家のあたりでは花火はなかったし音も聞こえなかった。雨が降っていたが、鶴見と調布では雨の中上げたらしい。
白菜と葱はあるけど肉はなく
故郷の便りうれしいけれど
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
四十三句目。
春のこころは昔にも似ず
すむ山は日も長からで送る身に 満助
昔は春の日は長いと思っていたが、山に住むようになってから身辺のことを全部自分でやらなくてはならずいろいろ忙しいので、日が長いと感じなくなった。
四十四句目。
すむ山は日も長からで送る身に
はたうつ峯の柴を折りつつ 長敏
その山の暮らしというのは、山の上の畑を耕し、柴を折る生活だ。
四十五句目。
はたうつ峯の柴を折りつつ
哀れにも粟飯急ぐ火を焼きて 心敬
前句の柴で粟飯を急いで炊く。粒が小さいので米より早く炊ける。
「黄粱一炊の夢」という言葉もある。「邯鄲の夢」のことで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、
「人の世の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。「一炊(いっすい)の夢」「邯鄲夢の枕(まくら)」「盧生(ろせい)の夢」などともいう。中国唐の開元年間(713~741)、盧生という貧乏な青年が、趙(ちょう)の都邯鄲で道士呂翁(りょおう)と会い、呂翁が懐中していた、栄華が思いのままになるという不思議な枕を借り、うたた寝をする間に、50余年の富貴を極めた一生の夢をみることができたが、夢から覚めてみると、宿の亭主が先ほどから炊いていた黄粱(こうりゃん)(粟(あわ))がまだできあがっていなかった、という李泌(りひつ)作の『枕中記(ちんちゅうき)』の故事による。[田所義行]」
とある。
この故事にちなんだ展開を期待したか。季節は秋に転じる。
四十六句目。
哀れにも粟飯急ぐ火を焼きて
まくら程なき露のかり伏し 宗祇
「黄粱一炊の夢」の故事にちなんで粟に枕は付け合いということになるが、その方向では話を膨らませてない。
邯鄲の夢を見るような立派な枕ではなく、旅の野宿で用いる枕はあまりに小さすぎる。
粟飯をさっと炊いてさっと食って、ひと寝したらまた旅の続きがある。文字通りスルーした形になる。
まあ、出勝ちだから別に宗祇に振ったわけではなく、誰もうまく展開できなかっただけだろう。
四十七句目。
まくら程なき露のかり伏し
廻りきて故郷出し夜はの月 修茂
秋が二句続いたのでここは月を出すところだ。
旅立って一ヶ月経ったかという句で、前句の「まくら程なき」を短い旅の意味にする。
四十八句目。
廻りきて故郷出し夜はの月
わすれぬ物を人や忘れん 長敏
旅立って一月、私はまだ忘れてないのにあなたは忘れてしまったのでしょうか、となる。
四十九句目。
わすれぬ物を人や忘れん
かはらじのその一筆を命にて 心敬
「かはらじ」と書かれた手紙を信じるけな気な女を描いてみせる。
五十句目。
かはらじのその一筆を命にて
はかなき跡をみるぞ悲しき 満助
「はかなき跡」は一筆のこととも取れるが、ずっと待っていたのに既に亡くなっていた取ることもできる。展開の大きさとしては「はかなき跡」を墓所のことと取る方がいい。
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