今日の夕方は激しく渋滞した。
感染防止のために公共交通機関を避けたままみんな外出すれば、道路は自動車と自転車で溢れかえってしまう。この渋滞はしばらく続きそうだ。
スコップの立ててあるのをちら見して
明日は雪で何を作ろう
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
三十一句目。
ふるき桜のかげぞさびたる
あまたへし春のみつらき草の戸に 長敏
目出度いはずの春を辛いと感じるのは、杜甫の「春望」の「時に感じては花にも涙を濺ぎ、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」の心であろう。
昔からある桜が今年も花を咲かせているのすら辛く思えば、花も色を失ったように感じる。
三十二句目。
あまたへし春のみつらき草の戸に
かすむともなく寒き山風 修茂
前句の辛さを単に山風の寒い土地柄とする。修茂の城のある上州も空っ風が有名だ。
三十三句目。
かすむともなく寒き山風
雪はらふ遠方人の袖消えて 心敬
激しく降る雪が遠方人(おちかたびと:遠くに見える人)の姿をかき消してゆく。それは霞むなんて生易しいものではない。
三十四句目。
雪はらふ遠方人の袖消えて
かれ野にたかきあかつきの鐘 宗祇
前句の「遠方人の袖消えて」を雪のちらつく朝未明に旅立っていった人の姿がはるか彼方に見えなくなったとし、広大な枯れ野原に暁の鐘が鳴り響く。
宗祇もまた都を逃れ武蔵野を旅してきた。
三十五句目。
かれ野にたかきあかつきの鐘
在明の影やさやかに成りぬらむ 覚阿
この頃はまだ月の定座はなかったが、二の表にこれまで月の句がなかったので、ここで月が登場することとなった。
定座の起源はみんなが月や花の句を遠慮して付けないので、最後の長句で詠むことが多くなったからだという。
三十六句目。
在明の影やさやかに成りぬらむ
うちぬる宿の夜なよなの秋 満助
「うちぬる」は「寝る」に接頭語の「うち」が付いたもの。「うち」は元は不意に、という意味を持っていたが、「不意に寝る」というところから、「不本意にもここで寝る」というニュアンスに変わっていったか。
長く旅を続けていると、いつしか秋も深まり、以前見た有明よりも今朝の有明はさやかに見える。
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