今日は寄のしだれ桜まつりを見に行った。特に祭りっぽいことをやってるわけでもないが、一応駐車場をそれ用に開放し、ワゴン車で土佐原枝垂れ桜までのピストン便が出ていた。特に出店とかはなかった。午後になると車は駐車場に入りきらずに、外の道に止めるようになってたようだ。
月曜日に行った時には土佐原の枝垂れ桜や川沿いの宇津茂の枝垂れ桜は満開だったが、今日はだいぶ散ってしまっていた。ただ、前回は咲き初めだった山の上の方や中津川の向こう側の並木が咲き揃っていた。
今日は民宿「せと」の前にある中山枝垂れ桜とゴルフ場の方へ上がってった方の萱沼枝垂れ桜も見に行き、前回虫沢の枝垂れ桜を見たので寄五大しだれ桜をコンプリートした。
それではツイッターで呟いた猿蓑の歌仙興行、市中はの巻。
初表
それでは猿蓑の歌仙をもう一つ。
元禄3年夏、歌仙興行発句。
芭蕉「今日は加生の屋敷を借りて、去来と自分不肖芭蕉庵桃青とで三吟歌仙を始める。発句は‥。」
凡兆「名前変えたけどそろそろ覚えてよ。」
芭蕉「では凡ちゃん。発句を。」
市中は物のにほひや夏の月 凡兆
元禄3年夏、歌仙興行脇。
芭蕉「京都市中では牛の糞尿の匂いもするし、夏の月が出てもむわっとした感じがよく出てるな。客人が詠む時は涼しいと褒める所だが、主人の句ならこれもありか。なら自分も飾らずに。」
市中は物のにほひや夏の月
あつしあつしと門々の声 芭蕉
元禄3年夏、歌仙興行第三。
去来「発句が市中だから農村に転じればいいかなあ。異常な暑さで稲が早く実るみたいな感じで、秋口の二番草取りも終わらないうちに穂が出始めたとか、どうかなあ。」
あつしあつしと門々の声
二番草取りも果さず穂に出て 去来
元禄3年夏、歌仙興行四句目。
凡兆「そんな早く穂が出ちゃうと忙しいよな。なら忙しさを感じさせるような何かってわけだ。忙しけりゃ飯もきちんと食えないよな。うるめ鰯の干物一枚炙るだけで、さっと飯を済ます。」
二番草取りも果さず穂に出て
灰うちたたくうるめ一枚 凡兆
元禄3年夏、歌仙興行五句目。
芭蕉「うるめ一枚か。農家から漁村に転じればいいかな。みちのくの旅で見たうらぶれた漁村で、ああそう言えば銀が使えなくて曾良が銭の両替に苦労してたな。」
灰うちたたくうるめ一枚
此筋は銀も見しらず不自由さよ 芭蕉
元禄3年夏、歌仙興行六句目。
去来「みちのくを離れなくてはいけないね。銀を知らないは銭しか持ったことがないような奴らばかり、しけてるな、ってヤクザだね。だったらヤクザが持ってそうなのはと、長脇差。どう見ても長刀。」
此筋は銀も見しらず不自由さよ
ただとひやうしに長き脇差 去来
初裏
元禄3年夏、歌仙興行七句目。
凡兆「ヤクザってか刺客だな。冷徹な殺し屋だ。こういうのは幾多の修羅場を掻い潜ってて用心深いから、『俺の後ろに立つな』だな。そう言って振り向いたらってしよう。」
ただとひやうしに長き脇差
草村に蛙こはがる夕まぐれ 凡兆
元禄3年夏、歌仙興行八句目。
芭蕉「蛙を怖がるったら乙女でしょう。キャッ、蛙、って感じでね。蕗の芽を摘みに行った少女ってことで良いかな。」
草村に蛙こはがる夕まぐれ
蕗の芽とりに行燈ゆりけす 芭蕉
元禄3年夏、歌仙興行九句目。
去来「行燈の火がふっと消えるのは不吉な感じだなあ。何かこの娘に良からぬことが起きそうな。ううん、刈萱道心の娘みたいに一家の大黒柱が散る花を見て突然出家して、生活が滅茶苦茶とか。」
蕗の芽をとりに行燈ゆりけす
道心のおこりは花のつぼむ時 去来
元禄3年夏、歌仙興行十句目。
凡兆「花を見て発心って仏教説話の定番だし、いくらでも作れそうだな。撰集抄で西行法師が能登で出会った見佛上人でも仄めかしておこうか。あの松島へ瞬間移動するやつ。」
道心のおこりは花のつぼむ時
能登の七尾の冬は住うき 凡兆
元禄3年夏、歌仙興行十一句目。
芭蕉「だったら能登の七尾にいそうに人物でも登場させようか。漁師は魚の骨なんてバリバリ食うからな。それができなくなった老人は住み辛いだろうな。」
能登の七尾の冬は住みうき
魚の骨しはぶる迄の老を見て 芭蕉
元禄3年夏、歌仙興行十二句目。
去来「よぼよぼの老人かあ。あの源氏物語で末摘花の所から出て行く時の鍵の爺さんなんてどうかなあ。車を出そうとして爺さんを探しに行くあの場面。」
魚の骨しはぶる迄の老を見て
待人入し小御門の鎰 去来
元禄3年夏、歌仙興行十三句目。
凡兆「王朝時代の設定で、待ってた人が来て門が開くんだろっ。そりゃ下働きの女房や下女がどんなの来たかって覗こうとして、押すな押すなて言ってるうちに屏風がドタッと倒れてってお約束の場面だな。」
待人入し小御門の鎰
立かかり屏風を倒す女子共 凡兆
元禄3年夏、歌仙興行十四句目。
芭蕉「覗きの定番だったら風呂といきたいところだが、女子の方が倒すんだからな。まあ、誰もいない風呂場で屏風が倒れたってことにして、あとは想像してもらおう。」
立かかり屏風を倒す女子共
湯殿は竹の簀子侘しき 芭蕉
元禄3年夏、歌仙興行十五句目。
去来「侘しいんでしょ。だったら花も紅葉もなかりけり、というところかなあ。何か別の物を散らして花も紅葉もないということにしようか。湯殿といえば水風呂、水風呂といえばお寺、薬草とか植えてあったり。」
湯殿は竹の簀子侘しき
茴香の実を吹落す夕嵐 去来
元禄3年夏、歌仙興行十六句目。
凡兆「茴香だとちょっとお寺のイメージから離れられないな。そのままおとなしく釈教に持って句しかないか。」
茴香の実を吹落す夕嵐
僧ややさむく寺にかへるか 凡兆
元禄3年夏、歌仙興行十七句目。
芭蕉「月の定座だが、寺のイメージが三句に渡っちゃったな。これは困った。こういう時は、向え付けで、逆のものを付けるとしようか。僧の反対、殺生や動物を生業に、猿引にしようか。」
僧ややさむく寺にかへるか
さる引の猿と世を経る秋の月 芭蕉
元禄3年夏、歌仙興行十八句目。
去来「猿引きの生活感を出したいところだなあ。猿引きも家を借りて地子を払うわけだから、年一斗の米を支払う、多分それくらいだったと思った。」
さる引の猿と世を経る秋の月
年に一斗の地子はかる也 去来
二表
元禄3年夏、歌仙興行十九句目。
凡兆「米の地子を他の商売の人にすれば簡単に展開できるな。材木屋がいいな。貯木場の水たまりに切ったばかりの木を浮かべて、筏にして出荷するのを待つ。」
年に一斗の地子はかる也
五六本生木つけたる瀦 凡兆
元禄3年夏、二十句目。
芭蕉「水たまりは雨の降った時の水たまりに取り成せるな。普通に木が浸かっただけの水たまりで、辺りはぬかるんで足袋が汚れる。もう一つ取り囃したいな。武蔵野の粘土質の黒ぼこの道。玉鉾の道みたいだな。」
五六本生木つけたる瀦
足袋ふみよごす黒ぼこの道 芭蕉
元禄3年夏、歌仙興行二十一句目。
去来「足袋を汚すというのを、ちょっとドジな奴にすればいいかなあ。武家に仕えるやっこさんで、主人の馬についていけなくて慌ててる刀持ちなんてどうかなあ。」
足袋ふみよごす黒ぼこの道
追たてて早き御馬の刀持 去来
元禄3年夏、歌仙興行二十二句目。
凡兆「水たまり、足袋汚す、刀持ちと来たから、場面を変えなきゃな。街中を通る刀持ちがいれば、そこいらの丁稚小僧も走って行く。丁稚が肥桶をひっくりかえす。えっ?汚い?もっと上品に?なら」
追たてて早き御馬の刀持
でつちが荷ふ水こぼしたり 凡兆
元禄3年夏、歌仙興行二十三句目。
芭蕉「丁稚小僧が井戸から水を運ぶ場面か。自分ちの井戸ではなく他人の家の井戸から運ぶとか、空き家がいいかな。売り屋敷で筵で囲ってあって。」
でつちが荷ふ水こぼしたり
戸障子もむしろがこひの売家敷 芭蕉
元禄3年夏、歌仙興行二十四句目。
去来「ここは売家だから、何か侘しげな景色でも付ければいいよね。普通の植物じゃありきたりだし、唐辛子にしようか。天井守りという別名もあるから、空家の天井を守ってるみたいだし。」
戸障子もむしろがこひの売家敷
てんじゃうまもりいつか色づく 去来
元禄3年夏、歌仙興行二十五句目。
凡兆「侘しいったら牢人の内職。それも草鞋づくりのような本来農家がやるようなものを、こそっとやってるなんざあ侘しいだろう。売値が二束三文だしな。おっと、秋だから月出していいよな。」
てんじゃうまもりいつか色づく
こそこそと草鞋を作る月夜さし 凡兆
元禄3年夏、歌仙興行二十六句目。
芭蕉「こそこそやっていてもバレるというところで、貧しい兄妹の人情話にしようか。兄が生活のためにこっそり草鞋を作ってると、たまたま目を覚ました妹にバレる。貧しいから蚤が痒くて目を覚ます。」
こそこそと草鞋を作る月夜さし
蚤をふるひに起し初秋 芭蕉
元禄3年夏、歌仙興行二十七句目。
去来「貧しい感じはどうしようもないから展開が難しいな。独り寝にして、打越の月を離れるから真っ暗で、鼠捕りの升落としをひっくり返してしまうって、あるあるになるかなあ。」
蚤をふるひに起し初秋
そのままにころび落たる升落 去来
元禄3年夏、歌仙興行二十八句目。
凡兆「よし、ここは『ころび落たる』で繋いでやろう。もう一つ転び落ちる物、きちんと閉まらない半櫃の蓋。升落としも転び落ちて、その勢いで半櫃の蓋も転び落ちて、とほほ。」
そのままにころび落たる升落
ゆがみて蓋のあはぬ半櫃 凡兆
元禄3年夏、歌仙興行二十九句目。
芭蕉「家の中の些事から抜け出さないとな。蓋の合わない半櫃のように、今の草庵もどこか自分に合ってない。これなら西行法師の面影に持ってけるだろう。」
ゆがみて蓋のあはぬ半櫃
草庵に暫く居ては打やぶり 芭蕉
元禄3年夏、歌仙興行三十句目。
去来「西行の面影だったら『和歌の奥義を知ず候』でどうだろうか。飛躍しすぎ?転居を生かすなら‥、千載和歌集入集の知らせを受けたとか。まさに命なりけりって所で。」
草庵に暫く居ては打やぶり
いのち嬉しき撰集のさた 去来
二裏
元禄3年夏、歌仙興行三十一句目。
凡兆「撰集の沙汰は、ここでは西行法師から切り離さないとね。編纂作業の時にいろんな恋歌を見るわけだから、いろんな恋をしたような気分になる。選者冥利というもんだ。」
いのち嬉しき撰集のさた
さまざまに品かはりたる恋をして 凡兆
元禄3年夏、歌仙興行三十二句目。
芭蕉「品かわりたる恋をといえば、小野小町か。謡曲の卒塔婆小町のように最後は婆さんになる。」
さまざまに品かはりたる恋をして
浮世の果は皆小町なり 芭蕉
元禄3年夏、歌仙興行三十三句目。
去来「前句はそのまま、人を慰める時に使えそうだなあ。お粥を恵んでもらって涙ぐむ老人に、泣くことないじゃないか。みんな歳をとるんだよ、って感じで。」
浮世の果は皆小町なり
なに故ぞ粥すするにも涙ぐみ 去来
元禄3年夏、歌仙興行三十四句目。
凡兆「粥をすする境遇でどうしてそうなったのか、理由はつけられない、ってことか。でも主人はいなくて一人泣いてるとすれば、想像はつくな。」
なに故ぞ粥すするにも涙ぐみ
御留守となれば広き板敷 凡兆
元禄3年夏、歌仙興行三十五句目。
芭蕉「なるほど本当は亡くなってるけど、知らなければ留守に見える。ならここは本当に留守の家に住み着いた乞食にするか。実は仙人とか。」
御留守となれば広き板敷
手のひらに虱這はする花のかげ 芭蕉
元禄3年夏、歌仙興行挙句。
去来「仙人なら霞で、手に虱を這わせながらも、悟り切ったように花の影でうとうと眠りに落ちる。そのまま神仙郷に行くのかもしれない。」
手のひらに虱這はする花のかげ
かすみうごかぬ昼のねむたさ 去来
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