今日は晴れた。旧暦五月九日で半月が見えた。久しぶりに月を見たような気がする。
アマビエ巻九十八句目。ラスト3。
過ぎてった楽しい春の思い出よ
蝶の羽にも時間よ戻れ
さて、連歌三巻終って久しぶりに俳諧でも読んでみようかな。
今回選んでみたのは『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)から『炭俵』所収の利牛、野坡、孤屋による三吟百韻で、芭蕉は参加していない。
発句。
子は裸父はててれで早苗舟 利牛
「ててれ」は「ててら」ともいう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「〘名〙 (「てでら」とも)
① 襦袢(じゅばん)。膝のあたりまでしかない着物。ててれ。
※咄本・醒睡笑(1628)五「夕顔の棚の下なるゆふすずみ男はててら妻はふたのして」
② 男の下帯。ふんどし。ててれ。〔書言字考節用集(1717)〕」
とある。
この場合どちらなのかはわからない。中村注はふんどしとしている。
襦袢の用例として引用されている歌は、久隅守景(くすみもりかげ)が『納涼図屏風』にしている。
「早苗舟」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 田植の時、早苗を積んで、水田に浮かべておく手押しの小舟。田植舟。《季・夏》
※俳諧・炭俵(1694)上「子は裸父はててれで早苗舟〈利牛〉 岸のいばらの真っ白に咲く〈野坡〉」
とある。
当時の田植えは一種の神事で、彭城百川(さかきひゃくせん)の『田植図』を見ると烏帽子をかぶって踊ってる人がいるし、鼓を打ち鳴らす人もいる。田植えをする人はちゃんと服を来て笠を被っている。柳の木の下には見物する老人がいるが、これは、
田一枚植て立去る柳かな 芭蕉
の芭蕉さんか。
そうなると、このばあいの「ててれ」は半襦袢の方か。
脇。
子は裸父はててれで早苗舟
岸のいばらの真ッ白に咲 野坡
イバラは花は綺麗だけど、棘があるから裸の子供は痛そうだ。綺麗なだけで収めない所が俳諧か。
第三。
岸のいばらの真ッ白に咲
雨あがり珠数懸鳩の鳴出して 孤屋
珠数懸鳩(ジュズカケバト)はドバトと同様外来種で、本来飼育されていたものが野生化したものだろう。ウィキペディアには、
「全長25から30センチメートル。全体的に淡い灰褐色で後頸部に半月状の黒輪がある。風切羽は黒褐色、嘴は暗褐色。シラコバトによく似ているが、背や翼の褐色がシラコバトよりも薄い。白変種をギンバト(銀鳩)といい、全身白色で嘴と脚が紅色。」
とある。クックルルルルルーとドバトよりも澄んだ声で鳴く。
四句目。
雨あがり珠数懸鳩の鳴出して
与力町よりむかふ西かぜ 利牛
ウィキペディアによれば与力は町奉行の下で行政・司法・警察の任にあたり、八丁堀に三百坪程度の組屋敷が与えられていたという。与力の下には同心がいて、その下には岡っ引きがいる。
ここでいう与力町は八丁堀にあった片与力町、中与力町のことだろう。
雨が上がって与力町の方から西風が吹いてくる。八丁堀から西と言えば深川の方か。何やらどやどやと一緒になって岡っ引きまでやってきそうだが。
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