2023年6月16日金曜日

  それでは「松にばかり」の巻の続き。

初裏
九句目

   わたしの舟を出さふ出すまひ
 都鳥とへばしれたる似せなまり

 『伊勢物語』の有名な都鳥の場面で、

 「渡守、はや舟にのれ、日くれぬと言ひければ、舟に乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なくしもあらず、さる折に、白き鳥の、嘴と脚と赤き、川のほとりにあそびけり。京には見えぬ鳥なりければ、みな人見知らず、渡守に、これは何鳥と問ひければ、これなむ都鳥と言ひけるを聞きてよめる。

 名にしおはばいざ言問はむ都鳥
     わが思ふ人はありやなしやと」

というくだりで、京にはいないはずの今でいうユリカモメが都鳥だと言っているのに掛けて、どこかの渡し舟で都から来たとか言ってる人も結構似せみやこびとだったりする。今でも世界で似せ日本人が結構いるとかいうが、多分都人を装った方が待遇が良かったのだろう。
 京都人だから金持ってると思って船頭が船を出そうかというと、どうも口ぶりが怪しい。船を出すのをやめる。
 長点で「京の似せ侍、よく見立られ候」とある。

十句目

   都鳥とへばしれたる似せなまり
 歌の師匠をとるやむなぐら

 和歌の師匠を取るからきちんと和歌を習おうというのかと思ったら、胸ぐらをつかんできた。粗暴で居丈高でこんなのが和歌などものになるはずもない。
 長点で「弟子坂東ものにや」とある。坂東武者のイメージだったのだろう。あくまでイメージだが薩摩隼人がホグワーツに入学するようなものか。ちなみに薩摩のチェストの掛け声は英語のchest(胸)から来たとも言う。

十一句目

   歌の師匠をとるやむなぐら
 目に見えぬ鬼もやはらで打たふし

 古今集仮名序には「めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ」とあるが、歌で感動させるのではなく胸ぐら掴んで柔術でやっつける。まだ武器を用いない辺りが風雅なところか。
 長点で「鬼泣躰相見え候」とある。鬼泣躰は定家の和歌十体の鬼拉躰に掛けている。鬼拉躰はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「拉鬼体」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 藤原定家がたてた和歌の十体の一つ。強いしらべの歌。のち、能楽の風体にも用いられた語。拉鬼様。→十体(じってい)②(ハ)。
  ※毎月抄(1219)「かやうに申せばとて必ず拉鬼躰が歌のすぐれたる躰にてあるには候まじ」

とある。

十二句目

   目に見えぬ鬼もやはらで打たふし
 年越の夜はただ一寐入

 前句を節分の鬼やらいとする。豆まきではなく柔術で退治して無事に年を越す。あるいは年末の借金取りを撃退した比喩か。
 点あり。

十三句目

   年越の夜はただ一寐入
 するすると往生申鉢たたき

 京の年末の風物の鉢たたきも年越しを以てして仕事は終わり、これで死後の極楽往生も確実と安心して年を越す。
 「するする」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「するする」の意味・読み・例文・類語」に、

 「[1] 〘副〙 (多く「と」を伴って用いる)
  ① 人や動物などが、速やかに滞りなく移り動くさまを表わす語。
  ※古今著聞集(1254)二〇「枝をよこたへて、そばよりするするとよりて、くびのねをつよく打たりければ」
  ※源平盛衰記(14C前)三七「小長刀を取り、十文字に持て開き、するすると歩みより」
  ② 棒状、帯状のものが勢いよく伸びるさまを表わす語。
  ※宇治拾遺(1221頃)三「三ところに植てけり。例よりもするすると生たちて、いみじく大になりたり」
  ③ 物事が滞りなく行なわれるさま、なめらかに進行するさま、支障なく速やかに行なわれるさまを表わす語。すらすら。
  ※風姿花伝(1400‐02頃)六「直に舞ひ謡ひ、振りをもするするとなだらかにすべし」
  ※異端者の悲しみ(1917)〈谷崎潤一郎〉一「不思議や次第に円盤がするするするする廻転し始めて」

とある。
 長点で「うらやましく候」とある。

十四句目

   するすると往生申鉢たたき
 うづめば土と成しへうたん

 鉢たたきとは言っても実際には瓢箪を打ち鳴らしている。
 鉢叩きは死ぬと愛用の瓢箪も一緒に土に埋めるということか。知らんけど。瓢箪も土に返る。
 長点で「何もかもひよひよらへうたんに成候」とある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は狂言『節分の小歌』の「此方へちやつきりひよ。ひよひよらひよ、瓢箪つるいて面白や」のフレーズを引いている。
 「ひよひよらひよ」は日常でも使われたフレーズなのか、「ひよひよらひよになる」を掛詞にして「ひよひよらへうたんになる」としている。

十五句目

   うづめば土と成しへうたん
 貧しきが住こし跡を田畠に

 困窮して先祖代々の屋敷も解体して田畑に変えて細々と暮らす。家を田畑に埋めれば土となって、そこで瓢箪を栽培する。
 点なし。

十六句目

   貧しきが住こし跡を田畠に
 いつくたままぞよはる虫の音

 「いつくたまま」は「いつ食ったまんま」。前句を住人がいなくなって田畠は荒れ放題で、虫も食う物がなくて困ってる、とする。
 長点で「貧家の旧跡、虫までめいわく尤に候」とある。

十七句目

   いつくたままぞよはる虫の音
 露霜の置ばさび付鼻毛ぬき

 虫の音は霜で弱るもので、

 虫の音もほのかになりぬ花薄
     秋のすゑはに霜やおくらむ
            源実朝(続古今集)

などの歌に詠まれている。
 露霜が降りれば花薄は枯れ、鼻毛抜きは錆びる。
 点あり。

十八句目

   露霜の置ばさび付鼻毛ぬき
 座敷の壁に月の鏡を

 霜に鏡は李白の、

   秋浦歌   李白
 白髪三千丈 縁愁似箇長
 不知明鏡裏 何処得秋霜
 (白髪頭が三千丈、悩んでいたらまた延長。
  鏡は誰だかわからない、どこで得たのかその秋霜。)

の縁になる。この場合の鏡に映る霜は白髪のことだが、それが月の鏡というのが意味がよくわからない。
 壁に穴が開いて月の鏡が顔を出して、鼻毛抜きも錆びているという廃墟の情景か。
 点なし。

十九句目

   座敷の壁に月の鏡を
 肴舞鍾馗の聖霊あらはれて

 肴舞はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「肴舞」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 酒宴の席で肴として舞う踊り。酒の席に興を添える舞い。
  ※禅鳳雑談(1513頃)「ただ、さかな舞は何(いか)にも何(いか)にもかかはらず、さきへやり候て、しまひを、ふしのごとくひゃうしにのせ候てよく候」
  ② 病気の平癒を祝っておどる舞い。床上げの祝の舞い。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「座敷の壁に月の鏡を 肴舞鏱馗の精霊あらはれて〈素玄〉」

とある。この句が用例になっている。
 鍾馗様は疫病除けの神様で、ウィキペディアに、

 「ある時、唐の6代皇帝玄宗が瘧(おこり、マラリア)にかかり床に伏せた。
 玄宗は高熱のなかで夢を見る。宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。玄宗が大鬼に正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗。武徳年間(618年-626年)に官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。だが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた」と告げた。
 夢から覚めた玄宗は、病気が治っていることに気付く。感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の絵姿を描かせた。その絵は、玄宗が夢で見たそのままの姿だった。」

とある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『皇帝』を引いていて、謡曲では楊貴妃の病気を治す話になっていて、そこでは、

 「ワキヅレ 勅諚尤も然るべしと、月卿雲客一同に、明王鏡を取り出だし、御枕近き御几帳に、立て添へてこそ置きたりけれ。 
  地    かくて暮れ行く雲の脚、かくて暮れ行く雲の脚、漂ふ風も、凄しく、身の毛もよだつ折節に、不思議や鏡のそのうちに、鬼神の姿ぞ映りける。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3466). Yamatouta e books. Kindle 版. )

と鍾馗が鏡の中で病魔を退治する。
 鍾馗が病魔を退散させて肴舞となり、座敷の壁にはその時の鏡がある。
 長点だがコメントはない。

二十句目

   肴舞鍾馗の聖霊あらはれて
 ぞつとするほどきれな小扈従

 前句の肴舞と美しいお小姓の舞とする。謡曲の鍾馗の聖霊の舞を舞うということか。
 点なし。

二十一句目

   ぞつとするほどきれな小扈従
 もみうらのだての薄着を吹あらし

 「もみうら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「紅裏」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 もみを衣服の裏とすること。また、その裏地。
  ※俳諧・玉海集(1656)四「絹ならで皆もみうらのかみこかな〈梅盛〉」

とあり、もみは「精選版 日本国語大辞典 「紅・紅絹」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 (紅花を揉んで染めるところから) べに色で無地に染めた絹布。和服の袖裏や胴裏などに使う。ほんもみ。
  ※俳諧・犬子集(1633)一「春風のもみ紅梅はうら見哉〈親重〉」
  ※夜明け前(1932‐35)〈島崎藤村〉第二部「眼のさめるやうな京染の紅絹(モミ)の色は」

とある。
 嵐に薄物の衣が裏返って赤い裏地がちらちらするのは、今日のパンチラのようにそそられるものだったのだろう。
 後の『去来抄』に、

 時雨るるや紅粉(もみ)の小袖を吹かへし 去来

の句に対し、「正秀曰、いとに寄のたぐひ、去来一生の句くずなり。」とあるのも、談林時代から使い古されたネタだったということがあったか。
 点あり。

二十二句目

   もみうらのだての薄着を吹あらし
 頭巾の山やまたこひの山

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は『柳亭筆記』に浮世狂いの和歌とのばらの被る赤裏頭巾を挙げている。遊郭通いの男は頭巾で顔を隠したりしたが、その裏地にもみを使って洒落ていたか。
 点あり。

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