2023年6月5日月曜日


 今日は熱海のジャカランダを見に行った。そのあと真鶴と小田原城にも寄った。
 日本のアニメの世界はもちろん現実の日本よりはかなり美化された世界で、多分アメリカ映画も同じだろう。
 美化された分というのは、まあ理想が含まれていると言って良い。
 日本の異世界ファンタジーもまた日本人の理想を反映していると思う。
 現実の日本も、無国籍というくらいいろんな国のそれっぽい建物があって全然統一感がないが、日本人には世界の縮図を作りたかるところがある。
 異世界ファンタジーは、町の景観はヨーロッパ風、特にドイツ風が多い。だけどもちろん旅を進めるうちに中東風の街に行ったり和風の街に行ったりするのはほぼお約束。
 基本的に異種族が共存する街が多い。そこには獣人族への差別があったり奴隷化されてたりというのはお約束だが、多様なものの共存という所は常に基本にある。獣人族、エルフ、ドアーフ、リザードマン、魔族、吸血鬼、ドラゴンなどの共存をテーマにしたものは多い。ゴブリンやオークはしばしば悪役で討伐対象になるが、平和共存する作品も多い。
 また、BLや百合要素を入れるのも定番で、TS物も多い。
 基本的には排他的な人間中心主義を排して、多種族共存を目指す物語が多い。
 日本人は自分の国の中に世界の縮図を作りたがってるのかもしれない。だからこそ、一つの価値観がこの国を支配したりすることに抵抗する。西洋であっても中国であっても韓国であってもイスラムであっても、ほどほどのところで日本の文化との共存を図ってくれるものには抵抗しないが、一線を越えるとどうなるかということはどこの国の人も気を付けた方が良い。
 それでは「去年といはん」の巻の続き。

二表

二十三句目

   梅の立枝にこく鳥のふん
 我宿の箒木の先やかすむらん

 梅の立枝から落ちた鳥の糞を掃いたので、箒の先が霞む。汚れるのは分るけど霞むというのは意味がよくわからない。春の句だから無理やり入れた季語という感じがする。
 点なし。

二十四句目

   我宿の箒木の先やかすむらん
 ありとは見えて棟の天水

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 園原や伏屋におふる帚木の
     ありとは見えてあはぬ君かな
             坂上是則(新古今集)

を引いている。本歌と見ていい。
 天水はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「天水」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 空と水。水天。
  ※性霊集‐五(835頃)為大使与福州観察使書「但見天水之碧色、豈視山谷之白霧」
  ② 天から降った水。雨水。
  ※続古事談(1219)四「座の前に鉢を置きて、天水をまちてうけて飲む」
  ③ 「てんすいおけ(天水桶)」の略。
  ※俳諧・犬子集(1633)七「屋ねにもなくや蛙鶯 天水に枝をさしたる梅花」

とあり、天水桶は、

 「〘名〙 防火用に雨水を貯えておく大桶。昔は屋根の上・軒先・町かどなどに置き、雨樋(あまどい)の水を引いた。また、江戸時代、吉原では、大桶の上に小桶を杉形(すぎなり)に積んで、飾り物ともした。天水。」

とある。
 箒が霞むんだから軒先の天水桶も霞む。霧ならともかく、春の霞みでそんな近くにあるものが霞むのは無理がある。
 点なし。

二十五句目

   ありとは見えて棟の天水
 一生は棒ふり虫のよの中に

 棒ふり虫はボウフラのことで、「一生を棒に振る」と掛ける。
 無芸無才でも何とか生きて行ける所はあっても、それがいつまでも続くとは限らない。軒の天水はボウフラが棲むにはいいが、いつまでもその水があるわけではない。
 長点があり、「狂言綺語観念のたよりに候」とある。人の一生をボウフラに喩えて一寸先は闇の教訓にする。

二十六句目

   一生は棒ふり虫のよの中に
 かち荷もちして日ぐらしの声

 「かち荷」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「徒荷・歩行荷」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 陸路を人足が荷物をかついで運ぶこと。また、その荷物。馬や舟による輸送に対していう。かちにもつ。
  ※仮名草子・尤双紙(1632)下「取らるる物の品々〈略〉商人のかち荷(ニ)は山だちにとらる」

とある。
 前句の「棒ふり」から天秤棒で荷物を運ぶ徒荷持ちをしては日当を貰ってその日暮らしをする。日暮らしは蜩に掛る。
 何か失敗して一生を棒に振ってしまった成れの果てであろう。
 点あり。

二十七句目

   かち荷もちして日ぐらしの声
 山姥や月もろ共に出ぬらん

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『山姥』の、

 「仏あれば衆生あり・衆生あれば山姥もあり。柳は緑、花は紅の色色。さて人間に遊ぶ事、ある時は山賤の・樵路に通ふ花の蔭、休む重荷に・肩を貸し月諸共に山を出で、里まで送る折 もあり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.4288). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。前句の「かち荷もちして」が「休む重荷に・肩を貸し」と重なり、山姥は月もろともにとなる。
 この本説付けもそのまんまでオリジナリティを欠く。
 点なし。

二十八句目

   山姥や月もろ共に出ぬらん
 はるる舞台のまへの前きり

 前句の山姥を能舞台の上の山姥を演じる役者として、舞台の霧が晴れるとする。
 「前きり」は切前か。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「切前」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 一日の興行の最後から一つ前の番。また、その演目。切狂言、切舞、切語り、真打(しんうち)などの始まる以前、またはそこに出演する芸人。
  ※化銀杏(1896)〈泉鏡花〉二「唯(はい)、ですから切前(キリマヘ)に帰りました」

とある。
 山姥は切能物(きりのうもの)で五番目物とも言い、最後に演じられる。その頃に舞台霧が晴れ、月も現れる。
 霧が晴れて月が見える情景は比喩にしても、実際の能舞台のリアリティを欠くか。
 点なし。

二十九句目

   はるる舞台のまへの前きり
 巾着も大慈大悲の観世音

 大慈大悲はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「大慈大悲」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 (「大慈」は、衆生に楽を与えること。「大悲」は、衆生の苦をとり除くことの意)仏語。広大無辺の慈悲。特に、観世音菩薩の大きな慈悲をたたえて、観世音菩薩そのものをさすことがある。
  ※法華義疏(7C前)二「従二大慈大悲一以下。歎二外徳一。言如来以二大慈大悲一。常無二懈惓一」
  ※保元(1220頃か)上「聖代聖主の先規にたがはず、罪ある者をもなだめ給事、大慈大悲の本誓に叶ひまします」

とある。
 前句の前切を巾着切りとする。巾着切りはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「巾着切」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 (「きんちゃっきり」とも) 人混みにまぎれて、または人とすれ違う時に、他人の巾着や懐中物などをすりとる者。すり。ちぼ。ちゃっきり。巾着すり。
  ※子孫鑑(1667か)中「あるひは博奕あるひはきんちゃくきり、さてはこつじきなどして」

とある。前巾着切りとなることで、ここでは前巾着を切る、前巾着はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「前巾着」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 前腰のあたりに下げる、小銭などを入れる巾着。まえさげ。
  ※俳諧・宗因七百韵(1677)「ちとこなた目をかりませう質の札〈素玄〉 前巾着の口をあけつつ〈定祐〉」

とある。
 芝居小屋に入るところの雑踏で前巾着を盗まれてしまう。巾着は大慈大悲の観世音くらい大事なもの、血も涙もない。
 ありそうなことだが、意味が取りずらいのが難か。
 点なし。

三十句目

   巾着も大慈大悲の観世音
 南をはるかに見る遠めがね

 前句の巾着を遠眼鏡入れとする。
 巾着から遠眼鏡を取り出してはるか南を見れば、大慈大悲の観音堂が見える。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『熊野』の、

 「シテ:南を遥かに眺むれば、
  地 :大悲擁護の薄霞、熊野権現の移ります御名も同じ今熊野、稲荷の山の薄紅葉の、青かりし葉の秋また花の春は清水の、ただ頼め頼もしき春も千千の花盛り。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.1537-1538). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 点あり。

三十一句目

   南をはるかに見る遠めがね
 鉄砲の先にあぶなきおとこ山

 男山はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「男山」の意味・読み・例文・類語」に、

 「[1] 〘名〙
  ① けわしい男性的な山。一対の山のうち、一方を男性に見たてていう語。男岳(おだけ)。⇔女山。
  ② 兵法で、見晴らしがきいて敵が攻め上るのに不便な山をいう。陽山(ようざん)。⇔女山。
  ③ 兵庫県伊丹地方から産出される銘酒。
  ※洒落本・金錦三調伝(1783)「酒は二合ばかし。もちろんけんびしか男山」
  ④ 香木の名。分類は伽羅(きゃら)。百二十種名香の一つ。
  [2] 京都府八幡(やわた)市の北部にある山。淀川を隔てて天王山と対する。京都への西の関門をなし、南北朝以来しばしば戦場となる。山頂に石清水八幡宮がある。標高一四二メートル。雄徳山。八幡山。御山(おやま)。」

とある。
 京の都から遠眼鏡で南を見れば石清水八幡宮のある男山が見える。そこは昔から戦場となった所で、鉄砲で多くの人の撃たれた危ない場所だ。
 長点はあるがコメントはない。

三十二句目

   鉄砲の先にあぶなきおとこ山
 ふるぐそく着てたてるとおもへば

 古いぼろぼろの具足では鉄砲の弾も簡単に通してしまって危ない。
 これも長点はあるがコメントはない。まあ、説明不要か。

三十三句目

   ふるぐそく着てたてるとおもへば
 ひかへたるかのやせ馬に針の跡

 古具足に痩せ馬とくればあの「いざ鎌倉」の佐野源左衛門。謡曲『鉢木』に、

 「かやうにおちぶれては候へども、御覧候へ、これにちぎれたる具足一領持ちて候。錆びたれど薙刀一えだ。痩せたれどもあれに馬を一匹繋いで持ち置きて候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2977). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とある。
 馬に一応「針の跡」というオリジナルにないものを加えているが、この種の本説付けには点が辛いようだ。まあ、古具足が出た時点で展開が見えているということもある。
 点なし。

三十四句目

   ひかへたるかのやせ馬に針の跡
 姉が小路をくろ木はくろ木は

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「縫針師、都において根本姉小路に住して其名高」(人倫訓蒙図彙)とある。
 「くろ木」は後の元禄二年の「かげろふの」の巻二十七句目に、

   黒木ほすべき谷かげの小屋
 たがよめと身をやまかせむ物おもひ 芭蕉

とあるように、京都大原は古くから炭焼きの盛んなところで、炭だけでなく乾燥させた黒木も薪として大原女が売り歩き、都で用いる燃料を供給していた。
 その大原の黒木売りの引く馬には姉小路の縫針師によって傷が縫われた跡がある。
 ここでは馬を引いた男の炭売で「くろ木はくろ木は」は売る時の言葉になる。
 新味もあって長点があり、「八瀬一ばんのだてものの句体に候」とある。

三十五句目

   姉が小路をくろ木はくろ木は
 えいやえい三条殿の床ばしら

 前句の黒木を床柱にする黒きに取り成し、それを引いて三条殿の屋敷に運ぶ情景とする。
 三条殿はコトバンクの「世界大百科事典内の三条殿の言及」に、

 「【足利直義】より
  …父貞氏,母は尊氏と同じ上杉頼重の女清子。兵部大輔,左馬頭を経て相模守,左兵衛督となり,住宅のあった京都の地名から三条殿,錦小路禅門などと呼ばれた。元弘の乱当時にはすでに壮年に達していたが,鎌倉幕府の中枢に登用された形跡はない。…」

とある。
 点あり。

三十六句目

   えいやえい三条殿の床ばしら
 鳶口もつてくるよしもがな

 材木を運ぶ時には鳶口を用いる。
 鳶口持って来てほしいものだ、ということだから、鳶口がなかったのだろう。何で鳶口がないのかは不明。
 点はないが、「『ひとにしられで』のうたに候や」とコメントがある。

 名にしおはば相坂山のさねかづら
     人にしられでくるよしもがな
            藤原定方(後撰集)

の歌は百人一首でもよく知られている。

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