小雨の降る日が続いている。梅雨も近いのか。ただ、今年は卯月が二ヶ月あるからなかなか五月雨にはならないのでは。
今年の旧暦五月一日は六月二十一日、夏至。旧暦四月二十八日(新暦五月二十日、つまり昨日)が小満で、二十四節季が芒種しか入らない一月が生じるため閏四月になる。
ところで黒川検事長の賭け麻雀は真剣勝負だったのだろうか。もし接待麻雀だったとしたら収賄の疑いが生じる。検察はそこをしっかり調べて欲しい。黒川検事長が不自然に一人勝ちしてなかったかどうか。
左翼ばかりのつどう飲み会
酒に負け議論に負けてゲロ吐いて
それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。
八十五句目。
月にも恥ぢずのこる老が身
吹く風の音はつれなき秋の空 心敬
前句を月が残っているように、老が身も残っているとし、吹く風にも散らなかったとする。
「つれなき」は「つれ」にならないということ。秋風の吹きすさんでいるにもかかわらず秋の空には月が散ることなくそこにあるように、年老いても人生の秋風を聞いても、まだ死なずに残っている。
八十六句目。
吹く風の音はつれなき秋の空
むかへばやがてきゆる浮きぎり 心敬
「浮きぎり(浮霧)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 下限が地表に達していないで、空に浮いているように見える霧。冷気層と暖気層の境界にできる。《季・秋》
※俳諧・桃青門弟独吟廿歌仙(1680)緑系子独吟「げぢげぢの鳴きつる方を詠れば ねぶったやうな浮霧の空」
とある。
風情のある浮霧も秋風はつれなくも吹き飛ばして消してしまう。
八十七句目。
むかへばやがてきゆる浮きぎり
道わくる真砂の上のうちしめり 心敬
前句の「むかへば」を道を目的地に向かって進んでいけばの意味とする。その旅路は霧の湿気で湿っている。
真砂は細かい砂のことで、浜の真砂を連想することが多いが、ここでは道路の水はけを良くするために撒かれた砂のことであろう。
八十八句目。
道わくる真砂の上のうちしめり
古き庵ぞ泪もよほす 心敬
前句の「うちしめり」を泪で打ち湿るとする。
「古き庵」は先人か恩師の庵であろう。既に主は亡くなっていたか。
芭蕉も雲巌寺で仏頂和尚の山居跡を尋ねて、
木啄も庵はやぶらず夏木立 芭蕉
の句を呼んでいる。ただ仏頂和尚は当時まだ存命であるどころか、芭蕉よりもはるかに後まで生きて、正徳五年(一七一五年)に没した。
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