまいる」の記録がみられ、広く一般にも普及してきたが、昭和に至って毛布の普及と寝具の洋風化により、今日では利用度が以前に比し減少する」

とある。
 三苻はよくわからない。苻は割符や護符などの「符」か。


   寄雨恋
 春雨や瓦灯も細き留守居猫     堤亭

 瓦灯はお寺によくある瓦灯窓のこと。春雨の降る中、瓦灯窓の障子を細く開けて猫が外を見ている。


   寄聲恋
 焼物や泪にこもる蔵のねこ     里東

 焼物をひっくり返して壊して、蔵に閉じ込められてしまった。蔵の中から悲し気な声がする。


   人にこせうのこをふりかけられて
 耳ふつてくさめもあへず鳴音哉   其角

 「こせう」は胡椒。胡椒でくしゃみをするのは、近代の漫画でもお約束。
 猫も胡椒を掛けられれば耳を降って振り払いながら、くしゅん、くしゅんとくしゃみして哀れな声で鳴く。


   座禅のそばにひざまづきて
 おもひ切れねらふ夜半の眼にて   朝叟

 猫の夜中の眼は昼間の糸目とは逆にまん丸に大きく開いている。座禅する横に座ってた猫が何かを悟って恋の思いを断つことができたか、急に目をかっと見開く。実際は何か獲物を見つけたからだろう。


   遊禅林
 うたたねをゆり若猫や二十日草   三弄

 「二十日草」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「二十日草」の解説」に、

 「〘名〙 植物「ぼたん(牡丹)」の異名。
  ※曾我物語(南北朝頃)七「いかにさくとも二十日くさ、さかりも日数のあるなれば、花の命も限り有り」

とある。お寺の庭に牡丹は付き物とも言える。
 ゆり若猫は百合若大臣からきているが、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「百合若大臣」の解説」に、

 「[1]
  [一] 伝説上の英雄の名。伝説をもとに幸若舞や説経節の「百合若大臣」の主人公として脚色される。
  [二] 幸若舞の曲名。室町時代末期成立。百合若大臣を主人公とする英雄物語。嵯峨の帝の時代、左大臣きんみつの子の百合若大臣(大和国長谷観音の申し子)が蒙古襲来に大将として出陣する。海戦で大勝した百合若大臣が帰途玄海の孤島で一休みするうちに眠りこみ、家来の別府兄弟の悪計で置き去りにされる。のち、その島に漂着した釣り人の舟で帰国した百合若大臣は、九州を支配していた別府兄弟を成敗し、さらに上洛して日本国の将軍になる。のち、説経節としても語られ、また、近松門左衛門作「百合若大臣野守鏡(ゆりわかだいじんのもりのかがみ)」などの浄瑠璃にも影響を与えた。「大臣」ともいう。
  [2] ((一)の話から) 前後も知らず眠りこむこと。また、その人。
  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第七「月は夜昼は何また遊山好(すき) 露に乱れてゆりわか大臣」

とあるように、玄海の孤島で眠り込んだエピソードから、すぐ寝ちゃう奴のことを揶揄して「百合若」と言っていたようだ。
 猫も寝るのが仕事と言われるくらいよく寝るから、猫はみんな百合若なのではないかと思う。
 猫は座禅はしないが、手足を畳んで香箱を作っているうちに目を閉じ、そのまま寝てしまうことは多い。そうなるとだんだん頭が下に下がってくる。それが座禅の途中で寝てしまう人に似ていて、「揺り起こす」に掛けて百合若猫を導き出している。


   潜上猫若ねこにかたりて曰
 秋來鼠輩欺猫死 窺翁翻盆攪夜眠
 聞道狸奴將數子 買魚穿柳聘銜蟬
 (秋が来て鼠たちが猫が死んでこれ幸いと、
 甕を窺いお盆をひっくり返し夜の眠りを攪乱す。
 聞く所によると狸の奴に子どもが数匹いるというので、
 魚を買い柳の枝に差して銜蟬を召喚す。
 
 最後に漢詩を一つ。これは黄庭堅の「乞猫」という詩。(ネット上の『詩詞世界 全二千六百首 碇豐長の詩詞』を参照。)「翁」は甕の間違い。「銜蟬」は伝説の猫で鼠捕りの名人だったという。
 前書きは其角によるものだろう。潜上は僭上(せんしゃう)で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「僭上」の解説」に、

 「〘名〙 (形動) (「せんじょう」とも)
  ① 臣下、使用人などが、身分を越えて長上をしのぐこと。分をわきまえずにさし出た行ないをすること。また、そのさま。
  ※本朝文粋(1060頃)一・孫弘布被賦〈源英明〉「及下彼潔二身於相府一、流中誉於明代上、管仲之有二三帰一、僭上可レ嫌」
  ※太平記(14C後)二三「此の中夏の儀蛮夷僭上(センシャウ)無礼の至極是非に及ばず」 〔漢書‐食貨志上〕
  ② 分を過ぎた贅沢をすること。おごりたかぶること。みえをはること。また、そのさま。過差。
  ※仮名草子・犬枕(1606頃)「はなしにしまぬ物 一 せんしゃうの事」
  ※評判記・色道大鏡(1678)一三「惣じて当郭の傾城の心を量るに、大かたうは気にて、僣上(センシャウ)をもととす」
  ③ 大言壮語すること。ほらを吹くこと。また、そのさま。
  ※咄本・当世軽口咄揃(1679)一「物ごと専少(センシャウ)ゆいたがる江戸商人」

とある。自らをへりくだっての自称であろう。
 詩の後に解説分が続く。

 「山谷カ猫ヲ乞フ詩也。猫死テ大勢ノ鼠ドモ秋ノ夜スガラアレマハルホドニ山谷ヲモアナヅリテ盆皿鉢ヲ打カヘシテ姦シクテネラレヌト也。サレバ猫ヲモラヒテ畜ントナリ。此比キケバ家ノ後園ニ狸共子ヲイツクモ産ミクルホドニ猫ガ居ルトシラバ一類ナレバ悦ビテ魚ヲ買テ柳ノ枝ニサシ貫ネテ人ノ如クニ禮聘シテ祝儀ヲ述ヌベシト也。䘖蟬トハ猫ノ異名也。花山院ノ御製ニモ
 敷島のやまとにはあらぬから猫を
     きみがためにと求め出たる
  と俳諧にてりそうせらるる證句には
 猫のつま竈の崩れより通ひけり   翁
 天水やたかひに影を猫のつま    卜尺
 おもふこといはで只にやん己が恋  一鐵
 猫のつま夫婦といがみ給ひけり   卜宅
  はばかりなくぞ申ける」

 山谷は黄庭堅の号で当時は山谷の呼び方の方が一般的だった。白居易が楽天で通っていたようなものだ。「山谷ヲモアナヅリテ盆皿鉢ヲ打カヘシテ」は「窺翁翻盆攪夜眠」をそのまま読むとこういう解釈になり、翁は山谷のことになる。
 花山院御製の歌は『夫木和歌抄』所収の歌で、日文研のデータベースでは「きみがためにと」ではなく「きみがためにぞ」になっている。
 これは俳諧でこれだけたくさんの猫の句を扱ったことに前例がなく、猫が俳諧の題としてふさわしいことを漢詩や和歌を例にとって述べたものと思われる。
 まあ、相変わらず歌学とか漢詩とかの権威筋は、俳諧は卑俗だということで攻撃してたのだろう。そこで猫は漢詩にも和歌にも詠まれている事実を示したわけだ。
 和歌の場合は證歌だが、それに更に加えて芭蕉の句を證句として挙げている。

 猫のつま竈の崩れより通ひけり   芭蕉

 延宝五年のまだ桃青だった頃の句だ。
 他にもやはり延宝の頃の芭蕉のお世話になっていた卜尺や『談林十百韻』に参加した(卜尺も参加している)一鐵、『桃青門弟独吟二十歌仙』(延宝八年刊)に参加していた卜宅の名前が並んでいる。
 老いた其角にとって、こうした名前は青春の甘い思い出だったのだろう。其角もまた若い頃の成功体験に縛られて、芭蕉の新風についていけずに談林時代に逆戻りしていった。
 其角に限らず、ほとんどの門人は、芭蕉と出会い、輝かしいデビューを飾った頃の作風を終生守り続けている。その方が自然で、生涯新風をもとめて変わり続けた芭蕉の方が化け物だったのかもしれない。それゆえにただ一人「俳聖」の二つ名を得たともいえる。

2021年7月8日木曜日

 ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021の中止が昨日発表された。感染拡大を受けて茨城県医師会の要請を受けてのことのようだ。
 無念に思う気持ちはわかるが、「音楽を止めるな、フェスを止めるな」という気持ちはアスリートだって一緒で、彼らだって「スポーツを止めるな、オリパラを止めるな」と言いたいんだと思う。どうして分断されちゃったのか、どうして一緒に戦えなかったのか。
 オリンピックも派手さを求めず、ただ競技が無事に進行できるようにすることだけに集中した方が良い。この状況下ではとにかく開催することに意義があると思った方が良い。それ以上欲を出さないことだ。質素で慎み深いオリンピックが後になれば日本の誇りになる。
 左翼の連中は短絡的だから医師会がオリンピック推進派だと思って、今回の件もオリンピックをやるために潰されたと騒いでいる。
 日本医師会は基本的に開業医を中心とした圧力団体で、政府の力を利用するために自民党を支持しているにすぎない。コロナ下での彼らの望んでいるのは、コロナとは関わりたくないということだ。感染爆発を起こして医療崩壊が起きれば、彼らもコロナ治療の方に駆り出される。それを防ぐのが彼らの狙いだ。
 だから日本医師会としてはオリンピックについて明確な言明を避けてはいるが、都の医師会ははっきりと中止を要請している。政府の力を利用している手前、あいまいな態度はとっていても、基本的にはオリンピックはやめて欲しいと思っている。
 だから、今回のフェスの中止はオリンピック中止に向けての「外堀を埋める」作業ではないかと思っている。だからこそ、ミュージシャンとアスリートがここで仲間割れしている場合ではない。
 余談だが、大坂なおみさんに「早くアメリカ人になれ」と言っている連中は、どこか昔の北朝鮮帰還運動の匂いがする。アメリカが黒人差別のない理想の国だとでも思っているのかな。

 それでは古麻恋句合の続き。

   進恋
 君や来し面はうつつの出合ねこ   春船

 夢ではなく本物のあなたが通ってきた。これで恋も進む。
 「面」には「ツラ」というルビがある。


   寄風俗恋
 立すがた今も祇園の娘ねこ     白獅

 祇園は牛頭天王を祀った祇園社(近代には八坂神社になった)を中心とした当時の京の随一の繁華街で、最新の風俗で賑わった。
 祇園の娘ねこというとさぞかし綺麗な首輪を着けた娘猫なのだろう。


   忍切恋
 忍ぶ夜を水鉄砲や光ねこ      潘川

 猫を追っ払うのに水を掛けるのはよくあるが、水鉄砲まで用意したか。「光ねこ」は光源氏のようにしつこい猫なのか。


   人傳恋
 蒲公や明た袋へよめりねこ     波麦

 蒲公英(たんぽぽ)は一応『本朝食鑑』に菜類とされているようだが、好んで食べられてたとは思われない。西洋や韓国には蒲公英のサラダがあるが、おそらく日本では菜類を生食する習慣がなかったからだろう。
 むしろ蒲公英は観賞用とされ、ここでは猫を袋に入れて蒲公英を添えて運ばれてきたということか。


   寄雪恋
 姥がよぶ伏見常盤かやどる猫    紫紅

 伏見常盤はコトバンクの「世界大百科事典 第2版「伏見常盤」の解説」に、

 「幸若舞の曲名。盤は槃,磐と書く場合もある。作者不明。室町時代の成立。《平治物語》に材を得た作品で,平治物に分類され,常盤物と分類されることもある。常盤御前は院に仕える女房であったが,たいへんな美女で,院で行われた美人競べに選ばれるほどであった。17歳のとき,院から源義朝に与えられ,3人の子どもを生む。義朝が平治の乱に敗走し,殺されたのを知った常盤は清水寺に詣でて子どもの行末を祈願し,坊の聖の忠告に従って大和国に落ちることにする。」

とある。
 雪の中を牛若丸を連れて苦労して都を脱出する「されど母は強し」といった話がメインになっている。
 雪の中を行く猫を常盤御前に見立てて、姥が情けをかけ、雪宿りを促す。


   寄雲恋
 逢はぬ夜は高間の雲か頭痛ねこ   紫紅

 「高間(たかま)の雲」は和歌では葛城の神の物語に結び付けれて用いられている。

 葛城や高間の雲のいかにして
     よそなるなかの名にはたつらむ
              二条為世(新続古今集)

などの歌がある。
 葛城の神はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「葛城の神」の解説」に、

 「奈良県葛城山の山神。特に、一言主神(ひとことぬしのかみ)。また、昔、役行者(えんのぎょうじゃ)の命で葛城山と吉野の金峰山(きんぷせん)との間に岩橋をかけようとした一言主神が、容貌の醜いのを恥じて、夜間だけ仕事をしたため、完成しなかったという伝説から、恋愛や物事が成就しないことのたとえや、醜い顔を恥じたり、昼間や明るい所を恥じたりするたとえなどにも用いられる。
  ※清正集(10C中)「かづらきやくめのつぎはしつぎつぎもわたしもはてじかづらきのかみ」
  ※枕(10C終)一六一「あまりあかうなりしかば、『かづらきの神、いまぞずちなき』とて、逃げおはしにしを」

 高間の雲を完成しなかった葛城山と金峰山との岩橋に見立て、あの橋ができなかったから通ってこないのかと思う。
 頭痛猫は新味を狙った取り囃しと思われるが、猫はあまり痛みを表現しないので、どういう状態を「頭痛」と呼んだのか、よくわからない。


   寄松恋
 爪かきや松に見かはすまろがたけ  序令

 松の木で爪を砥ぐ猫を見ての句であろう。
 「まろがたけ」は有名な『伊勢物語』第二十三段の筒井筒で、

 筒井つの井筒にかけしまろがたけ
     過ぎにけらしな妹見ざる間に

の歌から来ている。
 猫の爪とぎのあとを見て、麻呂の背丈を思い出す。


   寄竹恋
 埋られたおのが泪やまだら竹    其角

 まだら竹は湘竹のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「湘竹」の解説」に、

 「〘名〙 (古代中国の帝舜の妃湘夫人が舜の死を悲しんで泣いた涙が竹にかかったところ、その竹が斑(まだら)になったという「博物志‐史補」に見える伝説から) 竹。特に斑竹。斑文のある竹。
  ※仮名草子・伽婢子(1666)一「碧玉の硯に、湘竹の管に文犀の毛さしたる筆とりそへ」

とある。通ってくる猫は様々な受難にあう。


   寄烟恋
 胸にたく尻尾の灸や浅間山     午寂

 お灸の火に尻尾を突っ込んでしまい、尻尾の先を胸の所に抱え込んで、「あぢー」となる。
 お灸のもぐさの山から昇る烟は、さながら浅間山のようだ。


 錦木のもえて虎毛のけぶりかな   乍之

 奥州錦木伝説の錦木は謡曲『錦木』にもなっている。ウィキペディアには、

 「昔、鹿角が狭布(きょう)の里と呼ばれていた頃、大海(おおみ)という人に政子姫というたいへん美しい娘がいた。東に2里ほど離れた大湯草木集落(三湖伝説の八郎太郎もこの地が出身だと言われている)の里長の子に錦木を売り買いしている黒沢万寿(まんじゅ)という若者がいて、娘の姿に心を動かされた。若者は、錦木を1束娘の家の門に立てた。錦木は5種の木の枝を1尺あまりに切って1束にしたもので、5色の彩りの美しいものであった。この土地では、求婚の為に女性の住む家の門に錦木を立て、女性がそれを受け取ると、男の思いがかなった印になるという風習があった。若者は来る日も来る日も錦木を立てて、3年3か月ほどたったところ、錦木は千束にもなった。
 政子姫は若者を愛するようになった。政子姫は五の宮岳に住む子どもをさらうという大鷲よけに、鳥の羽を混ぜた布を織っていた。これができあがって、喜びにふるえながら錦木を取ろうとすると、父はゆるさぬの一言で取ることを禁じた。若者は落胆のあまり死亡し、まもなく、政子姫も若者の後を追った。父の大海は嘆き悲しみ、2人を千本の錦木と共に手厚く葬ったという。」

とある。
 句の方は、家に前に置かれた薪の束を錦木に見立てて、それが竈にくべられたのを見て、通ってきたトラ猫の恋も煙のようにくすぶって消えていった。


   名立恋
 首玉に我名や立ちしやみの聲    秋航

 首玉は首輪のこと。闇の中で姿がよく見えなくても、首輪でどこの猫だかわかってしまう。


 大梁に名は立つ君か夕げさう    到李

 夕化粧はオシロイバナのことで、高度成長期には公園や団地の花壇などいろいろなところに植えられていたが、最近はあまり見ない。代わりに外来植物の「ユウゲショウ」という名のピンクの小さな花を付ける雑草が咲いてたりする。これは江戸時代にはなかった。
 大梁は歌舞伎の舞台の虹梁のことだろうか。舞台の上の部分を彩る。だとすると夕化粧の君は女形であろう。


   艶粧恋
 くらべこし猿は前髪帽子ねこ    新眞

 頭のてっぺんのところに斑のある猫を、今でも帽子猫という。
 「くらべこし」というと『伊勢物語』二三段の有名の「筒井筒」に、

 くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ
     君ならずしてたれかあぐべき

の歌がある。
 ここでは猿引きの猫なのか、猿と仲が良いのだろう。猿には前髪がある。
 今の猿回しの猿は烏帽子を被ってたりするが、昔の絵だと特に猿に被り物はない。


   久契恋
 菜箸をくはへて猫の連理かな    午寂

 連理は連理比翼で白楽天の『長恨歌』に、

 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝
 (願わくば天にあっては二羽で一羽の比翼鳥になり、地にあっては二本の枝が交わって一つになる連理の木になりたい。)

とある。
 菜箸を咥えた猫は連理の枝になりたいのだろうか。