今日は晴れたり曇ったりで、気温がかなり上がったらしいが一日籠ってたのでよくわからなかった。
フレコンの黒きを見れば肌寒く
かえるの声はどこか寂しい
それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。
十九句目。
迷ひうかるる雲きりの山
啼く鳥の梢うしなふ日は暮れて 心敬
雲きりの中で迷いうかるるのを比喩ではなく、鳥が梢を失ったからだとした。日が暮れて寝ぐらに戻ろうとしたら、寝ぐらにしていた木が切り倒されてしまったのだろう。自然は大切に。
二十句目。
啼く鳥の梢うしなふ日は暮れて
物さびしきぞ桜ちる陰 心敬
前句の「啼く鳥の梢うしなふ」を逆に昼間蜜を吸っていた鳥が桜の木を離れて寝ぐらに帰ることとし、人間に視点から「啼く鳥の梢」うしなうとした。
桜も散り始め物寂しい。
二十一句目。
物さびしきぞ桜ちる陰
故郷の春をば誰か問ひてみん 心敬
廃村の風景であろう。自然災害の場合もあれば、領主の横暴で村民が逃散する場合もある。
誰も近寄る人もいない故郷に桜だけが残っている。
二十二句目。
故郷の春をば誰か問ひてみん
霞隔つる方はしられず 心敬
故郷を離れる旅人の姿とする。故郷には帰れない。ただ、霞で見えない向こう側へと去りゆくのみ。
二表。
二十三句目。
霞隔つる方はしられず
武蔵野はかよふ道さへ旅にして 心敬
武蔵野は富士山の火山灰の積もった大地で、当時はまだ薄が原だった。畑作にも適さず、水もないから田んぼも作れない。人家もまばらで隣の家に行くのが旅のようだ。
江戸時代になり、十七世紀半ばの承応の頃に玉川上水、野火止用水が整備され、多くの人が入植し新田開発が進み、いわゆる武蔵野の薄が原は急速に減少してゆく。明治の国木田独歩の頃には武蔵野は雑木林だった。
二十四句目。
武蔵野はかよふ道さへ旅にして
詠しあとの遠き山かげ 心敬
「詠し」は「ながめし」と読む。
武蔵野の薄が原は遠くの山がよく見える。さっきまで近くにあった山がだんだん遠くなってゆくのが見える。
武蔵野から見えるというと、丹沢、奥多摩の山々でその合い間に富士山も見える。
二十五句目。
詠しあとの遠き山かげ
我が身世に思はずへぬる年はうし 心敬
前句を比喩とし、あれから知らないうちに長い年月が流れたなという術懐に展開する。
二十六句目。
我が身世に思はずへぬる年はうし
はかないいのち何を待つらん 心敬
何を待つかというと、死を待つのみということなのだろう。来世のことを思わない無明のことをいう。
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