2020年5月29日金曜日

 東京都と北九州市で感染者が増えている。まだ戦いは終っていない。まあ、残党狩りという感じもしないでもないが、油断するとそこから一気に巻き返されてしまう。
 麻雀で喩えるならようやく東場東一局で親の連荘が終った所。これから東二局に入る。

   ゾンビ四五人世間話を
 スコップの立ててあるのをちら見して

 それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。

 二十三句目。

   かはるやどりぞとふ人もなき
 有増の程こそさそへ山のおく    修茂

 「有増の程をさそえばこそ」の倒置。「あらまし」は「こうしたい」ということ。山の奥ですんで見たいという友人の夢を聞かされて、自分も山の奥に籠ってみたが、友人の方は気が変わってしまったか。
 二十四句目。

   有増の程こそさそへ山のおく
 はつほととぎす過るむら雨     長敏

 友人の誘いは「初時鳥を聞きたい」というものだった。
 金子金次郎は、

 いかにせむこぬ夜あまたの郭公
     またじと思へば村雨の空
              藤原家隆(新古今集)

の歌を引いている。
 二十五句目。

   はつほととぎす過るむら雨
 うらめしくこぬ夜あまたに又成りて 心敬

 金子金次郎の引用歌がネタバレになってしまったが、家隆の歌の「こぬ夜あまたの郭公」を分解して歌てにはとして使用し、ホトトギスではなく愛しい人の来ぬ夜あまたから、ホトトギスは鳴いたけどあの人は来ないとする。
 二十六句目。

   うらめしくこぬ夜あまたに又成りて
 枕のしらむ独ねもうし       宗祇

 眠れぬ夜を明かして夜も白むと枕も白む。その白むに「知らむ」を掛けている。
 二十七句目。

   枕のしらむ独ねもうし
 心だに思ひまさればうき物を    宗悦

 来ぬ人を待つ独り寝から片思いの独り寝に変える。
 二十八句目。

   心だに思ひまさればうき物を
 なみだはしひて猶や落らん     心敬

 この場合の「しひて」は止めようもなく、止め処もなく、という意味か。
 二十九句目。

   なみだはしひて猶や落らん
 君が代を誰白河の瀧津浪      宗祇

 金子金次郎は、

   さきのおほきおほいまうちぎみを、
   白川のあたりに送りける夜よめる
 血の涙落ちてぞたぎつ白川は
      君が世までの名にこそありけれ
            素性法師(古今集)

の歌を引いている。本歌は白川が血の涙で赤くなったというものだが、その辺は取らずに、白河の滝のように涙は止め処もなく落ちるとする。
 「浪(なみ)」に「なみだ」と繋げるあたりも芸が細かい。上句全体が「なみだ」を導き出すための序詞のように機能している。
 「誰白川」も「誰知る、白川」と掛詞になっている。
 三十句目。

   君が代を誰白河の瀧津浪
 ふるき桜のかげぞさびたる     幾弘

 金子金次郎は、

 なれなれて見しは名残の春ぞとも
     など白川の花の下陰
            飛鳥井雅経(新古今集)

を引いている。前句の辛い別れから「君が代」の昔を偲ぶ方に展開する。昔を偲べば華やかなはずの桜も悲しげに影がさびて見える。

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