2020年5月31日日曜日

 香港も大変だがアメリカも大変なことになっているな。
 西洋かぶれの人間からすればアメリカは最も人権の進んだ社会で、人種や性やマイノリティーのあらゆる差別が糾弾され、最も法整備の進んだ社会なのだと言う。当然ながらそういう人たちからすれば日本は世界で最も遅れた国だということになる。
 アメリカは自由だからデモも起これば暴動も起こる。日本には自由がないからデモも暴動も起せない。果たしてそれは本当なのだろうか。
 なんかこの議論はコロナ対策の議論にも似ている。西洋のコロナ対策は進んでいて、それに較べれば日本は検査もろくに出来ないし、科学的エビデンスもなしに自粛を要請して、同調圧力によって人権は奪われ、差別が蔓延し、世界で最も悲惨な状態にある。欧米ならとっくに革命が起きているレベルだと言う。
 こういう考え方は、結局香港やアメリカの問題よりもまず安倍政権を倒すことが先決だという結論に至る。
 彼等の主張は欧米社会でも受け入れられやすく、彼等の主張をそのまま信じて日本を蔑んでいる欧米人も多いことだろう。
 でも現実はまったくその反対ではないか。
 彼等が崇拝している西洋の人権思想というやつが、実は西洋社会の深刻な差別を根本から解決できずに放置し、コロナに対しても大きな弱点を作ってしまったのではなかったか。
 西洋の人権思想には大きくいって二つの問題がある。
 一つは精神による肉体の支配という霊肉二元論の発想。これに関してはマルクス・ガブリエルも免れてない。これが精神のある者はすべての肉体を隷属させてもかまわないという思想に繋がっている。
 古い時代にはどこの国にも少なからず奴隷制は存在した。日本の中世にも「下人」という人たちがいて、人身売買がされていた。だが、西洋が作り出した近代の奴隷制はそれとはまったく別物で、はるかに過酷なものだった。
 この霊肉二元論は精神の単一性と肉体の多様性を対比させるもので、いかにマイノリティーの人権を声高に叫んでも、それは肉体の多様性の開放にしかならない。精神や文化の多様性がそこからこぼれ落ちてしまうため、権利は認められても実質的な差別は何一つ変わらず継続されている。単一の価値観に服従しないものは結局権利が与えられてないのと同じだ。
 もう一つは力の均衡という考え方だ。これは「万人の万人に対する闘争状態」に平和をもたらすのが力の均衡しかないという考え方だ。これによって、マイノリティーは永遠に解放のために戦い続けなくてはならない。
 日本は多神教の風土によって、精神の多様性が認められ、異なる価値観の相手でもお互いに察して気遣いながら生活するすべを知っている。
 異なる価値観を持ちながらそれが緩やかに世間という一つのまとまりを形成しているため、暴力的に世間の秩序を破壊するよりも、心情に訴えかけて共感を得て、同じ人間だということを認めさせるほうが効果的になる。
 アメリカは見かけの上だけで平等な権利を与えたが、実質的には黒人は白人の文化を受け入れないがためにその「精神」を剥奪され、白人に隷属している。
 その多くはサービス業や肉体労働に従事し、テレワークの対象外にある。相対的に貧しく、コロナが蔓延しても医療費も検査費も払えない。マスクをすれば犯罪者かと疑われ射殺されかねない。頼れるのは家族や仲間だけだから、それで感染を広めてしまう。
 高度な医療技術を持っていても、それをすべての国民に分け与えることが出来なければ何の意味もない。それが日本とアメリカの差になったのではないかと思う。

   明日は雪で何を作ろう
 白菜と葱はあるけど肉はなく

 それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。

 二裏。
 三十七句目。

   うちぬる宿の夜なよなの秋
 山ふかし稲もるひたの音はして   長敏

 「ひた(引き板)」は鳴子のことで、コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 「大きな音を立てて鳥獣を驚かしこれを追い払う道具。おもに農作の害となる鳥獣を防除するために用いられるが,防犯用として用いられることもある。小さな板に竹管などを紐で添え,綱にこれを多数取り付けておく。農家ではおもに子どもや老人がこの綱の一端を引いてこれを鳴らす役目にあたる。金属器を用いた鳴子もある。竹筒などで水を引き入れたり,流水を利用して音を立てる〈ばったり〉〈ししおどし〉も鳴子の一種といえる。案山子(かかし)【大島 暁雄】」

とある。
 「デジタル大辞泉の解説」の「引板」のところには、

 「わが門のむろのはや早稲かり上げておくてにのこるひたの音かな」〈宇治百首〉

の用例が記されている。
 『応安新式』の一座一句物のところにも、「隠家 そとも なるこ ひだ とぼそ 閨 如此類」とある。
 前句の「うちぬる」に「ひた」の打つを掛けた掛けてにはのよる付け。
 三十八句目。

   山ふかし稲もるひたの音はして
 つらきはさらにやむ時もなし    銭阿

 『源氏物語』手習巻の本説であろう。
 匂宮と薫との間で板ばさみになって入水した浮舟は、奇跡的に助けられて比叡山の麓の小野山荘で暮らすが、ここでも近衛中将から恋を持ちかけられる。辛いことはこんな山の中でさえ止むことがない。
 三十九句目

   つらきはさらにやむ時もなし
 雲となる人の形見の袖の雨     心敬

 前句の「やむ」に「袖の雨」を付ける掛けてには。
 火葬の煙が雲となるのは哀傷歌の一つのパターンで、

 なき人の形見の雲やしぐるらむ
     夕べの雨に色は見えねど
            太上天皇(後鳥羽院、新古今集)

の歌もある。
 四十句目。

   雲となる人の形見の袖の雨
 夢より外に何をたのまん      宗悦

 金子金次郎の注にもあるように、巫山の雲雨の本説による付け。
 コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「《宋玉の「高唐賦」の、楚の懐王が昼寝の夢の中で巫山の神女と契ったという故事から》男女が夢の中で結ばれること。また、男女が情を交わすこと。巫山の雲。巫山の雨。巫山の夢。朝雲暮雨。」

とある。
 ここでは亡くなった人と巫山の雲雨のようにまた夢で逢えることを願う。
 四十一句目。

   夢より外に何をたのまん
 散る花につれなき老を慰めて    宗祇

 興の乗ってきたところで、二本目の花となる。
 散る花は本来悲しいものだが、老人はそれに慰められるという。
 奇をてらった展開だが、花だって散ってしまうのだから、自分がやがて死を迎えることも定めだ、この人生すべてが夢であってくれればいい、という一種の悟りとする。
 心敬は二条良基の時代からの千句興行などの速いペースで付けてゆく連歌のゲーム性を重視して、ある意味で通俗的なわかりやすさを良しとするところがある。出典を取るにしても誰もが知っているようなものを用い、むしろ実景を比喩に取り成したり比喩を実景に取り成したり、あまり情をはさまない理詰めの展開の意外さ、面白さが持ち味でもある。
 これに対し宗祇は心情を深く掘り下げようとしてゆく。連歌はこれによって一つの芸術的な頂点には達するが、心情が深ければ深いほど次の句が付けにくくなり、ゲームとしての面白さが失われて行くことにもなる。
 宗祇は連歌において一つの頂点を築いたが、頂点を極めてしまうと、あとは衰退の道が待っている。それは芭蕉にしても同じだったかもしれない。
 四十二句目。

   散る花につれなき老を慰めて
 春のこころは昔にも似ず      幾弘

 多分一座としては付けづらい重くなる場面だったのだろう。
 散る花を悲しむのではなく慰めにするという複雑な老境の情を、どう取り成せばいいものやら、展開がしにくい。
 幾弘の答えは「若い頃はそんなこと思いもしなかった」というものだった。

2020年5月30日土曜日

 今日の夕方は激しく渋滞した。
 感染防止のために公共交通機関を避けたままみんな外出すれば、道路は自動車と自転車で溢れかえってしまう。この渋滞はしばらく続きそうだ。

   スコップの立ててあるのをちら見して
 明日は雪で何を作ろう

 それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。

 三十一句目。

   ふるき桜のかげぞさびたる
 あまたへし春のみつらき草の戸に  長敏

 目出度いはずの春を辛いと感じるのは、杜甫の「春望」の「時に感じては花にも涙を濺ぎ、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」の心であろう。
 昔からある桜が今年も花を咲かせているのすら辛く思えば、花も色を失ったように感じる。
 三十二句目。

   あまたへし春のみつらき草の戸に
 かすむともなく寒き山風      修茂

 前句の辛さを単に山風の寒い土地柄とする。修茂の城のある上州も空っ風が有名だ。
 三十三句目。

   かすむともなく寒き山風
 雪はらふ遠方人の袖消えて     心敬

 激しく降る雪が遠方人(おちかたびと:遠くに見える人)の姿をかき消してゆく。それは霞むなんて生易しいものではない。
 三十四句目。

   雪はらふ遠方人の袖消えて
 かれ野にたかきあかつきの鐘    宗祇

 前句の「遠方人の袖消えて」を雪のちらつく朝未明に旅立っていった人の姿がはるか彼方に見えなくなったとし、広大な枯れ野原に暁の鐘が鳴り響く。
 宗祇もまた都を逃れ武蔵野を旅してきた。
 三十五句目。

   かれ野にたかきあかつきの鐘
 在明の影やさやかに成りぬらむ   覚阿

 この頃はまだ月の定座はなかったが、二の表にこれまで月の句がなかったので、ここで月が登場することとなった。
 定座の起源はみんなが月や花の句を遠慮して付けないので、最後の長句で詠むことが多くなったからだという。
 三十六句目。

   在明の影やさやかに成りぬらむ
 うちぬる宿の夜なよなの秋     満助

 「うちぬる」は「寝る」に接頭語の「うち」が付いたもの。「うち」は元は不意に、という意味を持っていたが、「不意に寝る」というところから、「不本意にもここで寝る」というニュアンスに変わっていったか。
 長く旅を続けていると、いつしか秋も深まり、以前見た有明よりも今朝の有明はさやかに見える。

2020年5月29日金曜日

 東京都と北九州市で感染者が増えている。まだ戦いは終っていない。まあ、残党狩りという感じもしないでもないが、油断するとそこから一気に巻き返されてしまう。
 麻雀で喩えるならようやく東場東一局で親の連荘が終った所。これから東二局に入る。

   ゾンビ四五人世間話を
 スコップの立ててあるのをちら見して

 それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。

 二十三句目。

   かはるやどりぞとふ人もなき
 有増の程こそさそへ山のおく    修茂

 「有増の程をさそえばこそ」の倒置。「あらまし」は「こうしたい」ということ。山の奥ですんで見たいという友人の夢を聞かされて、自分も山の奥に籠ってみたが、友人の方は気が変わってしまったか。
 二十四句目。

   有増の程こそさそへ山のおく
 はつほととぎす過るむら雨     長敏

 友人の誘いは「初時鳥を聞きたい」というものだった。
 金子金次郎は、

 いかにせむこぬ夜あまたの郭公
     またじと思へば村雨の空
              藤原家隆(新古今集)

の歌を引いている。
 二十五句目。

   はつほととぎす過るむら雨
 うらめしくこぬ夜あまたに又成りて 心敬

 金子金次郎の引用歌がネタバレになってしまったが、家隆の歌の「こぬ夜あまたの郭公」を分解して歌てにはとして使用し、ホトトギスではなく愛しい人の来ぬ夜あまたから、ホトトギスは鳴いたけどあの人は来ないとする。
 二十六句目。

   うらめしくこぬ夜あまたに又成りて
 枕のしらむ独ねもうし       宗祇

 眠れぬ夜を明かして夜も白むと枕も白む。その白むに「知らむ」を掛けている。
 二十七句目。

   枕のしらむ独ねもうし
 心だに思ひまさればうき物を    宗悦

 来ぬ人を待つ独り寝から片思いの独り寝に変える。
 二十八句目。

   心だに思ひまさればうき物を
 なみだはしひて猶や落らん     心敬

 この場合の「しひて」は止めようもなく、止め処もなく、という意味か。
 二十九句目。

   なみだはしひて猶や落らん
 君が代を誰白河の瀧津浪      宗祇

 金子金次郎は、

   さきのおほきおほいまうちぎみを、
   白川のあたりに送りける夜よめる
 血の涙落ちてぞたぎつ白川は
      君が世までの名にこそありけれ
            素性法師(古今集)

の歌を引いている。本歌は白川が血の涙で赤くなったというものだが、その辺は取らずに、白河の滝のように涙は止め処もなく落ちるとする。
 「浪(なみ)」に「なみだ」と繋げるあたりも芸が細かい。上句全体が「なみだ」を導き出すための序詞のように機能している。
 「誰白川」も「誰知る、白川」と掛詞になっている。
 三十句目。

   君が代を誰白河の瀧津浪
 ふるき桜のかげぞさびたる     幾弘

 金子金次郎は、

 なれなれて見しは名残の春ぞとも
     など白川の花の下陰
            飛鳥井雅経(新古今集)

を引いている。前句の辛い別れから「君が代」の昔を偲ぶ方に展開する。昔を偲べば華やかなはずの桜も悲しげに影がさびて見える。

2020年5月28日木曜日

 今日も暑かった。夕方に少し雨が降った。
 制限をゆるめると感染者が増えるのは、当たり前といえば当たり前のことだ。他の国でも起きているようだし。
 たとえ一国でコロナウイルスを消滅させたとしても、またどこかの国から入ってくる。全世界でコロナウイルスを撲滅できればそれが理想だが、それが出来ないとなると、できる限り緩やかに時間をかけて感染を広め、死者を最低限に食い止めながら集団免疫をめざすということになる。
 どちらの選択をするにしてもすべきことは同じだ。とにかく爆発的に感染者が増加して医療崩壊する事だけは防がなくてはならない。
 このどさくさに香港の一国二制度はほぼ消滅した。あとは独立(二国二制度)か併合(一国一制度)かの選択肢しかない。一国二制度を守るための戦いなら中国の内政上の問題だが、独立闘争なら独立を支持するという形で国際社会も関与できる。香港の人たちが覚悟を決めて独立政府を作るなら国際社会も動くことができる。
 ところで安倍はやはり動かない。いまだに習近平の国賓来日に未練があるのか。そんなに日本を中国人のレジャーランドにしたいのか。いろいろ利権があるから引くに引けないのだろうけど。
 ぱよちんも静かなもので、こういう時こそ500万ツイットをやってほしいんだが、やらねーだろうな。

   監督の怒声も遠く秋の風
 ゾンビ四五人世間話を

 それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。

 十七句目。

   雲にも跡は見えぬ山みち
 せはしなき柴の庵に年を経て    長敏

 柴の庵というとあこがれのスローライフかと思いきや、何でもかんでも自分でやらなくてはいけないから、慣れぬうちは結構せわしない。いつになったら道が見えてくるのか。
 十八句目。

   せはしなき柴の庵に年を経て
 時雨かなしき冬の暮がた      幾弘

 幾弘は初めて登場するが、『心敬の生活と作品』には、「幾弘、栗原入道、千葉被官」で「暴走の千葉氏に仕えた武人作者」とある。
 前句の「年を経て」を一年が終ろうとしてるという意味にして時雨を付ける。
 十九句目。

   時雨かなしき冬の暮がた
 袖ぬれぬ月の旅ねもいかがせん   宗祇

 袖を濡らさないような貴族や武家の仕事での移動などの旅であっても、時雨くる冬の暮れ方の悲しさには袖を濡らす。
 二十句目。

   袖ぬれぬ月の旅ねもいかがせん
 かへる都ぞ秋をわするる      銭阿

 前句の袖を濡らさない旅を、晴れて都へ帰れる旅だからだとする。心も浮かれて秋だということすら忘れる。
 二十一句目。

   かへる都ぞ秋をわするる
 野を遠み手おりし草の花散て    心敬

 前句の浮かれた雰囲気から一転して、都へのはるか長い道のりに、手折りし草の花も散ってしまい、旅立ったときが秋だったのもわすれる。
 「野を遠み」は武蔵野のイメージが反映されていると思われる。
 後世なら花の定座の位置だが、五句目に「桜花」が出ているし、ここでは「草の花」なので単なる偶然。
 二十二句目。

   野を遠み手おりし草の花散て
 かはるやどりぞとふ人もなき    宗悦

 前句の「手おりし草の花散て」を時間の経過とし、毎回違う宿に泊るので尋ねてくる人もいない、とする。

2020年5月27日水曜日

 今日は晴れて暑かった。
 東京ではまた少し感染者が増え始めているような気がする。神奈川もなかなか減らない。連休明けの緩みが出てきているのか。

   彼岸花咲く土手はひんやり
 監督の怒声も遠く秋の風

 それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。

 初裏。
 九句目。

   かへるか雲ののこる一むら
 晴れくもる雨定めなき秋の空    銭阿

 阿と付くから時宗の僧なのだろう。詳しいことはわからない。
 秋の空は定めないとはいうが、晴れ、曇り、雨と並べ立てるのはいかにもくどい。

 雲はなをさだめある世の時雨哉   心敬

の句は、この興行の少し前の吟か。
 十句目。

   晴れくもる雨定めなき秋の空
 よわき日影ぞ露にやどれる     初阿

 これも時宗の僧のようだが定かではない。
 定めなき天候だから、雨が上がり薄日が射せば露もきらめくとする。
 十一句目。

   よわき日影ぞ露にやどれる
 篠の葉に虫の音憑む野は枯れて   心敬

 一巡して心敬に戻る。「篠」は「ささ」、「憑む」は「たのむ」と読む。
 前句の「よわき日影」を野が枯れて晩秋の日が射したからだとする。こうした理詰めのとりなしは心敬の得意とする所で、「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」では多用されている。
 心敬はよく「冷え寂びた境地」と言われることが多いが、理屈っぽさも心敬の特徴だ。
 先の、

 雲はなをさだめある世の時雨哉   心敬

の句も、「世は定めなき」ということを「雲は定めある」と逆説的に言っている。
 草が枯れて日が差し込み隠れるところのなくなった虫たちは、常緑の笹の葉を頼りにする。倒置を解消して「野は枯れて篠の葉に虫の音憑む」とすればわかりやすい。
 後の『水無瀬三吟』の七句目、

   霜置く野原秋は暮れけり
 鳴く虫の心ともなく草枯れて    宗祇

の句などと較べても、理屈っぽさが目立つ。死に瀕した虫たちの哀れさと共感は心敬の句には欠けている。
 十二句目。

   篠の葉に虫の音憑む野は枯れて
 まくらおもはぬ夜半の松風     宗祇

 虫の音は笹の葉を頼むが、愛しい人を待つこの枕には頼むものもなく松風が寂しげな音を立てる。
 理に走る心敬に対し、宗祇は容赦なく心情に切り込んでゆく。
 十三句目。

   まくらおもはぬ夜半の松風
 夢よなど人こそあらめいとふらん  修茂

 言いたいことはわかるが、てにはが整理し切れてない感じの句だ。
 意味は「夢よなどいとふらん、人こそあらめ」、つまりあの人が夢に出てきて欲しいのに何で夢はそれを拒むの、ということ。
 前句の松風の心情を具体的に膨らませるのは、定石とも言えよう。
 十四句目。

   夢よなど人こそあらめいとふらん
 かくても心猶やまたまし      満助

 ここで出勝ちになったか、順番関係なく満助が登場する。
 夢にすら出てこないあの人を恨んではみても、やはり心はあの人を待っている。
 八代亜紀の「雨の慕情」の「憎い恋しい憎い恋しい/めぐりめぐって今は恋しい」(作詞:阿久悠)のような心情か。
 十五句目。

   かくても心猶やまたまし
 このままに哀れといひて出し世に  宗悦

 出家しても猶未練があるというふうに展開する。
 十六句目。

   このままに哀れといひて出し世に
 雲にも跡は見えぬ山みち      覚阿

 出家はしたものの、山籠りへの道は楽ではない。雲は煩悩を象徴し、山籠りを妨げる。

2020年5月26日火曜日

 今日は曇、少し雨が降った。

   夜も更けて曇りもはてぬ薄月に
 彼岸花咲く土手はひんやり

 それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。

 第三。

   ゆふ暮さむみ行く袖もみず
 千鳥なく河原の月に船留て     修茂

 暮れが出たから月に行くのは順当な所だろう。「千鳥」「河原」「船」とこれでもかと水辺で攻める。
 前句の「行く袖もみず」で人けのない寂しげな所としての展開。
 四句目。

   千鳥なく河原の月に船留て
 きけば枕にすぐるさ夜風      覚阿

 「千鳥なく」を「きけば」で受ける。夜分なので船中泊とし、枕に夜風とする。
 五句目。

   きけば枕にすぐるさ夜風
 桜花咲くらむ方や匂ふらむ     長敏

 ようやく亭主の登場となる。
 当時は定座はなかったし、ここは亭主の特権というところか。
 前句の「夜風」に桜の匂いを付ける。「咲くらむ方や」という言葉の続きがややぎこちない。そこはプロの連歌師ではないから仕方ないか。
 六句目。

   桜花咲くらむ方や匂ふらむ
 春に遅るる山かげの里       宗悦

 宗悦は『心敬の生活と作品』(金子金次郎、一九八二、桜楓社)に、

 「『新撰菟玖波集』の読人不知衆として三句入集の宗悦であろうか。同集作者部類に、「宗悦法師 越中国住人 三句」とあり、故人衆の注記はない。文明五年(応仁元年か)十二月五日心敬発句何路百韻に加わるが、川越千句には参加しない。その点は同じ越中の時宗覚阿と同様である。」

とある。
 宗が付く所を見ると、宗祇と同様宗砌の系統か。
 前句の「らむ」を遠い山陰の里に思いを馳せてのこととし、あのあたりも匂っているのだろうか、とする。
 七句目。

   春に遅るる山かげの里
 鐘かすむ嶺の樵夫の友喚びて    満助

 満助は鎌田氏で武士と思われる。川越千句に参加していると『心敬の生活と作品』にある。
 山かげの里なので樵夫を登場させる。
 八句目。

   鐘かすむ嶺の樵夫の友喚びて
 かへるか雲ののこる一むら     宝泉

 『心敬の生活と作品』にも未詳とある。僧か。
 「友よびて」に「かへるか」と繋ぐ。樵夫は帰り、雲だけが残っている。

2020年5月25日月曜日

 清水建設の現場に納品に行ったら体温を測定された。六度二分、よし。
 緊急事態宣言解除とはいっても、徐々に部分的に解除してゆくだけですぐに元に戻るわけではなく、しばらくはまだ自粛は続く。
 ライブハウスも感染防止策がとれれば六月中下旬から休業要請を解除すると言っている。ここはおとなしく従って欲しいな。
 思うに密集を防ぐには升席にするというのはどうだろうか。ロープを腰くらいの高さに縦横に引くだけで簡単に区切って、一升一人にする。あとはバンドのロゴ入りマスクを配布する。
 前にも書いたがフェイスシールドや防護服もバンドグッズとして販売する。とにかく何とか工夫して早くライブを再開して欲しい。

   嘘をつくのも慣れたこの頃
 夜も更けて曇りもはてぬ薄月に

 さて、今年は卯月が二ヶ月もあるということで、ここで季節を無視して、同じ『心敬の生活と作品』(金子金次郎、一九八二、桜楓社)所収の「応仁二年冬心敬等何人百韻」を読んでみようかと思う。
 場所は品川で「白河紀行」の旅を終えたばかりの宗祇を迎え、総勢十一人の連衆による賑やかな興行となった。
 金子金次郎は鈴木長敏邸での興行ではないかと推測している。鈴木長敏は品川湊を仕切る豪商で、城のような屋敷に住んでいたと思われる。
 心敬が発句を詠み、宗祇が脇を付け、第三が上野国大胡城主の大胡修茂(おおごのりしげ)、四句目に時宗の僧覚阿と続き、五句目に鈴木長敏が登場する所を見ると、心敬から覚阿までが来賓待遇だったのだろう。序列としては当代きっての連歌師心敬に最近になって頭角を現してきた宗祇が続き、大胡修茂は連歌以外でも大物なのでそれに続き、覚阿も当時のそれなりの連歌師として待遇されたようだ。
 発句。

 雪のをる萱が末葉は道もなし    心敬

 萱(かや)の葉の先は雪が乗っかって折れて倒れて、それが道を塞いでしまっている。
 興行開始の挨拶としては目出度さもない。
 皆さんこうして都を遠く離れた都に集まって、この国がどうなってしまうのかさぞかし心配なことでしょう、ということで応安元年の独吟の七十八句目に、

   神の為道ある時やなびくらん
 風のまへなる草の末々       心敬

と詠んだように、神風に一斉に靡くはずの草の末葉も、今や雪の重みで潰されてしまっている。一体道はどこにあるのだろうか、と連衆に訴えかける。
 神の道は無為自然にして自ずと人はひれ伏すが、今や雪の重みという暴力によって民は抑え付けられてしまっている。
 これに対し宗祇はこう和す。

   雪のをる萱が末葉は道もなし
 ゆふ暮さむみ行く袖もみず     宗祇

 雪に夕暮れの寒さ、道に行く人もないと四手にしっかりと付けている。
 基本に忠実ではあるが、心敬の天下国家を憂う含みを取らずに、旅の風景としてさらっと流した感じがする。
 心敬は心で受けずに小細工しやがってと思ったかもしれない。宗祇の方としてもそんなアジテーションには乗らないぞという感じで、ひそかに火花を散らしている、そんな感じがする発句と脇だ。

2020年5月24日日曜日

 今日は久しぶりにやまやへ買い物に外へ出た。晴れているが雲も多い。
 ところで、何か自粛の全面解除に向けて左右両方から強力な力が働いているのか。
 その中で安倍にあのツイッターの500万を額面どおりに500万人の圧力があると信じさせようとしている人たちが側近にいるのかもしれない。
 検察庁法改正案だけでなく種苗法改正案も取り下げれば、誰の目にも安倍が自分の間違いを認めたように見えるし、それをやるように自民党内で仕向けているとしたら、かなりあからさまな安倍降ろしが行われているということだ。
 緊急事態宣言が検討された頃からも、左右両方に反対する勢力がいた。コロナをただの季節性の風邪だと言って自粛に反対し、ブラジルのような放置政策を取らせようとしていた連中が右にも左にもいたが、それが終息ムードの中で息を吹き返したと言っていいのかもしれない。
 安倍がやめれば、緊急事態宣言も科学的エビデンスに基づかない間違った判断で、国の経済を破壊し多くの人を苦しめたとして糾弾されるのかもしれない。そして自粛に協力した庶民は権力に無理矢理従わされた哀れな被害者となるのだろう。
 そもそもあの500万ツイッター事件だが、未だに首謀者がはっきりしない。それに普通ならあの効果に味を占めて第二段、第三段が来そうなものだが、何度も同じ手を使えばばれるということを知っているのか、かなり用心深く行動しているようだ。
 アジアの国にコロナによる死者がすくないのは、コロナで国が混乱しらあっという間に中国に飲み込まれるという恐怖があるからだろう。
 コロナウィルス(新冠病毒)は最初に武漢にばら撒かれた時は兵器ではなかったにせよ、後から兵器として利用することは可能だ。気をつけよう。

   住み込みの仕事どこかにないだろか
 嘘をつくのも慣れたこの頃

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。残り四句。

 九十七句目。

   思ひくだくも衣々のあと
 恋しさのなくて住む世も有る物を  心敬

 出家して恋と無縁の世界もあるということなのだろう。でも止められないのが恋というもの。出家しても稚児との恋もあるし。
 別れのつらさに「もう恋などしない」という種の歌は今でもたくさんある。
 九十八句目。

   恋しさのなくて住む世も有る物を
 いかにしてかは心やすめん     心敬

 前句の「恋しさ」を隠棲した時の人恋しさのこととする。「恋しさのなくて住む世」は逆に俗世のことになる。
 ただ俗世に戻ればまた複雑な人間関係の中で悩まなくてはならない。どうすれば心安まるのやら。
 九十九句目。

   いかにしてかは心やすめん
 月夜にも月をみぬよも臥し侘びて  心敬

 月夜には月夜の悩みがあり月のない夜には月のない夜の悩みがある。とかくこの世の悩みは尽きぬものだ。
 月見の宴ともなれば、そこでの複雑な上下関係やら派閥力学やらがあって、あちこちにどの程度ご機嫌を取ればいいのかと悩みは尽きない。ときには恥ずかしい芸をやらされたりもする。
 ただ、お月見がなくても人間関係が複雑なのは何も変わらない。人知れずどのような企みがあるのかもわからないし、いつの間に変な噂が広まってたりもする。そうして悩みのつきないのが人間だ。人知れず枕を濡らす。
 挙句。

   月夜にも月をみぬよも臥し侘びて
 風やや寒くいなば守る床      心敬

 前句の結果、今は百姓に混じり稲葉を守る床についている。
 ここには当然、戦乱の京都を遁れ品川で暮らす自身の姿を重ね合わせているのだろう。どこへ行っても悩みが尽きることはない。それが人間だ。だから「歌」がある。
 蝉丸の歌も思い浮かぶ。

 世の中はとてもかくても同じこと
     宮もわら屋もはてしなければ
               蝉丸(新古今集)

2020年5月23日土曜日

 毎日新聞では安倍首相の支持率の急落を伝えている。ある程度は予想していた。
 それは緊急事態宣言の解除をめぐり、ほとんど周りに流された形で、確固たる意志が感じられなかった。やはり優柔不断で頼りないという印象を持った人が多かったのだと思う。
 それに加えて検察庁法改正案で、これを簡単に撤回したばかりか国家公務員法改正案まで取り下げてしまった。
 検察庁法改正案に反対するツイットは最初から十五パーセントの反安倍の人たちのものだから、これがいくら盛り上がったとしても安倍の四十パーセントの支持層には何の影響も与えない。ただ、このツイットに屈して法案を取り下げたとなると、安倍支持層は落胆したはずだ。
 しかも公務員の定年延長をわざわざ白紙に戻すというのは、右も左も理解できない。ここにも周りに流されている安部の姿があるだけで、確固たる意志を感じさせるものが何もない。
 コロナはまだ終ったわけではない、ここで麻生政権ということになると、日本がブラジルになりかねない。困ったものだ。

   朝はカラスの騒ぐかあかあ
 住み込みの仕事どこかにないだろか

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」」の続き。

 名残裏。
 九十三句目。

   とまらぬ浪の岸をうつ声
 山吹の散りては水の色もなし    心敬

 山吹と言えば、

 吉野河岸の山吹ふく風に
     そこの影さへうつろひにけり
                紀貫之(古今集)
 かはづ鳴くゐでの山吹ちりにけり
     花のさかりにあはましものを
               よみ人知らず(古今集)

といった歌がある。
 山吹は散ってしまうと跡形もないのを本意とする。それは源流に近い清流のイメージがあることと、桜のように大きな木で一斉に散るわけではないので、花筏をイメージしにくかったのであろう。
 ここで言う「水の色なし」も水に映っていた山吹の花がなくなったので色がなくなったとしたほうがいい。金子金次郎注は花筏のイメージで水本来の色がないと解しているが。
 水に映る山吹の色もなく、ただ浪の音ばかりだというのを、行く春の情とする。
 九十四句目。

   山吹の散りては水の色もなし
 八重おく露もかすむ日のかげ    心敬

 山吹には一重のものもあれば八重咲きのものもある。
 山吹も散ってしまえばあとは残された葉っぱに置く露ばかり。その露が八重に輝き、八重山吹の名残を留めている。
 霞む日の光にまだ春が暮れてないのを感じさせる。最後の春のきらめきというべきか。
 九十五句目。

   八重おく露もかすむ日のかげ
 春雨の細かにそそぐこの朝     心敬

 前句の「八重おく露」を春雨の雫とする。
 雨は降っているもののかすかに薄日が射して雨の雫がきらきらと輝く。
 ところで気になっていたが、名残の最後の春にもついに「花」は出なかった。
 当時は花の定座はなかったし、花の句に制限はあっても詠まなくてはいけないという規則はなかった。そのため、初の懐紙には二十句目に「櫻」はあっても花はない。二の懐紙は三十四句目に「花の木もなし」と花は出ているが打ち消されている。三の懐紙も六十八句目に青葉になった「花」を詠んでいる。四の懐紙はこぼしているので、結局花の句は二句しかない。もちろん式目には反していない。
 九十六句目。

   春雨の細かにそそぐこの朝
 思ひくだくも衣々のあと      心敬

 最後のほうで景色の句が続いて、少し変化が欲しかったのか、最後に恋に展開する。それも悲しい恋に。
 「思ひくだく」はあれこれ悩んでは思い乱れること。
 衣々は「後朝(きぬぎぬ)」だが、衣に点々と散った涙が春雨の細かにそそぐのと重なる。

2020年5月22日金曜日

 もし外国の人で、日本人がみんな政府の対応を批判していると思っているんだったら、それは事実ではない。安倍政権はここ二三年若干の上下はある物の支持率五十パーセントから四十パーセントの間で安定している。それはコロナが流行してからも変わっていない。
 その一方で一貫して反安倍を貫く左翼の連中も十五パーセントくらいで安定している。この十五パーセントは何かにつけてすべてのことで安倍を批判している。コロナに限ったことではない。
 安倍政権のコロナ対応に多くの人が不満を持つとしたら、それは一つには春節の時に中国からの入国者を止めなかったことと、三月の終わり頃にに感染が急速に拡大しているにもかかわらず緊急事態宣言を躊躇したことだろう。この二つは優柔不断で頼りない印象を与え、一時的な支持率の低下となった。ただ、この間、反安倍の支持率は増えていない。
 ただ、この構図は自民と反自民に置き換えれば、一九五五年、いわゆる五十五年体制が確立されて以来、それほど変わっていない。日本の政情の安定は、自民と反自民の比率が何十年も大きな変化をしていないことに由来する。そして、このことはコロナで変わることはなかった。
 ただ、十五パーセントの連中は三大新聞を初めとするマスメディアや大手テレビ局などに大きな力を持っているし、芸能人や作家やアカデミズムなど発信力のある連中が多い。そのため日本人がみんな安倍政権を批判しているかのような印象操作が行われているだけのことだ。

   酒に負け議論に負けてゲロ吐いて
 朝はカラスの騒ぐかあかあ

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 八十九句目。

   古き庵ぞ泪もよほす
 橘の木も朽ち軒もかたぶきて    心敬

 古い庵の荒れ果てた様子を付ける。
 橘は、

 五月待つ花橘の香をかげば
     昔の人の袖の香ぞする
           よみ人知らず(古今集)

を髣髴させ、昔の人を偲ぶ意味がある。
 九十句目。

   橘の木も朽ち軒もかたぶきて
 とふ人まれの五月雨の中      心敬

 打越の「古き庵」なら「とふ人まれ」も連想できるので、展開は緩い。一巻の終わりが近いので軽く流そうとしている感じがする。
 九十一句目。

   とふ人まれの五月雨の中
 瀬を早み夕川舟や流るらん     心敬

 五月雨に増水した川に「瀬を早み」と付く。ここも軽く流してゆく・
 九十二句目。

   瀬を早み夕川舟や流るらん
 とまらぬ浪の岸をうつ声      心敬

 川が激しく流れていればその波は岸を不断に打ち続ける。ここも軽く流す。

2020年5月21日木曜日

 小雨の降る日が続いている。梅雨も近いのか。ただ、今年は卯月が二ヶ月あるからなかなか五月雨にはならないのでは。
 今年の旧暦五月一日は六月二十一日、夏至。旧暦四月二十八日(新暦五月二十日、つまり昨日)が小満で、二十四節季が芒種しか入らない一月が生じるため閏四月になる。
 ところで黒川検事長の賭け麻雀は真剣勝負だったのだろうか。もし接待麻雀だったとしたら収賄の疑いが生じる。検察はそこをしっかり調べて欲しい。黒川検事長が不自然に一人勝ちしてなかったかどうか。

   左翼ばかりのつどう飲み会
 酒に負け議論に負けてゲロ吐いて

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 八十五句目。

   月にも恥ぢずのこる老が身
 吹く風の音はつれなき秋の空    心敬

 前句を月が残っているように、老が身も残っているとし、吹く風にも散らなかったとする。
 「つれなき」は「つれ」にならないということ。秋風の吹きすさんでいるにもかかわらず秋の空には月が散ることなくそこにあるように、年老いても人生の秋風を聞いても、まだ死なずに残っている。
 八十六句目。

   吹く風の音はつれなき秋の空
 むかへばやがてきゆる浮きぎり   心敬

 「浮きぎり(浮霧)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 下限が地表に達していないで、空に浮いているように見える霧。冷気層と暖気層の境界にできる。《季・秋》
  ※俳諧・桃青門弟独吟廿歌仙(1680)緑系子独吟「げぢげぢの鳴きつる方を詠れば ねぶったやうな浮霧の空」

とある。
 風情のある浮霧も秋風はつれなくも吹き飛ばして消してしまう。
 八十七句目。

   むかへばやがてきゆる浮きぎり
 道わくる真砂の上のうちしめり   心敬

 前句の「むかへば」を道を目的地に向かって進んでいけばの意味とする。その旅路は霧の湿気で湿っている。
 真砂は細かい砂のことで、浜の真砂を連想することが多いが、ここでは道路の水はけを良くするために撒かれた砂のことであろう。
 八十八句目。

   道わくる真砂の上のうちしめり
 古き庵ぞ泪もよほす        心敬

 前句の「うちしめり」を泪で打ち湿るとする。
 「古き庵」は先人か恩師の庵であろう。既に主は亡くなっていたか。
 芭蕉も雲巌寺で仏頂和尚の山居跡を尋ねて、

 木啄も庵はやぶらず夏木立     芭蕉

の句を呼んでいる。ただ仏頂和尚は当時まだ存命であるどころか、芭蕉よりもはるかに後まで生きて、正徳五年(一七一五年)に没した。

2020年5月20日水曜日

 今朝横須賀の方の現場に行ったら、大きな現場なので数十人間隔を取ることもなく密集して朝礼をやっていた。神奈川はゆるい。
 ゆるいといえば人の上に立つべき人間もどうしようもない。何のことない。黒川検事長もマスゴミとズブズブじゃないか。それも朝日と産経、左右のバランスを取ったつもりなのか。
 日本は下々の方がしっかりしているせいか、上に立つ人間には甘えが出てしまうのだろう。
 きっと太平洋戦争の頃の日本もそうだったんだろうな。軍部のお偉方は別に尊敬されてたわけでもないし慕われてたわけでもない。ただ国民はそれぞれの自覚の下に真剣に戦ってたんだと思う。だから戦争が終った時、天皇陛下の言葉には涙しても、軍部のA級戦犯はただ罵声を浴びるだけだった。
 今のコロナも政府や野党やマスゴミには誰も何の期待もしていない。ただ、自分たちの身を守るために自粛を続けよう。

   かわいそう日本のひとが叱られる
 左翼ばかりのつどう飲み会

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 名残表。
 七十九句目。

   風のまへなる草の末々
 冬の野にこぼれんとする露を見て  心敬

 前句の風の前の草の末々には露があって今にもこぼれそうだとする。
 八十句目。

   冬の野にこぼれんとする露を見て
 はらはじ物を衣手の雪       心敬

 前句の「こぼれんとする露」を涙の比喩として、それを掃うこともないとし、掃わない理由を袖に雪がついていて冷たいからだとする。
 八十一句目。

   はらはじ物を衣手の雪
 つもりくる人ゆゑ深き我が思ひ   心敬

 雪の積もると思いの積もるを掛けて、恋に転じる。
 雪の中で来ぬ人を待っているのだろうか。衣に雪が積もっていくように思いも積もってゆく。
 八十二句目。

   つもりくる人ゆゑ深き我が思ひ
 いくよかただに明かし終つらん   心敬

 「終つ」は「はつ」と読む。
 何夜も待ち続ける心とする。
 八十三句目。

   いくよかただに明かし終つらん
 あらましをね覚め過ぐれば忘れきて 心敬

 「あらまし」はこうあったらいいなということで、今日で言う夢に近い。
 いろいろやってみたいことはあっても、朝が来ていつもの日常が始まってしまうと忘れてしまう。こうして幾夜も無駄に夢を思い描いては忘れてきた。述懐に転じる。
 八十四句目。

   あらましをね覚め過ぐれば忘れきて
 月にも恥ぢずのこる老が身     心敬

 前句の「あらまし」を仏道に入ることとし、結局真如の月を見ても恥じることなく出家せずに俗世に残っている。

2020年5月19日火曜日

 そろそろ連休効果の切れる頃だが、新規感染者数が増加に転じる兆候はない。本当に奇跡は起きたのだろうか。

   木枯らし寒いレッカー作業
 かわいそう日本のひとが叱られる

 建設業界では移動式のクレーン車のことをレッカーと呼ぶが、世間一般ではレッカーというと車を牽引する車になってしまうようだ。「吊り上げ作業」とでもした方がよかったか。
 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 七十五句目。

   霧ふる野里雲の山里
 身を安くかくし置くべき方もなし  心敬

 雲や霧で里は隠れるが、身は簡単に隠すことはできない。人の噂というのは止めることはできないからだ。
 七十六句目。

   身を安くかくし置くべき方もなし
 治れとのみいのる君が代      心敬

 これは応仁の乱で混乱するこの国を憂いての句。品川に逃れてもやはり国全体のことが気になって、落ち着いてもいられない。
 七十七句目。

   治れとのみいのる君が代
 神の為道ある時やなびくらん    心敬

 心敬は権大僧都(ごんのだいそうづ)で偉いお坊さんだが、国家に関しては北畠親房の『神皇正統記』以来の神国思想を持っていたようだ。本地垂迹、神仏習合の時代にあって、別に珍しいことではないが。
 七十八句目。

   神の為道ある時やなびくらん
 風のまへなる草の末々       心敬

 神国の理想は天皇が強権を持って民を支配することではないし、高慢な理想を示すことでもない。風が吹けば草が自然とひれ伏すように、無為にして治まるのを良しとする。
 日本は神ながら言挙げせぬ国で、神道には教義も戒律もない。ただ自然をもって神となし、その力を畏れ身を慎むことを本意とする。
 近代の哲学者西田幾多郎は、『御進講草案』で、

 「我国の歴史に於ては全体が個人に対するのでもなく、個人が全体に対するのでもなく、個人と全体とが互に相否定して、皇室を中心として生々発展し来たと存じます。」

と言っている。
 この西田にとって存在するというのは限定することで、限定は本来の無限なものを否定する事でもある。個人も全体もともに無限のものを反対の方向に否定しあうもので、個人と全体が相互に否定しあう根底には限定されないもの、それは存在するものではなく無と呼ばれる。
 皇室はこの「無」あるいは「絶対無」と呼ばれるところに位置する。
 いかなる個人によっても限定されることのない、いかなる思想や権力や国家体制によっても限定されることのない、限定されないが故に存在しない絶対無、それが日本人にとっての神であり皇室の場所なのである。
 最近のガブリエル・マルクスの言う「多種多様な無数に存在する意味の場」というのは、西田哲学的には様々な限定された「場」だといえよう。図らずも西田も「場」という言葉を使う。
 これに対し、すべての多様な意味の場を含む世界は「一つの世界」ではない。無なのである。
 無は何も命じない。ただ一人一人の人間がその「無」を自分なりに解釈して限定する。そしてその一人一人が「無」のために行動する時、日本特有の「ソフトな独裁」が生まれる。これは独裁者なき独裁と言った方がいい。間違っても安倍は独裁者などではない。
 コロナ対策でも誰も安倍に従うには、あまりに優柔不断で頼りなかった。ただ庶民の一人一人が自分のなすべきことを自分で判断しただけだった。
 応仁の乱以降生じた戦国時代を終わらせたのも、皇室を含めた既存のあらゆる権威を否定して自らが神になろうとした織田信長ではなかった。権威の否定者はあくまで伝統的な秩序を守ろうとする明智光秀によって否定された。
 そして最終的に、

 日の道や葵かたむく五月雨     芭蕉

となった。日の道に葵も傾く。風によって草の末々もなびく。比喩は違うが同じことを言おうとしている。これが日本だ。

2020年5月18日月曜日

 緊急事態宣言が解除されるとなると、やはりライブハウスも復活して欲しいね。
 そこで考えたのだが、マスクとフェイスシールドと防護服をバンドTみたいにグッズとして売り出すというのはどうだろうか。かっこいいロゴやイラストやメッセージを入れて、ライブはみんなそれを着て、フルアーマーでモッシュするというのはどうだろうか。暑いけどそこは我慢しよう。
 ラーメン屋の場合は一蘭のスタイルが標準になるのかな。

   公園へお散歩カーの道長く
 木枯し寒いレッカー作業

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 七十一句目。

   舟呼ばふ也春の朝泙
 面白き海の干がたを遅くきて    心敬

 孟浩然の「春眠暁を覚えず」という詩句もあるように、春というと朝寝坊。干潟もすっかり明るくなった時にやって来て、それから舟遊びする舟を呼ぶ。
 七十二句目。

   面白き海の干がたを遅くきて
 月の入りぬる跡はしられず     心敬

 海の干潟は遠くまで見回せるが、月の沈んだ場所に行くことはできない。それは虹の橋のたもとに行くことができないようなものだ。
 七十三句目。

   月の入りぬる跡はしられず
 くらきより闇を思ふ秋のよに    心敬

 「くらきより闇(くらき)を」と読む。
 前句を真如の月とし、月がすぐに沈んでしまう朔日頃の月だと、夜は無明の闇になる。
 七十四句目。

   くらきより闇を思ふ秋のよに
 霧ふる野里雲の山里        心敬

 闇を月が無いからではなく霧や雲で曇っているためとする。平地は霧で山地は雲。

2020年5月17日日曜日

 今日はいい天気だった。だけどもう少しお籠りして頑張ろう。
 あれかこれかの二者択一を迫るのが好きな人って、結局社会を分断させたいんだろうね。世の中そんな簡単に二つに分けられるものなんて無いんだけど。

   それでも引くは子供何人
 公園へお散歩カーの道長く

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き、

 三裏。
 六十五句目。

   うらみなりけり人のいつはり
 我しらぬ事のみよそに名の立ちて  心敬

 知らない内に根も葉もない噂が広がる。そういう息を吐くように嘘をつく奴がいるから世の中は厄介だ。前句の「人のいつはり」をいい加減な噂を安易に広める人たちのこととする。
 六十六句目。

   我しらぬ事のみよそに名の立ちて
 とひし其のよは夢か現か      心敬

 間違った噂が広まったりすると、現に自分が体験したこともひょっとして夢だったのかと疑いたくなる。嘘も百回言えば真実になるなんて諺もある。
 六十七句目。

   とひし其のよは夢か現か
 帰るさは心もまどひめもくれぬ   心敬

 「めもくる(目も眩る)」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 「分類連語
 目の前が真っ暗になる。
  出典平家物語 九・敦盛最期
  「めもくれ心も消え果てて、前後不覚におぼえけれども」
  [訳] 目の前が真っ暗になり気も遠くなって、前後もわからないように思われたけれども。」

とある。
 今では夢中になって周りが見えないことに限定されて用いられているが、本来は広い意味で目が暗くなることだった。
 後朝の辛さに、現実を見るのが恐くなり、これが夢であってくれたらと迷う。
 六十八句目。

   帰るさは心もまどひめもくれぬ
 青葉悲しき花の山かげ       心敬

 来た時には満開の花だったのに、いつしか山桜もすっかり散ってしまい青葉に変わってしまった。ついつい花の姿をもっと見たいと願い長居し過ぎてしまった。これも心の迷い、現実から目を背けようとした結果だ。
 江戸時代には、

 下々の下の客といはれん花の宿   越人

の句もある。宗鑑は「上の客人立ちかえり、中の客人日がへり、とまり客人下の下」と言ったというが、何日も居座る客は何と言うべきか。
 六十九句目。

   青葉悲しき花の山かげ
 水に浮く鳥の一声打ちかすみ    越人

 「水に浮く鳥」は鴨のことだろう。

 水鳥の鴨の羽色の春山の
     おほつかなくも思ほゆるかも
               笠女郎(万葉集)

の古い歌もある。ここでは恋の情ではなく春を惜しむ情に展開している。
 鳥で春を惜しむというと、江戸時代には、

 行く春や鳥啼き魚の目は涙     芭蕉

の句もある。
 七十句目。

   水に浮く鳥の一声打ちかすみ
 舟呼ばふ也春の朝泙        心敬

 「朝泙」は「あさなぎ」と読む。
 前句の「水に浮く」がここでは「舟呼ばふ也」に掛かる。
 「水に浮く舟呼ばふ也、鳥の一声打ちかすみ春の朝泙」という意味になる。鳥の一声があたかも舟を呼んでいるかのようだ。
 穏やかな春の朝は船でどこかへ行きたいものだ。ましてや戦乱の都。伊勢から舟に乗って品川へ。

2020年5月16日土曜日

 今日は小雨が降った。
 日本を救ったのは国民一人一人の自覚と頑張りだけでなく、それ以前からCTスキャンの普及率が高く、肺炎に対して万全の備えをしてきたこと、国民皆保険制度や指定感染症医療費の公的負担などによって経済的に医療を受けられなかった人が少なかったことなども勝因にされてている。
 潔癖症、コロナ以前から高かったマスク着用率、接触を伴う挨拶をしないこと、終止無言の満員電車、などいろいろな幸運に恵まれたことも確かだろう。
 ただ、政治家とマスコミだけはあいかわらずどうしようもない。

 ×経済活動で命を危険に晒すか、ウイルスで命を危険に晒すか
 ○ウイルスで命の危険に晒される上に、ウイルスは経済活動をも破壊し、経済的にも命の危険に晒される。

 これから出口戦略に入るにしても、そこにあるのは「ウイルスか経済か」という二択ではない。ウイルスがなくなれば自ずと経済への制約もなくなる。それだけのことだ。
 コロナに勝てばライブも出来るぞーっ。その時が新世界だ。

   太古より恋の遺伝子引き継いで
 それでも引くは子供何人

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 六十一句目。

   江の松がねにつなぐ釣舟
 暮れかかる難波の芦火焼き初めて  心敬

 「芦火」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (古くは「あしひ」) 干した葦を燃料としてたく火。あしふ。《季・秋》
  ※万葉(8C後)一一・二六五一「難波人葦火(あしひ)焚く屋のすしてあれど己が妻こそ常(とこ)めづらしき」

とある。
 海辺の沼地や干潟の広がる平野部では薪の調達が困難なので、芦を燃やしたのだろう。
 六十二句目。

   暮れかかる難波の芦火焼き初めて
 餉いそぐこやの哀さ        心敬

 「餉(かれいひ)」は「かれひ」とも言う。干し飯(いい)のこと。
 炊いたご飯を干したもので、江戸時代には夏の食欲のないときに干し飯を水で戻して食べていたし、もち米で作った道明寺粉は桜餅など菓子に用いられる。
 『伊勢物語』九段の東下りの場面にも、

 「三河のくに、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋とはいひける。その澤のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。その澤にかきつばたいとおもしろく咲きたり。‥略‥
 から衣きつつなれにしつましあれば
     はるばるきぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、皆人、乾飯のうへに涙おとしてほとびにけり。」

というふうに登場する。
 わざわざ「ほとび(ふやける)」という言葉が用いられているところをみると、古い時代には旅や行軍の際の携帯食で、戻さずそのまま固い干し飯をたべていたのではないかと思う。それならそんな旨いものでもなさそうで、哀れを誘っていたのだろう。
 六十三句目。

   餉いそぐこやの哀さ
 侘びぬれば涙しそそぐ唐衣     心敬

 前句のところでネタバレをやってしまったが、これはその『伊勢物語』九段を本説とした展開。
 六十四句目。

   侘びぬれば涙しそそぐ唐衣
 うらみなりけり人のいつはり    心敬

 「唐衣(からころも)」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 「①中国風の衣服。広袖(ひろそで)で裾(すそ)が長く、上前と下前を深く合わせて着る。
  ②美しい衣服。」

とある。女房装束の「唐衣(からぎぬ)」とは違うようだ。おそらくは①ではなく、唐錦の美しい衣のことであろう。
 となると、これは男歌で、女に嘘に涙することになる。『伊勢物語』の在原業平をそのまま引き継いだ感じだ。
 駆け落ちして逃げる途中、結局女は鬼に食べられてしまう。とはいえ、実際は負ってきた人に説得されて帰ってしまっただけのことだったようだ。裏切られた悔しさから「鬼に食べられた」と言ったのだろう。

2020年5月15日金曜日

 ミュージシャンや俳優や芸人の仕事がなくなったのも、ライブハウスが潰れるのも、多くの産業が苦境に立たされ、失業者が増え、たとえそのなかから多数の自殺者が出たとしても、すべてはコロナのせいだ。
 そしてそのコロナはどこから来たのか。与党も野党もみんなそのことに触れないようにしている。
 検察庁法改正は囮の藁人形だ。騙されるな。

   世界は不思議奇跡に溢れ
 太古より恋の遺伝子引き継いで

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 五十七句目。

   袖に時雨の冷じき頃
 山深み雪の下道越えかねて     心敬

 冬の旅路とする。雪の積もった道は足を取られるし、滑落する危険もある。身動き取れなくなれば凍死の危険すらある。やめておいた方がいい。

まだ時雨のほうがいい。
 五十八句目。

   山深み雪の下道越えかねて
 岩ほのかげにふせる旅人      心敬

 「岩ほ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 「高くそびえる、大きな岩。◆「ほ」は「秀(ほ)」で、高くぬき出たところの意。」

とある。
 岩で風を防いでくれる所でのビバークか。
 日本山岳救助機構合同会社のホームページによると、

 「ビバークと決めたら、さっそく場所探しにとりかかる。ツラい一夜になるかどうかは、場所選びにかかってくる。増水が懸念される沢沿い、転滑落や落石 の危険がある斜面や崖のそばはNG。風雨をまともに受ける尾根状や山頂も避けたい。なるべく平坦な場所で、風雨が避けられる樹林帯や潅木帯のなか、岩陰な どが見つかればベストだ。」

とある。「岩ほのかげ」はベストといえよう。
 五十九句目。

   岩ほのかげにふせる旅人
 夏ぞうき水に一よの筵かせ     心敬

 冬山から夏山に転じる。
 暑い夏の野宿には、水と筵が必要だ。
 六十句目。

   夏ぞうき水に一よの筵かせ
 江の松がねにつなぐ釣舟      心敬

 前句の「水に一よの筵」を水筵(みなむしろ)のこととしたか。
 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (「な」は「の」の意) 語義未詳。一説に、水底に、筵を敷いたようにある石。あるいは、水面の意か。
  ※散木奇歌集(1128頃)秋「こ隠れて浪の織りしく谷河のみなむしろにも月はすみけり」」

とある。
 船を繋ぐのに適した浅瀬の涼しげな水のことか。

2020年5月14日木曜日

 あの世間をお騒がせした五百万ツイートの不思議も、どうやら実際のアカウント数では58万、そのうちの2パーセントが全体の半分を占めていたと言う。
 ということは、58万の2パーセント、1万1600アカウントが首謀者ということになる。一人で百のアカウントを持ってたとしても百人以上の首謀者がいたことになる。
 しかも巧妙に芸能人や何かを巻き込んでいくあたりは、あるいは背後にマスコミが絡んでいたか。政党ではこうは行かないだろう。
 検察庁人事に関しては、マスコミや左翼政党があれだけ派手にモリカケ桜と騒いだにもかかわらず検察が動かなかった恨みもあるのだろう。
 実際に事件性は薄く、憶測とデマばかりが一人歩きした事件だったから当然なのだが、背後にはマスコミの言うことを聞く検察を作りたい、検察庁の人事にマスコミが影響力を持ちたいという思いがあるのだろうな。
 芸能人もコロナで仕事を失ったことを政府に逆恨みする人が多い。

   窓からは春の日の射す病院で
 世界は不思議奇跡に溢れ

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 三表。
 五十一句目。

   苫ふく舟に浪ぞならへる
 降る雪に友なし鵆打ち侘びて    心敬

 屋形船に雪の景を添える。
 水辺が三句続き、やや展開が重いが、「友なし鵆(ちどり)」に寓意を持たせることで次の展開を図ろうというものだろう。
 五十二句目。

   降る雪に友なし鵆打ち侘びて
 ひとりやねなんさよの松風     心敬

 「友なし鵆」を出した時点で狙ってた恋への展開。
 ひとり寝の淋しさに、松風の哀れを添える。
 五十三句目。

   ひとりやねなんさよの松風
 問はれずば身をいかにせん秋の空  心敬

 ひとり寝は愛しい人にほかされたからだとする。
 五十四句目。

   問はれずば身をいかにせん秋の空
 たのめ置きつる月の夕ぐれ     心敬

 前句の「問はれずば」を月の夜に約束したのに来てくれなければ、という意味に転じる。
 五十五句目。

   たのめ置きつる月の夕ぐれ
 難面も露の情けはありぬべし    心敬

 いくらつれない人でも露の情けはあるはずだ、とやや咎めてには的に展開する。
 五十六句目。

   難面も露の情けはありぬべし
 袖に時雨の冷じき頃        心敬

 前句の「難面も」を時雨の定めなさのこととし、冷たい雨露でも雨宿りしたりと人の情けは受けられる。
 後の宗祇法師の、

 世にふるも更に時雨のやどりかな  宗祇

の句を思わせる。

 雲はなほさだめある世の時雨かな  心敬

はこの百韻より少し後の句か。応仁の乱で季節はいつもの通り廻って来て時雨は降るが、人の世は定めないというもの。

2020年5月13日水曜日

 昨日の冗談はさておき、きゃりーぱみゅぱみゅの最大の功績はやはり「かわいい」を世界の言葉にしたことだろう。サンリオキャラのような可愛さではなく、そこに若干のゴスロリ要素を取り入れた、死の暗示を隠し味にしたような、いわば色気とは正反対の可愛さなのではないかと思う。
 この路線はビジュアル系のユメリープのファッションにも受け継がれているのではないかと思う。
 西洋の女性解放が結局女性の男性化の方向に向かいがちなのに対し、きゃりーのファッションは女性的でありながら性的であることを拒否するようなところがある。
 一般的に日本の女性の文化に見られることだが、男性社会への参入ではなく、女性社会の独立へ向かうもので、そのあたりはレディー・ガガと較べてみればよくわかる。
 男性社会への参入という点から見れば、日本の女性解放は遅れているように見える。だが、実際には日本の女性はそんなに抑圧されているわけではない。
 女子のスポーツは世界的にも高レベルにあるし、音楽面でも女性のバンドは多数あり、そのほとんどはセクシーを売りにしていない。少女マンガもBLもそうだし、こうした文化の多くは女性の間での独自な美の世界を生み出すもので、男性的な価値観に従属してはいない。
 きゃりーぱみゅぱみゅもそうした中で輝く女性の一人だ。

   残念なのはしらす雑炊
 窓からは春の日の射す病院で

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 四十三句目。

   植ゑずばきかじ荻の上風
 春を猶忘れがたみに袖ほさで    心敬

 「植ゑずばきかじ」の句をあえてここで用いたのは、逆に言えばこれだけ意味のはっきりした諺のような句をどう違えて付けて展開できるかという、そのテクニックを見せるためだったのかもしれない。
 ちなみに「文和千句第一百韻」の八十五句目は、

   植ゑずはきかじ荻の上風
 花みえぬ草は根さへや枯れぬらん  救済 

だった。この時代を代表する連歌師の回答だ。
 花のない草は根までが枯れてしまったのだろうか。そんなことはない、植わってなければ荻の上風の物悲しい音は聞こえないはずだ、と解く。
 前句の「植ゑず」を「植えなければ」ではなく「植わってなければ」に取り成す。
 これに対して心敬の答は、春にあった悲しいことを忘れないためにわざと植えたんだ、というものだ。
 四十四句目。

   春を猶忘れがたみに袖ほさで
 霞あだなる跡の哀さ        心敬

 袖は干さずに残していても、春の霞はいつしか消えて行く。結局は「衣干したり天の香具山」になるのか。
 四十五句目。

   霞あだなる跡の哀さ
 淡雪の消えゆく野べに身をもしれ  心敬

 霞の消えてゆく感傷に対しては、咎めてにはで応じる。淡雪が消えていったのを喜んでたではないか、霞が消えるのを悲しむことはない。
 四十六句目。

   淡雪の消えゆく野べに身をもしれ
 人もたづねぬ宿の梅がか      心敬

 前句の「淡雪の消えゆく野べ」を人里離れた所とし、「人もたづねぬ」と展開する。
 四十七句目。

   人もたづねぬ宿の梅がか
 かくれゐる谷の外山の陰さびて   心敬

 前句の「人もたづねぬ宿」を隠士の住みかとする。山陰は夜が明けるのも遅く日が暮れるのも早い。
 四十八句目。

   かくれゐる谷の外山の陰さびて
 けぶりすくなくみゆる遠かた    心敬

 山に囲まれた里は日当たりが悪く農作物の育ちも悪いのか人口も少ない。前句の「かくれゐる」を隠士ではなく山に囲まれた里とする。
 四十九句目。

   けぶりすくなくみゆる遠かた
 塩たるる洲崎の蜑の放れ庵     心敬

 前句の「けぶり」を海人の藻塩焼く煙とする。放れ庵だから遠くにあり、煙も少なく見える。
 「洲崎」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「州が海中または河中に長く突き出て岬のようになった所。」

とある。心敬の住み始めた南馬場の辺りにも洲崎という地名がある。今の天王洲アイルの近くだ。
 五十句目。

   塩たるる洲崎の蜑の放れ庵
 苫ふく舟に浪ぞならへる      心敬

 「苫ふく舟」は舟に苫葺きの屋根の付いたキャビンのある屋形船。
 前句の「放れ庵」を屋形船のこととしたか。「ならふ」は慣れるという意味で、屋形船で暮らしていれば波にも慣れる。

2020年5月12日火曜日

 芸術作品と思想は本来分けて考えるべきものなのだが、芸術的感性の低い評論家ほど、この作品はこういう思想で作られているから素晴らしい、みたいなことを言いたがる。
 たとえばピカソの「ゲルニカ」はスペインの内戦を描いたから名画なのか。そんなことはない。それならスペインの内戦を描いた絵はみんな名画なのかというと、そんなことはない。またピカソには特に政治的メッセージのない作品もたくさんあるが、それらはすべて駄作なのかというとそんなこともない。
 音楽だって、作者がどんな思想の持ち主かなんてのはどうでもいい。GoatmoonのVarjotは彼がどんな思想の持ち主であろうが名盤だと思う。
 芸術はどのような思想に基づこうとも、豊かなイマジネーションを提供してくれる。単なる乾いた理論ではない。作品で表現できるということが芸術家に与えられた特権だと思う。
 黒川検事長も安倍首相も、きらきらメイクしちゃうなんてのはどうだろうか。ついでに集近閉や問題人も一緒にメイクしちゃったら世界も平和になるのではないか。でもあの金正恩にメイクしちゃうと‥‥おくりびと?

   花の宴門限だけはゆずれずに
 残念なのはしらす雑炊

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 二裏。
 三十七句目。

   岩こす水の音ぞかすめる
 磯がくれ波にや舟のかへるらん   心敬

 前句の「岩越す水」を磯に打ち寄せる波のこととする。舟は帰ってゆき去っていくので、磯の水音も遠ざかり、霞んでゆく。
 三十八句目。

   磯がくれ波にや舟のかへるらん
 わが思ひねの床もさだめず     心敬

 愛しい人は舟に乗って去って行ってしまった。眠れない夜に何度も寝返りを打つ。
 三十九句目。

   わが思ひねの床もさだめず
 夢にだにいかに見えんと悲しみて  心敬

 せめて夢にでも出てきてくれと思うが、眠れなくて悲しい。
 四十句目。

   夢にだにいかに見えんと悲しみて
 かこつ斗の手まくらの月      心敬

 かこつというと、

 嘆けとて月やはものを思はする
     かこち顔なるわが涙かな
            西行法師(千載集)

の歌が思い浮かぶ。月が嘆けと言っているのではない。月にかこつけて泣いているだけで、悲しみは自分の心の中にある。月見て笑うも泣くも結局人間の心なんだ。
 せめて夢にでも出てきて欲しいと願うのは人の心だが、ついつい月のせいにしたくなる。
 誰にもわかるようなわかりやすい出典を使うというのは、心敬の時代までは守られていたのだろう。時代が下るにつれ、こんな歌も知っているぞみたいな方向でマニアックな出典が多くなる。宗長はそういうのを「引き出して付ける」と言って非難している。
 ただ、連歌も俳諧もオタク文化になってしまうと、どうしても引き出し付けが多くなる。
 四十一句目。

   かこつ斗の手まくらの月
 あぢき無くむせぶや秋のとがならん 心敬

 「秋のとが」という言い方も、

 花見んと群れつつ人の来るのみぞ
     あたら桜の咎にはありける
              西行法師

を思わせる。
 何だかわからずに悲しくなるのは秋の欠点なのかと問いかけ、そうではない、月にかこつけているように、秋にかこつけているだけだ、となる。
 四十二句目。

   あぢき無くむせぶや秋のとがならん
 植ゑずばきかじ荻の上風      心敬

 この句と同じ句が「文和千句第一百韻」の八十四句目にあることから、いろいろ議論の的になっている句だ。その句というのが、

    うき中は心にたえぬ秋なるに
 植ゑずはきかじ荻の上風      長綱

なのだが、以前「文和千句第一百韻の世界」にも書いたが(鈴呂屋書庫を参照)、『菟玖波集』に入集したときには、

    うきことは我としるべき秋なるに
 植ゑずはきかじ荻の上風

に書き換えられているし、この作者の菅原長綱の名があるのがこの百韻にこの一句だけというのも気にかかる。つまり、以前にも書いたが、

 「この句は通常の連歌の付け句にしては一句が独立しすぎていて、内容も自業自得という意味の諺として使えそうなものである。そのため、この句は秋の寂しさや悲しさを詠んだ句や述懐の句などであれば、大概付いてしまう。たとえば、この文和千句第一百韻の別の句に付けて、

    秋の田のいねがてにして長き夜に
 植ゑずはきかじ荻の上風

    ともし火の影を残して深きよに
 植ゑずはきかじ荻の上風

    それとみて手にもとられぬ草の露
 植ゑずはきかじ荻の上風

などとしてもよさそうなものだ。
 この句は本当に長綱の句だったのだろうか。単なる諺だったのではなかったのではなかったか。また、長綱の句だったにしても、事前に作ってあったいわゆる「手帳」だった可能性もある。それを、一番ぴったりくる前句ができたときに使ってみようと思ってここで出したとすれば、千句が完成したあと、この句は第三百韻の

 うきことは我としるべき秋なるに   良基

の方がもっとしっくりくるとして、『菟玖波集』編纂の際に差し替えた理由もうなずける。
 そして、この句が作者とはなれて諺として広く知られていたとすれば、心敬も一種のサンプリングのような形で使った可能性もある。つまり、他人の句を自分が作ったように装えば盗作だが、誰が見ても他人の句であれば盗作ではない。」

2020年5月11日月曜日

 いつもの仕事、いつもの渋滞、いつもの人混み、意外に早く日常が戻ってきたせいか、結局何も変わることがなかったみたいだ。まあ、気持ちを早く切り替えないとな。
 亡くなったたくさんの人も、勇敢に戦ったたくさんの人も、いつしか日常の中で忘れ去られ、名もなき人の名前は残ることもない。きっとスペイン風邪のときもそうだったんだろうな。
 カミュは「我反抗す、ゆえに我等あり」と言ったが、確か続きがあったと思った「されど我等は孤独なり」だったか。

   かえるの声はどこか寂しい
 花の宴門限だけはゆずれずに

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 二十七句目。

   はかなやいのち何を待つらん
 矢先にも妻どふ鹿は彳みて     心敬

 儚い命を矢先の前の鹿の命とする。武器の前には愛も儚く消されてゆく。鹿に限らず、戦が起こるたびに人間もまたこうやって消されていった。そんなことを心敬も京の街で見たのだろうか。
 二十八句目。

   矢先にも妻どふ鹿は彳みて
 秋草しげみしらぬ人かげ      心敬

 「て」留めの場合は倒置させて下句から上句へと読んだ方がわかりやすくなる時がある。この場合も「秋草しげみしらぬ人かげ、矢先にも妻どふ鹿は彳みて」と読んだ方がわかりやすい。
 知らぬ人影は猟師なのか、それとも畑を守り自分達の家族を守ろうとするお百姓さんだろうか。
 愛する者を守りたいのは鹿も人も同じ。ただ、それ同士が共食いになってしまう。それが生存競争というものだ。
 二十九句目。

   秋草しげみしらぬ人かげ
 古さとに野分独やこたふらん    心敬

 台風で壊滅した村に生き残った人が独り。家族や仲間の名を叫んでみても野分の風だけが答える。
 こうした悲劇の連続は、確かに俳諧にはないものだ。俳諧は悲しい句があっても次の句では笑いに転じる。
 三十句目。

   古さとに野分独やこたふらん
 かりねの月に物思ふころ      心敬

 前句の「古さと」を眼前のものではなく追憶の中のものとして旅体に転じる。
 遠い故郷のことを思っても、現前にあるのは野分ばかり。
 三十一句目。

   かりねの月に物思ふころ
 袖ぬらす山路の露によは明けて   心敬

 仮寝を山の中での野宿とする。目が覚めたら月はすっかり西に傾いている。
 三十二句目。

   袖ぬらす山路の露によは明けて
 雲引くみねに寺ぞ見えける     心敬

 前句の山路を山寺に続く道とする。

 春の夜の夢の浮橋とだえして
     峰に別るる横雲の空
           藤原定家(新古今集)

の歌と照らし合わせると、「袖ぬらす山路の露」は浮世の夢で、横雲の空には仏道がある。
 三十三句目。

   雲引くみねに寺ぞ見えける
 俤や我がたつ杣のあとならん    心敬

 峰の寺に向かうのではなく、峰の寺をあとにするほうに展開する。
 雲の合間に寺が見えたと思ったのは幻で、あれはかつて自分が住んでいた山の記憶だったのだろうか、と疑う。
 金子金次郎注によれば、比叡山横川で修行時代を過ごした心敬が、延暦寺を開いた伝教大師の、

 阿耨多羅三藐三菩提の仏達
     わが立つ杣に冥加あらせたまへ
           伝教大師(新古今集)

の歌を思い起こしたという。
 「我がたつ杣」というと、

 おほけなく憂き世の民におほふかな
     わが立つ杣にすみぞめの袖
           前大僧正慈円(千載集)

の歌もよく知られている。
 三十四句目

   俤や我がたつ杣のあとならん
 蓬がしまの花の木もなし      心敬

 「蓬がしま」は東海の幻の神仙郷、蓬莱山。永遠に散らない玉の枝はあっても儚く散る花はない。
 前句の「や‥らん」を反語とする。
 三十五句目。

   蓬がしまの花の木もなし
 春深み緑の苔に露落ちて      心敬

 前句を蓬莱山ではなく、ただ蓬が生い茂る島で桜の花ももう散ってしまったとする。
 三十六句目。

   春深み緑の苔に露落ちて
 岩こす水の音ぞかすめる      心敬

 前句の「露落ちて」を岩を越えて流れる渓流の飛び散るしぶきとする。
 「音ぞかすめる」はやや放り込み気味の季語ではある。ただ、景色だけでなく音も霞むというところには一興ある。
 音楽の音も秋は澄んで聞こえ、春は音が籠る。『源氏物語』の末摘花巻に、朧月の夜に七弦琴を聞きに行こうとしたとき、大輔(たいふ)の命婦が、

 いと、かたはらいたきわざかな。ものの音すむべき夜のさまにも侍らざめるに
 (何か、かなり無理があるんじゃない。こういう夜は楽器の音もクリアに聞こえないし。)

と言う場面がある。

2020年5月10日日曜日

 今日は晴れたり曇ったりで、気温がかなり上がったらしいが一日籠ってたのでよくわからなかった。

   フレコンの黒きを見れば肌寒く
 かえるの声はどこか寂しい

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 十九句目。

   迷ひうかるる雲きりの山
 啼く鳥の梢うしなふ日は暮れて   心敬

 雲きりの中で迷いうかるるのを比喩ではなく、鳥が梢を失ったからだとした。日が暮れて寝ぐらに戻ろうとしたら、寝ぐらにしていた木が切り倒されてしまったのだろう。自然は大切に。
 二十句目。

   啼く鳥の梢うしなふ日は暮れて
 物さびしきぞ桜ちる陰       心敬

 前句の「啼く鳥の梢うしなふ」を逆に昼間蜜を吸っていた鳥が桜の木を離れて寝ぐらに帰ることとし、人間に視点から「啼く鳥の梢」うしなうとした。
 桜も散り始め物寂しい。
 二十一句目。

   物さびしきぞ桜ちる陰
 故郷の春をば誰か問ひてみん    心敬

 廃村の風景であろう。自然災害の場合もあれば、領主の横暴で村民が逃散する場合もある。
 誰も近寄る人もいない故郷に桜だけが残っている。
 二十二句目。

   故郷の春をば誰か問ひてみん
 霞隔つる方はしられず       心敬

 故郷を離れる旅人の姿とする。故郷には帰れない。ただ、霞で見えない向こう側へと去りゆくのみ。
 二表。
 二十三句目。

   霞隔つる方はしられず
 武蔵野はかよふ道さへ旅にして   心敬

 武蔵野は富士山の火山灰の積もった大地で、当時はまだ薄が原だった。畑作にも適さず、水もないから田んぼも作れない。人家もまばらで隣の家に行くのが旅のようだ。
 江戸時代になり、十七世紀半ばの承応の頃に玉川上水、野火止用水が整備され、多くの人が入植し新田開発が進み、いわゆる武蔵野の薄が原は急速に減少してゆく。明治の国木田独歩の頃には武蔵野は雑木林だった。
 二十四句目。

   武蔵野はかよふ道さへ旅にして
 詠しあとの遠き山かげ       心敬

 「詠し」は「ながめし」と読む。
 武蔵野の薄が原は遠くの山がよく見える。さっきまで近くにあった山がだんだん遠くなってゆくのが見える。
 武蔵野から見えるというと、丹沢、奥多摩の山々でその合い間に富士山も見える。
 二十五句目。

   詠しあとの遠き山かげ
 我が身世に思はずへぬる年はうし  心敬

 前句を比喩とし、あれから知らないうちに長い年月が流れたなという術懐に展開する。
 二十六句目。

   我が身世に思はずへぬる年はうし
 はかないいのち何を待つらん    心敬

 何を待つかというと、死を待つのみということなのだろう。来世のことを思わない無明のことをいう。

2020年5月9日土曜日

 今日は朝は晴れていたが次第に曇ってきた。
 家の近くの桜の木が伐採されて切り株だけになっていた。染井吉野の時代は終りつつある。次は何を植えるのだろうか。

   向こうの岸は霧に閉ざされ
 フレコンの黒きを見れば肌寒く

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 初裏。
 九句目。

   行く人まれの岡ごえの道
 冬籠る梺の庵は閑にて       心敬

 岡の道が行く人稀なら、その岡の麓の庵も静かだ。
 十句目。

   冬籠る梺の庵は閑にて
 こほるばかりの水ぞすみぬる    心敬

 庵に棲むは縁語で水に「澄む」に掛ける。
 「澄む」は水だけでなく心まで澄んでゆくようだ。心敬のいわゆる「冷え寂びた」境地といえよう。
 十一句目。

   こほるばかりの水ぞすみぬる
 打ちしをれ朝川わたる旅の袖    心敬

 前句の凍るような澄んだ水を川の水とし、そこを徒歩で渡る旅人を付ける。
 十二句目。

   打ちしをれ朝川わたる旅の袖
 棹のしづくもかかる舟みち     心敬

 袖が打ちしをれるのを棹を雫がかかったせいとし、「朝川わたる」を船での渡りとする。
 十三句目。

   棹のしづくもかかる舟みち
 求めつつよるせもしらぬ中はうし  心敬

 舟に「寄る瀬も知らぬ」とし、心の遣る瀬なさの比喩とし、求めても報われない恋の憂鬱へと展開する。
 十四句目。

   求めつつよるせもしらぬ中はうし
 別れの駒は引きもかへさず     心敬

 「よるせもしらぬ」はそのまま「遣る瀬無い」という慣用句として舟から切り離すことが出来る。
 男は馬に乗って去っていった。
 十五句目。

   別れの駒は引きもかへさず
 移りゆく時をこよひの恨みにて   心敬

 前句の「駒は引きもかへさず」を時の流れの後戻りしないのの比喩とする。今宵の別れはもう引き返すことが出来ない。
 十六句目。

   移りゆく時をこよひの恨みにて
 契りにわたる有明の月       心敬

 前句の「移りゆく時」を長い二人の過ごした年月ではなく、宵から明け方までの時にする。
 契った人は来ずに、月だけが現れては西へ渡り、帰ってゆく。
 十七句目。

   契りにわたる有明の月
 世の中や風に上なる野べの露    心敬

 西に渡る月をこの世の無常とし、風の上の露を付ける。「世の中は風に上なる野べの露や」の倒置で、「や」は疑いつつ比喩として治定する。
 金子金次郎注は、

 うつりあへぬ花のちぐさに乱れつつ
   風のうへなる宮城野の露
            藤原定家(続後撰集)

を典拠として挙げている。

 十八句目。

   世の中や風に上なる野べの露
 迷ひうかるる雲きりの山      心敬

 この世は諸行無常、すべては儚い夢だとは言っても、この自分はそんな悟った気分にもなれず、いつも迷ったり浮かれたりしながら五里霧中で生きている。
 宗祇の連歌論書『宗祇初心抄』には、

 一、述懐連歌本意にそむく事、
   身はすてつうき世に誰か残るらん
   人はまだ捨ぬ此よを我出て
   老たる人のさぞうかるらむ
 か様の句にてあるべく候、(述懐の本意と申は、
   とどむべき人もなき世を捨かねて
   のがれぬる人もある世にわれ住て
   よそに見るにも老ぞかなしき
 かやうにあるべく候)歟、我身はやすく捨て、憂世に誰か残るらんと云たる心、驕慢の心にて候、更に述懐にあらず、(たとへば我が身老ずとも)老たる人を見て、憐む心あるべきを、さはなくて色々驕慢の事、本意をそむく述懐なり、

とある。この世は無情と知りつつも迷っているというのは術懐の基本ともいえよう。

2020年5月8日金曜日

 今日はいい天気になったが気温はそれほど上がらなかった。
 新たな感染者数が休日やその翌日でもないのに減っている所を見ると、どうやらピークアウトが見えてきたと言っていいのではないかと思う。
 ただ、死者は増えていて、まだ病床に余裕がないのがわかる。今月何とか千人以内に抑えられれば初戦は勝利と言っていいだろう。感染爆発(オーバーシュート)なしに乗り切ったといっていい。
 おそらくコロナは当初考えられていた以上に感染力が強く、発症率が低かったのではないかと思う。
 それともう一つ、想像以上に体の中の働く細胞たちがいい仕事をしてくれたのではないかと思う。
 日本はPCR検査数が極端に少ないということがしばしば問題になってきたが、ただそれでも感染爆発を防げたのは、発症し、ある程度重症化した者だけをPCR検査し、無症状や軽症患者を取りこぼしたとしても、それほど問題はなかったということではないかと思う。
 それは体内の免疫系でしっかりと封じ込められていて、感染力がほとんどなかったということではないかと思う。
 ただ、抗体検査をすると、そうした人たちは陽性反応をするし、日本でも欧米でも信じられないほどの高率で陽性反応が出る。
 無症状の人は感染したことにすら気付かぬまま日常生活を続けてしまうし、軽症でもちょっと風邪引いたかなくらいで医者にも行かず治ったら、そのまま何の疑問もなく生活を続ける。
 どんなにPCR検査の数を増やしても全員というわけには行かず、欧米でもかなりの取りこぼしがあったのだと思う。ただ、そうした人たちは感染の拡大にはほとんど関係がなかったのではないか。
 ただ、コロナウイルスは消えたのではない。一度は終息したかのように見えても、感染症対策が緩めば再びゲリラ的にまだ感染してない人を相手にクラスターを起すと思うし、体の中でも何らかの原因で免疫系が弱まれば時限爆弾のように発症する可能性もある。油断は大敵だ。
 日本は欧米や中国韓国で一ヶ月程度の間に起きたことを三ヶ月に引き伸ばしたようなもので、この引き伸ばしのおかげで医療崩壊を免れ、死亡率を低く抑えることに成功した。あと一ヶ月頑張れば、ある程度かつての日常が取り戻せるのではないかと思う。
 ただ、出口戦略を誤って、あまり急激に経済を回復させようと欲張ると、コロナに付け入る隙を与えてしまう。

   月を背に漁火遠い日本海
 向こうの岸は霧に閉ざされ

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 四句目。

   月清き光によるは風見えて
 夢おどろかす秋のかりふし     心敬

 「かりふし」は仮伏しで仮寝のこと。仮の宿での旅寝で羇旅になる。
 「風」に「おどろかす」は、

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども
     風の音にぞおどろかれぬる
              藤原敏行朝臣(古今集)

で、歌てにはのように付いている。
 雲のない澄んだ月の夜の野宿で、一陣の風が草木を動かし、ハッと目が覚め夢が破られる。
 五句目。

   夢おどろかす秋のかりふし
 置き増る露や舎に更けぬらん    心敬

 野宿から宿での旅寝に変り、その宿には夜も遅くなって気温が下がると露が降りる。当時は畳ではなく板床に御座か筵を敷くので露が降りやすい。
 この場合の「や‥らん」は疑いで、露が降りてひんやりとしてくると、その寒さでハッと目が覚める。もう夜明けも近いのかと思う。
 六句目。

   置き増る露や舎に更けぬらん
 虫のねよはき草のむら雨      心敬

 草のむら(草叢)と村雨を掛けている。
 雨が降ると虫もあまり鳴かなくなる。前句の「置き増る露」を雨のせいにする。
 七句目。

   虫のねよはき草のむら雨
 萩がえの下葉のこらずくるる野に  心敬

 金子金次郎注には「くるる」は「かるる」の間違いではないかという。
 「暮る」には終わりになるという意味があり、夕暮れは昼間の終わり、秋の暮れは秋の終わり、年の暮れは年の終わりと考えればわかりやすい。だとすると萩が枝の暮るるも萩の枝が終るという意味になる。
 実際には枯れるということだが、「くるる」だと「萩がえの下葉のこらず、暮る野に」と区切って読んで、「下葉は残らず枯れてしまい、日も暮れる野に」という取り成しが可能になる。
 虫の音が弱るのは雨のせいだけでなく、萩の枝の下葉が枯れてしまったからだとする。
 後の『湯山三吟』に、

    露もはや置きわぶる庭の秋の暮
 虫の音ほそし霜をまつころ     宗長

の句がある。
 八句目。

   萩がえの下葉のこらずくるる野に
 行く人まれの岡ごえの道      心敬

 前句の「くるる」を日の暮れるとすると、萩も咲いてなく夕暮れなので人がいない、という意味になる。
 岡ごえは山越えのような旅路ではなく、生活空間の中の移動になる。『応安新式』では岡は非山類とされている。
 どこか、後の俳諧の、

 此道や行人なしに秋の暮      芭蕉

を髣髴させる。
 芭蕉の同じ頃の、

 此秋は何で年よる雲に鳥      芭蕉

の句と、

   わが心誰にかたらん秋の空
 荻に夕風雲に雁がね        心敬

の類似も偶然だろうか。

2020年5月7日木曜日

 今日からまた仕事で、人も車も例年よりは少ないが、がらがらというわけでもない。こんなんで本当に大丈夫なのか。清水建設も工事を再開すると言っているし。

   変わったお茶をご馳走になる
 月を背に漁火遠い日本海

 まあとにかく今日は晴れた。旧暦四月十五日で満月が見える。
 今年は四月閏で四月が二ヶ月ある。そんなにたくさん卯月の俳諧を見つけるのは面倒なので、一足早く五月の連歌を読んでみようかと思う。
 随分前に図書館で借りて読んだ『心敬の生活と作品』(金子金次郎、一九八二、桜楓社)所収の、「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」を読み返してみようと思う。
 応仁元年(一四六七)というとあの有名な応仁の乱の年だが、その前年の文正元年(い四六六)七月の文正の政変があり、その年の十二月には畠山義就が大軍を率いて上洛し、京都は既に戦乱状態に入っていた。翌文正二年(一四六七)の一月には御霊合戦が起こり、京都の戦火は広がっていった。
 そして文正二年三月五日に改元され応仁元年となった。そしてその応仁元年四月二十八日、心敬は戦乱に明け暮れる京都を離れ関東に下る。まず伊勢神宮に参拝し、それから船で武蔵国品川に着いた。この独吟はその品川での吟になる。
 心敬の草庵がどこにあったかは今となっては謎だが、『心敬の生活と作品』(金子金次郎)によれば、南品川の南馬場のあたりだという。近くに天妙国寺があるが、かつては妙国寺と呼ばれ、

 ながれきてあづまにすずし法の水  心敬

の発句を詠んでいる。
 「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」はその品川に着いたばかりの五月の吟とされている。
 発句。

 ほととぎす聞きしは物か不二の雪  心敬

 ホトトギスの声が聞こえたが、あれは幽霊か物の怪のたぐいだろうか、富士は雪で真っ白だ。
 富士は雪で真っ白で冬のようだから、ホトトギスなんて鳴くはずがない、でも聞こえてくる。それを「物か」と疑う。
 「物」は多義で、今で言う物質に近い意味もあるが、霊魂だとかたましいだとかいう意味もあるし、物の怪も本来は物質が化けたということではなく、霊魂の意味での物の怪異だった。
 現実のホトトギスの声は「物か」と疑うことによって、現象を超えてその背後の世界、物自体の世界を響かせることになる。単なる音波ではなく、魂の声となる。
 品川からだと、富士はそんなに大きくは見えない。ひょっとしたら、伊勢からの船旅で、駿河沖から見た富士山のイメージがあったのかも知れない。
 脇。

   ほととぎす聞きしは物か不二の雪
 雲もとまらぬ空の涼しさ      心敬

 真っ白な富士山が見えるというからには、そこには雲がない。
 旧暦の五月は五月雨の季節だから、晴れるというのも珍しい。「雲もとまらぬ」というのは小さな雲が流れては消え、留まることがないという意味で、それだけ風がある、晴れてもそんなに暑さを感じさせない日だったのだろう。
 第三。

   雲もとまらぬ空の涼しさ
 月清き光によるは風見えて     心敬

 富士の雪は雲が止まらないから見えるもので、雲が止まらないのは風吹いているからで、雲が動くことで風が見えている。
 江戸時代の俳諧にはないわかりやすい展開で、それでいて月で秋に転じ夜分の景色とし、発句としっかり離れている。

2020年5月6日水曜日

 今日は一日曇りで午後から雨、夜には雷になった。今日も籠城。
 連休も終わりで、とにかくこれで感染者が減ってくれて、誰も死なないことを祈るだけだ。

   世話好きの熟年尼にときめいて
 変わったお茶をご馳走になる

 それでは「かくれ家や」の巻の続き、挙句まで。

 二裏。
 三十一句目。

   鹿の音絶て祭せぬ宮
 冠をも落すばかりに泣しほれ    芭蕉

 冠(ここでは「かむり」と読む)は神主さんのかぶるもので、それを落とすばかりにというのは、うずくまって泣き崩れる様であろう。
 一体この神社に何があったのか。おそらく人も亡くなったのであろう。
 三十二句目。

   冠をも落すばかりに泣しほれ
 うつかりつづく文を忘るる     等躬

 届いた手紙を途中まで読んで早合点して泣き崩れてしまったが、実はその手紙、続きがあった。前句の哀傷を笑いに転じる。
 三十三句目。

   うつかりつづく文を忘るる
 恋すれば世にうとまれてにくい頬  素蘭

 「にくい」は憎いというそのままの意味のほかに、「そりゃあにくいねーー」だとか「ほんと、にくいお人」みたいに褒めて使う場合もある。この場合は後者の意味か。
 恋したがために周囲に焼餅を焼かれハブられてしまったか。それでも嫌いになれないその頬がにくい。これというのも手紙の続きを置いてきてしまって、人に読まれてしまったからだ。
 三十四句目。

   恋すれば世にうとまれてにくい頬
 気もせきせはし忍夜の道      栗斎

 相手は逢ってはいけない人だったために周囲の猛反対にあった。それでもひそかに合いに行く。夜になってから家を出て、気持ちは急くばかり。
 三十五句目。

   気もせきせはし忍夜の道
 入口は四門に法の花の山      曾良

 「四門」というと釈迦の出家の動機となった四門出遊のことか。
 お釈迦様が城から出ようとしたのは、実は恋人に会うためで、そのつど老人、病人、死人にはばまれ、ついに北門からの脱出に成功したが、僧に捕まって出家する羽目になった。
 挙句。

   入口は四門に法の花の山
 つばめをとむる蓬生の垣      等雲

 前句を草の生い茂った山の中の庵とし、南の方からはるばるやってきたツバメ(芭蕉・曾良)もそこでやすらぐことになる。こうして目出度く一周して可伸庵に戻って、この歌仙は終了する。

   かくれ家や目だたぬ花を軒の栗
 まれに蛍のとまる露草       栗斎

   入口は四門に法の花の山
 つばめをとむる蓬生の垣      等雲

 こうした発句と挙句の呼応は、「詩あきんど」の巻の、

   詩あきんど年を貪ル酒債哉
 冬-湖日暮て駕馬鯉(うまにこひのする) 芭蕉

   詩あきんど花を貪ル酒債哉
 春-湖日暮て駕興吟(きょうにぎんをのする) 芭蕉

にも似ている。

2020年5月5日火曜日

 今日は昼間ちょっと晴れたがその後雨になった。
 今日も一日籠城。「籠城」は「ステイホーム」と違って、いかにも見えない敵と戦ってるぞという感じがして良い。
 「生存権」というのはすべての人権の中でも最も重いもので、生存権のためなら他の私権を制限することは本来可能なはずだ。
 例えば正当防衛というのは、自分の生存権を守るためには他人を殺す権利を持つということだ。
 感染症対策も基本的に生存権に基づくものだということを認識しなくてはならない。強制的な移動制限、外出制限、経済活動の制限、学校の閉鎖もすべての人の生存権のためであるなら容認される。これは人権思想の初歩ではないかと思う。
 感染症対策での強権発動は民主主義や人権思想と矛盾するものではない。
 世界では中国の責任を追及する声が高まっているようだが、日本では中国べったりの左翼やマスゴミが全部安倍の責任にしようとしてわめいている。
 その安倍政権も中国の利権かからんでるのか、中国を非難しようとはしない。
 せっかく死者数をこれまで少なく抑えることに成功したというのに、世界の手本になれないわけだ。国民は最高だが政治は最低だ。

   黙っておこうカミングアウト
 世話好きの熟年尼にときめいて

 それでは「かくれ家に」の巻の続き。

 二十五句目。

   朴をかたる市の酒酔
 行僧に三社の詫を戴きて      曾良

 「三社の詫」は「三社託宣」と呼ばれるもので、コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「伊勢神宮のアマテラスオオミカミ,春日神社の春日大明神,石清水八幡宮の八幡大菩薩の託宣を一幅に書き記したもの。正直,清浄,慈悲が説かれている。神儒仏三教を融合するとともに,皇室,貴族,武士の信仰を1つにまとめている。室町時代末期から江戸時代まで広く庶民信仰の対象として普及した。吉田家の祖,卜部 (うらべ) 兼倶の偽作とされるが根拠はない。」

とある。
 その内容は、

 天照皇太神宮:計謀雖為眼前利潤必当神明罰
        正直雖非一旦依怙終蒙日月憐
 八幡大菩薩 :雖食鉄丸不受心穢人物
        雖生銅焔不到心穢人処
 春日大明神 :雖曳千日注連不到邪見家
        雖為重服深厚可赴慈悲室

 天照皇太神宮:
  目先の利益ではかりごとをすれば必ず神罰を受ける
  正直は一時しのぎではなく必ず日月の憐れみを蒙る
 八幡大菩薩 :
  たとえ鉄の塊を食わされても心穢れた人から物をもらってはいけない
  たとえ燃え盛る銅の椅子に座ろうとも心穢れた人の所に行ってはいけない
 春日大明神 :
  たとえ千日の注連縄が引いてあっても、邪な考えの人の所に行ってはいけない
  たとえ多くの不幸が重なり喪に服していても、慈悲ある人はやってきてくれる

 八幡大菩薩の宣託は尾崎豊が「Bow!」という歌の中で、

 「鉄を食え餓えた狼よ、死んでも豚には食いつくな」

と歌っていて、現代に生きている。
 春日大明神の宣託は淫祠を戒めているのだろう。ふと箱根を歩いた時のことを思い出す。
 こうした教えは吉田神道とともに広まったとされている。曾良の師である吉川惟足も吉田神道の流れを汲んでいて、『奥の細道』の旅で僧形となった曾良もまた、その布教に貢献してたのではないかと思う。
 三社託宣は江戸の市井でコハダの味を語る酔客たちにも広まっていったが、それとは関係なくコハダは後に江戸前寿司の光物(ひかりもの)として欠かせぬものになる。
 二十六句目。

   行僧に三社の詫を戴きて
 乗合まてば明六の鐘        素蘭

 乗り合いの渡し舟を待っていたら明け六つの鐘が鳴る。「明け六つ」は不定時法で日の出の時刻になる。
 三社の託の説法は渡し舟を待つ人に向けても行われていたか。
 二十七句目。

   乗合まてば明六の鐘
 伽になる嶋鵯の餌を慕ひ      等躬

 鵯(ヒヨドリ)は漂鳥で、秋の季語とされている。嶋鵯はシロズキンヒヨドリで、頭が白い。色がきれいなので画題にもなっている。
 「伽になる」というのは飛べなくなっていた所を保護して餌をやっているということか。一晩経って元気になったならそれは目出度い。
 二十八句目。

   伽になる嶋鵯の餌を慕ひ
 四五日月を見たる蜑の屋      栗斎

 嶋鵯は海人の家で面倒を見ていて、その間夜通し月を見て過ごす。
 流人となった在原行平のことも思い浮かぶ。
 二十九句目。

   四五日月を見たる蜑の屋
 徒にのみかひなき里のむら栬    等雲

 人もまばらな海辺の里では紅葉だけが無駄に鮮やかだ。

 見渡せば花も紅葉もなかりけり
     浦の苫屋の秋の夕暮
             藤原定家(新古今集)

の歌とは違い、紅葉はある。
 三十句目。

   徒にのみかひなき里のむら栬
 鹿の音絶て祭せぬ宮        曾良

 寂れた里の荒れ果てた神社では神鹿もいないし、祭もない。
 こういう荒れ果てた神社の現状を調べ上げ、復興に結びつけるのも、神道家にして旅人である曾良の仕事だったのだろう。

2020年5月4日月曜日

 今日は午前中雨が降った。一日籠城。
 午後にサンクトガーレンのアマビエエールが届いた。
 「鈴呂屋書庫」の方、この前から 「いと涼しき」の巻、「此梅に」の巻、「実や月」の巻、 「海くれて」の巻、「杜若」の巻、 「温海山や」の巻、「忘るなよ」の巻、「文月や」の巻、「枇杷五吟」といったところをアップしているのでよろしく。

   これじゃまるでボーイズラブの女キャラ
 黙っておこうカミングアウト

 「枇杷五吟」は前に「この興行も元禄二年の冬だったのかもしれない。」と書いたが、鈴呂屋書庫にアップした分には、

 「元禄三年の日付欠落で十二月頃とおもわれる加賀の句空に宛てた書簡で、

 「次郎助其元仕舞候而上り可レ申旨、智月も次第に老衰、尤大孝候。則さも可有事被存候。早々登り候と御心可被付候。」

と次郎助(乙州)に大津への帰還を促しているところから、この頃北枝・牧童らとともに大津に来たのかもしれない。となると、この興行は元禄三年十二月ということになる。」

と、元禄三年説を取ることにした。
 それでは「かくれ家や」の巻の続き。

 二表。
 十九句目。

   かすめる谷に鉦鼓折々
 あるほどに春をしらする鳥の声   素蘭

 「あるほど」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① いる間。また、生き長らえている間。
  ※和泉式部集(11C中)下「ある程はうきをみつつもなぐさめつ」
  ② そこにある限り。あるだけ。
  ※二人比丘尼色懺悔(1889)〈尾崎紅葉〉奇遇「あるほどの木々の葉〈略〉大方をふき落したれば」

とある。①の意味で隠遁者の風情だろう。
 山奥に身を潜め、こうして生きながらえている間は鳥の声が春を知らせてくれる。谷の底の方からはお遍路さんの鉦の音が聞こえてくる。
 二十句目。

   あるほどに春をしらする鳥の声
 水ゆるされぬ黒髪ぞうき      等躬

 この時代では水で髪を洗うということは滅多になかった。遊郭ですら月二回だったと『色道大鏡』(藤本箕山著、延宝六年刊)にあるという。庶民は年に数回という状態だったようだ。
 この場合「黒髪」だからまだ若い、多分女性であろう。それが「あるほどに」というから病弱なのだろうか。
 とすると、「水ゆるされぬ」は男が通ってくるでもない駕籠の鳥状態のことをいうのかもしれない。
 二十一句目。

   水ゆるされぬ黒髪ぞうき
 まだ雛をいたはる年のうつくしく  須竿

 これは言わずと知れた『源氏物語』の若紫。
 もっとも若紫の場合は「水ゆるされぬ」ではなく、髪を梳くのを嫌がっていて、長い髪の毛が扇を広げたようになっていた。それを源氏が切ってあげる場面がある。

 「いとらうたげなるかみどものすそ、はなやかにそぎわたして、うきもんのうへのはかまにかかれるほど、けざやかにみゆ。
 きみの御ぐしは、わがそがんとて、うたて、所せうもあるかな。いかにおひやらんとすらんと、そぎわづらひ給(たま)ふ。
 いとながき人も、ひたひがみはすこしみぢかくぞあめるを、むげにおくれたるすぢのなきや、あまり情なからんとて、そぎはてて、ちひろといはひきこえ給(たま)ふを、少納言、あはれにかたじけなしとみたてまつる。

 はかりなきちひろのそこのみるぶさの
  おひ行(ゆ)く末(すゑ)はわれのみぞみん

ときこえ給(たま)へば、

 ちひろともいかでかしらむさだめなく
  みちひる潮ののどけからぬに

と、ものにかきつけておはするさま、らうらうじき物(もの)から、わかうをかしきを、めでたしとおぼす。」

 (可愛らしい髪の先の方の毛をばっさりとそぎ落として、浮紋の礼装用の袴にはらりと落ち、鮮やかに広がります。
 「君の髪は私が梳く。」
とは言うものの、
 「それにしても凄いボリュームだ。
 どんな風に伸ばして整えればいいのやら。」
と梳ぎながら悩んでしまいます。
 「思いっきり長く伸ばしている人でも、前髪はやや短めに切ることが多いし、全部梳いて短く切りそろえてしまうのはいかにもダサいな。」
ということで、髪を梳き終わると、
 「千尋にながくなあれ。」
と呪文を唱えたので、少納言の乳母(今では乳母ではないが)はありがたいやら申し訳ないやらです。

 果てしない千尋の海の底のミル(海松)
     どこまで伸びて行くか俺は見る

と歌い上げると、

 千尋なんて深さかどうか知りません
     満ちたり引いたり潮は気まぐれ

と紙に書いてよこす様子がけなげなので、若くて可愛いというのはいいもんだなと思いました。)

 こういう名場面を思い出させてくれるのは、本説付けの一番の効用だ。
 二十二句目。

   まだ雛をいたはる年のうつくしく
 かかえし琴の膝やおもたき     芭蕉

 この場合の「琴」は七弦琴で膝に乗せて演奏する。源氏の君も得意としていた。
 膝に乗る幼い紫の上と膝に乗せる七弦琴の重さをつい較べてしまったのだろう。
 『源氏物語』から離れてはいないが、特に原作にはない場面なので良しとする。
 二十三句目。

   かかえし琴の膝やおもたき
 轉寐の夢さへうとき御所の中    須竿

 これは「邯鄲の夢」。須竿の本説はわかりやすい。「轉寐」は「うたたね」と読む。
 明智光秀の『天正十年愛宕百韻』五十八句目の、

   賢きは時を待ちつつ出づる世に
 心ありけり釣のいとなみ      光秀

の太公望ネタのように、いかにも覚えたての本説付けという感じだ。
 二十四句目。

   轉寐の夢さへうとき御所の中
 朴をかたる市の酒酔        等雲

 「朴」は「こはだ」と読む。コノシロの小さいのをそう呼ぶ。
 本当は「この城」のことを語りたいのだろう。自分がいつかお城に行って偉くなるんだと夢を語っても、どうせ「この城」まで行かないコハダ止まりだというわけで、ましてや御所なんぞ夢の夢だ。

2020年5月3日日曜日

 今日もいい天気でやはり暑い。
 wifiルーターの調子が悪かったので、それで予約して外出し、機種変更した。人は結構歩いている。子供連れの家族、老夫婦など、あまり一人で歩いてはいない。
 映画の『シンゴジラ』に、

 「日本はスクラップ&ビルドでやってきた。だから大丈夫、きっと立ち直る」

という言葉があったが、今のコロナもその時なのだろう。これからたくさんの店が潰れ、たくさんの企業が倒産し、たくさんの人が失業者になる。補助金や何かで一生懸命延命を図っても、いつかは壊れる時が来る。
 でもそのあと日本はまた奇跡を起せると信じている。
 今回ばかりは日本だけでなく、世界中でスクラップ&ビルドが起こると思う。時代は変わる。乗り遅れにご注意を。

   焼けぼっくいを横目で眺め
 これじゃまるでボーイズラブの女キャラ

 「かくれ家や」の巻の続きに行く前に、「温海山や」の巻で一分修正。

 五句目。

   土もの竃の煙る秋風
 しるしして堀にやりたる色柏  不玉

 陶芸窯の燃料にする薪を取りに行く。
 倒れかけた古木などにまず印をつけ、これを切り倒し、根も掘り出して使う。ここでは紅葉した柏が選ばれる。
 六句目。

   しるしして堀にやりたる色柏
 あられの玉を振ふ蓑の毛    曾良

 「堀」を動詞ではなく名詞の「堀」に取り成し、お城と武士を思い浮かべ、

 もののふの矢並つくろふ籠手の上に
     霰たばしる那須の篠原
                源実朝

の歌から霰へ持って行く。
 霰を防ぐために蓑を着るが、百姓から借りた蓑なのか、その蓑も古びて毛ばだっている。

 それでは「かくれ家や」の巻の続き。

 十一句目。

   酒の遺恨をいふ心なし
 婿入は誰に聞ても恥しき      曾良

 おそらく酔って過ちを犯し、責任取らされたのだろう。
 婿養子というのは昔から肩身の狭いものだが、これだと余計に肩身が狭い。
 まあ、跡取り欲しさに嵌められたのかもしれない。
 十二句目。

   婿入は誰に聞ても恥しき
 ざれて送れる傾城の文       等雲

 婿養子の弱みを握っている遊女は、あの手この手でいじり倒そうとする。実家に文などとはそら恐ろしい。
 十三句目。

   ざれて送れる傾城の文
 貧しさを神にうらむるつたなさよ  須竿

 金がなくて通うことができないから、その言い訳に冗談めかした文を遊女に送る。金持ちだったら身請けできるのに、というところか。
 十四句目。

   貧しさを神にうらむるつたなさよ
 月のひづみを心より見る      素蘭

 心に僻みがあれば月もひづんで見えるということか。
 十五句目。

   月のひづみを心より見る
 独して沙魚釣兼し高瀬守      等躬

 「高瀬守」は高瀬舟を管理している人のことか。「高瀬舟」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「近世以後、川船の代表として各地の河川で貨客の輸送に従事した船。小は十石積級から大は二、三百石積に至るまであり、就航河川の状況に応じた船型、構造をもつが、吃水の浅い細長い船型という点は共通する。京・伏見間の高瀬川就航のものは箱造りの十五石積で小型を代表し、利根川水系の二百石積前後のものはきわめて長大で平田舟(ひらだぶね)に類似し、大型を代表する。」

とある。
 いくら高瀬守だからといって、船を勝手に拝借して沙魚釣(はぜ釣り)を楽しむのは職権濫用というもの。でも実際にいたんだろうな。月もひづんで見える。
 十六句目。

   独して沙魚釣兼し高瀬守
 笠の端をする芦のうら枯      栗斎

 はぜ釣り船は芦のうら枯れの中を行く。ここは景を付けて流す。
 十七句目。

   笠の端をする芦のうら枯
 梅に出て初瀬や芳野は花の時    芭蕉

 芭蕉は『笈の小文』の旅で初瀬や芳野の桜を見て回ったが、その前に伊勢で御子良子の梅を見ている。
 前句を春もまだ早い頃の伊勢の浜荻とし、自分自身の旅の記憶を付けたか。連句でこういう私的な体験を付けるのは珍しい。
 まあそれを抜きにしても、

 都をば霞とともに立ちしかど
     秋風ぞ吹く白河の関
              能因法師


の興で、いかに長く旅をしてきたか、という句ではある。「芦のうら枯」は別に難波の芦としてもいい。
 十八句目。

   梅に出て初瀬や芳野は花の時
 かすめる谷に鉦鼓折々       曾良

 前句をお遍路さんのこととする。
 西国三十三所めぐりに吉野は入ってないが、三十三所は時代によっても変わってきているし、江戸時代にはついでにその周辺の有名な寺院を回るのは普通で、江戸から来る場合は長野の善光寺にも立ち寄ったという。

2020年5月2日土曜日

 今日は暑い一日になった。とはいえ、まだ飲み物をがぶがぶ飲むほどではない。これから先は下痢にも気をつけないとな。トイレも閉鎖されているし。
 学生の頃読んだアルビン・トフラーの『第三の波』に、そういえば今で言うテレワークが予言されてたのを思い出した。もう四十年も前のことだ。その頃の学生も定年を迎える頃となっている。
 今思うと一体何をしていたかという所だ。何のためにみんな四十年も満員電車に揺られてたのか。
 結局職場でも教育でも、誰も何も変えようとしなかった。惰性のように古いシステムを引きずって今に至ったいる。その付けを今払うことになるのか。

   君の気を引くにも炭に火は着かず
 焼けぼっくいを横目で眺め

 それでは「かくれ家や」の巻の続き。

 初裏。
 七句目。

   秋しり㒵の矮屋はなれず
 梓弓矢の羽の露をかはかせて    素蘭

 矮屋の主を源平合戦時代かそれ以前の武将とした。

 もののふの矢並つくろふ籠手の上に
     霰たばしる那須の篠原
                源実朝

のような世界を感じさせる。
 八句目。

   梓弓矢の羽の露をかはかせて
 願書をよめる暁の声        芭蕉

 願書というと今では入学願書のイメージだが、本来は神に祈願する時の文書で願文ともいう。
 コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」によると、

 「(1)平曲の曲名。《木曾願書》とも称する。伝授物。読物(よみもの)13曲の一つ。木曾義仲が挙兵して越中の砥波山(となみやま)まで来て埴生(はにゆう)に陣を取ったとき,林の間に見える社が八幡宮と知り,連れていた大夫房覚明に命じて願書を書かせた。覚明は儒家の出身で,〈帰命頂礼八幡大菩薩は日域の本主……〉と見事な文章の願書をしたためた。これを八幡宮に納めたところ,山鳩3羽が義仲軍の白旗の上を飛び回ったので,義仲は冑を脱いで礼拝した。」

というのがあったという。
 平曲にはこの外にも『平家連署願書』というのがあるという。こちらの方は平家一問が比叡山を味方につけるために書いた願書のようだ。
 多分芭蕉がイメージしていたのは木曾願書の方だろう。芭蕉は木曾義仲の大ファンで、『奥の細道』の旅の後、上方にいた頃にはしばしば近江の義仲寺に滞在し、死後もここに埋葬された。
 九句目。

   願書をよめる暁の声
 松歯朶に吹よはりたる年の暮    栗斎

 松は門松の松、歯朶(しだ)も正月飾りに用いられる。
 江戸時代には今のような初詣の習慣はなく、正月の飾りつけの際に神事が行われたのであろう。
 元禄三年の年末の、

 半日は神を友にや年忘れ      芭蕉
 雪に土民の供物納る        示右

の発句と脇にもそれが感じられる。
 十句目。

   松歯朶に吹よはりたる年の暮
 酒の遺恨をいふ心なし       等躬

 「酒の遺恨」は酒乱で滅茶苦茶なことをやってしまったということか。年の暮れになると、今年もいろんなことがあったなという話になり、心なくも古傷が蒸し返される。

2020年5月1日金曜日

 今日は金曜日で明日から五連休の人も多いのか、車は多かった。先週の金曜ほどではないが。
 九月入学を批判するなら代案を出しておかないとね。
 これからの教育はネットを中心とするとことで人を一所に集める必要がなくなり、時間や空間から自由になるのではないかと思う。ネットで年齢に関係なくいつでも世界中の授業が受けられるようになれば、いつでも入学し、卒業できるようになる。
 年齢や時空を超越した教育、それが四月入学や九月入学に取って代わるようになる。

   すぐに過ぎてくたまの休日
 君の気を引くにも炭に火は着かず

 それでは「かくれ家や」の巻の続き。

 第三。

   まれに蛍のとまる露草
 切崩す山の井の名は有ふれて    等躬

 「山の井」は浅香山の山の井で、『奥の細道』に、

 「等窮が宅を出て五里計(ばかり)、檜皮(ひはだ)の宿(しゅく)を離れてあさか山有り。路より近し。此のあたり沼多し。」

とある。

 安積山影さへ見ゆる山の井の
     浅き心をわが思はなくに
          陸奥国前采女『万葉集』巻16 3807

の山の井だが、この頃にはもう切り崩されて存在しなかったのだろう。名前だけは有名で季吟の撰集の名前にもなっている。

 滝の音は絶えて久しくなりぬれど
     名こそ流れてなほ聞こえけれ
              藤原公任(拾遺集)

の歌にも通じるものがある。
 今はない山の井もすっかり有名になってしまったから、稀に蛍のような尊い客人がやってくる。
 四句目。

   切崩す山の井の名は有ふれて
 畔づたひする石の棚橋       曾良

 「棚橋」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 板を棚のようにかけ渡した橋。欄干(らんかん)がなく、板を渡しただけの橋。
  ※万葉(8C後)一〇・二〇八一「天の河棚橋(たなはし)渡せ織女(たなばた)のい渡らさむに棚橋(たなはし)渡せ」

とある。
 この句は倒置で「石の棚橋(を)畔づたひする」という意味で、山の井は今はなく田んぼなっている、となる。
 五句目。

   畔づたひする石の棚橋
 把ねたる真柴に月の暮かかり    等雲

 前句の「畔づたひ」から、山奥の農村で柴刈りから帰る農民の姿につきを添える。
 六句目。

   把ねたる真柴に月の暮かかり
 秋しり㒵の矮屋はなれず      須竿

 「矮屋」はここでは「ふせや」と読むようだが、コトバンクだと「わいおく」という読みで、「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 低く小さい家屋。矮舎。また、自分の家をへりくだっていう語。
  ※蕉堅藁(1403)山居十五首次禅月韻「放歌長嘯傲二王侯一、矮屋誰能暫俯レ頭」 〔開元天宝遺事‐巻上〕」

とある。
 前句の柴刈る人を隠遁者として、いかにも秋の悲しさを知り尽くしているような顔をしている、とする。