2020年5月5日火曜日

 今日は昼間ちょっと晴れたがその後雨になった。
 今日も一日籠城。「籠城」は「ステイホーム」と違って、いかにも見えない敵と戦ってるぞという感じがして良い。
 「生存権」というのはすべての人権の中でも最も重いもので、生存権のためなら他の私権を制限することは本来可能なはずだ。
 例えば正当防衛というのは、自分の生存権を守るためには他人を殺す権利を持つということだ。
 感染症対策も基本的に生存権に基づくものだということを認識しなくてはならない。強制的な移動制限、外出制限、経済活動の制限、学校の閉鎖もすべての人の生存権のためであるなら容認される。これは人権思想の初歩ではないかと思う。
 感染症対策での強権発動は民主主義や人権思想と矛盾するものではない。
 世界では中国の責任を追及する声が高まっているようだが、日本では中国べったりの左翼やマスゴミが全部安倍の責任にしようとしてわめいている。
 その安倍政権も中国の利権かからんでるのか、中国を非難しようとはしない。
 せっかく死者数をこれまで少なく抑えることに成功したというのに、世界の手本になれないわけだ。国民は最高だが政治は最低だ。

   黙っておこうカミングアウト
 世話好きの熟年尼にときめいて

 それでは「かくれ家に」の巻の続き。

 二十五句目。

   朴をかたる市の酒酔
 行僧に三社の詫を戴きて      曾良

 「三社の詫」は「三社託宣」と呼ばれるもので、コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「伊勢神宮のアマテラスオオミカミ,春日神社の春日大明神,石清水八幡宮の八幡大菩薩の託宣を一幅に書き記したもの。正直,清浄,慈悲が説かれている。神儒仏三教を融合するとともに,皇室,貴族,武士の信仰を1つにまとめている。室町時代末期から江戸時代まで広く庶民信仰の対象として普及した。吉田家の祖,卜部 (うらべ) 兼倶の偽作とされるが根拠はない。」

とある。
 その内容は、

 天照皇太神宮:計謀雖為眼前利潤必当神明罰
        正直雖非一旦依怙終蒙日月憐
 八幡大菩薩 :雖食鉄丸不受心穢人物
        雖生銅焔不到心穢人処
 春日大明神 :雖曳千日注連不到邪見家
        雖為重服深厚可赴慈悲室

 天照皇太神宮:
  目先の利益ではかりごとをすれば必ず神罰を受ける
  正直は一時しのぎではなく必ず日月の憐れみを蒙る
 八幡大菩薩 :
  たとえ鉄の塊を食わされても心穢れた人から物をもらってはいけない
  たとえ燃え盛る銅の椅子に座ろうとも心穢れた人の所に行ってはいけない
 春日大明神 :
  たとえ千日の注連縄が引いてあっても、邪な考えの人の所に行ってはいけない
  たとえ多くの不幸が重なり喪に服していても、慈悲ある人はやってきてくれる

 八幡大菩薩の宣託は尾崎豊が「Bow!」という歌の中で、

 「鉄を食え餓えた狼よ、死んでも豚には食いつくな」

と歌っていて、現代に生きている。
 春日大明神の宣託は淫祠を戒めているのだろう。ふと箱根を歩いた時のことを思い出す。
 こうした教えは吉田神道とともに広まったとされている。曾良の師である吉川惟足も吉田神道の流れを汲んでいて、『奥の細道』の旅で僧形となった曾良もまた、その布教に貢献してたのではないかと思う。
 三社託宣は江戸の市井でコハダの味を語る酔客たちにも広まっていったが、それとは関係なくコハダは後に江戸前寿司の光物(ひかりもの)として欠かせぬものになる。
 二十六句目。

   行僧に三社の詫を戴きて
 乗合まてば明六の鐘        素蘭

 乗り合いの渡し舟を待っていたら明け六つの鐘が鳴る。「明け六つ」は不定時法で日の出の時刻になる。
 三社の託の説法は渡し舟を待つ人に向けても行われていたか。
 二十七句目。

   乗合まてば明六の鐘
 伽になる嶋鵯の餌を慕ひ      等躬

 鵯(ヒヨドリ)は漂鳥で、秋の季語とされている。嶋鵯はシロズキンヒヨドリで、頭が白い。色がきれいなので画題にもなっている。
 「伽になる」というのは飛べなくなっていた所を保護して餌をやっているということか。一晩経って元気になったならそれは目出度い。
 二十八句目。

   伽になる嶋鵯の餌を慕ひ
 四五日月を見たる蜑の屋      栗斎

 嶋鵯は海人の家で面倒を見ていて、その間夜通し月を見て過ごす。
 流人となった在原行平のことも思い浮かぶ。
 二十九句目。

   四五日月を見たる蜑の屋
 徒にのみかひなき里のむら栬    等雲

 人もまばらな海辺の里では紅葉だけが無駄に鮮やかだ。

 見渡せば花も紅葉もなかりけり
     浦の苫屋の秋の夕暮
             藤原定家(新古今集)

の歌とは違い、紅葉はある。
 三十句目。

   徒にのみかひなき里のむら栬
 鹿の音絶て祭せぬ宮        曾良

 寂れた里の荒れ果てた神社では神鹿もいないし、祭もない。
 こういう荒れ果てた神社の現状を調べ上げ、復興に結びつけるのも、神道家にして旅人である曾良の仕事だったのだろう。

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