2021年7月22日木曜日

 ドイツの次は中国かという感じだが、あの国は夏殷周の三代から水害と戦ってた国だから何とかするだろう。
 それはそうと、とにかく無事にオリンピックが始まった。今までは仕事でほとんど見られなかったけど、今年は毎日オリンピック三昧できそうだ。
 ソフトボールはオーストラリアにコールド勝ちで幸先が良い。体格で劣っていてもホームラン攻勢で勝つというのは、昔「ドカベン」の里中のホームランの所で言ってたリストの強さなのだろうか。カナダ・メキシコ戦もいい試合だった。カナダの足を使った攻撃は脅威だ。福本・蓑田のいた頃の阪急のようだ。
 撫子は引き分けスタート。最後まで真剣に見なくてはいけないいい試合だった。強豪相手に負けなかったからまずまず。今年の撫子は常夏だ。
 あと、元禄四年冬の「もらぬほど」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それでは「ひらひらと」の巻の続き。

 十三句目。

   真向の風に顔をふかるる
 よう肥たむすこのすはる膝の上  芭蕉

 縁側で太った子供を膝に乗せて汗が出てきたか、風が汗をぬぐってゆく。
 十四句目。

   よう肥たむすこのすはる膝の上
 そろそろ江戸の草臥が来る    通

 作者の所に「通」とだけあるが路通か。
 江戸から帰省して久しぶりに息子を膝に乗せたのだろう。旅の疲れが出る頃だ。
 十五句目。

   そろそろ江戸の草臥が来る
 手ひとつでびたひらなかの恩もきず 仝

 これも路通か。
 「びたひらなか」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鐚ひらなか」の解説」に、

 「〘名〙 (「ひらなか」は半銭の意) ごくわずかの金銭。鐚一文(びたいちもん)を強めていった語。
  ※俳諧・桃舐集(1696)「そろそろ江戸の草臥が来る〈路通〉 手ひとつでびたひらなかの恩もきず〈同〉」

とある。
 手ぶらでやってきて、びた一文の恩も返してくれない。江戸の人間はドライだということか。
 十六句目。

   手ひとつでびたひらなかの恩もきず
 ちつとの事に枝節がつく(原本作者名欠、以下進之)

 元禄九年刊路通編の『桃舐集』には(原本作者名欠、以下進之)とある。『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注には『袖草紙』『一葉集』に(龍)とあり、吐龍となっている。
 これは噂話にありがちな「話に尾鰭がつく」という意味で、実際江戸っ子はそんなことはない、というのを言いたいのだと思う。路通がわざわざ意図的に「作者名欠」としたとしたら、これは路通自身の前句への後フォローではないかと思う。
 十七句目。

   ちつとの事に枝節がつく
 月花を糺の宮にかしこまる

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(考)とあり、支考ということになっている。
 糺の宮は糺の森とも言われ、ウィキペディアに、

 「糺の森(ただすのもり、糺ノ森とも表記)は、京都市左京区の賀茂御祖神社(下鴨神社)の境内にある社叢林である。」

とある。

 君をいのる心の色を人問はば
     糺の宮の朱の玉垣
              前大僧正慈圓(新古今集)
 いつはりをただすの森の木綿だすき
     かけつつ誓へわれを思はば
              平定文(新古今集)

のように、和歌では「正す」に掛けて用いられる。
 ここでも前句の小さなことでも枝節がついて大ごとになる、という内容を受けて、月花の風雅の道はそれを正さねばならない、とする。
 十八句目。

   月花を糺の宮にかしこまる
 ああらけうとや猫さかり行    丹野

 「けうと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「気疎」の解説」に、

 「〘形口〙 けうと・し 〘形ク〙 (古く「けうとし」と発音された語の近世初期以降変化した形。→けうとい)
  ① 人気(ひとけ)がなくてさびしい。気味が悪い。恐ろしい。
  ※浮世草子・宗祇諸国物語(1685)四「なれぬほどは鹿狼(しかおほかみ)の声もけうとく」
  ※読本・雨月物語(1776)吉備津の釜「あな哀れ、わかき御許のかく気疎(ケウト)きあら野にさまよひ給ふよ」
  ② 興ざめである。いやである。
  ※浮世草子・男色大鑑(1687)二「角落して、きゃうとき鹿の通ひ路」
  ③ 驚いている様子である。あきれている。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Qiôtoi(キョウトイ) ウマ〈訳〉驚きやすい馬。Qiôtoi(キョウトイ) ヒト〈訳〉不意の出来事に驚き走り回る人」
  ④ 不思議である。変だ。腑(ふ)に落ちない。
  ※浄瑠璃・葵上(1681‐90頃か)三「こはけうとき御有さま何とうきよを見かぎりて」
  ⑤ (顔つきが)当惑している様子である。
  ※浄瑠璃・大原御幸(1681‐84頃)二「弁慶けうときかほつきにて」
  ⑥ (多く連用形を用い、下の形容詞または形容動詞につづく) 程度が普通以上である。はなはだしい。
  ※浮世草子・好色産毛(1695頃)一「気疎(ケウト)く見事なる品もおほかりける」
  ⑦ 結構である。すばらしい。立派だ。
  ※浄瑠璃・伽羅先代萩(1785)六「是は又けふとい事じゃは。そふお行儀な所を見ては」

とある。
 糺の宮の厳粛な雰囲気に猫のさかりは似合わない。
 恋猫は大きな声を上げるが、これはメスを誘うのではなくオス同士がかち合って喧嘩をしている時の声で、オワー、ウウウウウーと威嚇し合いながら、やがてグルルル、ウォルルルル、と喧嘩になる。

 二表、十九句目。

   ああらけうとや猫さかり行
 石‐塔を見にとて今朝はとう出る 丹野

 「とう」は「疾(と)く」のウ音便化か。石塔はお墓であろう。朝早く起きてお参に行こうとすると、猫が大声で騒いでいる。
 二十句目。

   石‐塔を見にとて今朝はとう出る
 勢丈のびたるせがれ気づかふ

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(世)とあり、安世の句ということになっている。
 お墓参りに行くが、いっしょに行く息子も背丈が伸びて、親としてもあまり子ども扱いも出来なくなる。
 二十一句目。

   勢丈のびたるせがれ気づかふ
 黒‐面な仲間がよつて不了簡

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(考)とあり、支考の句ということになっている。
 「不了簡(ふれうけん)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「不料簡」の解説」に、

 「〘名〙 (形動) 考え方や心構えがよくないこと。心得違いをすること。また、そのさま。
  ※浮世草子・けいせい伝受紙子(1710)二「それは女郎の本〆(もとじめ)をして世をわたらるる親方のふ了簡(リャウケン)なり」

とある。黒面は真面目ということ。周りがみんな真面目だと、そんな間違ったことをしてなくても不良扱いされてしまう。
 二十二句目。

   黒‐面な仲間がよつて不了簡
 豆ふみ出して高い駕籠借ル

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(野)とあり、丹野の句ということになっている。
 真面目にいつも外で働いていて日焼けした連中に混ざってい歩いていると、日頃歩いてない人はすぐに豆が潰れて高い駕籠に乗ることになる。
 二十三句目

   豆ふみ出して高い駕籠借ル
 きぬ帯に銭をはさむで穴があく

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(龍)とあり、吐龍の句ということになっている。
 銭は巾着に入れて持ち歩くこともあったが、「早道」という帯に挟むタイプの小銭入れもあった。
 高い絹の帯でこれを用いると帯に穴が開くこともあったのか。
 二十四句目

   きぬ帯に銭をはさむで穴があく
 なじみの町のちかづきもへる

 この句も『桃舐集』には作者名がない。『袖草紙』『一葉集』は(翁)とあり、芭蕉の句ということになっている。
 「ちかづき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「近付」の解説」に、

 「ちか‐づき【近付】
  〘名〙 (距離的に近くなるところから) 知りあうこと。親しくなること。また、その人。しりあい。知人。また、「おちかづきのしるしに」「おちかづきのために」などの形で、今後親しくおねがいしますという意の挨拶(あいさつ)としても用いる。〔文明本節用集(室町中)〕
  ※咄本・鹿の巻筆(1686)三「まへかたよりちかづきか」
  ※西洋道中膝栗毛(1870‐76)〈仮名垣魯文〉初「お知己(チカヅキ)のウしるしに一献さし上てへげにござる」

とある。前句の「穴があく」を人がいなくなるの意味に取り成す。

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