2023年7月1日土曜日

  それでは「かしらは猿」の巻の続き。

初裏
九句目

   矢つぼ慥になく鹿の声
 秋の田の其ままそこに五百石

 鹿に秋の田は、

 秋の田の畔踏みしだき鳴く鹿は
     稲筵をや敷きしのぶらむ
           源俊頼(散木奇歌集)

など、いくつかの歌に詠まれている。
 まあ、元は鹿が棲んでた野原だったところを開墾して田んぼにしたからだろう。鹿を退治して田んぼを開いて五百石。ありそうなことだ。
 点あり。

十句目

   秋の田の其ままそこに五百石
 されば御製もうかむ廻船

 前句の五百石を廻船の五百石船とする。弁財船とも言い、江戸後期になると千石船が主流になったが、この頃は五百石だった。
 秋の田で収穫された米をそっくりそのまま運ぶことができる。そう思うと、

 秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ
     わが衣手は露にぬれつつ
           天智天皇(後撰集)

の御製の歌も思い浮かぶ。「思い浮かぶ」と「舟が浮かぶ」が掛詞になる。
 長点で「廻船妙所に候」と廻船への取り成しを評価している。

十一句目

   されば御製もうかむ廻船
 浦切手上代風で有まひか

 浦切手はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「浦切手」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 =うらじょうもん(浦証文)
  ※海路諸法度(1592)「浦切手取らず、奉行も付かず、荷物を捨て候共、船頭越度為る可きの事」

とあり、「精選版 日本国語大辞典 「浦証文」の意味・読み・例文・類語」には、

 「〘名〙 江戸時代、廻船が遭難してもっとも近い浦へ着いた場合、難船前後の状況、捨て荷、残り荷、船体、諸道具の状態などにつき、その浦の役人が取り調べてつくる海難証明書。浦手形。浦切手。浦証。浦状。
  ※財政経済史料‐一・財政・輸米・漕米規則・享保二〇年(1735)六月一一日「右破船大坂船割御代官にて吟味之訳添書致し、浦証文相添可レ被二差出一候」

とある。
 古代からタイムスリップした難破船か。御製から王朝時代を連想したのだろう。
 点なし。

十二句目

   浦切手上代風で有まひか
 もの毎かたき須磨の関守

 上代の書風というと、『源氏物語』の時代で揶揄されてた末摘花の連綿や散らし書きをしない堅苦しい書体のことか。
 毎晩律義に寝ずの番をしている須磨の関守と、その真面目な書風とが重なる。
 点あり。

十三句目

   もの毎かたき須磨の関守
 木枕に幾夜ね覚の丸はだか

 「須磨の関守」に「幾夜ね覚」と来れば有名な、

 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に
     幾夜ねざめぬ須磨の関守
            源兼昌(金葉集)

の歌になる。
 前句の「かたき」を堅い木枕のこととして、柔らかい布団もなく丸裸で寝ている。
 点あり。

十四句目

   木枕に幾夜ね覚の丸はだか
 蚊ばらひ一本松の下陰

 前句の木枕を松の木の根を枕として裸で寝ている乞食坊主として、蚊に刺されるからいつも蚊払い一本を大切に持っている。
 蚊払いは蠅払いと同様の物か。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「蠅払」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 獣毛をたばねて柄をつけた、蠅や蚊を追うためのもの。のちに法具の一つとして邪鬼・煩悩などを払う功徳があるとされた。→払子(ほっす)。
  ※彌勒上生経賛平安初期点(850頃)「十は宝女、払(ハヘハラヒ)を執りて」
  ② 武具、指物(さしもの)の名。棹の先端に犛(やく)の毛をまとめて短く下げたもの。かぶろ。
  ※太平記(14C後)三五「長野が蠅払(ハイハラヒ)一揆」

とある。この場合は①であろう。
 少し後の『虚栗』の、

 乞食かな天地ヲ着たる夏衣   其角

の句を思わせる。
 点なし

十五句目

   蚊ばらひ一本松の下陰
 線香の烟乱るるあらし山

 この頃はまだ蚊取り線香はなく、お寺の線香の烟に混じって蚊遣火の烟が一本上ってるということだろう。虚空蔵法輪寺の線香だろうか。
 点なし

十六句目

   線香の烟乱るるあらし山
 滝のしら波はやい句作り

 「あらし山」に「滝」は、

 我が宿のものかあらぬか嵐山
     あるにまかせて落つる滝つ瀬
           後嵯峨院(続古今集)

の歌が『歌枕名寄』にもある。
 「はやい句作り」というと、この頃はまだ西鶴の矢数俳諧はなかったが、寛文十三年(一六七三年)の『生玉万句』で後の西鶴になる鶴永のことは注目を集めていたであろう。この『大阪独吟集』の第五百韻でも鶴永は登場する。
 西鶴は特に嵐山に縁があったわけではなく、ここで速吟に展開するのは、『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注にある、「速吟俳諧の時間を線香ではかる」によるものであろう。
 点あり。

十七句目

   滝のしら波はやい句作り
 水辺にしばしもためず打こみて

 前句の「しら波」は連歌や俳諧の式目では水辺に分類される。滝は山類で水辺に嫌う。
 水辺が出てもほとんど反射的に次の句を付けて、一点の躊躇もない。
 点なし。

十八句目

   水辺にしばしもためず打こみて
 月をのせてやかへるからぶね

 船着き場の舟が荷を下ろしたらすぐに出て帰って行く。空になった船には月を乗せてるのだろうか。
 まあ、時は金なりという。少しでも多く往復して荷賃を稼ぐ。
 点あり。

十九句目

   月をのせてやかへるからぶね
 鴈がねや貨物と成て渡るらん

 渡り鳥の雁金を「借り金」に掛けるのはお約束というか。借金をして貨物を買って、それを運んで売って、その売り上げで借金を返すのを繰り返す。今でいう自転車操業ってとこか。
 長点だがコメントはない。

二十句目

   鴈がねや貨物と成て渡るらん
 色づく山やうへのまち人

 前句を単に鴈が貨物を運んできたかのように唐土から渡って来たのだろうか、と取り成す。
 山が色づくのは、

 このたびは幣も取りあへず手向山
     紅葉のにしき神のまにまに
            菅原道真(古今集)

の歌のように錦に喩えられ、唐土から来たのであれば唐錦になる。
 宮廷の御幸として殿上人が紅葉の錦を待っている。
 点なし。

二十一句目

   色づく山やうへのまち人
 夕日影ゆびさす事もなるまひぞ

 夕日影の方角には殿上人がいるから、くれぐれも夕日を指をさすような失礼のないように。
 夕日影は「さす」もので、

 夕日影さすや深山の谷の戸に
     明けなば冬や木枯しの風
            藤原為家(夫木抄)
 夕日影群れたる田鶴はさしながら
     時雨の雲ぞ山廻りする
            藤原定家(夫木抄)

などの歌がある。
 連歌でいう「咎めてには」になる。前句を咎めて付ける体になる。
 長点で「句にも自慢相見え候」とある。この句も指さすようなことはできないということか。

二十二句目

   夕日影ゆびさす事もなるまひぞ
 雲のはたてにはづす両馬

 「雲のはたて」はコトバンクの「デジタル大辞泉 「雲の果たて」の意味・読み・例文・類語」に、

 「《「くものはだて」とも》
  1 雲の果て。空の果て。
  「都をば天つ空とも聞かざりき何眺むらむ―を」〈新古今・羇旅〉
  2 《「はたて」を「旗手」の意に解して》雲のたなびくさまを旗がなびくのに見立てていう語。
  「吹く風に―はとどむともいかが頼まむ人の心は」〈拾遺・恋四〉」

とある。

 夕ぐれは雲のはたてに物ぞ思ふ
     あまつそらなる人をこふとて
            よみ人知らず(古今集)
 吹く風に雲のはたてはとどむとも
     いかがたのまん人の心は
            よみ人知らず(拾遺集)

などの歌がある。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は「両馬」を将棋の飛車角として、とても対等な勝負などできませんというので飛車角落ちにするとしている。
 点あり。

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