2021年7月4日日曜日

 デリック・ベルさんの『人種主義の深い溝』という本がアマゾンから届いた。二十六年前に日本語に翻訳された本だ。まだ途中までしか読んでないが。
 オープニングの宇宙から来た取引人の思考実験は、何かイスラエルを連想してしまう。あれはパレスチナ人を追い出しただけでなく、厄介な侵略国家を作ってしまっただけの失敗例だが。
 多分これがこの本のテーマなのだろう。「人種の象徴」のところでハイチのような黒人国家への憧れの話が出てきた後、「目覚めるアフロランティカ」では実際に黒人の移住があったことが示されている。
 異なる文化、異なるルールを持つ人たちが共存できなら棲み分ければいいというのは、誰しもがすぐに思いつくところだ。筆者もすぐに思いついた。ただ、既にある程度まとまった土地に住んでいれば、独立への道筋は付けやすいかもしれないが、既に帰るべき国土が存在しない人たちはどうすればいいのか、難しい問題になる。結局は心の中に黒人の国を作るという所に落ち着くのか。
 確か蟹江さんもアフリカは国としては貧しいけど共助が機能していてそれほど困らない、というようなことを言っていた。黒人の分離独立主義は奴隷制がまだ存在した時代から常に黒人の間の一つの可能性として維持されているのだろう。そしてそれへの反論は、いつか差別のなくなる時代が来るから、それまで待ってみてはどうかというものだった。いまだにそれは裏切られ続けている。
 国内に土地を買って自分たちのコロニーをつくろうという試みもあったが、これも白人によってことごとく潰された。このときムスリムが共産主義やナチズムと同等に扱われた歴史をイスラム圏の人は忘れてないから、アルジャジーラの関心を引くところとなっているのだろう。
 あと、人種選別ライセンス法ってこれも面白い。排出ガス規制と同じ発想で、本当は出してはいけない排出ガスでも税金を払えばOKというのと同じで、雇用や入居者も差別する場合は税金を納めるというもの。
 堅い本だと思っていたら、意外に面白い本だった。
 コロナの恐怖を政局に利用する連中はどこの国にもいるんだろうけど、去年のBLMの暴動を起こした黒人の純粋な怒りは理解する必要がある。黒人を白く塗って「はい、解決」ということにはならないし、そういうやり方はウイグル人が中国人なれるように教育するという中国政府がやっているということと何ら変わりない。

 それでは古麻恋句合の続き。

   待暮恋
 うき思濃茶時分のむつけ猫     野径

 「むつけ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「憤」の解説」に、

 「〘自カ下一〙 むつ・く 〘自カ下二〙 (「むずかる(むつかる)」と同語源)
  ① =むずかる(憤)
  ※玉葉‐建久二年(1191)一〇月五日「伝奏定長云、頗逆鱗歟、殿下御返事到来之後、むつけさせ給つつ」
  ② 健康を害する。衰弱する。弱る。
  ※玉塵抄(1563)二一「馬病馬のやうでむつけたことぞ〈略〉馬もやみむつけたぞ」

とあり、「むずかる」は、

 「〘自ラ五(四)〙 (古くは「むつかる」「むずかしい(むつかしい)」と同源)
  ① 機嫌が悪くなる。ぶつぶつと小言をいう。腹を立てる。むつける。
  ※書紀(720)欽明二三年一一月(寛文版訓)「使人、悉に国家(みかど)の、新羅の任那を滅すに憤(ムツカリ)たまふを知りて」
  ② 幼児が機嫌を悪くして泣く。すねる。
  ※平家(13C前)八「まづ三の宮の五歳にならせ給ふを〈略〉大にむつからせ給ふ」

とある。
 タイトルに待暮とあるように、濃茶時分は午後のティータイムなのだろう。その頃の恋猫は機嫌が悪いということか。
 濃茶(こいちゃ)はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「濃茶」の解説」に、

 「抹茶の一種。被覆栽培された老木の茶葉のうち,萌芽の3葉ほどのところから採取したものを茶臼でひいて抹茶として用いる。使用の茶臼は宇治産の石臼を良とし,また茶葉も宇治の木幡産のものを最良とする。容器は陶製の茶入れを用いる。利休以前は単に御茶と呼び薄茶と区別した。また,茶道における濃茶点前をさし,泡立てないで濃いめに練るようにたて,数名で飲み回しをする (各服だての場合もある) 。古くは「別儀」「無上」「極無上」など品質によって銘をつけていたが,近年は「極上」「初昔」「祖母昔」など,茶道家元によってさまざまの銘がつけられている。」

とある。
 野径は「『焦尾琴』に載る作家」に、「膳所藩主か」とある。


   契来世恋
 身の皮を同じ思ひか海老尾     硯水

 三味線のマシンヘッドの先の部分は海老尾(えびお、かいろうび)という。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「海老尾」の解説」には、

 「〘名〙 (「海老尾(えびお)」を音読したもの) 琵琶(びわ)、三味線の部分の名。さおの端の、えびの尾のように後方に曲がった部分。待ち人の来るようにとのまじないで、ここを縛ることもあった。えびお。かいろび。〔教訓抄(1233)〕
  ※洒落本・傾城買談客物語(1799)二「あすこやここの部や部やでかいろうびをしばったり紙で蛙(かいろ)をこしらヘィしたり」

とある。
 海老尾は天神とも言い、この部分は欠けやすいため天神袋で覆うことも多く、これも皮でできていたりする。そういうわけで、胴体の猫の皮が天神袋の皮にむかって「同じ思ひか」と言う。
 三味線は胴体に猫の皮を張るので、海老尾も
 硯水は「『焦尾琴』に載る作家」に、「秋田藩士」とある。


   自地恋
 覗よる湯殿のねこやさよ衣

 自地は自分の家のある猫で、のら猫に対しして言っているのか。
 猫がお風呂を覗くのはよくあること。お湯の流れるのに興味がある。


   餘愛恋
 恋やせを撫とも盡し腹の蚤     朝叟

 猫が恋痩せするのかどうかはよくわからないが、

 麦めしにやつるゝ恋か猫の妻     芭蕉「猿蓑」

の句はある。猫に麦飯を食わす方が問題かと思うが。

 うき恋にたえてや猫の盗喰     支考「続猿蓑」

の句もある。
 痩せた猫を撫でても腹に蚤がいる。


 女房達洗へる猫や華清宮      午寂

 「華清宮」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「華清宮」の解説」に、

 「中国唐代、長安の南東、驪(り)山にあった離宮。唐代初期に造営された温泉宮を玄宗が改名したもの。玄宗はしばしば楊貴妃を伴って遊んだ。」

とあり、白楽天の『長恨歌』には、

 春寒賜浴華清池 温泉水滑洗凝脂
 (春の寒い時でも華清宮の池で入浴、温泉の水はすべすべ玉の肌を洗う。)

とある。女房達が集まって猫を洗っている姿は、さながら楊貴妃の入浴のようだ。


   神祇恋
 青柳や尾に付らるる三輪の注連

 猫の尾の垂れているのを青柳の枝に見立てたのだろう。ただ、尾にリードを付けて繋ぐというのはありそうにない。リードは首輪に繋ぐものだ。
 もっとも、江戸時代は猫は鼠を捕るということで、猫を繋がないようにお触れが出ていた。
 三輪山の大神神社では柱の間に注連縄を張ることで鳥居としている。

   寄橋恋
 噛ふせて階子を佐野の別かな    山蜂

 「佐野の別」は謡曲『船橋』であろう。

 かみつけの佐野の船はしとりはなし
     親はさくれどわはさかるがへ
              東歌(万葉集巻十四)

が出典となっている。
 川を隔たった男女の物語は七夕を思わせるが、船の上を渡した船橋を親が外してしまい、真夜中の逢瀬で足もとが見えず、川に落ちて死んだという悲しい物語になっている。
 この句の場合、猫は梯子を外されたのだろう。


   尋恋
 若草にからるるつまや二疋まで   問津

 若草が刈られると猫も隠れる場所がなくなって逃げ出す。今日の草刈で二匹見つかったということか。


   絶恋
 朝露やわかれをいかむ薪一把    沾州

 「薪」は「まき」と読む。タイトルの絶恋は死ぬ恋という意味で、朝露に薪一束が運び込まれ火葬にされる。


   祈恋
 うかりける人を初瀬かやとひ猫   波麦

 「やとひ猫」は借りてきた猫。
 「うかりける」は百人一首でも有名な、

 うかりける人を初瀬の山おろしよ
     はげしかれとは祈らぬものを
              源俊頼(千載集)

の歌によるもので、借りてきた猫は借りてきた猫のようにおとなしく、激しかれとは祈らない。


   憎恋
 祈られてワキ師にらむや般若猫   新眞

 謡曲『道成寺』であろう。
 巨大な蛇となった白拍子を演じるシテは般若の面を付けて、ワキ師の演じる僧をにらみつける。
 猫が威嚇するときの顔も般若に似てなくもない。


   仇恋
 凧の尾にあれたる猫はつなぎけり  倚窓

 凧の尾にじゃれついてた猫は、凧揚げの邪魔だとばかりに繋がれてしまった。


   寄寺恋
 柏木の柳もそれかあかり猫     其角

 柏木の柳は『源氏物語』柏木巻で柏木の亡くなった後夕霧の大将が追悼に行く場面で、

 時しあれば変はらぬ色に匂ひけり
     片枝枯れにし宿の桜も

と詠むと、御息所が、

 この春は柳の芽にぞ玉はぬく
     咲き散る花の行方知らねば

と返す場面がある。柳の芽に目を掛けて、目に涙の雫の玉を柳の糸が貫くとする。
 柏木というと女三宮の猫を可愛がっていて、人になかなかなつかない猫が柏木になついたことが柏木と女三宮の不倫の縁を取り持つことになった。だが、そのことが源氏の逆鱗に触れて寿命を縮めることとなった。
 「あかり猫」はよくわからないが、女三宮の猫に見立てて、あの柳が柏木の柳かと問う。


 古寺や赤手拭は虎御前       波麦

 虎御前はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「虎御前」の解説」に、

 「『曾我物語』に出てくる女性。大磯の遊女で,曾我十郎祐成の愛人。祐成の死後尼になって跡を弔う。実在した人物かどうかは不明。『曾我物語』を語って歩いた女に虎という者がいたらしく,その名が曾我伝説に固定したものらしい。江戸時代に浄瑠璃,歌舞伎などで多くの曾我物がつくられたが,それらにも登場し,川柳にも詠まれて一般に流布した。」

とある。曾我兄弟討入の日である五月二十八日は涙で雨が降ると言われ、「虎の雨」と呼ばれている。
 古寺に赤手拭のトラ猫がいたら、それはきっと虎御前だろう。

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