2023年11月28日火曜日

 今日は芭蕉さんの命日で時雨忌とも言うけど、旧暦と新暦との関係で結構ややこしいことになっている。
 芭蕉さんが大阪で亡くなったのは元禄七年十月十二日で、その日は新暦の十一月二十八日だから、今日がその命日になる。
 ただ、単純に旧暦十月十二日ということだと、命日は今年の場合新暦の十一月二十四日ということになる。
 それだけでなく、新暦の十月十二日を命日とする人もいるし、明治政府が旧暦の行事を禁じたため、月遅れで十一月十二日を命日としている所もある。伊賀上野ではこの日にイベントが行われっている。
 つまり、芭蕉の命日と言っても十月十二日、十一月十二日、十一月二十四日、十月の二十八日と四回あることになる。
 人生は旅で、旅の中でみんな旅をしている。慈鎮和尚の歌に、

 旅の世に又旅寝して草枕
     夢のうちにも夢を見るかな

とある通りだ。

 時雨きや今日八十億旅途中

 芭蕉さんの死を看取った之道の門人に呑舟と舎羅がいた。その発句。

 初めての千鳥も啼や礒の塚   呑舟(枯尾花)
 をく霜に声からしけり物狂   呑舟(有磯海)
 日ざかりの花やすずしき雪の下 吞舟(有磯海)

 短夜を明しに出るや芥子畠   舎羅(西華集)
 起々の心を宿の新茶かな    舎羅(西華集)
 慰に斎ふるまはむ鉢たたき   舎羅(西華集)

2023年11月11日土曜日

 「野ざらし」のあとがきに、

 ≪本書は平成十二(二〇〇〇)年に東京図書出版会から共同出版した『野ざらし紀行─異界への旅─』を一部加筆修正したもので、あれから十二年たったとはいえ、句の解釈などの基本的な部分はほとんど変えてはいない。ただ、社会情勢などは随分変ったので、書き改めた部分のほとんどはそれに関わる部分だった。
 「俳句を解説した本はこれまでも数多くあるが、その大半は俳句の作者、いわゆる『俳人』によって書かれたものだ。」と以前に前書きで書いたが、その状況は今でも何も変ってないと思う。大学の研究者とはいえ、やはり何らかの形で俳人と交流し、俳句の指導を受けたり、結社に所属したりしていて、実質的には「俳人」と何ら変わりない。彼らのにとって大事なのは、今の自分達の俳句をいかに正当化するかであり、そのための研究だけが粛々と進められている。
 作者と研究者と結社、それにその結社の背後となる政治団体、それは「俳句村」といってもいい。古典俳諧にしても近代俳句にしても、自由な研究はこうした俳句村の外から行なわれなくてはならない。また、従来の結社の論理にとらわれない新しい古典の読解こそが、むしろ俳句の創作の方でも新たな可能性を切り開くのではないかと思う。
 今日では俳句の世界は高齢化が進み、その権威も世間に与える影響力もかなり弱まっている。芭蕉に関しても、一見研究され尽くされたかのように見えるが、むしろ本当の研究はこれから始まるのではないかと思っている。本書もそのきっかけになれば幸である。≫

とあったが、これを書いた二〇一二年の頃から何一つ状況はかわっていないので、結局こう書き加えておいた。

 ≪と、このあとがきを書いてからさらに十一年が経過し、再び大幅に修正することとなったが、状況は未だに何一つ変わってないのには驚きというよりもすでにあきらめの境地に入っている。願わくばこのまま俳句が永遠に日本から消え去るなんてことのないことを祈るのみだ。≫

2023年11月4日土曜日

  高濱虚子の「五百句」に、

 もとよりも恋は曲者の懸想文 虚子

の句があった。今となっては難しい句だ。
 まず季語は懸想文で春(歳旦)だが、これは正月にやって来る懸想文売りというのがいて、寛文三年の「増山井」に、

 けさう文売 俳 同 桃符 桃板 桃梗 仙木 鬱塁 神荼
 是ハもろこしのならはしに桃の木の札に神荼鬱塁の二神の形を絵に書て元日に門にたてて凶鬼を防ぐ業し侍りこれを桃符とも桃梗とも桃板仙木などもいへり 事文

とある。事文は「事文類聚」の引用ということか。
 懸想文は現代では京都須賀神社の節分の時に授与するものとして残っている。
 句の方では、呪符としての懸想文に本来の恋文の意味を掛けて、恋は曲者の懸想文と繋げている。
 この「恋は曲者」も出典のある言葉で、謡曲『花月』に由来する。
 七歳の息子が天狗にさらわれ、世を儚んで出家した僧が清水の門前で小歌を謡い曲舞を舞う少年のことを知る。その小歌の中に「恋は曲者」のフレーズがあり、少年が僧に体を売る衆道であることが仄めかされる。
 このフレーズは延宝六年の、「実や月間口千金の通り町 桃青」を発句とする歌仙の挙句に、

   花の時千方といつし若衆の
 恋のくせもの王代の春 卜尺

という形で、やはり衆道を仄めかすものとして用いられている。
 この句の意味は札に描かれた神荼鬱塁の二神がどちらも髭面の男で、それが懸想文と呼ばれていることから、この二神は同性愛者で「もとよりは恋の曲者」だということだろう。
 五百句の初めの方に位置することから、明治二十年代の、まだ子規が生きていた頃の句だろうか。江戸の俳諧の名残を留めていてなかなか面白い。
 この句は高濱虚子に季重なりの句がないかどうか朝日文庫の「高濱虚子集」をめくって見つけたものだ。一つ前の句は、

 しぐれつつ留守守る神の銀杏かな 虚子

で、予想通り「時雨」「神の留守」「銀杏」と三つの季語を用いた句が存在していた。この時代の人が季重なりに頓着しなかったのは明らかだ。

 あと、鈴呂屋書庫の『笈の小文─風来の旅─』の書き直しが終わったのでよろしく。