2023年6月8日木曜日


  今日は開成町の紫陽花を見に行った。あじさいまつりは十日からで、下見がてらに家から歩いて行ってみた。一時間半かかり、約一万二千歩だった。

 それでは「去年といはん」の巻の続き。

三裏

六十五句目

   芭蕉はやぶれて肌着一枚
 古寺のからうすをふむ庭の月

 前句の肌着一枚を寺の小坊主が唐臼を踏む重労働をして、汗かいて肌着一枚になると取り成す。
 肌着一枚に古寺の唐臼を踏む、芭蕉は破れて庭の月、となる。
 大きな寺で、宿坊まであるなら、精米する米の量も半端ではあるまい。
 点なし。

六十六句目

   古寺のからうすをふむ庭の月
 菩提もとこれ木おとこ冷じ

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は『六祖壇経』の、

 菩提本無樹 明鏡亦非台
 本来無一物 何処惹塵埃

を引いている。禅の言葉で、菩提樹の木が有り難いのではなく、明鏡の台が有り難いのではない。大事なのは心で物ではない、そんなものは塵や埃にすぎない、という意味であろう。
 実際の寺では好色の稚児はもてはやされて、色気のない木男は冷たくあしらわれ、唐臼踏みの重労働の方に回され、胚芽の粉塵にまみれている。
 木男はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「生男・木男」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 無骨な男。不粋な男。うぶな男。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※浮世草子・好色一代男(1682)八「きれいに程なくもとの木男(キオトコ)となりぬ」

とある。
 恋に転じる。
 点あり。

六十七句目

   菩提もとこれ木おとこ冷じ
 ぼんなうのきづなをきるや向髪

 向髪は前髪のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「前髪」の意味・読み・例文・類語」に、

 「② 少年や女性が髪の毛の額の上の部分を別に束ねたもの。ぬかがみ。ひたいがみ。向髪。
  ※わらんべ草(1660)二「声もたち、前髪も落てより、又こまかに心を云べし」

とある。
  ③ 元服以前の男子をいう。
  ※評判記・剥野老(1662)序「前がみのむかしをしたふはつもとゆひ、ふり袖のかほりゆかしきわかむらさき」
  ④ 男色の稚児。
  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第二一「あれともしくみ是にても恋 前髪は尻のかるいに頼あり」

とあり、向髪を切るというのは稚児を止めて衆道を卒業して出家僧になるという意味だろう。
 これまで目をかけて来たお坊さんからすればつれないものだ。
 点あり。

六十八句目

   ぼんなうのきづなをきるや向髪
 恋の山また遁世のやま

 恋はなかなか成就しがたく、恋に破れて出家する者も多い。思いを断つため遁世の山に入る。西行法師の俤か。
 点なし。

六十九句目

   恋の山また遁世のやま
 やもめでは物の淋しき事ばかり

 恋の憂きを逃れて山で隠棲すれば淋しくなる。古典的なテーマでもある。
 水無瀬三吟十句目の、

   山深き里や嵐におくるらん
 慣れぬ住まひぞ寂しさも憂き  宗祇

や、後の、

 うき我を淋しがらせよ閑古鳥  芭蕉

などの系譜になる。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 山里は物の淋しきことこそあれ
   世の憂きよりはすみよかりけり
             よみ人しらず(古今集)

を引いている。憂きと淋しきの対比はこの歌に元があったのだろう。
 点あり。

七十句目

   やもめでは物の淋しき事ばかり
 始末をしても入あひのかね

 始末はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「始末」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙
  ① 事の始めと終わり。始めから終わりまで。終始。本末。首尾。
  ※史記抄(1477)四「いかに簡古にせうとても事の始末がさらりときこえいでは史筆ではあるまいぞ」 〔晉書‐謝安伝〕
  ② 事の次第。事情。特に悪い結果。
  ※蔭凉軒日録‐延徳二年(1490)九月六日「崇寿院主出二堺庄支証案文一説二破葉室公一。愚先開口云。始末院主可レ被レ白云々。院主丁寧説破」
  ※滑稽本・八笑人(1820‐49)二「オヤオヤあぶらだらけだ。コリャア大へんな始末だ」
  ③ (━する) 物事に決まりをつけること。かたづけること。しめくくり。処理。
  ※多聞院日記‐永祿十二年(1478)八月二〇日「同請取算用の始末の事、以上種々てま入了」
  ※草枕(1906)〈夏目漱石〉二「凡ての葛藤を、二枚の蹠に安々と始末する」
  ④ (形動) (━する) 浪費しないこと。倹約すること。また、そのさま。質素。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Ximat(シマツ) アル ヒト」
  ※浮世草子・好色一代男(1682)七「藤屋の市兵衛が申事を尤と思はば、始末(シマツ)をすべし」

とある。この場合は④であろう。
 夫を亡くして寡婦となった女は経済的な柱がなく、質素倹約を強いられる。夕暮れの「入相の鐘」と「要りあひの金」を掛けている。どんなに倹約しても金が足りない。
 点あり。

七十一句目

   始末をしても入あひのかね
 一かせぎいのちのうちにと存候

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 今日もはや命の内に暮れにけり
     明日もや聞かん入相の鐘

という説経僧の常套歌があったという。
 これを入相の鐘に発心して出家を促すのではなく、金が要るの声に就職を促すふうに変える。
 長点があり、「御こころがけ尤に候」とある。

七十二句目

   一かせぎいのちのうちにと存候
 江戸まで越る小夜の中山

 江戸で一旗揚げようと、田舎から大勢の人々が江戸に集まってくる。
 「いのちのうちに」と「小夜の中山」は、西行法師の、

 年たけてまた越ゆべしと思ひきや
     命なりけり小夜の中山

の縁。
 点なし。

七十三句目

   江戸まで越る小夜の中山
 甲斐かねをさやにもみじか旅がたな

 前の西行法師の本歌に対して、

 甲斐がねをさやにも見しかけけれなく
      横ほりふせる小夜の中山
             よみ人しらず(古今集、東歌)

を逃げ歌にする。「さやのなかやま」を刀の鞘に掛けて、短い旅刀かな、とする。
 点なし。

七十四句目

   甲斐かねをさやにもみじか旅がたな
 似せ侍もいさやしら雪

 甲斐が嶺から、

 甲斐がねは山の姿もうづもれて
     雪の半ばにかかる白雲
             順徳院(夫木抄)

などの歌に詠まれてるように、甲斐が嶺の雪を付ける。
 似せ侍は侍を装った盗人だろうか。本物かどうかわからない長刀をちらつかせて脅すが、旅人も旅刀で武装していて、まさかの返り討ちに合う。
 点なし。

七十五句目

   似せ侍もいさやしら雪
 たつときも団左衛門も花に来て

 前句の似せ侍を非人団左衛門とする。非人頭で帯刀していても武士ではない。
 前句の白雪を散る花の比喩として花の定座を繰り上げ、団左衛門の旅立ちとする。
 点なし。

七十六句目

   たつときも団左衛門も花に来て
 あるひは猿楽蝶々の舞

 前句の団左衛門を歌舞伎役者とする。歌舞伎役者も非人身分だった。
 芸達者で、花見の余興に猿楽の蝶の精の舞を見せてくれる。謡曲『胡蝶』であろう。

 「四季折折の花盛り、四季折折の花盛り、梢に心をかけまくも、かしこき宮の所から、しめの内野も程近く、野花黄蝶春風を領し、花前に蝶舞ふ紛紛たる、雪を廻らす舞の袖かへすがへすも、面白や。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1620). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 長点で「猿かれにあふては猫のまへの蝶に候」とある。「猿かれ」はよくわからないが、本物の猿楽師が見たなら、歌舞伎役者の見真似芸は猫の前の蝶ということか。

七十七句目

   あるひは猿楽蝶々の舞
 春日野は七日が間のどやかに

 前句を本物の猿楽として、奈良の春日の興福寺で行われる薪御能とする。かつては薪猿楽と呼ばれていて、コトバンクの「世界大百科事典内の薪猿楽の言及」に、

 「…奈良興福寺の修二会(しゆにえ)に付した神事猿楽で,薪猿楽,薪の神事とも称され,東・西両金堂,南大門で数日間にわたって行われた。《尋尊御記》には〈興福寺並びに春日社法会神事〉,《円満井(えんまい)座壁書》には〈御神事法会〉,世阿弥の《金島書(きんとうしよ)》には〈薪の神事〉などと記されている。…」

とある。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「二月七日から七日間」とある。元は修二会の行事で、二月堂のお水取りも修二会の行事だった。
 長点で「近々来春も見るやうに候」とある。

七十八句目

   春日野は七日が間のどやかに
 若菜つみつつ今朝は増水

 増水は雑炊のこと。七草粥のこと。前句の七日を正月の七日の七草の日に取り成す。
 点あり。

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