今朝は久しぶりに細くなった月を見た。閏四月二十七日。もうすぐ長かった卯月も終わる。そして五月一日は夏至。
テレワーク化が進んでいけば都心にオフィスを構える必要もないし、通勤がないならどこに住んでてもいいわけだ。ならば田舎にいながら仕事もできる。
役所の「スーパーシティ」という発想が既に時代遅れなんだと思う。未来は都市である必要はない。農業のAI化とともに、様々な仕事も農村に留まりながらできるようになるスーパーカントリーこそこれからなのではないか。
アマビエ巻八十七句目。
外階段は夏の香りが
ワイシャツの少年達は汗臭く
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
三十三句目。
袂をはらふ秋の追風
船人の波なき月に今朝出でて 慶俊
前句の「追風」を帆船の追風とする。波もなく風は追風で船出には絶好の朝だ。
三十四句目。
船人の波なき月に今朝出でて
塩干を見れば山ぞ流るる 心敬
波のない干潟には山がくっきりと映っていて、船が進めばその山が流れて行く。
三十五句目。
塩干を見れば山ぞ流るる
木々の葉や入江の水に浮ぶらん 弘仲
山の木々が水に映っていて、それが流れて行くとなると、あたかも木の葉が浮かんで流れているかのようだ。
三十六句目。
木々の葉や入江の水に浮ぶらん
なににも色の冬浅き陰 能通
「なににも色の浅き陰」に冬を放り込んだ形。「冬のなににも色の浅き陰」の倒置と見てもいい。
疑問の「らん」を反語に取り成すのはお約束ということで、「赤や黄色に染まった落ち葉すら落ちていない、色の浅き陰」とつながる。
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