2020年5月12日火曜日

 芸術作品と思想は本来分けて考えるべきものなのだが、芸術的感性の低い評論家ほど、この作品はこういう思想で作られているから素晴らしい、みたいなことを言いたがる。
 たとえばピカソの「ゲルニカ」はスペインの内戦を描いたから名画なのか。そんなことはない。それならスペインの内戦を描いた絵はみんな名画なのかというと、そんなことはない。またピカソには特に政治的メッセージのない作品もたくさんあるが、それらはすべて駄作なのかというとそんなこともない。
 音楽だって、作者がどんな思想の持ち主かなんてのはどうでもいい。GoatmoonのVarjotは彼がどんな思想の持ち主であろうが名盤だと思う。
 芸術はどのような思想に基づこうとも、豊かなイマジネーションを提供してくれる。単なる乾いた理論ではない。作品で表現できるということが芸術家に与えられた特権だと思う。
 黒川検事長も安倍首相も、きらきらメイクしちゃうなんてのはどうだろうか。ついでに集近閉や問題人も一緒にメイクしちゃったら世界も平和になるのではないか。でもあの金正恩にメイクしちゃうと‥‥おくりびと?

   花の宴門限だけはゆずれずに
 残念なのはしらす雑炊

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。

 二裏。
 三十七句目。

   岩こす水の音ぞかすめる
 磯がくれ波にや舟のかへるらん   心敬

 前句の「岩越す水」を磯に打ち寄せる波のこととする。舟は帰ってゆき去っていくので、磯の水音も遠ざかり、霞んでゆく。
 三十八句目。

   磯がくれ波にや舟のかへるらん
 わが思ひねの床もさだめず     心敬

 愛しい人は舟に乗って去って行ってしまった。眠れない夜に何度も寝返りを打つ。
 三十九句目。

   わが思ひねの床もさだめず
 夢にだにいかに見えんと悲しみて  心敬

 せめて夢にでも出てきてくれと思うが、眠れなくて悲しい。
 四十句目。

   夢にだにいかに見えんと悲しみて
 かこつ斗の手まくらの月      心敬

 かこつというと、

 嘆けとて月やはものを思はする
     かこち顔なるわが涙かな
            西行法師(千載集)

の歌が思い浮かぶ。月が嘆けと言っているのではない。月にかこつけて泣いているだけで、悲しみは自分の心の中にある。月見て笑うも泣くも結局人間の心なんだ。
 せめて夢にでも出てきて欲しいと願うのは人の心だが、ついつい月のせいにしたくなる。
 誰にもわかるようなわかりやすい出典を使うというのは、心敬の時代までは守られていたのだろう。時代が下るにつれ、こんな歌も知っているぞみたいな方向でマニアックな出典が多くなる。宗長はそういうのを「引き出して付ける」と言って非難している。
 ただ、連歌も俳諧もオタク文化になってしまうと、どうしても引き出し付けが多くなる。
 四十一句目。

   かこつ斗の手まくらの月
 あぢき無くむせぶや秋のとがならん 心敬

 「秋のとが」という言い方も、

 花見んと群れつつ人の来るのみぞ
     あたら桜の咎にはありける
              西行法師

を思わせる。
 何だかわからずに悲しくなるのは秋の欠点なのかと問いかけ、そうではない、月にかこつけているように、秋にかこつけているだけだ、となる。
 四十二句目。

   あぢき無くむせぶや秋のとがならん
 植ゑずばきかじ荻の上風      心敬

 この句と同じ句が「文和千句第一百韻」の八十四句目にあることから、いろいろ議論の的になっている句だ。その句というのが、

    うき中は心にたえぬ秋なるに
 植ゑずはきかじ荻の上風      長綱

なのだが、以前「文和千句第一百韻の世界」にも書いたが(鈴呂屋書庫を参照)、『菟玖波集』に入集したときには、

    うきことは我としるべき秋なるに
 植ゑずはきかじ荻の上風

に書き換えられているし、この作者の菅原長綱の名があるのがこの百韻にこの一句だけというのも気にかかる。つまり、以前にも書いたが、

 「この句は通常の連歌の付け句にしては一句が独立しすぎていて、内容も自業自得という意味の諺として使えそうなものである。そのため、この句は秋の寂しさや悲しさを詠んだ句や述懐の句などであれば、大概付いてしまう。たとえば、この文和千句第一百韻の別の句に付けて、

    秋の田のいねがてにして長き夜に
 植ゑずはきかじ荻の上風

    ともし火の影を残して深きよに
 植ゑずはきかじ荻の上風

    それとみて手にもとられぬ草の露
 植ゑずはきかじ荻の上風

などとしてもよさそうなものだ。
 この句は本当に長綱の句だったのだろうか。単なる諺だったのではなかったのではなかったか。また、長綱の句だったにしても、事前に作ってあったいわゆる「手帳」だった可能性もある。それを、一番ぴったりくる前句ができたときに使ってみようと思ってここで出したとすれば、千句が完成したあと、この句は第三百韻の

 うきことは我としるべき秋なるに   良基

の方がもっとしっくりくるとして、『菟玖波集』編纂の際に差し替えた理由もうなずける。
 そして、この句が作者とはなれて諺として広く知られていたとすれば、心敬も一種のサンプリングのような形で使った可能性もある。つまり、他人の句を自分が作ったように装えば盗作だが、誰が見ても他人の句であれば盗作ではない。」

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