今日の午前中はボートとあと馬術を見た。会場の馬事公苑はオリンピックのための観客席などの新設を含めた大規模な改修が行われ。筆者も資材搬入で行ったことがあった。
午後は野球のメキシコ・ドミニカ戦を見た。この大会の投手のレベルでは、点を取るのがいかに大変かがよくわかる試合だった。一点を争う勝負でドミニカが勝った。それと並行してトランポリンを見た。
撫子は残念だった。スウェーデンは強かった。
昨日は大坂なおみさんに関して、「アメリカへ帰れ」と言おうが「早くアメリカ国籍の方を選択することを望む」と言おうが、言い回しが違うだけで言っていることは同じだと書いたが、これをもう少し詳しく説明しておこう。
大坂さんが2019年の全豪オープンで優勝し、一躍国民的ヒーローになった時、ほとんどの国民は日本人初の快挙に惜しみない称賛の声を送っていた。
ところが、一部にそれを面白く思わない人たちがいた。当時大坂さんは日本とアメリカの二重国籍で、制度上は二十二歳の誕生日までにどちらかの国籍を選択しなくてはならなかった。もっともこの法律は厳密に機能しているわけではなく、二重国籍のまま放置しても特に罰されることはない。せいぜい政治家になる時にスキャンダルになる程度のものだ。
ただ、この時にネット上で、まあ筆者が見ているのは主に2ちゃんねる上ではあるが、大坂なおみはアメリカ人であり、今回の快挙はアメリカ人の快挙であって日本人のものではない、何を喜んでいるんだ、という書き込みが多数あり、こうした人たちが一様に早くアメリカ国籍を選択することを求めていた。
前に左翼のアイデンティティの所で書いたが、彼らは自分が日本に生まれ、日本人として育ったことを恥じ、ひそかに自分が西洋の白人に生まれていたらと願う人たちで、そうした人たちが二重国籍の大坂なおみを放っておくはずもなかった。
彼らはあの快挙はアメリカ人のもので日本人はその栄誉を受けるべきではない、と考えていた。同じことはカズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞した時にも起きていた。世界的には二重国籍は珍しいことではないので、ノーベル賞は出生国の受賞ということになっている。その意味ではカズオ・イシグロさんは間違いなく日本人の受賞者だった。
ただ、この時も日本人の栄誉を面白く思わない人たちが、カズオ・イシグロさんはイギリス人で日本人ではない、ということを言い広め、それだけではなくカズオ・イシグロさんは日本を憎んでイギリス国籍を選んだという噂まで広めた。このまえ某クイズ番組で「日本人のノーベル文学賞受賞者は何人」という問題で、カズオ・イシグロさんは排除されていた。むしろ「ひっかけ」として利用されてたと言ってもいい。
そうした人たちが今回大坂さんが日本人としてオリンピックに出場することを歓迎するはずもなかった。
今年の初めの第三波の時、Go Toキャンペーンが中止になると、左翼がその次の標的として選んだのはオリンピックそのものだった。こうした野党の一転突破的なやり方は昔から常にあったもので、モリカケの延長線上にあるものだった。
その前年から内村航平さんが血祭りにあげられていたが、ここへ来て白血病から立ち直った池江璃花子が激しいバッシングにさらされた。大坂さんがメンタルを理由に全仏オープンを欠場したのもちょうどこの頃だった。左翼からすれば、政治的な影響力のある大坂なおみさんがオリンピックを辞退してくれれば、オリンピック潰しに弾みがつくという算段があった、その頃だった。大坂さんはオリンピック出場への希望を繋ごうとしていた。
今回のオリンピックで敗退した時に日本のマス護美は例によって右翼のヘイトを拾い出して報道したが、左翼の側のものを伝えることはなかった。
大坂さんは去年のBLMへの対応で左翼の側からは当然称賛を浴びていたが、彼らにとって日本人としてのオリンピック出場は裏切り行為であった。負けた彼女に浴びせられたのは表向き「鬱の療養に専念してください」という優しい言葉で、これは暗に「さっさと引退しろ」「二度と日本に来るな」ということだ。他にも、日本人じゃないんだから最初から期待してない、あやまるならアメリカのファンに謝れといったものもあった。
そして怪しげな週刊誌の記事に、当初聖火の着火は「日本人」が行うことになっていたが、IOCの圧力で急遽変更になった、なんて言われたりもしている。結果的には大坂さんに競技日程とのバランスを取らずに、聖火最終ランナーとしての重圧までかけて、敗北の原因の一つにしてしまった。
アメリカは言うまでもなく人種差別のない理想郷なんかではない。アメリカにも日本にも安住できない気持ちを奴らは推し量ることはない。
ほとんどの日本国民は大坂さんを日本人として応援してきた。でもそうでなく、大坂さんがアメリカ人になることを願い、そのことに何の罪の意識を感じない人たちがいることも残念ながら事実だ。
とにかく今回のオリンピックでは、アスリートたちは目の前の敵だけではなく、日本国内にいる背後からの攻撃にさらされ、その中でメンタルを維持しなくてはならない。ネット上の数限りないアスリートへの罵詈雑言、オリンピックだけでなくスポーツそのものを冒涜する数々の言葉の中で戦っていることを忘れてはならない。
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