今日は天気が良く、近所に買い物に出た。
街路樹の染井吉野がいたるところで老木化したため、切り倒された後の切り株がいたるところにある。
切り株の脇からはヒメジョオン、ナガミヒナゲシ、ブタナが咲き、ちょっとした花壇のようになっている。
世界的にコロナでの自粛疲れなのか、何とも殺伐とした時代だけど、花に心を慰めれば夷狄なんてどこにもいないんだと思う。
暴力は恨みを残すだけで決して世の中が良くすることはない。それは言葉の暴力でも同じだ。
力を入れずしてあめつちを動かせ。
コロナのほうは小池都知事が「夜の街」と言葉を濁していたけど、どうやらホストクラブでクラスターがあったようだ。
ホストクラブというのは日本だけのものなのかよくわからないが、男性が接待する女性用の風俗店は多分どこの国にもあるのだろう。西洋だとマッチョ系の男がビキニパンツで出てきそうだが、日本のホストはアイドル系で会話重視が特徴。
昔の侍が見たらどう思うかって、多分普通に稚児だと思うんじゃないかな。若衆歌舞伎の伝統をどこかで引き継いでいるのかもしれない。
まずシャワー浴びてとせかす下心
空には昼の月が霞んで
それでは「応仁二年冬心敬等何人百韻」の続き。
七十三句目。
友をやまたむ宿ごとのみち
木本ははつ雪ながら消えやらで 満助
雪道は一人で行くには危険が多く、誰か他の人が通りかかるのを待ち、一緒に行くようにした方がいい。
七十四句目。
木本ははつ雪ながら消えやらで
かつ咲く梅に匂ふ朝露 心敬
これは散った白梅を初雪に見立てたものか。
天満本が梅を花になおしているのは、この三の懐紙が花をこぼしているからであろう。当時は花の定座はなく、花は一座三句物で「懐紙をかふべし、にせ物の花此外に一」とあるだけで、必ず一つの懐紙に花を出さなくてはならないという決まりはない。三句までだから極端な話一句もなくても良いということになる。
七十五句目。
かつ咲く梅に匂ふ朝露
春の野や馴れぬ袖をもかはすらん 修茂
「袖をかはす」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 男女が互いに衣の袖を振りかわす。また、男女が衣の袖を敷きかわして寝る。
※永久百首(1116)秋「袖かはす人もなき身をいかにせんよさむのさとにあらし吹なり〈源顕仲〉」
② 袖がふれるほど近くに並ぶ。袖をつらねる。
※六百番歌合(1193頃)春上・六番「袖かはす階のきはに年ふりて幾度春をよそに迎へつ〈藤原兼宗〉」
とある。
②の意味で梅を見に人が集まってきた様子を述べたものとも取れるが、
あかねさす紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る
額田王
のように、恋に取ることもできる。
七十六句目。
春の野や馴れぬ袖をもかはすらん
かすみ敷く江に舟かよふみゆ 宗祇
これも単なる景色とも取れるが、通ってくる舟に愛しい人が乗っているとも取れる。
おそらく金子金次郎はこの句に恋の言葉がないため単なる景色の句として、前句も②の意味にしてしまったのだろう。
七十七句目。
かすみ敷く江に舟かよふみゆ
心なき人の夕べは空しくて 宗悦
これも前句が恋の情なら、心なき人が舟で帰ってきてくれるのを空しく待つ情景になる。この三句は恋に解しておきたい。
金子金次郎はこの「心なき」を霞み敷く江の風流を解さない人をディスった句としているが、それこそ風流ではない。
心なき身にもあはれは知られけり
鴫立つ沢の秋の夕暮れ
西行法師(新古今集)
の歌は、自らをへりくだって言うもので、他人を誹謗中傷するのは風雅の道に外れる。
七十八句目。
心なき人の夕べは空しくて
つとむるかねを寿ともきけ 心敬
これは咎めてにはで、前句の「心なき」を信心の薄いという意味に取り成し、仏道に励む人の撞く入相の鐘に、今日も一日また年取って、死に近づいているんだと悟ってくれ、となる。
これも信心の薄い自分を励ます体であり、信心のない人々をディスっているのではない。「心なき」は自分のことで、自分自身に「寿ともきけ」と命じている句だ。
金子金次郎は、
けふ過ぎぬ命もしかとおどろかす
入相の鐘の声ぞ悲しき
寂然法師(新古今集)
を引いている。
0 件のコメント:
コメントを投稿