黒人といえばやはりヒップホップだろうと思って、ググっていろんなラッパーのリリックを読んだ。蟹江西さんが何で奴隷は選択だといったかわかったような気がした。
どんなに貧しくて悲惨な環境に生まれても成り上がるチャンスがある。チャンスをつかんで金持ちになったら、それを仲間たちに分けてやれ、それがヒップホップの基本なのは日本のラッパーが真似してたからよくわかる。
左翼やリベラルは黒人の抑圧されたエネルギーを革命に使いたいために、いつまでも奴隷の境遇に縛り付けようとしている。そこにしがみつくのは自由だ。そういうことなんだろう。
法律で保護されて、生活保護を貰えれば、確かに食うには困らない生活が待っている。しかしそれでは生殺与奪権を全部国家に握られているようなものだ。そんな飼いならされた生活に満足するのも選択肢の一つだが、わずかなチャンスに賭けてみるのも自由だ。そういうことなんではないかと思う。
ヒップホップは自助でも公助でもなく「共助」の文化で、自助で成功した奴が共助をするというのが基本となっている。巨大な権力による強制的な富の再分配ではなく、成功者が自然に富を再分配するシステムがあれば、それは一つの理想だ。
さて、俳諧の方だが、そういえば長いこと猫ネタをやってなかったが、グーグルブックで『其角全集』(老鼠堂永機・阿心庵雪人校訂、明治三十一年、博文館)を読むことができて、そこに元禄十四年刊其角編の『焦尾琴』を眺めていたら「古麻恋句合」というまとまった猫をテーマにした発句があったので、それを読んでみようと思う。
草書は苦手だが、一応早稲田大学図書館の寛保三年版『焦尾琴』も参考にしている。
まあ、あくまでこういうのがあるという紹介で、完全解説とはいかないが。まあ、いつもそうだけど。できるだけ全部読むようにはしているが。
「古麻」は猫の名前だろうか。旨原編の『五元集拾遺』には「こまの恋」というタイトルで、
こまの恋
近隣恋 京町の猫かよひけり揚屋町
寄竹恋 埋られたおのが涙やまだら竹
幼恋 ははきぎの百目なこ子に別れ哉
寄寺恋 柏木の榊もそれかあかり猫
思他恋 飯くへば君が方へと訴訟猫
疑恋 花の夢胡蝶に似たり辰之助
人にこしやうの粉をふりかけられて
耳ふつてくさめもあへず鳴音哉
と「古麻恋句合」の其角の句だけが抜き出されている。其角にはこの他にも、
寒食や竃下に猫の目を怪しむ 其角(虚栗)
猫にくはれしを蛬の妻はすだくらん 其角(虚栗)
ひるがほや猫の糸目になるおもひ 其角(続虚栗)
ねこの子のくんずほぐれつ胡蝶哉 其角(炭俵)
自得
蝶を噛で子猫を舐る心哉 其角(うら若葉)
などの句がある。
古麻恋句合
初恋
切戸から尾骨見そめて玉かづら 秋航
切戸はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「切戸」の解説」に、
「〘名〙 (「きりと」とも)
① 門の脇にあるくぐって出入りする小さな門。くぐり戸。また、塀、扉などを切りあけてつけた戸。
※増鏡(1368‐76頃)四「義景はきりどの脇にかしこまりてぞ侍ける」
② 能舞台の側面の脇鏡板の奥にある片引きの小さなくぐり戸。地謡、後見などの出入りや、役のすんだ登場人物の退場に用いる。切戸口。臆病口。忘れ口。
※病牀六尺(1902)〈正岡子規〉五二「芝居の上手下手の入口は能楽の切戸(臆病口ともいふ)に似て更に数を増して居る」
とある。この場合は①の意味であろう。
切り戸の下の透間から猫の尻尾がのぞいていて、それを平安時代の女性の装束の裾の下襲をわざと御簾の外に出して見せるのを連想したのであろう。
秋航はネット上の今泉準一さんの「『焦尾琴』に載る作家」に、「磐城平藩士か、松賀氏」とある。磐城平藩といえば磐城平藩三代藩主の内藤左京大夫義泰(風虎)やその次男内藤政栄(露沾)が知られている。露沾は『笈の小文』にも登場する旅のスポンサー的な存在で、
時は秋吉野をこめし旅のつと 露沾(句餞別)
の餞別句を詠み、歌仙興行が行われている。
磐城平藩は俳諧の盛んなところで、元禄九年には桃隣も「舞都遲登理」の旅で須賀川からわざわざ遠回りして岩城平領の小名浜を尋ねている。
足跡をつまこふ猫や雪の中 其角
雪の中の足跡をたどって妻恋う猫がやってくる。
忍恋
山鳥の尾こそ火をけせ長局 三弄
長局はコトバンクの、「精選版 日本国語大辞典「長局」の解説」に、
「〘名〙 長く一棟に造って、いくつにもしきった女房の住居。宮中、江戸城、諸藩の城中などに設けられていた。また、そこに住んだ奥女中。おつぼね。
※おきく物語(1678頃)「落城の日、ながつぼねに居申候」
※雑俳・柳多留‐二四(1791)「長つぼね腹にたまらぬものを喰い」
とある。
「山鳥の尾」は柿本人麻呂の百人一首でも有名な歌を指すが、当時柿本人麻呂は「人丸」と呼ばれ、「火止まる」と掛けて、火災除けの神様とされていた。夜に長い廊下を忍んで行くのに紙燭など用いればすぐにばれてしまうから、人丸にあやかって火を消せ、となる。
三弄は「『焦尾琴』に載る作家」に、「医また儒、人見必大」とある。コトバンクの「朝日日本歴史人物事典「人見必大」の解説」に、
「没年:元禄14.6.16(1701.7.21)
生年:寛永19?(1642)
江戸前期の本草学者,食物研究家。幕府の侍医随祥院元徳の子。小野必大が本来の氏名で,中国風に野必大とも名乗った。先祖が源頼朝から人見姓を与えられたとの伝承により,人見姓を通称とした。千里,丹岳とも号した。食生活が豊かになり,食物と健康の関係に関心が集まった元禄期に,本格的な食物本草の書『本草食鑑』(1697)を刊行した。同書は多数の食品を健康への良否を中心に解説し,民間行事や民間伝承の紹介も多く民俗学的にも重要視されている。延宝1(1673)年,禄300石を継ぎ,幕府の医官として波乱なく過ごした。<参考文献>古島敏雄『日本農学史』1巻(『古島敏雄著作集』5巻)」
とある。
ひとりね
独ふすそがそがしさよ三年猫 辨外
「猫は三年の恩を三日で忘れる」と言われるように、三年通ってくるオスがいなくても思い切りよく眠っている。
うらやまし思い切るとき猫の恋 越人(猿蓑)
の心にも通う。
おもひ
下くくる水に思ひや梨の舌 楓子
「くくる」はこの場合潜るで下を水が流れているのを飲もうとして舌を出しいるのを、水に映る月を取ろうとする猿に見立てたものだろう。
猿が水に映る月に手を伸ばすのは「かなわぬ思い」を表すものとして画題になっている。
「梨の舌」は猫の舌が梨の表面のようにザラザラしているということか。
うらみ
くずのはの恨の助や男猫 周東
「恨の助」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「恨之介」の解説」に、
「仮名草子。2巻2冊。作者未詳。1612年(慶長17)ごろの成立。慶長(けいちょう)9年6月10日、清水(きよみず)観音の万灯会(まんとうえ)のおり、葛(くず)の恨之介は、関白秀次の家老木村常陸(ひたち)の忘れ形見である雪の前を見初め、仲立ちを通して恋文を送る。恋は成就して一度は契りを結ぶが、恨之介はその後の出会いがままならぬことに耐えかね、最後の文を残して焦がれ死ぬ。雪の前もまたその文を見て悲しみに耐えかねて死に、仲立ちの者たちも後を追って自害する、という筋。物語の展開は中世恋物語の常套(じょうとう)を出ているとはいえないが、当時の風俗や話題、時代の風潮を取り入れた新鮮さによって好評を博し、初期仮名草子の代表作の一つと称するに足る作品となっている。[谷脇理史]」
とある。
葛の葉は、
秋風の吹き裏返す葛の葉の
うらみてもなほうらめしきかな
平貞文(古今集)
以来、葉の裏返ると「恨み」を掛けて用いられる。
雌猫の飼い主は牡猫が来ると追払うことが多い。
手をあげてうたれぬ猫の夫かな 智月「卯辰集」
のら猫の恋ははかなし石つぶて 等年「西國曲」
雨だれの水さされてや猫の恋 化光「北國曲」
うたた寝を取まかれけり猫の恋 里倫「俳諧猿舞師」
などの句がある。
周東は「『焦尾琴』に載る作家」に、「同上(伊与松山藩士)・青地伊織ただし、医官」とある。
見かはす恋
あくがれて琴柱たふすや雲ゐ猫 宜雨
「あくがれて」はOとUの交替で「あこがれて」と同じ。この比は今の意味とは違い、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「憧」の解説」に、
「〘自ラ下一〙 あこが・る 〘自ラ下二〙 (「あくがる」の変化したもの)
① 居所を離れてさまよう。また、心がある方面に引かれて、でかける。
※平家(13C前)六「仲国龍の御馬給はって、名月に鞭(むち)をあげ、そこともしらずあこがれ行く」
※太平記(14C後)四「せめて其の人の在所をだに知たならば、虎伏す野辺、鯨寄る浦なり共、あこがれぬべき心地しけれども」
② ある対象に、心がひかれる。
※太平記(14C後)一二「光源氏大将の、如(しく)物もなしと詠じつつ、朧月夜に軻(アコガレ)しは弘徽殿の細殿」
※日葡辞書(1603‐04)「ツキ、ハナニ acogaruru(アコガルル)」
③ (心がひかれるところから) 気をもむ。気が気でなくなる。
※幸若・大織冠(室町末‐近世初)「つはもの御てにすがり海へいれんとす。龍女はいとどあこかれて〈略〉とかきくどく」
※めぐりあひ(1888‐89)〈二葉亭四迷訳〉一「此方(こちら)は地を離て沖(あが)る事が出来ず、只徒らにあこがれて両手を延ばすのみ」
とある。まあ、心ここに有らずで琴柱を倒してしまったのだろう。琴など優雅に弾くところから雲居猫とする。
「見かはす恋」だから牡猫がやってきて目があった時に動揺したのだろう。
宜雨は「『焦尾琴』に載る作家」に、「幕臣か」とある。
変恋
松山と袖こすねこのにらみかな 虎笒
松山は末の松山で、
君をおきてあたし心をわが持たば
末の松山波も越えなむ
陸奥歌(古今集)
のようにありえないことの喩えとして恋の歌に用いられる。そう誓っておいて心変わりするのも世の常で、百人一首にも、
契りきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山波越さじとは
清原元輔(後拾遺集)
ということにもなる。
猫もまた松の植えられている山を越えたり、部屋に置いてある衣類の袖を越えたりしてやってきたりするが、雌猫に睨まれたり威嚇されたりして退散する。
待恋
夕やみやかもしと見せて仕かけ猫 馬黒
夕闇の中で付け髪が落ちているのかと思ったら猫だった。「仕かけ」は先に手を出すことを言う。
梅かえや鼻あたたまる塀の笠 堤亭
塀の笠は塀の上の笠木のことであろう。猫が塀の上でじっとしていることはよくある。春も早いと寒そうだが、梅の咲いている枝があれば飼い主の目から見れば暖かそうに見える。
堤亭は「『焦尾琴』に載る作家」に、「下村氏・商か」とある。
恥恋
面ふせもおつぼねねこの額白 朝叟
額白(ひたひしろ)は八割れのことか。顔を伏せると八割れの部分だけが見える。
「おつぼね」は今の意味とは違い、ここでは狭い部屋にいる猫ということだろう。狭い部屋の並ぶところにいる遊女を「つぼね女郎」と言った。
朝曳は「『焦尾琴』に載る作家」に、「石内氏」とある。
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