2020年6月6日土曜日

 今日は曇っていて夜には雷雨となった。明け方の月は見えなかった。
 人種差別の起源は元はといえば対立する部族に対する感情から来ているのだろう。
 それが文明が誕生し都市が作られるようになると、様々な部族が同じ街に集まり共存するようになる。都市が形成されると様々な職業が生じ、その職業の中でも上下関係が出来てくるため、そこで差別が生じる。
 日本の穢多の場合はおそらく疫病の流行などによって、動物や死体を扱う人々が隔離されたところから始まったのではないかと思う。
 下人の起源はよくわからないが、班田収受の法が行き詰った時に農地を失った者が、貴族、寺社、大名田堵に使役されることになったか。
 戦争捕虜や債務奴隷などもそのまま本物の奴隷に身を落とし、差別されることもあっただろう。
 民族が異なる者同士だと、習慣の違いから意思の疎通を欠くことも多く、そこから話のわからぬ者ということで能力的に劣っているとみなされる。そういうところからも差別は生じる。アイヌ、琉球、在日などはそうした文化摩擦によるものだから、お互いの文化をよく理解できれば解消できる。
 今の日本でも様々な差別がある。アメリカの暴動を対岸の火事とするのではなく、我々自身も反省するきっかけとしたい。
 不思議なことだがアメリカで起きたのとまったく同じような事件が、日本でクルド人に対して起きている。結局アメリカ人も日本人も一緒なのだろう。
 大事なのはお互いの気持ちを理解することだ。みんな同じように泣いたり笑ったりして生きている同じ人間なんだということを忘れないようにしたい。まずは自分の身の回りでそれを行う。それが積もり積もってみんながやれば差別はなくなると思う。

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 まずシャワー浴びてとせかす下心

 それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。

 六十九句目。

   くるれば帰る山ぞはるけき
 行方もいさ白雲の奥にして     宝泉

 「行くかたもいざ知らず」に「白雲」を掛ける。
 山の中でガスに巻かれてしまえばどっちへ行っていいかもわからない。夕暮れになったら帰らなくてはならない山だが、果して無事に帰れるものか。
 七十句目。

   行方もいさ白雲の奥にして
 すぎぬる鳥の幽かなる声      銭阿

 前句の「行方」を鳥の飛んで行く方とし、その声を付ける。
 七十一句目。

   すぎぬる鳥の幽かなる声
 旅人のこゆる関の戸明る夜に    長敏

 夜が明けて鳥が鳴くと、関守も関所の戸を開ける。

 夜をこめて鳥の空音ははかるとも
     よに逢坂の関は許さじ
             清少納言(後拾遺集)

の歌もある。鳥の音に関所は付け合いと言ってもいいだろう。
 七十二句目。

   旅人のこゆる関の戸明る夜に
 友をやまたむ宿ごとのみち     宗悦

 「友をまたむや」の倒置。「宿ごとのみち」は宿を重ねる道、長い旅路という程度の意味か。
 朝早く旅立って距離を稼ぎたい所だが、相方はなかなか起きてこない。

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