Twitterに代わるものとしてThreadsが話題になってたので、早速そっちも少しやってみた。
iPadでも画面が大きく表示されず、スマホサイズの表示になるので入力しにくいし、字も読みにくい。
とりあえずは第一回カクヨム短歌・俳句コンテストに応募した句などを挙げておいた。
仮に賞を取れたとしたら、二〇〇一年の第三十五回詩人会議新人賞評論部門以来の快挙となる。
それでは「かしらは猿」の巻の続き。
三裏
六十五句目
岩戸をすこしひらく弁当
花に来て鬼一口にならばなれ
「鬼一口」は『伊勢物語』六段の有名な言葉だ。
花見に来て弁当を食ってたら、岩戸が開いて鬼が出てきて、自分が鬼の弁当になって一口で食われたりして。
点なし。
六十六句目
花に来て鬼一口にならばなれ
諸行無常のかねかすむ暮
花が散るように人の命も儚い。突然の死はさながら鬼一口に食われてしまったようなもんだ。
点なし。
六十七句目
諸行無常のかねかすむ暮
煩悩の夢はやぶれて春の風
夢は人生は夢まぼろしという意味での夢で、生きていれば現(うつつ)でも、死んだらこれまでの一生は夢となる。
夢となりし骸骨踊る荻の声 其角
と同じ用法。
煩悩にまみれた人生は夢と破れてや諸行無常。霞む暮に春の風が付く。
点なし。
六十八句目
煩悩の夢はやぶれて春の風
そもじつれない雁かへるとて
「そもじ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「其文字」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘代名〙 (「そなた」の後半を略して「もじ」を添えた語) 対称。主として女性が、対等または目下に対して用いた。そもんじ。
※御伽草子・清水冠者物語(室町時代物語大成所収)(室町末)「そもしにきかせまいらせて、ひとまづおとし申さんとおもひかねつつまいりたり」
[語誌](1)室町時代、尼門跡や宮中で使用された女房詞で、目上に対して用いる敬意の高い対称代名詞であったが、江戸時代に入って敬意が薄れ、対等・目下に対しても用いるようになった。その際、尊敬表現にしたい場合には「さま」「どの」を付けた。
(2)もともとは女性専用語(男性が用いる場合は相手が幼児に限られる)であったが、遊里で対称代名詞として広く使われたことも影響したためか、男性が女性に対しても使用するようになった。」
とある。春の終わりには雁は帰って行く。雁が帰って行くようにあなたは帰って行って、煩悩の夢も破れる。
点なし。
六十九句目
そもじつれない雁かへるとて
御誓文跡なき雲と成にけり
遊女の書く御誓文はあくまで営業上の社交儀礼で、まああまり当てになるもんではないし、そういうもんだと割り切るのが正しい遊び人だ。
雁かへるに雲が付く。
長点だがコメントはない。
七十句目
御誓文跡なき雲と成にけり
驪山宮にものこるくさ墨
「くさ墨」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「臭墨」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 悪臭のある下等の墨。粗製悪質で安価な墨。
※俳諧・大坂独吟集(1675)上「御誓文跡なき雲と成にけり 驪山官にものこるくさ墨〈三昌〉」
とある。芳墨に対しての言葉か。
ここでは墨が悪いというよりは、虚しくなって見るに絶えない文ということだろう。
玄宗皇帝が楊貴妃のために建てた驪山宮も安禄山の乱で跡形もなく雲と成る。
点なし。
七十一句目
驪山宮にものこるくさ墨
もろこしもかいばらの庄有やらん
「かいばら」は今の兵庫県丹波市柏原町の辺りであろう。製墨が行われたという。
前句の「くさ墨」から、中国にも柏原の庄のような安価で買える墨を作っている地域があったのだろうか、とする。
長点で、「かいばらは不存、くさきすみおほく候」とある。唐土にあるかどうかは知らないが、ということか。
七十二句目
もろこしもかいばらの庄有やらん
六丁道につづくわらぶき
「六丁道」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「唐土では一里が六丁」とある。唐土に柏原があるなら六丁の道に藁ぶき屋根が並ぶような景色だろう、ということか。
点なし。
七十三句目
六丁道につづくわらぶき
世の中はとてもかくてもかはせ駕子
「かはせ籠子(かご)」はよくわからないが、駕籠かきはついでに為替手形も運んでいたか。通常は飛脚が運ぶ。
「世の中はとてもかくても」は、
世の中はとてもかくても同じこと
宮も藁屋もはてしなければ
蝉丸(新古今集)
の歌で、その縁で前句の「わらぶき」に付く。六丁道の藁ぶきの家では、とてもかくても為替を送ってきてくれるのが有り難い。
点なし。
七十四句目
世の中はとてもかくてもかはせ駕子
あまの小ぶねのさかなはさかなは
前句の「かはせ籠子」を川瀬に仕掛ける籠、つまり簗のことに取り成す。海士が小舟で「魚は魚は」とそれを引き上げる。
点なし。
七十五句目
あまの小ぶねのさかなはさかなは
引塩にさされてのぼる新酒にて
前句の魚を肴に取り成して新酒を付ける。
て留の場合は「あまの小ぶねのさかなはさかなは引塩にさされてのぼる新酒にて」と五七五と七七をひっくり返して読んでもいい。新酒の肴は潮の引く頃に船で都へと登ってくる。
点なし。
七十六句目
引塩にさされてのぼる新酒にて
月を片荷にかくるうら役
「うら役」はコトバンクの「百科事典マイペディア 「浦役」の意味・わかりやすい解説」に、
「海民ら浦方の活動に課せられた諸役。室町期,周防(すおう)国の守護(しゅご)大名大内氏の家法である大内家壁書には〈浦役銭〉の賦課がみられる。江戸時代には水主(かこ)役や,漂流船・難破船の救助などの負担を称する例があり,大名領によってさまざまであるものの,後代には代銀納または代米とする場合が増えたようである。こうした夫役を負担することで,漁業権や海上交通の特権を給付されている場合が多かった。」
とある。
潮が引いた時に浦役が月の下で天秤の片方に酒樽を掛けて海から上がってくる。難破船に積んであった酒を失敬したか。
点なし。
七十七句目
月を片荷にかくるうら役
いろかへぬ松の梢や千木ならん
前句の「うら役」を比喩として、海辺の月の景色に転じる。
秋になっても紅葉することのない松の梢は神社の千木のように斜めに傾いて、その下に片荷に掛けたみたいな月が見える。
色変えぬ松は、
色かへぬ松ふく風の音はして
散るはははその紅葉なりけり
藤原朝仲(千載集)
などの歌に詠まれている。
点あり。
七十八句目
いろかへぬ松の梢や千木ならん
時雨の雨や白き水かね
「水かね」は水銀のこと。
露を水銀に喩える例は、室町時代になるが、
くもりなく池の鏡をみがかなん
ただ水銀ぞ蓮はの露
正徹(草根集)
の歌がある。
松の梢の千木の有り難さに、時雨の雨も水銀になる。
点なし。
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