2020年5月20日水曜日

 今朝横須賀の方の現場に行ったら、大きな現場なので数十人間隔を取ることもなく密集して朝礼をやっていた。神奈川はゆるい。
 ゆるいといえば人の上に立つべき人間もどうしようもない。何のことない。黒川検事長もマスゴミとズブズブじゃないか。それも朝日と産経、左右のバランスを取ったつもりなのか。
 日本は下々の方がしっかりしているせいか、上に立つ人間には甘えが出てしまうのだろう。
 きっと太平洋戦争の頃の日本もそうだったんだろうな。軍部のお偉方は別に尊敬されてたわけでもないし慕われてたわけでもない。ただ国民はそれぞれの自覚の下に真剣に戦ってたんだと思う。だから戦争が終った時、天皇陛下の言葉には涙しても、軍部のA級戦犯はただ罵声を浴びるだけだった。
 今のコロナも政府や野党やマスゴミには誰も何の期待もしていない。ただ、自分たちの身を守るために自粛を続けよう。

   かわいそう日本のひとが叱られる
 左翼ばかりのつどう飲み会

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 名残表。
 七十九句目。

   風のまへなる草の末々
 冬の野にこぼれんとする露を見て  心敬

 前句の風の前の草の末々には露があって今にもこぼれそうだとする。
 八十句目。

   冬の野にこぼれんとする露を見て
 はらはじ物を衣手の雪       心敬

 前句の「こぼれんとする露」を涙の比喩として、それを掃うこともないとし、掃わない理由を袖に雪がついていて冷たいからだとする。
 八十一句目。

   はらはじ物を衣手の雪
 つもりくる人ゆゑ深き我が思ひ   心敬

 雪の積もると思いの積もるを掛けて、恋に転じる。
 雪の中で来ぬ人を待っているのだろうか。衣に雪が積もっていくように思いも積もってゆく。
 八十二句目。

   つもりくる人ゆゑ深き我が思ひ
 いくよかただに明かし終つらん   心敬

 「終つ」は「はつ」と読む。
 何夜も待ち続ける心とする。
 八十三句目。

   いくよかただに明かし終つらん
 あらましをね覚め過ぐれば忘れきて 心敬

 「あらまし」はこうあったらいいなということで、今日で言う夢に近い。
 いろいろやってみたいことはあっても、朝が来ていつもの日常が始まってしまうと忘れてしまう。こうして幾夜も無駄に夢を思い描いては忘れてきた。述懐に転じる。
 八十四句目。

   あらましをね覚め過ぐれば忘れきて
 月にも恥ぢずのこる老が身     心敬

 前句の「あらまし」を仏道に入ることとし、結局真如の月を見ても恥じることなく出家せずに俗世に残っている。

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