今日はいい天気だった。だけどもう少しお籠りして頑張ろう。
あれかこれかの二者択一を迫るのが好きな人って、結局社会を分断させたいんだろうね。世の中そんな簡単に二つに分けられるものなんて無いんだけど。
それでも引くは子供何人
公園へお散歩カーの道長く
それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き、
三裏。
六十五句目。
うらみなりけり人のいつはり
我しらぬ事のみよそに名の立ちて 心敬
知らない内に根も葉もない噂が広がる。そういう息を吐くように嘘をつく奴がいるから世の中は厄介だ。前句の「人のいつはり」をいい加減な噂を安易に広める人たちのこととする。
六十六句目。
我しらぬ事のみよそに名の立ちて
とひし其のよは夢か現か 心敬
間違った噂が広まったりすると、現に自分が体験したこともひょっとして夢だったのかと疑いたくなる。嘘も百回言えば真実になるなんて諺もある。
六十七句目。
とひし其のよは夢か現か
帰るさは心もまどひめもくれぬ 心敬
「めもくる(目も眩る)」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「分類連語
目の前が真っ暗になる。
出典平家物語 九・敦盛最期
「めもくれ心も消え果てて、前後不覚におぼえけれども」
[訳] 目の前が真っ暗になり気も遠くなって、前後もわからないように思われたけれども。」
とある。
今では夢中になって周りが見えないことに限定されて用いられているが、本来は広い意味で目が暗くなることだった。
後朝の辛さに、現実を見るのが恐くなり、これが夢であってくれたらと迷う。
六十八句目。
帰るさは心もまどひめもくれぬ
青葉悲しき花の山かげ 心敬
来た時には満開の花だったのに、いつしか山桜もすっかり散ってしまい青葉に変わってしまった。ついつい花の姿をもっと見たいと願い長居し過ぎてしまった。これも心の迷い、現実から目を背けようとした結果だ。
江戸時代には、
下々の下の客といはれん花の宿 越人
の句もある。宗鑑は「上の客人立ちかえり、中の客人日がへり、とまり客人下の下」と言ったというが、何日も居座る客は何と言うべきか。
六十九句目。
青葉悲しき花の山かげ
水に浮く鳥の一声打ちかすみ 越人
「水に浮く鳥」は鴨のことだろう。
水鳥の鴨の羽色の春山の
おほつかなくも思ほゆるかも
笠女郎(万葉集)
の古い歌もある。ここでは恋の情ではなく春を惜しむ情に展開している。
鳥で春を惜しむというと、江戸時代には、
行く春や鳥啼き魚の目は涙 芭蕉
の句もある。
七十句目。
水に浮く鳥の一声打ちかすみ
舟呼ばふ也春の朝泙 心敬
「朝泙」は「あさなぎ」と読む。
前句の「水に浮く」がここでは「舟呼ばふ也」に掛かる。
「水に浮く舟呼ばふ也、鳥の一声打ちかすみ春の朝泙」という意味になる。鳥の一声があたかも舟を呼んでいるかのようだ。
穏やかな春の朝は船でどこかへ行きたいものだ。ましてや戦乱の都。伊勢から舟に乗って品川へ。
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