2023年4月22日土曜日

 この世から戦争をなくす方法というのは原理的にはものすごく簡単だが、やるとなると途方もなく難しい。
 その簡単な答えというのは「人口に見合った生産力を持つ」というだけのことだ。
 近代以前の社会では人口を抑制する方法がなかった。戦後の先進諸国のみが高度成長と少子化が同時に起きて、戦後七十余年の平和な時代が訪れた。
 それを世界中に広めれば戦争はなくなる。簡単なようで難しい。
 そこに辿り着くことに絶望した新興国、つまりロシアがその望みを根底から破壊しようとしている。
 そして未だに人口も生産力も無視して、ただ富を平等に配分するだけで平和になると信じている糞どもが世界中にいる。

 「人口に見合った生産力を持つ」ということを転スラのジュラ・テンペスト連邦国を例に取るなら、この国の経済は基本的にジュラの大森林の開拓に依存するものだったため、人口増加で周辺の国々との接触を余儀なくされるや否や、戦争が避けらないものとなり、大虐殺を行った。
 「異世界のんびり農家」の場合も、経済的基盤は死の森の開拓に依存している。あのまま人口が増え続けて、死の森を開拓し尽くしてしまったらどうなるか、心配だ。

 マルクスは人口の問題に何の関心もなく、しかも資本論で拡大再生産を搾取だと断罪した。
それゆえマルクス主義は飢餓と粛清を生む危険思想となった。
にもかかわらず、ただ富を平等に配分するだけで平和になると信じている糞どもが世界中にいる。
 人口増えても生産力がなければ飢える。当たり前体操。

2023年4月21日金曜日

 ChatGPTは実際のところ平気で噓をつくし、嘘を指摘してもいろいろ言い訳して一向に改めようとしない。まあ、ある意味それも人間臭いけどね。
 多分AIは「無知の知」を認識できないのだろう。持っているデータが絶対的な真実であり、未知のものが存在するということを認識できてない。
 ネットで検索し得たデータをまず最初に回答して、そこで終わりにすれば良いものを、そのあと必ず余計なことを付け加えて、それがほとんど出鱈目だったりする。つまりここまでは知ってる、これ以上は知らない、という判断ができてない。
 知らないものを回答しようとするから、出来合いのデータをランダムに組み合わせて、一つの答えを捏造する。まあ、人間でも知らないのを認めたくない時に、こういう嘘をつく。それが仮説として成立する範囲ならいいが、残念ながら完全に出鱈目になる。知らないことに関して、ひょっとしたらこうかもしれないという仮説を立てることすらできない。
 無知の知を認識させるというのは、多分AI開発の上ではかなり困難な課題で、ネックになっているのだろう。
 AIが知らないということを認識し、知らないことに対して仮説を立てるまで行けたら、一気に信頼度が上がる。今のChatGPTは仕事でも学校でもはっきり行って「使えねぇー」。特に職場では情報流出の問題も指摘されているし、原則禁止で良いんじゃないかと思う。
 学校のテストやレポートや卒論で使ったとしても、稀に正解することもあるかもしれないが、ほとんどの場合落第するんじゃないかと思う。
 無知の知を知るというのは、論理の不完全性を認識することであり、AIのプログラム自体に、自らのプログラムが完全でないことをプログラムしなければならない。これがどういうことなのか、AIの開発者じゃないからわからないが、可能であるなら挑戦してほしい。
 逆に言えば無知の知を知るというのは人間ならではの高度な能力だということだ。

 人間が嘘をつくのは無知の知を知らないからではなく、無知を認めたくないからだ。
 ここで一つ問題なのは、真理は人間が主体的に作ることができるという左翼の間にある一つの哲学だ。
 真理はイデオロギーであり、特定の階級が自らを正当化するために真理を作るという所から来ているが、真理が自由に任意に作ることができるなら、それが真理なのかどうかという問いは存在しないことになる。真理だと言えば真理になる。俺が真理だ、階級が真理だというだけで、それが間違ってるかもしれないという可能性を思考できなくなる。
 今の左翼が陥ってるのは、結局自らの革命のための方便でついてきた嘘ですら、真理は主体的に作るものだという哲学によって無条件に真実になってしまい、過去についた嘘の過ちを認めることができないばかりか、結果的に嘘に嘘を積み重ねていくことになる。まるでChatGPTだ。
 そもそも共産主義者というのは革命を起こして革命憲法を作るという人たちなんで、それが護憲を言うのは、戦後長いこと日本の大衆に護憲ムードがあって、人気取りのためにすぎなかったはずだ。この時点で既に左翼は嘘をついていた。
 護憲を正当化するために、軍国主義の復活を防ぐということと米帝の世界征服の手先になると言い続け、政府自民党が常にこれを企んでると宣伝し続けてきた。ここで最初の嘘にもう一つの嘘を重ねた。
 この嘘がバレるのが恐くて、更にもう一つの嘘を重ねた。それが統一教会陰謀論だ。ついこの間まで安部元首相が戦争を起こそうとしてると言ってたのに、実は安倍元首相は統一教会に操られてたなんて言い出した。ここまで嘘を重ねるとシュールだ。
 日本共産党は民族自決の立場に立つ以上は、日本という国を守ることに責任を持たなくてはならない。だが本来革命憲法を作るはずが、大衆迎合で護憲に回ってしまったため、矛盾が生じている。
 もとより日本共産党が独自の軍隊を持っているわけではない。侵略を受けたら国を守るのは自衛隊しかないのは分っているはずだ。だから、非常時には自衛隊も利用するというのは当然だ。ただ、違憲だが利用するというこの矛盾は避けられない。
 多分、共産党内でもこの辺りはかなりもめていて、それがあの除名騒動になったのではないかと思う。
 他の永久革命系の左翼は基本的に国を守らずに逃げることを奨励する。日本での革命運動から亡命国や他国支配下での革命運動に移行するだけで、革命運動は継続できると考えている。
 台湾有事に関しては米国の世界征服というのが根底にあるため、台湾有事への介入は事実上の中国侵略ということにされている。
 台湾有事は自由主義のやむを得ない防衛ではなく、あくまで任意に始める侵略戦争であるという前提があるから、そこからアメリカは直接手を下さずに、日本に代りに戦ってもらおうとしているという妄想が生じている。
 彼らは自分たちの長年の活動の中で作り上げてきた思想が無条件に真理になっていて、それを疑うことができなくなっている。ただ、人間だからいつかはそれに気づく。ただそれは今のところ除名や粛清という形での離脱しかならない。

2023年4月20日木曜日

 今年はたくさん花見ができた。
 一月十二日の大井町の水仙に始まり、寄の蝋梅、吾妻山の菜の花、一月二十八日には土肥桜を見に行った。途中の山には前日の雪が残っていた。

 蝋梅の雫に溶ける霙かな
 雪残る道をはるばるとひ桜

 そのあと二月四日に熱海桜を見に行った。桜まつりの猿回しが復活していた。

 久しぶりに熱海桜の猿回し

 二月六日には曽我梅林、十七日には小田原フラワーガーデンの梅、二十日は西平畑公園の河津桜、三月には南足柄市の春めき桜を三回見に行った。
 他にも水無川沿いのおかめ桜、白泉寺の枝垂れ桜、寄の枝垂れ桜、弘法山の桜、そして千村の八重桜に泉蔵寺のチューリップ。

 飛び込むやかはづ桜の紅の海
 おかめ桜空は二ノ塔三の塔
 枝垂れ桜無数のアーチ降りそそぐ
 夜桜に適度な闇を俺にくれ
 いにしへの言葉も添うや八重桜
 遊ぶ子の声たのもしやチューリップ

 四月四日は山梨の桃も見に行った。

 人の血よさわげよ笑え桃の花

 名所ではないけど、国道246の道路脇の菫、

 国道の脇も何やら菫咲く

 谷津湧水の山吹、

 山吹や秦野も名水の里なれば

 よねやま公園の藤、

 藤咲いて心の鬼も消えればな

 吾妻山のツツジ、小田原城の御感の藤も見て、今年も花見のシーズンもこれで大体終わり。

 八重桜葉に埋もれて静まりぬ

2023年4月19日水曜日

 今日は南足柄市の祥龍山金剛寺の牡丹を見に行った。今年は咲くのが早くて、ピークを逃してしまったようだ。花は何とか切らずに残しといてくれたようで、来年はもう少し早く見に来よう。八重桜の頃に来るくらいでちょうどいいのか。

 岸田首相襲撃事件の直後だが、千葉で「被選挙権年齢引き下げ訴える若者たち」というニュースがあった。こういうきちんと合法的な活動する人達がいるというのに、テロでもってそれを訴えるあの犯人は、こういう人たちの善意をも踏みにじるものだ。
 あの犯人が政治的な主張をあれこれ持ち出すことで、一番迷惑しているのは同じ主張を持つ真面目な人たちだ。
 まあ、山上の時みたいに、マスコミまでがテロリストに便乗して何てことは、さすがに今回はないとは思うが、テロリストを利用するというのは自らの主張がテロであることを認めることだ。
 山上の場合はマスコミや左翼は二つ大きな間違いを犯した。一つは昔の統一教会と今の平和家庭連合とを一緒くたにしたこと。もう一つは統一教会の影響力を極度に誇張して、あたかも統一教会が日本の政治をあやつってたみたいな陰謀論にしてしまったこと。まあ、あいつらの辞書に反省の文字はないと思うが。
 旧統一教会、つまり勝共連合時代の統一教会は、反共という点で自民党が戦略的同盟関係を結ぶ理由はあったし、反共という点では似通った主張をしていても何ら不思議はないが、それをたかだかちんけな宗教団体が国家を裏で操るだとか、常識ある人はみんなあきれている。

 この頃のマスコミはちょっと前にはやってネット上の炎上商法の真似をしてるんじゃないかと思う。ネットが静かになったのに、マス護美だけが空騒ぎをしている。
 大阪IRの動画も内閣府の性暴力被害予防のポスターもTwitterや2ちゃんねるを見る限り、ほとんど問題になっていない。以前はよくトレパク疑惑でネットで炎上して、それがマスコミに取り上げられるということがあったが、今回はマスコミだけが騒いでネットは静かなものだ。だいたい作風が似ているというだけでの回収は明らかな行き過ぎだ。

2023年4月18日火曜日

 今日は小田原城の御感の藤を見に行った。富士はすっかり見頃になっていて、鳥よけのネットも外されていた。
 藤棚は他にも御茶壺曲輪と報徳二宮神社の裏にもあった。
 御茶壺曲輪の藤には鳩が二三羽集まって、富士の花をついばんでいたので、そのために鳥よけネットをしてたというのが分った。梅や桜はメジロやムクドリが寄ってくるが、藤は鳩が来る。
 近くの柳屋ベーカリーでアンパンを買い、その向かい側には南十字という本屋があった。その隣の箱根口ガレージ報徳広場に昔の小田原市電の車両が置いてあった。空色と黄色のウクライナカラーで、ウクライナを応援するメッセージが書かれていた。早く勝利して戦争を終わらせてほしいし、そのための協力を世界の国は惜しまないでほしい。鈴呂屋は平和に賛成します。

 それでは猿蓑の俳諧。ツイッター版の「梅若菜」の巻。

元禄4年1月、乙州江戸下向の時の餞別興行。

芭蕉「では乙州君の旅の無事を祈って。梅が咲いて若菜摘みをするこの時期に、丸子宿のとろろ汁が食えるとは羨ましいぞ。」

梅若菜まりこの宿のとろろ汁 芭蕉


元禄4年春、乙州餞別興行脇。
乙州「丸子宿のとろろ汁、食えると良いな。笠もこの日のために新調したし、行ってくるね。」

  梅若菜まりこの宿のとろろ汁
かさあたらしき春の曙 乙州


元禄4年春、乙州餞別興行第三。
珍碵「新しい笠。それは田植えの晴れ着の笠にできる。ここに雲雀を鳴かせて、土を運ぶ百姓を、と直に描かずに、頃なれやと匂わす。うん、完璧。

  かさあたらしき春の曙
雲雀なく小田に土持頃なれや 珍碵


元禄4年春、乙州餞別興行四句目。
素男「春だから何かお祝いっすね。しとぎを神様にお供えして、そのお下がりをみんなで食うってどうっすか。」

  雲雀なく小田に土持頃なれや
しとぎ祝ふて下されにけり 素男


元禄4年春、乙州餞別興行五句目。
乙州「せっかくのしとぎも歯が痛くて食えない。そんな奴一人くらいいてもおかしくないよね。」

  しとぎ祝ふて下されにけり
片隅に虫歯かかへて暮の月 乙州


元禄4年春、乙州餞別興行六句目。
芭蕉「せっかくのご馳走なのに、一人は虫歯で食べられず、その上二階の客帰ってしまう。悲しい夕暮れの月。」

  片隅に虫歯かかへて暮の月
二階の客はたたれたるあき 芭蕉

初裏

元禄4年春、乙州餞別興行七句目。
素男「いわゆる『鶉発ち』っすね。いつもさっさと帰っちゃう奴。鶉を放したみたいにすぐドロンする奴、いるよな。」

  二階の客はたたれたる秋
放やるうづらの跡は見えもせず 素男


元禄4年春、乙州餞別興行八句目。
珍碵「うむ。比喩にしたのを実景に取り成せってゆうんだな。良かろう。稲を秋風が、と秋は打越にあるから『力なき風』にして式目をかわす。」
  
  放やるうづらの跡は見えもせず
稲の葉延の力なきかぜ 珍碵


元禄4年春、乙州餞別興行九句目。
芭蕉「力なき風は何か不安な胸のうち騒ぐ感じがするな。なら発心して初めての旅の不安、西行法師の『鈴鹿山うき世をよそにふり捨てて』だな。」

  稲の葉延の力なきかぜ
ほつしんの初にこゆる鈴鹿山 芭蕉


元禄4年春、乙州餞別興行十句目。
乙州「発心したばかりだと、みんな法名を知らないから、知り合いに会ったら『内蔵頭(くらのかみ)じゃないか、出家したんか』って呼び止められる。」

  ほつしんの初にこゆる鈴鹿山
内蔵頭かと呼声はたれ 乙州


元禄4年春、乙州餞別興行十一句目。
珍碵「内蔵頭は武将にもよくある名だ。ううむ、これは合戦で敵に見知らぬ武将がいて、あれは誰だだな。関ヶ原合戦の東軍に着くかと見えて西軍に着いた小西行長の軍で箕の手形の陣形。これしかない。」

  内蔵頭かと呼声はたれ
卯の刻の箕手に並ぶ小西方 珍碵


元禄4年春、乙州餞別興行十二句目。
素男「うわっ、ここまで克明に設定されちまうと、展開できないっすよ。ありきたりな松の景色を付けて、ここは軽く流させてもらうっす。」

 卯の刻の箕手に並ぶ小西方
すみきる松のしづかなりけり 素男


元禄4年春、乙州餞別興行十三句目。
乙州「結局昨日は十二句目で終わってしまって、芭蕉さんも珍碵も今日はいない。京から去来と加生が来た。それにどうして姉貴が来てんの?まあいい。撰集抄の信濃佐野渡禅僧入滅之事の本説。」

  すみきる松のしづかなりけり
萩の礼すすきの礼によみなして 乙州


元禄4年春、乙州餞別興行十四句目。
智月「そう嫌な顔しないのよ。それにお義母さんと呼びなさい。松の木の下で成仏した老僧にお世話になったって礼をする、いい句ね。では萩の原っぱだからモズの一声の雀が逃げてくとしましょう。」

  萩の礼すすきの礼によみなして
雀かたよる百舌鳥の一声 智月


元禄4年春、乙州餞別興行十五句目。
凡兆「モズの一声はモズが射られたってことでいいよな。逃げる雀に『ああ、俺っていつまでこう殺生の仕事をするんだ』何て思うと、心まで寒くて、真如の月の下、懐で手を温める。」

  雀かたよる百舌鳥の一声
懐に手をあたたむる秋の月 凡兆


元禄4年春、乙州餞別興行十六句目。
乙州「あっ去来さんは花を持ってもらうので、先行きます。前句の懐に手を入れた人、狩人から漁師に転じておきましょう。海の景色で思い切って花に行ってね。」

  懐に手をあたたむる秋の月
汐さだまらぬ外の海づら 乙州


元禄4年春、乙州餞別興行十七句目。
去来「外海か。文禄の役かなあ。朝鮮って桜あったっけ。いやこれはまだ名護屋城で待機してるということでいいよね。」

  汐さだまらぬ外の海づら
鑓の柄に立すがりたる花のくれ 去来


元禄4年春、乙州餞別興行十八句目。
凡兆「よっしゃ。これは和漢朗詠集の桃李不言春幾暮、煙霞無跡昔誰栖だな。ただ昔の棲家の跡形もなしじゃ何だから、からし菜だな。ピリッと美味しいからし菜、食っちゃった跡にしよう。」

  鑓の柄に立すがりたる花のくれ
灰まきちらすからしなの跡 凡兆

二表

元禄4年春、乙州餞別興行十九句目。
正秀「ちょっくら乱入させてもらうぜ。ここは畑の灰が飛んできて迷惑しているお坊さんだ。写経しようとしたら灰が飛んできて紙の上がざらざらだ。ちょうど良い。休んで花見をするのも悪くない。」

  灰まきちらすからしなの跡
春の日に仕舞てかへる経机 正秀


元禄4年春、乙州餞別興行二十句目。
去来「何だったんだ、突然。ええと、これは和尚さんではなく小坊主にできそうだなあ。いつものお供の代わりで、修行の方も適当で、精進料理じゃ物足りなくてどこかへ食いに行くってとこかなあ。

  春の日に仕舞てかへる経机
店屋物くふ供の手が張り 去来


元禄4年春、乙州餞別興行二十一句目。
芭蕉「何だ京の連中は途中で放り出して、手替わり感覚で困ったな。続きは伊賀の連中に任せよう。」
半残「承知。手替わりを人と違うという意味に取り成して進ぜよう、」

  店屋物くふ供の手がはり
汗ぬぐひ端のしるしの紺の糸 半残


元禄4年春、乙州餞別興行二十二句目。
土芳「そういえば恋が出てないな。汗拭いは冷や汗たらたらでやってきた夜這い男にしよう。鶏が鳴いたからバレる前に慌てて帰ってゆく。まあ鶏のような奴だ。いろんな意味で。」

  汗ぬぐひ端のしるしの紺の糸
わかれせはしき鶏の下 土芳


元禄4年春、乙州餞別興行二十三句目。
半残「後朝でござるな。伊勢物語の陸奥の田舎女『きつにはめなでくだかけの(狐に食わすぞ糞にわとり)』にして進ぜよう。」

  わかれせはしき鶏の下
大胆におもひくづれぬ恋をして 半残


元禄4年春、乙州餞別興行二十四句目。
土芳「執着の強い恋か。濡れ落ち葉のようなもんだな。濡れた紙にしておこうか。ひっついて離れない。」

  大胆におもひくづれぬ恋をして
身はぬれ紙の取所なき 土芳


元禄4年春、乙州餞別興行二十五句目。
半残「貼り付けた紙が剥がれないんでござるな。なら小刀で削って進ぜよう。と言っても無骨な蛤刃の小刀ではうまく削れんな。」

  身はぬれ紙の取所なき
小刀の蛤刃なる細工ばこ 半残


元禄4年春、乙州餞別興行二十六句目。
園風「では拙者も一句。細工箱は小刀入れということにして、それを持ってきて正月の恵方棚を拵えるというのは如何か。」

  小刀の蛤刃なる細工ばこ
棚に火ともす大年の夜  園風


元禄4年春、乙州餞別興行二十七句目。
猿雖「では、源氏物語の須磨での年越しとして恋に行きましょうか。良清の朝臣が明石の入道の娘を思い出して手紙とか書いてましたが、け帰ってくるのは入道の手紙。」

  棚に火ともす大年の夜
ここもとはおもふ便も須磨の浦 猿雖


元禄4年春、乙州餞別興行二十八句目。
半残「須磨の浦でござるか。こういう漁村では昔ながらに肩衣を胸のところでビシッと合わせているでござる。」

  ここもとはおもふ便も須磨の浦
むね打合せ着たるかたぎぬ 半残


元禄4年春、乙州餞別興行二十九句目。
園風「古くて貧乏臭いものといえば、胸を塞いだ肩衣に壊れた扇子。今はみんな団扇を使うが、古い扇子の柄のところが壊れて縛ってあったりする。

  むね打合せ着たるかたぎぬ
此夏もかなめをくくる破扇 園風


元禄4年春、乙州餞別興行三十句目。
猿雖「うん。だったら魚醤やな。瀬戸内海の夏の油の乗ったイカナゴで作る魚醤を仕込む。あっそう言えば二の表の月をこぼすわけにはいかないんな。ぎりぎりだが月を出さないと。」

  此夏もかなめをくくる破扇
醤油ねさせてしばし月見る 猿雖

二裏

元禄4年春、乙州餞別興行三十一句目。
土芳「何か明石の貧乏ネタから抜け出せんな。人物を出して何とか展開してもらわないと。」

  醤油ねさせてしばし月見る
咳声の隣はちかき縁づたひ 土芳


元禄4年春、乙州餞別興行三十二句目。
園風「老人ですな。でしたら老夫婦で、長年連れ添ってきて、でも相変わらずクソ真面目な人やなあ、って如何かと。」

  咳声の隣はちかき縁づたひ
添へばそふほどこくめんな顔 園風


元禄4年春、乙州餞別興行三十三句目。
芭蕉「やめやめ。どうにも田舎臭くて、残りは京に行って何とかする。江戸から嵐蘭も来るというし。」
嵐蘭「よっしゃ。黒面な職人といえば会津漆器。」

  添へばそふほどこくめんな顔
形なき絵を習ひたる会津盆 嵐蘭


元禄4年春、乙州餞別興行三十四句目。
史邦「会津は寒い所と聞いてます。でしたら竹で作ったスケート靴で猪苗代湖をすーいすーいと、というのを言外にして、薄雪の割下駄としておきましょう。

  形なき絵を習ひたる会津盆
うす雪かかる竹の割下駄 史邦


元禄4年春、乙州餞別興行三十五句目。
野水「ども、野水です。では花の定座、光栄至極です。割下駄は八ツ割下駄てことにして、結局今年も旅に出ずに、自宅で花の季節を迎えたとしましょう。」

  うす雪かかる竹の割下駄
花に又ことしのつれも定らず 野水


元禄4年春、乙州餞別興行挙句。
羽紅「おとめちゃんでーす。さほちゃんはいつまでも姫のまんまで彼氏いないのかしら。奈良のさほ山をにしきにそめて、ことしも春風ふかせて、めだたく一巻おわりまーす。」

  花に又ことしのつれも定らず
雛の袂を染る春風 羽紅

2023年4月17日月曜日


 今日は二宮の吾妻山にツツジを見に行った。
 全体としては大きな木の下など日陰になっている木が多くて、まだ咲いてない木や咲き初めの木も多かったが、海の見える斜面の辺りの木は日当たりも良く、見頃になっていた。
 菜の花の頃と比べると人も少なかった。

2023年4月16日日曜日

 
 今日は渋沢の丹沢祭を見に行った。ブラスバンドのパレード、山伏の法螺貝、御輿などがあった。メイン会場にはステージがあり、沢山の屋台が並んでいた。

 夾竹桃さんの戦国小町苦労譚を読み始めたが、最初の方に信長のような目上の人を諱で呼んではいけないというのがあった。
 本名で呼ぶことを嫌う習慣は結構世界中普遍的にあって、英語圏でも略称を用いるのが普通で、本名を言うと慇懃無礼な感じになる。
 現代日本でも親しい間柄を示すのにあだ名を用いる。あだ名がないというのはある意味ボッチの証で、ぼっち・ざ・ろっくでは「ボッチちゃん」というあだ名がついたことでボッチでなくなるという逆説が用いられている。
 そうなると逆に謎なのは、初期の貞門俳諧ではなぜ俳号ではなく名乗りが用いられたのかということだ。
 芭蕉も「貞徳の涎をねぶる」なんていう時には貞徳だが、敬意をはらう時は長頭丸を用いる。
 芭蕉の時代の俳諧師は、俳号で呼ぶことも諱と同様慇懃無礼な印象を与えたのかもしれない。
 其角を晋子と呼び、支考を盤子と呼ぶのもそれだし、桃青を芭蕉と呼ぶもの凡兆を加生と呼ぶのもそれなのかもしれない。
 ただ、膳所の正秀だけは、代々受け継がれた名乗りに愛着があるのか、正秀を用いている。
 アメリカの人権団体があだ名を禁止しようというのは、親しい間柄を作るということが親しい人と親しくない人との差別を生むという論理によるもので、親友を作ることを禁ずるのと同じ理屈。はっきり言って糞だ。それこそ集団結婚の発想だ。
 日本は古代から名前ではなく官職名で呼ぶ習慣があり、源氏物語でも登場人物のほとんどは官職名で呼ばれている。本名で呼ばれるのは惟光、良清の二人でいずれも源氏の随身。
 江戸時代は実際の職名とは異なる実体のない官職名で呼び合うようになったが、現代の日本の職場では相変わらず部長だの課長だの職名で呼ぶのが常態になっている。

2023年4月15日土曜日

 今日は一日雨。そんな中で今度は現職の首相を狙ったテロ事件が起きた。
 左翼やマスゴミが山上を擁護して、テロも許されるような雰囲気を作り出していれば、こういう事件はこれからも起こると思う。
 今回の報道も爆発音がしているのに発煙筒だなんて言ったりしてた。
 取り押さえた勇敢な男に、爆弾を持っているんだから逃げろよなんて言ってるのがいたが、起動装置によるのではなく着火式の爆弾だから、投げる所を目撃したなら、火をつける前なら安全と判断し、火を点けさせないように素早く取り押さえるという判断は正しかったと思う。逃げたらもう一つの爆弾を投げて、もっと大きな被害が出ていただろう。

 それでは『六百番俳諧発句合』の続き。信章(素堂)の分はこれで終わり。

四百四十一番

   左持 紅葉鯽 松賀 紫塵
 水底や嵐のしらぬもみぢ鮒
   右  砧   山口 信章
 正に長し手織紬につちの音
 水底のふな嵐をしらぬさもこそ紅葉に嵐浪もさはぐ心入あれば何とも申なし有べし。
 長夜に手織袖をうつつちの音千聲萬聲も思ひ出たり今少軽持。

 紅葉鮒はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「紅葉鮒」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 琵琶湖に産するフナで、秋・冬にひれが紅色になったものをいう。《季・秋》
  ※俳諧・犬子集(1633)五「川音の時雨や染る紅葉鮒〈貞徳〉」

とある。
 琵琶湖にはニゴロブナ、ゲンゴロウブナなどが生息するが、ネット上の佐野静代さんの「<論説>琵琶湖の自然環境から見た中世堅田の漁撈活動」によれば、紅葉鮒は秋冬に舟木大溝の辺りで獲れるゲンゴロウブナのことだという。本来湖の深い所に棲むものが、この辺りの地引網にかかるという。
 深い所に住むことが知られていたことから、「嵐をしらぬ」となり、地上の紅葉が嵐に散るのに対して、嵐に散らない紅葉と洒落て俳諧になる。
 信章の句の手織紬は手紬のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「手紬」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 家で紡いだ手織りの紬。経(たていと)・緯(よこいと)とも手紬糸で織った織物。また、それで仕立てた着物。
  ※浮世草子・好色五人女(1686)三「すへずへの女に手紬(テツムキ)を織せて」

とある。
 庶民が絹を着ることが禁止されていた時代でも、紬は木綿に似ていることから規制が緩く、丹念に叩けば艶が出るため、手織紬は庶民の間に広まっていたと思われる。
 絹みたいにてかてかになるまで砧を打つ「つちの音千聲萬聲」が俳諧になる。
 この勝負は引き分け。


四百六十七番

   左勝 神送  藤江 野双
 暇乞やうやまつて申神送り
   右  冬籠  山口 信章
 乾坤の外家もがな冬ごもり
 左の神送八乙女も神楽をのこもげにうやまつて見申べし。
 右の乾坤の外家あまりに広大にて灯くらし冬さむかるべく冬ごもりにはひんあしからんにや宜以左可為勝。

 神無月に出雲へ行く神を送り出す神送りには八乙女が舞い、神楽男が神楽を演奏する。人間なら暇乞(いとまごひ)だが、神様の場合は敬って「神送り」という。
 信章の句は多分『和漢朗詠集』の元稹の、

 壺中天地乾坤外 夢裏身名旦暮間
 壺中の天地は乾坤の外(ほか)
 夢裏の身名は旦暮の間

によるもので、壺中の天のような浮世を離れた神仙境で隠居がしたいな、という意味だと思うが、その意図が伝わらなかったのではないかと思う。天地の外は広すぎて寒いということで信章の負け。


四百九十五番

   左持 帰花  水野 虎竹
 卯木もや後の名月かへり花
   右  茶花  山口 信章
 茶の花や利休が目にはよしの山
 左卯花のかへり花を後の名月といひなせる見るめも照かがやくここちしてめづらかに覚へ侍るを。
 右の茶の花の利休がめきき亦たがふべくも見へずをそらくは人丸が雪にも高く及ぶべければ又持とぞ申べき。

 虎竹の句は月と花がなかなか揃わないというテーマの句か。月の季節には桜は咲かず、花の季節の月は朧で、なかなか両方が揃わない。それが九月の十三夜の後の名月の時に卯の花の帰り花が咲いて、奇跡的に月と花が揃ったとすれば、これはなかなかないことで、珍しいと愛でるべきの両方の意味で「めづらか」になる。
 ただこう読むと秋の句になってしまうので、単に卯の木の帰り花を十三夜の月のように輝いてる、と取るべきなのだろう。卯の花の白も桜には及ばず、後の月も中秋の十五夜には及ばないから、似ていると言えば似ている。
 信章の句は初冬に白い花を付ける茶の木が満開になったのを見れば、千利休は吉野の千本桜を見たみたいに喜ぶのではないか、というもの。
 人丸が雪は、

 梅の花それとも見えす久方の
     あまぎる雪のなべてふれれは 
             柿本人麻呂(拾遺集)

の歌であろう。梅の花と雪との区別がつかない、というのを茶の花と吉野の桜の区別に当てはめたと思われる。
 いずれも甲乙つけ難いということで引き分け。


五百二十三番

   左持 鱈   風 虎
 釣竿や霜をつらぬく雪のうを
   右  凩   山口 信章
 凩も筆捨にけり松のいろ
 左句文集の貫霜竹をきりとりて雪魚の釣竿に用ひられし厳陵瀬の水よりいさぎよく五湖の煙濤より猶ふかし。
 右の筆捨松まことに風情面白けれど松の色といはんんいは時雨さへなどもいはまほしきにや仍以左為勝。

 文集の貫霜竹は『白氏文集』の続古詩十首四の、

 窈窕双鬟女 容德俱如玉
 昼居不逾閾 夜行常秉燭
 気如含露蘭 心如貫霜竹
 宜当備嬪御 胡為守幽独
 ‥‥略‥‥

だが、「きりとりて」なので、出典の文脈とは関係なく「貫霜」の言葉だけを切り取って、「霜をつらぬく」と用いているだけであろう。雪魚、つまり鱈を釣り上げる釣竿が寒い海から鱈を釣り上げる様に「霜を貫く」という工夫された表現をしているという点を褒めている。
 こういう前例のない言い回しは、近代俳句でも「この言葉を最初に使ったのはこの人だ」みたいに高く評価される傾向があるが、新語の価値はそれが多くの人に広まり、日本語の中に定着するかどうかにあるので、新語が出た時点での評価は未知数ではある。未知数だから判者がこれが良いと言った時に否定も肯定もしにくいから、作品をよいしょするにはちょうどいいはったりになる。
 判詞はこれに「厳陵瀬の水よりいさぎよく」といい「五湖の煙濤」という古典の言葉を引き合いに出し、それにも勝るとして最大限に褒めたたえる。
 厳陵瀬は『和漢朗詠集』の、

 傅氏巌之嵐 雖風雲於殷夢之後
 厳陵瀬之水 猶涇渭於漢聘之初
 一条右相府辞右大臣表文 菅原文時

に由来し、「五湖の煙濤」は謡曲『船弁慶』に、

 「小船に棹さして五湖の煙濤を楽しむ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3593). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とある。
 まあとにかく「霜をつらぬく」の詞の巧みさ最大限に持ち上げて、この句の勝利を確定する。何となれば、風虎はこの『六百番俳諧発句合』の主催者であり、磐城平藩の殿様だからだ。
 これに対して信章の句は、松の色の冬も変わらず常緑であることを、木枯らしも染めることができずに筆を捨てる、とする。まあこれも巧みな言い回しではある。
 ここで判者は松は時雨も染め兼てという、

 我が恋はまつを時雨の染めかねて
     真葛が原に風さはぐなり
             慈円(新古今集)

を引き合いに出して、木枯らしではなく時雨が染め兼ての方が欲しいと、まあこれは言い掛かりでしかない。相手が悪かった。信章の負け。


五百五十一番

   左  氷   池西 言水
 あまの息もおもふや氷る筆のうみ
   右勝 雪   山口 信章
 何うたがふ弁慶あれば雪をんな
 左かのいきをつきあへぬかづく海士を氷る筆海に思ひやれる沈思のあとみへてさも有げなれど。
 右の山姥がうみ出たりしことばの弁慶あれば雪女といへるにくらべばげに黒白のかはりあるにや仍以右為勝。

 言水は後に、

 木枯しの果てはありけり海の音 言水

の句で有名になり、「木枯しの言水」と呼ばれるようになる。
 ここでも筆も硯の水も凍るような寒さの中で字を書いていると、水に潜る海人の息継ぎの苦しさが思いやられるという、なかなか面白い発想をしている。ただ、この時代は出典があった方が有利に働いたのだろう。
 信章の「弁慶あれば雪をんな」は謡曲『山姥』の、

 「隔つる雲の身を変へ、仮に自性を変化して、一念化生の鬼女となつて、目前に来たれども、邪正一如と見る時は、色即是空そのままに、仏法あれば世法あり煩悩あれば菩提あり。仏あれば衆生あり・衆生あれば山姥もあり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.4287-4288). Yamatouta e books. Kindle 版. )

の言い回しから来たもので、雪女はしばしば山姥と同一視されていたから、「衆生あれば山姥もあり」は「弁慶あれば雪女もあり」となる。目に見える人物も目に見えぬ怪異も邪正一如、色即是空の理屈では同じものだということになる。
 弁慶が実在するなら雪女も実在する、何を疑う、ということになる。まあ、弁慶の実在は疑わしいから、雪女も疑わしい、そこを言いくるめるのがこの句の笑いということになる。信章の勝ち。


五百七十九番

   左持 古札納 児玉 久友
 古札やそのをだまきの杉のえだ
   右  鯸   山口 信章
 世の中の分別ものや鯸もどき
 左ふる札と斗にて杉の下枝にとまる心をいへるにては季の詞うすしとや申候はん。
 右鯸もどきはことうをにて実のふくとうをにはあらねば落題なるべし左右難あれば持なるべし。

 古札は年始に貰った御札が年末になって降るくなったもので、神社に納めて新年に新しいお札を貰う。そのため古札納めは冬の歳暮の季語になる。
 ただ、それを二月の初午の稲荷神社の験の杉の葉の落ちた物(おだまき)に喩えてしまうと、歳暮の意味がなくなってしまう。「季の詞うすし」はそういう意味だ。
 信章の句も、題は鯸(ふぐ)だが、句に詠まれているのは河豚もどきで、これも本題からずれている。
 河豚もどきはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「河豚擬」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 鯛や鯒(こち)などの皮をはぎ、河豚のように料理して、汁などに作って食べるもの。ふくとうもどき。
  ※俳諧・おくれ双六(1681)冬「其汁の糟をすするや鰒もどき〈忠珍〉」

とある。例文にある『おくれ双六』の句はこれより後の天和元年で、この句合よりも少し後になる。
 両方とも欠点があるということでこの勝負は引き分け。

2023年4月14日金曜日

 大分遅くなったが、『六百番俳諧発句合』の続き。やり残していたので、片づけていくことにする。

二百四十三番
   左持 納涼  高野 幽山
 水無月やいつかきにけん裸島
   右  同   山口 信章
 峠凉し沖の小島のみゆ泊り
 左は在中将をうつして暑天の諸人のありさまをいへる感吟の作為といふべし。
 右は鎌倉右大臣の言の葉より波のよる事の涼しさをいはでまかせる手段誠に手たりのものと見ゆれば又持にや。

 裸島はウィキペディアの「御曹司島渡」に、

 「室町時代の御伽草子。作者、成立年不詳。藤原秀衡より、北の国の都に「かねひら大王」が住み、「大日の法」と称する兵法書があることを聞いた、頼朝挙兵以前の青年時代の御曹子義経は、蝦夷(えぞ)の千島喜見城に鬼の大王に会う事を決意する。四国土佐の湊から船出して喜見城の内裏へ向かう。途中、「馬人」(うまびと)の住む「王せん島」、裸の者ばかりの「裸島」、女ばかりが住む「女護(にようご)の島」、背丈が扇ほどの者が住む「小さ子の島」などを経めぐった後、「蝦夷が島」(北海道)に至り、内裏に赴いて大王に会う。 そこへ行くまでに様々な怪異体験をするが最後には大王の娘と結婚し、兵法書を書き写し手にいれるが天女(大王の娘)は死んでしまう。」

とある、この裸島ではないかと思う。
 判者の季吟は在原業平中将のこととしている。『伊勢物語』六十一段の風流(たわれ)島のことと見たか。句の方は暑いから裸島に行きたいなという「暑天の諸人のありさま」の句なのは間違いない。
 信章の句の判の鎌倉右大臣の言の葉というのは、

 箱根路を我が越えくれば伊豆の海や
     沖の小島に波の寄る見ゆ
             源実朝(続後撰集)

であろう。初島の見える峠は箱根峠ではなく、箱根の南を通って伊豆山へ抜ける十国峠の道であろう。
 どちらも一興あっての引き分けだが良持にはしていない。

二百七十一番

   左持 富士詣 望月 千之
 足を空にまどふや雲路富士詣
   右  土用干 山口 信章
 富士山やかのこ白むく土用干
 左はつれづれ草の葉末より求め出てやさしく、
 右は伊勢物がたりの詞の花をかざりてはなやかに、いづれをいづれとも申がたく只に感吟してぞやみ侍べき。

 千之の「足を空にまどふや」は『徒然草』第十九段の、

 「何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。」

で、師走のあわただしさを形容する言葉。
 ここでは富士山に登ると雲が足の下にあって、空を歩いてるみたいだという意味に転じて用いている。
 信章の「かのこ白むく」は『伊勢物語』第九段の、

 「富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。

 時知らぬ山は富士の嶺いつとてか
     鹿の子まだらに雪の降るらむ」

から取ったもので、富士山は鹿の子柄の服と白無垢の服を土用干ししている、とする。
 これも引き分け。

三百二十九番

   左勝 七夕  武野 保俊
 おもひ出やこよひはててらふたつ星
   右  鬼灯  山口 信章
 鬼灯や入日をひたす水のもの
 星合の夜かの男はててら女は二のといへるをよせられたる尤興あり。
 鬼灯入日をひたすは水桶にひたしをけるにや。今少不足。左勝。

 「ててら」は褌のことで、

 夕顔の棚の下なるゆふすずみ
     男はててら妻はふたのして

の歌が元和・寛永の頃の『噺本・醒睡笑』にある。維舟の判もそれを引用している。
 信章の鬼灯の句は水桶に入れた鬼灯の実が入日のようだという句。「水のもの」は水分の多い果物のことで、鬼灯の実は食用にもなる。
 奇麗で品よく作ってあるが、この句合ではシモネタが勝つ。
 
三百五十七番

   左持 踊   浅香 研思
 誰をそしり誰をかほめん馬鹿踊
   右  鹿   山口 信章
 むさしのやふじのね鹿のね虫の音
 馬鹿踊なればそしりも有まじきの云成さもあらん。富士の根鹿の音おもしろき類重てそれぞれの興あり。留りの詞少つまり候へば扨は虫と云捨中申度こそ。持とや申さん。

 馬鹿踊はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「馬鹿踊」の解説」に、

 「〘名〙 一定の型によらないで、むやみにはねまわって踊ること。また、盆や祭礼の時などに、馬鹿ばやしに合わせてする踊。ばか舞。
  ※俳諧・若狐(1652)三「をしなべて手にもとりえぬしぶ団(うちは) ばか跳にぞ夜をふかしぬる」

とある。上手いのか下手なのかよくわからない、ということか。フリースタイルでも上手い下手はあると思うが。
 信章の句は、武蔵野のは富士の峰が見え、鹿の音も聞こえ風流だが、最後の「虫の音」は「ね」と読むと字足らずになるし、「こえ」や「おと」と読んだんでは「ね」つながりでなくなる。「さては虫」と結んだらと言う。
 どちらも疵有りで引き分け。

三百八十五番

   左  踊   黒川 行休
 毎夜毎夜出るはあこぎぞ伊勢踊
   右勝 紅葉  山口 信章
 根来ものつよみをうつせむら紅葉
 阿漕の古事をいせをどりによせさもこそ毎夜毎夜を度重なるなど申たしすべて此事あまりに云古たり大方にてはいかがと覚申
 根来物強地のやうにむら栬に其色を濃移して見んとなり仕立珍し右勝

 伊勢神宮に近い阿漕が浦は禁漁区とされていたが、そこでたびたび密漁をする漁師がいて、やがて捕まり海に沈められたという。

 伊勢の海阿漕が浦に引く網も
     度重なればあらはれにけり

という歌が『源平盛衰記』の西行発心の場面に引用されている。『夫木抄』にも、

 逢ふことを阿漕の島に引くたびの
     度重ならば人知りぬべし
             よみ人しらず

の歌がある。『古今和歌六帖』に元があるというが、日文研のデータベースではヒットしなかった。
 謡曲『阿漕』は殺生の罪に結び付けられていて、

 「総じてこの浦を阿漕が浦と申すは、伊勢太神宮御降臨よりこの方、御膳調進の網を引く所 なり。されば神の御誓ひによるにや、海辺のうろくづ此の所に多く集まるによつて、浮世を渡るあたりの蜑人、この所にすなどりを望むといへども、神前の恐れあるにより、堅く戒めてこれを許さぬ処に、阿漕といふ蜑人、業に望む心の悲しさは、夜な夜な忍びて網を引く。暫しは 人も知らざりしが、度重なれば顕はれて、阿漕を縛め所をも変へず、この浦の沖に沈めけり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2684). Yamatouta e books. Kindle 版.)

とその由来が語られている。ネット上に流布している、「母の病気のためここで漁をした」とかいうのは後から付け加えられたものか。
 毎晩行われる伊勢踊りを阿漕が浦に結び付ける発想は判者の維舟によるなら、当時としてはよくある月並みな発想だったようだ。
 なお、この時代はいまのような「阿漕な」というだけで悪事を意味するわけではなかったようだ。
 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「阿漕」の意味・読み・例文・類語」には、

 「[2] 〘名〙 (形動) ((一)の伝説や古歌から普通語に転じて)
  ① たび重なること。また、たび重なって広く知れわたること。
  ※源平盛衰記(14C前)八「重ねて聞食(きこしめす)事の有りければこそ阿漕(アコギ)とは仰せけめ」
  ※浄瑠璃・丹波与作待夜の小室節(1707頃)夢路のこま「阿漕(あこぎ)の海(あま)のあこぎにも過ぎにし方を思ひ出て」
  ② どこまでもむさぼること。しつこくずうずうしいこと。押しつけがましいこと。また、そのようなさま。
  ※波形本狂言・比丘貞(室町末‐近世初)「あこぎやの、あこぎやの、今のさへやふやふと舞ふた、最早ゆるしてたもれ」
  ※浄瑠璃・夕霧阿波鳴渡(1712頃)中「あこぎな申ごとなれど、お侍のお慈悲に、父(とと)かといふて私にだき付て下されませ」
 [語誌](一)の伝説から、(二)①の意に用いられたが、江戸初期から「図々しい」「強引だ」というマイナスの意味が派生した。これは謡曲「阿漕」や御伽草子「阿漕の草子」、浄瑠璃「田村麿鈴鹿合戦」などをはじめ、神宮御領地を犯す悪行として描いた作品によって定着していった解釈に基づくものと思われる。」

とあり、「図々しい」「強引だ」という意味で灰汁の強いという元の意味の「あくどい」に近いが、多分「あこ・あく=悪」の語感に釣られて、近代には極悪非道なことを「阿漕な」「あくどい」と言うようになったのだろう。
 今の語感だと伊勢踊りを毎日やるってそんな悪いことなのか、って思ってしまうが、当時はそんなニュアンスはなかった。
 素堂の句の「根来もの」は根来法師から来た言葉で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「根来法師」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 紀伊国の根来寺の僧兵。その勢力は室町時代に強大となり、戦国時代には鉄砲で武装して一揆を起こすなどの威勢をふるった。石山合戦の時、織田信長方について本願寺と対立したが、小牧・長久手の戦いでは雑賀(さいか)衆と共に豊臣秀吉と戦って討伐された。根来寺衆。根来衆。根来の衆。
※俳諧・犬筑波集(1532頃)雑「わるさするつぶりに槌をあてがひて ねころ法師の坊の棟あげ」

とある。
 根元に落ちた落葉の色濃くなるのを、根来ものの強情に喩える所に新味があり、信章の勝ちになる。
 落葉の色の濃いのは、湯山三吟発句にも、

 うす雪に木葉色こき山路哉   肖柏

の句がある。

四百十三番

   左勝 名月  松村 吟松
 さればこそ夜分のがれてけふの月
   右  月   山口 信章
 宗鑑老下の客いかに月の宿
 名月の青天夜さへ昼の仕立さもこそあらめ連歌に今日の月夜分ならねば其理よく聞へたり。
 宗鑑老下の客いかにとは俳諧連中月迄会合の体にや珍作ながら下の客今少云成申度左勝。

 「今日の月」が夜分にならないというのは、貞徳の『俳諧御傘』に、

 「一けふのこよひ 非夜分、けふといへば夜の詞入ても夜分ニ非ず。」

とあるのと同じ理屈か。今日という時点では夜ではないので「今日の今宵」も「今日の月」も夜分ではないということなのだろう。
 ここでは名月が明るいから夜分ではないという、もう一つの理屈を加えて俳諧としている。
 宗鑑の下の客は宗鑑が庵の入口に掛けていたと言われている狂歌、

 上は来ず中は日がへり下はとまり
     二日とまりは下下の下の客
               宗鑑

によるもので、月見に来て泊って行く客は下の客ということになる。夜やる月見だから大抵の客は泊りになるから、みんな下の客というわけだ。
 句としては珍しくても、普段の会話では度々聞くことなので信章の負け。
 句としては後の元禄二年刊の『阿羅野』に、

 下々の下の客といはれん花の宿  越人

の句がある。これは二日は泊って行きたいという強い意志を宗鑑の歌になぞらえた句で、そこに新味があったと思われる。

2023年4月13日木曜日

 今日は黄砂が飛んできて、山がぼんやりと黄色く霞んでいた。

 つちふるや雲と見まがう富士の山

 北海道の方では、朝にJアラートが鳴って大変だったようだ。当初は北海道西南部に落ちるという予測があり、当然の措置だったし、さすがに昨今の緊迫した国際情勢は国民も理解している。以前のような闇雲に政府を糾弾する声はネット上でも少なかった。
 そういえば最近左翼のツイッターデモがますますしょぼくなっていく。アカウントやBotに厳しくなってやりにくくなったのだろうか。不気味なほど静かだ。
 芭蕉Botや許六Botが停止しているのもその影響なのだろうか。
 ジャニー北川が事務所所属のアイドルに性的虐待を繰り返してた問題は、BBCの英語版でも大きく報道されている。
 日本では特にテレビ局とジャニーズ事務所との昔からの密接な関係から、こうしたことが報道されることはない。だが、北公次の時代から公然の秘密になっていたことは確かだ。これからもずっと公然の秘密のままなのだろう。
 別に被害者が男だからというわけでもない。前にも書いたことがあったが、園子温、榊英雄、木下ほうか、梅川治男などの問題もいつのまにかうやむやになっている。日本の人権団体はハイヒールや巨乳にはうるさいが、性暴力には沈黙する。
 正確には加害者が右翼で被害者が左翼女性でないと動かない、と言った方がいいかもしれない。つまり政府を糾弾する口実にならない限り、性的暴力は問題にならない。

2023年4月12日水曜日

  漫画やラノベによく登場する学級カーストというもの、実際にあるのかどうか議論になることもあるが、どんな社会にでも必ず自然発生的にカーストというのはできるんだと思う。
 ただそれを意識する人としない人はいる。
 ツイッターだって何万何十万のフォロワーがいて、一言呟くだけで何万ものいいねを貰う人もいれば、一桁フォロワーで滅多にいいねにお目にかかれない人もいる。ただ、分相応と満足できるかどうかの違いで、不満を抱え込むと、何かとクソリプを繰り返して人の気を引こうとしたりして、かえって嫌われてゆく。
 学校でも会社でも、実力のある人は大きな影響力を持ち、そうでないものは隅っこで自分の居場所を見つける。どこの世界でもそうだと思う。
 そしてこの世界の高い生産性というのは、一部の実力のある人の発案でもたらされたもので、分相応を認められない人たちが不満を露わにして、この世界をひっくり返そうとする。
 そうした人たちが少数で、簡単に世の中がひっくり返らないからいいんで、本当にひっくり返ったらみんな飢餓と粛清で地獄を見ることになる。
 一人一人の実力差によってできる自然のカーストは必要悪と言って良い。
 資本主義はクソだけど、資本主義よりも生産性の高い社会システムは未だ存在しない。
 意識しなければ、それはそれで幸せでいられる。意識高い人は不満の塊となって、結局不幸になって行く。自己承認欲求モンスターにならないように気を付けよう。

2023年4月10日月曜日

 
 千村の八重桜は観賞用ではなく、昔から花を塩漬けにして食用にするためのもので、桜茶は婚礼にも用いる目出度いもので、その他にも菓子やあんぱんにも用いる。
 そのため、満開になる前に摘み取りが始まる。
 今日も千村で長い脚立を立てて八重桜の花を収穫する姿が見られたし、四十八瀬川沿いを散歩したら、川沿いの堀西でも八重桜があちこちで咲いていて、収穫する風景が見られた。
 観賞用でないから、木も高くせず、満開の姿を見ることはないが、それでもこの里は所々濃い桜色に染まって美しい。

それではツイッター版の「灰汁桶の」の巻。

元禄3年秋、歌仙興行発句。
芭蕉「では加生君、発句行ってみようか。」
凡兆「凡兆だってーの。今日は木曽塚での興行だけど、特にこの場所に因まなくても良かったんだよね。」

灰汁桶の雫やみけりきりぎりす 凡兆


元禄3年秋、歌仙興行脇。
芭蕉「藍染屋かな。被差別民の。染色に用いる灰汁がポタポタ音を立てて、それにコオロギの声は侘しい。行燈の油がなくなって早く寝ちゃったかな。」

  灰汁桶の雫やみけりきりぎりす
あぶらかすりて宵寝する秋 芭蕉


元禄3年秋、歌仙興行第三。
野水「ども、野水です。名古屋から来ました。早速ですが、句の方行かせて頂きますが、新居への引越しとしましょうか。新しい畳を月が照らして、良いですなあ。」

  あぶらかすりて宵寝する秋
新畳敷ならしたる月かげに 野水


元禄3年秋、歌仙興行四句目。
去来「打越が宵寝だから、ここは普通に月見の宴でいいよねえ。だったら十人くらい迎えたちょっと賑やかな宴会にしようかな。それを盃の数だけで匂わして。」

  新畳敷ならしたる月かげに
ならべて嬉し十のさかづき 去来


元禄3年秋、歌仙興行五句目。
芭蕉「『並べて』を単に盃を並べるんでなく、十人みんな目出度く並べてとできるから、正月だな。子日にしようか。」

  ならべて嬉し十のさかづき
千代経べき物を様々子日して 芭蕉


元禄3年秋、歌仙興行六句目。
凡兆「子日かあ。古今集の『雪のうちに春はきにけり』に西行法師の『子の日しに‥はつ鶯の』の歌でここは流しておこうか。春の雪だからだびら雪。」

  千代経べき物を様々子日して
鶯の音にだびら雪降る 凡兆

初裏

元禄3年秋、歌仙興行七句目。
去来「鶯の声を聞いて春が来たんだと勇んで出かけたら雪に降られたなんてトホホだなあ。そうか、トホホ繋がりで展開すれば良いのか。馬に乗って出かけたら、発情期で馬が言うこと聞かないとか。」

  鶯の音にだびら雪降る
乗出して肱に余る春の駒 去来


元禄3年秋、歌仙興行八句目。
野水「前句を馬に乗り慣れてない平家武者としましょうか。ただ物語の本説にはせずにここは軽く面影で行きましょう。何となく生田の森、麻耶山に風雲急を告げという感じで。」

  乗出して肱に余る春の駒
麻耶が高根に雲のかかれる 野水


元禄3年秋、歌仙興行九句目。
凡兆「生田の森の方といえばイカナゴの釘煮が美味いよな。カマスゴ、イカナゴ、夕飯に酒でも飲みながらくうっ、なんてね。」

  麻耶が高根に雲のかかれる
ゆふめしにかますご喰へば風薫 凡兆


元禄3年秋、歌仙興行十句目。
芭蕉「カマスゴを食う人の位で付けてみようか。あまり位は高くないな。農夫でヒルに食われて、それを掻いてると気持ち良くて『くうっ』て。苦痛がなくなるんじゃなくて、ただ誤魔化してるだけ。」

  ゆふめしにかますご喰へば風薫
蛭の口処をかきて気味よき 芭蕉


元禄3年秋、歌仙興行十一句目。
野水「ここらで恋に行きましょうか。蛭の口処を比喩として、遊女が嫌な客に絡まれたのを蛭に噛まれたようなもんだとして、今日は休んで傷を癒そうか、とそんなのいかがですか。」

  蛭の口処をかきて気味よき
ものおもひけふは忘れて休む日に 野水


元禄3年秋、歌仙興行十二句目。
去来「『休む日に』や休みの日だというのに、という意味に取り成せるなあ。謡曲熊野みたいに、急に殿からの呼び出しがかかって困った、って感じでどうかなあ。」

  ものおもひけふは忘れて休む日に
迎せはしき殿よりのふみ 去来


元禄3年秋、歌仙興行十三句目。
芭蕉「殿から急に呼ばれるんだったら、大名に仕える年長の家老、金鍔。藩の実力者で、何かあったらすぐに殿に呼び出される。これだろう。」

  迎せはしき殿よりのふみ
金鍔と人によばるる身のやすさ 芭蕉


元禄3年秋、歌仙興行十四句目。
凡兆「本物の金鍔もいいが、そこら辺の成金商人の偽金鍔もいるからな。わざわざ家に水風呂作ったりして、また年寄りってのは熱い風呂が好きなんだ。」

  金鍔と人によばるる身のやすさ
あつ風呂ずきの宵々の月 凡兆


元禄3年秋、歌仙興行十五句目。
去来「分不相応な贅沢をするとろくなことはないよねえ。どうせ風呂だけでなく、朝は遅くまで寝てて、酒ばかり飲んで、それで身上潰すもんだ。」

  あつ風呂ずきの宵々の月
町内の秋も更行明やしき 去来


元禄3年秋、歌仙興行十六句目。
野水「空き屋敷ってまあ破産もあるけど、主人が亡くなって跡継ぎもなくてってこともありますわな。諸行無常。露の世の中。花に転じなくてはいけないから軽くね。」

  町内の秋も更行明やしき
何を見るにも露ばかり也 野水


元禄3年秋、歌仙興行十七句目。
芭蕉「ここは別に凡ちゃんでもいいんだけど、それに花前でそんなに気を使われてもね。どんな句でも花に持ってく自信はあるけど、お膳立てされると却って平凡になってしまうもんでね。

  何を見るにも露ばかり也
花とちる身は西念が衣着て 芭蕉


元禄3年秋、歌仙興行十八句目。
凡兆「西念さん、どういうお坊さんか知らないけど、京の坊主なら酢茎菜食うに決まってる。ただ酢茎菜食っても面白くないから、旅をして木曽でスンキという似たような物を食う、ってところかな。」

  花とちる身は西念が衣着て
木曽の酢茎に春もくれつつ 凡兆

二表

元禄3年秋、歌仙興行十九句目。
野水「木曽の春も終わる頃というと、四十雀の群れが移動して、あまり見なくなる頃かな。」

  木曽の酢茎に春もくれつつ
かへるやら山陰伝ふ四十から 野水


元禄3年秋、歌仙興行二十句目。
去来「難しいなあ。山陰から山深い里で居所でもつけておこうかなあ。春も終わりだと藁が不足していて、柴で仮に屋根を葺いておくってのはどうかなあ。」

  かへるやら山陰伝ふ四十から
柴さす家のむねをからげる 去来


元禄3年秋、歌仙興行二十一句目。
凡兆「『からぐ』だろっ。風に煽られて屋根が捲れ上がるという意味に取り成せるな。冬に転じて、冷たい北風にしよう。」

  柴さす家のむねをからげる
冬空のあれに成たる北颪 凡兆


元禄3年秋、歌仙興行二十二句目。
芭蕉「ちょっと詰まってきちゃったかな。景色を離れて旅の一場面にしたいね。外は木枯らしで不安な夜はと、宿の主人の心遣いで枕元に有明行燈を置いてゆく。」

  冬空のあれに成たる北颪
旅の馳走に有明しをく 芭蕉


元禄3年秋、歌仙興行二十三句目。
去来「旅の馳走は、街道の娼婦の、とも取れそうだ。そうだ、枕草子に生昌という男が女房の部屋に夜這いをかけたら灯台が煌々と灯ってて、しっかり顔見られてってあったな。それを男女逆にして。」

  旅の馳走に有明しをく
すさまじき女の智恵もはかなくて 去来


元禄3年秋、歌仙興行二十四句目。
野水「ここは夜這いからひとまず離れて、女がいろいろ知恵を尽くして男を引き留めようとしたけどってことで、尾花が下の思い草も虚しく、すさまじきは狼の声ってことにしましょう。」

  すさまじき女の智恵もはかなくて
何おもひ草狼のなく 野水


元禄3年秋、歌仙興行二十五句目。
芭蕉「思い草はススキの根に生える、あの煙管に似た花だったね。ススキだったらお墓、それも古い御廟かな。秋が三句目になるので月を出しておこう。」

  何おもひ草狼のなく
夕月夜岡の萱ねの御廟守る 芭蕉


元禄3年秋、歌仙興行二十六句目。
凡兆「すっかり忘れ去られたような御廟だったら、そこの古井戸なんかもすっかり赤く濁ってたりしてね。」

  夕月夜岡の萱ねの御廟守る
人もわすれしあかそぶの水 凡兆


元禄3年秋、歌仙興行二十七句目。
野水「赤く濁った水ですか。血の川だったり何か怪談のネタになりそうですね。物語をする嘘説きが何か自慢げに語ってそうですね。」

  人もわすれしあかそぶの水
うそつきに自慢いはせて遊ぶらん 野水


元禄3年秋、歌仙興行二十八句目。
去来「自慢するというと、なれ鮨の塩加減だとかなれ具合だとか、いろいろ講釈する人っているよねえ。人それぞれこだわりがあったりして。」

  うそつきに自慢いはせて遊ぶらん
又も大事の鮓を取出す 去来


元禄3年秋、歌仙興行二十九句目。
凡兆「でもなれ鮨って美味いよな。弁当なんかに最高だしよう。旅の途中、堤の眺めの良い道で田んぼが広がってて、そんなところで食いてえな。」

  又も大事の鮓を取出す
堤より田の青やぎていさぎよき 凡兆


元禄3年秋、歌仙興行三十句目。
芭蕉「凡ちゃんは本当食いしん坊でうっかり○兵衛だな。いや、そんな人知らん、何を言ってるんだ。川辺で稲が青々としてると言えば、端午の節句の頃の上賀茂下賀茂のお祭りだな。」

  堤より田の青やぎていさぎよき
加茂のやしろは能き社なり 芭蕉

二裏

元禄3年秋、歌仙興行三十一句目。
去来「これを露天商の口上にしちゃっていいかなあ。神社の前には物売りがたくさんいるしい。」

  加茂のやしろは能き社なり
物うりの尻声高く名乗りすて 去来


元禄3年秋、歌仙興行三十二句目。
野水「物を売る時の声に限らず、行商人が宿に着いた時も名乗りをあげますね。でもそれだけでは‥、宗祇法師の「世にふるもさらに時雨の宿り哉」の俤にして、発心するとかできそうですね。」

 物うりの尻声高く名乗りすて
雨のやどりの無常迅速 野水


元禄3年秋、歌仙興行三十三句目。
芭蕉「ここは迎え付けにしておきたいな。何も動じない人がいて、それはかつて雨宿りで悟ったからってとこかな。動じないというと、青鷺河岸でずっと動かずに立ってたりする。」

 雨のやどりの無常迅速
昼ねぶる青鷺の身のやふとさよ 芭蕉


元禄3年秋、歌仙興行三十四句目。
凡兆「青鷺というと水辺への展開が自然だな。花前だから苗代に水を引き入れてって、それだと花呼び出しが露骨すぎるか。なら藺草の田んぼにしよう。」

  昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ
しょろしょろ水に藺のそよぐらん 凡兆


元禄3年秋、歌仙興行三十五句目。
去来「藺草は収穫間近で、その頃には桜が満開になるよねえ。だけど苗代でなく藺草にしたから、桜も何か変化させたいな。師匠、ここは花の定座だけど、桜にして良いですか?

  しょろしょろ水に藺のそよぐらん
糸桜腹いっぱいに咲にけり 去来


元禄3年秋、歌仙興行挙句。
野水「何とも我儘なことですね。でも蕉翁が許すならそれもありですな。まあ、挙句は特に何事もなく春の曙にしておきましょう。」

  糸桜腹いっぱいに咲きにけり
春は三月曙の空 野水

2023年4月8日土曜日

 今日は近所の神社の祭りがあった。
 御輿はトラックに乗っての移動で、昔からの大きな家や公園などを回って、そこで御輿を降ろして、その前で祝詞を捧げるというものだった。なんか神社の出張サービスみたいだった。
 昔ながらの祭りも衰退して、コロナがさらにそれに追い打ちをかけた形になった。
 祭りの縁日の賑わいはアニメの中だけの世界になってしまうのだろうか。
 日本を守るというのは国境だけではない。文化を継続しなくてはならない。

 鈴呂屋書庫の方には「笑う芭蕉─俳諧師としてのもう一つの顔─」をアップしたのでよろしく。俳諧の入門書として書きました。

2023年4月7日金曜日

 今日は雨だし、鈴呂屋書庫の方を思い切って整理してみた。「古典文学関係」のページが大分すっきりした。まだ全部は終わってないが。
 「恒久平和のために(仮)」も哲学関係の方にアップした。

2023年4月6日木曜日

  今日は「古池の春」を鈴呂屋書庫にアップした。
 「古池の春」「初時雨の夢」「見えない天道」を最初に書いたのはかなり前だが、去年kindleの電子書籍にしようと思って書き直した。「汁も鱠も」と「そもそも論、俗語文によるあとがき」は去年書き足した。

2023年4月5日水曜日

 昨日は山梨へ桃の花を見に行った。
 国道246で御殿場へ行き、そこから山中湖、河口湖を通って御坂に入った。至る所に桃畑があって桃色の花を咲かせていた。
 まず花鳥山一本杉公園に行き、そこから周辺を散歩した。南アルプスがよく見え、リニアモーターカーの走る所も見れた。
 そのあとパン工房ぽこ・あ・ぽこでパンを買って、笛吹川フルーツ公園で食べた。
 ここからは富士山が見え、見下ろせば甲府盆地の至る所に桃畑の桃色が見えた。
 桃のアイスも食べて、お土産に狐のラベルのワインを買って帰った。楽しい一日だった。

 ツイッターの方では昨日の朝から芭蕉のBotと許六のBotが止まっている。
 現代語訳の源氏物語、ネット上に復活させている。

2023年4月3日月曜日

 今日は千村の方を散歩した。八重桜はまだ先始め。
 去年までは電車で一時間半かけなくては見れなかったものが、近所の散歩で見れるというのは、何て贅沢なんだろう。
 歩いて行ける所やちょっと車を走らせれば行ける所に花の名所がたくさんある。毎日がお花見の夢のような生活が現実になって、これでまた思い残すような煩悩が減ったかな。

 ChatGPTもグーグルアカウントで簡単にできるからやってみたけど、俳諧や連歌の認識はまあ、期待しない方がいいなと思った。
 これからは本を書くよりも、ChatGPTに拾ってもらえるような情報を、とにかくネット上にアップしてゆくことが大事だというのがよくわかった。

2023年4月2日日曜日

  今日は寄のしだれ桜まつりを見に行った。特に祭りっぽいことをやってるわけでもないが、一応駐車場をそれ用に開放し、ワゴン車で土佐原枝垂れ桜までのピストン便が出ていた。特に出店とかはなかった。午後になると車は駐車場に入りきらずに、外の道に止めるようになってたようだ。
 月曜日に行った時には土佐原の枝垂れ桜や川沿いの宇津茂の枝垂れ桜は満開だったが、今日はだいぶ散ってしまっていた。ただ、前回は咲き初めだった山の上の方や中津川の向こう側の並木が咲き揃っていた。
 今日は民宿「せと」の前にある中山枝垂れ桜とゴルフ場の方へ上がってった方の萱沼枝垂れ桜も見に行き、前回虫沢の枝垂れ桜を見たので寄五大しだれ桜をコンプリートした。

  それではツイッターで呟いた猿蓑の歌仙興行、市中はの巻。

初表

それでは猿蓑の歌仙をもう一つ。

元禄3年夏、歌仙興行発句。
芭蕉「今日は加生の屋敷を借りて、去来と自分不肖芭蕉庵桃青とで三吟歌仙を始める。発句は‥。」

凡兆「名前変えたけどそろそろ覚えてよ。」

芭蕉「では凡ちゃん。発句を。」

市中は物のにほひや夏の月 凡兆


元禄3年夏、歌仙興行脇。
芭蕉「京都市中では牛の糞尿の匂いもするし、夏の月が出てもむわっとした感じがよく出てるな。客人が詠む時は涼しいと褒める所だが、主人の句ならこれもありか。なら自分も飾らずに。」

  市中は物のにほひや夏の月
あつしあつしと門々の声 芭蕉


元禄3年夏、歌仙興行第三。
去来「発句が市中だから農村に転じればいいかなあ。異常な暑さで稲が早く実るみたいな感じで、秋口の二番草取りも終わらないうちに穂が出始めたとか、どうかなあ。」

  あつしあつしと門々の声
二番草取りも果さず穂に出て 去来


元禄3年夏、歌仙興行四句目。
凡兆「そんな早く穂が出ちゃうと忙しいよな。なら忙しさを感じさせるような何かってわけだ。忙しけりゃ飯もきちんと食えないよな。うるめ鰯の干物一枚炙るだけで、さっと飯を済ます。」

  二番草取りも果さず穂に出て
灰うちたたくうるめ一枚 凡兆
元禄3年夏、歌仙興行五句目。
芭蕉「うるめ一枚か。農家から漁村に転じればいいかな。みちのくの旅で見たうらぶれた漁村で、ああそう言えば銀が使えなくて曾良が銭の両替に苦労してたな。」

  灰うちたたくうるめ一枚
此筋は銀も見しらず不自由さよ 芭蕉


元禄3年夏、歌仙興行六句目。
去来「みちのくを離れなくてはいけないね。銀を知らないは銭しか持ったことがないような奴らばかり、しけてるな、ってヤクザだね。だったらヤクザが持ってそうなのはと、長脇差。どう見ても長刀。」

  此筋は銀も見しらず不自由さよ
ただとひやうしに長き脇差 去来

初裏

元禄3年夏、歌仙興行七句目。
凡兆「ヤクザってか刺客だな。冷徹な殺し屋だ。こういうのは幾多の修羅場を掻い潜ってて用心深いから、『俺の後ろに立つな』だな。そう言って振り向いたらってしよう。」

  ただとひやうしに長き脇差
草村に蛙こはがる夕まぐれ 凡兆


元禄3年夏、歌仙興行八句目。
芭蕉「蛙を怖がるったら乙女でしょう。キャッ、蛙、って感じでね。蕗の芽を摘みに行った少女ってことで良いかな。」

  草村に蛙こはがる夕まぐれ
蕗の芽とりに行燈ゆりけす 芭蕉


元禄3年夏、歌仙興行九句目。
去来「行燈の火がふっと消えるのは不吉な感じだなあ。何かこの娘に良からぬことが起きそうな。ううん、刈萱道心の娘みたいに一家の大黒柱が散る花を見て突然出家して、生活が滅茶苦茶とか。」

  蕗の芽をとりに行燈ゆりけす
道心のおこりは花のつぼむ時 去来


元禄3年夏、歌仙興行十句目。
凡兆「花を見て発心って仏教説話の定番だし、いくらでも作れそうだな。撰集抄で西行法師が能登で出会った見佛上人でも仄めかしておこうか。あの松島へ瞬間移動するやつ。」

  道心のおこりは花のつぼむ時
能登の七尾の冬は住うき 凡兆


元禄3年夏、歌仙興行十一句目。
芭蕉「だったら能登の七尾にいそうに人物でも登場させようか。漁師は魚の骨なんてバリバリ食うからな。それができなくなった老人は住み辛いだろうな。」

  能登の七尾の冬は住みうき
魚の骨しはぶる迄の老を見て 芭蕉


元禄3年夏、歌仙興行十二句目。
去来「よぼよぼの老人かあ。あの源氏物語で末摘花の所から出て行く時の鍵の爺さんなんてどうかなあ。車を出そうとして爺さんを探しに行くあの場面。」

  魚の骨しはぶる迄の老を見て
待人入し小御門の鎰 去来


元禄3年夏、歌仙興行十三句目。
凡兆「王朝時代の設定で、待ってた人が来て門が開くんだろっ。そりゃ下働きの女房や下女がどんなの来たかって覗こうとして、押すな押すなて言ってるうちに屏風がドタッと倒れてってお約束の場面だな。」

  待人入し小御門の鎰
立かかり屏風を倒す女子共 凡兆


元禄3年夏、歌仙興行十四句目。
芭蕉「覗きの定番だったら風呂といきたいところだが、女子の方が倒すんだからな。まあ、誰もいない風呂場で屏風が倒れたってことにして、あとは想像してもらおう。」

  立かかり屏風を倒す女子共
湯殿は竹の簀子侘しき 芭蕉


元禄3年夏、歌仙興行十五句目。
去来「侘しいんでしょ。だったら花も紅葉もなかりけり、というところかなあ。何か別の物を散らして花も紅葉もないということにしようか。湯殿といえば水風呂、水風呂といえばお寺、薬草とか植えてあったり。」

  湯殿は竹の簀子侘しき
茴香の実を吹落す夕嵐 去来


元禄3年夏、歌仙興行十六句目。
凡兆「茴香だとちょっとお寺のイメージから離れられないな。そのままおとなしく釈教に持って句しかないか。」

  茴香の実を吹落す夕嵐
僧ややさむく寺にかへるか 凡兆


元禄3年夏、歌仙興行十七句目。
芭蕉「月の定座だが、寺のイメージが三句に渡っちゃったな。これは困った。こういう時は、向え付けで、逆のものを付けるとしようか。僧の反対、殺生や動物を生業に、猿引にしようか。」

  僧ややさむく寺にかへるか
さる引の猿と世を経る秋の月 芭蕉


元禄3年夏、歌仙興行十八句目。
去来「猿引きの生活感を出したいところだなあ。猿引きも家を借りて地子を払うわけだから、年一斗の米を支払う、多分それくらいだったと思った。」

  さる引の猿と世を経る秋の月
年に一斗の地子はかる也 去来

二表

元禄3年夏、歌仙興行十九句目。
凡兆「米の地子を他の商売の人にすれば簡単に展開できるな。材木屋がいいな。貯木場の水たまりに切ったばかりの木を浮かべて、筏にして出荷するのを待つ。」

  年に一斗の地子はかる也
五六本生木つけたる瀦 凡兆


元禄3年夏、二十句目。
芭蕉「水たまりは雨の降った時の水たまりに取り成せるな。普通に木が浸かっただけの水たまりで、辺りはぬかるんで足袋が汚れる。もう一つ取り囃したいな。武蔵野の粘土質の黒ぼこの道。玉鉾の道みたいだな。」

  五六本生木つけたる瀦
足袋ふみよごす黒ぼこの道 芭蕉


元禄3年夏、歌仙興行二十一句目。
去来「足袋を汚すというのを、ちょっとドジな奴にすればいいかなあ。武家に仕えるやっこさんで、主人の馬についていけなくて慌ててる刀持ちなんてどうかなあ。」

  足袋ふみよごす黒ぼこの道
追たてて早き御馬の刀持 去来


元禄3年夏、歌仙興行二十二句目。
凡兆「水たまり、足袋汚す、刀持ちと来たから、場面を変えなきゃな。街中を通る刀持ちがいれば、そこいらの丁稚小僧も走って行く。丁稚が肥桶をひっくりかえす。えっ?汚い?もっと上品に?なら」

  追たてて早き御馬の刀持
でつちが荷ふ水こぼしたり 凡兆


元禄3年夏、歌仙興行二十三句目。
芭蕉「丁稚小僧が井戸から水を運ぶ場面か。自分ちの井戸ではなく他人の家の井戸から運ぶとか、空き家がいいかな。売り屋敷で筵で囲ってあって。」

  でつちが荷ふ水こぼしたり
戸障子もむしろがこひの売家敷 芭蕉


元禄3年夏、歌仙興行二十四句目。
去来「ここは売家だから、何か侘しげな景色でも付ければいいよね。普通の植物じゃありきたりだし、唐辛子にしようか。天井守りという別名もあるから、空家の天井を守ってるみたいだし。」

  戸障子もむしろがこひの売家敷
てんじゃうまもりいつか色づく 去来


元禄3年夏、歌仙興行二十五句目。
凡兆「侘しいったら牢人の内職。それも草鞋づくりのような本来農家がやるようなものを、こそっとやってるなんざあ侘しいだろう。売値が二束三文だしな。おっと、秋だから月出していいよな。」

  てんじゃうまもりいつか色づく
こそこそと草鞋を作る月夜さし 凡兆


元禄3年夏、歌仙興行二十六句目。
芭蕉「こそこそやっていてもバレるというところで、貧しい兄妹の人情話にしようか。兄が生活のためにこっそり草鞋を作ってると、たまたま目を覚ました妹にバレる。貧しいから蚤が痒くて目を覚ます。」

  こそこそと草鞋を作る月夜さし
蚤をふるひに起し初秋 芭蕉


元禄3年夏、歌仙興行二十七句目。
去来「貧しい感じはどうしようもないから展開が難しいな。独り寝にして、打越の月を離れるから真っ暗で、鼠捕りの升落としをひっくり返してしまうって、あるあるになるかなあ。」

  蚤をふるひに起し初秋
そのままにころび落たる升落 去来


元禄3年夏、歌仙興行二十八句目。
凡兆「よし、ここは『ころび落たる』で繋いでやろう。もう一つ転び落ちる物、きちんと閉まらない半櫃の蓋。升落としも転び落ちて、その勢いで半櫃の蓋も転び落ちて、とほほ。」

  そのままにころび落たる升落
ゆがみて蓋のあはぬ半櫃 凡兆


元禄3年夏、歌仙興行二十九句目。
芭蕉「家の中の些事から抜け出さないとな。蓋の合わない半櫃のように、今の草庵もどこか自分に合ってない。これなら西行法師の面影に持ってけるだろう。」

  ゆがみて蓋のあはぬ半櫃
草庵に暫く居ては打やぶり 芭蕉


元禄3年夏、歌仙興行三十句目。
去来「西行の面影だったら『和歌の奥義を知ず候』でどうだろうか。飛躍しすぎ?転居を生かすなら‥、千載和歌集入集の知らせを受けたとか。まさに命なりけりって所で。」

  草庵に暫く居ては打やぶり
いのち嬉しき撰集のさた 去来

二裏

元禄3年夏、歌仙興行三十一句目。
凡兆「撰集の沙汰は、ここでは西行法師から切り離さないとね。編纂作業の時にいろんな恋歌を見るわけだから、いろんな恋をしたような気分になる。選者冥利というもんだ。」

  いのち嬉しき撰集のさた
さまざまに品かはりたる恋をして 凡兆


元禄3年夏、歌仙興行三十二句目。
芭蕉「品かわりたる恋をといえば、小野小町か。謡曲の卒塔婆小町のように最後は婆さんになる。」

  さまざまに品かはりたる恋をして
浮世の果は皆小町なり 芭蕉


元禄3年夏、歌仙興行三十三句目。
去来「前句はそのまま、人を慰める時に使えそうだなあ。お粥を恵んでもらって涙ぐむ老人に、泣くことないじゃないか。みんな歳をとるんだよ、って感じで。」

  浮世の果は皆小町なり
なに故ぞ粥すするにも涙ぐみ 去来


元禄3年夏、歌仙興行三十四句目。
凡兆「粥をすする境遇でどうしてそうなったのか、理由はつけられない、ってことか。でも主人はいなくて一人泣いてるとすれば、想像はつくな。」

  なに故ぞ粥すするにも涙ぐみ
御留守となれば広き板敷 凡兆


元禄3年夏、歌仙興行三十五句目。
芭蕉「なるほど本当は亡くなってるけど、知らなければ留守に見える。ならここは本当に留守の家に住み着いた乞食にするか。実は仙人とか。」

  御留守となれば広き板敷
手のひらに虱這はする花のかげ 芭蕉


元禄3年夏、歌仙興行挙句。
去来「仙人なら霞で、手に虱を這わせながらも、悟り切ったように花の影でうとうと眠りに落ちる。そのまま神仙郷に行くのかもしれない。」

  手のひらに虱這はする花のかげ
かすみうごかぬ昼のねむたさ 去来

2023年4月1日土曜日

 ツイッターで呟いた猿蓑の歌仙興行、鳶の羽もの巻。

元禄3年冬、歌仙興行発句。
芭蕉「去来、加生、あっここでは凡兆だっけ。それに史邦、今日はこの京の三人に、自分不肖芭蕉庵桃青が加わり、興行を始めようと思う。発句は去来だったね。」

去来「今日はちゃんと。」

鳶の羽も刷(かいつくろひ)ぬはつしぐれ 去来。


元禄3年冬、歌仙興行脇。
芭蕉「時雨が去って鳶も濡れた羽を掻い繕ってる。なるほど、そう来たか。だったらさっきまで吹いてた風も静まる、としよう。風が静まれば、ザワザワ音を立ててた落ち葉も静かになる。」

  鳶の羽も刷ぬはつしぐれ
一ふき風の木の葉しづまる 芭蕉


元禄3年冬、歌仙興行第三。
凡兆「発句が鳥類に降物、脇が植物かよ。冬は二句で終わりだから無季でもいいか。なら旅体でいったろ。風も静まったので川を渡る。それに取り囃しだ。川を渡るから股引きが濡れるなんてどや。」

  一ふき風の木の葉しづまる
股引の朝からぬるる川こえて 凡兆


元禄3年冬、歌仙興行四句目。
史邦「ならばそれがしは畑へ行く百姓ってことにしましょう。鋤や鍬では芸がありません。ここは一つ弓で害獣駆除としましょう。百姓が俄かに拵えた弓ということで、こんなふうに。」

  股引の朝からぬるる川こえて
たぬきををどす篠張の弓 史邦


元禄3年冬、歌仙興行五句目。
芭蕉「狸が出たか。だったら狸に化かされる話にしよう。森の中にやけに立派な屋敷があって、何か変だ。修験者がやって来て弓をブンブン鳴らすと、術が解けたか元の廃墟になる。」

  たぬきををどす篠張の弓
まいら戸を蔦這かかる宵の月 芭蕉


元禄3年冬、歌仙興行六句目。
去来「えーっと、山奥に住む粗末な庵で、どんな風流人かと思ったら、蜜柑に厳重な囲いをしてたり、徒然草にそんな話あったでしょ。あっ、元ネタと少し変えないとね。梨をケチるとか。」

  まいら戸に蔦這かかる宵の月
人にもくれず名物の梨 去来

初裏

元禄3年冬、歌仙興行七句目。
史邦「この『人にもくれず』は梨ではなく『人には目もくれず』と読めますね。でしたら取り成しといきましょう。ひたすら閉じ籠って絵を描いている隠士としましょう。」

  人にもくれず名物の梨
かきなぐる墨絵おかしく秋暮て 史邦


元禄3年冬、歌仙興行八句目。
凡兆「そんじゃさあ、その隠士の衣裳で今流行りのメリヤス足袋を履かせちゃおう。ありゃほんと良いよ。みんな履いてみなよ。」

  かきなぐる墨絵おかしく秋暮て
はきごころよきめりやすの足袋 凡兆


元禄3年冬、歌仙興行九句目。
去来「ああ、わかるわあ。メリヤスの足袋推しの奴。こういうの話し出したら止まらないんだよね。あっ凡ちゃんのことじゃないから。」

  はきごころよきめりやすの足袋
何事も無言の内はしずかなり 去来


元禄3年冬、歌仙興行十句目。
芭蕉「無言といえば無言行という修験の修行があったな。午の刻になって修行の終了を告げる法螺貝が鳴ると、急にざわつき始める。旅でたまたま通りかかって、これまで静かだったが、って展開しようか。」

  何事も無言の内はしづかなり
里見え初めて午の貝ふく 芭蕉


元禄3年冬、歌仙興行十一句目。
凡兆「法螺貝吹くというと、やっぱ修験者は動かせないな。だったら修験者の位で修験者あるあるを付けりゃいいのか。外で茣蓙引いて寝てるうちに茣蓙が駄目になって里に降りて来る」

  里見え初めて午の貝ふく
ほつれたる去年のねござしたたるく 凡兆


元禄3年冬、歌仙興行十二句目。
史邦「茣蓙が駄目になるのでしたら、駄目つながりで、蓮の花でも散らしておきましょう。蓮が散るだといかにも諸行無常な感じになりすぎるので、あえて別名の芙蓉にしておきましょう。」

  ほつれたる去年のねござしたたるく
芙蓉のはなのはらはらとちる 史邦


元禄3年冬、歌仙興行十三句目。
芭蕉「蓮の花が散るんだったらお寺かな。肥後の水前寺は昔はお寺があったが今は庭園になっていて、水前寺茶屋で出す水前寺海苔の吸い物ってのを一度食べてみたいな。いつか九州行脚もしたいな。」

  芙蓉のはなのはらはらとちる
吸物は先出来されしすいぜんじ 芭蕉


元禄3年冬、歌仙興行十四句目。
去来「『出来(でか)され』というのは悪い方の意味もあるから、取りなせば良いかなあ。吸物を食いに行くと主人が言い出して、三里の道を歩かされるとか。」

  吸物は先出来されしすいぜんじ
三里あまりの道かかえける 去来


元禄3年冬、歌仙興行十五句目。
史邦「三里の道を何かのために行くということですね。何か好事家や風流人って感じでしょうね。茶道でしょうか。唐の時代の盧同とか、それに仕える人とか。」

  三里あまりの道かかえける
この春も盧同が男居なりにて 史邦


元禄3年冬、歌仙興行十六句目。
凡兆「『盧同が男』ってっから弟子ってことでいいよな。で、春の句だからこの辺で朧月へ行かないとな。次が花の定座だし。弟子で植物(うゑもの)と言ったら挿し木か。弟子を挿し木に喩える。」

  この春も盧同が男居なりにて
さし木つきたる月の朧夜 凡兆


元禄3年冬、歌仙興行十七句目。
芭蕉「花の定座だから、挿し木は桜の挿し木しかないよね。桜の挿し木は例えば手水鉢に苔を入れて、そこに挿しておいて、それを並べるとか、それぐらいかな。」

  さし木つきたる月の朧夜
苔ながら花に並ぶる手水鉢 芭蕉


元禄3年冬、歌仙興行十八句目。
去来「桜の花の手水鉢、まあ庭とかない街での暮らしで癒されたりとか、そんなところかなあ。イライラしてたのが直るとか。」

  苔ながら花に並ぶる手水鉢
ひとり直し今朝の腹だち 去来

二表

元禄3年冬、歌仙興行十九句目。
凡兆「イライラしてんなら、食やいいだろっ。しっかりうまいもん食って、腹がいっぱいになれば全部忘れるってもんよ。おらあいつもそうしてる。」

  ひとり直し今朝の腹だち
いちどきに二日の物も喰て置 凡兆


元禄3年冬、歌仙興行二十句目。
史邦「さすが猪早太さん。食う時も猪突猛進ってわけですね。まるで冬眠前の熊ですね。ああそうか、そう付ければいいんだ。さすがに熊ではなく、食料の安定しない島の漁師にしますが。」

  いちどきに二日の物も喰て置
雪けにさむき島の北風 史邦


元禄3年冬、歌仙興行二十一句目。
去来「北風吹きすさぶ離島といえば灯台守。雨の日も風の日も雪の日も灯りを灯し続ける。大変だなあ。」

  雪けにさむき島の北風
火ともしに暮れば登る峰の寺 去来


元禄3年冬、歌仙興行二十二句目。
芭蕉「取り成しは難しいから、季節を冬から夏に転じて、島ではなく普通に山奥にして大きく展開したい所だな。夏の山奥というとホトトギスだが、普通に鳴いてもつまらない。」

  火ともしに暮れば登る峰の寺
ほととぎす皆鳴仕舞たり 芭蕉


元禄3年冬、歌仙興行二十三句目。
史邦「『皆鳴仕舞』は季節が変わった、時が流れたと出来そうですね。ただまだ残暑厳しいとなると夏痩せした体もそのままで、それじゃまだ弱いか。でしたら病気で寝込んでたことにしましょう。」

  ほととぎす皆鳴仕舞たり
痩骨のまだ起直る力なき 史邦


元禄3年冬、歌仙興行二十四句目。
凡兆「病人かよ。だったらお見舞いか。そろそろ恋を出さなくちゃな。光源氏って乳母の病期見舞いの時に夕顔と知り合ったよな。牛車で見舞いに来て、元ネタと少し変える。恋の言葉が入んないから恋呼び出し。」

  痩骨のまだ起直る力なき
隣をかりて車引こむ 凡兆


元禄3年冬、歌仙興行二十五句目。
芭蕉「隣に車を引き込ませて、そこからこちらへというと、門を開けてやらないということかな。隣との塀を越えて入らせる、それはないな。トゲトゲの木の間をくぐらせろ。」

  隣をかりて車引こむ
うき人を枳穀垣よりくぐらせん 芭蕉


元禄3年冬、歌仙興行二十六句目。
去来「憂き人は恋でなくてもいいかな。犯罪者をかくまうとか、合戦の落人とか、だったら刀を持たせればいいかなあ。」

  うき人を枳穀垣よりくぐらせん
いまや別の刀さしだす 去来


元禄3年冬、歌仙興行二十七句目。
凡兆「合戦に破れて運命を共にするのではなく、刀を差し出して逃げろってゆうんだろ。そりゃまだ子供か女だな。木曾義仲と巴御前の別れみたいな。髪を下ろして村人に見えるようにして。」

  いまや別の刀さしだす
せはしげに櫛でかしらをかきちらし 凡兆


元禄3年冬、歌仙興行二十八句目。
史邦「前句は狂乱物に見えなくもないですね。恋心を断とうとして死ぬほど悶え苦しむ。芝居仕立てだとわかるように『見よ』としておきましょう。」

  せはしげに櫛でかしらをかきちらし
おもひ切たる死ぐるひ見よ 史邦


元禄3年冬、歌仙興行二十九句目。
去来「月の定座で恋か。ここはさらっと後朝の情景にして逃げておこう。ただ朝ぼらけ有明の月ではありきたりだから、何かあまり使わない言葉を‥、青天がいいか。」

  おもひ切たる死ぐるひ見よ
青天に有明月の朝ぼらけ 去来


元禄3年冬、歌仙興行三十句目。
芭蕉「夜明けの青みを帯びた空に有明の月。普通に名所の景色とか付けて良さそうだな。近頃は木曽塚が拠点になってるから、そこから見える琵琶湖と比良の山、朝だから初霜。おっと、秋にしないと。」

  青天に有明月の朝ぼらけ
湖水に秋の比良のはつ霜 芭蕉

二裏

元禄3年冬、歌仙興行三十一句目。
史邦「秋の初霜を生かしたいですね。蕎麦は霜に弱いそうで、澄恵僧都の隣の畑の蕎麦が全部盗まれて歌を詠んだという話がありますが、きっと霜で枯れたのを盗まれたことにしたんでしょうね。」

  湖水に秋の比良のはつ霜
柴の戸や蕎麦ぬすまれて歌をよむ 史邦


元禄3年冬、歌仙興行三十二句目。
凡兆「蕎麦盗まれてじゃあ晩秋から冬は動かせない。軽く冬の季節を付けて流しておくか。もう終わりが近いし。だったら綿入れの布子。打越の霜が朝だから夕暮れに転じる。」

  柴の戸や蕎麦ぬすまれて歌をよむ
ぬのこ着習ふ風の夕ぐれ 凡兆


元禄3年冬、歌仙興行三十三句目。
芭蕉「『着習ふ』だったら旅を続けてようやく慣れてきたとして、旅体にできるな。安い宿で来る者拒まずで、詰め込むだけ詰め込んで雑魚寝させる。」

  ぬのこ着習ふ風の夕ぐれ
押合て寝ては又立つかりまくら 芭蕉


元禄3年冬、歌仙興行三十四句目。
去来「寝てはまた発つんだから夜明けかなあ。ここで有明も青天も使っちゃったからなあ。朝焼けにしようか。たたらの煮えたぎった鉄のような真っ赤な朝焼けってのはどうかなあ。」

  押合て寝ては又立つかりまくら
たたらの雲のまだ赤き空 去来


元禄3年冬、歌仙興行三十五句目。
凡兆「さあ花の定座だ。ここはたたらが見た赤い空に桜が見えるってとこだな。たたらが一心不乱に何かを作って、気付くと日も暮れて、夕日に染まった雲のような桜が見える。馬の鞦(しりがい)を作ってて。」

  たたらの雲のまだ赤き空
一構鞦つくる窓のはな 凡兆


元禄3年冬、歌仙興行挙句。
史邦「ではここは景色を付けて終わらせましょう。窓の外には桜だけでなく、他の木も見えて、ああいいこと思いつきました。枇杷にしましょう。枇杷はお灸に使いますので、疲れたたたらに丁度良いでしょう。」

  一構鞦つくる窓のはな
枇杷の古葉に木芽もえたつ 史邦