それでは「松にばかり」の巻の続き。
二表
二十三句目
頭巾の山やまたこひの山
梟の羽かはしたる中なれや
頭巾を被った姿はしばしばフクロウやミミズクに喩えられる。後の句ではあるが、
月華の梟と申道心者 支考(梟日記)
木兎の頭巾はやすし紙子きれ 朱拙「けふの昔」
けうがる我が旅すがた
木兎の独わらひや秋の暮 其角(いつを昔)
の句がある。
「羽かはしたる中」は連理比翼の比翼の方であろう。左右翼を共有し、雌雄一体となって飛ぶ想像上の鳥と言われている。「在天願作比翼鳥 在地願為連理」という白楽天『長恨歌』にあることから、玄宗と楊貴妃のようになるというので却って縁起が悪いとも言われる。
長点で「めづらしき羽にて候」とある。
二十四句目
梟の羽かはしたる中なれや
手水鉢にも廻る清水
「羽かはしたる」から「音羽山」の連想だとすれば、かなり苦しい展開だ。「したる」を滴るとして手水、清水として、四手にして強引に展開した感じもする。
まあ清水寺は恋占いの石もあり、ここで恨みの助も上臈を見染め、恋の名所ではある。
点なし。
二十五句目
手水鉢にも廻る清水
炉釜にや音羽の滝をしかくらん
梟の羽が打越にあっての音羽はやや輪廻気味だが、あくまで地名ということで微妙な所だ。
「しかく」は weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「し-か・く 【仕掛く・仕懸く】
他動詞カ行下二段活用
活用{け/け/く/くる/くれ/けよ}
①(行為を、他に)及ぼす。仕掛ける。
出典枕草子 殿などのおはしまさで後
「さるがうしかくるに」
[訳] おどけたしぐさを仕掛けると。
②水などを掛ける。ひっかける。
出典宇津保物語 蔵開上
「父君に尿(しと)多(ふさ)にしかけつ」
[訳] 父君に尿をたくさんひっかけた。
③(装置・工夫などを)細工する。仕掛ける。
出典日本永代蔵 浮世・西鶴
「中に火鉢をしかけ」
[訳] 中に火鉢を仕掛け。
④操作する。ごまかす。▽「しかけ
⑤」の行為をする。
出典日本永代蔵 浮世・西鶴
「油も、壱升弐匁(いつしようにもんめ)の折から、弐匁三分(にもんめさんぶ)にしかけられ」
[訳] 油の値も一升二匁のときなのに二匁三分にごまかされ。」
とある。ここでは炉釜のお茶のために音羽の滝の水をこっそり汲んでくるというニュアンスか。
点ありだが「『羽』の字ちかきさし合ながら」とある。梟の羽に「音羽」は微妙だがここでは流す。
二十六句目
炉釜にや音羽の滝をしかくらん
初雪の影くろき筋なし
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、
比叡の山なる音羽の滝を見てよめる
落ちたぎつ滝の水上年積り
老いにけらしな黒きすぢなし
壬生忠岑(古今集)
の歌を引いている。滝の水が真白なように、自分も年老いてすっかり白髪になって黒い毛が残ってないという歌だが、その音羽の滝の水にも喩えられるだろうか、初雪にはなるほど黒い筋はない、とする。
長点で「明白也」とある。なるほど雪に黒い筋がないのは明白だ、というところか。
二十七句目
初雪の影くろき筋なし
山眉の小袖がさねの朝風に
山眉はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「山眉」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 山の端のほのかなさまを眉墨に、また、美しい眉を山の稜線に見立てていう語。
※藻塩草(1513頃)一六「山まゆ かすみのまゆ」
とあり、山繭だとコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「山繭織」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 山繭糸を混ぜて織った織物。山繭。
※人情本・恋の若竹(1833‐39)下「開いて出すは濃いお納戸の細かい山繭織(ヤママユオリ)一反、包み紙には、御袷地と書き附けたり」
とある。
この二つを掛けて、初雪の山の稜線には黒い筋はなく、風が寒いから山繭織りの小袖重ねを着る、とする。
点あり。
二十八句目
山眉の小袖がさねの朝風に
味噌酒過す陸奥のたび
味噌酒は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「酒で溶いてあたためた味噌汁」とある。
どういうものなのかあまりイメージできないが、寒い陸奥の旅には暖まるものなのだろう。
点あり。
二十九句目
味噌酒過す陸奥のたび
薄鍋を亡者は泣々見送て
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『善知鳥』の、
「これをしるしにと、涙を添へて旅衣、涙を添へて旅衣、立ち別れ行くその跡は、雲や煙の立山の、木の芽も萌ゆる遥遥と客僧は奥へ下れば、亡者は泣く泣く見送りて行く方知らずなりにけり行く方知らずなりにけり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.2664-2665). Yamatouta e books. Kindle 版.)
を引いている。立山禅定の僧が地獄を覗いた時の陸奥外の浜の猟師の姿になる。
前句の味噌酒から薄鍋への移りで、善知鳥(うとう)という千鳥科の鳥を鍋にして食って罪で地獄に落ちたか。
薄鍋はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「薄鍋」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 薄手の鍋。また、これを使っての小鍋仕立ての料理。
※俳諧・大坂独吟集(1675)上「味噌酒過す陸奥のたび 薄鍋を亡者は泣泣見送て〈素玄〉」
※浮世草子・傾城歌三味線(1732)一「川端に氈しかせ、薄鍋かけて」
とある。
長点で「さては彼猟師も一つ成候哉」とある。外の浜の猟師と同一人物とみなす。
三十句目
薄鍋を亡者は泣々見送て
地ごくのさたも悪銭かする
前句が地獄の亡者のネタなので、そのまま地獄を付けながら、「地獄の沙汰も金次第」の諺で逃げる。諺そのまんまではなく、ただ金に任せて地獄を逃れようとするのではなく、悪銭を掠めてという所がせこい。即地獄行。
点なし。
三十一句目
地ごくのさたも悪銭かする
博奕打子は三界のくびかせよ
「子は三界のくびかせ」はコトバンクの「ことわざを知る辞典 「子は三界の首枷」の解説」に、
「親にとって子どもは、いくつになっても、また、どこへ行っても首にかけた枷のように一生苦労する厄介な存在である。
[使用例] 子は三界の首くび械かせといえど、まこと放蕩のらを子に持つ親ばかり不幸なるは無し[樋口一葉*大つごもり|1894]
[解説] 古くは、「親子は三界の首枷」といいました。親にとって、子どもがいつまでも気にかかる存在であることを、枷が「三界」に生を変えても首にまとわりついて離れないさまにたとえています。「三界」は過去、現在、未来のこと、もしくは欲界、色界、無色界のことをいいますが、どこへ行ってもといった意味でも用いられました。「首枷」は罪人の首にかける刑具で、罪人を束縛するもの。」
とある。子煩悩は成仏の妨げになり、前世現世来世と輪廻を繰り返す。
ただ、実際にはそんな宗教的な意味ではなく、子供を育てるためには働いて稼がなくてはいけないし、人生の様々な制約になるという現世的な意味で用いられることも多かったのだろう。「かせ所帯」という言葉もある。
ましてその子が博打打なんぞになるとなおさら一生の不幸だ。
古くは「親子は三界の首枷」と言ったとなると、今の「親ガチャ」という発想も昔からあるものだったのだろう。駄目な親も十分首枷になる。
点あり。
三十二句目
博奕打子は三界のくびかせよ
こころはやみに夜もろくにねず
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注にある通り、
人のおやの心はやみにあらねども
子を思ふ道にまどひぬるかな
藤原兼輔(後撰集)
を本歌にしたもので、「やみにあらねど」ではなく「闇」だと言っておいて「夜の闇」でしたと落ちにする。
点なし。
三十三句目
こころはやみに夜もろくにねず
俄めくら夢かうつつかうつの山
「俄めくら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「俄盲」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 生まれつきではなく、病気や怪我などのために視力を失い、突然目が見えなくなること。俄盲目。
※俳諧・大坂独吟集(1675)上「俄めくら夢かうつつかうつの山 時宜にて人にあはぬ也けり〈素玄〉」
とある。
ひと夜寝し茅のまろ屋の跡もなし
夢かうつつか宇津の山越え
兼好法師(兼好法師集)
の歌もある。在原業平の蔦の細道の興で、都を追われて東国に配流になる哀れさを詠んだ歌であろう。急に眼が見えなくなる時も都を追放された時のような放心状態になる。
点あり。
三十四句目
俄めくら夢かうつつかうつの山
時宜にて人にあはぬ也けり
蔦の細道の伊勢物語オリジナルの方の、
駿河なる宇津の山辺のうゝにも
夢にも人に逢はぬなりけり
在原業平
を本歌にして時宜で人に会わないと転じる。
点あり。
三十五句目
時宜にて人にあはぬ也けり
夕ぐれの月のさはりの女かも
「月のさはり」は月経のこと。そういう時宜だけに人に会わない。
点なし。
三十六句目
夕ぐれの月のさはりの女かも
下十五日かよひ路の露
夕暮の月の頃の月経なので、宵闇になる十六夜以降の月の夜には通えるようになる。
点なし。
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