今日も雨。昨日から文字通りの五月雨だ。
ところで河出書房新社から六月二十九日に発売予定だった方方の『武漢日記 封鎖下60日の魂の記録』(飯塚 容 / 渡辺新一訳)、完全に情報が途絶えている。何があったのか。
HMV&BOOKSでようやく「こちらの商品はメーカーにより生産中止となりましたので、恐れ入りますがご注文いただくことはできません。」の文字を見つけた。
アマビエ巻九十一句目。
冬籠る寺虹になぐさむ
定めなき雨のおさまる凍月に
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
三裏。
六十五句目。
子日の松の幾とせか経ん
春の野をうづむ笆の陰遠く 専順
「笆」は「まがき」と読むようだが、漢字ペディアによると、
「①いばらだけ。とげのあるタケ。 ②たけがき。いばらだけで作ったかきね。「笆籬(ハリ)」
とある。ならそのイバラダケって何だということになる。そのような名前の植物はないようだ。
島津注は「霞のまがき」だというが、霞みはたなびくもので「春の野をうづむ」ものではないように思う。この場合は籬に用いられるような笹で野が埋まっているということではないかと思う。
子の日の松を松林に取りに行くと、遠景に笹や篠の野が見える、ということだろう。
宋の時代の中国絵画で歳寒三友という松竹梅の画題があり、その影響もあったのだろう。これが松竹梅として一般庶民に広まるのは江戸時代だという。
六十六句目。
春の野をうづむ笆の陰遠く
末はかすめる庭のやり水 与阿
ここで前句の「笆(まがき)」は霞の籬に取り成されるのだと思う。
「霞の籬」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「たちこめた霞を籬にたとえていう。《季・春》
※夫木(1310頃)二「谷の戸のかすみの笆あれまくに心して吹け山の夕風〈藤原為家〉」
とある。
庭のやり水は池泉庭園に流す人工の川で、室町時代には砂で代用する枯山水が増えたとはいえ、池泉庭園も普通に作られていたのだろう。
借景となってた野に霞が掛かると、そのまま霞の籬になる。
六十七句目。
末はかすめる庭のやり水
月細く有明がたに流れきて 心敬
「月が流れる」というのは、『源氏物語』朝顔巻の、
氷とぢ岩間の水は行き悩み
空澄む月の影ぞ流るる
の歌に詠まれている。庭の遣り水は凍って流れないが、月はお構いなしに西に流れていく、という歌だ。
ただ、ここでは下弦過ぎた細い月(逆三日月のようなものだが、なぜかこのような月を表す言葉がない)東から昇る様で、夜も明けて庭の遣り水の向こうの霞んだ景色が見えてくる。
六十八句目。
月細く有明がたに流れきて
夜寒になりぬ秋の初風 士沅
有明がたといえばやはり気温も下がり、肌寒くなる。旧暦七月の二十六日過ぎであろう。
六十九句目。
夜寒になりぬ秋の初風
衣うつ音を聞くさへ目もあはで 清林
「目もあはで」は眠れないということ。瞼が閉じないということ。
夜寒になる頃には衣うつ音が物寂しく、長い夜なのになかなか寝付けない。
七十句目。
衣うつ音を聞くさへ目もあはで
人を待乳の山の名もうし 行助
待乳山(まつちやま)というと浅草の待乳山聖天(しょうでん)が浮かぶ。ただ、万葉集などに詠まれた「待乳の山」がどこにあったかについては大和、紀州など諸説ある。
前句の「目もあはで」から愛しい人を待って眠れないと恋に展開し、待つを待乳の山に掛ける。
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