2020年6月25日木曜日

 今日も朝から雨。午後には止んだが。
 重慶のほうはなんか水害で大変なことになっているようだね。三峡というと、

 巴東山峡巫峡長 猿鳴三声涙沾裳

という六朝時代の無名詩があったっけ。芭蕉の「猿を聞く人」の句に素堂は、「一等の悲しミをくはへて今猶三声のなみだたりぬ」と評してた。
 アマビエ巻九十四句目。

   終らない夢に選んだ新天地
 頼むネットよ繋がってくれ

 それでは「寛正七年心敬等何人百韻」の続き。

 名残表。
 七十九句目。

   ひとり枕にあかす夜な夜な
 虫の音や恨むる色をさそふらん   能通

 「ひとり枕」を別れた後とする。過去のことは忘れたと思っても、虫の音にいろいろ思い出すこともあるのか、過去の恨みを思い出す。
 八十句目。

   虫の音や恨むる色をさそふらん
 常より秋のつらき故郷       与阿

 恋から離れ、都を離れて帰郷した人とする。都会ではあまり聞けない虫の音も、故郷ではうるさいくらい聞こえ、都落ちした恨みを思い出す。今年の秋はいつもの秋よりも辛くなりそうだ。
 八十一句目。

   常より秋のつらき故郷
 陰寂し暴風の風のそなれ松     行助

 「暴風」は「のわき」と読む。「そなれ松」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 海の強い潮風のために枝や幹が低くなびき傾いて生えている松。いそなれまつ。そなれ。
  ※古今六帖(976‐987頃)六「風ふけば波こすいそのそなれまつ根にあらはれてなきぬべら也〈柿本人麻呂〉」
  ② 植物「はいびゃくしん(這柏槇)」の異名。」

とある。①の意味であろう。
 ここでは海辺の故郷となり、いつもの秋よりも辛いのは台風のせいだと

する。
 八十二句目。

   陰寂し暴風の風のそなれ松
 思はず月にきさ山の暮       量阿

 「きさ山」は吉野にある。「象山」という字を当てる。
 暴風の磯のそなれ松に、月の吉野の象山はいわゆる相対付けであろう。江戸時代の俳諧では「向え付け」という。
 きさ山は「月に来し」に掛けて「月にきさ山」で、大阪の高師浜の方から吉野にやってきたか。
 八十三句目。

   思はず月にきさ山の暮
 袖寒く渡る小川に雨晴れて     心敬

 吉野の青根ヶ峰から流れ出た水は象山の麓を通り、この川は古来象(きさ)の小川と呼ばれていた。今は喜佐谷川という名前になっている。宮滝で吉野川にそそぐ。
 前句の「思はず月に」を思いがけなく雨も晴れて月が見えるとする。「きさ山」に「小川」が付く。秋の夕暮れは袖も寒い。
 八十四句目。

   袖寒く渡る小川に雨晴れて
 遠方人に千鳥立つ声        慶俊

 海辺の景色に転じる。
 「遠方人(おちかたびと)」は遠くにいる人という意味だけでなく旅人という意味もある。

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