2020年5月6日水曜日

 今日は一日曇りで午後から雨、夜には雷になった。今日も籠城。
 連休も終わりで、とにかくこれで感染者が減ってくれて、誰も死なないことを祈るだけだ。

   世話好きの熟年尼にときめいて
 変わったお茶をご馳走になる

 それでは「かくれ家や」の巻の続き、挙句まで。

 二裏。
 三十一句目。

   鹿の音絶て祭せぬ宮
 冠をも落すばかりに泣しほれ    芭蕉

 冠(ここでは「かむり」と読む)は神主さんのかぶるもので、それを落とすばかりにというのは、うずくまって泣き崩れる様であろう。
 一体この神社に何があったのか。おそらく人も亡くなったのであろう。
 三十二句目。

   冠をも落すばかりに泣しほれ
 うつかりつづく文を忘るる     等躬

 届いた手紙を途中まで読んで早合点して泣き崩れてしまったが、実はその手紙、続きがあった。前句の哀傷を笑いに転じる。
 三十三句目。

   うつかりつづく文を忘るる
 恋すれば世にうとまれてにくい頬  素蘭

 「にくい」は憎いというそのままの意味のほかに、「そりゃあにくいねーー」だとか「ほんと、にくいお人」みたいに褒めて使う場合もある。この場合は後者の意味か。
 恋したがために周囲に焼餅を焼かれハブられてしまったか。それでも嫌いになれないその頬がにくい。これというのも手紙の続きを置いてきてしまって、人に読まれてしまったからだ。
 三十四句目。

   恋すれば世にうとまれてにくい頬
 気もせきせはし忍夜の道      栗斎

 相手は逢ってはいけない人だったために周囲の猛反対にあった。それでもひそかに合いに行く。夜になってから家を出て、気持ちは急くばかり。
 三十五句目。

   気もせきせはし忍夜の道
 入口は四門に法の花の山      曾良

 「四門」というと釈迦の出家の動機となった四門出遊のことか。
 お釈迦様が城から出ようとしたのは、実は恋人に会うためで、そのつど老人、病人、死人にはばまれ、ついに北門からの脱出に成功したが、僧に捕まって出家する羽目になった。
 挙句。

   入口は四門に法の花の山
 つばめをとむる蓬生の垣      等雲

 前句を草の生い茂った山の中の庵とし、南の方からはるばるやってきたツバメ(芭蕉・曾良)もそこでやすらぐことになる。こうして目出度く一周して可伸庵に戻って、この歌仙は終了する。

   かくれ家や目だたぬ花を軒の栗
 まれに蛍のとまる露草       栗斎

   入口は四門に法の花の山
 つばめをとむる蓬生の垣      等雲

 こうした発句と挙句の呼応は、「詩あきんど」の巻の、

   詩あきんど年を貪ル酒債哉
 冬-湖日暮て駕馬鯉(うまにこひのする) 芭蕉

   詩あきんど花を貪ル酒債哉
 春-湖日暮て駕興吟(きょうにぎんをのする) 芭蕉

にも似ている。

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