清水建設の現場に納品に行ったら体温を測定された。六度二分、よし。
緊急事態宣言解除とはいっても、徐々に部分的に解除してゆくだけですぐに元に戻るわけではなく、しばらくはまだ自粛は続く。
ライブハウスも感染防止策がとれれば六月中下旬から休業要請を解除すると言っている。ここはおとなしく従って欲しいな。
思うに密集を防ぐには升席にするというのはどうだろうか。ロープを腰くらいの高さに縦横に引くだけで簡単に区切って、一升一人にする。あとはバンドのロゴ入りマスクを配布する。
前にも書いたがフェイスシールドや防護服もバンドグッズとして販売する。とにかく何とか工夫して早くライブを再開して欲しい。
嘘をつくのも慣れたこの頃
夜も更けて曇りもはてぬ薄月に
さて、今年は卯月が二ヶ月もあるということで、ここで季節を無視して、同じ『心敬の生活と作品』(金子金次郎、一九八二、桜楓社)所収の「応仁二年冬心敬等何人百韻」を読んでみようかと思う。
場所は品川で「白河紀行」の旅を終えたばかりの宗祇を迎え、総勢十一人の連衆による賑やかな興行となった。
金子金次郎は鈴木長敏邸での興行ではないかと推測している。鈴木長敏は品川湊を仕切る豪商で、城のような屋敷に住んでいたと思われる。
心敬が発句を詠み、宗祇が脇を付け、第三が上野国大胡城主の大胡修茂(おおごのりしげ)、四句目に時宗の僧覚阿と続き、五句目に鈴木長敏が登場する所を見ると、心敬から覚阿までが来賓待遇だったのだろう。序列としては当代きっての連歌師心敬に最近になって頭角を現してきた宗祇が続き、大胡修茂は連歌以外でも大物なのでそれに続き、覚阿も当時のそれなりの連歌師として待遇されたようだ。
発句。
雪のをる萱が末葉は道もなし 心敬
萱(かや)の葉の先は雪が乗っかって折れて倒れて、それが道を塞いでしまっている。
興行開始の挨拶としては目出度さもない。
皆さんこうして都を遠く離れた都に集まって、この国がどうなってしまうのかさぞかし心配なことでしょう、ということで応安元年の独吟の七十八句目に、
神の為道ある時やなびくらん
風のまへなる草の末々 心敬
と詠んだように、神風に一斉に靡くはずの草の末葉も、今や雪の重みで潰されてしまっている。一体道はどこにあるのだろうか、と連衆に訴えかける。
神の道は無為自然にして自ずと人はひれ伏すが、今や雪の重みという暴力によって民は抑え付けられてしまっている。
これに対し宗祇はこう和す。
雪のをる萱が末葉は道もなし
ゆふ暮さむみ行く袖もみず 宗祇
雪に夕暮れの寒さ、道に行く人もないと四手にしっかりと付けている。
基本に忠実ではあるが、心敬の天下国家を憂う含みを取らずに、旅の風景としてさらっと流した感じがする。
心敬は心で受けずに小細工しやがってと思ったかもしれない。宗祇の方としてもそんなアジテーションには乗らないぞという感じで、ひそかに火花を散らしている、そんな感じがする発句と脇だ。
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