今日のオリンピックのネット観戦は午前中のゴルフからスタート。途中からバドミントンを見た。
午後はヨットとバスケットボールを見た。八村はさすがに凄い。ただやはり八村だけでは勝てなかった。34得点は立派だ。それからテニスを見た。途中から見た女子の準決勝は最後までわからない熾烈な試合だった。そのあとが錦織・ジョコビッチ戦で、錦織はよくやった。ジョコビッチは強すぎた。来てくれてありがとう。
ひろゆきさんのネットでの発言が断片的に伝わって来るけど、もし今の日本にソクラテスが現れたなら、こんな感じなのかもしれない。
詭弁というのは論理の弱点の指摘であり、古代ギリシャでいうゼノンのパラドックスなどもそれだし、中国には「白馬非馬」というのがる。日本人にもそういう感覚が育ってきているのかもしれない。
圧倒的な強さのラスボスがいるから、勇者はせっせとレベルアップに励むようなもので、詭弁があるから論理が磨かれるというのもある。ひろゆきさんに簡単に論破されるというのは、要するに修行が足りないということだ。きっと論破された人はソクラテスに毒杯を飲ませた人の気持ちが分かると思うよ。
最近のひろゆきさんの発言に「野球で時速130キロっていうのは、あれ嘘です。ボールは1時間も飛ばないから」というのがあるが、これを「馬鹿なの?」というのは簡単だが、これは一つのパラドックスで、反論できるかどうかみんなを試しているのだと思う。
まず一つ言えば、「時速130キロ」というのは実際ボールを一時間飛ばして観測した結果ではない。あくまでスピードガンで観測した瞬間的な速度であり、この瞬間の速度で一時間飛んだと仮定した場合、ボールは130キロ飛ぶという仮説にすぎない。
実際にはボールが手元を離れた瞬間から空気抵抗によって減速し始め、重力に従い落下してゆき、やがてキャッチャーミットに収まるかバットではじき返されるか、そのいずれかでもなければ早かれ遅かれ地面に落ちることになる。
だから「時速130キロ」は半分嘘だが半分本当で、科学というのは基本的に仮説にすぎないということに気付かせてくれる。
まあ、スピードガンも機器の性能や測定の仕方による誤差というのもあるが、科学は限りなく真理に近い近似値ではあるから、おおむね本当のこととみなしていい。
デンベレとグリーズマンの差別発言をめぐってフランス在住の言語学者の小島剛一さんと論争をしていたが、差別かどうかはどういう文脈でその言葉が使われたかが一番重要なのにもかかわらず、putainという単語の意味だけを議論することで、見事に論点をすり替えていた。
差別というのはどういう単語を使うかの問題ではない。大坂さんに「アメリカへ帰れ」と言おうが「早くアメリカ国籍の方を選択することを望む」と言おうが、言い回しが違うだけで言っていることは同じだ。
「アメリカへ帰れ」という言葉は、たとえば親しい友人が折角日本に逢いに来てくれたのに、その友人の実家の方で不幸があった時に、俺のことは気にせずに早く「アメリカへ帰れ」というふうに用いられることもある。ひろゆきさんのやったのは、こういう用法があるから差別ではないと言うようなものだ。
まあ、詭弁術があるから正しい論理を学ぶことができるので、こういう人も貴重なのだろう。これは私の個人的な意見(感想)だが。
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