2023年6月30日金曜日


 今日は六月三十日の水無月の夏越の祓いで、茅の輪くぐりをしに白笹稲荷神社の行った。これはその時の茅の輪。

 西洋の近代思想は、社会的文化的なさまざまの習慣による序列を全部取り除いて自然状態を仮定した時、人は「万人の万人に対する闘争」に陥るという、そこから出発した。
 実際多くの前近代的社会では、「万人の万人に対する闘争」は抑えられている。そこには様々な序列があり階級があり宗教的戒律があり、生存権の優先順位は定められている。こうした優先順位を徹底させることで何百年に渡る平和をもたらしたのが、江戸時代の日本と李朝時代の朝鮮(チョソン)だった。
 ヨーロッパは様々な文化的衝突によって、秩序は破られやすかった。ローマの侵略、ゲルマン人の移動、バイキングの台頭、東西ローマの対立、百年戦争、十字軍、様々な形で異文化と衝突する中で、ついに生存権の優先順位の安定した鎖国的平和主義の時代を迎えることはなかった。
 多産多死の世界の中で生存権の優先順位を定めても、一向に安定することのなかった世界で、トマス・ホッブスをはじめとして、西洋の知能は人間が本来生存競争に明け暮れる存在であり、どんな秩序も一皮むけば露骨な「万人の万人に対する闘争」に陥ることを見て取った。
 西洋の民主主義はそこから始まった。最初は「万人の万人に対する闘争」を収めるのは強力な独裁国家だと考えた。この考え方も消えたわけでなく、マルクスのプロレタリア独裁の考え方に残っている。
 近代民主主義も、基本的にはこの「万人の万人に対する闘争」を直接的な喧嘩ではなく、民主的手続きによって作られた法律に基づいて、ルールのある闘争を行うというものだった。
 立法は選挙で勝つための戦いであるとともに、デモやストライキなどの合法的に認められた闘争によって作られ、同時に裁判という法廷闘争でも勝ち取られる。
 基本にあるのは誰もが権利を主張し合い、合法的な喧嘩をすることによって成り立つ。これを世界に広めようというわけだ。
 そういうわけで西洋人からすれば、電車の優先席のような些細な問題でも、優先されるべき人がいないなら座る権利を主張し、優先されるべき人も座りたければその権利を主張して争うというのが優先席の正しいルールになる。
 ティムラズ・レジャバ駐日大使やろうとしているのは、そういう西洋式のルールを電車の優先席に適用しろということだ。
 ただ、日本人にとっては優先席は若者と老人が権利を主張し合って闘争する場とは認識していない。老人が来た時に何も気にせず無条件に座れるように、若者は遠慮して開けておくというのがルールとして定着している。電車は権利闘争の場ではない。「万人の万人に対する闘争」の場ではない。
 日本人は古い長幼の序の優先順位を完全に否定するのではなく、「万人の万人に対する闘争」を和らげて、古くからの和の思想と西洋民主主義を統合しようと試みている。我々は電車の座席で、いちいち権利を主張して若者をどかせなくてはならないような社会を望んではいない。
 ティムラズ・レジャバ駐日大使は親日家として知られているが、心の中はやはり西洋人だから、それはしょうがないと思うが、その尻馬に乗ってる日本の人権派の連中、あんたらは糞だ。

 それでは大坂独吟集から、第三百韻。
 三昌独吟百韻「かしらは猿」の巻(宗因編『大阪独吟集』より)

発句

   西山のかいあるかげに
   猿さけぶ独狂言尾もない事を
 かしらは猿足手は人よ壬生念仏  三昌

 猿の声は三声の涙といわれ、杜甫の「秋興其二で、

 虁府孤城落日斜 毎依北斗望京華
 聽猿實下三聲涙 奉使虚隨八月槎
 畫省香爐違伏枕 山樓粉蝶隱悲笳
 請看石上藤蘿月 已映洲前蘆荻花

が当時はよく知られていた。昔は長江より南に広く生息していたといわれるテナガザルのロングコールで、人間の耳には哀愁を帯びた調べに聞こえる。
 猿の声を叫ぶと表現したのは、杜牧で、

 月白煙青水暗流 孤猿銜恨叫中秋
 三聲欲斷疑腸斷 饒是少年須白頭

の詩がある。猿の声が腸を断つというのもこの詩に由来するのだろう。
 前書きの「かいあるかげに」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注にあるように、

   誹諧歌:法皇にし河におはしましたりける日、
   さる山のかひにさけふといふことを題にてよませたまうける
 わびひしらにましらな鳴きそ足引きの
     山のかひあるけふにやはあらぬ
             凡河内躬恒(古今集)

の歌によるもので、「法皇にし河に」を西山宗因の「西山」に変えて、西山のかひある影に猿叫ぶ、とする。「かひ」は山の谷の意味がある。
 この山に叫ぶ猿の興を借りて、連歌ではなく俳諧の狂句ということで、狂言から壬生念仏の壬生狂言を引き出し、猿の面を被ってるけど手足は人の壬生念仏とする。実際に猿の面を被る出し物もある。
 長点だが、コメントはない。


   かしらは猿足手は人よ壬生念仏
 扨火をともす花の最中

 壬生念仏の壬生狂言は花の季節に行われる。元禄七年の「むめがかに」の巻十八句目にも、

   町衆のつらりと酔て花の陰
 門で押るる壬生の念仏     芭蕉

の句がある。良い席は京の町の金持ちが押さえて、庶民は門の所で押し合いへし合いしている。
 点あり。

第三

   扨火をともす花の最中
 春の日や名残のうらに暮ぬらん

 江戸時代は寒冷期で桜の花は旧暦三月の終わりに咲いて、花が散ると春が暮れる。
 「名残のうら」は連歌の名残の懐紙の裏と掛けて、百韻の最後の八句になり、その七句目が花の定座になる。
 春の終わりの名残を惜しむのと、連歌の名残の裏に掛けて、行春を悲しむ。
 長点だがコメントはない。

四句目

   春の日や名残のうらに暮ぬらん
 さらばといひてかへる波風

 名残と言えば別れだが、ここでは前句の「うら」を浦に取り成して、暮れて行く春の日が「さらば」と言っているようだと擬人化して波風も帰って行くとする。
 点なし。

五句目

   さらばといひてかへる波風
 なま魚の塩路はるかにいらぬ事

 前句の「波風」を比喩としての「波風を立てる」として、生魚を馬で運ぶ人が要らぬ事を行っては波風を立てては、そのまま喧嘩して荷物もほっぽり出して帰ってしまったか。
 点なし。

六句目

   なま魚の塩路はるかにいらぬ事
 へうたん一つ山のはの月

 生魚の刺身があれば下手に料理なんかする必要はない。山の端の月を見ながら生魚を肴に瓢箪の酒を飲む。
 点なし。

七句目

   へうたん一つ山のはの月
 肩さきや裾野に結ぶ露分て

 肩さきに瓢箪、山の端の月に、裾野の露を分けて、と付く。

八句目

   肩さきや裾野に結ぶ露分て
 矢つぼ慥になく鹿の声

 矢壺はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「矢壺」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 矢を射る時に狙い定めるところ。矢どころ。的。
  ※平家(13C前)四「目さす共しらぬやみではあり、〈略〉矢つぼをいづくともさだめがたし」

とある。肩口の所に狙いを付けて矢を放つ狩人とする。
 裾野の鹿は、

 夏衣裾野の草を吹く風に
     思ひもかけず鹿や鳴くらむ
             藤原顕季(金葉集)

などの歌に詠まれている。
 点あり。

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