今日はいよいよオリンピックが始まる。開会式はまだだが、それに先行してソフトボールと庶子サッカーの試合が始まる。
この一年余り、コロナだ沢山の人が亡くなっていった。その人たちの無念の分も含めても、我々は楽しまなくてはならない。
不幸な人がいるからみんな不幸にならなければ平等ではない?それは悪しき平等主義だ。
今はアスリートたちに勇気をもらい、これからもコロナと戦う力の糧としていこう。心の中でいいからみんなwe are the championsを唄おう。
世界ではいろいろな不穏な動きがあるし、どこもかしこもズタズタに分断されちまっているが、音楽やスポーツは世界を一つにできる。政治で世界を一つにしようとすると世界征服になっちゃうけど、ゲームの世界ならできる。
さて、まだ水無月なので夏の俳諧をもう一つ行ってみよう。
同じ元禄七年水無月、大津の能太夫、本間丹野亭での歌仙「ひらひらと」の巻を読んでいこうと思う。
発句は、
本間丹野が家の舞台にて
ひらひらとあがる扇や雲のみね 芭蕉
能舞台という前書きがあるように、能の舞に欠かせない扇を高くかざすかのように、空には雲の峰がある。夏の季語である「雲の峰」は積乱雲のことで、入道雲とも言う。その積乱雲の上にできる「かなとこ雲」は扇のような形をしている。
脇。
ひらひらとあがる扇や雲のみね
青葉ぼちつく夕立の朝 安世
積乱雲が大きく発達すると雷雨になる。ただ、ここでは朝の雷だったのだろう。雷雨を夕立とはいうが朝だから朝立とはあまり言わない。全く言わないわけではないが、スラングで別の意味がある。
第三。
青葉ぼちつく夕立の朝
瀬を落す舟を名残に見送りて 支考
今は使わないが、昔は朝早く旅立つことも「朝立」と言った。ここではその朝立ちの場面とする。
四句目。
瀬を落す舟を名残に見送りて
はなれて家を造る原中 空芽
隠棲を思い立ち、その予定地に船で連れてきてもらい、送ってきた人は帰って行く。村のはずれに建つ新しい家を見て、これから新しい生活が始まる。
五句目。
はなれて家を造る原中
月の前きぬたの拍子のつて来る 吐龍
日が暮れて月が登ると、遠くから砧打つ音が聞こえてくる。
今日でも音楽用語としてリズムにうまく気持ちを合わせることを「リズムに乗る」と言い、「乗り」が良いだとか悪いだとかいうが、この「乗り」という言葉は意外に古く、謡曲でも「平ノリ(ひらのり)」「中ノリ(ちゅうのり)」「大ノリ(おおのり)」などという言葉を用いる。ただ、謡曲の場合はむしろヒップホップなどの「フロウ」に近いかもしれない。
六句目。
月の前きぬたの拍子のつて来る
大かたむしの手をそろへ鳴 丹野
謡曲の地謡の人たちは膝に手をそろえて謡うように、秋の夜を鳴く虫もおおかた手をそろえて鳴く。
初裏、七句目。
大かたむしの手をそろへ鳴
傘をすぼめて戻る秋の道 空芽
唐傘をすぼめるのは村雨の後であろう。道の脇では虫が鳴いている。
八句目。
傘をすぼめて戻る秋の道
窓からよぼる人の言伝 芭蕉
「よぼる」は呼ぶことで、今でも方言で「よぼる」という地方もあるようだ。
秋の道を行くと、窓から言伝を頼まれる。
九句目。
窓からよぼる人の言伝
さつぱりと物を着替て連を待ツ 安世
出かけようときちんとした格好に着替えて、連れが来るのを外で待っていると、窓から言伝を頼まれる。
十句目。
さつぱりと物を着替て連を待ツ
夜の明るやしらむ海際 支考
船でどこかへ行くのだろう。岸壁か砂浜かはわからないが、夜明けに連れを待つ。あるいは駆け落ちか。
十一句目。
夜の明るやしらむ海際
いふ事にこころをつくるわかれして 丹野
心を偽り、嘘を言って家を出て、明け方に船を待つ。
十二句目。
いふ事にこころをつくるわかれして
真向の風に顔をふかるる 空芽
悲しい別れに涙すると、風が涙をぬぐう。
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