昨日の冗談はさておき、きゃりーぱみゅぱみゅの最大の功績はやはり「かわいい」を世界の言葉にしたことだろう。サンリオキャラのような可愛さではなく、そこに若干のゴスロリ要素を取り入れた、死の暗示を隠し味にしたような、いわば色気とは正反対の可愛さなのではないかと思う。
この路線はビジュアル系のユメリープのファッションにも受け継がれているのではないかと思う。
西洋の女性解放が結局女性の男性化の方向に向かいがちなのに対し、きゃりーのファッションは女性的でありながら性的であることを拒否するようなところがある。
一般的に日本の女性の文化に見られることだが、男性社会への参入ではなく、女性社会の独立へ向かうもので、そのあたりはレディー・ガガと較べてみればよくわかる。
男性社会への参入という点から見れば、日本の女性解放は遅れているように見える。だが、実際には日本の女性はそんなに抑圧されているわけではない。
女子のスポーツは世界的にも高レベルにあるし、音楽面でも女性のバンドは多数あり、そのほとんどはセクシーを売りにしていない。少女マンガもBLもそうだし、こうした文化の多くは女性の間での独自な美の世界を生み出すもので、男性的な価値観に従属してはいない。
きゃりーぱみゅぱみゅもそうした中で輝く女性の一人だ。
残念なのはしらす雑炊
窓からは春の日の射す病院で
それでは「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」の続き。
四十三句目。
植ゑずばきかじ荻の上風
春を猶忘れがたみに袖ほさで 心敬
「植ゑずばきかじ」の句をあえてここで用いたのは、逆に言えばこれだけ意味のはっきりした諺のような句をどう違えて付けて展開できるかという、そのテクニックを見せるためだったのかもしれない。
ちなみに「文和千句第一百韻」の八十五句目は、
植ゑずはきかじ荻の上風
花みえぬ草は根さへや枯れぬらん 救済
だった。この時代を代表する連歌師の回答だ。
花のない草は根までが枯れてしまったのだろうか。そんなことはない、植わってなければ荻の上風の物悲しい音は聞こえないはずだ、と解く。
前句の「植ゑず」を「植えなければ」ではなく「植わってなければ」に取り成す。
これに対して心敬の答は、春にあった悲しいことを忘れないためにわざと植えたんだ、というものだ。
四十四句目。
春を猶忘れがたみに袖ほさで
霞あだなる跡の哀さ 心敬
袖は干さずに残していても、春の霞はいつしか消えて行く。結局は「衣干したり天の香具山」になるのか。
四十五句目。
霞あだなる跡の哀さ
淡雪の消えゆく野べに身をもしれ 心敬
霞の消えてゆく感傷に対しては、咎めてにはで応じる。淡雪が消えていったのを喜んでたではないか、霞が消えるのを悲しむことはない。
四十六句目。
淡雪の消えゆく野べに身をもしれ
人もたづねぬ宿の梅がか 心敬
前句の「淡雪の消えゆく野べ」を人里離れた所とし、「人もたづねぬ」と展開する。
四十七句目。
人もたづねぬ宿の梅がか
かくれゐる谷の外山の陰さびて 心敬
前句の「人もたづねぬ宿」を隠士の住みかとする。山陰は夜が明けるのも遅く日が暮れるのも早い。
四十八句目。
かくれゐる谷の外山の陰さびて
けぶりすくなくみゆる遠かた 心敬
山に囲まれた里は日当たりが悪く農作物の育ちも悪いのか人口も少ない。前句の「かくれゐる」を隠士ではなく山に囲まれた里とする。
四十九句目。
けぶりすくなくみゆる遠かた
塩たるる洲崎の蜑の放れ庵 心敬
前句の「けぶり」を海人の藻塩焼く煙とする。放れ庵だから遠くにあり、煙も少なく見える。
「洲崎」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「州が海中または河中に長く突き出て岬のようになった所。」
とある。心敬の住み始めた南馬場の辺りにも洲崎という地名がある。今の天王洲アイルの近くだ。
五十句目。
塩たるる洲崎の蜑の放れ庵
苫ふく舟に浪ぞならへる 心敬
「苫ふく舟」は舟に苫葺きの屋根の付いたキャビンのある屋形船。
前句の「放れ庵」を屋形船のこととしたか。「ならふ」は慣れるという意味で、屋形船で暮らしていれば波にも慣れる。
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