香港も大変だがアメリカも大変なことになっているな。
西洋かぶれの人間からすればアメリカは最も人権の進んだ社会で、人種や性やマイノリティーのあらゆる差別が糾弾され、最も法整備の進んだ社会なのだと言う。当然ながらそういう人たちからすれば日本は世界で最も遅れた国だということになる。
アメリカは自由だからデモも起これば暴動も起こる。日本には自由がないからデモも暴動も起せない。果たしてそれは本当なのだろうか。
なんかこの議論はコロナ対策の議論にも似ている。西洋のコロナ対策は進んでいて、それに較べれば日本は検査もろくに出来ないし、科学的エビデンスもなしに自粛を要請して、同調圧力によって人権は奪われ、差別が蔓延し、世界で最も悲惨な状態にある。欧米ならとっくに革命が起きているレベルだと言う。
こういう考え方は、結局香港やアメリカの問題よりもまず安倍政権を倒すことが先決だという結論に至る。
彼等の主張は欧米社会でも受け入れられやすく、彼等の主張をそのまま信じて日本を蔑んでいる欧米人も多いことだろう。
でも現実はまったくその反対ではないか。
彼等が崇拝している西洋の人権思想というやつが、実は西洋社会の深刻な差別を根本から解決できずに放置し、コロナに対しても大きな弱点を作ってしまったのではなかったか。
西洋の人権思想には大きくいって二つの問題がある。
一つは精神による肉体の支配という霊肉二元論の発想。これに関してはマルクス・ガブリエルも免れてない。これが精神のある者はすべての肉体を隷属させてもかまわないという思想に繋がっている。
古い時代にはどこの国にも少なからず奴隷制は存在した。日本の中世にも「下人」という人たちがいて、人身売買がされていた。だが、西洋が作り出した近代の奴隷制はそれとはまったく別物で、はるかに過酷なものだった。
この霊肉二元論は精神の単一性と肉体の多様性を対比させるもので、いかにマイノリティーの人権を声高に叫んでも、それは肉体の多様性の開放にしかならない。精神や文化の多様性がそこからこぼれ落ちてしまうため、権利は認められても実質的な差別は何一つ変わらず継続されている。単一の価値観に服従しないものは結局権利が与えられてないのと同じだ。
もう一つは力の均衡という考え方だ。これは「万人の万人に対する闘争状態」に平和をもたらすのが力の均衡しかないという考え方だ。これによって、マイノリティーは永遠に解放のために戦い続けなくてはならない。
日本は多神教の風土によって、精神の多様性が認められ、異なる価値観の相手でもお互いに察して気遣いながら生活するすべを知っている。
異なる価値観を持ちながらそれが緩やかに世間という一つのまとまりを形成しているため、暴力的に世間の秩序を破壊するよりも、心情に訴えかけて共感を得て、同じ人間だということを認めさせるほうが効果的になる。
アメリカは見かけの上だけで平等な権利を与えたが、実質的には黒人は白人の文化を受け入れないがためにその「精神」を剥奪され、白人に隷属している。
その多くはサービス業や肉体労働に従事し、テレワークの対象外にある。相対的に貧しく、コロナが蔓延しても医療費も検査費も払えない。マスクをすれば犯罪者かと疑われ射殺されかねない。頼れるのは家族や仲間だけだから、それで感染を広めてしまう。
高度な医療技術を持っていても、それをすべての国民に分け与えることが出来なければ何の意味もない。それが日本とアメリカの差になったのではないかと思う。
明日は雪で何を作ろう
白菜と葱はあるけど肉はなく
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
二裏。
三十七句目。
うちぬる宿の夜なよなの秋
山ふかし稲もるひたの音はして 長敏
「ひた(引き板)」は鳴子のことで、コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「大きな音を立てて鳥獣を驚かしこれを追い払う道具。おもに農作の害となる鳥獣を防除するために用いられるが,防犯用として用いられることもある。小さな板に竹管などを紐で添え,綱にこれを多数取り付けておく。農家ではおもに子どもや老人がこの綱の一端を引いてこれを鳴らす役目にあたる。金属器を用いた鳴子もある。竹筒などで水を引き入れたり,流水を利用して音を立てる〈ばったり〉〈ししおどし〉も鳴子の一種といえる。案山子(かかし)【大島 暁雄】」
とある。
「デジタル大辞泉の解説」の「引板」のところには、
「わが門のむろのはや早稲かり上げておくてにのこるひたの音かな」〈宇治百首〉
の用例が記されている。
『応安新式』の一座一句物のところにも、「隠家 そとも なるこ ひだ とぼそ 閨 如此類」とある。
前句の「うちぬる」に「ひた」の打つを掛けた掛けてにはのよる付け。
三十八句目。
山ふかし稲もるひたの音はして
つらきはさらにやむ時もなし 銭阿
『源氏物語』手習巻の本説であろう。
匂宮と薫との間で板ばさみになって入水した浮舟は、奇跡的に助けられて比叡山の麓の小野山荘で暮らすが、ここでも近衛中将から恋を持ちかけられる。辛いことはこんな山の中でさえ止むことがない。
三十九句目
つらきはさらにやむ時もなし
雲となる人の形見の袖の雨 心敬
前句の「やむ」に「袖の雨」を付ける掛けてには。
火葬の煙が雲となるのは哀傷歌の一つのパターンで、
なき人の形見の雲やしぐるらむ
夕べの雨に色は見えねど
太上天皇(後鳥羽院、新古今集)
の歌もある。
四十句目。
雲となる人の形見の袖の雨
夢より外に何をたのまん 宗悦
金子金次郎の注にもあるように、巫山の雲雨の本説による付け。
コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「《宋玉の「高唐賦」の、楚の懐王が昼寝の夢の中で巫山の神女と契ったという故事から》男女が夢の中で結ばれること。また、男女が情を交わすこと。巫山の雲。巫山の雨。巫山の夢。朝雲暮雨。」
とある。
ここでは亡くなった人と巫山の雲雨のようにまた夢で逢えることを願う。
四十一句目。
夢より外に何をたのまん
散る花につれなき老を慰めて 宗祇
興の乗ってきたところで、二本目の花となる。
散る花は本来悲しいものだが、老人はそれに慰められるという。
奇をてらった展開だが、花だって散ってしまうのだから、自分がやがて死を迎えることも定めだ、この人生すべてが夢であってくれればいい、という一種の悟りとする。
心敬は二条良基の時代からの千句興行などの速いペースで付けてゆく連歌のゲーム性を重視して、ある意味で通俗的なわかりやすさを良しとするところがある。出典を取るにしても誰もが知っているようなものを用い、むしろ実景を比喩に取り成したり比喩を実景に取り成したり、あまり情をはさまない理詰めの展開の意外さ、面白さが持ち味でもある。
これに対し宗祇は心情を深く掘り下げようとしてゆく。連歌はこれによって一つの芸術的な頂点には達するが、心情が深ければ深いほど次の句が付けにくくなり、ゲームとしての面白さが失われて行くことにもなる。
宗祇は連歌において一つの頂点を築いたが、頂点を極めてしまうと、あとは衰退の道が待っている。それは芭蕉にしても同じだったかもしれない。
四十二句目。
散る花につれなき老を慰めて
春のこころは昔にも似ず 幾弘
多分一座としては付けづらい重くなる場面だったのだろう。
散る花を悲しむのではなく慰めにするという複雑な老境の情を、どう取り成せばいいものやら、展開がしにくい。
幾弘の答えは「若い頃はそんなこと思いもしなかった」というものだった。
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