2023年7月30日日曜日

  Xのコミュニティノートを見てると、これまでいかにとんでもないデマが多かったのかよくわかる。
 デマを一度信じちゃうと、自分だけだ正しい情報を持っていると思い込み、世間の人たちがみんな無知蒙昧な群衆にしか見えなくなるのだろう。いくら周りの人があれはデマだと説得しても、こいつらはみんな権力の犬で、真実を持つ俺が恐いから弾圧に来たんだと思い込む。
 デマを流す方もこんなことが起こるとデマを流しておいて、デマだから当然そんなことは起きないから、みんなで怒りの声を挙げよと煽る。で、何事も起きないと、みんなが声を挙げたから起こらなくなったんだと言って、あたかもみんながこの世の中を動かして、世界を救ってるかのような錯覚を与える。
 戦後七十年日本が平和だったのは、みんなが戦ってきたからで、俺たちが戦うのを止めたら日本は再び侵略戦争を始めて何百万という人が死ぬ、ずっとそう信じ込まされてたのだろう。そして日本が今平和なのは俺たちのおかげだとばかりに大威張りで、大衆をごみ屑のように思う。
 既に信じてしまった連中はもうどうしようもない。ただ、新たに間違った道に落ちる人を減らすことができれば、Xのコミュニティノートも意味がある。
 デマを信じてる人間は、デマから目を醒まさせようとする者は、みんな権力の回し者で、自分らに弾圧を加えてると思い込んでいる。だからXを批判して旧Twitterを擁護する人間はこうした連中が多い。
 まあ、普通に昔からのTwitterに愛着を持つ人もいるが、そういう人はネットでマスクさんを糾弾したり、不信をあおるような言動はしないと思う。一見なくなって行く青い鳥のマークを惜しんでるようで、心はXのロゴよりもどす黒い。

   Twitter終了
 囀るなお前はもはや鳥じゃない

 わくら葉の翼は夏に哀れなり
     囀ることも止むと思へば

 あと、鈴呂屋書庫に鈴呂屋こやん句集をアップしたのでよろしく。
 今日はX奥の細道の一環で、鈴呂屋書庫になかった元禄二年六月十四日興行の「涼しさや」の巻七句を。

発句

 涼しさや海に入たる最上川 芭蕉

 元禄二年六月十四日、酒田の寺島彦助(俳号詮道)亭での興行の発句。
 芭蕉はこの前日、鶴岡を出て、夕方伊藤玄順(俳号不玉)の家に着いた。この時赤川を船で下り、当時の赤川は最上川の河口付近で合流してたので、そこを通った時に海に入る最上川にインスパイアされたのだろう。この日は午後一時雨がぱらついたものの芭蕉が最上川に出た時には曇りで夕日は見えなかったと思われる。
 それでも大石田で最上川を見、そのあと新庄から船で最上川を下って羽黒山へ行った芭蕉には、この川が海に出る所までたどり着いたことと、その雄大な景色に心打たれるものがあったと思われる。
 そのため、酒田到着の翌日の興行では、早速この景色を「海に入たる最上川」の下七五にして、夏の興行の挨拶の常套句でもある「涼しさや」を上五に冠したのであろう。
 後に、他の所で見た日本海に沈む夕日の光景にそれまで旅してきた月日を掛詞にして、

 暑き日を海にいれたり最上川 芭蕉

の形で『奥の細道』を飾ることとなった。


   涼しさや海に入たる最上川
 月をゆりなす浪のうきみる  詮道

 ちょうど満月の頃でもあり、最上川河口の雄大な景色に月を浮かべたのであろう。西になるので明け方の沈む月になる。月の光に輝く夜明けの頃の波が物憂げで、それに「浮き海松(みる)」を掛詞にする。
 日本海に沈む月のイメージは、あるいは芭蕉に影響を与えて、月を夕日にして「暑き日を」の改作が生まれたのかもしれない。

第三

   月をゆりなす浪のうきみる
 黒がもの飛行庵の窓明て   不玉

 不玉は医者で、不玉の家が酒田滞在中の芭蕉の宿所となった。芭蕉到着時には留守で、翌朝、この興行の前にようやく会うこととなった。
 黒鴨はカルガモの別名だという。ただ、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「黒鴨」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① カモ科の海ガモ。全長四五~五〇センチメートル。雄は全身黒色で、くちばしの基部に黄色の隆起物がある。雌は褐色でくちばしは黒い。潜水して貝類などを食べる。アラスカ、アジア北部で繁殖し、冬季に日本、中国など温帯地方の沿岸へ渡る。《季・冬》 〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ② 鳥「かるがも(軽鴨)」の異名。《季・夏》
  ※俳諧・滑稽雑談(1713)五月「仙覚万葉抄云、黒鴨一名かると云は、鴨の類也、田舎人は黒鴨といふ」
  ③ (上着、股引ともに黒、紺無地仕立てのものを身につけていたところから) 江戸時代、大家出入りの仕事師や職人、あるいは従僕などの称。また、その服装。明治時代には、車夫などをもいう。
  ※洒落本・禁現大福帳(1755)一「少し飲ならふての分知顔、黒鴨(クロガモ)の随身などを似て見るは」

とあるように、冬に飛来する海カモを表す場合もある。
 ここでは前句の「海松」という夏の季語があるので、沼地などのカルガモで、それに面した庵ということになる。

四句目

   黒がもの飛行庵の窓明て
 麓は雨にならん雲きれ    定連

 定連は俗名を長崎一左衛門という。ここは軽く景色を付けて流している。
 庵の主人が天気を見ようとして窓を開けると、黒鴨の飛び交う姿が目に入り、鴨も雨になるのがわかるのだろうか、という細みを感じさせる。

五句目

   麓は雨にならん雲きれ
 かばとぢの折敷作りて市を待 曾良

 「かばとぢ」は『校本芭蕉全集第四巻』の宮本注だと、「白樺の皮で張り作った角盆」とある。
 ただ、今日秋田県角館などで作られている「樺細工」は桜の皮を使っている。何で「カバ」なのかはウィキペディアに、

 「命名の由来は諸説あり、定説があるわけではない。古代にはヤマザクラを樺や樺桜と呼ばれるようなことがあったためという説や、樺の名前は家を建てるための木材である白樺からきており、樺は実際の工芸ではなく職人の種類を示すために使われていると言う説が有る。また、エゾヤマザクラを意味する、アイヌ語「カリンパ」が由来との説もある。」

とある。白樺でも作れるのかどうかはよくわからないので、ここでは桜の皮を用いた樺細工のお盆と見て良いと思う。
 これから雨になりそうなので、次の市の立つ時のために、多分酒田の辺りでも作ってたと思われる樺細工のお盆を作っておく。

六句目

   かばとぢの折敷作りて市を待
 影に任する宵の油火     任曉

 任曉は加賀屋藤右衛門という商人のようだ。
 ここも夜なべ仕事ということで、宵に油の火を灯して、その灯りだけを頼りに作業をする、とする。

七句目

   影に任する宵の油火
 不機嫌の心に重き恋衣    扇風

 扇風は八幡源衛門とある。
 恋衣というと、

 恋衣いかに染めける色なれば
     思へばやがてうつる心ぞ
           藤原俊成(続拾遺集)

などの歌に詠まれている。ここでも宵に油に火を灯して男の来るのを待つ女として、「影に任する」を男の影とも取れるようにしている。
 待っていてもなかなか来ないので不機嫌になって行く。

2023年7月27日木曜日

 それではX奥の細道の続き。

六月十日

今日は旧暦6月9日で、元禄2年は6月10日。羽黒山。

今日は朝から曇っている。今日も本坊から呼ばれているが、鶴岡の長山五郎右衞門にも呼ばれているので、ここを出て鶴岡に向かおうと思う。
曾良も出羽三山のの発句を作った。

月山や鍛治が跡とふ雪清水 曾良

曾良「月山に登ったら鍛治小屋が雪の中にあったけど、季語をどうしようかと思って、雪清水という造語はちょっと苦し紛れだったかな。」

銭踏て世を忘れけりゆどの道 曾良

「これは芭蕉さんに褒められた。」

三ヶ月や雪にしらげし雲峰 曾良

曾良「月山山頂に着いたら、三日月が見えて、これまで真っ白な雲の峰を見ながら雪の中を歩いて、その合間に白い花が見えて、白い世界だった。
自分は白芥子だと思ったが芭蕉さんは桜だという。どっちなんだろう。(注、チングルマのことと思われる。バラ科なので、桜の方が近い。)

昼前に本坊へ行き、蕎麦に酒やお茶をご馳走になった。若王寺の人達ともこれでお別れだ。
円入は五重塔の先の大きな杉の木の所まで送ってくれた。その先に身を清めるための場所があって、出る時もここで身を清めて行くことにした。

そういえば忘れてたが、寛永の頃に羽黒山を復興した天宥法印の法難の話を聞いて、そのあと天宥法印の書いた四睡図のさんも頼まれたっけ。

其玉や羽黒にかへす法の月 芭蕉
月か花かとへど四睡の鼾哉 同

門前の佐吉の家に行ったら馬が一頭しかなくて、自分だけ乗った。
門前町の端の方の黄金堂の所で釣雪と別れた。佐吉は一緒に鶴岡へ行く。

佐吉も一緒に鶴岡へ向かうと小雨が降り出したが、大したことはなかった。
長山五郎右衞門の家に着いて、お粥を頂いて一休みしたら、早速興行しようと言われた。
お粥のおかずに茄子があったので、

めづらしや山をいで羽の初茄子 芭蕉

五郎右衞門「俳号は重行でがんす。蝉の鳴く中に井戸があるだけの粗末な家だがの。」

  めづらしや山をいで羽の初茄子
蝉に車の音添る井戸 重行

曾良「ここは機織りの盛んな所と聞いてます。」

  蝉に車の音添る井戸
絹機の暮鬧しう梭打て 曾良

露丸「それでは四句目なので軽く時節を。」

  絹機の暮鬧しう梭打て
閏弥生もすゑの三ヶ月 露丸


六月十一日

今日は旧暦6月10日で、元禄2年は6月11日。鶴岡。

昨日の俳諧の続きをした。

重行「閏三月の末といえば梨の花でがんす。」

  閏弥生もすゑの三ヶ月
吾顔に散かかりたる梨の花 重行

芭蕉「梨の花といえば謡曲楊貴妃の梨花一枝。楊貴妃の霊があらわれると胡蝶の舞になる。ここでは胡蝶の盃にしておこう。」

  吾顔に散かかりたる梨の花
銘を胡蝶と付しさかづき 芭蕉

露丸「盃といえば別れの盃で、島隠れする船を思う。」

  銘を胡蝶と付しさかづき
山端のきえかへり行帆かけ舟 露丸

曾良「船が行ってしまったのは何の風情もない里でしたから。せめて蓬くらいでも茂っててくれたら末摘花の面影もあるでしょうに。」

  山端のきえかへり行帆かけ舟
蓬無里は心とまらず 曾良

芭蕉「蓬は食用にもなるからな。粟稗の素食に飽きて、更なる素食を求める僧が次に食べたがるのが蓬だった。」

  蓬無里は心とまらず
粟ひえを日ごとの斎に喰飽て 芭蕉

重行「修行のために粟稗を食ってきた武士が、力がついたかと石に向かって弓を引いてその威力を試す。」

  粟ひえを日ごとの斎に喰飽て
弓のちからをいのる石の戸 重行

曾良「根っからの武人の家系だから、木刀にするための赤樫を母の形見に植える。」

  弓のちからをいのる石の戸
赤樫を母の形見に植をかれ 曾良

露丸「母の形見は赤樫だけでなく、その木が目印の小さな田んぼだった。」

  赤樫を母の形見に植をかれ
雀にのこす小田の刈初 露丸

重行「小さな田んぼの持ち主は亡くなってしまったか、雀が食べるだけで刈る人もなくて、門の板橋も崩れたままだ。」

  雀にのこす小田の刈初
此秋も門の板橋崩れけり 重行

芭蕉「蟄居を命じられた人の家だろう。他の人は赦免されたのに一人だけまだ家から出られず、門の板橋も直せない。配所の月のような気持ちで月を見る。‥万菊丸はどうしてるかな。」

  此秋も門の板橋崩れけり
赦免にもれて独り見る月 芭蕉

露丸「配所の月を明け方まで見て、夜明けの寺の鐘を聴くと、男女の後朝の別れのように切なくなる。」

  赦免にもれて独り見る月
衣々は夜なべも同じ寺の鐘 露丸

曾良「宿で夜通し働いてる女中さんが、宿場の遊女を連れ込んだ客に嫉妬する。」

  衣々は夜なべも同じ寺の鐘
宿クの女の妬きものかげ 曾良

重行「良家に婿養子に取られた若武者が花見のために馬に乗って宿場を通ると、密かに恋してた宿場の女中が物陰から見ている。」

  宿クの女の妬きものかげ
婿入の花見る馬に打群て 重行

露丸「この婿入りはお家再興のためのもので、古い城郭は壊されて畑が作られている。」

  婿入の花見る馬に打群て
旧の廓は畑に焼ける 露丸

昼頃から体調がすぐれず、今日の興行はここで終わりにした。

2023年7月25日火曜日

  それでは今日はツイッター改めエックス奥の細道の続き。

六月五日

今日は旧暦6月4日で、元禄2年は6月5日。羽黒山。

明日は月山に登ってそこから湯殿山にも行こうということで、まず羽黒山神社から参拝することにした。
一応修験の習慣に習って、今日の午前中は断食をした。
その間に佐吉と釣雪がやって来て、昨日の俳諧の続きをした。

釣雪「夜分を離れなくてはいけないからな。旅体にして昼間は木陰で眠って、夜に砧を聞くってことにしましょう。」

  北も南も砧打けり
眠りて昼のかげりに笠脱て 釣雪

芭蕉「では木曽の旅にしよう。姨捨山に行った時、中山道を牛が荷物を運んでたな。」

  眠りて昼のかげりに笠脱て
百里の旅を木曽の牛追 芭蕉

露丸「木曽で牛といえば木曽義仲の火牛の計。本人の登場ではなく、跡を弔うために旅してた坊さんかなんかで、木曽義仲の隠れ城のことを記す。」

  百里の旅を木曽の牛追
山つくす心に城の記をかかん 露丸

曾良「だったら城を建てる木材を調達する時に、神木の森を避けた、というのは。」

  山つくす心に城の記をかかん
斧持すくむ神木の森 曾良

釣雪「ひょっとして曾良さん、みちのくの旅で野宿をしようとして木を切ろうとしたとか。俳諧ではなくここは和歌に変えて。」

  斧持すくむ神木の森
歌よみのあと慕行宿なくて 釣雪

露丸「歌を詠めば鬼神も感銘して涙を流す。泊まる宿もなければ節分の豆まきもできないが、そこは歌を詠んで鬼を泣かす。」

  歌よみのあと慕行宿なくて
豆うたぬ夜は何となく鬼 露丸

午後からまた羽黒山の俳諧の続きをした。

芭蕉「昔の御所は公的な太極殿は瓦葺きだったが、私的な紫宸殿は檜皮葺きだったという。その跡が今はお寺になって、昔の追儺の儀式は失われている。」

  豆うたぬ夜は何となく鬼
古御所を寺になしたる檜皮葺 芭蕉

梨水「どうも、本坊の方から迎えに来ました。えっ、一句?お寺だから萩が咲いてて、荒れた寺だから枝垂れた枝や立ち枝が絡まってたりして。」

  古御所を寺になしたる檜皮葺
糸に立枝にさまざまの萩 梨水

曾良「萩の庭のある家で寝てると、急に月が出たと言って起こされたりしますね。鹿島根本寺で仏頂和尚のいきなり起こされましたな。結局月は見えなかったんですけどね。」

  糸に立枝にさまざまの萩
月見よと引起されて恥かしき 曾良

芭蕉「恥ずかしきとくれば女の恥じらう姿で恋だな。乱れ髪で薄物を着ただけで。」

  月見よと引起されて恥かしき
髪あふがするうすものの露 芭蕉

露丸「乱れ髪で薄物着た遊女といえばモフモフを飼ってたりして。狆の頭を花の枝で飾ったりして。」

  髪あふがするうすものの露
まつはるる犬のかざしに花折て 露丸

釣雪「裕福な武家の娘の飼ってる犬にしましょうか。庭に弓矢の練習場があって、その片隅に咲いた山吹の花を折ってかざす。」

  まつはるる犬のかざしに花折て
的場のすゑに咲る山吹 釣雪

夕食を取ってから羽黒山神社に行った。一度本坊の方に戻ってから山の上の方に登って行く。
山の上の社からだと麓の若王寺の大伽藍や五重塔が闇に沈もうとしていて、その向こうに月が見えた。

六月六日

今日は旧暦6月5日で、元禄2年は6月6日。月山に登る。

今朝はよく晴れて絶好の登山日和となった。七号目の高清水までは馬で行き、そこからが本当の登山になる。

七合目高清水で馬を降りた。馬での七里は長かった。
八合目の小屋で昼食を食べて、弥陀原を過ぎると至る所雪が残っていた。
日もすっかり傾いた頃山頂に着いて、山頂の御室に参拝して近くの角兵衛小屋に泊まった。

昼間は時折入道雲も湧いて出て来たが、大きく天気が崩れることもなく、夕暮れには雲もなく、半月に近い月が浮かんでた。

雲の峰幾つ崩て月の山 芭蕉

六月七日

今日は旧暦6月6日で、元禄2年は6月7日。月山に登る。

今日も良い天気で、朝早く角兵衛小山を出て湯殿山に向かった。鍛治屋敷があった。名刀月山はここで作られたのか。
辺りの雪原の切れ目には所々白い小さな草花が咲いてた。まだ蕾が多いが、咲いてたのは五枚の花弁で桜のようだった。

牛首にも小屋があり、ここでも泊まれるようだった。水を貰って体を清めた。
その先は下りの道になり、しばらく行くと装束場があって、ここで衣装を整えた。湯殿山はさらに降りた所で、参拝の人が沢山いた。

湯殿山は温泉自体が御神体で、お金や荷物を置いて浄衣を着て入浴した。行列ができてるため、ゆっくり浸かる暇もなく、あくまで参拝だ。
なお、ここで見たものは語ってはいけないという。

語れぬ湯殿にぬらす袂哉 芭蕉

湯殿山を出ると、さっき下ってきた坂を登って、昼には月山山頂に戻り、角兵衛小屋で昼食を食べた。
ここから先の下りが長いが、とりあえず高清水まで行けば馬がある。

高清水から馬に乗り強清水まで降りると、光明坊から御迎えの者たちが夕食の弁当を持ってやって来た。
既に辺りは薄暗く、食べ終えると南谷まであと三里。
南谷に着いた時にはすっかり暗くなっていた。

六月八日

今日は旧暦6月7日で、元禄2年は6月8日。羽黒山。

一昨日昨日と弾丸登山になってしまい、今日はゆっくり休もうと思ったが、午後からは別当執行代和交院に招待されている。午前中だけでも休んどかないと。朝から雨が降ってることだし。

六月九日

今日は旧暦6月8日で、元禄2年は6月9日。羽黒山。

昨日は夕方まで別当代和交院のところで過ごた。
今日天気が良く、朝は抜いたが昼に素麺を食べた。
そのあと和交院が酒と料理を持ってやってきて、俳諧の続きをやることになった。

芭蕉「武家の弓矢の練習場の片隅には、息子が七つの時に持ち上げて力石が記念にとってあったりする。」

  的場のすゑに咲る山吹
春を経し七ツの年の力石 芭蕉

露丸「日本武尊にも幼い時があったんだろうな。最後は伊吹山の神と戦って破れ、醒ヶ井の水で目を醒ましたという。この戦いが原因で亡くなったという。」

  春を経し七ツの年の力石
汲ていただく醒ヶ井の水 露丸

円入「醒ヶ井というのは山の中だったかのう。そこで旅人が水を貰うんだね。足を引いて、腰の辺りまでの蓑も捻じ切れてたりすんのじゃよ。」

  汲ていただく醒ヶ井の水
足引のこしかた迄も捻蓑 円入

曾良「これは乞食を装った忍者でしょうね。敵の門の前で二日間寝たふりをして見張ってて、敵の動向を探るとは、まさに隠れ蓑ですな。」

  足引のこしかた迄も捻蓑
敵の門に二夜寝にけり 曾良

露丸「仇討ちしようとかたきの門の前で待ってたら、あっさり返り討ちに合う。」

  敵の門に二夜寝にけり
かき消る夢は野中の地蔵にて 露丸

芭蕉「お地蔵さんの所で野宿してて、はっと夢から覚めると野犬の声がする。野犬は妻を探して遠吠えしてたのか。」

  かき消る夢は野中の地蔵にて
妻恋するか山犬の声 芭蕉

梨水「山犬は狼のことを言う場合もあるので、狼の棲むこの辺りの山の景色を付けておきましょう。」

  妻恋するか山犬の声
薄雪は橡の枯葉の上寒く 梨水

露丸「薄雪の積もる頃はやはり温泉。」

  薄雪は橡の枯葉の上寒く
湯の香に曇るあさ日淋しき 露丸

釣雪「朝早くというと狩り。マタギの人が弓でムササビを射る。」

  湯の香に曇るあさ日淋しき
鼯の音を狩宿に矢を矧て 釣雪

円入「殺生はいけません。ムササビの命の奪われる頃、山伏たちは篠懸けを着て終夜修行する。結構結構。」

  鼯の音を狩宿に矢を矧て
篠かけしほる夜終の法 円入

曾良「月山は地名ですが、ここは月山にかかる真如の月も含んでのこととして、修行してる人達の労を労っておきましょう。嵐に風は大変です。」

  篠かけしほる夜終の法
月山の嵐の風ぞ骨にしむ 曾良

梨水「月山といえば刀鍛冶。嵐の稲妻で作業を終えても、火は絶やさない。」

  月山の嵐の風ぞ骨にしむ
鍛治が火残す稲づまのかげ 梨水

露丸「稲妻の季節になると桐の葉も散り始め、心太もそろそろ終わりになる。」

  鍛治が火残す稲づまのかげ
散かいの桐の見付し心太 露丸

釣雪「桐の木に掛けておいた鳴子が鳴って、知らない人は驚く。」

  散かいの桐の見付し心太
鳴子とどろく片藪の窓 釣雪

芭蕉「鳴子の鳴る家は空き家に住み着いた泥棒で、追手が来たら分かるような鳴子を付けている。妹を何とか食わせようと盗みをする兄という設定にしておこう。」

  鳴子とどろく片藪の窓
盗人に連添妹が身を泣て 芭蕉

曾良「この泥棒兄妹は関を越えて他国へ逃れようとして、関の明神に祈る。白河は奥州街道も東山道も二つの明神様が祀られてたな。」

  盗人に連添妹が身を泣て
いのりもつきぬ関々の神 曾良

芭蕉「さあ最後の花ですので、ここは阿闍梨さん一つ。」
会覚「そう言われてもな。まあ、関所での別れの盃ということで、川に流れる桜の花びらでも肴にしてってことでいいじゃろ。」

  いのりもつきぬ関々の神
盃のさかなに流す花の浪 会覚

梨水「では酒宴に燕の舞でも。」

  盃のさかなに流す花の浪
幕うち揚るつばくらの舞 梨水

2023年7月24日月曜日

  何かTwitterで(きょうからXになるらしいが)子供用の感想文の雛型が紹介されてたので、それに倣って市川沙央さんのハンチバックの感想文を書いてみた。

   生かされてるだけでは
          年金生活二年目 鈴呂屋こやん
 わたしは「ハンチバック」(市川沙央著)という本を読みました。この本を選んだのは、この本が芥川賞作品であるとともに、作者がラノベを書いてたということで興味を持ったからです。
 この本は、井沢釈華が主人公の物語です。井沢釈華はミオチュブラー・ミオパチーという病気で、人工呼吸器を必要とする人です。そして井沢釈華は、普通の女性のように生きてみたいということでヘルパーの田中に誘いかけをします。
 わたしがこの本を読んで、いちばん心に残ったところは井沢釈華が小切手を切るところです。わたしはこの部分を読んで、最初は意味が分からなかったが、だんだん多分そういうことなのか、頭脳だけではなく、健全なまま残された生殖器の価値を試したかったのかと思いました。
 なぜなら、もしわたしが井沢釈華と同じような立場だったらと考えると、ただ周囲に生かされてるだけの存在に飽きてしまい、何かリスクを取って自分らしい勝負がしてみたくならないだろうかと思うからです。
 わたしはこの本から、人は(ほかの動物もそうかもしれませんが)だが生かされてるだけの人生なんてディストピアなんだということを学びました。これから、わたしも年金で生かされてるだけの人生で終わるのではなく、いろいろなことにチャレンジしていきたいなと思います。

 異世界転生というと、生前虐待されてたとか、社畜だったとか、引き籠りだったとか、そういう不遇な人生の代償でというパターンが多い。だったら、生前重度の障害者だった人があの相模原の事件のようなヘイトクライムによって殺された後、異世界転生で健康な体を手に入れて生きるというパターンがあってもいいんじゃないかと思う。

 それでは「十いひて」の巻の続き。

三表
五十一句目

   しぶぢの椀も霞む弁当
 春の風古道具みせ音信て

 前句の渋地椀に古道具店を付けて、霞むに春の風を付ける。
 点なし。

五十二句目

   春の風古道具みせ音信て
 一条通り雪はすつきり

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 「一条通り『古道具や。一条通ほり川より西』(元禄五年(一六九二)刊諸国万買物調方記)」

とある。一条通りに古道具屋があるのは有名だったようだ。
 点なし。

五十三句目

   一条通り雪はすつきり
 夏の月入てあとなき鬼のさた

 徒然草第五十段に伊勢国から女が鬼になって都に来たといううわさが広がったが、誰も見た人がなく、一条室町に鬼ありと大声でわめく人がいて行ってみると院の御桟敷の辺りは祭で人が溢れていて身動きが取れない状態だったという。
 この祭りを今宮祭で五月と見てのことか。
 徒然草の最後の、

 「その比、おしなべて、二三日、人のわづらふ事侍しをぞ、かの、鬼の虚言は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。」

とあるのは多分疫病除けの今宮祭であまりに人が密になるから、却って疫病流行のもとになるという皮肉であろう。
 夏で「雪はすっきり」ではいくら何でも季節が遅すぎるから、「行きはすっきり」に取り成して人がいなくなってすんなり通れるということにしたか。
 点あり。

五十四句目

   夏の月入てあとなき鬼のさた
 極楽らくにきくほととぎす

 「らく」は楽(音楽)と洛に掛けたと思われる。鬼がいなくなってホトトギスの声が極楽の調べに聞こえ、京の町に聞こえる。
 点なし。

五十五句目

   極楽らくにきくほととぎす
 夕涼み草のいほりにふんぞりて

 「ふんぞる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「踏反」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘自ラ五(四)〙 (「ふん」は「ふみ」の変化したもの) 足をふんばって上体を後ろへそらす。また、からだを横たえて、手足を存分に伸ばして背をそらす。
  ※古文真宝彦龍抄(1490頃)「我家にて足ふんそって居た活計さは」

とある。人前でこの姿勢を取ると鷹揚な感じなので「ふんぞり返る」という言葉が生まれたのだろう。
 ここでは特にふんぞり返ってるわけではなく、庵の夕涼みでくつろぐ様になる。前句の「らく」はこの場合極楽のように楽に聞くという意味になる。「あーー極楽極楽」ってとこか。
 点あり。

五十六句目

   夕涼み草のいほりにふんぞりて
 頓死をつぐる鐘つきの袖

 草庵で足を投げ出して状態をそらして倒れる様を突然死とする。発見した鐘撞の小坊主が涙に袖を濡らしながら告げに来る。
 長点で「卒中風、夕涼み過候歟」とある。昔はその名が示す通り、脳卒中は風に中るために起きるものとされていた。

五十七句目

   頓死をつぐる鐘つきの袖
 高砂や尾上につづく親類に

 高砂の尾上の松は加古川の河口にあった。大阪住吉の松と夫婦とされていて、謡曲『高砂』は尾上の松が高砂の松に会いに行く話として、かつて高砂の謡いは結婚式の定番だった。
 ただ、高砂の尾上の松ではなく尾上の鐘を詠む時は、

 高砂の尾上の鐘の音すなり
     暁かけて霜やおくらん
            大江匡房(千載集)

などのように、むしろ晩秋の悲し気なものとして詠む。その意味では弔いの鐘としてもそれほど違和感はなかったのだろう。
 謡曲では尾上の松の霜は置いても常緑の、というふうに、この和歌が用いられる。

 シテ「高砂の、尾上の鐘の音すなり。
 地 「暁かけて、霜は置けども松が枝の、葉色は同じ深緑立ち寄る蔭の朝夕に、搔けども落葉の 尽きせぬは、真なり松の葉の散り失せずして色はなほまさきのかづら長き世の、たとへなりける常盤木の中にも名は高砂の、末代のためしにも相生の松ぞめでたき。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.102). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 点あり。

五十八句目

   高砂や尾上につづく親類に
 かしこはすみのえ状のとりやり

 悲しい尾上の鐘を謡曲『高砂』の目出度さに転じる。
 「かしこはすみのえ」は、

 春の日の、
 シテ「光やはらぐ西の海の、
 ワキ「かしこは住の江、
 シテ「ここは高砂。
 ワキ「松も色添ひ、
 シテ「春も、
 ワキ「のどかに。(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.100). Yamatouta e books. Kindle 版. )

という、長閑な春にこれから住吉の松に会いに行く場面で用いられる。
 ここでは前句の「親類に」から、直接会いに行く前に手紙のやり取りをしてたことにしている。飛脚の一般化した江戸時代の世相と言えよう。
 長点で「かしこはすみのえ耳なれ候へども、いつも面白候」とある。

五十九句目

   かしこはすみのえ状のとりやり
相場もの神の告をも待たまへ

 大阪は西国の米の集まるところで、特に肥後の米相場はその年の米相場の指標になったという。元禄七年閏五月の「牛流す」の巻三十四句目にも、

   吸物で座敷の客を立せたる
 肥後の相場を又聞てこい     芭蕉

の句がある。
 この時代から米は先物取引をすることで、その時その時の収穫や運送の事情で相場が乱高下しないように調整されていたため、米屋はある程度のリスクを背負いながら、先の相場の動向を見通して米の買い付けを行う必要があった。
 常に相場の動向に気を配り、神にも祈りたいところだろう。
 長点で「信心殊勝に候」とある。

六十句目

   相場もの神の告をも待たまへ
 七日まんずる夜の入ふね

 旧暦の七日は小潮で船の発着に適してたのだろう。「まんずる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「満」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 期限が至る。日限に達する。特に、満願の日となる。また、年齢が満になる。
  ※今昔(1120頃か)六「其の七日に満ずる夜」
  ※幸若・十番斬(室町末‐近世初)「まんずる歳は、廿二」
  ② 願いごとなどがかなう。かけていた願が満たされる。
  ※古今著聞集(1254)一三「我が願すでに満ずとて」
  ③ すべてをうめる。欠けるところなくすべてに及ぶ。
  ※太平記(14C後)二七「累代繁栄四海に満ぜし先代をば、亡し給ひしか共」
  ④ ふくらみ広がって、元の完全な形になる。
  ※観智院本三宝絵(984)上「帝尺又天の薬を灑て身の肉俄かに満す、身の疵皆愈ぬ」

とあり、この場合は①で、米の到着の期限であろう。②とも掛けて用いる。
 長点で「よくまんじ候」とある。批評としてはパーフェクトということか。

六十一句目

   七日まんずる夜の入ふね
 墓まいり扨茶の子には餅ならん

 茶の子はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「茶子」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 茶を飲む時に添える菓子や果物。茶菓子。茶うけ。
  ※竹むきが記(1349)下「ちゃのこなど出だしてすすめらる」
  ② 彼岸会の供物。
  ※談義本・つれづれ睟か川(1783)三「彼岸の茶(チャ)の子(コ)か歳暮の祝義もってきたやうに、あがり口での請取渡し」
  ③ 仏事の供物、または配り物。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「墓まいり扨茶の子には餠ならん なみだかた手に提る重箱〈意楽〉」
  ④ 朝飯。または、農家などで朝飯前に仕事をする時などにとる簡単な食事。また、間食。朝茶の子。
  ※咄本・戯言養気集(1615‐24頃)下「明日は公事に出んぞ。かちごめをめしのちゃのこにいたし候へ」
  ⑤ (形動)(茶うけの菓子は腹にたまらないで気軽に食べられるところから) 容易にできること。たやすいさま。お茶の子。お茶の子さいさい。
  ※歌謡・松の葉(1703)四・草摺引「びりこくたいしばかだわう、おにをちゃのこのきんぴらだんべい」
  ※浄瑠璃・傾城反魂香(1708頃)中「常住きってのはっての是程の喧嘩は、おちゃこのおちゃこの、茶の子ぞや」

とある。墓参りなら③の意味になる。
 初七日が来ての墓参りで、多くの人を迎えての大規模な法要が行われるので、いろいろ用意するものがある。
 点あり。

六十二句目

   墓まいり扨茶の子には餅ならん
 なみだかた手に提る重箱

 一族揃っての墓参りであろう。元禄7年で伊賀でお盆を迎えた芭蕉も、

 家はみな杖にしら髪の墓参    芭蕉

の句を詠んでいる。
 人が多いと誰かが参列者のための重箱を提げて運ばなくてはならない。
 点なし。

六十三句目

   なみだかた手に提る重箱
 とはじとの便うらむる下女

 恋に転じる。
 男が今日は急に来られなくなったと便りをよこしたために、下女の用意した料理も無駄になる。
 点なし。

六十四句目

   とはじとの便うらむる下女
 おもひはいろに出がはり時分

 恋の思いを隠していても、隠しきれずに何となくわかってしまうというのは、

 しのぶれど色に出でにけりわが恋は
     ものや思ふと人の問ふまで
           平兼盛(拾遺集)

の歌は百人一首でもよく知られている。その「出に」を出替りに掛ける。出替りはコトバンクの「世界大百科事典 第2版 「出替り」の意味・わかりやすい解説」に、

 「半季奉公および年切奉公の雇人が交替あるいは契約を更改する日をいう。この切替えの期日は地方によって異なるが,半季奉公の場合2月2日と8月2日を当てるところが多い。ただし京坂の商家では元禄(1688‐1704)以前からすでに3月と9月の両5日であった。2月,8月の江戸でも1668年(寛文8)幕府の命により3月,9月に改められたが,以後も出稼人の農事のつごうを考慮したためか2月,8月も長く並存して行われた。」

とある。
 出替りになるというので、急に便りが来なくなることもよくあることだったのだろう。
 下女も便りが来ないというのでやきもきして、態度に出てしまう。
 点なし。

2023年7月23日日曜日

 それでは「十いひて」の巻の続き。

二裏
三十七句目

   随気のなみだ袖に置露
 芋の葉風只ぶりしやりと別れ様

 「ぶりしやり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「ぶりしゃり」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘副〙 (多く「と」を伴って用いる) すねて相手の気をひくさまを表わす語。特に男女間の愛情表現として用いることが多い。
  ※俳諧・犬子集(1633)一六「ふりしゃりとする絹のふり袖 腹立てくねるもこいの憂うら見」

とある。
 芋の葉は里芋の大きな葉で、前句の随気を芋の葉の柄の部分を言う芋茎(ずいき)と掛けて、芋の葉が秋風にあおられてそこに溜まってた露が柄の所に落ちて、芋茎のわがままな涙とする。
 点なし。

三十八句目

   芋の葉風只ぶりしやりと別れ様
 男にくみのいそぐ畝みち

 畝は「あぜ」とルビがある。芋畑で別れて、男を憎む女が畦道を急いで走り去る。
 点なし。

三十九句目

   男にくみのいそぐ畝みち
 布を経る所は爰と余所心

 「布を経る」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「織る前に経糸を揃えて機に掛けること」とある。蘇秦の「初出遊困而帰、妻不下機」という鶏口牛後の故事によるらしい。元ネタは金がないと家族にも相手にされないという意味のようだが、ここでは浮気のせいとする。
 点あり。

四十句目

   布を経る所は爰と余所心
 あれたる駒をつなぐ打杭

 古い形の機織機は台で固定するのではなく、杭に経糸を掛けて、手前へ引っ張りながら横糸を通して行く。機織に集中せずにほかのことを考えていると、経糸が荒れた駒のように暴れる。
 心の馬という言葉があり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「心の馬」の意味・読み・例文・類語」に、

 「(「衆経撰雑譬喩‐上」の「欲求善果報、臨命終時心馬不乱、則得随意、往不可不先調直心馬」による) 馬が勇み逸(はや)って押えがたいように、感情が激して自制しがたいこと。意馬。心の駒。
  ※新撰菟玖波集(1495)雑「あらそへる心のむまののり物に かちたるかたのいさむみだれ碁〈よみ人しらず〉」

とある。余所心は荒れたる駒。
 点あり。

四十一句目

   あれたる駒をつなぐ打杭
 昼休みあたりにちかき国境

 前句の杭を国と国との境界の杭として、国境を越える前に一休みする人がそこに馬を繋ぐ。
 点なし。

四十二句目

   昼休みあたりにちかき国境
 狩場の御供これまでにこそ

 鷹狩だろうか。領国で行うことが多く、殿があえて国境の向こうに行くのは、何か別の意図があってのことか。
 点なし。

四十三句目

   狩場の御供これまでにこそ
 かたみわけ三日かけて以前より

 前句の狩場を富士の巻狩りとして、曽我兄弟の物語に展開する。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 「曾我兄弟は、仇討実行の三日前から、形見の品を従者の鬼王・団三郎に分け与え、故郷に帰すに当って言ったセリフが前句というわけだ。」

とある。
 点あり。

四十四句目

   かたみわけ三日かけて以前より
 書置にする五人組判

 五人組はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「五人組」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 江戸時代、古代の五保制にならった庶民の隣保組織。「五人与(くみ)」と書き、五人組合ともいい、地方によっては十人組もあった。その長を五人組頭、または判頭(はんがしら)と称した。戦国時代、下級武士の軍事編制にも五人組がみられたが、江戸幕府成立後、民間の組織として制度化された。初めはキリシタンや浪人の取締りを主眼としたが、後には法令の遵守、相互監察による犯罪の予防・取締り、連帯責任による貢租の完納および成員の相互扶助的機能に重点がおかれるようになった。
  ※慶長見聞集(1614)五「とかの子細の有ければ年寄五人組引つれて御代官の花山湯島へいそぎ参るべし」
  ② 江戸時代、特に寺院で、ある一定の地域内での同宗派の法中五軒で組織した自治機関。
  ※浮世草子・新色五巻書(1698)五「一寺の和尚共いわるる身が女房狂ひなどし、あまつさへ孕(はらませ)〈略〉出家の見せしめにきっと詮義を仕る、五人組(ごにんグミ)はどこどこぞ」
  ③ (五本の指を用いるところから) 男子の自慰、手淫をいう語。女子の「二本指」などに対していう。
  ※茶屋諸分調方記(1693)四「さもあらば五人組の一せんをみづからはげみ給へ」

とある。ここでは②の意味で、『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 「死亡の三日前から形見分けの書留に、五人組の連判をとっておいたという意。」

とある。
 点あり。

四十五句目

   書置にする五人組判
 慥にも見とどけ申鰹ぶし

 前句の「かきおき」を削るという意味の掻き置きとする。
 長点で「土佐ぶし上々」とある。鰹節は土佐の物を良しとした。鰹節は上方ではこの頃広く用いられてたが、江戸に普及するのは元禄の頃になる。

四十六句目

   慥にも見とどけ申鰹ぶし
 うたがひもなき初雁の汁

 雁は食用にされた。元禄の頃の江戸では恵比須講の御馳走としても売られていて、

 振売の雁あはれ也ゑびす講  芭蕉

の句がある。関西では鰹出しで雁を汁物にして食べたのだろう。
 点なし。

四十七句目

   うたがひもなき初雁の汁
 律儀者の下屋敷にて月の会

 関西では初雁の汁を月見の料理の定番としていたか。
 長点で「鴈汁しそこなはぬ亭主歟」とある。

四十八句目

   律儀者の下屋敷にて月の会
 所もところ和歌も身にしむ

 前句の月の会を歌会とする。
 点なし。

四十九句目

   所もところ和歌も身にしむ
 咲花は紀路の山のとつとおく

 和歌を和歌の浦として紀路(きのぢ)に展開したか。紀路はここでは和歌山街道のことであろう。和歌山と松阪を結ぶ道で途中花の吉野を通る。吉野の桜は和歌山街道の山の中にあって、ここまで来れば和歌の浦も言ってみたくなる。実際貞享五年に芭蕉は吉野から和歌の浦へ行った。
 点あり。

五十句目

   咲花は紀路の山のとつとおく
 しぶぢの椀も霞む弁当

 渋地はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「渋地」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 木製の什器類の地に柿渋を塗り、その上に漆を塗ること。また、その塗物。
  ※俳諧・毛吹草(1638)四「紀伊〈略〉黒江渋地(シブヂ)椀」

とある。元は近江にいた漆器職人が紀伊の国の黒江に棲み着いて、渋地椀の一大産地となった。
 花見に和歌山から吉野へ行くと、紀伊の渋地椀に入れた弁当も霞んで見える。
 点なし。

2023年7月22日土曜日

  市川沙央さんの「ハンチバック」を読んでみた。純文学を読むのはまっさんの「火花」以来か。
 読みやすい文章だし、ラノベファンだけあって親しみが持てる感じがした。また、それほど長くないこともあってか、一気に読めた。
 ハードモードなのはラノベのダークな世界で耐性が付いていればそれほど苦にはならない。まあ、ラノベに出てくるような純情な男ではなく、いかにもいそうなダメ男が描かれてたり、そこは純文学だな。
 ルソーは『人間不平等起源論』で自然状態の人間を「自然は立派な体格の人達を強くたくましいものにし、そうでない人をすべて滅ぼしてしまうのだ。」と言ってたが、「自然に帰れ」というのがいかに糞な思想かがよくわかる。高度な文明があって初めて生きられ、仕事ができ、小説が書ける人がいるというのを忘れてはならない。
 これまで重度の障害者が芥川賞を取れなかったのは単純な理由で、本のページをめくることもペンによる執筆作業もできなかった人に、どうして小説が書けるのかという問題があった。iPad miniがそれを解決してくれた。
 作品の中にデビット・リンチの名前が出てきたが、『エレファント・マン』のことであろう。あの中にも大勢の学者の見世物になって、生殖器だけが正常だという場面があった。「ハンチバック」もこれが下敷きになってると見ていいのかもしれない。
 障害者が性的機能を持ってて何がおかしいのか。同じ人間じゃないか「I'm human being!」。あの叫びが根底にあるんだと思った。
 泥をすすりながら底辺で生きている人間もいれば、高度な医療装置の中で泥に触れることを許されない人間もいる。どっちも同じ人間なんだ。I'm human being!と言って良いんだ。
 蓮の花は仏教的なテーマで、和光同塵というか、泥の中で塵にまみれてこそ仏の救いが必要なんだという古典的なテーマでもある。

     みず
 泥や夢水耕栽培の蓮の花

 最後の部分は現世間転生だろうか。ネタ的に面白い要素が詰まっているが、これについてはあまり語ると思いきりポリコレ棒で殴られそうだな。

 それでは「十いひて」の巻の続き。

二表
二十三句目

   長閑にすめる江戸の川口
 殿風に立春風やおさるらん

 花を散らす春風も江戸の殿様の風に抑えられて、江戸は平和な中に繁栄を極めている。
 点なし。

二十四句目

   殿風に立春風やおさるらん
 弓はふくろに雲はどちやら

 「弓はふくろに」に『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『弓八幡』の、

 ツレ「弓を袋に入れ、
 シテ「剣を箱に納むるこそ、
 ツレ「泰平の御代のしるしなれ。(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.118). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。全体が天下泰平をことほぐのをテーマとして能で、

 ツレ「花の都の空なれや、
 シテ・ツレ「雲もをさまり、風もなし。
 シテ「君が代は千代に八千代にさざれ石の、巌となりて苔のむす、(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.116). Yamatouta e books. Kindle 版. )

という言葉もその前の場面にある。
 雲も収まりを前句の「春風やおさるらん」を受けて、「雲はどちやら」と俗語にするところに俳諧らしさがある。
 長点で「一句の取合不都合によく又相叶候」とある。

二十五句目

   弓はふくろに雲はどちやら
 天下みな見えすくやうに治りて

 占い師は算木を入れた算袋と持ち歩いていた。前句の弓をその算袋に見立てて、さて雲はどちらへ行ったかと、天下のことをみんな見え透くように占ってくれる。
 「おさまる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「治・納・収」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 乱れや騒ぎなどがしずまること。→納まりが付く。
  ※歌舞伎・三人吉三廓初買(1860)三幕「『ほんに私しゃどうなることかと案じてゐたによい所へ』『文里さんのござったので』『波風なしに此場の納(オサマ)り』」
  ② 物事が進んでいって最後に落ち着くところ。結末。決着。また、うまく落ち着くように処置すること。→納まりが付く。
  ※愚管抄(1220)七「随分随分の後見と主人とひしとあひ思ひたる人の家のやうにをさまりよきことは侍らぬ也」
  ③ (金銭などが)受け取られること。納入されること。また、自分の所有になること。収入。
  ※滑稽本・浮世風呂(1809‐13)四「けふら乾魚(ひもの)を売居(うって)るやうぢゃァ納(ヲサマ)りやア悪いナ」
  ④ 物のすわり具合。また、物と物とのつり合いの具合。→納まりが付く。
  ※滑稽本・大千世界楽屋探(1817)口絵「からじるでこなからのみなほさうといふばだが、チョッ納りはわりいぜ」

とある。この場合は②にすることで、前句の賀から離れて、占いによって天下の色々な問題が解決してゆく、とする。
 長点で「眼力奇妙候」とある。この言葉は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「占算の看板の語」とある。

二十六句目

   天下みな見えすくやうに治りて
 紙一枚に名所旧跡

 前句の「治りて」を収録する意味に取り成し、一枚の紙に描かれた名所図会にする。
 点あり。

二十七句目

   紙一枚に名所旧跡
 扇まつ歌人居ながら抜出し

 歌人というのは行ったこともない歌枕の歌をさも見てきたかのように詠むもので、扇に名所旧跡の歌を書くように言われた歌人は、きっと魂が抜けだして名所へ飛んでるのだろう。
 点あり。

二十八句目

   扇まつ歌人居ながら抜出し
 みださざりける大うちの時宜

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注によると、前句を扇の拝に取り成したのだろいう。
 扇の拝はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「扇の拝」の意味・読み・例文・類語」に、

 「中古、陰暦四月一日に、役人たちを宮中に召し出し、酒を賜わり、政治のことをお聞きになった朝廷の儀式。孟夏旬(もうかのじゅん)にあたって、役人たちに扇を分け与えることから、この名が生じた。《季・夏》 〔公事根源(1422頃)〕」

とある。
 まあ、宮中の役人といえば歌人も多いことだろう。ただ、「居ながら抜出し」は生かされてないように思える。
 点なし。

二十九句目

   みださざりける大うちの時宜
 果報力つよき上戸の差合に

 果報力(くわほうりき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「果報力」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 前世の因によって現世でよい報いを受ける力。幸運を呼ぶ力。
  ※御伽草子・釈迦の本地(室町時代物語集所収)(室町末)「太子の、御くゎほうりきによって、どくにも、やぶられたまはず」

とある。まあ、強運に恵まれてるくらいの意味か。
 こういう人は酔っ払って喧嘩しても不思議と許されてしまうものだ。
 点あり。

三十句目

   果報力つよき上戸の差合
 耳引手をねぢ分も御座らぬ

 酔っぱらいの喧嘩は耳を引っ張ったり手をねじ上げたりしても、咎められると「いや何でもない」とか言って治まる。
 点あり。

三十一句目

   耳引手をねぢ分も御座らぬ
 喧嘩をばかやうかやうに仕ちらかし

 火事と喧嘩は江戸の華というが、大阪も一緒だったのだろう。市場でも長屋でも喧嘩は日常茶飯事で、それでも大怪我したり死んだりすることはほとんどなくて、次の日にはお互いけろっとしてたりする。
 長点で「下々のありさま見るやうに候」とある。武士だとそうはいかない。すぐ刀を抜いて、末は切腹お取り潰しで、庶民が羨ましかろう。

三十二句目

   喧嘩をばかやうかやうに仕ちらかし
 目安にのするより棒の事

 これもまあ、庶民の喧嘩も素手で仲良く喧嘩してればいいが、大喧嘩になれば六尺棒を持った岡っ引きがわらわらとやって来て取り調べを受ける。
 長点で「たたかれたるよしを申上候哉」とある。

三十三句目

   目安にのするより棒の事
 私儀木戸のものにて候き

 木戸番であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「木戸番」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 江戸の町に設けた木戸の自身番屋。また、そこの番人。番所は中番、番人は番太郎ともいった。
  ※御触書寛保集成‐三九・寛文二年(1662)九月「一、町中木戸番之者、夜中川岸棚下入念を相改」
  ② 芝居小屋、また相撲、見世物などの興行場の木戸口を守り、客を引いた番人。
  ※仮名草子・都風俗鑑(1681)三「狂言のはてくちに、彼城戸(キド)ばんが『御評判御評判』と、息すぢはりてわめくがくだなり」
  ③ 転じて、一般に人の出入りするところの番をすることや、店先で客の来るのを待つことなどにいう。
  ※滑稽本・八笑人(1820‐49)三「蚊を入れられては恐れるから、おれが木戸番をしてやらう」

とある。目安の申し立てを①の木戸番とした。番太郎はウィキペディアに「多くは非人身分であった。」とある。もっとも不釣り合いだから俳諧の笑いになるのだろうけど。
 長点でコメントはない。

三十四句目

   私儀木戸のものにて候き
 銭はもどりに慈悲を給はれ

 前句を②の方の芝居小屋の木戸番とする。芝居がコケて客が金返せと騒ぎだしたのだろう。金は返しますから、どうかお慈悲を。
 点あり。

三十五句目

   銭はもどりに慈悲を給はれ
 月影も廻り忌日の寺まいり

 期日にお寺へお参りに行ったら、帰りの門前で乞食がお恵みをと言ってきた。
 点なし。

三十六句目

   月影も廻り忌日の寺まいり
 随気のなみだ袖に置露

 随気(ずいき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「随気」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 わがまま。きまま。気随。」

とある、気随気儘という言葉もある。
 同音で隋喜だと、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「随喜」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 仏語。他人のなす善を見て、これにしたがい、喜びの心を生ずること。転じて、大喜びをすること。
  ※法華義疏(7C前)四「第二拠二随喜功徳一作レ覓」
  ※霊異記(810‐824)中「王聞きて随喜し、坐より起ち長跪(ひざまづ)きて、拝して曰く」 〔法華経‐随喜功徳品〕
  ② (①から転じて) 法会などに参加、参列すること。
  ※栄花(1028‐92頃)うたがひ「その日藤氏の殿ばら、かつはずいきのため、聴聞の故に残りなく集ひ給へり」

とある。これだと当たり前すぎるので随喜に掛けて随気としたか。
 点なし。

2023年7月20日木曜日

  それではツイッターの奥の細道の続き。

六月一日

今日は旧暦5月30日で、元禄2年は6月1日。奥の細道。

大石田を出て新庄の渋谷甚兵のところに向かう。風流のところで風流をしにいくわけだが、紛らわしい俳号だ。絵画という絵師がいるようなもんだ。
平右衞門が舟形までの二人分の馬を用意してくれて、加助と一緒に猿羽峠まで見送りに同行してくれた。

舟形で馬を降りるとそこから先は暑い中を歩いた。
途中柳の木の影に清水があった。水は冷たく、生き返るような心地だった。
折から今日は6月1日。この日は朝廷へ氷室の氷の献上のある日で、それに倣って公方様の所にも加賀藩から氷が献上される。

氷ではないが、この冷たい清水は有り難く、氷室の氷を献上された殿様になった気分だ。

水の奥氷室尋る柳哉 芭蕉


六月二日

今日は旧暦6月1日で、元禄2年は6月2日。新庄。

すっかり梅雨明けで暑い日が続く。昨日は風流こと渋谷甚兵の家に泊まった。
午後からは甚兵の兄の九郎兵衛の家で興行することになった。8人は集まるというので、広い兄の家の方が良いとのことだ。
一応発句を用意しないと。

九郎兵衛邸での興行で一応薫風自南来 殿閣生微涼という禅語を出典として、

風の香も南に近し最上川 芭蕉

の発句も用意したが、風流の発句が当座の興にあっているのでこっちにした。

お尋に我宿せばし破れ蚊や 風流

それで会場を移しました。

新庄での俳諧。

芭蕉「いやいや全然狭くなかったし、蚊帳も破れてなかったし、それに今は風薫る候なので、まるで高価なお香を焚いただ。」

  御尋に我宿せばし破れ蚊や
はじめてかほる風の薫物 芭蕉

孤松「初めて薫るというのを菊の香りにしましょう。ススキも折って軽くあしらっておきましょう。」

  はじめてかほる風の薫物
菊作り鍬に薄を折添て 孤松

曾良「それでは菊とススキに背景を添えておきましょう。霧に日の光が反射して虹ができる。」

  菊作り鍬に薄を折添て
霧立かくす虹のもとすゑ 曾良

柳風「月に虹が掛かる珍しい光景についつい浮かれて二里も遠くまで行ってしまった。」

  霧立かくす虹のもとすゑ
そぞろ成月に二里隔てけり 柳風

盛信「では今日は私盛信こと九郎兵衛が執筆を務めさせてもらう。二里といえば京から逢坂山まで、月といえば駒迎え。」

  そぞろ成月に二里隔てけり


六月三日

今日は旧暦6月2日で、元禄2年は6月3日。奥の細道。

今日も良い天気で、新庄を出て合海から最上川を船で下って清川へ行き、そこから羽黒山へ向かう。
この船に同船した二人の僧は前に深川にいた毒海長老の知り合いだという。

何事も招き果てたるすすき哉 芭蕉

の句を追悼に詠んだっけ。

最上川を下り途中、古口の船関を通った。ここから清川の船関までが左右の山が迫り、仙人堂や白糸の滝があった。
最上川というと古今集東歌に、

最上川登れば下る稲舟の
   いなにはあらずこの月ばかり

の歌があったな。

ここ何日か晴天が続いてたので、それほど急流という感じはしないし、昔から船が上ってたのもわかる。
ただ名所名寄には、

稲船も登りかねたる最上川
   しばしばかりといつを待ちけむ

の歌もあったな。五月雨に詠むんだったら「集めて速し」か。

清川で船を降りて陸路で羽黒山に向かった。着いた時には日も西に傾いてた。
あらかじめ曾良が連絡を入れていた佐吉は留守で、待ってると本坊から帰ってきたが、また曾良に手紙を持たされて本坊との間を往復した。

宿泊地の南谷に着いた頃には、空にほんのり三日月が見えていた。

涼しさやほの三日月の羽黒山 芭蕉


六月四日

今日は旧暦6月3日で、元禄2年は6月4日。羽黒山。

今日も良い天気だが、尾花沢出てからゆっくりできなかったので一休みだ。
昨日の夜、観修坊釣雪という僧がやって来て、曾良の旧友だというので盛り上がってた。
釣雪は尾張にもいる。柳宗元の独釣寒江雪の詩句は有名だからな。

午前中はゆっくり休んだ。宿泊所は別院紫苑寺といって、会覚阿闍梨の隠居所で、滝の水を引き込んだ水風呂と高野山式の水洗便所があった。
午後は本坊の若王寺宝前院に呼ばれて蕎麦をご馳走になり、別当代の会覚阿闍梨と浄化教院の江州円人に会った。

昼食の後、佐吉や釣雪や羽黒山の僧を交えて興行した。

芭蕉「月山は夏でも雪があって、そこから吹いてくる風が涼しいですね、という意味だが、ここは雪を薫らすと敢えて風の言葉を抜いてみた。」

有難や雪をかほらす南谷 芭蕉

佐吉「俳号は露丸ね。風の抜けならこちらは露の抜けとしましょうか。南谷の別邸も今は夏草が茂って、露に濡れる。」

  有難や雪をかほらす南谷
住程人のむすぶ夏草 露丸

曾良「夏草だと一応草の中で光る蛍ということで、水辺に展開しましょうか。」

  住程人のむすぶ夏草
川船のつなに蛍を引立て 曾良

釣雪「蛍だから暗くなる頃ということで、月を出しましょう。鵜のどこかへ飛び去った空には三日月が残っている。」

  川船のつなに蛍を引立て
鵜の飛跡に見ゆる三日月 釣雪

珠妙「その空には天の川があって秋風が吹く。鵜をカササギに見立てて。」

  鵜の飛跡に見ゆる三日月
澄水に天の浮べる秋の風 珠妙

梨水「秋の夜ということで、あちこちから砧を打つ音が聞こえてくる。」

  澄水に天の浮べる秋の風
北も南も砧打けり 梨水

2023年7月19日水曜日

  Twitterのコミュニティノートは、これで昔の2ちゃんねるのように左右両方で互いの嘘を暴き合ってくれれば面白いなと思ってたが、左翼の方は乗って来なくて、コミュニティノートはネトウヨのものという印象操作をして無視する作戦に出ている。
 確かに2ちゃんねるで撃ち合いになった時に、左翼の方が劣勢になってたようだからな。だからマスメディアの権威に頼って、横綱相撲を取った方が良いと判断したのだろう。
 ただ、いくらコミュニティノートの書き込みがネトウヨのもので信用するなと言っても、反論しなければ権威も保てないから、難しい所だ。
 日本ファクトチェックセンターは四日間の沈黙の後、汚染水に関するコミュニティノートの書き込みを追認してさらに踏み込んだ形で情報を出してきたのは、マスメディアの信用がこのままだと失墜するということで、自らその自浄作用になろうとしたのかもしれない。
 そもそもマスメディアが正確な情報を常日頃心掛けていれば、ファクトチェックは必要なかったものを、マスメディア自身が大衆先導の方を優先させて露骨な印象操作を行って事実をゆがめてきたのが問題だった。
 だからコミュニティノートはただ無視しろではなく、衰退するマスメディアの立ち直るきっかけになると良いと思う。
 大衆が求めているのは露骨な左への誘導ではなく、あくまでも真実だということを忘れてはならない。マスお廃棄物様の汚名を返上してほしいものだ。

 それでは今日はツイッターの奥の細道の続き。

五月二十三日

今日は旧暦5月22日で、元禄2年は5月23日。尾花沢。

今日も晴れたかと思ったら夕立になる天気で、夜になって仁左衛門の家に招かれた。日待ちだったが途中で失礼して清風の家に泊まることにした。

五月二十四日

今日は旧暦5月23日で、元禄2年は5月24日。尾花沢。

今日も夕方から雨が降った。
夜になって田中藤十郎が来て、色々食べ物を持ってきてくれた。
明日の俳諧興行も決まり、今度は賑やかな会になりそうだ。

五月二十五日

今日は旧暦5月24日で、元禄2年は5月25日。尾花沢。

今日も時折小雨が降る天気だが、大石田の方で河川の氾濫があったらしく、今日の俳諧興行は中止になった。とにかくみんなの無事を祈る。

五月二十六日

今日は旧暦5月25日で、元禄2年は5月26日。尾花沢。

今日も小雨が降っていた。昼には沼沢所左衛門の家で歌川平蔵さんにご馳走してもらった

五月二十七日

今日は元禄2年5月26日で、元禄2年は5月27日。奥の細道。

今日は晴れたので、朝出発して立石寺に向かった。慈覚大師の開いた寺で、聳え立つ岩の絶景と大伽藍が見ものだという。
山形も行けたら行ってみたい。
清風が馬を用意してくれて、途中まで案内するという。

尾花沢が出て本飯田まで二里。そこから一里行った楯岡まで清風が同行した。
その間、清風との雑談の中で、この前の、

行すゑは誰肌ふれむ紅の花 芭蕉

の句の改作の話になり、結局、

まゆはきを俤にして紅の花 芭蕉

に治定した。

「誰肌ふれむ」は紅が単にどこかの女の肌に触れるというだけでなく、その女が誰のものになるのかなというエッチな妄想を誘うもので、そう思わせて紅の花が肌に触れるんだという落ちにするもので、この作意を裏に隠しておきたかった。
眉掃きも肌に触れるもので形状が紅花に似てるので、この形にした。

楯岡を出て六田から天童へ行き、そこから左の山の方へ行った所に立石寺があった。
梅雨明けを思わせる暑い日差しもようやく西に傾いた頃で、ここに宿を取って一休みしてから、夕暮れも近くなった頃立石寺を参拝した。

ヒグラシが鳴いていて、今年も蝉の季節が来たようだ。
かなかなという悲しげな声が夕暮れの山寺に響いていた。
この寺の切り立った岩を夕日が赤く染め、そこには板碑型の供養塔や岩塔婆が数多く刻まれ、この寺の岩がそのまま墓石のようだ。

何百年、蝉のような儚い夢の命がこの岩には染み付いているのだろうかと思うと、どうしようもなく悲しみが込み上げてくる。

山寺や石に染み付く蝉の声 芭蕉

五月二十八日

今日は旧暦5月27日で、元禄2年は5月28日。奥の細道。

今日も晴れてて暑い。山形行きはやめて大石田の高野平右衞門の所へ向かうことになった。この辺り馬が使える。
天童を過ぎて六田宿の馬次の時、くる時にもいた内蔵にまた会って、昼飯をご馳走になった。

六田を過ぎて楯岡を過ぎ、上飯田で大石田の高桑加助に会って、一緒に大石田に向かった。まだ日に高いうちに大石田に着いた。
ちょっと空の方がまた雲行きが怪しい。

五月二十九日

今日は旧暦5月28日で、元禄2年は5月29日。奥の細道。

結局昨日も雨は降らなかった。今日も晴れてて暑い。
とりあえず高野平右衞門(俳号は一栄)と高桑加助(俳号は川水)と曾良の四人で俳諧興行を始めた。
暑いけど、近くを流れる最上川が涼しさを運んできてくれることを期待して、

さみだれをあつめてすずしもがみ川 芭蕉

一栄「暑いけど気を遣って涼しいと言ってくれて恐縮です。この大石田に長く留まることはできないと思いますが、今はくつろいで行ってください。

  さみだれをあつめてすずしもがみ川
岸にほたるを繋ぐ舟杭 一栄

曾良「この場合は寓意を取り除いて、普通の景色にして展開すればいいですね。川の景色から陸の景色に転じて、月を出しましょうか。」
芭蕉「発句に五月雨と月の字があるから、影にしよう。」

  岸にほたるを繋ぐ舟杭
瓜ばたけいさよふ空に影まちて 曾良

川水「なるほどいわゆる抜けですね。月と言わずして月を出す。では瓜畑に桑畑で、農作業の帰り道に桑畑を通るとしましょう。」

  瓜ばたけいさよふ空に影まちて
里をむかひに桑のほそみち 川水

午後から一栄川水と一緒に清滝山向川寺にお参りに行った。その名の通り最上川の向こう側にあった。3日続きの良い天気で大分水位も下がっていて、流れも緩やかになっていた。
曾良は疲れてるからと言って来なかった。まあ神道家だしね。

向川寺から帰った後、俳諧の続きをした。

一栄「それでは騎牛帰家の心で、牛と一緒に帰りましょう。死というのも夕暮れに家に帰るようなものでありたいね。」

  里のむかひに桑のほそみち
うしのこにこころなぐさむゆふまぐれ 一栄

芭蕉「牛というと老子だね。老子騎牛図の心で、子牛に心慰みながら旅をする。騎牛帰家だと笛だが、老子騎牛だと詩でも吟じようか。」

  うしのこにこころなぐさむゆふまぐれ
水雲重しふところの吟 芭蕉

川水「旅体ですね。水雲の僧は破れた笠を枕の脇に立てて風除けにして山颪を凌ぐ。」

  水雲重しふところの吟
侘笠をまくらに立てやまおろし 川水

曾良「万葉集だと、笥に盛る飯を椎の葉に盛るというのも刑死の暗示として用いられます。松が枝を引き結ぶもそうですね。有間皇子でしたか。」

  侘笠をまくらに立てやまおろし
松むすびをく国のさかひめ 曾良

芭蕉「刑死の句なら確かに旅体が三句続くのを免れるか。ただこれは難しいな。松結びを何か中国の古い習慣ってことにしておこうか。」

  松むすびをく国のさかひめ
永楽の古き寺領を頂きて 芭蕉

一栄「所領といえば大高紙にその権利を書き記すものです。夢が叶ったということで、初夢のおめでたい鷹と掛けて大鷹紙としましょうか。」

  永楽の古き寺領を頂きて
夢とあはする大鷹の紙 一栄

曾良「ではここらで恋に行きましょうか。夢にまで見た大鷹のような貴人への恋文に、夢が本当になったという意味で暁という名の薫物をするとかどうですか。」

  夢とあはする大鷹の紙
たきものの名を暁とかこちたる 曾良

川水「薫物を焚いて暁を迎えると取り成して、逢瀬の夜にしましょうか。つま紅が肌に移ると想像させておいて、双六で落ちにする。行末は誰が肌触れむですな。」

  たきものの名を暁とかこちたる
つま紅粉うつる双六の石 川水

一栄「つま紅の正体は稚児で男だった。それも僧のいる簾の中へ入って行って、どういう関係やら。」

  つま紅粉うつる双六の石
巻あぐる簾にちごのはひ入て 一栄

芭蕉「稚児は看病に来たんだな。簾を巻き上げると秋風が入ってくる。それが人生の秋を感じさせる。」

  巻あぐる簾にちごのはひ入て
煩ふひとに告るあきかぜ 芭蕉

川水「秋風を文字通り秋の風にして、春に蛙が鳴き山吹の花の咲いてた井手の玉川の水も秋になるとひんやりとして秋風が吹く。」

  煩ふひとに告るあきかぜ
水替る井手の月こそ哀なれ 川水

曾良「次は花の定座でここは秋の句か。月に砧を打つだと李白の長安一片月で秋にしかならないけど、砧を打つ人を選ぶだと春にも転用できるかな。」

  水替る井手の月こそ哀なれ
きぬたうちとてえらび出さる 曾良

一栄「砧だと織物か。砧を打つ女性はこの時期花茣蓙を織る。花の後、花を織ると花尽くしで行きましょうか。」

  きぬたうちとてえらび出さる
花の後花を織らする花筵 一栄

川水「花筵を何に使うかというと、釈迦入滅の日の涅槃会に使う。」

  花の後花を織らする花筵
ねはむいとなむ山かげの塔 川水

五月三十日

今日は旧暦5月29日で、元禄2年は5月30日。大石田。

曇ってたがすぐに晴れた。昨日の俳諧の続きをした。
芭蕉「山陰の塔というと山陰に隠れ住んでる人達かな。都会の穢多と違って田畑を持って裕福な人も多い。」

  ねはむいとなむ山かげの塔
穢多村はうきよの外の春富て 芭蕉

曾良「この人たちは武家に代わって特殊な役割を担うことが多い。町の岡っ引きもそうだし、昔は刀狩なんかも武家に代わって執行した。用は汚れ役ということ。」

  穢多村はうきよの外の春富て
かたながりする甲斐の一乱 曾良

川水「乱があれば関所も荒れ果てたりするもの。関だけでなく街道も荒れ果てて物流が止まるから、飢饉への対応ができなくなって、それがまた乱になるという悪循環。」

  かたながりする甲斐の一乱
葎垣人も通らぬ関所 川水

一栄「荒れた関所といえば藤原良経の歌にある、ただ秋の風ですな。歌に詠もうにも紙がなくて松風の吹く松さえ削る。」

  葎垣人も通らぬ関所
もの書くたびに削るまつかぜ 一栄

曾良「削るは髪を梳かすという意味にも取り成せますな。猿楽の関寺小町で七夕の星祭りに誘われた白髪頭の小野小町にしましょうか。」

  もの書くたびに削るまつかぜ
星祭る髪はしらがのかかるまで 曾良

芭蕉「後撰集の檜垣の媼の歌に、

年ふれば我が黒髪も白川の
   みづはくむまで老いにけるかな

ってあったな。遊女の歌も勅撰集にその名を残す。」

  星祭る髪はしらがのかかるまで
集に遊女の名をとむる月 芭蕉

一栄「徒然草に女の足駄で作った笛は牡鹿が寄ってくるなんてのがあったね。集に名を残すような遊女から貰ったのかな。」

  集に遊女の名をとむる月
鹿笛にもらふもおかし塗あしだ 一栄

川水「鹿笛を吹くんだったら山賤だろう。柴を売りに街へ出たらその売上を女に使っちゃったのか、鹿笛でなく女の足駄持っている。」

  鹿笛にもらふもおかし塗あしだ
柴売に出て家路わするる 川水

芭蕉「何か夢でも見たんだろうな。合歓の花とねぶたを掛けて。」

  柴売に出て家路わするる
ねぶた咲木陰を昼のかげろひに 芭蕉

曾良「眠くなると言ったら千日講。千日も法華経を読むなんて信じられないな。半日も経たずに眠くなりそうだ。他に面白い学問の本が沢山あるのに勿体ない。」

  ねぶた咲木陰を昼のかげろひに
たえだえならす千日のかね 曾良

川水「神社の千日参りにしようか。一日で千日分というお得感は仏教にはないな。人も沢山来るから昔の友に会ったりもする。」

  たえだえならす千日のかね
古里の友かと跡をふりかへし 川水

一栄「他所へ行った時に大声で何か言い争ってる声を聞いて、にゃーにゃー言ってたら故郷の知り合いかと思うにゃ。口論と言えば渡し舟のところじゃいつもやってるし。」

  古里の友かと跡をふりかへし
ことば論ずる舟の乗合 一栄

曾良「師走ともなると市場も活気づいて、みんな生きるのに必死だからついつい口論する声も荒くなる。そんな市場を後にして廻船は物を運び続ける。」

  ことば論ずる舟の乗合
雪みぞれ師走の市の名残とて 曾良

芭蕉「師走の十三日にどこの家でも一斉に行う煤掃き。でも狭い草庵じゃ大してやることもないし、そんな時に誰か来てくれれば嬉しいもんだ。」

  雪みぞれ師走の市の名残とて
煤掃の日を草庵の客 芭蕉

一栄「掃除を始めると故人の手紙が出てきたりすることってあるよね。」

  煤掃の日を草庵の客
無人を古き懐紙にかぞへられ 一栄

川水「掃除して出てきた手紙に亡き主人を思い出した寡婦が心を乱すうちに日が暮れて行く。日暮れだから病眼鴉が鳴く。」

  無人を古き懐紙にかぞへられ
やもめがらすのまよふ入逢 川水

芭蕉「やもめがらすなんて言うと、男やもめが墨染めの衣を着てるのを想像しちゃうな。風呂敷包み一つ抱えて吉野の花を見ながら熊野へと峰入する。」

  やもめがらすのまよふ入逢
平包あすもこゆべき峰の花 芭蕉

曾良「花咲く頃は苗代作りの季節。花咲く峰でも稲の籾を蒔けば村雨が大地を潤す。」

  平包あすもこゆべき峰の花
山田の種をいはふむらさめ 曾良

俳諧は無事満尾し、ちょっとその辺を散歩してみた。特にどこへというわけでもないが、歩いてるといろいろ考えて、アイデアが出てくる。
松島の句と俳文、ちょっと書いてみた。

島々や千々にくだきて夏の海 芭蕉

うーん、今ひとつかな。

2023年7月18日火曜日

 それでは「十いひて」の巻の続き。

初裏
九句目

  塩屋の一家花野の遊舞
夕露は浦辺におゐて隠なし

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 いかにせむ葛のうらふく秋風に
     下葉の露のかくれなき身を
             相模(新古今集)

の歌を引いている。
 ただ、この場合隠せないのは泪の露ではなく、夕露という遊女であろう。上方の伝説の遊女夕霧太夫をイメージしたものか。
 夕霧太夫は延宝六年没だから、この時点ではまだ現役。宗因の寛文の頃の独吟恋百韻「花で候」の巻も、

   さしにさしお為に送る花の枝
 太夫すがたにかすむ面影     宗因

と今を時めく太夫の登場で締めっくくっている。寛文十二年までは島原遊郭にいたが、以後大坂新町に移転している。浦辺と言えなくもない。
 点なし。

十句目

   夕露は浦辺におゐて隠なし
 とふにおよばぬあれは船持

 船持(ふなもち)は船のオーナーで、お金も持ってそうだ。

 わくらばにとふ人あらば須磨の浦に
     藻塩たれつつわぶとこたへよ
             在原行平(古今集)

を踏まえて、行平なら隠れて住んでどうしてこんな所にいるんだと問う人もいるだろうけど、金持ちの船のオーナーはこれ見よがしで問う必要はない。
 点あり。

十一句目

   とふにおよばぬあれは船持
 呑酒の其壺許は合点じや

 舟持ちは太っ腹で、酒の一坪くらい奢るなんて何でもない。問う必要もない。
 点あり。

十二句目

   呑酒の其壺許は合点じや
 市立さはぐ中の目くばせ

 市立(いちたち)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「市立」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 市(いち)が立つこと。また、市。→市が立つ。
  ※虎明本狂言・河原太郎(室町末‐近世初)「けふは天気がよひに依て、したたかな市立じゃ」
  ② 市に出かけること。また、その人。
  ※政基公旅引付‐文亀元年(1501)六月一七日「市立の人々地下よりかくして各返し申て候由」

とある。
 酒一壺は市場の人への差し入れだった。
 点なし。

十三句目

   市立さはぐ中の目くばせ
 とらへぬる盗人は是妹と背と

 目配せしてたのは盗人の夫婦だった。万引き家族もこの時代ではあるあるだったか。
 点あり。

十四句目

   とらへぬる盗人は是妹と背と
 美豆野の里に簀垣かく也

 美豆野の里は、

   隔河恋といへるこころをよめる
 山城の美豆野の里に妹をおきて
     いくたび淀に舟よばはふらん
             源頼政(千載集)

の歌に詠まれている。今の 伏見区淀美豆町の辺りで桂川・宇治川・木津川の三つが交わる辺りになる。
 簀垣(すがき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「簀垣」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 竹で作った透垣(すいがい)。
  ※散木奇歌集(1128頃)恋下「心あひの風ほのめかせやへすがきひまなき思ひに立ち休らふと」

とある。前句の泥棒夫婦は美豆野に住んでいて、夜な夜な船で大阪に出没していた。
 点なし。

十五句目

   美豆野の里に簀垣かく也
 白雨や扨京ちかき瓦ぶき

 美豆野の里に簀垣の家は京に近いから瓦葺だ。当時は実際にこの辺りの家の多くが瓦葺であるあるだったか。
 点なし。

十六句目

   白雨や扨京ちかき瓦ぶき
 奉加すすむる山々みねみね

 奉加は神仏への寄付で、京都の近郊の裕福そうな家は、いろんな寺から寄付を求められてたか。
 点あり。

十七句目

   奉加すすむる山々みねみね
 客僧は北陸道に拾二人

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『安宅』の、

 「これは南都東大寺大仏再興のため、国国をめぐり勧進を申し候。北陸道をば此の聖承つて、一紙半銭をえらはず、勧め申す勧進聖にて候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3103). Yamatouta e books. Kindle 版.)
 「語つてきかせ申さう。さても頼朝義経御兄弟の御仲不和にならせ給ひ、義経は都の住居かなはせ給はず、十二人の作り山伏となり、奥州秀衡を頼み御下向のよし頼朝聞こしめし及ばせ給ひ、国 国に新関をすゑ、山伏をかたくえらみ申せとの御事にて候程に、一人をも通し申すまじく候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.3103-3104). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。前句を奥州に遁れる九郎判官義経等十二人とする。
 点あり。

十八句目

   客僧は北陸道に拾二人
 きのふも三度発るもののけ

 物の怪の病はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ) 「物の怪」の意味・わかりやすい解説」に、

 「生霊(いきりょう)、死霊などの類をいい、人に取り憑(つ)いて、病気にしたり、死に至らせたりする憑き物をいう。平安時代の文献にはよくこのことが記録されている。『紫式部日記』には、中宮のお産のとき、物の怪に対して屏風(びょうぶ)を立て巡らし調伏(ちょうぶく)したことが記されている。『源氏物語』葵(あおい)の巻に、「物の怪、生霊(いきすだま)などいふもの多く出で来てさまざまの名のりする中に……」とあり、また同じ巻に「大殿(おおとの)には、御物(おんもの)の怪(け)いたう起こりていみじうわづらひたまふ」などとある。清少納言(せいしょうなごん)も『枕草子(まくらのそうし)』のなかで、昔評判の修験者(しゅげんじゃ)があちこち呼ばれ、物の怪を調伏する途中疲れて居眠りをしたので非難されたことなどを記している(「思はむ子を」)。ほかに『大鏡』『増鏡』などにも物の怪の記述がみえ、これらは閉鎖的な宮廷社会での平安貴族の精神生活の一面を反映したものとみられる。物の怪に取り憑かれることを「物の怪だつ」といい、これにかかると、僧侶(そうりょ)や修験者を招き、加持祈祷(かじきとう)により調伏・退散させた。これには、物の怪を呪法(じゅほう)によって追い出し、別の人(憑坐(よりまし))にのりうつらせ、さらにそこから外界へ追い出し平癒させた。[大藤時彦]」

とある。
 謡曲『安宅』では義経等十二人の到着の前日に、

 「昨日も山伏を三人斬つてかけて候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3104). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とあることから、この三人の怨霊のせいで三回物の怪の病の発作が起きた。
 点なし。

十九句目

   きのふも三度発るもののけ
 難産を告る使は追々に

 これは『源氏物語』の葵上の出産の本説。妻が物の怪の病に苦しんでいるというのに、源氏の君の方は二条院や六条御息所の方で忙しかった。
 長点で「葵の上の御産尤〃〃」とある。

二十句目

   難産を告る使は追々に
 酢をもとめてよ馬でいそがせ

 よく妊娠すると酸っぱいものが食べたくなるというが、今でも酢はカルシウムの吸収効率を良くすると言われている。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注も『和漢三才図会』の、

 「産婦房中常以火炭沃醋気為佳。酸益血也。胞衣不下者、腹痛則甚危。以水入醋少許噀面神効也。」

を引いている。
 ただ、既に難産になってから慌てて巣を買いに行くのは泥縄というものだ。
 点なし。

二十一句目

   酢をもとめてよ馬でいそがせ
 花の宿に醤油舟は月の暮

 これは相対付けであろう。花の宿に月の暮といえば春宵一刻価千金。こんな宵はご馳走を並べて宴会をしたいものだ。というわけで馬で急いで酢を買いに行かせ、醤油を乗せた船も急がせる。
 醤油舟は酒舟と同様で、醬油か酒かの違いと思われる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「酒槽・酒船」の意味・読み・例文・類語」に、

 「[一] (酒槽) (「ふね」は液体をたたえておく容器)
  ① (「さかふね」とも) 酒を入れておく大きな木製の容器。
  ※古事記(712)上「其の佐受岐(さずき)毎に酒船(さかふね)を置きて船毎に其の八塩折(やしほをり)の酒を盛りて」
  ※太平記(14C後)二五「八醞(やしぼり)の酒を槽(サカブネ)に湛(たたへ)て」
  ② 酒をしぼるのに用いる長方形の容器。この器に醪(もろみ)の入った多くの酒袋を入れ、押しぶたを押すと、底に近い側面の穴から酒が流出し、袋の中に酒の粕(かす)だけが残る。〔羅葡日辞書(1595)〕
  [二] (酒船) 酒を積んでいる船。特に、江戸時代、酒樽積廻船(さかだるづみかいせん)をいう。
  ※俳諧・江戸十歌仙(1678)八「菊やどの家に久しき雁鳴て〈芭蕉〉 酒舟あれば汀浪こす〈春澄〉」

とある。ここでは[二] であろう。この時代醤油は上方には普及してたが、江戸の方ではまだ珍しかった。例文にある付け合いの芭蕉は伊賀の料理人で京料理にも通じていたと思われるし、春澄も京の人。
 中京地区でも溜まり醤油が早くから用いられていた。
 点なし。

二十二句目

   花の宿に醤油舟は月の暮
 長閑にすめる江戸の川口

 江戸の川口がどこを指すのかよくわからない。今の埼玉県川口市になる日光御成道の川口宿はあるが、関西人にとってそんなに知られた場所だったかどうかは定かでない。一般名詞としての川口だと、隅田川が東京湾にそそぐ辺りか。
 歌枕に川口の関があるが、これは伊勢であって江戸ではない。
 となると何となく隅田川河口域を思い浮かべて、この辺りにも醤油舟が行くのかなって感じで付けたか。醤油をほとんど消費しない江戸では、確かに醤油舟がやってきても長閑なものだろう。
 点なし。

2023年7月15日土曜日

  Twitterの方で日本のメディアの流すニュースにファクトチェックが入るようになった。正確には他のユーザーにとって役立つと思う背景情報を追加するというものだが、ニュース記事と矛盾する内容が出てくれば事実上のファクトチェックになる。
 あくまでユーザーのボランティアだから、チェックされるニュースはそう多くはないが、今の日本の新聞記事は結構ボロボロになるんじゃないかな。まあ、長年に渡って大衆を舐め切ってた報いだろう。これを機に日本のメディアも立ち直ってほしいものだ。
 マスゴミという言葉は汚いんで、今まではマス護美と表記してたが、これからはドラゴン・タニシ先生の小説に倣ってマスお廃棄物様とでも呼ぼうかな。

 それでは『大阪独吟集』の続きで、意楽独吟百韻「十いひて」の巻。

発句

   鼻は袂、涎は懐をうるほし、余念なき腹の
   上に指を折も、いくつね幾つ起て、それも是
   もと待かねし春の日も、ちよろり暮ては又々
   明て、わが年も今朝老て、二度児の楽とあど
   なきことば、ふつふと出次第、しからば怒れ
   しかるとままよ
 十いひて四つの時めく年始哉   意楽

 くしゃみをすれば鼻水が袂を汚し、涎も垂れて懐を潤すが、別に懐の金が増えるわけではない。思えば指折り数えて今まで何回寝て何回起きたか数知れないが、正月が来たかと思っても、いつの間にちょろっとその年も暮れて、そうやって何年も経て、いつしか四十初老の隠居の身にもなれば、また赤ちゃんに戻ったような気分で、ふつふつとこの百韻一巻の言葉が湧き出て来た。何分子供なので𠮟って下さい。前書きはこんな感じだろうか。
 「十いひて四つ」は十を四回数えるということで、四十になって新たな第二の人生をと時めく年始め、ということになる。
 長点で「発句よりは若老うら山しく候」とある。若老はこの場合は初老ということか。七十になる宗因からすればこの若さは羨ましいという所だろう。まだまだ伸びしろがあるというところか。


   十いひて四つの時めく年始哉
 春日かがやく算盤の上

 春日は「はるひ」とルビがある。新春の日差しが算盤の上を照らす。
 前句の十を四つを算盤の珠を一つ一つはじく仕草とする。
 点あり。

第三

   春日かがやく算盤の上
 積り高何程ととふ雪消て

 積(たか)り高は今でいう見積りの金額のことか。それに雪の積もる高さとを掛けている。
 見積りという言葉はコトバンクで見ると近代の用例になってしまうが、積(つもり)に関してはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「積」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 (動詞「つもる(積)」の連用形の名詞化)
  ① つもること。かさなって量が増えること。回数をかさねること。また、その結果。
  ※平中(965頃)五「春雨にふりかはりゆく年月の年のつもりや老になるらむ」
  ② あらかじめ見はからって計算すること。みつもり。予算。また、計算。計算法。
  ※玉塵抄(1563)二「周は四方どちも百里のひろさぞ。これやうなつもりは周礼の書にあるぞ」
  ③ たぶんそうなるだろうという考え。また、こうしようとする意図。心ぐみ。
  ※浮世草子・傾城禁短気(1711)六「思ひ入の女郎請出してしまふて、悪所の通ひをやめたが上分別といふ人あれど、それは岡のつもり也」
  ※滑稽本・浮世床(1813‐23)初「おらア路考茶といふ色ではやらせるつもりだ、むごくいふぜ」
  ④ 推量。推測。また、想像。
  ※滑稽本・浮世風呂(1809‐13)二「最も疾に死んだ跡をくすりはなきか、何のかのと探り廻るが、鉄砲で打殺した物が薬位で届くものじゃアないはな。つもりにもしれたものだ」
  ⑤ 工面(くめん)。調達。才覚。
  ※咄本・諺臍の宿替(19C中)「米買銭のつもりをおまへがして、節季に逃あるかぬやうにしてお置き」
  ⑥ 限度。かぎり。際限。終わり。はて。
  ※御伽草子・文正草子(室町末)「こころよくて、食ふ人病なく若くなり、また塩のおほさつもりもなく、三十層倍にもなりければ」
  ⑦ 酒宴の終わりの杯。また、酒席でその酌限りに終わりとすること。納杯。おつもり。
  ※俚言集覧(1797頃)「つもり 飲酒の畢りをつもりと云。つもりはつまり也とまり也。つもり、つまり、とまり同じ言なるべし」
  [語誌](1)中古及び中世前期には、もっぱら積みかさなることという①の意味で用いられていたが、中世後期から近世にかけて、動詞「つもる」と共に、多く金銭に関わる計算といった②の意味用法が現われ、近世末には⑤の意にも使われた。
  (2)近世では、計算の意味が拡大されて、ある事柄について予測をするところから④の推量用法が生じ、また、将来の予定というところから、③の意志用法も派生し、文化文政期の頃から、用例が急速に増え始める。
  (3)幕末から明治にかけて、④の推量用法は衰え、もっぱら③の意志用法が主となる。それに伴って、構文上も、断定辞や終助詞などを伴って文末に現われる形式の固定化が進み、現在では、文中に単独で現われることはほとんどない。
  (4)一方、①に含まれていた、数をかさねる意から、中世末に、回数をかさねてそれ以上かさねられなくなることを「つもり(も)なし」というようになって⑥の意が生じ、⑦の用法につながった。
 雪の積もり高は①で、前句との関係での算盤の積もり高は②になる。心算(つもり)というのは③の用法になる。
 雪がどれだけ積もるかと思ってるうちに雪は解けて、算盤の見積りだけが残る。後の蕉門の、

 下京や雪つむ上の夜の雨   凡兆

の句を思わせる。
 点あり。

四句目

   積り高何程ととふ雪消て
 膝ぶし際に来鳴うぐひす

 膝はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「膝節」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 膝の関節。膝がしら。
  ※金刀比羅本保元(1220頃か)中「景能がめての膝(ヒザ)ぶし、からんでたてぎりにつっといきりて」

とある。
 雪がすぐに消えるというよりも、じわじわと雪の溶けてきて、膝節の高さになった頃に鶯が鳴く、と転じる。前句の「何程」を「膝ぶし際」で受ける。
 長点だがコメントはない。

五句目

   膝ぶし際に来鳴うぐひす
 道服のすそより霞む山つづき

 道服はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「道服」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 道家の人の着る衣服。〔遵生八牋‐起居安楽牋・遊具〕
  ② 公家の堂上が普段着として着用した上衣。袖がひろく、裾にひだを設けた羽織に類するもの。
  ※塵袋(1264‐88頃)八「雨ふらぬ時も乗馬する時は上にうちきて、おひもせぬものあり。其をば道服と云ふとかや」
  ③ 袈裟のこと。また真宗では直綴(じきとつ)に似た略衣をいい、直綴そのものをさすこともある。
  ※続日本紀‐養老元年(717)四月壬辰「恣任二其情一、剪レ髪髠レ鬂、輙着二道服一、貌似二桑門一、情挟二姧盗一」

とある。この場合は②で胴服とも言う。羽織の原型のようなもので裾が短く、膝節より上に来る。
 遠くの裾野の霞む山を道服に見立てて、膝下にあたる麓の方が霞んでいて、その辺りから鶯の声がする。
 点あり。

六句目

   道服のすそより霞む山つづき
 領内ひろくはやり出の医師

 当時の医者は僧形なので、この場合の道服は③の袈裟のことになる。
 はやり出はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「流行出」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 流行し始めること。はやりだすこと。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「道服のすそより霞む山つづき 領内ひろくはやり出の医師〈意楽〉」
  ② はやりの出立(いでたち)。流行の衣装をつけた姿。
  ※浮世草子・好色一代男(1682)六「男は本奥島(ほんおくじま)の時花出(ハヤリデ)」

とある。この場合は①の意味。
 領内広く名が知れ渡って、霞む山のふもとまでその名が轟いている。
 点なし。

七句目

   領内ひろくはやり出の医師
 百姓のかくのりものに月をのせて

 かくといえば駕籠。駕籠かきは百姓で、「月をのせて」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 「みつ汐の・夜の車に月を載せて、憂しとも思はぬ汐路かなや。(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1558). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とある。去ってゆく車とともに月が沈んでゆくということで、流行の医師も百姓の担ぐ駕籠に乗って夜明けまで領内広く巡回する。
 点あり。

八句目

   百姓のかくのりものに月をのせて
 塩屋の一家花野の遊舞

 前句の謡曲『松風』は藻塩焼く蜑の家の松風・村雨の姉妹に挟まれる在原行平の物語だが、それを現代風に羽振りの良い塩田農家の遊舞とする。
 この時代は藻塩製塩は既に廃れていて、塩田製塩が主流になっていた。
 点なし。

2023年7月14日金曜日

 りゅうちぇるさん自殺の報道に、間髪おかずに湧いて出て来た激しい憎悪の声は一体何だったのか。ゲーム用語から「死体蹴り」なんて言われていたが、死体蹴りを容認する論理というのがちょうど一年前の安倍元首相暗殺の時の左翼の論理とそっくりだった。
 死んだから批判をしてはいけないというのはおかしいといいながら、実際やってるのは冷静な批判などではなく罵倒に他ならなかった。安倍元首相は未だに留魂碑にごみ袋をコラージュした画像を拡散して嘲笑している連中がいる。死んだものを徹底的に罵倒しても良いという悪い習慣を、安倍元首相暗殺後の左翼とマス護美が定着させてしまった。
 その少し前に山下達郎さんがまた得体の知れぬ反ジャニとマス護美の攻撃に会ってたばかりだ。ツイッターが去年に逆戻りしてしまったみたいだ。

 それでは「かしらは猿」の巻の続き。挙句まで。

名残裏
九十三句目

   姥がそへ乳もこの秋ばかり
 一かさね仕着せの外に紅葉して

 仕着せはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「御仕着・御為着」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 (「お」は接頭語。季節ごとに与える意から「四季施」とも当てた)
  ① 江戸幕府から諸役人、囚人に衣服を支給すること。また、その衣服。しきせ。
  ※歌舞伎・三人吉三廓初買(1860)二幕「鼠布子(ねずみぬのこ)もお仕著(シキセ)の浅葱(あさぎ)とかはり」
  ② 時候に応じて主人から奉公人、客から遊女などへ衣服を与えること。また、その衣服。
  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第二四「雪の夕部(ゆふべ)の庭ではたらく おしきせの袖打はらふ影もなし」
  ③ 型どおりに物事が行なわれること。そうするように習慣化していること。また、その物。おきまり。
  ※浮世草子・好色一代女(1686)五「盃のくるたびたびにちと押へましょ、是非さはりますとお仕着(シキセ)の通り」

とある。今では無理やり着させられてるというイメージがあるが、今でいう職場での制服貸与に近い。
 退職するので一枚赤い衣を職場服とは別に着せてやるということか。王朝時代の紅葉襲の連想を誘ったのかもしれない。
 点あり。

九十四句目

   一かさね仕着せの外に紅葉して
 入日こぼるる鼻紙のうへ

 鼻紙は懐紙ともいう。鼻をかむだけでなくいろいろな用途に用いられ、連歌や俳諧も懐紙に記入する。今のティッシュとは違う。
 従業員の仕着せを重ねる時に、間に挟んだりしたのかもしれない。一番上に置かれた紙の上に夕陽が射して赤く染まると、仕着せの上が紅葉したようになる。
 点なし。

九十五句目

   入日こぼるる鼻紙のうへ
 さし出す楊枝にかかる淡路島

 これは下ネタということになるのかな。
 国生み神話で最初に淡路島が出来たことがネタ元になっているが、天の沼鉾から男性器を連想し、そこから滴るものを淡路島に見立て、それが鼻紙の上に落ちる。昔の人もそういう使い方したんだな。
 沼鉾が楊枝になってしまうのが情けない。
 淡路島と入日の縁は『歌枕名寄』にもある、

 浦遠き難波の春の夕凪に
     入日霞める淡路島山
            宗尊親王(続拾遺集)

などの歌による。
 点なし。

九十六句目

   さし出す楊枝にかかる淡路島
 焼鳥にする千鳥鳴也

 淡路島に千鳥といえば、

 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に
     幾夜ねざめぬ須磨の関守
            源兼昌(金葉集)

の歌が百人一首でも知られている。
 楊枝というと今は爪楊枝を指すことが多いが、本来は三寸ほどのもので、今でいう串になる。昭和の木枯し紋次郎のドラマでも、主人公はこの高楊枝を咥えていた。
 前句の「さし出す楊枝」を淡路島の千鳥を焼鳥にするための串とする。
 点あり。

九十七句目

   焼鳥にする千鳥鳴也
 おとこめが妹許行ばへ緒付て

 「おとこめ」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に「男妾」とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「男妾」の意味・読み・例文・類語」に、

 「おとこ‐めかけ をとこ‥【男妾】
  〘名〙 情夫として女にかかえられている男。
  ※雑俳・川柳評万句合‐宝暦一二(1762)仁五「とんだ事男めかけが隙をとり」

とある。
 妹許(いもがり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「妹許」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 (「がり」は接尾語) 妻、恋人の住んでいる所(へ)。妹(いも)のもと(へ)。いもらがり。
  ※万葉(8C後)九・一七五八「筑波嶺の裾廻(すそみ)の田井に秋田刈る妹許(いもがり)遣(や)らむ黄葉(もみぢ)手折らな」

とある。
 へ緒は捉緒という字を当てる。「焼鳥に捉緒つけよ」という諺があり、焼鳥が飛んでいかないように紐を付けておけということだが、過剰と思える用心でも、しないよりやした方が良いということか。
 男妾が女の所に通うと言っても、他の女の所に行かないように紐を付けておけということで、今でいう「ひも」という言葉はここから来たのか。お金を与えて他に行かないようにするということであろう。
 点なし。

九十八句目

   おとこめが妹許行ばへ緒付て
 御身いかなる門に立らん

 まあ、ひもとは言っても浮気な男は抑えられない。どこの門にいくのやら。
 点なし。

九十九句目

   御身いかなる門に立らん
 斎米をひらける法の花衣

 斎米(ときまい)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「斎米」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 僧の食事に供する米。斎(とき)の料として僧や寺に施す米。
 ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「斎米をひらける法の花衣 願以至功徳あけぼのの春〈三昌〉」

とある。
 僧も飯を食わなくては生きていけないから、斎米を施す人がいてこそ仏法の花も開いて花衣を切ることもできる。
 ただ得体の知れぬ乞食坊主も多いもので、托鉢に来てもどこの門(寺、宗派)だと問いただされる。
 点あり。

挙句

   斎米をひらける法の花衣
 願以至功徳あけぼのの春

 願以至功徳(ぐわんにしくどく)は願以此功徳のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「願以此功徳」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 仏語。いわゆる回向文(えこうもん)で最も代表的なもの。自己の修めた功徳をすべての衆生に施して、ともに仏道をまっとうしたいと願う趣意を語る。二種あり、一は「法華経‐化成喩品」にある梵天王の願文「願以二此功徳一、普及二於一切一、我等与二衆生一、皆共成二仏道一」、一は、中国唐代、善導の「観経四帖疏‐玄義分」にある「願以二此功徳一、平等施二一切一同発二菩提心一、往二生安楽国一」。後世、これを回向文として、法会(ほうえ)の終わりに唱えるようになった。
  ※義経記(室町中か)六「念仏高声(こうしゃう)に三十遍ばかり申して、ぐゎんいしくどくと廻向(ゑかう)して」
  ② (読経の最後に唱える回向文であるところから) 物事の終わり。結末。転じて、しまったの意にも用いられる。南無三宝(なむさんぼう)。
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)三「実(げに)秋の日のならひにてはや暮ておどろき、願以此功徳(グハンイシクドク)、空袋かたげて都に帰るを見て」

 前句には①の意味で付くが、一巻最後の挙句ということで②の意味にもなる。
 点なし。

 「愚墨五十三句
     長廿二
      梅翁判」

 点数は前の二巻に比べるとやや低めではある。

 「かしらは猿、尾は猛竜、其吟虎のいきほひあり。たれか是をおそれざらんや。」

と発句の「かしらは猿」にちなんだ賛辞を送っている。

2023年7月13日木曜日

  それでは「かしらは猿」の巻の続き。

名残表
七十九句目

   時雨の雨や白き水かね
 骨うづき定なき世のならひなり

 前句の「水かね(水銀)」は梅毒の薬として用いられていたので、梅毒の症状の「骨うづき」を付ける。
 急に降ってくる時雨は定めなき世の比喩でもあり、

 世にふるもさらに時雨の宿り哉 宗祇

の句も、定めなき世の時雨に一時雨宿りするような人生を詠んでいる。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『放下僧』の、

 「朝の嵐夕の雨、朝の嵐夕の雨、今日また明日の昔ぞと、夕の露の村時雨定めなき世にふる川の、水の泡沫われ如何に、人をあだにや思ふらん」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2545). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 ここでは遊郭通いも梅毒になって定めなき世の習いとする。
 点あり。

八十句目

   骨うづき定なき世のならひなり
 あばら三まひ化野のはら

 嵯峨の化野は葬儀場のあったところで、定めなき梅毒の果ては化野の骨となる。
 点あり。

八十一句目

   あばら三まひ化野のはら
 かすがいも柱にのこる夕あらし

 柱をつなぐコの字型金具のかすがいはあばら骨に似ている。そこから柱にかすがいが残るように、化野にはあばらが残っている、とする。
 点なし。

八十二句目

   かすがいも柱にのこる夕あらし
 白波落す橋のまん中

 前句の柱に残るかすがいを橋の残骸として、落ちた橋の真ん中を白波が通り抜けて行く。
 点なし。

八十三句目

   白波落す橋のまん中
 茶の水に釣瓶の縄をくりかへし

 橋の真ん中から白波の上に釣瓶を落とす、とする。
 点あり。

八十四句目

   茶の水に釣瓶の縄をくりかへし
 ふり分髪より相借屋衆

 振分髪(ふりわけがみ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「振分髪」の意味・読み・例文・類語」に、

 「切りそろえて、百会(ひゃくえ)から左右にかき分けて垂らしたもの。はなちがみ。また、幼い子どもをいう。
  ※伊勢物語(10C前)二三「くらべこしふりわけがみも肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき」

とある。
 相借屋(あひがしや)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「相貸家・相借家」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 同じ棟の下の貸家。また、同じ家主の家を借りている者同士。あいじゃくや。あいだな。
  ※浮世草子・世間胸算用(1692)一「此相借(アイカシ)屋六七軒」

とある。
 『伊勢物語』二十三段の「筒井筒」の有名な歌に、

 比べ来し振り分け髪も肩過ぎぬ
     君ならずして誰か上ぐべき

の歌があり、前句の茶の水を汲む場面を筒井筒の井戸に見立てて、昔なら振分髪だが今は相借屋衆だ、とする。
 点なし。

八十五句目

   ふり分髪より相借屋衆
 講まいりすでに伊勢馬立られて

 前句の「ふり分(わけ)」を振分け荷物のこととする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「振分荷物」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 二つの荷物を紐(ひも)でつなぎ、紐を肩に、荷物を前と後ろにふり分けにして担う荷物。
  ※ソ連・中国の印象(1955)〈桑原武夫〉生産文化と消費文化「目抜きの通りをフリワケ荷物を肩にして平気で歩いている婦人」

とある。これは近代のの用例になっているが、ウィキペディアには、

 「振り分け荷物(ふりわけにもつ)とは、江戸時代に用いられた旅行用の小型鞄。箱。振分け荷物。
 竹篭、または蔓や菅、柳で編んだ小さな行李2つを、真田紐や手ぬぐいで結び、肩に前後に分けて用いた。」

とある。肩に掛けるから「振分け(荷物を)髪(の辺り)より(掛けて)相借屋衆」となる。
 伊勢講はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「伊勢講」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 伊勢参宮のために結成した信仰集団。旅費を積み立てておいて、籤(くじ)に当たった者が講仲間の代表として参詣し霊験を受けてくる。神宮に太太神楽(だいだいかぐら)を奉納するので太太講ともいう。伊勢太太(だいだい)講。《季・春》
  ※俳諧・犬筑波集(1532頃)雑「けつけをやする伊勢講の銭 道者舟さながら算をおきつ浪」
  [補注]本来「講」は仏教上の集まりを指すが、神仏習合の潮流の中で現われた神祇講の一つ。」

とある。この時代は無季。春季になったのは近代のことか。
 肩に振分け荷物を背負い、伊勢へ行く馬に乗って既に旅立った。
 点あり。

八十六句目

   講まいりすでに伊勢馬立られて
 さいふに入る銭かけの松

 銭掛松はコトバンクの「日本歴史地名大系 「銭掛松」の解説」に、

 「[現在地名]津市高野尾町
  伊勢別街道沿いの、高野尾たかのお町と大里睦合おおざとむつあい町一帯の豊久野とよくのにある。豊久野は、応永三一年(一四二四)に「武蔵野に伊勢のとよくのくらぶればなをこの国ぞすゑはるかなる」(室町殿伊勢参宮記)と歌われ、また歌人尭孝も「君が代をまつこそあふけ広きのへ末はるかなる道に出ても」(伊勢紀行)と永享五年(一四三三)に詠んだ松原の名所である。このなかにあった銭掛の松を、文政一三年(一八三〇)「伊勢道の記」中で葉室顕孝が「ゆふかけておかみまつりし豊久のの松は今しも枯はてにけり」と詠んだ。」

とある。「掛け銭」とひっくり返すと、講の積み立て金のことになる。みんなで積み立てた掛け銭が財布に入って、伊勢街道の銭掛けの松に辿り着く。
 点あり。

八十七句目

   さいふに入る銭かけの松
 帳面にあはせてきけば蝉の声

 旅体を離れる。商人が帳面を合わせていると松の木から蝉の声がして、財布に入ったお金を数えれば、思えば随分銭が掛ったもんだ、あの蝉の声のするのは銭掛の松だ。
 点なし。

八十八句目

   帳面にあはせてきけば蝉の声
 娑婆で汝が白雨の空

 前句の帳面を閻魔様の閻魔帳とする。蝉のように五月蠅く申し立てするけど、娑婆での汝の罪はお見通しで、汝が夕立(いうたち→言い立て)は空言だ。さすがにちょっと苦しい。
 点なし。

八十九句目

   娑婆で汝が白雨の空
 一生はただほろ味噌のごとくにて

 法論味噌(ほろみそ)はコトバンクの「選版 日本国語大辞典 「法論味噌」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 焼味噌を日に干し、胡麻(ごま)、麻の実、胡桃(くるみ)、山椒(さんしょう)などの香辛料を細かくして混ぜたもの。奈良興福寺の法師が、維摩会(ゆいまえ)の法論の時に食したという。あすか味噌。ほうろん味噌。ほうろ味噌。ほろん味噌。
  ※言継卿記‐永祿七年(1564)正月三日「巻数神供油物ほろみそ一袋送之」

とある。
 一生はただほろ味噌というのは、ほろ苦いに掛けたものだろうか。この世はみんな空言ばかり言い立てて法論味噌のようにほろ苦い。
 長点でコメントはない。

九十句目

   一生はただほろ味噌のごとくにて
 たのしみは又さかしほにあり

 酒塩はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「酒塩」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 煮物をする時、味をよくするため、少量の酒を加えること。また、その酒。〔色葉字類抄(1177‐81)〕」

とある。この場合はほろ味噌のような人生は、ほんの少しの酒だけが楽しみだという意味になる。
 点なし。

九十一句目

   たのしみは又さかしほにあり
 二日まで肱を枕の今朝の月

 前句の「さかしほ」を逆潮に取り成す。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「逆潮」の意味・読み・例文・類語」に、

 「さか‐しお ‥しほ【逆潮】
  〘名〙 主な潮の流れにさからって流れる潮の流れをいう。⇔真潮(ましお)。
  ※俳諧・口真似草(1656)一「さかしほとなすは霞の海辺哉〈松安〉」

とある。
 二日頃は大潮になるので、大潮を待ってその潮の引く時を待つということか。潮干狩りは三月三日に行われる。それまで晦日前の明け方の月を見ながら待つ。
 点あり。

九十二句目

   二日まで肱を枕の今朝の月
 姥がそへ乳もこの秋ばかり

 出替りはコトバンクの「世界大百科事典 第2版 「出替り」の意味・わかりやすい解説」に、

 「半季奉公および年切奉公の雇人が交替あるいは契約を更改する日をいう。この切替えの期日は地方によって異なるが,半季奉公の場合2月2日と8月2日を当てるところが多い。ただし京坂の商家では元禄(1688‐1704)以前からすでに3月と9月の両5日であった。2月,8月の江戸でも1668年(寛文8)幕府の命により3月,9月に改められたが,以後も出稼人の農事のつごうを考慮したためか2月,8月も長く並存して行われた。」

とある。この巻の三十六句目に、

   爰に又はたち計のおとこ山
 三月五日たてりとおもへば

とあり、ここでは「近日に罷成候」という宗因のコメントが付いていた。ここでは古い方の八月二日の姥の出替りになる。
 長点で「二日の字殊勝に候」とある。出替りネタが一巻に二つあるが、特に遠輪廻ではなく、むしろ両方に長点がついているから、この点には全くこだわってないようだ。

2023年7月9日日曜日

  ツイッターの奥の細道の続き。

五月二十一日

今日は旧暦5月20日で、元禄2年は5月21日。尾花沢。

今日も時折雨は降った。
午前中は鈴木小三郎の家に、夕方には沼沢所左衛門の家に招かれた。
どちらも地元で俳諧をやってる人で、基本的なことを少し教えたが、大体は世間話で終わった。
もっとも世間話は俳諧のネタになるので軽んじてはいけない。

あのあと清風の屋敷に泊まった。素英も来ていて、この前の興行の続きをやった。
風流は新庄に帰ったので四吟になった。

芭蕉「曾良の前句が海の旅も憂きという句だったから、ここは向かえ付けで陸の旅も哀れとしておこう。尿前の関は馬の隣に寝て、あんな体験はなかなかできないよな。

  秋田酒田の波まくらうき
うまとむる関の小家もあはれ也 芭蕉

清風「こっちじゃ馬の隣で寝るなんて普通だぞ。それより蚕が繭を作る頃の雷は困るにゃ。桑原桑原。

  うまとむる関の小家もあはれ也
桑くふむしの雷に恐づ 清風

曾良「養蚕というと女性の仕事が多くて、蚕の煩う季節ともなるとやつれて夏痩せになる。」

  桑くふむしの雷に恐づ
なつ痩に美人の形おとろひて 曾良

素英「盆踊りは出会いの場でもあるけど、夏痩せじゃ恥ずかしいにゃ。」

  なつ痩に美人の形おとろひて
霊まつる日は誓はづかし 素英

清風「お盆は満月で、明け方になれば申酉の方角に沈んでゆく。やがて自分もそちらの西方浄土に行くと思うと、あの日誓ったことが果たされなくて恥ずかしい。」

  霊まつる日は誓はづかし
入月や申酉のかたおくもなく 清風

芭蕉「中秋の名月なら放生会の日でもある。雁を放ちに草庵を出る。」

  入月や申酉のかたおくもなく
雁をはなちてやぶる草の戸 芭蕉

素英「雁を放つを放生会に結びつけずに、単に雁に逃げられたということにもできるにゃ。干し鮎も尽きては雁にも逃げられて心は寒く、花も散ったことで草庵を出る。」

  雁をはなちてやぶる草の戸
ほし鮎の尽ては寒く花散りて 素英

曾良「干し鮎は食べ尽くしたが、ごぼうはようやく芽が出たところ。花の季節に何を食えばいいのやら。」

  ほし鮎の尽ては寒く花散りて
去年のはたけに牛蒡芽を出す 曾良

芭蕉「枯れて死んだ畑に新しい命が芽生えるのは、死んでまた別の物になる胡蝶の夢のようなものか。荘周だけでなく蛙も蝶になるのかもしれない。」

  去年のはたけに牛蒡芽を出す
蛙寝てこてふに夢をかりぬらん 芭蕉

清風「蛙が夢に胡蝶となってどこか遠い所を飛び回る。でも、松明の火串を見れば、ここがどこかわかるんじゃないかな。さてここでクイズ、ここはどこの国でしょう。」

  蛙寝てこてふに夢をかりぬらん
ほぐししるべに国の名をきく 清風

曾良「どこの国か聞くといえば日本武尊。旅をしてる時に、

新治筑波を過ぎて幾代か寝つる

御火焼(みひたき)の翁の答は、

かがなべて夜には九日日には十日を

日数ではなく場所を聞いてるのに。」

  ほぐししるべに国の名をきく
あふぎにはやさしき連歌一両句 曾良

素英「確かそれ酒折だっけ。どこの国かは忘れた。連歌といえば戦国武将もよくする者が多いにゃ。辞世の連歌を残したりして。」

  あふぎにはやさしき連歌一両句
ぬしうたれては香を残す松 素英

清風「松の木に残る香といえば天女の羽衣にゃ。羽衣を隠されて酒を作らされるという伝説が丹後の方にあったか。晴れた日は井戸で水を汲まされて、こき使われている。あと、酒折は甲斐の国。」

  ぬしうたれては香を残す松
はるる日は石の井なでる天をとめ 清風

芭蕉「天をとめは乙女の尼さんにしよう。尼乙女。法華経を読む声が妙に艶かしくて却って煩悩を誘う。あと、さっきのクイズ、火串は鹿狩りに使う物だから志賀(しか)の国?

  はるる日は石の井なでる天をとめ
えんなる窓に法華よむ声 芭蕉

素英「この尼さんは小督の局にゃ。嵯峨へ探しに行った源仲国の官位はよくわからないが、特に役職のない近習なら従五位下だろうか。長いから六位にしておこう。」

  えんなる窓に法華よむ声
勅に来て六位なみだに彳し 素英

曾良「なら、従五位下の楠木正成に転じようか。桜井での息子との別れということで。」

  勅に来て六位なみだに彳し
わかれをせむる炬のかず 曾良

芭蕉「前句の別れを一騎打ちで勝負しようとする人にして、炬(たいまつ)はそれを見送る人達にしておこうかな。弓を射かける体勢に入る。」

  わかれをせむる炬のかず
一さしは射向の袖をひるがへす 芭蕉

清風「一騎だけ急に袖をひるがえして行ってどうしたのかと思ったら、水を飲みに行っただけだった。」

  一さしは射向の袖をひるがへす
かはきつかれてみたらしの水 清風

曾良「では、法螺貝を吹き疲れた山伏が水を飲みに行ったってしましょうか。月の定座で月も出して。」

 かはきつかれてみたらしの水
夕月夜宿とり貝も吹よはり 曾良

素英「木曽の木賊刈る男にゃ。寂蓮法師の、

木賊刈る木曽の麻衣袖濡れて
   磨かぬ露も玉と置きぬる

の袖が濡れたのは蓑を忘れたからだった。」

  夕月夜宿とり貝も吹よはり
とくさかる男や蓑わすれけん 素英

清風「信州といえば麦飯に蕎麦と、雑穀をよく食うにゃ。」

  とくさかる男や蓑わすれけん
たまさかに五穀のまじる秋の露 清風

芭蕉「石巻に来た時も麦飯だったな。夜明けの金華山の方に漁り火が見えたっけ。」

  たまさかに五穀のまじる秋の露
篝にあける金山の神 芭蕉

素英「金華山に来たんなら、福島石ケ森の子をなす石にも行ったかな。」

  篝にあける金山の神
行人の子をなす石に沓ぬれて 素英

曾良「石ケ森は通らなかった。文字摺り石を見た後、阿武隈川の東側を通って月の輪の渡しから瀬上に出ましてね。子をなす石が川のそばなら、そこから願いを書いた紙を流したりしそうですね。」

  行人の子をなす石に沓ぬれて
ものかきながす川上の家 曾良

清風「うっかり書いた物を流してしまったけど、拾いに行くのも面倒くさい。花には虫が群がっているし。あたら桜の咎にはありける。」

  ものかきながす川上の家
追ふもうし花すふ虫の春ばかり 清風

素英「花には虫が寄って来て、風が吹いて花が散れば鳥も巣を飛ばされないようにする。そうやって慌ただしく春は過ぎて行くもんですね。」

  追ふもうし花すふ虫の春ばかり
夜の嵐に巣をふせぐ鳥 素英


五月二十二日

今日は旧暦5月21日で、元禄2年は5月22日。尾花沢。

今夜は素英の家に招かれ、昨日に続き、曾良、清風、素英のメンバーで素英の家で俳諧興行をした。
素英の家は麻畑の中で、既に人の背丈くらいに成長し、視界を塞いでいた。最終的には8尺くらいになる。
一応、

這出よかひやが下のひきの声 芭蕉

の発句も用意してたが、忙しい中這い出てきた清風の方の発句を使った。

清風「それでは今日は甥の家での興行ということで、まあ身内だから粗末なところでという意味で。まあ、本当にそのまんまだけど。」

おきふしの麻にあらはす小家かな 清風

芭蕉「昼間は晴れたと思ったらまた夕立で、こういう土砂降りの雨は合羽より蓑の方が役に立つ。こちらもそのまんまだけど。」

  おきふしの麻にあらはす小家かな
狗ほえかかるゆふだちの蓑 芭蕉

素英「蓑着た人は猟師という展開にゃ。犬が吠えるのは鳥が罠にかかったからにゃ。」

  狗ほえかかるゆふだちの蓑
ゆく翅いくたび罠のにくからん 素英

曾良「ゆく翅(つばさ)は雁ということで、月を出しましょうか。月に飛ぶ雁を見ながら罠が憎いというのは、足元の石がぐらぐらして罠みたいだということで。」

  ゆく翅いくたび罠のにくからん
石ふみかへす飛こえの月 曾良

芭蕉「まだ月の残る朝ということにして、河原の石を渡って行くのは河原者で、染め物に用いる青花を摘みに行く。路通の好きそうなテーマだな。」

  石ふみかへす飛こえの月
露きよき青花摘の朝もよひ 芭蕉

清風「生活は苦しく、朝飯が食えないと騒いでる。」

  露きよき青花摘の朝もよひ
火の気たえては秋をとよみぬ 清風

曾良「秋をと詠みぬ、と取り成して島流しになった後鳥羽院ネタにしてみました。」

  火の気たえては秋をとよみぬ
この島に乞食せよとや捨るらむ 曾良

素英「乞食だったら小さな松の実も拾って命を繋ぐにゃ。」

  この島に乞食せよとや捨るらむ
雷きかぬ日は松のたねとる 素英

清風「松に巣をかけるのは正確にはコウノトリだったか。でも通常鶴と詠み習わされている。」

  雷きかぬ日は松のたねとる
立どまる鶴のから巣の霜さむく 清風

芭蕉「鶴は高士の比喩として用いられるからな。その高士の去った後の空き家なら、風流な暮らしができそうだな。どこかそういう所ないかな。」

  立どまる鶴のから巣の霜さむく
わがのがるべき地を見置也 芭蕉

素英「多くの隠遁者の好んだ地といえば廬山潯陽にゃ。廬山潯陽といえば白楽天長恨歌。」

  わがのがるべき地を見置也
いさめても美女を愛する国有て 素英

曾良「玄宗皇帝に限らず、みんな美女は好きですからな。特に敷島の大和国は色好みの国で、そのおかげで紅や白粉の生産も盛んで、今は戦争じゃなくあくまで市場競争と平話なもんですな。」

  いさめても美女を愛する国有て
べにおしろいの市の争ひ 曾良

芭蕉「化粧すれば山の木の葉も花野のように引き立つ。それもまた傑作というもの。古今集読人不知に、

秋の露の色々ことに置けばこそ
   山の木の葉の千草なるらめ

の歌があった。」

  べにおしろいの市の争ひ
秀句には秋の千草のさまざまに 芭蕉

清風「秀句といえば芭蕉さんですな。壺の碑を見てきて、これから象潟の月を見に行くんですか?」

  秀句には秋の千草のさまざまに
碑に寝てきさかたの月 清風

曾良「旅体ですな。月の象潟で船に泊まれば、船の中までコオロギがいたりしますね。」

  碑に寝てきさかたの月
篷むしろ舟の中なるきりぎりす 曾良

素英「舟に載せっぱなしで雨に濡れた薪は干さなきゃならない。」

  篷むしろ舟の中なるきりぎりす
つかねすてたる薪雨に干す 素英

芭蕉「捨てて雨晒しになってた薪を干して使うには貧乏臭い。貧しい僧の庵かな。花の季節には人がたくさん尋ねてくるけど、それが終わると一人質素に暮らすことになる。」

  つかねすてたる薪雨に干す
貧僧が花よりのちは人も来ず 芭蕉

清風「暇を持て余してお灸などしていると、そのまま寝落ちすることってあるよね。」

  貧僧が花よりのちは人も来ず
灸すえながら眠きはるの夜 清風

素英「灸据えながら眠い目をこすりこすり起きてる男を待つ女として、ここらで恋にするにゃ。待ってても男は来ずに蛙の水音だけがする。」

  灸すえながら眠きはるの夜
まつほどに足おとなくてとぶ蛙 素英

曾良「ちょっと灸据える女、微妙だな。菅を刈って暮らす身分の低い家の情景にしておきましょう。」

  まつほどに足おとなくてとぶ蛙
菅かりいれてせばき賤が屋 曾良

清風「貧しい家には梓巫女が回ってきたりするもんで、喪が明けた日に死者の霊を呼んでもらったりする。」

  菅かりいれてせばき賤が屋
はての日は梓にかたるあはれさよ 清風

芭蕉「梓巫女に死者の声を聞きながら、女が大事な鏡を売って出家する決意をする。」

  はての日は梓にかたるあはれさよ
今ぞうき世を鏡うりける 芭蕉

曾良「鏡を売って何か別の物を買うというふうにしましょうか。王朝時代の雰囲気で、八重の几帳が欲しくて。」

  今ぞうき世を鏡うりける
二の宮はやへの几帳にときめきて 曾良

素英「八幡神社の几帳にときめいてわざわざ放生会へ行くにゃ。」

  二の宮はやへの几帳にときめきて
鳥はなしやる月の十五夜 素英

芭蕉「そういえば聞いたんだが、津軽のほろ月に舎利という小さな綺麗な石のある浜辺があるとか。放生会の頃には行ってみたいな。」

  鳥はなしやる月の十五夜
舎利ひろふ津軽の秋の汐ひがた 芭蕉
T
清風「シャリだったら焼飯にして山椒を掛けて食うのが美味い。津軽は行ったことないけど、大きな樟があるのかな。」

  舎利ひろふ津軽の秋の汐ひがた
椒かける三ツの樟の木 清風

素英「山椒で飯食ってる売れ残りの女がいて、ということで恋に持って行こうか。」

  椒かける三ツの樟の木
つくづくとはたちばかりに夫なくて 素英

曾良「婚期を逃したのは父親がふらっと旅に出て行ったから、でどうです?」

  つくづくとはたちばかりに夫なくて
父が旅寝を泣あかすねや 曾良

清風「父が北前船で航海してる時に、留守預かる娘が北の窓から北極星を見て無事を祈る。雲に隠れることはあっても動かない星。」

  父が旅寝を泣あかすねや
うごかずも雲の遮る北のほし 清風

芭蕉「動かないといえば面壁九年。ひたすら座禅を続ける。」

  うごかずも雲の遮る北のほし
けふも坐禅に登る石上 芭蕉

曾良「座禅してたのは改心した泥棒。」

  けふも坐禅に登る石上
盗人の葎にすてる山がたな 曾良

素英「改心した泥棒なら、子供が梁にかかって溺れてると聞けば、山刀をその場に投げ捨てて駆けつける。」

  盗人の葎にすてる山がたな
梁にかかりし子の行へきく 素英

芭蕉「梁にかかったこの所に駆けつけるのに刎橋(はねばし)を渡る。その橋へと猿が導く。甲州街道に猿橋ってあったな。天和の頃に行ったっけ。」

  梁にかかりし子の行へきく
繋ばし導く猿にまかすらん 芭蕉

清風「猿といえば杜牧が猿の叫ぶ三声は腸を断つ。杜甫にも猿鳴三声の詩があったな。猿の導く猿橋には詩人が住んでたりして。」

  繋ばし導く猿にまかすらん
けぶりとぼしき夜の詩のいへ 清風

曾良「詩人といえば白楽天の、遺愛寺の鐘は枕をかたむけて聴く。花の定座でしたね。」

  けぶりとぼしき夜の詩のいへ
花とちる身は遺愛寺の鐘撞て 曾良

芭蕉「遺愛寺の鐘を撞く人は花鳥を愛し、山守に鳥の餌を渡す。」

  花とちる身は遺愛寺の鐘撞て
鳥の餌わたす春の山守 芭蕉

2023年7月8日土曜日

 
 昨日は平塚の七夕まつりに行った。いろいろな飾りがあって奇麗だった。

 今日は「かしらは猿」の巻はお休みで、ツイッターの奥の細道の方でも。

五月十六日

今日は旧暦5月15日で、元禄2年は5月16日。奥の細道。

堺田は朝から大雨で、道もぐちゃぐちゃで、どうやら今日はここで休養になりそうだ。
まあ、ここのところずっと歩いてたからちょうど良い。
馬に尿(バリ)する音が聞こえてくる。


五月十七日

今日は旧暦5月16日で、元禄2年は5月17日。奥の細道。

今日はよく晴れた。道が乾いたら出発だ。
尾花沢まではこのまま街道を行くと笹森の関を越えて新庄領に入り、亀割坂から舟形を経由することになるが、遠回りな上宿場はおろか茶店すらないという。
幸い宿の人が山刀伐峠の案内してくれるという。

昼前に道が渇いてきたので出発した。案内の一人はがたいが良く、長刀かと思うような脇差を腰に差して、手には樫の杖と物々しく、この辺りは何か出るのかとかえって恐くなる。
笹森の関の先は新庄領だが、ここを左にゆくと山刀伐峠だという。

笹森の関の前を左に曲り、一刎(ひとはね)を過ぎると山刀伐峠だった。
生い茂った草は昨日の雨にまだ濡れてて、先頭の例の長脇差の男が杖でそれを打ち払いながら進むと、その後を着いて行く。源氏物語の蓬生の家に行く時に惟光が露払いをしたのを思い出す。

山を下って市野々とい開けた所に出ると、その少し先の関谷という所に最上御代官所があった。
代官所といってもいるのは土地の百姓で、何事もなく通れた。
護衛を兼ねた案内の男たちはここで帰って行った。

昼過ぎに正厳という所まで来ると平地になった。そこから尾花沢はすぐだったが、ここで今日も夕立に合い、びしょ濡れのまま清風の家に辿り着いた。


五月十八日

今日は旧暦5月17日で、元禄2年は5月18日。尾花沢。

昨日は夜になって、新庄から渋谷甚兵も来ていた。俳号が風流というそのまんまの名前で、そういうことで風流(俳諧興行)を始めた。
これからしばらく自分の家のように厄介になるよ、ということで、

すずしさを我やどにしてねまる哉 芭蕉

清風「では、いつものように蚊遣り火を焚いておきましょう。」

  すずしさを我やどにしてねまる哉
つねのかやりに草の葉を焼 清風

曾良「では、その蚊遣り火を部屋ではなく、農作業で焚く蚊遣り火に転じましょうか。田んぼの横には小鹿もいて、鹿には効かないのか。」

  つねのかやりに草の葉を焼
鹿子立をのへのし水田にかけて 曾良

素英「前句の景色は古い城跡にゃ。延沢城も寛文の頃に廃城となって、今じゃ鹿がいるにゃ。」

  鹿子立をのへのし水田にかけて
ゆふづきまるし二の丸の跡 素英

清風「あの辺りは楢の木が多かったな。秋だから紅葉して、楢を奈良の平城京に掛けて、笙の音が聞こえてくる。」

  ゆふづきまるし二の丸の跡
楢紅葉人かげみえぬ笙の音 清風

風流「笙の音と思ったら、百舌鳥の鳴き真似だったにゃー。百舌鳥のはいろんな鳥の鳴き真似するから、笙の音も真似たりして。」

  楢紅葉人かげみえぬ笙の音
鵙のつれくるいろいろの鳥 風流

素英「鳥がたくさんいるといえば神社の森にゃ。石が御神体で。」

  鵙のつれくるいろいろの鳥
ふりにける石にむすびしみしめ縄 素英

芭蕉「石に注連縄といえば、那須で見た殺生石を思い出すな。草が赤く染まってて。」

  ふりにける石にむすびしみしめ縄
山はこがれて草に血をぬる 芭蕉

風流「草に血はなかなか穏やかではない。継母に疎まれて口減らしされた子供だろうか。」

  山はこがれて草に血をぬる
わづかなる世をや継母に偽られ 風流

曾良「殺されるまではいかなくても、女の子なら女衒に売り飛ばすってのもありますな。貧しい家だと口減らしされる前に自分から遊女になるってパターンもあるけど、ここは義母に騙されてということで。」

  わづかなる世をや継母に偽られ
秋田酒田の波まくらうき 曾良

昨日の興行は結局途中で終わった。
ちょうど紅花の収穫期を迎えていて、清風の家は朝から慌ただしい。
結局、近所の養泉寺の方がゆっくりできるだろうということで、昼からそっちに移ることになった。

収穫した紅花を見せてもらった。花は黄金色で、これが紅になると思うと不思議だ。これが誰かの肌を飾ることになるんだろうな。

行すゑは誰肌ふれむ紅の花 芭蕉

清風は結構喜んでくれたが、ちょっと作意が露骨すぎるなと思った。曾良には書き留めなくていいと言った。


五月十九日

今日は旧暦5月18日で、元禄2年は5月19日。尾花沢。

今日は晴れた。素英が来たので昼飯に奈良茶粥を作ってやった。本当は自分が食べたかったんだけどね。深川でいつも食べてたし。

侘びすめ月侘斎が奈良茶粥 芭蕉

なんて句も作ったくらいだからな。
今日もまた雲行き悪そうで、また雨が降るかな。


五月二十日

今日は旧暦5月19日で、元禄2年は5月20日。尾花沢。

今日は朝から小雨で、今日も休養日。お寺だから水風呂に入れるのはありがたい。
ところで平泉で儚い夢と消えた人たちの魂ってまだあそこに留まってるんだろうか。
曾良に聞いたら、魂魄は気だからいずれ散ずるものだという。

芭蕉「旅で死んだ人が道祖神になるというけど、道祖神の気もいずれは散じるのかい?」
曾良「理論的には散ずることになるが、聖人が先祖を祀れと言ったのは散ずるものを留め置きたいという願いが大切だからだと思う。
易に曰く『陰陽不測是を神という』。魂魄は気だから散ずるというのは一つ仮説だ。

本当に散ずるのかどうか証明はできないから、あるものとして扱うのは間違いではない。論語にも『未能事人、焉能事鬼』という。わからないのを認めるのが慎みの心だ。
大事なのは魂が本当に留まるかどうかではなく、留めたいという人の心の誠だと思う。」

曾良の話を聞いて、何となくわかったのは、今見てきた夏草の茂る野原は「気」であって、気は流行して止まぬものだから魂魄も時の流れとともに消えて行く。
そこに昔の人の魂を見るのは心の誠で、それは「理」だから千歳不易ということなのか。

2023年7月6日木曜日

  Twitterに代わるものとしてThreadsが話題になってたので、早速そっちも少しやってみた。
 iPadでも画面が大きく表示されず、スマホサイズの表示になるので入力しにくいし、字も読みにくい。
 とりあえずは第一回カクヨム短歌・俳句コンテストに応募した句などを挙げておいた。
 仮に賞を取れたとしたら、二〇〇一年の第三十五回詩人会議新人賞評論部門以来の快挙となる。

 それでは「かしらは猿」の巻の続き。

三裏
六十五句目

   岩戸をすこしひらく弁当
 花に来て鬼一口にならばなれ

 「鬼一口」は『伊勢物語』六段の有名な言葉だ。
 花見に来て弁当を食ってたら、岩戸が開いて鬼が出てきて、自分が鬼の弁当になって一口で食われたりして。
 点なし。

六十六句目

   花に来て鬼一口にならばなれ
 諸行無常のかねかすむ暮

 花が散るように人の命も儚い。突然の死はさながら鬼一口に食われてしまったようなもんだ。
 点なし。

六十七句目

   諸行無常のかねかすむ暮
 煩悩の夢はやぶれて春の風

 夢は人生は夢まぼろしという意味での夢で、生きていれば現(うつつ)でも、死んだらこれまでの一生は夢となる。

 夢となりし骸骨踊る荻の声 其角

と同じ用法。
 煩悩にまみれた人生は夢と破れてや諸行無常。霞む暮に春の風が付く。
 点なし。

六十八句目

   煩悩の夢はやぶれて春の風
 そもじつれない雁かへるとて

 「そもじ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「其文字」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘代名〙 (「そなた」の後半を略して「もじ」を添えた語) 対称。主として女性が、対等または目下に対して用いた。そもんじ。
  ※御伽草子・清水冠者物語(室町時代物語大成所収)(室町末)「そもしにきかせまいらせて、ひとまづおとし申さんとおもひかねつつまいりたり」
  [語誌](1)室町時代、尼門跡や宮中で使用された女房詞で、目上に対して用いる敬意の高い対称代名詞であったが、江戸時代に入って敬意が薄れ、対等・目下に対しても用いるようになった。その際、尊敬表現にしたい場合には「さま」「どの」を付けた。
  (2)もともとは女性専用語(男性が用いる場合は相手が幼児に限られる)であったが、遊里で対称代名詞として広く使われたことも影響したためか、男性が女性に対しても使用するようになった。」

とある。春の終わりには雁は帰って行く。雁が帰って行くようにあなたは帰って行って、煩悩の夢も破れる。
 点なし。

六十九句目

   そもじつれない雁かへるとて
 御誓文跡なき雲と成にけり

 遊女の書く御誓文はあくまで営業上の社交儀礼で、まああまり当てになるもんではないし、そういうもんだと割り切るのが正しい遊び人だ。
 雁かへるに雲が付く。
 長点だがコメントはない。

七十句目

   御誓文跡なき雲と成にけり
 驪山宮にものこるくさ墨

 「くさ墨」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「臭墨」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 悪臭のある下等の墨。粗製悪質で安価な墨。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「御誓文跡なき雲と成にけり 驪山官にものこるくさ墨〈三昌〉」

とある。芳墨に対しての言葉か。
 ここでは墨が悪いというよりは、虚しくなって見るに絶えない文ということだろう。
 玄宗皇帝が楊貴妃のために建てた驪山宮も安禄山の乱で跡形もなく雲と成る。
 点なし。

七十一句目

   驪山宮にものこるくさ墨
 もろこしもかいばらの庄有やらん

 「かいばら」は今の兵庫県丹波市柏原町の辺りであろう。製墨が行われたという。
 前句の「くさ墨」から、中国にも柏原の庄のような安価で買える墨を作っている地域があったのだろうか、とする。
 長点で、「かいばらは不存、くさきすみおほく候」とある。唐土にあるかどうかは知らないが、ということか。

七十二句目

   もろこしもかいばらの庄有やらん
 六丁道につづくわらぶき

 「六丁道」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「唐土では一里が六丁」とある。唐土に柏原があるなら六丁の道に藁ぶき屋根が並ぶような景色だろう、ということか。
 点なし。

七十三句目

   六丁道につづくわらぶき
 世の中はとてもかくてもかはせ駕子

 「かはせ籠子(かご)」はよくわからないが、駕籠かきはついでに為替手形も運んでいたか。通常は飛脚が運ぶ。
 「世の中はとてもかくても」は、

 世の中はとてもかくても同じこと
     宮も藁屋もはてしなければ
            蝉丸(新古今集)

の歌で、その縁で前句の「わらぶき」に付く。六丁道の藁ぶきの家では、とてもかくても為替を送ってきてくれるのが有り難い。
 点なし。

七十四句目

   世の中はとてもかくてもかはせ駕子
 あまの小ぶねのさかなはさかなは

 前句の「かはせ籠子」を川瀬に仕掛ける籠、つまり簗のことに取り成す。海士が小舟で「魚は魚は」とそれを引き上げる。
 点なし。

七十五句目

   あまの小ぶねのさかなはさかなは
 引塩にさされてのぼる新酒にて

 前句の魚を肴に取り成して新酒を付ける。
 て留の場合は「あまの小ぶねのさかなはさかなは引塩にさされてのぼる新酒にて」と五七五と七七をひっくり返して読んでもいい。新酒の肴は潮の引く頃に船で都へと登ってくる。
 点なし。

七十六句目

   引塩にさされてのぼる新酒にて
 月を片荷にかくるうら役

 「うら役」はコトバンクの「百科事典マイペディア 「浦役」の意味・わかりやすい解説」に、

 「海民ら浦方の活動に課せられた諸役。室町期,周防(すおう)国の守護(しゅご)大名大内氏の家法である大内家壁書には〈浦役銭〉の賦課がみられる。江戸時代には水主(かこ)役や,漂流船・難破船の救助などの負担を称する例があり,大名領によってさまざまであるものの,後代には代銀納または代米とする場合が増えたようである。こうした夫役を負担することで,漁業権や海上交通の特権を給付されている場合が多かった。」

とある。
 潮が引いた時に浦役が月の下で天秤の片方に酒樽を掛けて海から上がってくる。難破船に積んであった酒を失敬したか。
 点なし。

七十七句目

   月を片荷にかくるうら役
 いろかへぬ松の梢や千木ならん

 前句の「うら役」を比喩として、海辺の月の景色に転じる。
 秋になっても紅葉することのない松の梢は神社の千木のように斜めに傾いて、その下に片荷に掛けたみたいな月が見える。
 色変えぬ松は、

 色かへぬ松ふく風の音はして
     散るはははその紅葉なりけり
            藤原朝仲(千載集)

などの歌に詠まれている。
 点あり。

七十八句目

   いろかへぬ松の梢や千木ならん
 時雨の雨や白き水かね

 「水かね」は水銀のこと。
 露を水銀に喩える例は、室町時代になるが、

 くもりなく池の鏡をみがかなん
     ただ水銀ぞ蓮はの露
            正徹(草根集)

の歌がある。
 松の梢の千木の有り難さに、時雨の雨も水銀になる。
 点なし。

2023年7月5日水曜日

  「動戦士ガンダム 水星の魔女」の海外の反応を見てたらyuriはもはや世界の言葉になっているのか。そのうちアメリカ映画でも真似するかな。
 まあ、とにかくスレッダとミヨリネの結婚をみんなが祝福する、日本はそういう国だ。同性婚に反対している人はそんな多くはない。

 それでは「かしらは猿」の巻の続き。

三表
五十一句目

   ふ屋が軒端に匂ふ梅が香
 春のよの価千金十分一

 当時の麦の相場はよくわからないが、麩は宮廷や寺院などで食べる高級なものだったのが、この頃次第に庶民の者になっていった時期だという。
 うどんや素麺の普及などもあり、小麦が大量に消費される時代になったということは、それだけの小麦の生産の拡大があって小麦が庶民の食べ物として定着していったことを考えれば、小麦の価格が十分の一になるということもあったかもしれない。
 長点で「此ほど爰元に下居候」とあり、小麦相場の暴落があった可能性が高い。

五十二句目

   春のよの価千金十分一
 月もいづくにかけ落の跡

 春の宵が価千金というのは、

   春夜      蘇軾
 春宵一刻直千金 花有清香月有陰
 歌管楼臺聲細細 鞦韆院落夜沈沈
 (春の宵の一刻は千金のあたい、花は清く香り月の影が差し
  楼閣の歌も笛も声を細て、ブランコも庭に落ちて夜が静かに)

の詩に由来するが、それも月があってのもの。月が欠けてゆけばその値も十分の一になる。
 欠ける駆け落ちに掛けているが、この時代の「駆け落ち」は必ずしも男女の駆け落ちには限らず、広く失踪の意味を持っていた。恋の言葉にはならない。
 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「欠落・駆落・駈落・馳落」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 逃げて、行方をくらますこと。逐電。出奔。
  ※史記抄(1477)一五「諸客━孟嘗君が客のやうにかけをちをするぞ」
  ※浮世草子・御前義経記(1700)三「主君につかへて断なく出れば欠落(カケオチ)同然」
  ※坑夫(1908)〈夏目漱石〉「生家(うち)に居ては自滅しやうがない。どうしても逃亡(カケオチ)が必要である」
  ② 従軍した兵士が、戦場から逃亡すること。
  ※赤松記(1588)「左馬助は御陣に居候へども、中比欠落致し候」
  ③ 戦国時代、農民が戦乱をきっかけに離村したり、または重税からのがれるために散発的に離郷すること。また組織的に領主に抵抗するため郷村を離れることをもいう。都市への欠落ち者も多かった。
  ※泉郷文書‐永祿一〇年(1567)二月六日・今川氏実朱印状「若又本百姓并小作等年貢引負令二欠落一、重郷中於令二徘徊一者、見合搦捕注進之上可レ加二成敗一事」
  ④ 江戸時代、貧困、悪事などによって居住地を逃亡し、行方をくらますこと。これは、戸籍上、また保安上から厳しく禁じられ、欠落者の捜索方法や罰則などの細則があった。中世の逃散(ちょうさん)が団体的、政治的なのに対して、個人的な色彩が強く、法制上では現在の失踪に近い。
  ※慶長見聞集(1614)九「人をすかして銭金をかり、身の置処なふしてかけおちするものも有」
  ⑤ 相思の男女が、互いにしめし合わせて、ひそかに他所へ逃げ隠れること。
  ※咄本・さとすゞめ(1777)欠落「ふたりいいやわせ欠落をして、よふよふふじ沢までにげのび」

とある。
 点あり。

五十三句目

   月もいづくにかけ落の跡
 ながらへて年より親のおもひ草

 月が欠けるのを比喩として「駆け落ち」としてたのを、人の駆け落ちとする。
 放蕩息子が借金こしらえて失踪して、いろいろあったけど、今はそれを月を見ながら思い出す年になった。
 点なし。

五十四句目

   ながらへて年より親のおもひ草
 又くる秋にいたむよはごし

 年寄りの悩みと言えば秋になると腰が痛くなること。
 点なし。

五十五句目

   又くる秋にいたむよはごし
 ねぢまはすにぎりこぶしに露ちりて

 前句の「よはごし」を臆病の方の弱腰とする。
 人の理不尽にもただ拳を握り締めるだけで、何もできないまま時は過ぎて行く。
 点なし。

五十六句目

   ねぢまはすにぎりこぶしに露ちりて
 うるし吹こす風は有けり

 前句を漆を濾す作業とする。
 漆の濾過は吉野紙が用いられる。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉野紙」の意味・わかりやすい解説」に、

 「大和(やまと)国(奈良県)の吉野地方で漉(す)かれる和紙の総称。この地方の紙漉きは、大海人皇子(おおあまのおうじ)(後の天武(てんむ)天皇)が村人に教えたのに始まるとの伝説があるほど古く、奈良紙の伝統が国中(くんなか)(大和平野)からしだいに山中(さんちゅう)(吉野川上流)へ移ってきたものである。室町時代に上質の雑用紙であった奈良紙は、やわら紙として名高く、また江戸時代になってからは吉野の国栖(くず)(国樔とも書く)や丹生(にう)で漉かれた同質の薄紙が、漆漉(こ)しの名で世に知られた。薄くてじょうぶなため、その名のとおり漆や油を漉すのに適し、また美しいために装飾品や菓子などの包み紙にも重宝された。同質の紙には紀伊国(和歌山県)の音無(おとなし)紙、美濃(みの)国(岐阜県)や土佐国(高知県)の典具帖(てんぐじょう)、羽前国(山形県)の麻布(あさぶ)紙などがあり、これらはごく薄手の代表的な楮紙(こうぞがみ)である。吉野郡ではこのほかに、宇陀(うだ)紙という厚手の楮紙や、三栖(みす)紙という薄紙など多くの種類の和紙が漉かれたが、これらを総称して吉野紙という。谷崎潤一郎の小説『吉野葛(くず)』に吉野紙の紙漉き村の描写があるように、現代も国の文化財保存技術者に指定された少数の漉き家に、伝統技術が受け継がれている。[町田誠之]」

とある。
 点あり。

五十七句目

   うるし吹こす風は有けり
 三よしのの吉野を出て独すぎ

 漆に吉野紙の縁で吉野の旅に転じる。
 点なし。

五十八句目

   三よしのの吉野を出て独すぎ
 へよんな事する妹とせの山

 妹背山は吉野の歌枕で、

 落ちたぎつ吉野の川や妹背山
     つらきが仲の涙なるらむ
           藤原知家(続拾遺集)

の歌は『歌枕名寄』にもある。
 「へよんな」は「ひょんな」ということ。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「ひょんな」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘連体〙 予期に反して不都合なこと、異様なことについていう。思いがけない。意外な。また、妙な。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※牛部屋の臭ひ(1916)〈正宗白鳥〉三「娘がひょんな噂の立てられるのさへ厭うて」

とある。まあ、どうせ夜這いか何かだろう。
 長点で「瓢事何事とは不知候へども、いか様用有さうに候」とある。

五十九句目

   へよんな事する妹とせの山
 麻衣たつ名もしらで後から

 「後ろから」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に男色のこととある。まあ説明の必要もあるまい。

   うしろむきてぞせをかがめける
 こかづしき流石に道をしりぬ覧   兼載

と中世の俳諧にもある。小喝食は稚児のこと。じゃにさんも吉次さんに後ろから。
 長点で「無理若衆になしたる歟」とある。

六十句目

   麻衣たつ名もしらで後から
 汗になりたる恋路はいはい

 「はいはい」は文字通り夜這いのことであろう。打越は「へよんな事」としか言ってないので輪廻を逃れる。宗因が「用有さう」と言ったのは、式目をかいくぐるのに便利そうだ、といういみだったか。
 前句の「麻衣」を生かして、夏の麻衣を汗びっしょりにして通う、という意味になる。
 後からは体位のことではなく、気付かれないようにという意味に取り成す。
 点なし。

六十一句目

   汗になりたる恋路はいはい
 倫言はおほせのごとく馬に鞍

 「倫言汗の如し」という諺があり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「綸言汗の如し」の意味・読み・例文・類語」に、

 「(「漢書‐劉向伝」の「号令如レ汗、汗出而不レ反者也、今出二善令一、未レ能レ踰レ時而反、是反レ汗也」から) 君主の言は、一度出た汗が再び体内にもどらないように、一度口から出たら、取り消すことができない。
  ※康頼宝物集(1179頃)下「爰以仏は虚妄せずと言給ひ、綸言汗のことし。天子は二言なしと申たり」

とある。
 ここでは単に忠告は受けながらも、取り返しのつかないことをしてしまった、ということで、「はいはい」は女のもとに通うのに馬に乗って行った、ということにする。
 「はいはい」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「はいはい」の意味・読み・例文・類語」に、

 「[1] 〘感動〙 (「はい」を重ねて強めたもの)
  ① 応答のことば。多く、相手の呼びかけに気軽に応じたり、相手のいうことを抵抗なく承認したりする時に用いる。現代、「二つ返事」と称する。
  ※随筆・羇旅漫録(1802)下「素人にてもハイハイと返詞をするものを、小芝居出といふて笑ふなり」
  ※十三夜(1895)〈樋口一葉〉中「唯々(ハイハイ)と御小言を聞いて居りますれば」
  ② 相手の注意をうながす時に用いることば。
  ※浄瑠璃・女殺油地獄(1721)上「手振の先供はいはい、はいはいの声をも聞ず与兵衛が」
  ③ 牛馬を追う時の掛け声。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「落城や朝あらしとぞなりにける〈志計〉 はや馬はいはい松の下道〈一鉄〉」
  [2] 〘名〙
  ① 馬をいう幼児語。馬を追う掛け声からいう。
  ② とるにたりない者。未熟な者。ぱいぱい。
  ※浮世草子・人倫糸屑(1688)若衆上「配々(ハイハイ)の寺児姓、おおくは根ざし下輩民間より出たる」
  ③ 「はいはいやくしゃ(━役者)」の略。
  ※雑俳・柳多留‐九(1774)「はいはいは毛氈なしにころげ込み」

とある。
 馬を追う掛け声>馬>幼児の四つん這いになったものと思われる。
 『源氏物語』でもお忍びで通う時には牛車ではなく馬を用いる場面がある。夕顔巻に、

 「知っている女に会いに来たというわけではないので、源氏の君も特に名乗ることもなく、やむをえないとは言えわざとみすぼらしい格好をしたのですが、さすがに牛車から降ろして歩かせるなんてことは前例のないことで、配慮に欠けると思われてもいけないので、惟光は自分の馬を貸して、自分は走ってお供をしました。」

という場面がある。
 長点だがコメントはない。

六十二句目

   倫言はおほせのごとく馬に鞍
 双六のさいでつちはくるか

 「双六の賽、丁稚は来るか」。
 双六のサイコロで重一(今の言葉だと「ぴんぞろ」)のことを「でっち」と言った。「重一(でふいち)」の訛りだという。
 双六のサイコロを握り締めて、「さあ、重一(でっち)が来るかな、重一(でっち)よ馬に鞍持ってやって来い!」とか言って振る情景が目に浮かぶ。
 点あり。

六十三句目

   双六のさいでつちはくるか
 お日待の更行空に湯のみたい

 日待ちはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「日待」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 人々が集まり前夜から潔斎して一夜を眠らず、日の出を待って拝む行事。普通、正月・五月・九月の三・一三・一七・二三・二七日、または吉日をえらんで行なうというが(日次紀事‐正月)、毎月とも、正月一五日と一〇月一五日に行なうともいい、一定しない。後には、大勢の男女が寄り集まり徹夜で連歌・音曲・囲碁などをする酒宴遊興的なものとなる。影待。《季・新年》
  ※実隆公記‐文明一七年(1485)一〇月一五日「今夜有二囲棊之御会一、終夜不レ眠、世俗称二日待之事一也云云」

とある。第二百韻の八十五句目にも

   十方はみな浄土すご六
 お日待の光明遍照あらた也  幾音

の句があり、日待ちの双六はお約束だったのだろう。
 前句の「丁稚はくるか」を「湯のみたい」で受ける。
 点あり。

六十四句目

   お日待の更行空に湯のみたい
 岩戸をすこしひらく弁当

 日待ちを日の神天照大神を待つ行事に見立てて、岩戸に籠った天照大神が戸を少し開いて弁当を受け取り、「湯も飲みたい」という。何か今のただの引き籠りみたいだ。この時代にもヒキニートっていたのだろう。
 長点だがコメントはない。

2023年7月4日火曜日

  混沌は万物の母也とは老子の言葉だが、日本人は特にどこかで混沌を求めている所がある。
 人間の理性は限界があり、この宇宙の本来の姿は混沌なんだと。理性も科学法則も混沌の中から生まれてくるもので、それらが混沌を消し去るものではない。
 母なる混沌は究極の多様性で、日本人にとって多様性とはマイノリティーが権利の主張の末に勝ち取ったのもではなく、多様性は初めからそこに存在している。あるがままの世界がそのまま多様なんだ。
 あと、鈴呂屋書庫に「呟き奥の細道、三月四月」をアップしたのでよろしく。

 それでは「かしらは猿」の巻の続き。

二裏
三十七句目

   三月五日たてりとおもへば
 関札のかすみや春をしらすらん

 前句を三月五日出発と取り成して、関札を出す。「かすみ」はこの場合はかすれて判読しがたいということか。
 点なし。

三十八句目

   関札のかすみや春をしらすらん
 鬼門にあたる鶯の声

 鬼門は東北の方角だが、季節で言えば冬から春の移り変わり目で正月を意味する。正月は鬼門の方からやってくるので、鶯の声をあしらう。
 関所は門だから鬼門に取り成す。
 点あり。

三十九句目

   鬼門にあたる鶯の声
 一うちの針の先より雪消て

 わかりにくい句だが正月だとすると門松の松の葉を鍼灸の針に見立てたのだろうか。門松が雪に埋もれた時、溶けてゆくときは針の先から見えてくる。
 点なし。

四十句目

   一うちの針の先より雪消て
 出る日影やうつる天秤

 針に天秤は金銀などの重さをはかる針口天秤の連想だろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「針口」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 天秤の中央、支柱の上部にあって平均を示す指針。また、その部分。重りを小さい槌でたたいて針の動きを調節し、物の重さをはかった。また、この指針のついた天秤。また、勘定の意にも用いた。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)五「町人は筭用こまかに、針口(ハリクチ)のはぬやうに」
  ② 取りはずしのできる天秤。近畿地方で長押(なげし)に引っかけておき、繰綿を中次に渡すときに使った。」

とある。
 単に天秤の針を調節したら、雪が溶けて日が昇るでは意味がよくわからない。
 点なし。

四十一句目

   出る日影やうつる天秤
 蜻蛉の命惜しくば落ませい

 カゲロウの命が惜しいなら落ちなさい、ということで、『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に「拷問のことば、白状せよ」とある。今の刑事ドラマでも白状させることを落とすと言う。
 カゲロウはこの場合は儚い命の比喩か。
 前句を出る日影を夜通し取り調べが続いたこととして、罪人が両腕を天秤棒に縛り付けられ、拷問を受けている場面とする。
 天秤責はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「天秤責」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① (金銀貨を天秤にかけて貨額を定めたところから) 金銭を自由に使わせないこと。
  ※浮世草子・庭訓染匂車(1716)二「旦那にかくし払申事はならぬと、天秤ぜめにすれば」
  ② 閻魔(えんま)の庁で、この世での善悪の業の程度を天秤にかけてはかり定め、その悪の程度に応じてそれぞれの罪責を科するということ。
  ※歌舞伎・三人吉三廓初買(1860)六幕「天秤責(テンビンゼメ)に掛けられて、業の秤に罪科極り」
  ③ 両腕を天秤棒に縛りつけ、身体の自由を奪って責めること。
  ※浄瑠璃・仏御前扇車(1722)二「何責が可からうな、〈略〉火熨責か、天秤責か」

とあるが、この場合は③の意味になる。
 長点で「責の字なくておもしろく候」とある。前句の天秤を責の「抜け」とする。

四十二句目

   蜻蛉の命惜しくば落ませい
 我等は城を枕の下露

 前句の「落ちませい」を落城のこととして、命を惜しまず最後まで戦ってこの城と運命を共にする、という意味にする。
 「城を枕に討ち死にする」という言葉はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「城を枕に討死する」の意味・読み・例文・類語」に、

 「落城に際して敗軍の戦士が、最後まで城にとどまり、敵と戦って死ぬ。落城に際し、城と運命をともにする。
  ※太平記(14C後)一一「英時が城(シロ)を枕(マクラ)にして討死すべし」

とある。
 点あり。

四十三句目

   我等は城を枕の下露
 大石のかたぶく月に手木の者

 手木は「てこ」とルビがある。梃子のこと。前句の枕を梃子枕のこととする。
 梃子枕はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「梃子枕」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 梃子の下にあてがって支える木。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「杣がうちわる峰の松風〈一鉄〉 岩がねやかたぶく月に手木枕〈志計〉」

とある。傾く月を梃子でもって止めようとすれば城を梃子枕にする必要があるというシュールネタか。
 点なし。

四十四句目

   大石のかたぶく月に手木の者
 ざいふり出してみねの白雲

 前句をそのまま大石を明け方に梃子でもって運ぶ場面とする。
 「ざいふり出して」は采を振ることで、采配を振ると同じ。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「采を振る」の意味・読み・例文・類語」に、

 「さい【采】 を 振(ふ)る
  人にさしずをする。指揮して物事を行なう。ざいを振る。
  ※太閤記(1625)四「爰こそ込入べき所なりと、利家さいを振、其身も鑓提(ひっさげ)向ひしかば」
  ざい【采】 を 振(ふ)る
  =さい(采)を振る
  ※浮世草子・御前義経記(1700)三「小遣銭少しくれて、念仏講にせよと、九助がざいをふれば」

とある。
 峰の白雲とあるのは、夜のうちに岩橋を作らされた葛城の神のことか。
 点なし。

四十五句目

   ざいふり出してみねの白雲
 かづらきの神はあがらせ給ひけり

 展開を先読みしてしまったが、先が読めてしまうのは減点だろう。
 夜が明けると葛城の神は仕事を終えて上がる。
 葛城の神も役行者に使役されてたわけだが、それを工事を委託されたみたいに、さらに下々の人足が働いている場面とする。
 点あり。

四十六句目

   かづらきの神はあがらせ給ひけり
 もはや久米路のはしごひく也

 久米路の橋は『後撰集』に、

   心さしありて人にいひかはし侍りけるを、
   つれなかりけれはいひわつらひてやみにけるを、
   思ひいてていひおくりける返ことに、
   心ならぬさまなりといへりけれは
 葛木やくめちのはしにあらばこそ
     思ふ心をなかそらにせめ
             よみ人知らず

などの歌に詠まれている。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「久米岩橋」の意味・読み・例文・類語」に、

 「昔、役(えん)の行者が、奈良の葛城山の山神一言主神(ひとことぬしのかみ)に命じて、葛城山から吉野の金峰山(きんぷせん)にかけ渡そうとしたという「日本霊異記」上巻二八話、「今昔物語集」巻一一第三話などの説話から出た伝説上の橋。夜が明けてしまって工事が完成しなかったと伝えられるところから、男女の契りが成就しないことのたとえにいう。久米路の橋。岩橋。
  ※千載(1187)雑上・一〇四二「かづらきや渡しもはてぬものゆゑにくめの岩ばし苔おひにけり〈源師頼〉」

とある。
 葛城の神が橋を架けるのをやめたため、上の方で作業してた人達は梯子を外されたようだ。
 長点で「珍重珍重」とある。実際急に頭領が仕事から手を引いて、人足達が失業して途方に暮れるというのはありそうなことだ。

四十七句目

   もはや久米路のはしごひく也
 埋木や鋸の柄になしぬらん

 前句の「はしごひく」を鋸で引いて梯子を切るという意味に取り成す。
 久米路の埋木は、

 むもれ木は中むしばむといふめれば
     久米路の橋は心してゆけ
             よみ人知らず(拾遺集)

の歌を逃げ歌にして、梯子を鋸で切って、その切った久米路の橋の埋木を鋸の柄に用いる。
 点あり。

四十八句目

   埋木や鋸の柄になしぬらん
 釿のさきをかけ波の音

 釿は「てうな」とルビがある。発音は「ちょうな」。コトバンクの「世界大百科事典 第2版 「釿」の意味・わかりやすい解説」に、

 「木材を削る工具。一種の斧であるが,普通の縦斧(よき(与岐),鉞(まさかり))に対し,刃に直角方向に柄がつくので横斧ともいわれる。木材を箭(や)(楔)や斧で割ったあとなどの凹凸(不陸(ふろく)という)面を平らにするために用いる。石刃を樹枝に結わえたものは石器時代から使われ,弥生遺跡や古墳からは鉄製の刃が出土し,その利用の歴史は斧,鑿(のみ)とともに古い。中世に樵(きこり),杣(そま)と大工の仕事がわかれて以来,釿は大工仕事の最初の工程に使われる工具として,墨壺とともに大工の最も重要な工具であった。」

とある。
 埋木は名取川の川に沈んでいるもので、それを釿の先で引っ掛けて引き上げると波の音がする。
 点なし。

四十九句目

   釿のさきをかけ波の音
 散花を踏てはおしむむかふずね

 「むかふずね」はふくらはぎの反対側のこと。ここを打つと筋肉に守られてないので痛い。
 白楽天の「踏花同惜少年春」をもじったものだが、少年の頃というのは若さにまかせてやんちゃして、脛に傷をもつものだ。春もあっという間に終わり、むこうずねが痛む。
 点あり。

五十句目

   散花を踏てはおしむむかふずね
 ふ屋が軒端に匂ふ梅が香

 「ふ屋」は麩屋で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「麩屋」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 麩を作ることを業とする家。また、その人。
  ※俳諧・当世男(1676)冬「初雪に麩屋もあきれてたったりけり〈在色〉」

とある。
 麩の製造過程では小麦を練ったものを桶に入れて踏む。その踏んでる生地に梅の花が散り込んではいけない。
 点なし。