今日は曇、少し雨が降った。
夜も更けて曇りもはてぬ薄月に
彼岸花咲く土手はひんやり
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
第三。
ゆふ暮さむみ行く袖もみず
千鳥なく河原の月に船留て 修茂
暮れが出たから月に行くのは順当な所だろう。「千鳥」「河原」「船」とこれでもかと水辺で攻める。
前句の「行く袖もみず」で人けのない寂しげな所としての展開。
四句目。
千鳥なく河原の月に船留て
きけば枕にすぐるさ夜風 覚阿
「千鳥なく」を「きけば」で受ける。夜分なので船中泊とし、枕に夜風とする。
五句目。
きけば枕にすぐるさ夜風
桜花咲くらむ方や匂ふらむ 長敏
ようやく亭主の登場となる。
当時は定座はなかったし、ここは亭主の特権というところか。
前句の「夜風」に桜の匂いを付ける。「咲くらむ方や」という言葉の続きがややぎこちない。そこはプロの連歌師ではないから仕方ないか。
六句目。
桜花咲くらむ方や匂ふらむ
春に遅るる山かげの里 宗悦
宗悦は『心敬の生活と作品』(金子金次郎、一九八二、桜楓社)に、
「『新撰菟玖波集』の読人不知衆として三句入集の宗悦であろうか。同集作者部類に、「宗悦法師 越中国住人 三句」とあり、故人衆の注記はない。文明五年(応仁元年か)十二月五日心敬発句何路百韻に加わるが、川越千句には参加しない。その点は同じ越中の時宗覚阿と同様である。」
とある。
宗が付く所を見ると、宗祇と同様宗砌の系統か。
前句の「らむ」を遠い山陰の里に思いを馳せてのこととし、あのあたりも匂っているのだろうか、とする。
七句目。
春に遅るる山かげの里
鐘かすむ嶺の樵夫の友喚びて 満助
満助は鎌田氏で武士と思われる。川越千句に参加していると『心敬の生活と作品』にある。
山かげの里なので樵夫を登場させる。
八句目。
鐘かすむ嶺の樵夫の友喚びて
かへるか雲ののこる一むら 宝泉
『心敬の生活と作品』にも未詳とある。僧か。
「友よびて」に「かへるか」と繋ぐ。樵夫は帰り、雲だけが残っている。
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