東京都と北九州市で感染者が増えている。まだ戦いは終っていない。まあ、残党狩りという感じもしないでもないが、油断するとそこから一気に巻き返されてしまう。
麻雀で喩えるならようやく東場東一局で親の連荘が終った所。これから東二局に入る。
ゾンビ四五人世間話を
スコップの立ててあるのをちら見して
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
二十三句目。
かはるやどりぞとふ人もなき
有増の程こそさそへ山のおく 修茂
「有増の程をさそえばこそ」の倒置。「あらまし」は「こうしたい」ということ。山の奥ですんで見たいという友人の夢を聞かされて、自分も山の奥に籠ってみたが、友人の方は気が変わってしまったか。
二十四句目。
有増の程こそさそへ山のおく
はつほととぎす過るむら雨 長敏
友人の誘いは「初時鳥を聞きたい」というものだった。
金子金次郎は、
いかにせむこぬ夜あまたの郭公
またじと思へば村雨の空
藤原家隆(新古今集)
の歌を引いている。
二十五句目。
はつほととぎす過るむら雨
うらめしくこぬ夜あまたに又成りて 心敬
金子金次郎の引用歌がネタバレになってしまったが、家隆の歌の「こぬ夜あまたの郭公」を分解して歌てにはとして使用し、ホトトギスではなく愛しい人の来ぬ夜あまたから、ホトトギスは鳴いたけどあの人は来ないとする。
二十六句目。
うらめしくこぬ夜あまたに又成りて
枕のしらむ独ねもうし 宗祇
眠れぬ夜を明かして夜も白むと枕も白む。その白むに「知らむ」を掛けている。
二十七句目。
枕のしらむ独ねもうし
心だに思ひまさればうき物を 宗悦
来ぬ人を待つ独り寝から片思いの独り寝に変える。
二十八句目。
心だに思ひまさればうき物を
なみだはしひて猶や落らん 心敬
この場合の「しひて」は止めようもなく、止め処もなく、という意味か。
二十九句目。
なみだはしひて猶や落らん
君が代を誰白河の瀧津浪 宗祇
金子金次郎は、
さきのおほきおほいまうちぎみを、
白川のあたりに送りける夜よめる
血の涙落ちてぞたぎつ白川は
君が世までの名にこそありけれ
素性法師(古今集)
の歌を引いている。本歌は白川が血の涙で赤くなったというものだが、その辺は取らずに、白河の滝のように涙は止め処もなく落ちるとする。
「浪(なみ)」に「なみだ」と繋げるあたりも芸が細かい。上句全体が「なみだ」を導き出すための序詞のように機能している。
「誰白川」も「誰知る、白川」と掛詞になっている。
三十句目。
君が代を誰白河の瀧津浪
ふるき桜のかげぞさびたる 幾弘
金子金次郎は、
なれなれて見しは名残の春ぞとも
など白川の花の下陰
飛鳥井雅経(新古今集)
を引いている。前句の辛い別れから「君が代」の昔を偲ぶ方に展開する。昔を偲べば華やかなはずの桜も悲しげに影がさびて見える。
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