今日も朝から雨。午後には止んだが。
重慶のほうはなんか水害で大変なことになっているようだね。三峡というと、
巴東山峡巫峡長 猿鳴三声涙沾裳
という六朝時代の無名詩があったっけ。芭蕉の「猿を聞く人」の句に素堂は、「一等の悲しミをくはへて今猶三声のなみだたりぬ」と評してた。
アマビエ巻九十四句目。
終らない夢に選んだ新天地
頼むネットよ繋がってくれ
それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。
名残表。
七十九句目。
ひとり枕にあかす夜な夜な
虫の音や恨むる色をさそふらん 能通
「ひとり枕」を別れた後とする。過去のことは忘れたと思っても、虫の音にいろいろ思い出すこともあるのか、過去の恨みを思い出す。
八十句目。
虫の音や恨むる色をさそふらん
常より秋のつらき故郷 与阿
恋から離れ、都を離れて帰郷した人とする。都会ではあまり聞けない虫の音も、故郷ではうるさいくらい聞こえ、都落ちした恨みを思い出す。今年の秋はいつもの秋よりも辛くなりそうだ。
八十一句目。
常より秋のつらき故郷
陰寂し暴風の風のそなれ松 行助
「暴風」は「のわき」と読む。「そなれ松」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 海の強い潮風のために枝や幹が低くなびき傾いて生えている松。いそなれまつ。そなれ。
※古今六帖(976‐987頃)六「風ふけば波こすいそのそなれまつ根にあらはれてなきぬべら也〈柿本人麻呂〉」
② 植物「はいびゃくしん(這柏槇)」の異名。」
とある。①の意味であろう。
ここでは海辺の故郷となり、いつもの秋よりも辛いのは台風のせいだと
する。
八十二句目。
陰寂し暴風の風のそなれ松
思はず月にきさ山の暮 量阿
「きさ山」は吉野にある。「象山」という字を当てる。
暴風の磯のそなれ松に、月の吉野の象山はいわゆる相対付けであろう。江戸時代の俳諧では「向え付け」という。
きさ山は「月に来し」に掛けて「月にきさ山」で、大阪の高師浜の方から吉野にやってきたか。
八十三句目。
思はず月にきさ山の暮
袖寒く渡る小川に雨晴れて 心敬
吉野の青根ヶ峰から流れ出た水は象山の麓を通り、この川は古来象(きさ)の小川と呼ばれていた。今は喜佐谷川という名前になっている。宮滝で吉野川にそそぐ。
前句の「思はず月に」を思いがけなく雨も晴れて月が見えるとする。「きさ山」に「小川」が付く。秋の夕暮れは袖も寒い。
八十四句目。
袖寒く渡る小川に雨晴れて
遠方人に千鳥立つ声 慶俊
海辺の景色に転じる。
「遠方人(おちかたびと)」は遠くにいる人という意味だけでなく旅人という意味もある。
0 件のコメント:
コメントを投稿