2020年5月24日日曜日

 今日は久しぶりにやまやへ買い物に外へ出た。晴れているが雲も多い。
 ところで、何か自粛の全面解除に向けて左右両方から強力な力が働いているのか。
 その中で安倍にあのツイッターの500万を額面どおりに500万人の圧力があると信じさせようとしている人たちが側近にいるのかもしれない。
 検察庁法改正案だけでなく種苗法改正案も取り下げれば、誰の目にも安倍が自分の間違いを認めたように見えるし、それをやるように自民党内で仕向けているとしたら、かなりあからさまな安倍降ろしが行われているということだ。
 緊急事態宣言が検討された頃からも、左右両方に反対する勢力がいた。コロナをただの季節性の風邪だと言って自粛に反対し、ブラジルのような放置政策を取らせようとしていた連中が右にも左にもいたが、それが終息ムードの中で息を吹き返したと言っていいのかもしれない。
 安倍がやめれば、緊急事態宣言も科学的エビデンスに基づかない間違った判断で、国の経済を破壊し多くの人を苦しめたとして糾弾されるのかもしれない。そして自粛に協力した庶民は権力に無理矢理従わされた哀れな被害者となるのだろう。
 そもそもあの500万ツイッター事件だが、未だに首謀者がはっきりしない。それに普通ならあの効果に味を占めて第二段、第三段が来そうなものだが、何度も同じ手を使えばばれるということを知っているのか、かなり用心深く行動しているようだ。
 アジアの国にコロナによる死者がすくないのは、コロナで国が混乱しらあっという間に中国に飲み込まれるという恐怖があるからだろう。
 コロナウィルス(新冠病毒)は最初に武漢にばら撒かれた時は兵器ではなかったにせよ、後から兵器として利用することは可能だ。気をつけよう。

   住み込みの仕事どこかにないだろか
 嘘をつくのも慣れたこの頃

 それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。残り四句。

 九十七句目。

   思ひくだくも衣々のあと
 恋しさのなくて住む世も有る物を  心敬

 出家して恋と無縁の世界もあるということなのだろう。でも止められないのが恋というもの。出家しても稚児との恋もあるし。
 別れのつらさに「もう恋などしない」という種の歌は今でもたくさんある。
 九十八句目。

   恋しさのなくて住む世も有る物を
 いかにしてかは心やすめん     心敬

 前句の「恋しさ」を隠棲した時の人恋しさのこととする。「恋しさのなくて住む世」は逆に俗世のことになる。
 ただ俗世に戻ればまた複雑な人間関係の中で悩まなくてはならない。どうすれば心安まるのやら。
 九十九句目。

   いかにしてかは心やすめん
 月夜にも月をみぬよも臥し侘びて  心敬

 月夜には月夜の悩みがあり月のない夜には月のない夜の悩みがある。とかくこの世の悩みは尽きぬものだ。
 月見の宴ともなれば、そこでの複雑な上下関係やら派閥力学やらがあって、あちこちにどの程度ご機嫌を取ればいいのかと悩みは尽きない。ときには恥ずかしい芸をやらされたりもする。
 ただ、お月見がなくても人間関係が複雑なのは何も変わらない。人知れずどのような企みがあるのかもわからないし、いつの間に変な噂が広まってたりもする。そうして悩みのつきないのが人間だ。人知れず枕を濡らす。
 挙句。

   月夜にも月をみぬよも臥し侘びて
 風やや寒くいなば守る床      心敬

 前句の結果、今は百姓に混じり稲葉を守る床についている。
 ここには当然、戦乱の京都を遁れ品川で暮らす自身の姿を重ね合わせているのだろう。どこへ行っても悩みが尽きることはない。それが人間だ。だから「歌」がある。
 蝉丸の歌も思い浮かぶ。

 世の中はとてもかくても同じこと
     宮もわら屋もはてしなければ
               蝉丸(新古今集)

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