2020年4月30日木曜日

 朝の四時半でももう明るく日も長くなった。そして気温も上がる。
 奇しくも五月終息説が本当みたいに見えてきた。別にウィルスが暑さに弱いとかではなく、欧米での爆発的感染が一段落するのと、日本の緊急事態宣言がそこそこの効果を得たのが時期的に一致し、何となく終息ムードが生じている。
 五月の中頃にはゴールデンウィークの休日効果が出て、ますます終息ムードになるのかもしれないが、ゴールデンウィーク明けで生活が元に戻ると五月末には再び感染者が増加する可能性も大きい。
 自治体や何かが随分気前よく補償金を出しているが、長期化したときに本当に持続的に払える金額なのかどうか心配になる。既に財源が足りなくて国から支給される十万円を当てにしている自治体もあるようだ。
 国にしてもそうだが、過大な補償金の要求は、結局長期的には首を絞めることになる。
 学校の九月入学なんて呑気なことを、いつまでも言ってられる状態ならいいが、そんなことよりもネット授業による学校の再編を急いだ方がいい。
 大事なのはいつ今までの日常に戻るかではなく、日常を変えることだ。

   ネクタイと紺のスーツの皺伸ばし
 すぐに過ぎてくたまの休日

 さて、卯月の俳諧は少ないというのは前に「杜若」の巻の時にも書いたが、その少ない中からまだ残っているものをということで、『奥の細道』の旅での須賀川での興行、「かくれ家や」の巻を読んでいこうと思う。
 曾良の『旅日記』には、

 「一 廿四日 主ノ田植。昼過ヨリ可伸庵ニテ会有。会席、そば切。祐碩賞之。雷雨、暮方止。」

とある。卯月の二十四日の可伸庵での興行だったのがわかる。
 発句は、

 かくれ家や目だたぬ花を軒の栗   芭蕉

で、この句は後に、

 世の人の見付ぬ花や軒の栗     芭蕉

と改められ、『奥の細道』を飾ることになる。
 曾良の『俳諧書留』には、詞書が付いている。

    同所
  桑門可伸のぬしは栗の木の下に庵をむすべり。
  伝聞、行基菩薩の古、西に縁ある木成と、
  杖にも柱にも用させ給ふとかや。
  隠棲も心有さまに覚て、弥陀の誓もいとたのもし
 隠家やめにたたぬ花をを軒の栗   翁
 稀に螢のとまる露草        栗斎
 切くづす山の井の井は有ふれて   等躬
 畦ぢたひする石の棚はし      曾良
    歌仙終略ス
 連衆 等雲・深竿・素蘭以上七人

 ここでは『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)に収録されている等躬撰『伊達衣』(元禄十二年刊)のテキストを用いる。
 まず、発句は曾良の書留に「めにたたぬ花を」と字余りになっているのが「目だたぬ花を」に直されている。
 『奥の細道』の頃の芭蕉は古典回帰から、それまでの天和の破調の句を改め、五七五にきちんと収める句が多くなっているが、まだ時折破調の句もあった。
 たとえばこの後小松で詠む、

 むざんやな甲の下のきりぎりす   芭蕉

の句は最初は、

 あなむざんやな甲かぶとの下のきりぎりす 芭蕉

だったという。『去来抄』「修行教」に、

 「魯町曰、先師も基より不出風侍るにや。去来曰、奥羽行脚の前はまま有り。此行脚の内に工夫し給ふと見へたり。行脚の内にも、あなむざんやな甲の下のきりぎりすと云ふ句あり。後にあなの二字を捨られたり。是のみにあらず、異体の句どもはぶき捨給ふ多し。此年の冬はじめて、不易流行の教を説給へり。 (岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,64)

とある。
 詞書も若干推敲されている。

  桑門可伸は栗の木のもとに庵をむすべり。
  傳へ聞、行基𦬇の古は、西に縁有木なりと、
  杖にも柱にも用ひ給ひけるとかや。
  幽栖心ある分野にて、弥陀の誓もいとたのもし
 かくれ家や目だたぬ花をを軒の栗  芭蕉

 「𦬇」はウィクショナリー日本語版に、

 「(国字)「菩」・「薩」の二字を省画し、草冠部分を合字して一字にしたもの。」

とある。「分野」は「ありさま」と読む。
 発句の意味はこの詞書でほぼ言い尽くされている。可伸庵には栗の木があり、その栗のいわれが行基菩薩が西に縁のある木(栗は西木と書く)として珍重したことに由来していると聞き、この隠れ家にはそんなに目立たない花が咲いている、それは軒の栗の花だ、というわけだ。
 『奥の細道』の清書の時には「世の人の見付ぬ花や」と、世間では栗の花はそのように見られていないところを、尊いことだというふうにする。
 世の人はというと、目立たないというよりはむしろ強烈な匂いを放ち、その匂いが男のアレに似ているというふうに受け止める向きが多い。椎名林檎のサードアルバムのタイトルも、この世俗的な認識で付けられている。
 脇。

   かくれ家や目だたぬ花を軒の栗
 まれに蛍のとまる露草       栗斎

 栗斎は可伸のこと。栗の庵に棲んでいるので栗斎とわかりやすい。
 夏の思いがけない訪問客に「まれに蛍のとまる」と芭蕉を蛍に喩えている。

2020年4月29日水曜日

 今日もいい天気だった。もちろん一日籠城じゃー。
 「二週間後にニューヨークのようになる」という予想は外れたんじゃない。みんなの力で防いだんだ。同じように「四十万人死ぬ」というのも予言ではない。防がなくてはいけないんだ。
 感染者の増加ペースは鈍っているが、死者の数は増えている。もう少し頑張ろう。
 コロナに関しては西洋は必ずしも進んだ国ではなかったし、見習うべき国でもなかった。何でも西洋が正しいということではない。今までの日本のやり方はうまくいっている。誇りを持とう。
 九月入学だって、九月にコロナが収まるなんて保証はないのに、便乗して議論する事ではない。ただJリーグは世界に合わせて九月開始でもいいのではないかと思う。選手の移籍交渉がしやすくなる。
 文学でも西洋文学が必ずしも正しいわけではない。日本の俳諧にも、漫画やアニメやラノベの文化にも誇りを持とう、とこれは個人的見解。

   暑さも蝉も止むことはなく
 ネクタイと紺のスーツの皺伸ばし

 それでは「鐵砲の」の巻の続き、挙句まで。

 二裏。
 三十一句目。

   夕辺の月に菜食嗅出す
 看經の嗽にまぎるる咳氣聲    里東

 「看經(かんきん)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「[名](スル)《「きん(経)」は唐音》
  1 禅宗などで、声を出さないで経文を読むこと。⇔諷経(ふぎん)。
  2 声を出して経文を読むこと。読経。」

というように黙読と音読の両方の意味がある。「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」には、

 「かんきょう」とも読み,禅宗では「かんきん」と読む。経典を黙読すること。のちには,諷経 (ふぎん) ,読経 (どきょう) と同義となった。また経典を研究するために読む意味でも用いられる。」

とある。咳と風邪声が混ざって聞こえてくるのだから、この場合は読経であろう。
 月の夕べに菜飯を食うのを風邪のせいとし、風邪引きの様子を付ける。
 「風邪」だとはっきり言わずに匂わすのが匂い付け。
 近代だと二十七句目の「から風」、二十九句目の「夜着」、三十一句目の「嗽」が冬の季語になるが、当時は「夜着」だけが冬で、三十句目の「菜飯」も冬として扱われていたのではないかと思う。
 三十二句目。

   看經の嗽にまぎるる咳氣聲
 四十は老のうつくしき際     珍碩

 昔は四十歳で初老と呼ばれ、隠居する時期だった。
 戦後になって栄養状態がよくなり、平均寿命が一気に伸びたせいで、今は四十、五十は働き盛りとなったが、戦後間もない頃の漫画「サザエさん」では磯野波平が五十四歳の設定になっている。
 三十三句目。

   四十は老のうつくしき際
 髪くせに枕の跡を寐直して    乙州

 髪に寝癖をつけないように頭の位置を調整してまた寝なおす。隠居したばかりの初老の人がよくやることなのだろう。若い頃はすぐに髪を整えて出勤しなくてはいけないし、もっと歳だと寝癖にも頓着しなくなる。
 三十四句目。

   髪くせに枕の跡を寐直して
 醉を細めにあけて吹るる     野徑

 二日酔いの体とする。
 三十五句目。

   醉を細めにあけて吹るる
 杉村の花は若葉に雨氣づき    怒誰

 中村注にある通り、「杉村」は杉の木の群ら立つこと。
 桜の頃は杉も花が咲き、今では花粉症の季節になるが、ここでは杉に囲まれた桜の花という意味だろう。
 背の高い杉の若葉からは露が滴り落ちて、あたかも雨が降っているみたいだ。杉の茂りはさながら雨雲といったところか。
 春の花の句なのか若葉の中に残る花の夏の句なのかは微妙な所だが、ここは春にしておいて良いか。
 挙句。

   杉村の花は若葉に雨氣づき
 田の片隅に苗のとりさし     泥土

 桜が咲いたら苗代の季節で、まだ田植えには早いが、試しにやや育った苗を植えてみたのだろう。

2020年4月28日火曜日

 ここのところ午後から雨になる事が多く、今日もパラパラと降ったが、夕方には止んで半月に近くなった月が見えた。
 今日行ったコンビニはローソンではないが、ゴミ箱もトイレも封鎖されていて、入り口にはマットが敷かれて靴に着いた土を落とすように書いてあった。
 ただ、前にも言ったが運転手にトイレがないのは厳しい。公園のトイレまでが閉鎖されたら、もうどうしようもない。大岡寺繩手だ。

   いつのまに宵待草の月夜にて
 暑さも蝉も止むことはなく

 それでは「鐵砲の」の巻の続き。

 二十五句目。

   配所を見廻ふ供御の蛤
 たそがれは船幽霊の泣やらん   珍碩

 「船幽霊」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 磯や海上に出るという水死した人の亡霊。柄杓を貸せと要求するが、その底をぬいて貸さないと柄杓で水を掛けられて沈められるという。船亡霊。
  ※仮名草子・百物語評判(1686)四「海上の風荒く浪はげしき折からは、必ず波のうへに火の見え、又は人形などの現はれはべるをば、舟幽霊(フナイウレイ)と申しならはせり」

とある。引用されている『仮名草子・百物語評判』は貞享三年刊なので、この時代に近い。
 恐ろしい怪異ではあるが、非業の死を遂げた霊で、人の心を持っていて、ちゃんとお供え物すれば成仏してくれる。前句の蛤をそのお供えとしたのだろう。
 二十六句目。

   たそがれは船幽霊の泣やらん
 連も力も皆座頭なり       里東

 船幽霊が泣いているのかと思ったら、琵琶法師の語りでみんなすすり泣いているだけだった。
 二十七句目。

   連も力も皆座頭なり
 から風の大岡寺繩手吹透し    野徑

 「太岡寺畷(だいこうじなわて)」は東海道の亀山宿と関宿の間にある鈴鹿川に沿った十八丁(約3.5キロ)にわたる土手の道で、風の通りも良い。
 風の強い時は顔を上げられず、みんな目が見えないかのようだ。
 二十八句目。

   から風の大岡寺繩手吹透し
 蟲のこはるに用叶へたき     乙州

 「こはる」は「強(こは)る」という字を当てる。「こわばる」と同じ。コトバンクの「大辞林 第三版の解説」には、

 「①かたくなる。こわばる。 「舌が-・つて呼吸いきが発奮はずむ/歌行灯 鏡花」 「 - ・りたる言葉は、振りに応ぜず/風姿花伝」
  ②腹が痛む。」

とある。
 腹の虫のせいで腹がこわばって痛むので用を足したい。ただ見通しの良い縄手道では野グソというわけにもいかない。十八丁の道を我慢しなくては。
 二十九句目。

   蟲のこはるに用叶へたき
 糊剛き夜着にちいさき御座敷て  泥土

 夜着が今の布団と違い着て歩けるようになっているのは、そのまま厠に行けるからだ。
 「ちいさき御座敷て」は背の低い人で、それが糊でカピカピになった夜着を着ていれば、まるで虫がこわばっているみたいだ。
 月の定座だが、さすがに前句のシモネタで月は出せなかったか。
 三十句目。

   糊剛き夜着にちいさき御座敷て
 夕辺の月に菜食嗅出す      怒誰

 「菜食(なめし)」は青菜を焚き込んだご飯。
 芭蕉が伊賀にいた頃の「野は雪に」の巻の六十八句目に、

   焼物にいれて出せる香のもの
 何の風情もなめし斗ぞ      宗房

の句がある。日常的な粗末な食事で、特に風情はない。
 芭蕉が大阪で病床に臥して、丈草が、

 うづくまる薬缶の下の寒さ哉   丈草

の句を詠んだ時、医者の木節は、

 鬮(くじ)とりて菜飯たかする夜伽哉 木節

の句を詠んでいる。
 前句の糊の利きすぎた夜着に小さな御座の人物を病人としたか、月の夕べも遊ぶでもなく菜飯を嗅ぐ。

2020年4月27日月曜日

 今日は午後から雨になった。

   公園脇で休憩すれば
 いつのまに宵待草の月夜にて

 それでは「鐵砲の」の巻の続き。

 二表。
 十九句目。

   煮しめの塩のからき早蕨
 くる春に付ても都わすられず   里東

 田舎の蕨の煮しめに都が恋しくなる。
 二十句目。

   くる春に付ても都わすられず
 半氣違の坊主泣出す       珍碩

 「氣違」はここでは鬱病のことか。世を疎んで出家し、山に籠ったものの、

   山深き里や嵐におくるらん
 慣れぬ住まひぞ寂しさも憂き   宗祇(水無瀬三吟十句目)

だったのだろう。
 二十一句目。

   半氣違の坊主泣出す
 のみに行居酒の荒の一騒     乙州

 この場合の「半氣違」は半狂乱ということか。坊さんが酒を飲むのは本来はいけないのだけど、実際はそう珍しくはなかったのだろう。ただ酒暴れた末に泣き出すのは困る。
 二十二句目。

   のみに行居酒の荒の一騒
 古きばくちののこる鎌倉     野徑

 「古きばくち」というのは双六のことだろうか。今のすごろくではなくバックギャモンのことをいう。博打に喧嘩は付き物。
 二十三句目。

   古きばくちののこる鎌倉
 時々は百姓までも烏帽子にて   怒誰

 室町時代までは男は皆烏帽子を被っていた。東京国立博物館蔵の「東北院職人歌合絵巻」の博徒は烏帽子だけ被った全裸の姿で描かれると前に「兼載独吟俳諧百韻」の時に書いたが、当時は裸よりも烏帽子のないことの方が恥ずかしかったとも言われる。
 戦国時代になると烏帽子は次第に廃れ、あの茶筅のようなちょん髷を露わにするようになる。
 二十四句目。

   時々は百姓までも烏帽子にて
 配所を見廻ふ供御の蛤      泥土

 「配所」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「罪を得た人が流された土地。配流(はいる)の地。謫所(たくしょ)。」

とある。
 「供御(くご)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「広く貴人,将軍の食膳をさすが,特に,天皇の御膳を意味する。日常は朝夕2回。古くは屯田 (みた) ,屯倉 (みやけ) などの皇室直轄領から調進させたが,令制では,畿内の官田から供御稲を得,宮内省所属の大炊 (おおい) 寮に収納し,内膳司に分配して調理のうえ御膳に供した。平安時代中期以降は官田が荘園化し,大炊寮の収入に頼り,戦国時代には,丹波国山国荘などの皇室領の年貢に頼った。供御を進献する農民や漁民は,商業上の特権などを与えられたので,御厨子所 (みずしどころ) 供御人の身分を望む者が多かった。近世では,朝,昼,夕の3食が普通となり,主食は櫃司 (ひづかさ) ,副食は御清所 (おきよどころ) が担当した。」

とある。
 隠岐に配流された後鳥羽院などのイメージだろうか。蛤を供御に差し出す地元のお百姓さんも、院に失礼のないように烏帽子を被る。

2020年4月26日日曜日

 今日もいい天気だった。仕事が休みなので間違いなく一日家にいた。
 早くから家に籠ってコロナと戦ってくれている人たちには頭が上がらないし、とにかく感謝したい。
 一度沈静化できても、ウィルスは無症状だった人や回復した人の中でも生きているかもしれないから、これから何度も波状攻撃が来るかもしれない。油断せずに頑張ろう。
 かのアルベール・カミュも言った。「我反抗す、故に我等あり」と。敵がたとえどんなに無敵のウィルスであっても、最後まであらがい続けよう。
 まずはゴールデンウィークで何とかピークアウトを勝ち取ろう。

   偶然と思えずもしやストーカー
 公園脇で休憩すれば

 それでは「鐵砲の」の巻の続き。

 十三句目。

   一里こぞり山の下苅
 見知られて岩屋に足も留られず  泥土

 山の岩屋でひそかに修行していたら、下刈りに来た村人がたくさん押し寄せて場所が知られてしまい、多分ちょうどいいから詰め所に使おうということになって、立ち寄ることもできなくなった。
 十四句目。

   見知られて岩屋に足も留られず
 それ世は泪雨としぐれと     里東

 多分、借金をしたか犯罪を犯したかで逃亡し、世捨て人になり、岩屋に潜んでいたのだろう。見つかってしまい、留まることもできず、さすらいの旅は続く。
 悲しみの雨に、宗祇が宿りの時雨、どこへ行っても仮住まいで安住の地はない。
 十五句目。

   それ世は泪雨としぐれと
 雪舟に乗越の遊女の寒さうに   野徑

 「雪舟」は「そり(橇)」と読む。「越の遊女」は芭蕉の『奥の細道』の市振の遊女を髣髴させる。「山中三吟」にも、

   霰降るひだりの山は菅の寺
 遊女四五人田舎わたらひ     曾良

の句がある。
 田舎渡りの遊女の悲哀はある種鉄板(定番)だったのかもしれない。
 十六句目。

   雪舟に乗越の遊女の寒さうに
 壹歩につなぐ丁百の錢      乙州

 コトバンクで「丁百の錢」を引くと「丁銭」とあり、「丁銭」を引くと「丁百」とある。「丁百」は「デジタル大辞泉の解説」に、

 「江戸時代、銭96文を100文に通用させた慣行に対して、100文をそのまま100文として勘定すること。丁銭。調銭。→九六銭(くろくぜに)」

とある。「九六銭」は「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 江戸時代に、銭九六文を「さし」に通してまとめ、一〇〇文として通用させたもの。また、その計算法。中国の商習慣をうけいれたもので、九六という数字は、比較的多くの数で割り切れるので、取引上便利なために江戸時代には広く行なわれた。省百(せいひゃく)。くろく。
  ※増補田園類説(1842)下「寛永新銭の頃より、九六銭に成たると見えたり」

とある。
 「壹歩(一歩)」は一分金(一歩判)と「一歩進む」に掛けたもので、遊女の一歩は、丁百をこつこつと貯めて行き、やがては一分金になるとする。一分金四枚で一両(小判一枚)になる。一歩は約千文なので、丁百の錢十本となる。
 田舎わたらいの遊女は一歩稼ぐのも大変だったのだろう。
 十七句目。

   壹歩につなぐ丁百の錢
 月花に庄屋をよつて高ぶらせ   珍碩

 丁百は田舎の方で用いられることが多かったのか、田舎の庄屋を月花にかこつけて酔わせてご機嫌をとれば、一歩相当の銭でもぽんと気前よく出してくれる。
 中村注には「よつて」を「寄ってたかって」の意味としている。「寄って」と「酔って」をかけているので、あえて平仮名で「よつて」としているのであろう。
 十八句目。

   月花に庄屋をよつて高ぶらせ
 煮しめの塩のからき早蕨     怒誰

 田舎の庄屋の月花の宴にふさわしい肴といえば、塩辛い早蕨の煮しめだったのだろう。

2020年4月25日土曜日

 今日はいい天気だったけど、どこも道はすいていて人も少なかった。これからゴールデンウィークに向けて外出を控えて、一気にピークアウトにもって行きたい所で、そういう意識を多くの人が共有できたのだとしたら心強い。

   万博あとにまためぐり逢い
 偶然と思えずもしやストーカー

 それでは「鐵砲の」の巻の続き。

 初裏。
 七句目。

   秋の夜番の物もうの聲
 女郎花心細氣におけはれて    筆

 中村注によると、「おけはれて」は「おそはれて」の間違いで「魘はれて」という字を当てる、悪夢に魘(うな)されるという意味だという。
 「女郎花」は比喩で女郎(遊女)のことであろう。心配になった男が番小屋に駆け込んでくる。
 八句目。

   女郎花心細氣におけはれて
 目の中おもく見遣がちなる    野徑

 目も虚ろでどんよりとしていて、遠い目をしているということか。女郎さんの状態を付ける。
 九句目。

   目の中おもく見遣がちなる
 けふも又川原咄しをよく覺え   里東

 「川原咄し」は中村注に「芝居話」とある。四条河原で芝居が行われていたことからそう言うようだ。歌舞伎役者も身分的には河原乞食で非人だった。
 ウィキペディアによると、

 「近世初期には長吏頭・弾左衛門の支配下にあった。しかし歌舞伎関係者は自分たちの人気を背景に弾左衛門支配からの脱却をめざした。宝永5年(1708年)に弾左衛門との間で争われた訴訟をきっかけに、ついに「独立」をはたす。江戸歌舞伎を代表する市川團十郎家は、このことを記念する『勝扇子(かちおうぎ)』という書物を家宝として伝承していた。」
 「しかし、歌舞伎役者は行政的には依然差別的に扱われた。彼らは天保の改革時には、差別的な理由で浅草猿若町に集住を命ぜられ、市中を歩く際には笠をかぶらなくてはならないなどといった規制も受けた。歌舞伎が法的に被差別の立場から解放されるのは、結局明治維新後のことだった。」

とある。
 歌舞伎役者に夢中になっている女性は、うっとりとしたような遠い目をしている。
 十句目。

   けふも又川原咄しをよく覺え
 顔のおかしき生つき也      泥土

 「おかしき」は古代では良い意味で用いられるが、江戸時代では面白い、ちょっと変わったというニュアンスになる。
 今で言う芸人の顔のような、ちょっと灰汁の強い感じなのではないかと思う。
 芝居の話をしながら物真似を交えたりしていたのだろう。でも何かちょっと変で笑いを誘う。
 十一句目。

   顔のおかしき生つき也
 馬に召神主殿をうらやみて    乙州

 神田祭の行列を先導する騎馬神職のことだろうか。やはり顔が良いのが選ばれるのだろう。
 十二句目。

   馬に召神主殿をうらやみて
 一里こぞり山の下苅       怒誰

 「こぞり」は「諸人こぞりて」というクリスマスソングもあるように、集まるという意味。
 「山の下苅」は夏になると林の下草が茂りすぎるので、刈ってすっきりさせることをいう。山の面積は広いので村人総出で行う。
 祭の行列は神田祭、山王祭など夏に行われることが多く、その頃農民は山の下刈りに追われている。

2020年4月24日金曜日

 今日もいい天気で、車が渋滞した。何だか緊急事態宣言の前に戻ったような混み具合だった。
 外出するなと言われても海辺や風光明媚な観光地に押しかけてしまうのは日本人だけではないらしい。もっと多くの死者が出ているところでもそうなら、止められないのかもしれない。
 まあ、何年かしてコロナの猛威が去ったら、パリピ遺伝子は淘汰され、オタクや引き籠り遺伝子が支配的な世の中になるのかもしれない。

   七十年過ぎてから言う好きだった
 万博あとにまためぐり逢い

 それでは「鐵砲の」の巻の続き。

 四句目。

   西風にますほの小貝拾はせて
 なまぬる一つ餬ひかねたり    乙州

 「なまぬる」は中村注には「微温湯」とある。「餬」は「かゆ(=粥)」という字だが、ここでは「もらひ」と読む。お粥を口に含ませるように、なまぬるを口に含むために貰おうとしたら貰えなかったということか。
 ただ、何でぬるま湯を口に含もうとしたかよくわからない。「なまぬる」はここでは生ぬるいお粥のことではなかったか。小貝を拾って歩いているうちに、宿のお粥がなくなってしまったということか。
 五句目。

   なまぬる一つ餬ひかねたり
 碁いさかひ二人しらける有明に  怒誰

 昔は賭け碁をする人が多かったから、いろいろズルをする人もいて喧嘩になることも多かったのだろう。
 賭け碁でなくても『源氏物語』で空蝉と軒端荻が碁を打つ場面があって、軒端荻が整地でごまかそうとして空蝉に阻止される場面がある。
 碁をめぐってさんざん罵りあった後、夜も白む有明の頃には気分の方もすっかり白けてしまい、くーっと腹の虫が鳴く。そういやお粥食い損なっちゃったな、というところか。
 六句目。

   碁いさかひ二人しらける有明に
 秋の夜番の物もうの聲      珍碩

 「物もう」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「[感]《「物申す」の略》他家を訪問して案内を請うときにいう語。たのもう。ごめんください。
 「―。案内まう」〈虎清狂・泣尼〉」

とある。
 街の警護のための番小屋で夜番をしていた二人だが、閑なので囲碁を打っていたのだろう。いさかいになって罵り合っているところに「ものもう」と誰かがやってきて、急に我に帰る。

2020年4月23日木曜日

 今日は天気はよかったが午後ににわか雨が降った。昔だったら「ひと村雨」というところか。すぐに晴れてきて、新緑が眩しく輝く。
 まあ、頭の良い人というのはえてして、問題をどうしようもなく複雑にしてしまうもので、その挙句、いろいろ不満を政治にぶちまけているが、コロナの問題というのは本当は単純なもので、新たな感染者を減らしさえすれば、すべての問題はあーら不思議、魔法のように解決するという、そういうものではないかと思う。
 医者を増やすのには何年もかかるが、感染者の数は日々増え続けている。だから感染しても医者にかかれなくなるのは当たり前だ。誰が悪いのでもない。感染者を減らす以外に問題の解決はない。
 そもそも感染者が増えるから自粛が必要なので、感染者がいなくなれば自粛は必要ないから補償も必要ない。簡単なことだ。
 感染者がいなければマスクが不足することもないし、手洗いだって適当でいい。
 だから、コロナの問題は新たな感染者を減らすにはどうすればいいかと、それに尽きると思う。
 ゴールデンウィークはとにかくどこへも行くな。最低限必要な外出が何なのかは各自で考えれば良い。

   歩こう会の口は休まず
 七十年過ぎてから言う好きだった

 さて、旧暦の卯月に入るということで、卯月の俳諧をと探したところ、元禄三年刊珍碩(洒堂)編『ひさご』にありました。
 珍碩、乙州など近江膳所の連衆六人+主筆が集まり卯月の初めに興行したものと思われる。
 『芭蕉七部集』(中村俊定注、岩波文庫、1966)に所収されているものを読んでいくことにする。

 発句。

 鐵砲の遠音に曇る卯月哉     野徑

 『芭蕉七部集』(中村俊定注、岩波文庫、1966)の中村注に、「昔鉄砲の稽古は四月から始めたという。」とある。
 ネット上にあった『近世の武士における武芸の位置づけ』(工藤栄三)には、

 「武芸上覧は,鉄砲,弓鉄砲,小筒,大筒,弓の飛道具が多く,鎗と切合(剣術)がこれに続く。鉄砲類は,藩の軍団の演技であり,足軽鉄砲隊を主流とし,恒常的な稽古が行われていた。例えば安永三年(1774)の町触に
 「覚
  鉄炮星稽古金鉛・筒薬其外ともに年々召放之
  分被渡候処,御財用向甚御差支に付今年より…」
とみられるのは,鉄砲の的打ち稽古の為,鉛・筒薬その他を召放つ分だけ充分に与えていたが,財政上差しつかえるので今年よりその数量を減らす,との布告である。翌安永四年(1775)の町触では
 「例年鉄炮四月朔日より明置候処,今年格別吟味之訳有之,来月十五日より星稽古可致候」
 鉄砲稽古は,春先四月一日から例年恒常的に七月十五日迄稽古していたものである。それを一ケ月半おくらせて,その分の財政を浮かそうとしたもので,藩が毎年直接この軍団の稽古に関わっていたことを示す。」

とある。
 足軽の鉄砲隊の演習が行われたなら、さぞかしパンパンと景気よく大きな音を立てていたことだろう。
 その音は遠くなると高周波成分がカットされ、低い曇った音になり、折からの四月の曇り空にどんよりと響いていたのだろう。
 「卯月曇(うづきくもり)」という言葉もあり、コトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 「卯の花曇とも。陰暦4月,陽暦ならほぼ5月のころの変わりやすい天候。これがもう一まわり悪天となると卯の花くたしが降る。」

とある。
 野徑は近江膳所の人。
 脇。

   鐵砲の遠音に曇る卯月哉
 砂の小麥の痩てはらはら     里東

 鉄砲の演習は砂浜で行われることが多かったのだろう。近くには麦畑があるが、そこも砂地で麦は痩せている。
 第三。

   砂の小麥の痩てはらはら
 西風にますほの小貝拾はせて   泥土

 「ますほの小貝」というと西行法師が敦賀の種(いろ)の浜で詠んだという、

 汐そむるますほの小貝拾ふとて
   色の浜とはいふにやあるらむ
              西行法師

の歌が知られている。芭蕉も『奥の細道』の旅で訪れている。
 ますほの小貝の生物種としての名前はよくわからない。
 ここでは「ますほ(増す穂)」に掛けて小麦を導き出す、連歌で言う「掛けてには」が用いられている。
 小貝にはらはらと落ちた麦の穂が混ざるというのは、

 浪の間や小貝にまじる萩の塵   芭蕉

の句を意識して、萩を麦に変えたか。

2020年4月22日水曜日

 今日は旧暦の三月三十日で、「春がいくまで二十八日」のその日となった。
 午前中は晴れて暖かく穏やかで、外を歩く人も多かった。埼玉の方の道の駅は満車に近い状態だったし、公園ではたくさんの子供達が走り回っていた。
 コンビニはトイレが閉鎖されていて運転手には厳しい。
 午後になると曇ってきて一転して寒くなった。夕方には雨がぽつぽつと落ちてきた。

   片隅の小さなやしろ手を合わせ
 歩こう会の口は休まず

 さて、「傘に」の巻の続き。挙句まで。

 二裏。
 三十一句目。

   四五十日に居あく太秦
 藪陰は麦も延たる霜柱      岱水

 ここで一句だけ『炭俵』でお馴染みの岱水さんの登場となる。
 当時の太秦あたりの景色だったのだろう。
 三十二句目。

   藪陰は麦も延たる霜柱
 荷ふたものをとへば塩売     凉葉

 「塩売(しおうり)」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 「塩の取引商人。日本では塩は海岸地方でのみ生産されるといった自然的・地理的制約があるので,山間・内陸地方の需要を満たすため,製塩地と山間・内陸地方との間に古くから塩の交易路,すなわち塩の道が開かれ,そこを塩商人が往来し,各地に塩屋・塩宿が生まれた。塩の取引には,古代から現代に至るまで製塩地の販女(ひさぎめ)・販夫が塩・塩合物をたずさえて,山間・内陸地方産の穀物・加工品との物々交換を行ってきた。とくに中世に入って瀬戸内海沿岸地方荘園から京都・奈良に送られていた年貢塩が途中の淀魚市などで販売されるようになると,大量の塩が商品として出回るようになり,その取引をめぐって各種の塩売商人が登場した。」

とある。
 内陸部へは行商人が運んでいた。怪しい奴とばかりに荷物を調べたら塩だった、ということか。
 三十三句目。

   荷ふたものをとへば塩売
 男子ども遊び仕事を昼の辻    野坡

 「遊び仕事」はよくわからないが大道芸か。塩売りは本業の合い間に辻で何か芸をやったりして副業としていたか。
 三十四句目。

   男子ども遊び仕事を昼の辻
 寝入りもはやし年の寄ほど    利牛

 前句の「遊び仕事」を遊びのような仕事とし、爺さん達は早く寝る。その分起きるのも早いが。
 三十五句目。

   寝入りもはやし年の寄ほど
 切り株も若木ははなのうきやかに 濁子

 「うきやか」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 心の動きや動作が軽快なこと。また、そのさま。
  ※花伝髄脳記(1584頃)「下げて謡ふ所は、川の瀬のごとし。高く、心をうきやかに、するすると行く事、用也」
  ② 容貌などが、曇りなくはればれとしたさま。
  ※譬喩尽(1786)四「皖(ウキヤカ)な顔」
  ③ 心が軽薄で、行動のかるがるしいさま。
  ※信長記(1622)八「先がけのつはもの共、うきやかになってひしめ

きけり」

とある。「うかれる」から来た言葉で、今日の「うきうき」にも近いか。
 切り株から芽吹いた枝に咲く桜は、何だかうきうきしているように見える。
 挙句。

   切り株も若木ははなのうきやかに
 かげろふ落る岩の細瀧      曾良

 桜は雲や霞や雪などいろいろに喩えられるが、滝に喩えられることもある。

   堀河院御時、女房達を花山の花見せに
   つかはしたりけるが歸りまいりて、
   御前にて歌つかうまつりけるに、
   女房にかはりてよませ給ける
 よそにては岩こす滝と見ゆるかな
     峰の櫻や盛りなるらむ
                堀河院御製(金葉集)

 山櫻さきそめしよりひさかたの
     雲ゐに見ゆる滝の白絲
                源俊頼朝臣(金葉集)

 切り株から出た若木の細い桜の枝は「岩の細瀧」といえよう。
 「かげろふ」は一般的には日の当たる所でゆらゆら揺れる光の屈折によって起きる現象だが、古典で用いられる時は必ずしも今で言う陽炎とは限らず難しい。
 この場合の「かげろふ落る」も単に儚い光くらいの意味で、桜の細瀧のような枝のことではないかと思う。

2020年4月21日火曜日

 感染者の頭打ち傾向は確かなものになってきたが、まだピークアウトと言うのは早いだろう。
 勝ったと思ったときが一番危ない。感染爆発まではないにしても、気を緩めればすぐにまた増加に転じる。医療現場はもう限界に来ているから、死者は増え続けるだろう。
 コロナ以外のニュースが多く、感染者数や死者数に関心が薄れている感じがする。テレビのグルメネタは何とかならないか。外出を奨励しているとしか思えない。
 どっちにしても日本では個人の権利を制限することはできない。各自の自覚による自発的な自粛あるのみだ。

   年末ジャンボ一応は買い
 片隅の小さなやしろ手を合わせ

 それでは「傘に」の巻の続き。

 二十五句目。

   まるぐちすゆる鯖のやき物
 祝言も母が見て来て究メけり   利牛

 結婚式のご馳走も母がどこから見てきたか鯖の尾頭付きに決定した。
 二十六句目。

   祝言も母が見て来て究メけり
 木綿ふきたつ高安の里      芭蕉

 「木綿(きわた)」は木綿の綿。
 高安(たかやす)は今の大阪府八尾市にある地名。
 かつては綿花の栽培が盛んで、河内木綿と呼ばれていた。高安山のふもとの綿織物は山根木綿ともいう。
 『伊勢物語』の筒井筒の話を踏まえて、高安の女は木綿で儲かっているがやめときなということで、奈良の女と祝言を挙げさせたというところか。
 二十七句目。

   木綿ふきたつ高安の里
 足場より月の細道一筋に     濁子

 木綿の花が真っ白に咲き、それを月が照らし出すと、この年の秋に詠まれることになる、

 名月の花かと見えて綿畠     芭蕉

のように美しい景色になる。
 ただ、綿花は背が低いため、桜のような花の下の道ではなく、真っ白な中に一筋に道が現れる。
 芭蕉の「名月の」の句は、あるいはこの濁子の句が元になっていたか。
 二十八句目。

   足場より月の細道一筋に
 鹿追ふ声の睡たそうなる     曾良

 前句を普通の畑の中の道とし、夜にやってくる鹿を追い払う声もすっかり夜遅くなったせいか眠たそうに聞こえる。
 二十九句目。

   鹿追ふ声の睡たそうなる
 念仏に小さき鉦は殊勝にて    利牛

 ここでいう「鉦(かね)」は鉦鼓(しょうこ)のことで、読経や念仏にも用いられる。
 鉦鼓は念仏に使えば殊勝だが、ここでは鹿を追い払うのにも役に立つ。
 三十句目。

   念仏に小さき鉦は殊勝にて
 四五十日に居あく太秦      野坡

 京都の太秦(うずまさ)には安井御所の念仏堂があった。今は安井念仏寺になっている。
 念仏の鉦の音は風情があるが、四五十日もいれば流石に飽きる。

2020年4月20日月曜日

 今日は一日小雨だった。
 変死者(病院以外で死んだ人)11人が死後検査してコロナに感染していたという。多くは部屋で死んでいるのが発見されたものだが、中には歩いていて倒れた人もいたという。
 熱が出て検査をして欲しくても、まず保健所に電話する段階で電話が繋がらず挫折する人も多い。
 医療現場は維持されていても、そこにたどり着けずに死ぬという日本型の医療崩壊が始まっている。

   時節柄ユーチューバーを目指そうか
 年末ジャンボ一応は買い

 それでは「傘に」の巻の続き。

 二表。
 十九句目。

   瓢の煤をはらふ麻種
 春の空十方ぐれのときどきと   野坡

 「十方(じっぽう)ぐれ」はウィキペディアに、

 「選日の一つで、日の干支が甲申(甲子から数えて21番目)から癸巳(同30番目)の間の10日間のことである。
 この10日間のうち、十干と十二支の五行が相剋しているものが8日も集中しているため、特別な期間と考えられるようになった。この期間は、天地の気が相剋して、万事うまく行かない凶日とされている。」

とある。(ちなみに今日は癸巳で十方ぐれの最終日になる。)
 ただ、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、

 「① 暦で、甲申(きのえさる)の日から癸巳(みずのとみ)の日までの一〇日間をいう。この間は天地陰陽の気が和合しないで、十方の気がふさがり、何事の相談もまとまりにくく、万事に凶であるという。
  ※蔗軒日録‐文明一八年(1486)二月九日「今日者世之所謂十方之初日也。舟人所レ忌之日也」
  ② 空がどんよりと曇っていて暗いこと。転じて、心が重く、暗くふさがること。
  ※咄本・鹿野武左衛門口伝はなし(1683)下「日しょくか十方ぐれかしかるべしと申ける」

とあり、この句の場合は②で、①の意味への取り成しを期待した句ではないかと思う。
 桜の花が咲く頃は花曇になることも多い。
 二十句目。

   春の空十方ぐれのときどきと
 汐干に出もをしむ精進日     芭蕉

 忌日に凶日が重なるなら、なおさら殺生を避けなければならない。
 二十一句目。

   汐干に出もをしむ精進日
 駕舁のひとりは酒を嗅もせず   利牛

 精進日なので酒も控える。
 二十二句目。

   駕舁のひとりは酒を嗅もせず
 先手揃ゆる宿のとりつき     凉葉

 先手(さきて)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 陣立で、本陣の前にある部隊。また、先頭を進む部隊。先陣。先鋒(せんぽう)。さき。
  ※嘉吉記(1459‐67頃)享徳三年「一方の先手と頼切たる勝元逐電の上は、今夜の征伐は止にけり」
  ② 行列などの先頭をつとめる者。先頭を行く供人。
  ※俳諧・西鶴大句数(1677)一「行龝や道せばからぬ一里塚 三人ならびに先手の者ども」
  ③ 江戸時代、将軍護衛の役。
  ※随筆・胆大小心録(1808)一〇八「大田蜀山子、今はおさきての御旗本にめされし也とぞ」
  ④ 船具。和船の帆柱を起こしたり、倒したりするとき、船首・船尾へ引く綱。柱引。〔和漢船用集(1766)〕」

とある。この場合は②の意味か。
 ③は先手組のことで、コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「江戸幕府の職名。弓組と鉄砲組とに分かれ、江戸城諸門の警備、将軍外出の際の護衛、また、火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)として江戸市中の巡視などを担当。先手頭のもとに与力(よりき)・同心で組織された。」

とある。
 宿場の入口に行列の先頭が到着するとなると、酒を飲んでいる場合ではない。すぐに見に行かなくちゃ。
 何たって大名行列はパレードだ。庶民の数少ない娯楽の一つだ。
 二十三句目。

   先手揃ゆる宿のとりつき
 むつかしき苗字に永き名を呼て  芭蕉

 先手が名乗りを上げるが、よくわからない苗字にその前後にいろいろなものがくっ付いて長い名前になる。征夷大将軍淳和奨学両院別当源氏長者徳川従一位行右大臣源朝臣家康のように。
 二十四句目。

   むつかしき苗字に永き名を呼て
 まるぐちすゆる鯖のやき物    野坡

 「まるぐちすゆる」は『校本芭蕉全集』第五巻の中村注によると、丸ごと尾頭付きで膳に据える」という意味だという。
 偉そうな名前を名乗っても所詮は庶民で、いくら尾頭付きでも所詮鯖はは大衆魚。

2020年4月19日日曜日

 今日は朝からいい天気だった。
 一度買い物には出たが、公園なんかも結構人が多かった。

   尺八習う和風ゴシック
 時節柄ユーチューバーを目指そうか

 それでは「傘に」の巻の続き。

 十三句目。

   おこしかねたる道心の沙汰
 金払ひ名月までは延られず    凉葉

 月は「真如の月」という言葉もあるように、道心に一点の迷いもないと言いたい所だが、それまでに遅滞した借金を返さなくてはならないから、出家の沙汰はそれまで待って、ということになる。
 七月十五日に決済の所を一月猶予してもらったのだろう。
 十四句目。

   金払ひ名月までは延られず
 のぼり日和の浦の秋雁      曾良

 前句を商売人の位として、都まで船で商品を運びそれを売って借金を返そうとする。
 「浦の秋雁」は港の景色と見ても良いし、これから都へ上る自分の比喩としても良い。
 十五句目。

   のぼり日和の浦の秋雁
 秋もはや升ではかりし唐がらし  芭蕉

 京へ上る商人を唐辛子売りとした。江戸の薬研掘の七味唐辛子は寛永のころの創業で、唐辛子売りは江戸の名物となった。新藤兼人監督の『北斎漫画』でも緒形拳扮する葛飾北斎が「とんとんとん、とんがらし」とうたいながら唐辛子を売る場面があった。
 京都では明暦の頃、清水寺の門前で唐辛子が用いられるようになったという。
 十六句目。

   秋もはや升ではかりし唐がらし
 清涕たらす子の髪結てやる    宗波

 「清涕」は百度百科に「透明而稀薄的鼻腔分泌液,即水样鼻涕。」とある。鼻水のことで、ここでは「清涕(はな)たらす」と読む。昔は青っ洟(ぱな)を垂らす子が多かった。ティッシュのなかった時代は袖で拭いたりしてそでがカピカピになったりした。「はなたれ小僧」という言葉にその名残がある。
 そのはなたれ小僧というと江戸時代では芥子坊主だが、成長してようやく髪を結うまでになったのだろう。芥子坊主が唐辛子頭になった。
 十七句目。

   清涕たらす子の髪結てやる
 在所から半道出れば花咲て    利牛

 「在所」は近代では被差別部落の意味で用いられるが、江戸時代は普通に田舎の集落の意味で用いられていたようだ。
 コトバンクの「世界大百科事典内の在所の言及」に、

 「江戸時代以降,都を離れたいなかを意味するようになるが,さかのぼって《塵芥集》の〈在所〉は門・垣をめぐらし,竹木で囲まれた家・屋敷でアジール的機能をもつと解しうるので,中世の所についても,同様の性格を備える場合が少なからずあったと見てよかろう。」【網野 善彦】

とあり、門や垣によって閉ざされた集落のイメージがあったのだろう。
 「梅が香に」の巻の六句目に、

   宵の内ばらばらとせし月の雲
 藪越はなすあきのさびしき    野坡

の句の江戸後期の注釈、『俳諧古集之弁』に、

 「在所の気やすきさまならん。夜も又静になりけらし。」

とあり、藪によって仕切られたというイメージがある。
 「在所」という言葉に単なる集落ではなく、閉ざされた一角というイメージがあったあたりに、後に被差別民部落の意味に転用されるもとがあったのだろう。
 この句でも在所の中に桜の木があるわけでなく、そこから出てちょっと行った所に桜の木がある。そこへ行くために普段髪を結わない子供の髪を結っているのだろう。
 十八句目。

   在所から半道出れば花咲て
 瓢の煤をはらふ麻種       濁子

 桜の咲く頃は麻の種まきの時期でもある。納屋で煤をかぶっていた瓢(ひさご)の煤を払い、種を撒いたら水をやる。
 成長すると麻は二メートルを越える高さになるから、

 つかみ逢ふ子どものたけや麦畠  去来

に対し「凡兆曰く、是麦畠は麻ばたけともふらん」(去来抄)というのは無理がある。

2020年4月18日土曜日

 今日は激しい雨が降ったが、午後三時頃には急に晴れた。
 十一日の俳話に書いたとおり、今日感染者が一万人を越えた。死者も昨日二百人を越えた。明日か明後日にはついに韓国越えかな。
 中途半端な自粛では感染者が減らないことははっきりした。あとは二週間ぐらい徹底的に経済を止めて外出禁止にするくらいのことはやらないと駄目だろう。去年は十連休をやったのだから、出来ないはずはないと思う。

   猫の顔隠せるほどの牡丹咲き
 尺八習う和風ゴシック

 それでは「傘に」の巻の続き。

 初裏。
 七句目。

   誉られてまた出す吸もの
 湯入り衆の入り草臥て峰の堂   曾良

 温泉と修験道は密接に結びついたもので、役行者や弘法大師の開いた温泉というのが各地にあり、その多くが修験道に結びついている。
 「湯入り衆」は峰の堂で修行する修験者で、修行と称して温泉にばかり入ってるのを揶揄したか。
 曾良は『奥の細道』の旅で湯殿山の温泉を尋ねているし、『奥の細道』後は大峰にも行っている。こういうところに泊ると吸い物が出てくるのだろう。
 八句目。

   湯入り衆の入り草臥て峰の堂
 黒部の杉のおし合て立      芭蕉

 黒部の立山も修験の地で立山温泉がある。
 黒部杉は黒檜(くろべ)、鼠子(ねずこ)とも言い、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 「ヒノキ科(分子系統に基づく分類:ヒノキ科)の常緑針葉高木。別名ネズコ。大きいものは高さ35メートル、直径1.8メートルに達する。樹皮は赤褐色、薄く滑らかで光沢があり、大小不同の薄片となってはげ落ちる。葉は交互に対生し、鱗片(りんぺん)状で、表面は深緑色で、ヒノキより大形であるがアスナロより小形である。5月ころ小枝の先に花をつける。雌雄同株。雄花は楕円(だえん)形で鱗片内に四つの葯(やく)がある。雌花は短く、鱗片内に3個の胚珠(はいしゅ)がある。球果は楕円形で長さ0.8~1センチメートル、その年の10月ころ黄褐色に熟す。種子は線状披針(ひしん)形、褐色で両側に小翼がある。本州と四国の深山に自生する。陰樹で成長はやや遅い。木は庭園、公園に植え、材は建築、器具、下駄(げた)、経木(きょうぎ)などに用いる。[林 弥栄]」

とある。
 ただ、ここでいう黒部の杉は多分「杉沢の沢スギ」ではないかと思う。ウィキペディアに、

 「杉沢の沢スギ(すぎさわのさわスギ)とは、富山県下新川郡入善町の海沿いにある約2.7 haのスギ林を中心とする森林である。森林内に黒部川の湧水が多数みられるのが特徴。スギが一株で複数の幹をつける伏条現象や、森林内の多様な生態系が見られ、国の天然記念物に指定されている。」

とある。「おし合て立」はこの伏条現象のことではないかと思う。
 修験の衆の入浴は集団で行われ、芋を洗うような状態になる所から、黒部で見た杉沢の沢スギを付けたのであろう。
 芭蕉と曾良は『奥の細道』の旅の途中、七月十三日に市振から滑川に行く途中、このあたりを通っている。
 『奥の細道』には「くろべ四十八が瀬とかや、数しらぬ川をわたりて」としか記されてない。
 九句目。

   黒部の杉のおし合て立
 はびこりし廣葉の茶園二度摘て  濁子

 黒部杉はお茶室などに用いられると言う。
 「廣葉(広葉)」は碾茶のこと。これを石臼で挽いて抹茶にする。
 一度つんだ広葉用の茶葉が茂りすぎて、二度目の茶摘となったが、そのはびこり具合とお茶室に縁のある黒部杉のはびこりとを重ねあわす、一種の響き付けであろう。
 十句目。

   はびこりし廣葉の茶園二度摘て
 けふも暑に家を出て行      利牛

 お茶の二度目の収穫の頃は、かなり高温になる。
 十一句目。

   けふも暑に家を出て行
 伊勢のつれ又変替をしておこす  野坡

 「変替(へんがえ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 「へんがい(変改)」の変化した語。〔文明本節用集(室町中)〕
  ※虎明本狂言・飛越(室町末‐近世初)「すきなどといふ物は、やくそくなどして、さやうにへんがへはならぬ」
  [補注]室町期には[i]と[e]、とりわけ[ai]と[ae]の間での母音交替現象がしばしば認められるが、その多くは一時的なもので、意義分化といった質的変化が生じない限り、いずれはどちらか一方が消滅するのが一般的である。「へんがへ」の場合は音変化を起こした部分がたまたま似た意味の「替え」と同音であったために「変替え」と意識され、「変改(へんがい)」との間に意味用法的な差異を生じないままに両者が併存するに至ったものと考えられる。
  〘他ハ下一〙 変更する。また、心変わりする。約束を破る。
  ※談義本・地獄楽日記(1755)三「惣仕廻を変がへてたも」

とある。
 当時の旅は一人旅は危険ということで二人一組になって移動することが多い。『奥の細道』の旅も曾良が同行した。
 お伊勢参りも二人で行くことが多いが、連れの方が朝の暑さで早く目が覚めてしまったのだろう。いきなり起され「行くぞ」となる。迷惑なことだ。
 十二句目。

   伊勢のつれ又変替をしておこす
 おこしかねたる道心の沙汰    宗波

 宗波は『鹿島詣』の旅で曾良とともに芭蕉に同行したが、神道家の曾良を伊勢の連れとしたか。曾良は『鹿島詣』には「浪客の士」とあり、『奥の細道』の旅のときに剃髪し僧形となった。
 宗波は

 「ひとりは水雲の僧。僧はからすのごとくなる墨のころもに、三衣(さんね)の袋をえりにうちかけ、出山(しゅつざん)の尊像を厨子にあがめ入れテうしろに背負ひ、拄杖(しゅじょう)ひきならして無門の関(かん)もさはるものなく、あめつちに独歩していでぬ。」

とある。
 お伊勢参りの連れは僧形になる予定だったが急に気が変り、俗形のまま旅立つこととなった。

2020年4月17日金曜日

 今日は旧暦の三月二十五日。春も残り少ない。木の芽が一斉に芽吹き、新緑の季節も近い。
 東京の感染者数はまた増えて、結局中途半端な自粛だと爆発的に増えることはなくてもいつまでもじりじりと微増が続き、他所の国が終息に向かっても日本だけがいつまでも自粛を続けていそうな気がしてきた。

   草木も鬱の新緑の頃
 猫の顔隠せるほどの牡丹咲き

 「五人ぶち」の巻が終わり、次はということで、同じ時期の歌仙をもう一つ。
 発句。

   雨中
 傘におし分見たる柳かな     芭蕉

 笠は雨でなくても旅のときに被ったり、晴れ着として使用されたりもする。
 これに対し「傘(からかさ)」は雨の日のものだ。
 柳の糸も雨に喩えられるし、

 八九間空で雨降柳かな      芭蕉

の句もある。ここではそうではなく本物の雨の中で笠をさしながら見る柳だ。
 特に寓意はないだろう。雨の日の興行だけど、笠をさしたままでも柳は見えますね、というぐらいの挨拶か。
 脇。

   傘におし分見たる柳かな
 わか草青む塀の筑さし      濁子

 「筑(つき)さし」は『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注)の中村注には、「築造しかけて中止してあるもの」とある。
 上を見れば雨の中に雨と見まがうような柳の枝があり、下を見れば造りかけの塀の周りを若草が雨露に青々としている。
 これも特に寓意のない、軽い脇だ。
 第三。

   わか草青む塀の筑さし
 おぼろ月いまだ炬燵にすくみゐて 凉葉

 春といっても寒い日はある。仕舞おうと思ってもついついまだ寒い日があるのではないかと思い、そのままにしていると、本当にまた寒い日があったりする。
 四句目。

   おぼろ月いまだ炬燵にすくみゐて
 使の者に礼いふてやる      野坡

 炬燵にすくんでいるのはご隠居さんだろうか。店の丁稚を使いにやり、戻ってきたら礼を言う。商家にありがちな風景だろう。
 五句目。

   使の者に礼いふてやる
 せんたくをしてより裄のつまりけり 利牛

 「裄(ゆき)」はgoo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」に、

 「和服の部分の名称。着物の背の縫い目から袖口まで。また、その長さ。肩ゆき。」

まあ、洗濯したら服が縮んだというのは、昔はよくあることだった。
 まいったなと思ってはいても、持ってきてくれた使いの者には一応礼を言う。
 六句目。

   せんたくをしてより裄のつまりけり
 誉られてまた出す吸もの     宗波

 縮んだ服を平気で着ているような人というのは空気が読めないもので、吸い物をお世辞で誉めてやっただけなのに、すっかり得意になって行く度にそのお吸物が出てくる。

2020年4月16日木曜日

 政治の方がようやく動き出した。四月も半分終って、ようやく五月終息を信じる能天気な人たちも折れざるを得なかったか。
 ただ、一番厳しい措置をとった東京ですら、頭打ちではあっても減少に転じたとは言い難い。街の人通りは相変わらず多い。
 清水建設は英断を下したが、まだまだ他の大手ゼネコンの工事は止まる気配がない。工事に携わる大勢の人たちだけでなく、そこに配属されているガードマンさんや我々資材を運び込む運転手も感染の危険にさらされながら仕事を続けなくてはならない。大金が掛かっているだけに、やはり人の命よりも金なのだろうか。

   少しづつ業界言葉覚えだす
 草木も鬱の新緑の頃

 それでは「五人ぶち」の巻の続き。挙句まで。

 二裏。
 三十一句目。

   蕎麦うつ音を誉る肌寒
 はらはらと桐の葉落る手水鉢   芭蕉

 蕎麦打ちからお寺の情景へと転換する。
 今でもお蕎麦屋というと長寿庵だが、ウィキペディアによると最初の長寿庵は元禄十七年、京橋五郎兵衛町にオープンしたという。
 蕎麦とお寺との関係は、まず精進料理であるということと、「五穀断ち」の五穀(米、麦、粟、キビ、豆)に含まれないからだとも言う。
 三十二句目。

   はらはらと桐の葉落る手水鉢
 書付てある鎌の稽古日      野坡

 鎌は一心流鎖鎌術だろうか。一心流鎖鎌術は江戸時代初期に夢想権之助が開いた神道流剣術や神道夢想流杖術に付随したもので、ウィキペディアによれば他にも一達流捕縄術、一角流十手術、内田流短杖術、中和流短剣術が併伝されているという。
 夢想権之助は宮本武蔵とも対戦したという伝承がある。
 前句の手水鉢をお寺から神社に転じて、神道流へと展開したと思われる。
 三十三句目。

   書付てある鎌の稽古日
 漸とかきおこされて髪けづり   芭蕉

 「かきおこす」はweblio辞書の「学研全訳古語辞典」に、

 「引き起こす。
  出典源氏物語 夕顔
 「この御かたはらの人をかきおこさむとす」
 [訳] (源氏の)おそばの人(=夕顔)を(女の物の怪けが)引き起こそうとする。」

とある。
 「漸」は「ようよう」と読む。「髪けづり」は髪を櫛で梳かすことをいう。
 寝ていたところ、人に体を引き起こされて、髪を梳かしてもらっている。一心流鎖鎌術の師匠だろうか。稽古日をすっかり忘れていたのだろう。
 三十四句目。

   漸とかきおこされて髪けづり
 猫可愛がる人ぞ恋しき      野坡

 前句を猫のブラッシングとする。
 「猫可愛がる人」は『源氏物語』若菜巻の女三宮の俤を感じさせる。
 三十五句目。

   猫可愛がる人ぞ恋しき
 あの花の散らぬ工夫があるならば 芭蕉

 『源氏物語』若菜巻で柏木が女三宮の姿を垣間見るのは三月末の六条院の蹴鞠の催しで、『源氏物語』のこの場面を描いた絵には桜の木が描かれている。『源氏物語』本文にも「えならぬ花の蔭にさまよひたまふ夕ばえ、いときよげなり。」とある。
 猫の登場する直前には、

 「軽々しうも見えず、ものきよげなるうちとけ姿に、花の雪のやうに降りかかれば、うち見上げて、しをれたる枝すこし押し折りて、御階の中のしなのほどにゐたまひぬ。督の君続きて、花、乱りがはしく散るめりや。桜は避きてこそなどのたまひつつ」

とある。ここから「あの花の散らぬ工夫があるならば」という連想は自然であろう。
 督の君は右衛門督(柏木)のことでこの心情と、そのあとの猫の登場とが見事に重なる。
 ここまで物語に付いていると、俤というよりは本説といった方がいいだろう。
 打越の毛を梳かす場面が『源氏物語』から離れているので、あえてこのような『源氏物語』への濃い展開を選んだのだろう。
 挙句。

   あの花の散らぬ工夫があるならば
 掃目のうへに色々の蝶      執筆

 挙句はこれまで沈黙していた執筆が務める。
 地面の箒で掃いた跡の上には色々の蝶が飛んでいる。
 花は散っても蝶は散らないということか。

2020年4月15日水曜日

 今朝は下弦の月と三つの惑星が並んでいた。
 藤の花も咲いてたね。
 東京都の感染者数が減っているので、一応緊急事態宣言の効果が出たのか。だが、これで気を抜いてはいけない。死者が増えている。
 人と人とが顔を合わせなくても回る社会ということで、ネット取引、ネット会議、ネット上の商品開発、業者のブッキング、資金集め、ネットでのライブ配信、ネット上での多人数での音楽、映画、ドラマ、アニメなどの創作、ネット上での学校の授業などが盛んになれば、そのプラットフォーマーも急成長することになるだろう。
 そして多分今のGAFAのように最終的には巨大プラットフォーマーの寡占になるんだろうな。
 公共性の強い分野だけに、規制で縛り付けるのは良い方法ではない。国ごとの課税強化もあまり効果がないとなると、何か地球規模での課税システムが必要になるのかもしれない。
 それともむしろ、彼等が地球政府になり、世界中にベーシックインカムを供給することになるのか。政治のプラットフォームを作るというのもあるかもしれない。

   宿に着いても酒は飲まない
 少しづつ業界言葉覚えだす

 それでは「五人ぶち」の巻の続き。

 二十五句目。

   けふも粉雪のどつかりと降
 おはぐろを貰ひに中戸さし覗き  野坡

 「中戸(なかど)」はgoo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」に、

 「 江戸時代、商家の店から奥に通じる土間の口の仕切り戸。
 「―を奥へは、かすかに聞こえける」〈浮・永代蔵・四〉」

とある。
 鉄漿(おはぐろ)は鉄漿水(かねみず)と五倍子(ごばいし/ふし)粉で自作したという。鉄漿水は鉄と酢で作れるが五倍子粉は店で入手しなくてはならなかった。
 ただ、女性がみんな自作したのではなく、ご近所で誰かが作って、ほかの物と交換したりして融通し合ってたのではないかと思う。
 雪の日は鉄漿を貰いにいってもなかなか出てきてくれず、中戸から中を覗くことになる。これもあるあるだったのだろう。
 後の、

 応々といへどたたくや雪のかど  去来

句にも通じるものがある。
 二十六句目。

   おはぐろを貰ひに中戸さし覗き
 むかしの栄耀今は苦にやむ    芭蕉

 鉄漿には鑑真和尚が伝えたという香登(かがと)の鉄漿というのが市販されていたが、これはかなり高価で庶民の使うものではなかったという。
 「むかしの栄耀」というのはそんな高価な鉄漿を使える身分だった頃の話であろう。
 二十七句目。

   むかしの栄耀今は苦にやむ
 市原にそこはかとなく行々子   芭蕉

 市原は京都の北側、鞍馬や貴船への入口になる。
 「行々子」はヨシキリの別名だという。声が大きく「仰々子」とも書く。「そこはかとなく」は「どこからともなく」という意味。
 田舎の行々子の騒がしい声を聞くにつれ、昔の雅な生活との落差に悲しくなる。
 あるいは行々子は田舎のオバサンの会話の比喩なのかもしれない。
 二十八句目。

   市原にそこはかとなく行々子
 神拝むには夜が尊い       野坡

 市原は鞍馬・貴船に近い。貴船神社の神様を拝むには、ヨシキリの声のない夜のほうがいい。次の月の定座を意識した展開か。
 貴船というと、

 物思へば沢の蛍もわが身より
     あくがれいづる魂かとぞ見る
                和泉式部(後拾遺集)

の歌もあり、夜の貴船は蛍の連想も働く。
 二十九句目。

   神拝むには夜が尊い
 月影に小挙仲間の誘つれ     野坡

 「小挙(こあげ)」はweblio辞書の「歴史民俗用語辞典」に、

 「船積荷物を陸揚げすること、陸揚げに従事する者。」

とある。
 港には常夜灯が灯り、陸揚げ作業は夜でも行われた。仕事が終ると月明

かりを頼りに夜の神社に連れ立って向かう。
 三十句目。

   月影に小挙仲間の誘つれ
 蕎麦うつ音を誉る肌寒      芭蕉

 元禄の頃に夜鷹蕎麦があったのかどうかはわからない。遊郭から帰る客を相手に蕎麦の屋台が出たというが、その走りのようなものがあったのかもしれない。

2020年4月14日火曜日

 今日は仕事で遅くなったので「五人ぶち」の方は一休み。
 感染者が少しづつ増えて行くというのも、危機感を鈍らせる原因の一つなのだろう。
 急変すると目に止まりやすいが、少しずつ変わっていくとその変化に気付きにくい。昨日までの日常がそのまま続いているように錯覚しやすい。
 毎日何百人もの新たな感染者が明らかになっても、いつの間にかそれに驚かなくなったばかりか、今日は少し減ったななんて安心したりする。

   レーシングスーツは旅の衣にて
 宿に着いても酒は飲まない

 一日一句づつ付けていって、ようやく一の懐紙が終了した。
 後になってコロナ前の世界を思い出せるように、古典趣味には走らないようにしている。

 新冠病毒退散祈願何人俳諧百韻

初表
 アマビエもつれるといいな糸桜
   春がいくまで二十八日
 タワマンの霞の中に夜は明けて
   言葉少なに駅の押し合い
 ドアに立つおやじ動こうともしない
   見れば真っ赤に燃え上がる空
 台風の尋常でない夕月夜
   ブルーシートの脇は芭蕉葉

初裏
 秋薔薇のようやく揃う作業小屋
   思えば辛いSEの頃
 異世界にハーレム展開描くにも
   何の嫉妬か見つからぬ本
 ググっても謎の解けない恋の道
   長閑な日々を引き籠りつつ
 信じよう不幸の先の花の春
   知らず年賀の遠方の友
 名を聞いて下の名前と付け加え
   月の宴の門も開いて
 山寺のBGMは虫の声
   露を踏み分け御朱印の列
 レーシングスーツは旅の衣にて
   宿に着いても酒は飲まない

2020年4月13日月曜日

 今日は一日冷たい雨が降った。
 これから先の季節は水害にも気をつけなくてはならない。従来のような体育館にみんな詰め込むような避難所だと集団感染の危険もある。

   露を踏み分け御朱印の列
 レーシングスーツは旅の衣にて

 それでは「五人ぶち」の巻の続き。

 二表。
 十九句目。

   はや茶畑も摘しほが来る
 さらさらと淀まぬ水に春の風   芭蕉

 これは景色を付けて軽く流した句か。
 二十句目。

   さらさらと淀まぬ水に春の風
 鑓の印に夕日ちらちら      野坡

 「槍印」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 「行列または出陣の時、槍の印付の環に付けて家名を明らかにした標識。」

とある。
 大名行列の川を渡る光景だろうか。
 二十一句目。

   鑓の印に夕日ちらちら
 行儀能ふせよと子供をねめ廻し  野坡

 大名行列の見物は庶民の娯楽だったという。
 大人はそれなりに礼儀をわきまえているが、子供はそうもいかない。槍持ちに怒られたりする。「ねめ」は睨むということ。「ねめつける」は今でも使っている地方があるという。
 二十二句目。

   行儀能ふせよと子供をねめ廻し
 やき味噌の灰吹はらいつつ    芭蕉

 行儀よくしろと言いながら自分は焼き味噌の灰を吹き払ったりする。当時のあるあるだったのだろう。
 二十三句目。

   やき味噌の灰吹はらいつつ
 一握リ縛りあつめし届状     芭蕉

 「縛り」は「くくり」と読むらしい。
 焼き味噌をおかずにご飯をかき込み、飛脚はあわただしく届状をつかんで走り出す。
 二十四句目。

   一握リ縛りあつめし届状
 けふも粉雪のどつかりと降    野坡

 「粉雪」は「こゆき」だがどっかりと降るから小雪ではないようだ。
 雪の中を走る飛脚は大変だ。粉雪だけではなく風さえ吹き過ぎるか。

2020年4月12日日曜日

 今日は曇りで朝夕雨。結構肌寒い。まあ、この天気では外出する人も減ったかな。
 感染者が増えてくると、街へ出るだけでも感染のリスクがある。一人一人が自分の命を大事にし、行動を慎むなら、自粛要請がなくても同じ効果が得られると思う。まずは自分の命を守ることだ。
 感染を防ぐための経済の犠牲はここまで来たらもうどうしようもない。今までは特定の業種だけだったが、これからあらゆる業種に及ぶと思う。みんな一緒に貧に耐えよう。
 仕事がなくならない人も、それだけ命の危険にさらされるわけだから、羨むことではない。
 戦争みたいで嫌だという人もいるが、既に戦争は始まっている。コロナとの戦争、第一次コロナ大戦だ。

   山寺のBGMは虫の声
 露を踏み分け御朱印の列

 それでは「五人ぶち」の巻の続き。

 十三句目。

   薮入せよとなぶられて泣
 けいとうも頬かぶりする秋更て  野坡

 「頬かぶり」はこの場合「知らん顔」の意味と掛けているのか。苛められても誰が助けてくれるわけでもない辛さに泣き明かした夜も白むと、鶏頭の真っ赤な花が目に入る。
 その鶏頭に薄っすら霜が降りれば、あたかも鶏頭が頬被りしているかのようだ。
 十四句目。

   けいとうも頬かぶりする秋更て
 はね打かはす雁に月影      芭蕉

 これは本歌がある。

 白雲にはねうちかはしとぶ雁の
     かずさへ見ゆる秋の夜の月
               よみ人しらず(古今集)

 鶏頭に霜の降りる時候にこの歌の趣向を付ける逃げ句といっていい。
 十五句目。

   はね打かはす雁に月影
 口々に今年の酒を試る      芭蕉

 その年の米で仕込んだ酒は、晩秋には「あらばしり」として登場する。
 そこで今年の新酒はどうだと酒屋にバイヤーが集まり、ああだこうだと意見を交わして買い付けてゆく。
 前句の「はね打かはす雁」をそうした人たちの比喩とする。
 十六句目。

   口々に今年の酒を試る
 近い仏へ朝のともし火      野坡

 買って来たあらばしりをさっそく仏壇に供え、酒が好きだった古人を偲ぶ。「近い仏」は最近亡くなったという意味。
 あるいは亡くなったのは先代の杜氏で、仏壇に向かって酒の意見を求めているのかもしれない。
 十七句目。

   近い仏へ朝のともし火
 咲花に十府の菅菰あみならべ   野坡

 十府(とふ)は今で言う宮城県宮城郡利府町で、十府の菅菰は、

 陸奥の野田の菅ごもかた敷きて
     仮寐さびしき十府の浦風
              道因法師(夫木抄)

の歌にも詠まれている。
 芭蕉も『奥の細道』の壺の碑のところで、

 「かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十苻の菅有。今も年々十苻の管菰を調て国守に献ずと云り。」

と記している。
 舞台を陸奥に転じ、海辺で火を灯して古人を偲ぶ。折から桜の花が咲いている。
 十八句目。

   咲花に十府の菅菰あみならべ
 はや茶畑も摘しほが来る     芭蕉

 十府の菅菰は廻り廻って茶畑の覆いとなる。抹茶にする茶畑は新芽が出る頃覆いを掛けて日光を遮る。

2020年4月11日土曜日

 躑躅や花水木が咲きだしたというのに、感染者は1.1倍ペースで増え続けているという。この分だと来週には一万越えか。それでも仕事はまだ続く。

   月の宴の門も開いて
 山寺のBGMは虫の声

 それでは「五人ぶち」の巻の続き。

 初裏。
 七句目。

   徳利匂ふ酢を買にゆく
 丸三とせ旅から旅へ旅をして   芭蕉

 旅ではもっぱら酒を入れていた徳利も、家に帰れば酢が必要になる。酒の匂いが染み付いた徳利の匂いを嗅いでから酢を買いにゆく。
 八句目。

   丸三とせ旅から旅へ旅をして
 境の公事の今に埒せぬ      野坡

 三年経って戻ってきて、そういえばあの境界線争いはどうなったかと聞いてみたら、まだやってるよ、ということだった。
 境界線争いは農地の問題もあるし、鹿島神宮と鹿島根本寺の争いのようなものもある。根本寺の方は仏頂和尚の活躍によって、七年かけて寺領を取り戻した。
 九句目。

   境の公事の今に埒せぬ
 真白ふ松も樫も鳥の糞      野坡

 「樫」は普通は「かし」だが、ここでは柏のこと。松と柏は「松柏」とも言われ常緑樹を意味するが、墓所の暗示もある。
 所有者のはっきりしない土地は管理が行き届かなくなり、鳥の糞に真っ白に汚れるがままになっている。まあ、公事なんて糞ったれだっていう含みもあるのか。
 十句目。

   真白ふ松も樫も鳥の糞
 うき世の望絶て鐘聞       芭蕉

 松柏の墓所の含みを受けての展開であろう。深い喪失の悲しみの句。
 十一句目。

   うき世の望絶て鐘聞
 痩腕に粟を一臼搗仕舞      芭蕉

 粟も玄米同様臼で搗いて精白する。前句を世捨て人として、質素な生活に転じる。
 十二句目。

   痩腕に粟を一臼搗仕舞
 薮入せよとなぶられて泣     野坡

 薮入りは旧暦一月十五日と旧暦七月十五日の二回あり、この場合は七月の薮入り。
 かなり虐げられていた使用人だったのだろう。「薮入せよ」とは要するに「国に帰れ」ということ。(「国に帰れ」という言葉は今は知らないが、ちょっと前までは田舎から出てきた人に、お前は使えないから出て行け、故郷に帰れという意味で用いられていた。人種差別の言葉ではない。)

2020年4月10日金曜日

 ついに家の近所のコープからも感染者が出た。コロナは確実にひたひたと背後に忍び寄ってきている。這い寄るコロナ。
 コロナ安全神話の論拠の一つに、インフルエンザや自殺者や交通事故死に較べて死者が少ないというのがある。
 ただ、これはあくまで今の時点での話で、これから先どこまで死者の数が増えるか予想つかないから恐い。
 インフルエンザや自殺者や交通事故死の数は毎年多少の変動はあっても安定していて、極端に増えることはない。いわば想定内の死だ。これに対し想定外の死に関しては人はどんなに人数が少なくても恐怖を感じる。自動車事故よりも飛行機事故を恐がったり、インフルエンザで死ぬよりも通り魔に刺されることを恐れる。
 鰒で死ぬことは恐れても、餅で死ぬことはあまり恐れないが、鰒よりも餅で死ぬ人のほうが多い。
 単純に数の比較という意味では、森友事件の死者は2人。それでも野党はコロナを差し置いてでも森友事件を追及している。決してインフルエンザより少ないとは言わない。
 コロナは想定外であるとともに、数もこれからどこまで膨れ上がるかわからない。前にも計算したが、日本の人口は1億2595万人。この6割が感染したなら7557万人になる。致死率が1パーセントとしても75万人は死ぬことになる。イタリアのように医療崩壊で8パーセントということになったら、6百万人が死ぬことになる。
 また、それを食い止めるためのコストも問題だ。インフルエンザはそれほど特別な対策を立てなくても、大体一定の数の死者で収まる。これに対しコロナの死者の拡大を食い止めるには莫大なコストがかかる。
 与党も野党もこのコストをあまりにも軽く見ている。今の生活を守りながらコロナと戦いたいという気持ちはわかるが、それで本当に防げるかどうか、もうすぐ答が出るだろう。

   名を聞いて下の名前と付け加え
 月の宴の門も開いて

 さて、コロナのこともあるし、ひょっとしたら人生既に残り少ないかもしれない。だからといってこの時勢で旅に出るわけにもいかないから、せめては俳諧を読み続けることにしよう。
 春の今時分のということで、先月は「水音や」の巻を読み、以前「八九間」の巻を読んでいるが、それと同時期、元禄七年春の、

   両吟
 五人ぶち取てしだるる柳かな   野坡
   日より日よりに雪解の音   芭蕉

の巻を読んでみようと思う、発句と脇については既に「芭蕉脇集」の時に読んでいるので、2019年11月15日金曜日の鈴呂屋俳話を参照してください。
 第三。

   日より日よりに雪解の音
 猿曳の月を力に山越て      芭蕉

 「月を力に」は月を頼りにという意味もあるし、月に励まされながらという意味にもなる。『去来抄』「同門評」に、去来の直した、

 夕ぐれハ鐘をちからや寺の秋   風国

の句がある。
 猿曳、猿回しの芸人は被差別民で、近代でも周防猿回しの会の創始者村崎義正は全国部落解放運動連合会の山口県副委員長でもあった。
 猿曳は正月の風物でもあるが、都会から田舎へと回って行くうちに時も経過し、いつの間にか小正月の頃になり、月も満月になる。

 山里は万歳遅し梅の花      芭蕉

という元禄四年の句もある。
 あまり正月も遅くなってもいけないということで、夜の内に月を頼りに移動してゆく。雪解けの頃で、山道には所々雪も残っていたのだろう。

 四句目。

   猿曳の月を力に山越て
 そこらをかける雉子の勢ひ    野坡

 ウィキペディアによると雉は、

 「飛ぶのは苦手だが、走るのは速い。スピードガン測定では時速32キロメートルを記録した。」

という。
 猿曳きのゆっくりとした歩みにすばやく走り回る雉とを対比させた向かえ付けともいえよう。
 五句目。

   そこらをかける雉子の勢ひ
 暖ふなりてもあけぬ北の窓    野坡

 前句を家の裏側(北側)の風景とし、そこには暖かくなっても閉ざされたままの北の明かり取りの窓が見える。
 年寄りなのか無精なのか、あまり動きたくない人なのだろう。そんな人だから、雉も恐れず長閑に遊んでいる。
 六句目。

   暖ふなりてもあけぬ北の窓
 徳利匂ふ酢を買にゆく      芭蕉

 徳利下げて買いに行くといっても、酒ではなくお酢だった。健康的な生活で長生きしているのだろう。

2020年4月9日木曜日

 今日は昨日よりも車も多く、人通りも増えたような気がする。早くも緊張感が薄れ始めたか。
 どうやら日本は医療崩壊の前に政治崩壊が起きてしまったようだ。
 一月にようやくコロナが知られるようになった頃、武漢で大変なことになっているという情報がある一方、日本の専門家たちは「コロナは風邪のようなもので春になれば自然と収まる」というコロナ安全神話を広めてしまった。
 そこから右翼左翼問わず、一方にこれは日本も大変なことになると危機感を持つ人たちがいて、一方では放っておいても大丈夫と能天気な人たちがいた。
 左翼系の能天気は安倍が安全なコロナなのに恐怖を煽って、コロナ対策に便乗して独裁者になろうとしていると危機感を煽り、右翼系の能天気は中国や欧米は恐怖に駆られて失敗したが日本は冷静に対応し、この調子で経済を犠牲にせずに乗り切れると確信している。
 この二つの能天気が噛み合わない論戦を続けているうちに、どうにも訳のわからないことになってしまった。
 とにかくコロナそっちのけの議論ばかりで、コロナ対策が一歩も進まない。
 まあとにかく我々にできるのは「行かない」ことだけだ。店を開くのは勝手だが、行かないのは我々の自由だ。営業を続けてもどのみち感染者が出れば二週間は休業になるのだし、国民が行動を誤らなければ、政治がどんなに滅茶苦茶でも切り抜けられる。切り抜けなくてはならない。

   知らず年賀の遠方の友
 名を聞いて下の名前と付け加え

 それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。挙句まで。

 九十七句目。

   手足をみればかよげなりけり
 拍手打風呂の吹でと聞くよりも   兼載

 ウィキペディアには、

 「明治以前の日本には大勢の観衆が少数の人に拍手で反応するといった習慣はなく、雅楽、能(猿楽)、狂言、歌舞伎などの観客は拍手しなかった。」

とあるが、『能楽史事件簿』(岩波書店)によると、

 「能の褒め役というのは、室町時代初期からあったのです。つまり、観世太夫が将軍の前で能をやるときには近江猿楽の日吉とか田楽の役者が必ず舞台の前に褒め役で座っているのです。しかるべき場所で手を叩いたり褒めたりする、そういう役目が昔から制度としてあったのです。」

というように、室町時代には拍手の習慣があり、将軍の前で能をやる時はサクラがいて拍手させてたようだ。
 温泉が湧き出て拍手したというのであれば、前句の「かよげ」はむしろ何か力強い感じがする。
 九十八句目。

   拍手打風呂の吹でと聞くよりも
 うしろむきてぞせをかがめける   兼載

 これは前句の「風呂の吹で」を「風呂吹(ふろふ)き」に取り成す。
 「風呂吹き」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 風呂にはいった者の体の垢をかくこと。また、その人。
  ※俳諧・野集(1650)二「あまりあつさにかがみこそすれ 風呂ふきのこころも夏はかなしくて」
  ② 輪切りにした大根やカブなどをゆでて熱いうちにたれ味噌をつけて食べる料理。《季・冬》
  ※俳諧・枯尾花(1694)下「夜半(なか)夜あるき母の気遣〈氷花〉 あたたかに風呂吹煮ゆる冬の月〈東潮〉」

とある。
 手を叩いて風呂吹きを呼んで垢すりをしてもらう。そのために「うしろむきてぞせをかがめける」。
 九十九句目。

   うしろむきてぞせをかがめける
 こかづしき流石に道をしりぬ覧   兼載

 「こかづしき」は小喝食(こかっしき)か。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 年若い喝食僧。禅寺で、食事を給仕することにたずさわった。
  ※足利本論語抄(16C)雍也第六「小喝食が茶碗を打破て云ことは」
  ② 能面の一つ。若い喝食をあらわす面。前髪がやや小さく、「東岸居士」「自然居士」「花月」などに用いる。→喝食。〔八帖花伝書(1573‐92)〕」

とある。
 ところで「喝食」の所を見ると、「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 「「かつじき」ともいう。禅寺で規則にのっとり食事する際、食事の種別や進行を唱えて衆僧に知らせること、またその役名。喝食行者(かっしきあんじゃ)ともいう。『勅修百丈清規(ちょくしゅうひゃくじょうしんぎ)』や『永平清規(えいへいしんぎ)』に記載があるが、後の日本の禅林では、7、8歳から12、13歳の小童が前髪を垂らし袴(はかま)を着けて勤めるのが一般の風習となった。室町時代には稚児(ちご)の別名となり、本来の職責と異なって、公家(くげ)や禅僧の若道(にゃくどう)の相手役となった。[石川力山]」

とある。つまり若い稚児さんのことで、道とは男色の道、後を向いて背をかがめるのが何のポーズなのかは言うまでもあるまい。
 挙句。

   こかづしき流石に道をしりぬ覧
 寺もお里もおさまれるとき     兼載

 お寺の若いお稚児さんですら仏道を心得ている。よってお寺も里も天下泰平と、目出度く一巻は終了する。

2020年4月8日水曜日

 ゆきちゃん(猫)の生誕三十五年の日にふさわしく、穏やかな晴れた一日で、夜には満月が昇る。
  緊急事態宣言が出たものの、今日もいつもよりは少ないものの、やはり車はたくさん走っていて人も歩いている。
 多分様々な団体が営業自粛を回避しようと政治家に働きかけ、骨抜きにするつもりなのだろう。だが大事なことは店が開いているかいないかではなく、「行かない」ことだ。誰も来なければ自ずと店は閉まる。
 風俗だって、金に目のくらんだ店長は開けたいだろうけど、働く方は命の危険がある。
 ところで一応「異種族レビュアーズ」を擁護しておくが、あれは多種多様な種族の多種多様な性的志向の共存をテーマにしたもので、そこには売春婦を見下さない日本の遊郭の育んだ「粋」の心が受け継がれている。まあ、外国人にはわかりにくいかもしれないけど。

   信じよう不幸の先の花の春
 知らず年賀の遠方の友

 それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。

 名残裏。
 九十三句目。

   杖を頼てこゆる山みち
 白波の太刀をも持ず弓もなし    兼載

 「白波」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「② (後漢の末、西河の白波谷にこもった黄巾の賊を白波賊と呼んだという「後漢書‐霊帝紀」の故事から) 盗賊。しらなみ。
  ※本朝文粋(1060頃)四・貞信公辞摂政准三宮等表〈大江朝綱〉「隴頭秋水白波之音間聞、辺城暁雲緑林之陳不レ定」

とある。「大辞林 第三版の解説」には「-有りて東寺に入る/東鑑 建保四」 という用例もある。盗賊のこと。
 この場合は盗賊が太刀や弓を持たないのではなく、白波が出たとしても太刀も弓もないという意味で、杖だけが頼りという前句に繋がる。
 RPGでは杖も一応打撃系の武器として扱われるが、攻撃力は低く、むしろ魔力を増幅させるアイテムとして用いられる。魔法のないこの世界ではあまり役に立ちそうもない。仕込み杖ならまだいいが。
 九十四句目。

   白波の太刀をも持ず弓もなし
 かれたる殿のすめる川はた     兼載

 前句の白波を川の波のこととし、「かれたる川」で受ける。
 「太刀をも持ず弓もなし、殿のすめる白波のかれたる川はた」という意味。
 九十五句目。

   かれたる殿のすめる川はた
 きりきざむ漆の枝のかせ者に    兼載

 「かせ者」は「悴者」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 中世後期の武家被官の一つ。侍の最下位、中間の上に位置し、若党や殿原(地侍)に相応する身分。かせにん。かせきもの。
  ※常陸税所文書‐(年未詳)(1452‐66頃)一〇月一四日・書状「巨細者可加世者申候」
  ② 独立した生計をいとなめず、他人の家に奉公などして生計をたてた貧しい者。
  ※本福寺跡書(1560頃)生身御影様大津浜御著岸之事「地下住人の枠(カセモノ)」

とある。
 「きりきざむ漆の枝」は枝漆のことか。枝漆は漆を幹からではなく、枝を切って水に浸してにじみ出てきた漆のこと。
 前句を枯れた川のほとりに隠棲する殿様とし、悴者に漆を作らせている。
 九十六句目。

   きりきざむ漆の枝のかせ者に
 手足をみればかよげなりけり    兼載

 「かよげ」がわからない。か弱げ?

2020年4月7日火曜日

 緊急事態宣言が発令されたが、実際のところ何が変わるのか。明日も今日と同じように仕事に行き、同じ日常が続くんだろうな。
 今までと同じことをしていれば、コロナのほうも今までどおりで、感染者は増え続けるしかない。
 それに一部のサービス業だけを停止し続け、他が放置されるなら、やはり不平等感はしょうがないだろうな。
 それにしても今になって風俗を擁護している人、「異種族レビュアーズ」も擁護して欲しかったな。
 五月六日までというから、結局五月終息説を信じているんだろうな。お花畑。
 今日知った言葉は「間質性肺炎」。コロナはやはり免疫系と関係があるのだろうか。
 いろいろわからないことも多くて、

   長閑な日々を引き籠りつつ
 信じよう不幸の先の花の春

 それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。

 八十九句目。

   坊主は常にいさめこそすれ
 里よりもわらんべ共の数多来て   兼載

 子供たくさん来たらお坊さんも大変だ。悪さしているのを叱ったりしても、その横でまた別の子供が悪さを始める。
 九十句目。

   里よりもわらんべ共の数多来て
 つばなぬきくふ野辺の春けさ    兼載

 「つばな」は「茅花」という字を当てる。チガヤの穂で、昔は若いチガヤの穂を子供達がおやつ代わりに食べたという。
 九十一句目。

   つばなぬきくふ野辺の春けさ
 つくづくとむね打つみて永日に   兼載

 「むね打(うつ)」は古くは悲しみに胸が痛むことを言った。
 九十二句目。

   つくづくとむね打つみて永日に
 杖を頼てこゆる山みち       兼載

 老いた旅人だろう。いろいろ悲しいことがあったんだろうな。

2020年4月6日月曜日

 月曜日でまた日常が始まる。いつもの通勤、いつもの仕事、それはまだ終らない。緊急事態宣言が出ても、一部のサービス業以外はまだ基本的に変わらない日常が続きそうだ。
 コロナでなくても怪我や別の病気になった時、病院はちゃんと対応してくれるのか、心配になる。くれぐれも無理はしないようにしないと。
 染井吉野がまだ残っている中で八重桜が咲き始めた。八重桜がだいたい春の最後の桜となる。弥生の月もだいぶ丸くなった。

   ググっても謎の解けない恋の道
 長閑な日々を引き籠りつつ

 それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。

 八十三句目。

   面目もなき春のさびしさ
 秘蔵する花をば根より引にけり   兼載

 秘蔵していた花を根から引き抜くって、一体何があったのか。盗難?それとも御頭へ花もらはるるめいわくさ?
 いずれにしても面目ない。
 八十四句目。

   秘蔵する花をば根より引にけり
 はや梅干をもたじ行末       兼載

 根こそぎ引き抜かれた花は梅で、梅干が作れなくなった。
 八十五句目。

   はや梅干をもたじ行末
 やせもののすこのみとものゑらまれて 兼載

 「痩せ者の凄の身友の笑らまれて」だろうか。痩せ細って気味悪げな姿を友に笑われる。前句をご飯のおかずにする梅干すらない貧しさと取り成したか。
 八十六句目。

   やせもののすこのみとものゑらまれて
 顔を苦めつほうをすちめつ     兼載

 苦虫を噛み潰したような顔で頬に筋を寄せる。変顔で友を笑わせているのだろう。
 八十七句目。

   顔を苦めつほうをすちめつ
 絵にかける五百羅漢の成をみよ   兼載

 大徳寺の『五百羅漢図』などのイメージだろうか。
 八十八句目。

   絵にかける五百羅漢の成をみよ
 坊主は常にいさめこそすれ     兼載

 坊さんは五百羅漢のように立派に成れと諌めるけど、その姿を見ると、あまり成りたくはない。

2020年4月5日日曜日

 今日は曇っていてやや寒かった。
 日本はまだ医療崩壊を免れているし、医療を守ることを最優先して、一応その効果があったといってもいいだろう。
 ただ、既に病床は満杯で感染者は急速に増え続けている。
 ダムに喩えるなら、既に危険水位に達している。ダムを決壊させないためには緊急放流が必要になる。それがとりあえず軽症者をホテルに移すということなのだろう。
 ただ、そうやってホテルにいても、重篤化したときに病院に入れない可能性は出てくる。それは武漢や欧米とはまた違う形での医療崩壊ということになるだろう。病院は機能していても多くの人が病院までたどり着けずに死ぬことになる。

   何の嫉妬か見つからぬ本
 ググっても謎の解けない恋の道

 それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。

 七十五句目。

   心にはれてかつぎもやせん
 刈りをける薪はあれど馬もたず   兼載

 薪のストックは山にたくさんあるけど、それを運ぶ馬がない。なら自分で担ぐしかない。
 七十六句目。

   刈りをける薪はあれど馬もたず
 ただ牛ばかりねりまはりけり    兼載

 応仁の乱以降の戦乱で、馬は軍に取られて不足していたのだろう。軍の役に立たない牛はあいかわらず京の街に溢れている。ただ、牛は山に登れないから、薪を運んではくれない。
 七十七句目。

   ただ牛ばかりねりまはりけり
 世の中にまことの僧はなからめや  兼載

 牛はしばしば愚鈍な者の比喩として用いられる。
 七十八句目。

   世の中にまことの僧はなからめや
 いのるぬしには誰をたのまむ    兼載

 「ぬし」にはいろいろな意味があり、時代劇では「おぬし」のように二人称でも用いられる。ここでは普通に「祈る人」の以上の意味はないが、外の意味への取り成しを狙っているのではないかと思う。
 名残表。
 七十九句目。

   いのるぬしには誰をたのまむ
 我蔵に宝はもちて病なし      兼載

 前句の「ぬし」はここでは主君や主人のような偉い人のことになる。
 金持ちで健康ならこれ以上祈ることもない。ただ、戦国も長引くと、天下が欲しいなんて者も現れるが。
 八十句目。

   我蔵に宝はもちて病なし
 ただめでたしといふ計なり     兼載

 これはそのとおりというばかりなり。
 八十一句目。

   ただめでたしといふ計なり
 振舞もせぬ客人に年越て      兼載

 前句の「めでたし」を新年の挨拶とする。ただ「おめでとう」を言うだけで何も出てこない。
 八十二句目。

   振舞もせぬ客人に年越て
 面目もなき春のさびしさ      兼載

 困窮して満足な摂待もできないという意味にして「面目ない」とする。

2020年4月4日土曜日

 今日も天気が良くて暖かかったせいか、外を散歩する人も多く、車も渋滞した。
 昨日のミュージックステーションではタモリが他の出演者と二メートル以上の距離を置いていたが、その一方でアイドルグループは相変わらず密集したフォーメーションで、激しく運動しながら歌っていた。大丈夫だろうか。集近閉に注意。
 今日のラジオではZoomを使って、パーソナリティーやゲストが自宅から放送していた。

   異世界にハーレム展開描くにも
 何の嫉妬か見つからぬ本

 それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。

 六十九句目。

   うつり臥たる春のやま里
 ゆかれずよせんきのおこる旅の道  兼載

 「せんき(疝気)」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」には、

 「近代以前の日本の病名で,当時の医学水準でははっきり診別できないまま,疼痛をともなう内科疾患が,一つの症候群のように一括されて呼ばれていた俗称の一つ。単に〈疝〉とも,また〈あたはら〉ともいわれ,平安時代の《医心方》には,〈疝ハ痛ナリ,或ハ小腹痛ミテ大小便ヲ得ズ,或ハ手足厥冷シテ臍ヲ繞(めぐ)リテ痛ミテ白汗出デ,或ハ冷気逆上シテ心腹ヲ槍(つ)キ,心痛又ハ撃急シテ腸痛セシム〉とある。江戸時代の《譚海》には,大便のとき出てくる白い細長い虫が〈せんきの虫〉である,と述べられているが,これによると疝気には寄生虫病があった。」

とある。
 腹痛で旅の途中だが春の山里で動けなくなる。
 七十句目。

   ゆかれずよせんきのおこる旅の道
 ふるひわななき火にもあたらず   兼載

 腹痛に悪寒が伴うというと、腹膜炎やアニサキスなどが考えられる。旅宿では火で暖をとることもできない。薬缶の下の寒さ哉になる。
 七十一句目。

   ふるひわななき火にもあたらず
 あれをみよ唐物すきの雪の暮    兼載

 これは骨董のコレクターは火事を恐れて火を焚かないということだろうか。
 七十二句目。

   あれをみよ唐物すきの雪の暮
 目をもちながらかよふ坊てら    兼載

 「目を持つ」というのは鑑定眼のこと。お寺のいろんな宝物を見てみたいし、お寺のほうも鑑定してほしいから、利害は一致する。
 七十三句目。

   目をもちながらかよふ坊てら
 海草を売共俗はよもくはし     兼載

 日本の食卓には欠かせない昆布、若布、ひじき、海苔も、室町時代にはもっぱら僧坊料理や茶懐石に用いられる程度で、庶民にはあまり普及してなかったのだろう。
 七十四句目。

   海草を売共俗はよもくはし
 心にはれてかつぎもやせん     兼載

 海藻売りは寺社や貴族相手の商売だから名誉ある仕事なので、晴れて仕事に励みましょう。

2020年4月3日金曜日

 今日も半月よりやや膨らんだ月が見える。桜はまだ散らずにもっている。

   思えば辛いSEの頃
 異世界にハーレム展開描くにも

 それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。

 三裏。
 六十五句目。

   降参に来る敵ぞめでたき
 おんもせぬ内のものとやつかふらん 兼載

 「おんも」というと唱歌の「春よ来い」(相馬御風作詞、弘田龍太郎作曲)に「おんもへ出たいと待っている」とあるのが真っ先に思う浮かぶ。
 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、

 「〘名〙 (「おも(面)」の変化した語) 幼児語。家の外。おもて。
  ※滑稽本・玉櫛笥(1826)「外(オンモ)へ行ってお昼まで遊んで来なさい」

とある。
 「内の者」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 「①その家に仕える者。奉公人。召使い。
  ②女房。自分の妻。」

とあるから、兼載の時代は幼児語ではなく、普通に俗語として用いられていたのかもしれない。
 普段外に出てくることのない奉公人が使者となって、降参をしてきたから、戦ではなく家同士の争いか。
 六十六句目。

   おんもせぬ内のものとやつかふらん
 花の出仕を申さぬはなし      兼載

 花見の席の出仕となると、普段外に出ることのない奉公人も是非ともと申し出てくる。
 六十七句目。

   花の出仕を申さぬはなし
 桜木に酒と肴と取くいて      兼載

 やはり花より団子というか、花といえば酒と肴、これは昔も今も変わらない。
 六十八句目。

   桜木に酒と肴と取くいて
 うつり臥たる春のやま里      兼載

 酒と肴を求めて春の山里を渡り歩いているのか。

2020年4月2日木曜日

 今日は晴れたが北風が強かった。北風のせいか、まだ桜はそんなに散ってはいない。夕暮れには半月が見えた。
 安倍も麻生もあいかわらず五月終息説を前提にしてるのか、経済対策といっても、コロナが去った後の復興政策しか考えてないようだ。コロナが一年二年と長期化した際の、大量に生じると思われる失業対策とか遺族の救済とか、そういうのは聞こえてこない。
 まあ、日本は強力な指導者を必要としない国だし、政治家が脳内お花畑でも賢明な国民が結局何とかしちゃうんじゃないかな。
 政府が緊急事態宣言を出さなくても、国民一人一人が自分自身に緊急事態宣言を出せば、むしろそっちの方が効果絶大だったりする。

   秋薔薇のようやく揃う作業小屋
 思えば辛いSEの頃

 それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。

 五十七句目。

   ねぶればやがてまなこあきけり
 とく法を思へばやすき物なれや   兼載

 前句を「開眼」のこととしたか。
 悟りを開くことを開眼(かいげん)というが、ただ目を明けるだけなら眠ってて目を覚ますときに誰でもやっている。
 五十八句目。

   とく法を思へばやすき物なれや
 出家をみればおなじ耳鼻      兼載

 仏法の理解には差があるが、どの出家僧も顔で区別することはできない。
 五十九句目。

   出家をみればおなじ耳鼻
 かくせどもむすこや隠れなかるらん 兼載

 その出家僧には隠し子がいて、隠し子というとおり自分の子ではないと言い張っているが、耳や鼻を見ればそっくりで隠しようがない。
 六十句目。

   かくせどもむすこや隠れなかるらん
 つぼねの角になく声ぞする     兼載

 「つぼね(局)」はウィキペディアに「宮殿における女官・女房などの私室として仕切られた部屋のこと」とある。
 公家と女房の間の隠し子だろうか、つぼねの隅で赤子のなく声がする。
 六十一句目。

   つぼねの角になく声ぞする
 うがの神びんぼう神にあてられて  兼載

 「うがの神」は宇賀神で蛇の姿で描かれることが多いが弁才天とも習合し、女性の姿をとることもある。穀霊神・福徳神で人に福をもたらす神だが、貧乏神に毒されれば部屋の隅っこで泣くことになる。
 六十二句目。

   うがの神びんぼう神にあてられて
 かたのうへよりかるくなりけり   兼載

 ウィキペディアに、

 「竹生島宝厳寺に坐する弁天像のように、宇賀神はしばしば弁才天の頭頂部に小さく乗る。その際、鳥居が添えられることも多い。」

とある。竹生島宝厳寺の弁天像は1565年浅井久政奉納で、この俳諧百韻よりも半世紀以上も後だが、兼載の時代にもこういう像があったのかもしれない。
 頭の上に載った宇賀神がいなくなれば、確かに肩の上が軽くなる。
 六十三句目。

   かたのうへよりかるくなりけり
 打太刀に甲をぬいで持せつつ    兼載

 「打太刀(うちだち)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 実戦用の太刀。打ち物の太刀。
  ※浄瑠璃・栬狩剣本地(1714)一「赤銅作(しゃくどうづくり)の打太刀」
  ② 剣道で、腕前が上の人に打ちかかって練習すること。また、その打ちかかっていく人。太刀打ち。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ③ 攻め込む立場になること。
  ※内地雑居未来之夢(1886)〈坪内逍遙〉九「総て Defensive 〔受太刀〕と Offensive 〔打太刀(ウチダチ)〕とは、大して其便宜が違うもので」

とある。この場合は②の「打ちかかっていく人」だろうか。
 剣の練習が終って、打たれ役(仕太刀)が甲を脱いで打太刀に持たせると、頭が軽くなる。
 六十四句目。

   打太刀に甲をぬいで持せつつ
 降参に来る敵ぞめでたき      兼載

 投降する敵将は甲を脱いで従者に持たせる。

2020年4月1日水曜日

 今日は一日雨。久しぶりに帰りがけにスーパーに寄った。
 確かに米やパスタの棚はスカスカだが全滅はしてなくて多少は残っていた。パスタの隣の乾蕎麦や素麺はふつうにあるし、隣の百円ショップの百円パスタはあった。

   ブルーシートの脇は芭蕉葉
 秋薔薇のようやく揃う作業小屋

 それでは「兼載独吟俳諧百韻」の続き。

 三表。
 五十一句目。

   手もちわるくも独ただぬる
 暮ぬるをうかれ女のあがれつつ   兼載

 「あがれつつ」がよくわからないが、部屋の中に上がっているということか。
 浮かれ女は歌や人を楽しませる芸能の人だが、遊女を兼ねていることも多い。
 五十二句目。

   暮ぬるをうかれ女のあがれつつ
 きのふにけふはをどりこそすれ   兼載

 四十六句目に「おどりはねけり」があり、五句去りで「をどり」だが、微妙に仮名使いを変えている。
 「きのふにけふは」今日で言う「昨日今日」で、覚えたばかりということか。
 五十三句目。

   きのふにけふはをどりこそすれ
 なま魚もはしめの程やうまからん  兼載

 前句を「さっきまでぴちぴち跳ねていた」の意味にしたか。
 生魚は新鮮なうちが旨いのはもちろんのことだ。この頃は膾にして食べていたか。
 五十四句目。

   なま魚もはしめの程やうまからん
 山里人は海ばたにすむ       兼載

 山里で育った人が海辺で暮らすようになって、最初のうちは生魚も旨いと思って食っているが、やがて食い飽きる。
 五十五句目。

   山里人は海ばたにすむ
 松風は前代浪の音に似て      兼載

 「前代」は前代未聞のことだが、ここでは単に強調の言葉か。
 山里の人が海辺に住んでも、松風の音が波の音に変わるだけであまり変わらない。
 五十六句目。

   松風は前代浪の音に似て
 ねぶればやがてまなこあきけり   兼載

 松風の寂しげな音に、寝ていてもハッと目が覚めてしまう。
 ここでも四十九句目の「独ただぬる」からぎりぎり五句去りで「ねぶれば」となる。