アマビエの巻、名残の表に入り七十九句目。
ふりかえるならみんな陽炎
戦いの記憶も遠い春の海
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
八十九句目。
冬はすまれぬ栖とをしれ
都には雪はあらめや小野の山 宗祇
京都の小野山は大原三千院の東にある。このあたりは日本海の方から雪雲が入り込んでくるので雪が降る。
京都北部までは雪が降りやすいが、南部になると雨に変わることが多く、それゆえに、
下京や雪つむ上のよるの雨 凡兆
ということになる。
小野の山は雪に埋もれて冬は住みにくい土地だが、都の方でも降っているのだろうか、という句で、凡兆の句の「下京や」の上五は『去来抄』によれば芭蕉が考えたものだというから、発想が似ている。多分京都に住んでる人にとっては「あるある」なのだろう。
九十句目。
都には雪はあらめや小野の山
時雨に月の影もすさまじ 覚阿
前句の「あらめや」を反語とし、雪ではなく時雨で、時雨の晴れ間からみる月が寒々としているとする。
月を待つたかねの雲は晴れにけり
こころあるべき初時雨かな
西行法師(新古今集)
たえだえに里わく月の光かな
時雨をおくる夜半のむらくも
寂蓮法師(新古今集)
などの歌がある。
和歌では時雨の月は冬だが、連歌では秋になる。
九十一句目。
時雨に月の影もすさまじ
木がらしの空にうかるる秋の雲 心敬
時雨(冬)の月(秋)を木枯らし(冬)と秋の雲(秋)で受ける一種の四手付けであろう。
秋の雲というと今日では鰯雲や羊雲を言う場合が多いが、江戸時代の俳諧だと、
山々や一こぶしづゝ秋の雲 涼菟
岫を出てそこら遊ぶや秋の雲 北枝
枕出せ裏屋にまはる秋の雲 丈草
のように小さくて定めなく漂う雲というイメージがあったようだ。
ここで言う「うかるる」というのも空一面に現れる鰯雲や羊雲ではなく、木枯らしの澄んだ空に小さくぽっかり浮かぶ雲のイメージのようだ。
九十二句目。
木がらしの空にうかるる秋の雲
かりもうちわび暮れわたる比 満助
秋の空だから雁は当然と言えよう。「うかるる雲」に「うちわぶ雁」を対比させている。
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